コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

斉藤肇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
齊藤肇から転送)
斉藤 肇
星陵高等学校 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県富士宮市
生年月日 (1973-07-22) 1973年7月22日(51歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト4位
初出場 CPBL / 2001年3月11日
最終出場 CPBL / 2001年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日立製作所
  • 星陵高等学校

斉藤 肇(さいとう はじめ、1973年7月22日 - )は、静岡県富士宮市出身の元プロ野球選手投手、右投左打)・野球指導者。

来歴・人物

[編集]

富士宮市の星陵高では2年夏に県大会ベスト8、通算44試合で407奪三振[1]1991年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズ広島東洋カープから4位指名を受け、抽選により横浜に入団。

早くからファームでは先発として投げていたが、安定した成績が残せずその後は中継ぎでの登板が増え、9年間で227試合に登板したが、一軍での登板はないまま2000年オフに戦力外通告を受け退団。二軍における227試合登板は、金剛弘樹(中日)の282試合登板に次ぐ2位記録である。また227試合はイースタン・リーグの1位記録であり、一軍登板経験がない投手として1位記録でもある。

2001年台湾兄弟エレファンツへ入団。2002年に日本に帰国して、社会人野球日立製作所に入団しチームのエースとして活躍。その後若手の台頭もあり、2005年シーズン限りで現役を引退。2006年から2007年まで同チームの投手コーチを務めた。

2008年から古巣横浜に復帰し、打撃投手やスコアラーを13年間務めた。

2021年2月に学生野球の指導資格を回復し、4月より母校の星陵高等学校の職員として採用され、野球部のコーチに就任[2]

詳細情報

[編集]

NPB投手記録

[編集]
  • 一軍公式戦出場なし

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2001 兄弟 28 21 4 0 1 7 8 3 -- .467 587 137.2 136 9 56 1 4 96 18 0 70 59 3.86 1.39
CPBL:1年 28 21 4 0 1 7 8 3 -- .467 587 137.2 136 9 56 1 4 96 18 0 70 59 3.86 1.39

表彰

[編集]
CPBL

背番号

[編集]
  • 54 (1992年 - 2001年)

脚注

[編集]
  1. ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 元横浜の斉藤肇氏が静岡・星陵高コーチ就任…1991年ドラフトでDeNA・三浦大輔監督と同期入団”. スポーツ報知 (2021年3月25日). 2021年3月28日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 選手の各国通算成績 CPBL