1991 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表
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1991 FIFA女子世界選手権日本女子代表(1991ふぃふぁじょしせかいせんしゅけんにほんだいひょう)は、1991年11月16日から11月30日にかけて、中国で開催された第1回FIFA女子世界選手権のサッカー日本女子代表チームである。
(註:開催時の正式な大会名は「FIFA女子世界選手権」だが、すでにこの頃から通称として「ワールドカップ」とも呼ばれていた[要出典]ため、記事名は「1991 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」とする)
1991年-1995年
概要
[編集]1991年5月26日から6月8日まで行われた「第8回アジア女子選手権」(会場:福岡市)で、日本はグループリーグを1位で通過。決勝トーナメントで準優勝となり、優勝の中国、3位のチャイニーズタイペイとともに本大会出場を決めた。とくにグループリーグの北朝鮮戦はその後、2004年4月18日のアテネオリンピックアジア予選まで唯一の勝利であった。
本大会では、初戦のブラジル戦で前半4分に相手コーナーキックからの混戦で失点し、その後もチャンスを作るものの得点できず敗戦。
続くスウェーデン戦では立ち上がりのわずか40秒で失点すると前半だけで6失点。後半も追撃を図るも、さらに失点を重ね0対8の大差で敗れてしまった。
最終戦となったアメリカ戦は優勝候補を相手に善戦したが、体格やプレーの精度に差があり、0対3で敗戦。
初の挑戦は全試合無得点による3戦全敗に終わった。
本大会登録メンバー
[編集]- 「出場状況」欄の「○」はフル出場、「▼」は途中交代アウト、「▲」は途中交代イン、数字は前半の試合開始からの経過時間(分)、「得点」は獲得得点をそれぞれ表す。
- 「所属クラブ」は、開会式が行われた1991年11月16日時点の所属クラブ。
背番号 | 選手名 | ポジション | 所属クラブ | 出場状況 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
ブラジル戦 11月17日 |
スウェーデン戦 11月19日 |
アメリカ戦 11月21日 | |||||
1 | 鈴木政江 | GK | 日興證券ドリームレディース | ○ | ○ | ○ | |
2 | 本田美登里 | DF | 読売ベレーザ | ○ | ○ | ○ | |
3 | 渡邊由美 | フジタ天台SCマーキュリー | |||||
4 | 加治真弓 | 田崎神戸FC | ○ | ○ | ○ | ||
5 | 山口小百合 | 鈴与清水ラブリーレディース | ○ | ○ | ○ | ||
6 | 高萩陽子 | 東京学芸大学 | |||||
7 | 大部由美 | 日興證券ドリームレディース | |||||
8 | 松田理子 | MF | プリマハムFCくノ一 | ○ | ○ | ○ | |
9 | 野田朱美 | FW | 読売ベレーザ | ○ | ○ | ○ | |
10 | 高倉麻子 | MF | ▼52 | ○ | ▼60 | ||
11 | 木岡二葉 | 鈴与清水ラブリーレディース | ○ | ○ | ○ | ||
12 | 坂田恵 | GK | 日産FCレディース | ||||
13 | 黒田今日子 | DF | プリマハムFCくノ一 | ○ | ○ | ○ | |
14 | 半田悦子 | FW | 鈴与清水ラブリーレディース | ▲60 | |||
15 | 長峯かおり | ACレッジアーナ | ○ | ▼67 | ○ | ||
16 | 手塚貴子 | 読売ベレーザ | ○ | ○ | ○ | ||
17 | 水間百合子 | 浦和本太レディースFC | ▲52 | ▲67 | |||
18 | 内山環 | 田崎神戸FC |
スタッフ
[編集]監督
[編集]コーチ
[編集]試合結果
[編集]グループリーグ
[編集]グループ B
チーム | 勝点 |
試合 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
得点 |
失点 |
点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アメリカ合衆国 | 6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 11 | 2 | +9 |
スウェーデン | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 12 | 3 | +9 |
ブラジル | 2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 1 | 7 | -6 |
日本 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | -12 |