龍田大社
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龍田大社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29-1 |
位置 | 北緯34度35分35.1秒 東経135度41分14.4秒 / 北緯34.593083度 東経135.687333度座標: 北緯34度35分35.1秒 東経135度41分14.4秒 / 北緯34.593083度 東経135.687333度 |
主祭神 |
天御柱命 国御柱命 |
社格等 |
式内社(名神大2座) 二十二社(中七社) 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 伝・第10代崇神天皇年間 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 4月4日 |
主な神事 |
滝祭(4月3日) 風鎮大祭(7月第1日曜日) 秋季大祭(10月第3土日曜日) |
地図 |
龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「龍田神社」。風の神(風神)[1]として古くから信仰を集める。
祭神
[編集]祭神は次の2柱。
龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。
歴史
[編集]概史
[編集]『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。
国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「龍田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。
明治維新後、1871年(明治4年)に近代社格制度において「龍田神社」として官幣大社に列した。
1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
2020年(令和2年)6月に、龍田古道と亀の瀬と共に龍田大社が日本遺産に認定された。[2]
紅葉の名所としても有名である。摂社龍田比売社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。
神階
[編集]- 弘仁13年(822年)8月3日、従五位下 (『日本紀略』) - 表記は「竜田神」。
- 嘉祥3年(850年)7月11日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「竜田天御柱命神」、「国御柱命神」。
- 仁寿2年(852年)7月25日、従四位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「天御柱命神」、「国御柱命神」。
- 仁寿2年(852年)10月2日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「天御柱命神」、「国御柱命神」。
- 天安3年(859年)1月27日、従三位から正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「竜田神」。
主な祭事
[編集]- 滝祭(4月3日)
- 風鎮大祭(7月第1日曜日)
- 秋季大祭(10月第3土日曜日)
境内
[編集]- 本殿2棟
- 左殿
- 右殿
- 祝詞殿
- 神饌所
- 龍田比売命社 - 祭神:龍田比売命
- 龍田比古命社 - 祭神:龍田比古命
- 天照大御神住吉大神社
- 枚岡大神春日大神社
- 高望王妃社
- 拝殿
- 白龍神社
- 龍田恵美須神社
- 三室稲荷神社
- 旧神饌所
- 祈禱参集殿
- 廻廊
- 社務所
- 神楽殿(旧拝殿)
- 下照神社 - 祖霊社。
- 遥拝所
- 境外社
- 神奈備神社
- 飛び地
- 御座峰
- 三室山
- 岩瀬の杜
-
神楽殿(旧拝殿)
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摂社龍田比古龍田比売神社(内陣左側)
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末社(内陣右側)
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白龍神社
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龍田恵美須神社
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三室稲荷神社
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下照神社
文化財
[編集]重要文化財
[編集]現存しない文化財
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現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
脚注
[編集]関連図書
[編集]- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、37頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、217頁
- 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、187-189頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、222-223頁
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 龍田大社 - 公式サイト
- 龍田坐天御柱国御柱神社二座 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」
- 日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会事務局−公式サイト