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高階幸造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高階 幸造
時代 江戸時代末期 - 大正時代
生誕 1864年
死没 1921年1月19日
墓所 兵庫県豊岡市野上
官位 正五位
勲章 勲六等瑞宝章
主君 孝明天皇明治天皇大正天皇
氏族 高階家
父母 父:高階成章
配偶者 高階鶴野
子供 研一
親戚 高階成章(孫、橿原神宮権宮司)
奉職神社 四條畷神社(1901年 - 1902年)
伊和神社(1902年 - 1903年)
廣田神社(1903年 - 1921年)
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高階 幸造(たかしな こうぞう、元治元年〈1864年〉8月 - 大正10年〈1921年1月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本神職

四條畷神社宮司伊和神社宮司、廣田神社宮司を歴任した[1]ほか、草創期の全国神職会運営に携わり、「神社界の重鎮」と称されている[2]

生涯

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元治元年(1864年)8月、但馬国豊岡町(現在の兵庫県豊岡市)に、豊岡藩高階成章の三男として生まれた[1][3]

明治13年(1880年)、郷里の村社金刀比羅神社に奉職[1][2]

明治21年(1888年)、兵庫県皇典講究所理事兼教授となり、分所新築事業を担当し、これが明治31年(1898年)に竣工すると皇典講究所副総裁久我建通より『古史徴』一部を贈られた[1]。また全国神職会の創立に関与して、同会総務委員幹事となった[1][3]

明治34年(1901年4月12日四條畷神社宮司に就任[4]。明治35年(1902年1月29日伊和神社宮司に転じた[5]。翌明治36年(1903年6月18日、六給俸の下賜を受けた[6]

明治36年(1903年)11月11日廣田神社宮司に転任し[1][7]、同日付で四級俸の下賜を受けた[8]。俸給については、3年後の明治39年(1906年7月5日には三級俸の下賜[9]、2年後の明治41年(1908年4月1日には五級俸の下賜[10]、明治44年(1911年8月22日には三級俸に変更されている[11]。改元後には大正2年(1913年12月26日に二級俸に昇給するも[12]、大正7年(1918年5月1日に四級俸下賜に下がり[13]、翌大正8年(1919年7月31日に三級俸下賜に復した[14]

廣田神社宮司就任後、兵庫県神職督務所長に推され、明治43年(1910年)、三府二十八県神職会より斯道尽瘁の表彰を受けた[1]

大正2年(1913年10月14日、財団法人兵庫県皇典講究分所が設立されると、兵庫県内務部長小島源三郎海神社宮司上月為蔭西宮神社宮司吉井良晃と共にその理事として名を連ねた[15]。任期満了の後も上月為蔭[注釈 1]・吉井良晃と共に理事に重任した[16]

大正10年(1921年1月19日、58歳で、病により帰幽した[1][17][注釈 2]。没日付にて特旨を以て位階を一級進めて正五位に叙せられ[18]、二級俸を下賜された[19]。氏子葬が執り行われ、城崎郡田鶴野村野上(現在の豊岡市野上)に葬られた[20]

栄典

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位階

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勲等

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著作

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単著

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  • 『神皇事蹟』兵庫県皇典講究分所、1900年12月3日。doi:10.11501/815665 
  • 『祭文私稿』大阪国文社、1901年11月10日。doi:10.11501/815395 
  • 『広田神社誌』。 

編著

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  • 『通例祭典式』兵庫県皇典講究分所、1894年8月25日。doi:10.11501/815810 

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ このとき上月は湊川神社宮司に転じている。
  2. ^ コトバンクの記事では没年が大正11年(1922年)となっているが、官報の記載などから、これは誤りである。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『神道人名辞典』, p. 184, 「高階幸造」.
  2. ^ a b 『戦後神道界の羣像』, p. 66, 「高階研一」.
  3. ^ a b c 『大日本人名辞書』下巻, p. 1480, 「高階幸造」.
  4. ^ 『官報』第5330号, p. 31, 「叙任及辞令」.
  5. ^ 『官報』第5571号, p. 2, 「叙任及辞令」.
  6. ^ 『官報』第5988号, p. 2, 「叙任及辞令」.
  7. ^ 『官報』第6110号, p. 2, 「叙任及辞令」.
  8. ^ 『官報』第6111号, p. 1, 「叙任及辞令」.
  9. ^ 『官報』第6905号, p. 3, 「叙任及辞令」.
  10. ^ 『官報』第7427号, p. 7, 「叙任及辞令」.
  11. ^ 『官報』第8453号, p. 8, 「叙任及辞令」.
  12. ^ 『官報』第426号, p. 9, 「叙任及辞令」.
  13. ^ 『官報』第1722号, p. 4, 「叙任及辞令」.
  14. ^ 『官報』第2098号, p. 5, 叙任及辞令.
  15. ^ 『官報』第448号, p. 27, 「広告(法人登記)」.
  16. ^ 『官報』第1639号, p. 5, 「広告:法人登記」.
  17. ^ 『官報』第2569号, p. 8, 「彙報(官庁事項):神職卒去」.
  18. ^ 『官報』第2542号, pp. 5–7, 「叙任及辞令」.
  19. ^ 『官報』第2543号, p. 10, 「叙任及辞令」.
  20. ^ 『大日本人名辞書』下巻, p. 1481, 「高階幸造」.
  21. ^ 『官報』第6147号, p. 9, 「叙任及辞令」.
  22. ^ 『官報』第7694号, p. 5, 「叙任及辞令」.
  23. ^ 『官報』第1123号, p. 2, 「叙任及辞令」.
  24. ^ 『官報』第2542号, p. 5, 「叙任及辞令」.
  25. ^ 『官報』第7956号, p. 23, 「叙任及辞令」.
  26. ^ 『大衆人事録』第三版, p. た七四.
  27. ^ 『神道人名辞典』, p. 484, 「高階研一」.

参考文献

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  • 『大日本人名辞書』下巻、大日本人名辞書刊行会編(新版)、大日本人名辞書刊行会、1926年。doi:10.11501/969144 
  • 『大衆人事録』帝国秘密探偵社編(第三版)、帝国秘密探偵社、1930年。doi:10.11501/3044845 
  • 『神道人名辞典』神社新報社編、神社新報社、1986年7月8日。 
  • 『戦後神道界の羣像』神社新報社編、神社新報社、2016年7月8日。 

官報

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  • 『官報』第5330号、1901年4月13日。 
  • 『官報』第5571号、1902年2月1日。 
  • 『官報』第5988号、1903年6月19日。 
  • 『官報』第6110号、1903年11月12日。 
  • 『官報』第6111号、1903年11月13日。 
  • 『官報』第6147号、1903年12月26日。 
  • 『官報』第6905号、1906年7月6日。 
  • 『官報』第7427号、1908年4月2日。 
  • 『官報』第7694号、1909年2月22日。 
  • 『官報』第7956号、1909年12月29日。 
  • 『官報』第8453号、1911年8月24日。 
  • 『官報』第426号、1913年12月27日。 
  • 『官報』第448号、1914年1月28日。 
  • 『官報』第1123号、1916年5月2日。 
  • 『官報』第1639号、1918年1月22日。 
  • 『官報』第1722号、1918年5月2日。 
  • 『官報』第2098号、1919年8月2日。 
  • 『官報』第2542号、1921年1月25日。 
  • 『官報』第2543号、1921年1月26日。 
  • 『官報』第2569号、1921年2月26日。 

外部リンク

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