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749年の日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

749年の日本では、749年日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。

他の紀年法

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国家機関

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聖武上皇
(8/19宣下)
 
 
聖武天皇(8/19譲位)
孝謙天皇(8/19践祚)
 
 
皇太子
阿倍内親王
(8/19践祚)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
知太政官事
欠員
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左大臣
橘諸兄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
右大臣
藤原豊成(4/21-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大納言
藤原豊成(-4/21)
巨勢奈弖麻呂(4/21-)
藤原仲麻呂(8/19-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中納言
巨勢奈弖麻呂(-4/21)
大伴牛養(4/21-)
石上乙麻呂(8/19-)
紀麻路(8/19-)
多治比広足(8/19-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参議
藤原仲麻呂(-8/19)
大伴牛養(-8/19)
石上乙麻呂(-8/19)
紀麻路(-8/19)
多治比広足(-8/19)
大伴兄麿(8/19-)
橘奈良麻呂(8/19-)
石川年足
藤原八束
藤原清河(8/19-)

政治社会

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  • 1月23日 - 和暦元日。元正天皇の喪中のため、朝賀の儀式などは行われず[1]
  • 1月26日 - 凶作にかんがみて、文武官人および家司に毎月米6斗を給与することとする[2]
  • 3月15日 - 陸奥国産出の黄金が貢進があった[3]
  • 3月20日 - の役人について、現地の一族間での争いが多いことに鑑み、専任は原則嫡流を優先とし、該当者に問題がある場合に限り、に従って立て替えるよう詔した[4]
  • 4月22日 - 天下に大赦を行った[5]
  • 5月4日 - 改元。天平21年を改め天平感宝元年とした[6]
  • 6月16日 - 天下の当年の田租を免除した[7]
  • 6月29日 - 天下に大赦を行った[8]
  • 8月19日
    • 皇位継承。聖武天皇が譲位し、皇太子阿部内親王が即位した(孝謙天皇[9]
    • 改元。天平感宝元年を改め天平勝宝元年とした[9]
  • 10月23日 - 紫微中台の官制を定めた[10]

自然天文

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  • 2月1日 - 上総国が飢饉のため、物を恵み助けた[11]
  • 2月5日 - 下総国に旱害と蝗による飢饉のため、物を恵み助けた[12]
  • 2月11日 - 石見国に疫病がはやったため、物を恵み助けた[13]
  • 3月23日 - 日食があった[14]

文化芸術

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出典

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  1. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年正月1日条
  2. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年正月4日
  3. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年2月22日条
  4. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年2月27日条
  5. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年4月2日条
  6. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年4月14日条
  7. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年5月27日条
  8. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年閏5月10日条
  9. ^ a b 『続日本紀』天平勝宝元年7月2日条
  10. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年9月7日条
  11. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年正月10日
  12. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年2月5日条
  13. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年2月11日条
  14. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年3月1日条

参考文献

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関連項目

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