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INDコンコース線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
INDコンコース線
IND Concourse Line
B系統の列車は平日ラッシュ時のみベッドフォード・パーク・ブールバード駅より南側でコンコース線を走り、D系統の列車が全線を終日走る
概要
種別 地下鉄
系統 ニューヨーク市地下鉄
所在地 マンハッタンおよびブロンクス
起終点 ノーウッド-205丁目駅
145丁目駅
駅数 12
1日の乗客数 223,492[1]
運営
開業 1933年[2]
所有者 ニューヨーク市
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 地下
路線諸元
路線総延長 6.5マイル (10.5 km)[3]
路線数 2-3
軌間 4 ft 8+12 in (1,435 mm)
電化 直流600ボルト第三軌条方式
路線図
INDコンコース線
ホワイト・プレーンズ・ロードへの延長準備
ノーウッド-205丁目駅
ベッドフォード・パーク・ブールバード駅
キングスブリッジ・ロード駅
フォーダム・ロード駅
182丁目-183丁目駅
トレモント・アベニュー駅
174丁目-175丁目駅
170丁目駅
167丁目駅
161丁目-ヤンキー・スタジアム駅
ハーレム川をくぐるコンコース・トンネル
155丁目駅
145丁目駅
8番街線が上層階
コンコース線が下層階
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INDコンコース線英語: IND Concourse Line)は、ニューヨーク市地下鉄を構成する地下鉄の路線である。ブロンクス区ノーウッド英語版にあるノーウッド-205丁目駅と、マンハッタンハーレムにある145丁目駅を結んでいる。ブロンクスにある路線としては唯一Bディビジョンに属しており、また全線が地下を走るブロンクスで唯一の路線でもある。

運行系統

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  時間帯 区間
ラッシュ時 その他
各停 運行なし ベッドフォード・パーク・ブールバード駅より南側
急行(混雑方向) 各停 全線

コンコース線は、ブロンクスおよびハーレムにおいて南北方向に走行しており、大半の区間が高架であるIRTジェローム・アベニュー線とブロンクスにおいてほぼ並行しており、ジェローム・アベニュー線の方が2ブロックから4ブロック西側を走っている[4]。ノーウッド-205丁目駅から複線の路線として始まり、東205丁目の下を東西方向に走ったのち、私有地の下を走って、短区間だけヴァン・コートランド・アベニューの下を走る[5][6][7]。西へ向かう間に中央の線路が現れて、コンコース車両基地へとつながっている。モショル・パークウェイ英語版で南へ向きを変えてグランド・コンコース英語版の下へと206丁目で入る。この道路が、コンコース線の名前の由来である[5][6]。コンコース車両基地からの複線の線路が営業用の本線の間に現れ、4本の線路の間でのシーサスポイントがあった後、車両基地からの線路は合流してベッドフォード・パーク・ブールバード駅の中央の線路となる[5]

175丁目を越える区間

ベッドフォード・パーク・ブールバード駅の南側では、外側の2本の線路は低い位置に下がって1本の中央の急行線へと合流し、中央の線路は2本に分岐して緩行線となる。路線はさらに南へ向かい、トレモント・アベニュー駅にシーサスポイントがある。地形のために174丁目-175丁目駅の付近は独特の構造となっており、地下に建設されながら175丁目の上に位置している。170丁目駅167丁目駅の間にはさらに渡り線やシーサスがあり、マンハッタン方面行の緩行線の脇には留置線もある。

161丁目-ヤンキー・スタジアム駅の前で西へ向きを変え、ハーレム川をコンコース・トンネルでくぐってマンハッタンへと入る。さらに1駅、155丁目駅があってから路線は南へ向きを変え、145丁目駅の下層階においてIND8番街線へと合流する。

歴史

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INDコンコース線は、ブロンクス-コンコース線とも呼ばれ、ニューヨーク市が所有していたインディペンデント・サブウェイ・システム (IND) の当初の路線のうちの1本であった[4][8]。ベッドフォード・パーク・ブールバードからマンハッタンのIND8番街線へと走る路線は、市の運輸委員会によって1925年3月10日に承認され、この路線間の連絡は1927年3月24日に承認された[9]。当初はコンコース線は、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅までは3線ではなく複々線とすることを計画していた[8][9]。INDの路線としては唯一の3線区間となった(他のINDの路線群はすべて、複線か複々線である)。145丁目駅の下層階にあるコンコース線の線路はもともと、現在の上層階の線路配置と同じく4線にすることを想定したものであった。

路線の建設は1928年7月に開始された[9]。当初の計画では、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅を少し過ぎたところで路線は終点となる予定で、将来的に東への延長構想もあった[8][10]。現在の205丁目駅までの経路として、私有地を横断してペリー・アベニューを通るという別の案が1929年2月に提案された[11]。現在の経路は1929年6月に選択された[5]。この路線の建設や、ブロンクス中央部・東部への延長構想は、この地域に不動産ブームを巻き起こした[9]。コンコース線の全線は1933年7月1日に開業した[12][3]。これはINDとして最初の路線であるIND8番街線開通からまだ10か月たっていなかった。当初はC系統の急行列車が運行され、205丁目駅から8番街線、クランベリー・ストリート・トンネルそしてINDサウス・ブルックリン線(現在のINDカルバー線)を経由してバーゲン・ストリート駅まで走った[12]。CC系統の列車が各駅停車としてベッドフォード・パーク・ブールバード駅とハドソン・ターミナル駅(現在のワールド・トレード・センター駅)の間を走った[12]

1940年12月15日にIND6番街線が開通し、従来のC系統、CC系統に加えてD系統の列車がコンコース線を走るようになった。D系統はラッシュ時と土曜日には急行運転をし、それ以外の時間帯には各駅停車であった。C系統の急行運転は1949年に廃止されたが、各駅停車に2文字の系統記号を使うことを止めた1985年にC系統が復活した。この間、D系統はコンコース線においてラッシュ時以外に各駅停車で走り、ラッシュ時にはC系統がベッドフォード・パーク・ブールバード駅まで各駅停車で走っていた。1998年3月1日にB系統の列車がC系統の代わりにコンコース線内のラッシュ時の各駅停車として走るようになり、C系統はIND8番街線のワシントン・ハイツ側へ運行されるようになった[13]

コンコース線の各駅は、多少の保守工事が行われたことはあり、また161丁目-ヤンキー・スタジアム駅については駅改良工事が行われたことがあるが、おおむね1933年の開業以来大きく手を加えられておらず、一部の入口の閉鎖やサービス範囲の縮小などが行われた程度である。

延長構想

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コンコース線は、161丁目-ヤンキー・スタジアム駅より北ではおおむね直線的に走っているが、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅から終点のノーウッド-205丁目駅へはいくらか右に曲がっており、さらに東へ伸ばす構想がある[9][4]。1929年の当初のIND第2路線網では、この路線をバーク・アベニュー、ボストン・ロード経由でベイチェスター・アベニューまで伸ばす構想があった。この延伸は「ルート106」と称され、205丁目とバーク・アベニューを結ぶ高架橋の下層階を通り、ブロンクス・パーク英語版を高架で通り抜ける提案であった[9][4][14][15]。IND第2路線網は、ニューヨークの5つの区を縦横に結ぶ複数のIND路線を計画していた[4]。しかし世界恐慌の真っただ中であり、市にはこの路線を205丁目より東に延長したり、複々線にしたりする資金も必要性もなかった[9]。1930年代の2番目の計画では、バーク・アベニューからニューヨーク・ウェストチェスター・アンド・ボストン鉄道英語版まで伸ばし、これに沿って北へ走ってダイアー・アベニューまでさらに伸ばす構想があった。バーク・アベニューに沿って延伸する工事の予備的な作業は1937年から1938年にかけて実施された[9]。しかしニューヨーク市は、この鉄道を買収してIRTダイアー・アベニュー線とし、IRTホワイト・プレーンズ・ロード線とつないだ方が安くて簡単であるとし、コンコース線をバーク・アベニュー、ボストン・ロード沿いにベイチェスター・アベニューまで伸ばす構想は実現しなかった[9]。1960年代から1970年代にかけて、市のプログラム・フォー・アクションでは、ホワイト・プレーンズ・ロードおよびIRTホワイト・プレーンズ・ロード線バーク・アベニュー駅まで短距離延長することが提案されていた[16]。財務問題によりこの計画も中断された。

駅一覧

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凡例
Stops all times 終日停車
Stops all times except late nights 深夜を除き終日停車
Stops weekdays only 平日のみ停車
Stops all times except rush hours in the peak direction ラッシュ時混雑方向以外の終日停車
Stops rush hours only ラッシュ時のみ停車
時間帯詳細
所在地
(おおよその位置)
バリアフリー・アクセス プラットホーム 停車列車 開業日 乗換・備考
ノーウッド英語版 ノーウッド-205丁目駅 緩行/急行 D Stops all times 1933年7月1日
コンコースヤードへの連絡線となる中央の線路が始まる
ベッドフォード・パーク英語版 ベッドフォード・パーク・ブールバード駅 緩行/急行 B Stops rush hours only D Stops all times 1933年7月1日 B Stops rush hours only の北側の折り返し駅
中央の線路と両側の線路が入れ替わる
バリアフリー・アクセス キングスブリッジ・ロード駅 緩行/急行 B Stops rush hours only D Stops all times 1933年7月1日 ラッシュ時に数本のB系統が終着となる。
フォーダム英語版 フォーダム・ロード駅 緩行/急行 B Stops rush hours only D Stops all times 1933年7月1日 セレクトバスサービスBx12
メトロノース鉄道ハーレム線ニューヘイブン線フォードハム駅連絡
182丁目-183丁目駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日 キングスブリッジ・ロード駅行きB系統は停車しない。
トレモント英語版 トレモント・アベニュー駅 緩行/急行 B Stops rush hours only D Stops all times 1933年7月1日
174丁目-175丁目駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日
ハイブリッジ英語版 170丁目駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日
167丁目駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日
バリアフリー・アクセス 161丁目-ヤンキー・スタジアム駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日 IRTジェローム・アベニュー線 (4 Stops all times)
メトロノース鉄道ハドソン線ヤンキース E. 153ストリート駅連絡
コンコーストンネルでハーレム川をくぐりマンハッタンへ入る
ハーレム 155丁目駅 緩行 B Stops rush hours only D Stops all times except rush hours in the peak direction 1933年7月1日
145丁目駅 緩行/急行 B Stops weekdays only D Stops all times 1932年9月10日 IND8番街線 (A Stops all times C Stops all times except late nights)
IND8番街線に合流(B Stops weekdays only D Stops all times)

脚注

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  1. ^ MTA. “Average weekday subway ridership”. 2012年8月21日閲覧。
  2. ^ nycsubway.org—The Independent's Expansion in the 1930s
  3. ^ a b Bronx-Concourse New Subway Link Opened at 12:57 A.M.: Adds 21 1/2 Miles to City's System−Connects With Manhattan Line at 145th”. Newspapers.com. Brooklyn Daily Eagle. p. 20 (1933年7月1日). 2015年10月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e OUR GREAT SUBWAY NETWORK SPREADS WIDER; New Plans of Board of Transportation Involve the Building of More Than One Hundred Miles of Additional Rapid Transit Routes for New York”. The New York Times (1929年9月22日). 2015年8月19日閲覧。
  5. ^ a b c d Opens Subway Bids: Estimate Board Gets Twelve Offers for Bronx Work”. The New York Times (1929年6月8日). 2015年11月4日閲覧。
  6. ^ a b MTA Neighborhood Maps: Van Cortlandt Park / NY Botanical Garden” (PDF). MTA (2015年). 2015年9月24日閲覧。
  7. ^ CITY SOON TO LAUNCH $600,000,000 SUBWAY FOR THE EAST SIDE; Delaney to Submit Plans for New System Including the Bronx in Two Months.”. The New York Times (1929年4月5日). 2015年11月4日閲覧。
  8. ^ a b c New York Times, New Subway Routes in Hylan Program to Cost $186,046,000, March 21, 1925, page 1
  9. ^ a b c d e f g h i Joseph B. Raskin (2013-11-01). The Routes Not Taken: A Trip Through New York City's Unbuilt Subway System. Fordham University Press. ISBN 978-0-8232-5369-2. https://books.google.com/books?id=5b6cAQAAQBAJ&pg=PT112&lpg=PT112&dq=jerome+concourse+subway+bronx&source=bl&ots=QOvJhhHWMk&sig=wxsUbv3zpnZhBZvhIP2Fhy8MWqg&hl=en&sa=X&ved=0CE8Q6AEwCDgeahUKEwikhNHypuPIAhWGej4KHSPfA0I#v=onepage&q=jerome%20concourse%20subway%20bronx&f=false 2015年8月12日閲覧。 
  10. ^ BOARD SPEEDS SUBWAY ON GRAND CONCOURSE; Bids on Last Section Expected Before New Year--Eastern Spur Contemplated.”. The New York Times (1928年9月2日). 2015年11月4日閲覧。
  11. ^ Subway Extension Urged”. The New York Times (1929年2月24日). 2015年11月4日閲覧。
  12. ^ a b c “New Bronx Subway Starts Operation”. The New York Times. (1933年7月1日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00D14FE385C16738DDDA80894DF405B838FF1D3 2010年2月13日閲覧。 
  13. ^ Broadway Junction Transportation Study: NYC Department of City Planning Final Report-November 2008” (PDF). nyc.gov. New York City Department of City Planning (2008年11月). 2015年10月27日閲覧。
  14. ^ City Board Votes New Subway Links”. The New York Times. The New York Times (1937年3月19日). 2015年7月3日閲覧。
  15. ^ $101,200,000 Asked for 1930 Work on Tubes: Projects Include Jay, Fulton, Crosstown and Queens City Subways”. Newspapers.com. Brooklyn Daily Eagle (1930年1月14日). 2015年9月16日閲覧。
  16. ^ Full text of "Metropolitan transportation, a program for action. Report to Nelson A. Rockefeller, Governor of New York."”. Internet Archive (1967年11月7日). 2015年10月1日閲覧。

外部リンク

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