鶴見孝太郎
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鶴見 孝太郎(つるみ こうたろう、1872年4月12日(明治5年3月5日[1]) - 1930年(昭和5年)1月22日[1][2])は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]父は出羽鶴岡藩領田川郡落野目村(山形県東田川郡豊栄村、八栄島村、藤島町を経て現在の鶴岡市)の豪農日向三右衛門と伝わる[1]。生後間もなく同郡白山林村(西田川郡大泉村を経て現在の鶴岡市)の白山神社の社掌鶴見家の養子となった[1]。1889年(明治22年)荘内中学校に入るが中退し、鶴岡の野沢鎌治について漢籍などを学ぶ[1]。小学校の代用教員を経て大泉村役場に奉職し1894年(明治27年)大泉村消防組初代組頭を経て、1896年(明治29年)25歳にして村長に選ばれた[3]。郡会議員、同議長、水利組合議員を経て、1907年(明治40年)から山形県会議員を4期務めた[4]。
1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では山形県郡部から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。地方産業、教育、土木水利事業などに尽くし、特に赤川水系の黒森掘割開削功労者として知られる[4]。ほか、川山電力取締役を務めた[2]。墓所は白山林宝円寺[4]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 庄内人名辞典刊行会 1986, 467頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 321頁.
- ^ 庄内人名辞典刊行会 1986, 467-468頁.
- ^ a b c 庄内人名辞典刊行会 1986, 468頁.
参考文献
[編集]- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 庄内人名辞典刊行会 編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。