JNNテレビ夕刊
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JNNテレビ夕刊 | |
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ジャンル | 報道番組 |
製作 | |
制作 | TBS (JNN) |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 【月 - 土曜】1959年8月 - 1962年9月 【日曜】1959年8月 - 1965年 |
放送時間 | 【月 - 金】18:30-18:50 【土曜】18:45-19:00【日曜】17:50-18:00 |
放送枠 | TBSテレビ系列夕方ニュース枠 |
放送分 | 月 - 金(平日)20、土曜15、日曜10分 |
『JNNテレビ夕刊』(ジェイエヌエヌ・テレビゆうかん)は、TBSをキー局とするJNN加盟局で1959年8月から1962年9月まで(日曜日のみ1965年3月まで)にかけて放送された夕方のニュース番組である。大正製薬の一社提供。
後番組は、キャスターニュースの先駆けとなり、かつ長寿番組となった『JNNニュースコープ』。
メインキャスター
[編集]- シフトの日替わり
放送時刻
[編集]- 18:30 - 18:50 (JST、1959.8 - 1962.9平日のみ)
- 18:45 - 19:00 (1959.8 - 1962.9土曜日のみ)
- 17:50 - 18:00 (JST、1959.8 - 1965.3、日曜日のみ)
ネットしていた局
[編集]- ラジオ青森(RAB、現・青森放送)はJNNへの加盟を前提に、試験放送期間中の1959年9月20日から同時ネットしていたが、北海道放送や岩手放送(現・IBC岩手放送)と放送エリアが近接しているため、営業面で日本テレビとのネットにした方が有利と再考されたことと、ラジオ東京(現・TBSテレビ)から提示されたネット保証金が事前の合意より1,000万円も少なくなったことと経営面で出たこととが重なり、当時社長だった竹内俊吉(後に青森県知事)が病床の身を押してラジオ東京の幹部と直接折衝したものの協議が物別れに終わった。このため、急遽衆議院議員同士で個人的に知己があった日本テレビ社長(当時)の正力松太郎と会談すると、直ちに正力がラジオ青森とのネット関係を結ぶことを決断したことから、9月25日途中で日本テレビ主体のネットに変更したことで9月24日で打ち切りとなった[6]。→「青森放送 § テレビネットワークの移り変わり」も参照
- ラジオ青森(RAB、現・青森放送)はJNNへの加盟を前提に、試験放送期間中の1959年9月20日から同時ネットしていたが、北海道放送や岩手放送(現・IBC岩手放送)と放送エリアが近接しているため、営業面で日本テレビとのネットにした方が有利と再考されたことと、ラジオ東京(現・TBSテレビ)から提示されたネット保証金が事前の合意より1,000万円も少なくなったことと経営面で出たこととが重なり、当時社長だった竹内俊吉(後に青森県知事)が病床の身を押してラジオ東京の幹部と直接折衝したものの協議が物別れに終わった。このため、急遽衆議院議員同士で個人的に知己があった日本テレビ社長(当時)の正力松太郎と会談すると、直ちに正力がラジオ青森とのネット関係を結ぶことを決断したことから、9月25日途中で日本テレビ主体のネットに変更したことで9月24日で打ち切りとなった[6]。
脚注
[編集]- ^ a b JNN未加盟のため番組販売扱い、現・NNN系列。
- ^ 『CBCニュース』として放送
- ^ 当時、JNN準キー局だった。現・ANN系列準キー局
- ^ 『OBSニュース』として放送
- ^ 1964年9月のマイクロ回線開通より放送開始したが、その時すでに日曜のみの放送となっていた。また当時、アメリカ合衆国施政権下の民間放送であったため正式ネットではなかった。さらに、回線開通以前には同名タイトルながら自社制作として放送されていたため、放送内容・時間帯(平日18:45~18:55放送)も違っていた。
- ^ 青森放送『青森放送二十五年史』、136 - 137ページ。
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(JNN結成前のため枠なし)
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