魃
魃(ばつ、ひでりがみ)は、中国神話に登場する旱魃の神である。別名で「旱母」(かんぼ)ともいう[1]。
特定の神の名ではなく、各地の山川に旱魃を起こす神がおり、それぞれにより姿も性質も異なる[2]。
女神としての「魃」
[編集]女神の「魃」は、『山海経』の「大荒北経」に記述がある。もとの名は妭(ばつ)。黄帝の娘である。
黄帝が蚩尤と戦った際、蚩尤陣営の風雨を司る雨師と風伯に対抗して、体内に大量の熱を蓄えている娘の魃を呼び寄せて対抗した。魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝であったが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなっていた[3][4]。
魃の力はそこにいるだけで周囲に旱魃をもたらす。彼女を処刑することもできないため、やむなく黄帝は彼女を赤水河の北方の係昆山へ幽閉した。しかし魃は時折中原へやってきて旱魃を起こすので、人々は「神よ、北へ帰りたまえ」と言って魃を帰すのだという[3][4]。
一説によれば、本来の名の「妭」は美女の意味だが、人間に害をなすようになってからは、邪悪の意味をこめて部首の女を鬼に変えられて「魃」の名が用いられ、これが「旱魃」の語源になったともいう[5]。
獣形の「魃」
[編集]『山海経』よりあとに書かれた中国の文献には、旱魃にまつわる以下のような獣の記述がある。
『本草綱目』や前漢初期の書『神異経』によれば、南方には「𪕰」または「魃」[注 1]がおり、身長2尺から3尺(40から60センチメートル)、頭の上に目があり、風のように走り、これが現れると大旱魃になるが、厠に投げ込むと死んでしまうという[6][7][注 2]。
『三才図会』に記述のある「神魃」は、魑魅に類する人面獣身の獣で、手と足が一つずつしかなく、剛山という山に多くおり、これのいるところには雨が降らないという[8]。
隋時代の研究書『文字指帰』には同様、「旱魃」という獣の居場所には雨が降らないとある[7]。
これらは日本の江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも、「魃(ひでりがみ)」と題して引用されている[7]。鳥山石燕による妖怪画集『今昔画図続百鬼』では「魃(ひでりがみ)」と題し、上記の特徴を総合し、剛山に魃が住み、人面獣身、手と足が1本ずつ、風のように早く走り、居場所には雨が降らないと述べられている[9]。
魃とは別に『山海経』には、「神𩳁」(しんち)という、手足が1本ずつの人面の獣が剛山に住むとあり[10]、獣としての魃の特徴は、この神𩳁が混同されたものとする説もある[11]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 原典『神異経』での表記は「𪕰」。「魃」の表記は『中国古典小説選』1による。
- ^ 水木しげるの著書『図説 日本妖怪大全』(ISBN 978-4-06-256049-8)などには「魃鬼(ばっき)」の名で同様の記述がある。
出典
[編集]- ^ 水木しげる『妖怪伝』(1985年11月、講談社) p.120
- ^ 伊藤清司 著、慶應義塾大学古代中国研究会 編『中国の神獣・悪鬼たち 山海経の世界 増補改訂版』東方書店東方選書 2013年(初版 1986年) p.46
- ^ a b 高馬訳 1994, pp. 170–171
- ^ a b 鈴木訳 1993, pp. 207–208
- ^ 篠田 1989, pp. 34–35
- ^ 東方朔 著「神異経」、竹田晃、黒田真美 編『中国古典小説選』 1巻、明治書院、2007年、231-232頁。ISBN 978-4-625-66405-2。
- ^ a b c 笹間 1994, p. 38
- ^ 王圻編. “三才図会”. 江戸・明・古代プロジェクト. 漢籍webdb project. 2009年8月27日閲覧。
- ^ 鳥山石燕 著「今昔画図続百鬼」、稲田篤信、田中直日 編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』高田衛監修、国書刊行会、1992年(原著1779年)、112頁。ISBN 978-4-336-03386-4。
- ^ 高馬訳 1994, pp. 46–47.
- ^ 伊藤清司監修・解説『怪奇鳥獣図巻 大陸からやって来た異形の鬼神たち』工作舎、2001年、47頁。ISBN 978-4-87502-345-6。
参考文献
[編集]- 袁珂 著、鈴木博訳 編『中国の神話伝説』 上、青土社、1993年。ISBN 978-4-7917-5221-8。
- 笹間良彦『図説・日本未確認生物事典』柏書房、1994年。ISBN 978-4-7601-1299-9。
- 篠田耕一『幻想世界の住人たち』 III、新紀元社〈Truth In Fantasy〉、1989年。ISBN 978-4-915146-22-0。
- 高馬三良訳『山海経 中国古代の神話世界』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、1994年。ISBN 978-4-582-76034-7。