本田美登里
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名前 | ||||||
カタカナ | ホンダ ミドリ | |||||
ラテン文字 | HONDA Midori | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1964年11月16日(60歳) | |||||
出身地 | 静岡県清水市 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF、DF (現役時代) | |||||
ユース | ||||||
1975-1978 | 入江SS | |||||
1979-1985 | 清水第八スポーツクラブ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1985 | 清水第八スポーツクラブ | |||||
1985-1992 | 読売SC女子ベレーザ | |||||
代表歴2 | ||||||
1981-1991 | 日本 | 43 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1991-1993 | 読売メニーナ | |||||
2001-2011.1 | 岡山湯郷Belle | |||||
2005 | ユニバーシアード日本女子代表 | |||||
2013-2019 | AC長野パルセイロ・レディース | |||||
2020-2021 | 静岡SSUアスレジーナ | |||||
2022-2024 | ウズベキスタン | |||||
2024- | 静岡SSUボニータ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月20日現在。 2. 2013年1月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
本田 美登里(ほんだ みどり、1964年11月16日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。ジュビロ女子サッカースーパーバイザー。静岡SSUボニータ監督。現役時代のポジションはディフェンダー。2007年に女性として初めてJFA 公認S級コーチの資格を取得した。
経歴
選手時代
小学3年生になった1975年に入江スポーツ少年団でサッカーを始める。清水市立第八中学校、清水市立商業高等学校を経て、国士舘大学体育学部に入学。
大学1年生まで清水第八スポーツクラブに在籍。全日本女子サッカー選手権大会では第2回(1981年)~第5回(1984年)大会の4連覇に貢献した。
1985年に読売サッカークラブ女子ベレーザに移籍。日本女子サッカーリーグ(JLSL)では第1回(1989年)から第4回(1992年)までの間に45試合に出場し、うち第2回から第4回大会でリーグ3連覇と全日本女子サッカー選手権大会の2連覇(第9回(1988年)~第10回(1989年))に貢献した。
日本女子代表には高校2年生のときに選ばれ、日本女子初の国際試合出場メンバーの一員に。以後10年間で国際Aマッチに43試合出場。第11回アジア競技大会(1990年・北京)では銀メダル獲得に貢献し、翌1991年の第1回女子世界選手権(中国大会)にも出場した。
指導者時代
1991年から1993年に読売ベレーザのプレーイングコーチと読売メニーナのコーチを務めたのち、1994年に日本サッカー協会に就職し、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ:当時)事務局委員と協会の女子委員会強化部員を兼任。1999年にU-18日本女子選抜コーチとして第1回adidas Cup参加、2000年にはU-18日本女子選抜監督代行として第2回 Adidas Cup に参加。また日本サッカー協会主催のサッカー教室で全国巡回指導を行った。
2001年から岡山県英田郡美作町(現・美作市)に誕生した岡山湯郷Belleの監督に就任して、宮間あや、福元美穂などの有力選手を育成した。2003年にはL・リーグ参入を果たし、2004年にはL・リーグ2部で優勝して翌2005年のL・リーグ1部昇格を経験した。
2005年8月10日からトルコのイズミルで行われたユニバーシアード世界大会では女子サッカー代表の監督を務め、後に日本女子代表の主力へと成長する近賀ゆかり・岩清水梓・川澄奈穂美らを擁して銅メダルを獲得した[1][2]。
2007年9月13日、女性指導者としては初となる日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した[3][4]。
2011年1月31日、岡山湯郷Belleの監督を退任する旨が発表され[5]、同年2月1日、U-20サッカー日本女子代表コーチに就任した[6]。
2013年、なでしこチャレンジリーグに参加しているAC長野パルセイロ・レディース監督に就任[7]。
2015年10月、プレナスなでしこリーグ2部第26節愛媛FCレディース戦で勝利したことで、AC長野パルセイロ・レディースの優勝が決定し、就任3年目でチームを昇格に導いた[8][9]。同年11月、2016シーズンの続投が決定した[10]。
2019年12月6日、AC長野パルセイロ・レディースの監督を退任した[11][12]。
同年12月28日、静岡SSUアスレジーナの監督に就任した[13][14]。
2022年1月7日、静岡SSUボニータの監督を退任することを発表[15]、同年1月20日にサッカーウズベキスタン女子代表の監督に就任することが発表された[16]。
2024年2月のパリ五輪最終予選ではウズベキスタンをオーストラリア女子代表との決定戦にまで導いた。第1戦では後半28分まで無失点に抑えチームは奮闘したがその後3点を失い[17]、さらに第2戦では10-0の大差で敗北し五輪出場を逃した。[18]
2024年3月9日ジュビロ女子サッカースーパーバイザーに就任し、なでしこ1部に所属する静岡SSUボニータの監督に出向という形で再度就任することが発表された[19][20]
個人成績
この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1981 | 清水第八スポーツクラブ | - | |||||||||
1982 | 10 | - | |||||||||
1983 | - | ||||||||||
1984 | - | ||||||||||
1985 | 読売サッカークラブ女子・ベレーザ | 東京1部 | - | ||||||||
1986 | - | ||||||||||
1987 | - | ||||||||||
1988 | - | ||||||||||
1989 | 5 | JLSL | 10 | 0 | - | ||||||
1990 | 6 | 15 | 3 | - | |||||||
1991 | 6 | 0 | - | ||||||||
1992 | 読売日本サッカークラブ女子ベレーザ | - | |||||||||
通算 | 日本 | 1部 | - | ||||||||
日本 | 他 | - | |||||||||
総通算 | - |
タイトル
クラブ
代表歴
- 1981年6月7日 - 日本女子代表初出場 - チャイニーズタイペイ戦 (第4回AFC女子サッカー選手権大会 (香港))
主な出場歴
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1981 | 5 | 0 |
1984 | 3 | 0 |
1986 | 6 | 0 |
1987 | 4 | 0 |
1988 | 3 | 0 |
1989 | 8 | 0 |
1990 | 5 | 0 |
1991 | 9 | 0 |
通算 | 43 | 0 |
- 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[21]
出場
# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1 | 1981年06月07日 | 香港 | チャイニーズタイペイ | ●0-1 | 市原聖曠 | アジア選手権 | |
2 | 1981年06月11日 | 香港 | タイ | ●0-2 | アジア選手権 | ||
3 | 1981年06月13日 | 香港 | インドネシア | ○1-0 | アジア選手権 | ||
4 | 1981年09月06日 | 兵庫県 | 神戸市立中央球技場 | イングランド | ●0-4 | ポートピア'81 | |
5 | 1981年09月09日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | イタリア | ●0-9 | ポートピア'81 | |
6 | 1984年10月17日 | 西安 | イタリア | ●0-6 | 折井孝男 | 西安招待 | |
7 | 1984年10月22日 | 西安 | オーストラリア | ●2-6 | 西安招待 | ||
8 | 1984年10月24日 | 西安 | イタリア | ●1-5 | 西安招待 | ||
9 | 1986年01月21日 | ジャカルタ | インド | ●0-1 | 鈴木良平 | スハルト大統領夫人杯 | |
10 | 1986年01月26日 | ジャカルタ | インド | ○7-0 | スハルト大統領夫人杯 | ||
11 | 1986年09月18日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | イタリア | ●1-2 | SEIYU CUP | |
12 | 1986年12月18日 | 香港 | マレーシア | ○10-0 | アジア選手権 | ||
13 | 1986年12月21日 | 香港 | タイ | ○4-0 | アジア選手権 | ||
14 | 1986年12月23日 | 香港 | 中国 | ●0-2 | アジア選手権 | ||
15 | 1987年08月04日 | 台北 | チャイニーズタイペイ | ●1-3 | 国際親善試合 | ||
16 | 1987年08月09日 | 高雄 | チャイニーズタイペイ | ●1-2 | 国際親善試合 | ||
17 | 1987年12月12日 | 台北 | アメリカ合衆国 | ●0-1 | 中華杯世界大会 | ||
18 | 1987年12月15日 | 高雄 | 香港 | ○5-0 | 中華杯世界大会 | ||
19 | 1988年06月01日 | 広州 | アメリカ合衆国 | ●2-5 | 広州国際大会 | ||
20 | 1988年06月03日 | 広州 | チェコスロバキア | ●1-2 | 広州国際大会 | ||
21 | 1988年06月05日 | 広州 | スウェーデン | ●0-3 | 広州国際大会 | ||
22 | 1989年01月12日 | アモイ | フィンランド | ●0-1 | アモイ国際大会 | ||
23 | 1989年01月16日 | アモイ | 中国 | ●0-4 | アモイ国際大会 | ||
24 | 1989年12月02日 | 神奈川県 | 平塚競技場 | オーストラリア | △2-2 | 鈴木保 | プリマカップ |
25 | 1989年12月04日 | 千葉県 | 習志野市秋津サッカー場 | オーストラリア | △1-1 | プリマカップ | |
26 | 1989年12月19日 | 香港 | インドネシア | ○11-0 | アジア選手権 | ||
27 | 1989年12月22日 | 香港 | 香港 | ○3-0 | アジア選手権 | ||
28 | 1989年12月26日 | 香港 | チャイニーズタイペイ | ●0-1 | アジア選手権 | ||
29 | 1989年12月29日 | 香港 | 香港 | ○9-0 | アジア選手権 | ||
30 | 1990年09月06日 | ソウル | 韓国 | ○13-1 | 国際親善試合 | ||
31 | 1990年09月27日 | 北京 | 中国 | ●0-5 | アジア大会 | ||
32 | 1990年10月01日 | 北京 | 香港 | ○5-0 | アジア大会 | ||
33 | 1990年10月03日 | 北京 | チャイニーズタイペイ | ○3-1 | アジア大会 | ||
34 | 1990年10月06日 | 北京 | 朝鮮民主主義人民共和国 | △1-1 | アジア大会 | ||
35 | 1991年04月01日 | ヴァルナ | フランス | ●1-3 | ヴァルナ国際大会 | ||
36 | 1991年04月03日 | ヴァルナ | スウェーデン | △2-2 | ヴァルナ国際大会 | ||
37 | 1991年05月26日 | 福岡県 | 平和台陸上競技場 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○1-0 | アジア選手権 | |
38 | 1991年06月03日 | 福岡県 | 平和台陸上競技場 | シンガポール | ○10-0 | アジア選手権 | |
39 | 1991年06月06日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森陸上競技場 | チャイニーズタイペイ | △0-0(PK5-4) | アジア選手権 | |
40 | 1991年08月21日 | 大連 | 中国 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
41 | 1991年11月17日 | 仏山 | ブラジル | ●0-1 | 世界選手権 | ||
42 | 1991年11月19日 | 仏山 | スウェーデン | ●0-8 | 世界選手権 | ||
43 | 1991年11月21日 | 仏山 | アメリカ合衆国 | ●0-3 | 世界選手権 |
著書
- 本田美登里、鈴木利宗 『なでしこという生き方―日本女子サッカーを拓いたひとりの女性の物語』セブン&アイ出版、2012年 ISBN 978-4860086022
脚注
出典
- ^ 【イズミル大会・サッカー】女子日本チーム銅メダル獲得!公益財団法人日本オリンピック委員会公式サイト.2005.8.22、2016年5月3日閲覧。
- ^ イズミルユニバーシアード2005 日本代表選手団 名簿公益財団法人日本オリンピック委員会公式サイト、2016年5月3日閲覧。
- ^ 協議事項 平成 19 年度 第 5 回理事会日本サッカー協会、2016年5月3日閲覧。
- ^ 女性初のS級ライセンス取得へ ~本田美登里氏の挑戦~ 日本サッカー協会公式サイト.2006.11.02、2016年5月3日閲覧。
- ^ “サッカー:なでしこリーグ 岡山湯郷ベル、本田監督が退任 後任は未定/岡山 (アーカイヴ)”. 毎日新聞 (2011年1月14日). 2011年6月28日閲覧。
- ^ 各カテゴリー日本代表 ナショナルコーチングスタッフ リスト(2011年2月1日現在) (PDF) 日本サッカー協会
- ^ 本田美登里氏 レディースチーム監督就任のお知らせAC長野パルセイロ公式サイト.2013.1.5、2016年5月3日閲覧。
- ^ 2015プレナスなでしこリーグ2部 AC長野パルセイロ・レディース優勝決定のお知らせなでしこリーグ公式サイト.2015.10.25、2016年5月3日閲覧。
- ^ なでしこリーグ パルセイロ・レディース、1部昇格 本田美登里監督、今季へ意気込み /長野毎日新聞.2016.1.10、2016年5月3日閲覧。
- ^ AC長野パルセイロ・レディース本田美登里監督 来シーズン続投のお知らせAC長野パルセイロ公式サイト.2015.11.6、2016年5月3日閲覧。
- ^ “本田美登里監督 退任のお知らせ”. AC長野パルセイロ公式サイト (2019年12月6日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ AC長野L本田監督退任 降格で引責 続投要請を辞退信毎web 2019年12月6日閲覧
- ^ “SSU監督就任”. asregina (2019年12月28日). 2021年6月27日閲覧。
- ^ “女子サッカー・ボニータ新監督 本田さん就任へ:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web (2019年12月28日). 2021年6月27日閲覧。
- ^ “なでしこ2部静岡SSUボニータ本田美登里監督退任 昨季3位、去就は未定 - サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2022年1月7日). 2022年1月7日閲覧。
- ^ “本田美登里氏が女子ウズベキスタン代表監督に就任 昨季なでしこ2部で指揮 - サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2022年1月20日). 2022年1月29日閲覧。
- ^ “オーストラリアがウズベキスタンに先勝!攻略に時間要すも、6年ぶり招集の35歳FWが途中出場から8分で値千金先制点【パリ五輪アジア最終予選】”. 超ワールドサッカー. 株式会社シーソーゲーム. 2024年3月8日閲覧。
- ^ “35歳FWヘイマンが先発起用に応える4ゴール! オーストラリアが10ゴールの圧勝でパリ五輪行き【パリ五輪アジア最終予選】”. 超ワールドサッカー. 株式会社シーソーゲーム. 2024年3月8日閲覧。
- ^ “ウズベキスタン女子を指揮した本田美登里氏がジュビロ女子サッカースーパーバイザーに就任…なでしこ1部の静岡SSUボニータの監督にも就任”. 超ワールドサッカー. 株式会社シーソーゲーム. 2024年3月9日閲覧。
- ^ “女子アマ最高峰なでしこリーグが16日開幕…11年W杯Vメンバーのスペ大阪・大野忍監督「結果にこだわる」”. スポーツ報知 (2024年3月11日). 2024年3月11日閲覧。
- ^ “なでしこジャパン(日本女子代表) 試合別出場記録”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 本田美登里監督の2005年「三足のわらじ」(1/2)女子サッカー界トップランナーの歩みを振り返る (原修一朗、2005.12.24付インタビュー、アーカイヴ)
- 本田美登里監督の2005年「三足のわらじ」(2/2)女子サッカー界トップランナーの歩みを振り返る (同上)
- 本田美登里 - Soccerway.com
- 本田美登里 - FootballDatabase.eu
- 本田美登里 - WorldFootball.net
- 本田美登里 - FIFA主催大会成績