コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

FC京都BAMB1993

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
FC京都BAMB1993
原語表記 FC京都BAMB1993
呼称 FC京都1993
クラブカラー  
創設年 1989年
解散年 2009年
ホームタウン 京都府
ホームスタジアム 京都府立山城総合運動公園太陽が丘陸上競技場
運営法人 -
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FC京都BAMB1993(エフシーきょうとバンブ1993、FC Kyoto BAMB 1993)とは、かつて存在した日本のサッカークラブ。京都府に本拠地を置いていた。トップチームはおこしやす京都ACのトップチームの前身となった。

概要

[編集]

1989年、京都市に拠点を置き、印刷・出版を行っていた株式会社教育研究社(2004年8月に解散)のサッカー部「教育研究社フットボールクラブ」として発足[1]1993年京都紫光クラブを前身とした教育研究社FC京都パープルサンガの発足に伴い、「教育研究社FC」がサンガに入団しない1989年から在籍する京都紫光クラブの練習生の受け皿となった。同年、京都府リーグに参加[1][2]1996年に第32回全国社会人サッカー選手権大会で優勝した。1997年関西サッカーリーグへ昇格[2]。また、第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場した。

1999年地域リーグ決勝大会に出場。グループリーグで敗退したが、社会人連盟の推薦を受けて日本フットボールリーグ(JFL)昇格が決定[2]2000年、教育研究社の直接的な支援が打ち切りとなったが、クラブ誕生の原点である「教研(“究社”の略)」の名を残し「FC KYOKEN」に改称[2]2001年、「FC KYOKEN京都」に改称[2]第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会の1回戦で盛岡ゼブラに勝利(天皇杯本戦初勝利)。2回戦はベガルタ仙台に敗れた。

2002年、公募により「FC京都BAMB1993」に改称。愛称の「BAMB」とは、京都を象徴する竹(Bamboo)と、爆裂する「ボム」を合わせ「破竹の勢いで勝ち進むチーム」をイメージしたもの[2][3]2003年、JFLで最下位。入替戦も全国地域リーグ決勝大会準優勝の群馬FCホリコシに敗れ、関西サッカーリーグに降格(第5回日本フットボールリーグ#入れ替え戦を参照)。

2005年、関西リーグ1部で最下位となり、関西リーグ2部に降格。2006年、関西リーグ2部で2位となり、1年で関西リーグ1部へ復帰。2008年にはKSLカップで優勝した。2009年11月、アミティエ・スポーツクラブと統合して、同クラブのトップチームとなった[4]。以降はおこしやす京都AC(2018年4月にアミティエSC京都から名称変更)を参照のこと。

成績

[編集]
年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 天皇杯 監督
1993 京都府4部 優勝 地区予選敗退 今西晃一
1994 京都府3部 優勝
1995 京都府2部 優勝
1996 京都府1部 2位
1997 関西 優勝 45 18 14 3 1 46 15 +31 1回戦敗退
1998 2位 47 18 15 2 1 63 13 +50 1回戦敗退
1999 優勝 38 16 12 2 2 47 14 +33 府予選敗退
2000 JFL 9位 22 22 7 1 14 20 38 -18
2001 11位 34 30 9 7 14 39 46 -7 2回戦敗退
2002 11位 21 17 6 3 8 21 25 -4 府予選敗退
2003 16位 10 30 2 4 20 26 68 -42
2004 関西 3位 39 20 10 9 1 34 16 +18
2005 関西1部 8位 8 14 2 2 10 16 25 -9
2006 関西2部 2位 34 14 10 4 0 45 12 +33 浅野満夫
2007 関西1部 5位 17 14 5 2 7 17 21 -4
2008 6位 13 14 3 4 7 14 30 -16
2009 8位 6 14 2 0 12 16 50 -34

主な成績・タイトル

[編集]

リーグ戦

[編集]

カップ戦

[編集]

年度別入場者数

[編集]
  • 入場者数の太字は歴代最多および歴代最少。
  • 試合数および観客入場者数データはリーグ戦のみ
年度 所属 合計
入場者数
最多入場者数 最少入場者数 平均
入場者数
試合数 ホームゲーム
開催スタジアム
入場者数 相手 会場 入場者数 相手 会場
2000 JFL 4,246 1,080 横浜FC 太陽が丘 206 アローズ 太陽が丘 386 11 太陽が丘6、西京極3、宝が池1、亀岡1
2001 5,262 468 YKK 宝が池 203 ソニー 351 15 太陽が丘9、西京極3、宝が池2、亀岡1
2002 2,688 511 栃木SC 五色台 211 アローズ 336 8 太陽が丘4、西京極1、宝が池1、亀岡1、五色台1
2003 4,745 423 佐川大阪 西京極 255 YKK 317 15 太陽が丘10、宝が池1、園部1、丹波1、五色台1

歴代所属選手

[編集]

背番号変遷

[編集]
No. 2000 2001 2002 2003
監督 今西晃一
1 山田州宏
2 井尻明 丸山展生 渡久山信 牟田将士
3 小林武 丸山富洋 増田貴嘉
4 平井建太郎 服部泰亮
5 久保井秀昭
6 松本祥明 阿岸勝 上赤坂佳孝
7 藤原敬二
8 小谷野徹 鳥井貴憲 牧悠二
9 山田健太 白石哲也 井上悠輔
10 大野正貴 坂元要介 中村聡
11 田辺和弥 山下弘樹
12 本多寛之 広滝貴敏 サポーターズナンバー
13 中井康司 川端泰彦
14 亀井通宏 村田大 上野哲也
15 吉田啓
16 山元優典
17 石野隼平
18 近藤健 丸山展生
19 西條公基
20 内村元 広滝貴敏 増田順平
21 岸大之 石原荘介
22 吉川亨 濱野兼太郎 阿部巧也
23 小田一哉 石田裕彦 上野哲也 石倉大也
24 田中哲
25 穐山健一 中村聡 谷口宗和
26 平井秀尚 荒川大督 川端泰彦 佐々木雅博
27 文峯聖 藤田稔 安田孟浩
28 長田治郎 亀井通宏 石倉大也 辻川光一
29 白石哲也 渡久山信 牧悠二 本原晃伸
30 広滝貴敏 鳥井貴憲 増田順平 渡辺洋一
31 高山優作 石原荘介 高島裕政 辻智啓
32 阿岸勝 上野哲也 山下弘樹 奥谷弘樹
33 坂元要介 丸山富洋 百田健太郎 梅澤明
34 半田晃良 井尻明 大掛精示 吾田勇樹
35 伊藤崇憲 服部泰亮 八幡善紀 壁屋達也
36 丸山展生 井上悠輔 牟田将士 柄澤祐樹
37 - 川端泰彦 佐藤格 吉田貢樹
38 - - 増田貴嘉 岩田慎太郎
39 - - - 田坂潤
/藤原雄介
40 - - - 赤羽信哉
41 野村義則 辻智啓 中禮大輔
42 - - 井尻明 福井貴教
43 - - 近藤健 木杉玄
44 - - 谷口宗和 河村統
45 - - 安田孟浩 清水敦史
51 澤山景一朗 野田幸宏 吉田明浩
52 - 高橋英之 - -
53 - 野田幸宏 野村義則 鳥井貴憲
54 - 野村義則 - -
61 - - 吉田明浩 -
71 - - 中禮大輔 -

脚注

[編集]
  1. ^ a b プロフィール”. FC京都BAMB1993. 2018年1月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 第5回 日本フットボールリーグ(2003)”. 日本フットボールリーグ. 2018年1月16日閲覧。
  3. ^ プロフィール”. FC京都BAMB1993. 2003年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月16日閲覧。
  4. ^ 地域リーグから日本を変える!?アミティエSC京都の挑戦?その1”. football webmagazine Qoly (2017年6月18日). 2018年1月16日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]