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P&Gプレステージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
P&Gヘルスケアから転送)
P&Gプレステージ合同会社
三宮ビル北館
三宮ビル北館
種類 合同会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
530-0017
兵庫県神戸市中央区小野柄通7-1-18
三宮ビル北館
設立 1987年6月11日
業種 化学
法人番号 7140003005067 ウィキデータを編集
事業内容 日本における化粧品・ビューティケア製品、医薬品などの販売、輸出入
資本金 1億円
従業員数 約1900名
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P&Gプレステージ合同会社は、P&Gジャパンの関連子会社で、日本においてSK-II化粧品の販売などを行っている企業。

概要

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1953年米国の化粧品メーカーだったマックスファクターが日本法人としてマックスファクター株式会社を東京で設立した。1991年にマックスファクターがP&Gの傘下となり、その際に日本本社を神戸市に移した。

1994年、同じくP&G傘下となっていたプロクター・アンド・ギャンブル・ヘルスケア株式会社(P&Gヘルスケア、旧:日本ヴイックス株式会社)を吸収合併した。その際、P&Gヘルスケアは社内カンパニー制によって、マックスファクターのP&Gヘルスケア事業部となり、同社がP&Gの日本における大衆薬事業も手掛けるようになった。

ちなみにマックスファクターが吸収合併したP&Gヘルスケアの前身会社にあたる日本ヴイックスは、米国の製薬会社・リチャードソン・ヴイックス: Richardson-Vicks)社と日本の伊藤忠商事との共同で設立された医薬品会社で、本社は大阪市三重県鈴鹿市に工場[注 1] があった。日本ヴイックスは1985年にP&G傘下になり、3年後の1988年にP&Gヘルスケアに社名変更している。

2002年にP&Gが大正製薬杏林製薬などに大衆薬事業を売却し、日本での大衆薬事業から完全に撤退、P&Gヘルスケア事業部を廃止した。なお、日本以外のP&Gにおける大衆薬事業は「クレアラシル[注 2]」を除いて引き続き行われている。

2006年会社法施行で新たに誕生した会社形態である合同会社に改組され、P&Gマックスファクター合同会社に社名変更した。

2015年7月、P&Gがマックスファクターブランドを他の43ブランドと一緒に125億ドル(約1兆5000億円)でコティに売却[1]。日本法人も2016年8月にP&Gプレステージ合同会社へ社名変更した。

現在はSK-IIの販売が事業の中心となっている。

沿革

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旧マックスファクター発足~現在

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  • 1953年 マックスファクターが日本法人であるマックスファクター株式会社を東京で設立。
  • 1971年 滋賀県野洲市に滋賀工場[注 3] 竣工。
  • 1980年 スキンケアブランド「SK-II」発売。
  • 1991年 マックスファクターがP&Gの傘下になる。
  • 1994年 マックスファクターがP&Gヘルスケアを吸収合併。
  • 2001年 スキンケアブランド「イリューム」発売。
  • 2002年 P&Gヘルスケア事業部を廃止して、日本での大衆薬事業から完全撤退。
  • 2006年 P&Gマックスファクター合同会社に改組。
  • 2015年7月 P&Gがマックスファクターブランドを他の43ブランド[注 4] と一緒に125億ドル(約1兆5000億円)でコティに売却[1]
  • 2016年8月 P&Gプレステージ合同会社へ社名変更。SK-IIの販売が中心事業となる。ヘアケア製品はP&Gジャパンへ移管。
  • 2019年2月 スキンケアブランド「オレイ英語版」のプレステージラインである「オレイ リジェネリスト」を日本販売開始[注 5]。オンライン限定で3月発売[2]

旧日本ヴイックス

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  • 1966年 ヴイックス製品を輸入販売していた阪急共栄物産(現・阪食)より分離・独立で日本ヴイックス株式会社を設立。
  • 1977年 日本ヴイックスが社名を「リチャードソン・メレル株式会社[注 6] に変更。
  • 1979年 リチャードソン・メレルの親会社がリチャードソン・ヴイックス(Richardson-Vicks)に社名変更したことに伴い[注 7]日本ヴイックス株式会社に復名。
  • 1985年 経営が悪化した親会社リチャードソン・ヴイックス社に対してユニリーバTOBによる買収を画策。この時、ユニリーバとの経営統合を嫌った経営陣がプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)へ救済を求め、P&G傘下となる[注 8]
  • 1988年 P&G傘下となっていた日本ヴイックスが社名を「プロクター・アンド・ギャンブル・ヘルスケア株式会社(呼称・P&Gヘルスケア)」に変更。
  • 1994年 マックスファクターに吸収合併され、マックスファクターのP&Gヘルスケア事業部となる。
  • 1997年 便秘薬「コーラック」の日本での事業を大正製薬へ譲渡。
  • 1998年 哺乳瓶消毒剤「ミルトン」の日本での事業を杏林製薬へ譲渡。
  • 2000年 ニキビ治療薬「クレアラシル」の日本を含めた全世界の事業をブーツ・ヘルスケアへ譲渡。
  • 2002年 塗布風邪薬「ヴイックス ヴェポラッブ」、のど薬「ヴイックス コフドロップ」の日本での事業を大正製薬へ譲渡し、P&Gヘルスケア事業部を廃止。P&Gは日本での大衆薬事業から撤退。

取扱商品

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化粧品など

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  • 化粧品・スキンケア
    • マックスファクター(2018年5月日本での販売終了)
    • SK-II
    • オレイ
    • illume(2018年5月販売終了)
    • ミューズ薬用石鹸。2008年8月31日にP&Gとしての販売を終了。旧ミツワ石鹸時代から続く古参ブランド。P&Gブランドのまま、1990年代から2006年にかけて当時のP&Gジャパンの子会社だったマックスファクターが販売元だった。その後、親会社のP&Gジャパン本社に移管されたが、2008年にP&Gのグローバル事業の戦略などの諸事情により、販売元をP&Gジャパンからレキットベンキーザー・ジャパンに事業譲渡した。譲渡後は当初アース製薬に販売を委託していたが、現在はレキットベンキーザー・ジャパンによる直販体制に移行している。)
  • ヘアケア
    • ヴィダルサスーン(ヘアケア商品のみ) - 1983年にリチャード・ヴィックス社がシャンプーなどのヘアケア商品部門をヴィダル・サスーンから引き継ぎ、1985年以降はP&Gの製品となった。家電美容製品部門は1980年にヘレン・オブ・トロイ社に、サロンとアカデミーは2003年にリージス社に引き継がれた。
    • パンテーン - 元々はエフ・ホフマン・ラ・ロシュ社の製品(日本では製造元は日本ロシュ(現・中外製薬)、販売元は塩野義製薬)だったが、1983年にリチャード・ヴイックス社が事業を買収し、日本では日本ヴイックスの製品となった。現在は女性用ヘアケア製品のみP&Gから販売されているが、かつては男性用ヘアトニックも製造・販売していた。
    • ハーバルエッセンス - かつてはブリストル・マイヤーズ・スクイブ (BMS) のヘアケア部門「クレイロール」の製品。2000年7月に一旦販売中止となったが、2004年4月よりクレイロール部門を買収したP&Gの製品として発売開始された。
    • パンテーン クリニケア - ウエラ クリニケアより移管
    • h&s
  • 電動歯ブラシ

大衆薬など(旧日本ヴイックス→P&Gヘルスケアの製品)

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  • 現在は別の企業に移管
  • かつての製品
    • ミルガード(おむつ用洗浄漂白剤(粉末)[注 15]、1968年に発売)
    • ハボーン(天然カルシウム、一部地域限定で発売した後、全国発売したものの販売終了。大正製薬のカルシックスに継承)
    • ペプトビスモル(下痢止め薬、1990年頃に旧P&Gヘルスケアから発売)
    • ヴイックス ナイメッド(せき止め薬、1982年頃、一部地域限定で発売)
    • ヴイックス サイネックス(鼻炎薬、1988年-1993年にかけて旧P&Gヘルスケアから発売)
    • ヴイックス ヴァーパーバス(入浴剤、旧P&Gヘルスケアから九州地区限定で発売)
    • ヴイックス クールコート(せき止め薬、旧P&Gヘルスケアから九州地区限定で発売)
    • ヴイックス総合感冒薬(かぜ薬、1995年頃に旧P&Gヘルスケアから静岡・北陸地区限定で発売)
    • ヴイックス クール(のど飴、1985年-1989年にかけて売店・スーパーコンビニ専売で発売)
    • ヴイックス 小児用シロップ(小児用のかぜ薬、旧P&Gヘルスケアから一部地区限定で発売。フルーツ味)
    • ラボリス(うがい薬。1960年代)
    • ヴイックス インヘラー(吸入式鼻炎薬。1960年代後半に発売されたが、L-デゾキシエフェドリンという覚醒剤が主配合されていたため、短期間で販売中止となった)

イメージキャラクター(マックスファクター)

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歴代CM出演者(マックスファクター以外)

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ヴイックスドロップ
ヴイックス ヴェポラッブ
ヴイックス サイネックス
ヴイックス ヴァーパーバス
ヴイックス クールコート
ヴイックス総合感冒薬
ヴイックス インヘラー
クレアラシル
コーラック
  • 小山茉美(女性役の吹き替え)
  • 城達也(ナレーション、1978年後半-1980年前半)

CMソング

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マックスファクター

テレビ提供番組(日本ヴイックス)

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筆頭スポンサーのみ。P&GヘルスケアになってからはP&G提供番組内でCMを放送する形となった。

などのテレビ番組に提供していた。

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ ヴイックスがP&Gに買収され、社名がP&Gヘルスケアに変更された後も、P&Gヘルスケア鈴鹿工場として存続していたが、1990年に閉鎖された。しかし、工場閉鎖を巡ってP&Gと労働組合が揉め、民事裁判まで発展する事件(通称:ヴィックス労組事件)を引き起こしている。
  2. ^ クレアラシルの商標権・販売権は英国トイレタリー企業・レキットベンキーザーが保有している。
  3. ^ 現在はP&G滋賀工場になっており、SK-IIやオレイを生産している。
  4. ^ 売却されたブランドの中にウエラブランドが含まれている。
  5. ^ 1994年-1995年頃に関西地区でP&Gコスメティックスから販売されていた。
  6. ^ 提供クレジットは「Richardson Merrell」と英語表記である事が多かった。
  7. ^ 処方箋医薬品事業がダウ・ケミカルに買収されたため(後に同部門は合併を繰り返し現在のサノフィとなる)
  8. ^ 当時のリチャードソン・ヴイックス社のCEOとP&G社のCEOが旧知の仲だった事から救済合併が成立した、といわれている。当時の買収価格は推定で約12億ドルとされている。
  9. ^ のどのイガイガ感を具現化した「エヘン虫」が登場するテレビCMで知られていた。このエヘン虫はP&Gに変わったばかりの頃は一旦消えていたが、暫くして復活した。大正製薬に譲渡された後もエヘン虫は引き継がれている。また一時期、6つのフレーバーを「スーパー戦隊シリーズ」のように見立てた「どこでも戦隊 ヴイックスレンジャー」として、当時より可愛らしいデザインで広告を出していた。大正製薬に譲渡後のキャッチフレーズは「のどに ヴイックス」。交通広告も掲出されていた。
  10. ^ 2006年10月まではブーツ・ヘルスケア・ジャパンから発売されていた。
  11. ^ ピンクの小粒 コーラック」のキャッチフレーズでお馴染み。このキャッチフレーズは大正製薬に譲渡された後も引き継がれ、商品名に引っ掛けて「コーラッコ」というラッコがCMに登場していた。
  12. ^ 笑点」に出演している落語家三遊亭好楽がこの商品名(コーラック→好楽)に肖って、着物をピンク色にしているとの都市伝説があるが、実際は無関係である。(好楽が現在の芸名になった1983年春頃にも笑点に出演していたが、その頃着用していた着物の色は水色である。また好楽が前名の林家九蔵を名乗っていた時にもピンクの着物を着用している)
  13. ^ コーラックの絵柄は日本ヴィックスが発売元だった1988年まではピンクの円の中にコーラックの主成分である「ビサコジル」の構造図が描写されていたが、P&Gが発売元となった1989年以降は女性が背伸びで大きく腕を上げる姿をモチーフにしたものとなっている。
  14. ^ 発売当初は液体のみ。錠剤タイプ(ミルトンタブレット)が発売されたのは、P&G時代になってから。(発売時期不詳)
  15. ^ 発売当初は箱入りだったが、1970年頃には、分包タイプ(当初は15g×15包入りの箱)も発売された。パッケージには、おむつを履いて、股覗きをした赤ちゃんのイラストが描かれていた。
  16. ^ CMが放映されていた時期はP&Gヘルスケア時代であり、日本ヴイックス(リチャードソン・メレル時代を含む)時代には放映されていない。
  17. ^ a b c CMは「クレアラシル」のみ放映されていた。
  18. ^ アメリカで放送されていた情報番組『トゥデイ』をモデルにした日本初のワイドショー番組。当時の提供スポンサーだった日本ヴィックスの初代社長バーク.C.ピーターソンがこの番組案を博報堂に提案、その案をNETが受け入れて始まったものである。ピーターソンの日本贔屓は有名で、アメリカン・ドラッグ・コーポレーション社長時代にも数々のエピソードはあるが、日本国民の感情を理解して原爆投下を謝罪した数少ない米国人である。モーニングショーにおいては8月6日・8月9日・8月15日はCMを自粛して提供テロップのみの放送が続いた。米軍機墜落事故時のCM自粛も当時のNETプロデューサーだった浅田孝彦の著書「ニュース・ショーに賭ける(1968年刊)」(再版後「ワイドショーの原点(1987年刊)」)に詳細の記載がある。
  19. ^ のちの合併相手であるP&G(当時の社名はP&Gサンホーム)も同じ時期に提供していた。
  20. ^ リチャードソン・メレルの名称だった時期とP&Gヘルスケアに名称変更後も引き続き提供。なお、日本ヴィックス期とリチャードソン・メレル期の提供読みは「健康にご奉仕する 日本ヴィックス(リチャードソン・メレル)」だった。

出典

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