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Wikipedia‐ノート:削除依頼/ノート:斎藤一2006/11/06

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(*特)ノート:斎藤一履歴 / ログ / リンク元[編集]

本件記事のノートの2006年11月1日 (水) 03:59の版に「無知」をYahoo!辞書 http://dic.yahoo.co.jp/ で検索した結果をそのまま貼り付けてありましたので報告します。Yahoo!辞書にはコンテンツの著作権を放棄する旨の記載はありません。当該文章は、Yahoo!辞書に『大辞泉』のコンテンツを提供している株式会社小学館が著作権を保有しているものと考えられます[1]。引用元の明示がないので、日本の著作権法上の「引用」の要件(判例)も満たしていません。最終的に存続と決まるか削除と決まるかは別として、Wikipediaの正規の手続きに従って判断を仰ぐ必要がある(今後、Wikipediaで同様なケースに際会した場合の対応を学ぶという意味でも、著作権侵害の可能性のある投稿を意図的に見逃すのは筋が通らないという意味でも)と考えましたので、依頼いたします。--呆庵入道 2006年11月6日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

(コメント)私はもともと本件の投票権がなく、わざわざ賛否を述べる必要もないのですが、本件は、当該文章の投稿者と私とのあいだで記事本文の添削をめぐって議論になっているなかで出てきたものなので、中立性担保のため賛否表明はいたしません。お許しください。--呆庵入道 2006年11月6日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

(削除)私を大悪人にしたいがために、また、ノートの恨みを晴らしたいだけのために提起されています。また、「YAHOO辞書」と勝手に思い込んでいることにも今回の原因があります。たとえ一部分が一致しても、それは確証(私がいつYAHOO辞書を閲覧し、写した、という明確な記録)を提示したうえで述べるべきと思います。証拠もなく勝手に嫌がらせ行為をする、言わば「狼少年」のような御仁の言葉を信用するとは誰も思えませんね。 これは例えば「こんにちは」という文字がどこかで使われたことに対し、誰かが『「こんにちは」という言葉は私が使っている言葉であり、著作権に違反している』、ということと同様だということです。単純明快な言葉までも著作権に抵触するのであれば、辞書を作る会社は一番最初に製作した会社に著作権を支払わなければならない、と述べるのと同等レベルだということです。  結論ですが、消すのであれば、みっともない「斎藤一と鈴木正三とのかかわり」の項全部の削除を提起します。これは中途半端に消すよりも項目全部を消してしまった方が意味不明にならないからです。また、このような御仁と関わったことを自身として恥じているからでもあります。なお、この内容は「ノート斉藤一」の削除提案で必要部分を述べるため、一部、呆庵入道氏が作成した文章を使用いたしております。「私の著作権を侵害した」と言われる前に附言いたします。--ふんにゃらにゃ 2006年11月6日 (月) 20:36 (UTC)[返信]

  • (特定版削除)使うなら引用の形にするか、リンクで使ってほしい。たね 2006年11月7日 (火) 01:53 (UTC)[返信]
  • (特定版削除)侵害の故意があってなされたことではないことは分かります。また、誰が書いても同様な説明になる公理的な定義のみであれば著作権は発生しませんが、今回の例は例文を記述しているなど権利著作物とみなさざるを得ません。また特定版削除では(以前の版に差し戻されていない限り)問題の版以降全てが削除されますので、意味が通らなくなるということはありません。--Extrahitz 2006年11月7日 (火) 02:33 (UTC)[返信]
  • (コメント)[[Talk:ノート:斎藤一]]というページはありえません。{{particle3|ノート:斎藤一}}と書き換えました。--○×△□ 2006年11月7日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)なお、長文化していたので簡略しますと「特定版削除」ということで皆様の意見と一致しています。一部分のみ削除だと意味が通りにくくなると考えただけですので、よろしくお願い申し上げます。--ふんにゃらにゃ 2006年11月8日 (水) 09:18 (UTC)[返信]
  • (特定版削除)…した後に、流れが判りづらくなるので「<!-- ~ -->」などで編集であると明記した上で、投稿概要のみを改めて書き込み復元することを提案。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年11月9日 (木) 10:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)すみません、先に申し上げておけばよかったのですが、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんのご提案についてはいちおう私も考えておりました。概要を編集するとなると「誰がどのように編集するのか」という問題が持ち上がって、また紛糾することになると思いますので、問題のセンテンスだけをマスキングして、あとはもとのテキストをそのまま(タイムスタンプも署名もリンクもすべてそのまま)復元しようと考えております。--呆庵入道 2006年11月10日 (金) 13:45 (UTC)[返信]
  • (コメント)○×△□さん、フォローをいただきありがとうございました。勉強になります。--呆庵入道 2006年11月10日 (金)13:45 (UTC)
  • (コメント)削除後の復元に強く反対いたします。特に対立者においては過去の経緯を踏まえ、自分の都合の良い内容に改ざんする危険があります。万一それでも復帰したいのであればWikipedia:復帰依頼によって復帰を提起することを提案します(このラインの状態ですと呆庵入道氏の意見を認めた形になりかねないのでここに記します)--ふんにゃらにゃ 2006年11月12日 (日) 16:41 (UTC)[返信]

  • (コメント)差し出がましいとは思いましたが、呆庵入道 さんとふんにゃらにゃさんの言い合いが混在して読みづらくなるので、ラインを引かせていただきました。直接、賛否に関わらない議論・討論は以下でされることを推奨します。それと、呆庵入道さん、提案の件、了解いたしました。余計なことだったようで、失礼しました。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年11月11日 (土) 04:01 (UTC)[返信]
  • (コメント)とんでもありません。親切にアドバイスいただいてありがとうございました。また、ラインを引いて議論の仕分けをするというアイディアは、教えていただけなければわかりませんでした。ご配慮ありがとうございます。本来なら、私のほうで議論の交通整理をする配慮をしなければならないところ、かえってご迷惑をおかけして申し訳ありません。--呆庵入道 2006年11月12日 (日) 13:37 (UTC)[返信]

著作権侵害部分を除去したうえでノート:斎藤一を最新版に復元することについて[編集]

  • (コメント)なにやら訳のわからないことを申されておりますが、「削除」は「削除」であり、復帰するのなら意味はありませんし、もし、削除後、私の記した内容を無断で掲載した場合、それこそ著作権の侵害で訴えますよ。本人が意図しない文面が削除されるを安堵しているのに、復帰することは非常に問題です。呆庵入道さんが書いたもののみを掲載しても一方的にもなるので、「削除のみ」で良いと思います。--ふんにゃらにゃ 2006年11月10日 (金) 20:11 (UTC)[返信]
  • (コメント)Wikipediaでは「あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい」とされているので、いったん投稿してしまった文章について著作権を主張することはできないと考えます。また、Wikipedia:法的な脅迫をしないをお読みください。--呆庵入道 2006年11月11日 (土) 00:39 (UTC)[返信]
  • (コメント)脅迫者が脅迫と述べるのは控えてくださいね。自由に編集~というのは削除されない、という前提で成立するものであり、削除後、新たに記すのは著作権の侵害だと申しています。削除されることにより、既存が既存でなくなることをご理解いただけたらと感じています。一方で著作権を述べながら、一方では侵害すると自称する行為に恥を感じたらいかがです?つまり、そっくりそのまま掲載するのは貴殿が最初に述べている「著作権侵害」と同様だということを理解できいないのでしょうか?、ご自身こそWikipedia:法的な脅迫をしないを良くお読み下さい。--ふんにゃらにゃ 2006年11月11日 (土) 02:22 (UTC)[返信]
  • (コメント)Wikipediaは投稿の履歴がすべて残るので、いったん投稿した文章を「恥ずかしいからなかったことにしたい」というのは通らないと思います。また、本件はあなたの著作権侵害に起因する特定版削除に関して議論するためのページなので、それとは別の理由で削除が必要だとお考えなのであれば別にページを作成してそちらで議論されたらいかがでしょうか。--呆庵入道 2006年11月11日 (土) 03:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)確証もなく、いいがかりをつけるような人物に語る資格はありません。前回提起された確証と目される証拠がありません。著作権侵害というならば、刑事処分等を行うのが筋でしょう。単に嫌がらせ目的でこのような仕儀に出るのは狂人の類です。狂人の類と関わったことを恥じてちょうど削除依頼がでているので良い機会とおもっただけです。勘違いしているようですが、私から削除依頼をしているわけではなく、貴殿が勝手に思い込みで提起したことでしょう。なら「存続」にすればよいのではないですか?また、削除した内容を復帰するには「復帰依頼」が必要なのでは?ともかく貴殿が勝手に人の文章を弄ぶ権限はありません。--ふんにゃらにゃ 2006年11月11日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)論点が錯綜していますが、順番にお答えしてゆきます。
  • まず、あなたのおっしゃる「確証」について。確かに、私は、あなたがYahoo!辞書を検索している現場を押さえたわけではありません。あなたが何年何月何日の何時何分何秒に検索したのかもわかりません。また、あなたは、Yahoo!検索ではなく、livedoor検索を使ったのかもしれませんし、あるいは市販されている『大辞泉』の電子版を使ったのかもしれません。いずれにせよ、私には実際のところはわかりません。しかし、Wikipediaの削除依頼に関する指針や過去の削除依頼の実例から判断する限り、そのようなことはわからなくても、削除依頼はなされており、実際に削除も行われています。Wikipediaでは、著作権侵害を理由とする削除依頼について、あなたが主張するような「確証」が要件として必要とはされていません。あなたの投稿した文言が『大辞泉』の文言と酷似しているという客観的な事実さえあれば足りる、ということです。私としても、関心があるのは「斎藤一」の記事をよりよいものにすることだけであって、あなたが記事の投稿に際してどのような意図を持ち、どのような作業をしているかについては、はっきり言ってどうでもいいことです。本件削除依頼に関して納得がいかないのであれば、Wikipediaのコミュニティあるいは管理者に、削除依頼の要件や処理方針自体の改定を提起されることをお勧めします。逆に、あなたが本件削除依頼が妥当でないとお考えなのであれば「存続」に1票入れるべきです。それが論理的な選択であり、自らの言動に対する誠意であると思います。
  • なお、あなたの著作権侵害に司法官憲が関心を示し刑事事件として立件するかどうか、また、法廷が起訴を受け付けて有罪判決を下すかどうかは、本件とはなんの関係もありません。私としてもどうでもいいことです。問題なのは、Wikipediaの「斎藤一」の記事の一部が『大辞泉』の記述と酷似していて、前者が後者の写しであると推測することは合理的である、ということだけです。それだけの問題です。それ以上でもそれ以下でもありません。本件を警察に通報するつもりはありません。その必要がないからです。私は「斎藤一」の記事が適法なかたちに是正されればそれでいいのです。
  • つぎに、特定版削除後の記事の復活について。繰り返しますが、復活される記事はもともとあなたのものではありません。あなたが投稿に際してWikimedia財団との間で結んだ契約、つまり「投稿する前に以下を確認して下さい」の「以下」の第4条、これはりっぱな民法上の契約ですが、その契約はいまだに無効になってはいません。本件削除依頼に基づいて特定版削除が実行されたとしても、契約は無効にはなりません。あなたはその削除に「予め同意を与えて」いるからです。Wikimedia財団の側になんの落ち度もないのに、あなたの一存で契約を一方的に破棄することは許されません。まして本件のように、読者やほかの投稿者にデメリットを与えるようなかたちで記事に著作権や所有権を主張することは論外です。10月23日の投稿でも「責任」ということをおっしゃっていて、それ以来「自分の文章を勝手に編集しないでほしい」という趣旨の主張を繰り返しておられますが、根本的に認識が誤っていると考えます。あなたがWikipediaに何かを投稿しようと考えた時点で、それはもはやあなたの著作物でも所有物でもない、という認識をお持ちになるべきです。少なくとも、私はそれだけの覚悟を持ってWikipediaに臨んでいます。
  • つぎに、削除依頼の意義について。削除依頼は、記事を編集するために行われるのではなく、履歴を編集するためになされるものだと考えます。本件削除依頼も、私が編集しただけでは「斎藤一」の記事の過去の版を著作権侵害の状態から救い出すことができないために行なったものです。一方、編集により対応可能なことがらは、コミュニティの判断を仰いだり、管理者の手をわずらわせたりすることなく、投稿者の自主的な判断により編集してよいものと思います。わざわざ復帰依頼を行わなくても、本件記事をなるべく原型をとどめた、必要最低限の部分だけを除去した状態に復元することは私にも可能です。改竄のおそれがあるということであれば、該当部分をいまのうちに本ノートに複写しておきます。それを原本にして復元するのであれば何も問題はないでしょう。また、本件削除依頼が「削除」に決し、削除が実行されたと仮定して、その後に復帰依頼をして「復帰」という結論に導くためには、あなたの投稿が著作権侵害ではなく、本ノートでの合意が誤っているということを、あなた自身が証明する必要があります。本件について、あえてそのような手間をかける必要は感じません。--呆庵入道 2006年11月13日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
  • 一つ、気になる事がありましたので。「あなたの著作物でも所有物でもない」は、「所有物」に関してはそうですが「著作物」については「ない」とは言えません。飽く迄も「諸著作権の主張の放棄」であって、「その人の著作物」ではあります。なお、日本の著作権法では、著作権そのものは、著作された時点から恒久的に著作した人もしくは団体に存在します。ウィキペディアの契約にあるのは、著作権法にある死後50年云々と同じく「諸著作権の主張の放棄」です。パブリックドメイン化した初期のディズニー作品も、ディズニーが権利主張できなくなっただけであって、ディズニーの著作物には違いありません。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年11月13日 (月) 15:32 (UTC)[返信]
  • (٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんへのコメント)なるほど、ご指摘のとおりです。著作者が著作権の行使を放棄しても、著作権の保護期間が切れても、著作物は著作物、著作権は著作権です。まったくの失言です。やはりどこかで感情的になっていたのかもしれません。失礼いたしました。ただ「Wikipediaに投稿した文章は、もはや自分のものではない」という点は、自らへの戒めとしてつねに念頭に置いておきたいと思います。とはいえ、ご指摘ありがとうございました。以後気をつけます。--呆庵入道 2006年11月15日 (水) 16:17 (UTC)[返信]
  • (コメント)私の著作物の使用を呆庵入道氏に対し、事前に拒否しているにも関わらず、当該人物によって無断掲載されました。そのため「著作権保護」を理由として私の著作部分を削除いたしました。なお、上記の論を読んだ結論として、
    • 確証もなく言いがかりをつけていることを本人が認めていること
    • 削除依頼について私が拒否した事実がないこと
    • 本文の冒頭で「YAHOO辞書」と断定しているにも関わらず、話が二転三転しており、話の根幹がおかしくなっていること
    • 今回の騒動は呆庵入道氏が「斉藤一」の文章を改鼠したことから始まり、結論が出た際、その個人的怨嗟により「削除依頼」が提起されていること。
    • 当方は(削除)の見解は出しているが別に削除依頼を出している訳ではない。
    • 今回の削除依頼は「斉藤一」本文とはまったく関係がない箇所についてであり、呆庵入道氏はいかにも斉藤一の本文が冒されたと思わせる文章を構築して読者に「錯誤」を与えようとしていること。
    • 第一、今回の結論が「削除」と決め付けており、その後、呆庵入道氏が改ざん行為を行おうとしている行為が問題である。これが第三者の手によるものならばまだしも公平であるが、一方の当事者が執筆を宣言すること自体がおかしいこと。

以上において、今回の騒動は呆庵入道氏が錯乱状態に陥り、このような迷惑行為に走ったと解釈いたします。--ふんにゃらにゃ 2006年11月13日 (月) 21:40 (UTC)[返信]

  • (ふんにゃらにゃさんへのコメント)私の文章が拙くてあなたに誤解を与えているのか、私が投げかけたことに対してまったくお答えいただいていないことに困惑しています。以下、とりあえず今回のご意見に対してのみ、順番にコメントしておきます。
  • あなたには、本件記事について著作権者としての立場から「著作権保護」を主張する権利はありません。編集や複写を拒否する権利もありません。あなたはすでに自らの意思でその権利を放棄しているからです。
  • Wikipediaで削除依頼を出すのに、あなたのおっしゃるような「確証」は必要ありません。理由もすでに詳しく述べました。
  • 「言いがかり」であるということをたびたびおっしゃっていますが、それがいかなる根拠に基づいた評価なのか、これまでなんのご説明もありません。具体的に根拠を明示してください。当然「確証」があっておっしゃっているものと思います。
  • 本件削除依頼について、あなたが事前に同意されていようが拒否されていようが、あなたの投稿が著作権を侵害しているかどうかの判断とは無関係です。本件削除依頼の妥当性如何とも無関係です。
  • 本件削除依頼における「根幹」とは、あなたがWikipediaに投稿した文章が、株式会社小学館が著作権を有し現に行使している著作物に酷似しており、前者が後者の写しであると推測することは合理的である、という、ただその一点に尽きます。それ以外のことがらはすべて枝葉末節です。
  • かりに、本件削除依頼が個人的な怨恨に基づくものであったと仮定しても、あなたの投稿が著作権を侵害しているかどうかの判断とは無関係です。本件削除依頼の妥当性如何とも無関係です。まして、本件削除依頼が私の個人的な怨恨に基づくというのは「そうであってほしい」というあなたの期待のみに基づく主張であり、なんの根拠もありません。まったくの事実無根です。具体的に根拠を明示してください。当然「確証」があっておっしゃっているものと思います。
  • 「当方は(削除)の見解は出しているが別に削除依頼を出している訳ではない。」ということですが、これだけでは、何をおっしゃりたいのかまったくわかりません。
  • 本件削除依頼が「斎藤一」の記事の本文にかかるものではなくノート:斎藤一にかかるものであることは、本ノートの表題に明示されています。ワンクリックでわかることです。誤認する方がいるとは思えません。また、私は、ノートは本文と不可分のものであり、一体となって記事の重要で不可欠な構成要素となっていると考えます。
  • 実際に「削除」という結論が出てからでなければ、削除を前提とした議論をすることができない、というのはナンセンスです。私も「削除」という結論が出るという仮定のうえでの話であると断ったうえで議論をしております。
  • あなたのおっしゃる「改ざん行為」というのは、私の行為のどれを指しておっしゃっているのかまったくわかりません。具体的に明示してください。私が納得のうえで対応できる範囲でなら対応いたします。
  • 単なる私の気のせいならそのほうがいいのですが、錯乱状態に陥っているのは、むしろあなたのほうであるような気がしてなりません。なお、あなたが『大辞泉』と同文の文章をWikipediaに投稿しさえしなければ、そもそも本件削除依頼は提起されず、誰の迷惑にもならなかったはずであることを指摘しておきます。また、あなたが本件をどのように解釈するかはもちろんあなたのご自由ですからご随意に。ただし、しかるべき根拠と理由なくして私があなたの解釈を受容することはありません。以上です。--呆庵入道 2006年11月15日 (水) 16:17 (UTC)[返信]
  • 呆庵入道氏は最初の文章に明確にYAHOO辞書を無断で貼り付けたと断定しております。それが間違いないという立証はおろか、問題をすりかえて議論におよび、かつ、本人が感情的になるように誘導していることは明確です。削除依頼を起こした根幹が狂った時点で今回の削除依頼は成立しないのです(再度削除依頼する場合にはその限りではないが)。
  • で、呆庵入道氏が再掲をしようとすること自体が可笑しいのです。自分が「したい」という意思にそもそもの間違いがあります。今回の一件の起因はすでに述べてるとおり、呆庵入道氏に原因があります。で、なにやら脅迫めいた発言をされているようですが、そういったことは刑事上で行うことをお勧めいたします。そのかわりコチラもそのように対処いたします。匿名性をもって行う行為に酔っているのであれば、そのような態度に出ることは自身の恥ですよ。第一、誰に迷惑をかけたのかもわかりません。ご自身で提起し、それに参加した方はいますが、そういう脳内神経を持っていることが「錯乱状態」というのです。文中に「謝罪」とか、自身でなにやら変な自信を持って支配関係を呈す文章にそのような点が暗に見受けられます。
  • 常識的に考えても和解もなく、勝手にヒトの文章を弄ぶ行為は倫理観もない狂人の行為と述べさせていただきましょう。
  • そのように、狂人が弄ぶ行為には断固たる態度で臨む予定でおりますので、ここに宣言いたします。--ふんにゃらにゃ 2006年11月15日 (水) 20:37 (UTC)[返信]
  • (コメント)本件に関してWikipedia:井戸端_(告知)で本件審議に参加する方を募っておられるようですが、告知というのは一方的に言いっぱなしにすることだと思います。本件に関して誰かに相談に乗ってほしいのでしたら、むしろWikipedia:井戸端などで頼んでみるべきではないでしょうか。
  • あなたが「自分が『大辞泉』の文章をコピーしたのはYahoo!辞書からではなく、どこか別の媒体からである」と力説したいことはわかりました。しかし、あなたにとって、その主張が「自分は株式会社小学館の著作権を侵害していない」という主張よりも優先すべき問題であるらしいのははなはだ理解に苦しみます。
  • あなたが「自分は感情的になっている」という自覚は持っていることはわかりました。しかし、それなのに「感情的になっている自分」を制御しようという姿勢を見せず、むしろそれを誇示していることははなはだ理解に苦しみます。
  • 私としては1度も2度も同じことですので、本件削除依頼を出しなおすこともやぶさかではありません。私の目的はあくまで「斎藤一」の記事の適法化・正常化です。「Yahoo!辞書」というたった1語を削るだけであなたからの執拗な妨害がやむというのであれば、ためらわずそういたします。ただ、管理者が11月6日付の依頼に対してどのように対処するかは、私の関知するところではありません。
  • あなたのおっしゃる「脅迫めいた発言」というのは、私の投稿のどの部分を指しておっしゃっているのかまったくわかりません。
  • 本件を刑事上の問題にすることにひどくこだわっておられるようですが、さきにも述べたとおり、本件を警察に通報するつもりはありません。
  • 匿名ということではあなたも私も同様です。私はあなたがどこのどなたか存じません。
  • 私はこれまでいちどもあなたの謝罪を要求したことはありません。
  • 他人を簡単に狂人扱いできる人は、きっと自らのうちにも狂気を秘めているものと思います。私にも家族がおりますし、夜道も安心して歩きたいので、このさき、あなたの脅迫がさらにエスカレートするようであれば、危険を冒してくだんの文章を復元することに固執するつもりはありません。ただし、あなたがWikipediaの公的な方針に沿って言論により事態の解決をはかるのではなく、むしろそれに反して、オフラインでの強制力の行使によって力ずくで自分に都合の悪い記述をWikipediaから抹殺する道を選んだ、という事実は、本件削除依頼を通じてWikipediaの過去ログに記録されて永く残ります。あなたも歴史を学ぶ者であることを標榜するのなら、もう少しその点を意識されるべきではないでしょうか。--呆庵入道 2006年11月17日 (金) 14:50 (UTC)[返信]
  • コメント依頼でなく、告知したことで充分閲覧者はいたと思いますよ。それでも書き込みが少ないのは、どうかんがえても両者の「いがみ合い」にしか見えない行為にあえて参加しないだけでしょう。依頼するかどうかは今後考えましょう。
  • 「私にも家族がおりますし、夜道も安心して歩きたいので」との文面をお書きになったことが私に対する私怨から出た結果と推察いたします。私が呆庵入道氏に対し、傷害行為等、刑事犯的行為を行うといった言句は一切用いてはおりませんし、行うほど暇も金も刑事罰を受ける気もありません。これこそ狂人の論理です。
  • 私がいつ「力づく」で何を行ったのでしょう。加害者は呆庵入道氏であり、私は都合の悪い文章を抹殺したという前に、第一、現在削除もされていない文章を削除すれば、「Wikipediaの公的な方針」に反するでしょうが、これは最終的に管理者が決めることでしょう。私は「削除」とのコメントを出しただけで、私から削除する気はありません。しかし、この本文中に記載され、貼り付けた行為は「Wikipediaの公的な方針」に反すると考えます。何故ならば、削除される予定の文章を保存する目的で行っているからです。そのために私の部分のみは削除させていただいています。
  • 復帰についても「復帰依頼」に基づきされるものであれば反対していないにもかかわらず、「強制力の行使」とも書いていますね。これこそが矛盾しています。また、第三者が行うことにもなんら反対もいたしておりません。一方の当事者が行う行為ではないと述べているだけです。
  • 第一、今回の論議は「斉藤一」中の記事ではありませんし、ましてや「斉藤一」とはまったく関係のない箇所の削除依頼とは思わないのでしょうか?「無知」は「斉藤一」の本文中のどこに使われているのでしょう。また、呆庵入道氏が提起した私とのノート部分があろうがなかろうが、「斉藤一」の本文とは関係ありません。ですので、本文にワンクリックするようなきっかけが存在しない以上、気づかない方のほうが多いと思いますし、なくとも意味が通るとも考えています。
  • それよりも自身でアレコレ書いた「悪・即・斬」について提起した本人がその問題をそっちのけでコチラばかりに向いているのはどうなんでしょう。私はこの件について、「どちらでもよい」という見解ですが、ソチラを無視して傾注している行為こそが「私怨」たる確なる証拠なのですよ。--ふんにゃらにゃ 2006年11月17日 (金) 21:56 (UTC)[返信]

私があなたの11月15日の投稿から、私に危害を加えようとしている意図を読み取った理由は下記のとおりです。

  • インターネットにおける言論活動の不可欠の前提である匿名性を尊重しないことを明言したこと。
  • これまであなたが「ノートでの議論を踏まえない恣意的な編集」→「自分の意に反する編集が行われれば編集合戦に持ち込むと脅迫」→「自分の意に反する編集が行われれば訴訟を起こすと脅迫」とWikipediaのガイドラインやノートでの合意形成を軽視する態度を一貫してとりつづけ、脅迫をエスカレートさせてきたことから、いちだんと強い「断固たる措置」という表現でなされた新たな脅迫が、民事訴訟での解決を越えた実力行使を意味するものと容易に推測できたこと。
  • 全体の文意が支離滅裂で、議論を誠実に続行する意図が感じられなかったこと。

現時点でも私の読解がまちがっていたとは考えておりません。

あなたが本件をめぐる私とのやりとりを「いがみ合い」と把握しているというのは、私にとっては非常な驚きです。あなたがこれまで問題のすり替えや揚げ足取り、逃げ口上を繰り返してきたのは、本質的な議論をすれば、合理的にあなたの立場を支えることができないために故意にそうしているのであり、議論を「いがみ合い」に持ち込むことがあなたの戦術なのだと私は把握していたからです。あなたが議論が単なる「いがみ合い」に陥っている現状を遺憾に思われるのであれば、私は喜んで議論を本筋に戻しましょう。

本件の議論の本筋は、煎じ詰めれば次の2点に尽きます。

  • あなたが投稿した文言は『大辞泉』の文言と酷似しており、前者が後者のコピーであり、株式会社小学館の著作権を侵害しているものと判断するのは客観的であり合理的である。少なくとも「特定版削除」に3票の支持が得られ、管理者が迅速にこれに対処する程度には客観的であり合理的である。
  • あなたがいったんWikipediaに投稿した文章は、すでに著作権の行使を放棄したものであり、合理的な理由もなく放棄を撤回することは、Wikimedia財団とWikipediaのすべての読者・投稿者が受ける利益を侵害するものであって許されない。

あなたが議論を「いがみ合い」に陥らせることを望まないのであれば、この2点が誤りであることを論証していただきたい。Yahoo!辞書からコピーした現場に立ち会ったのかとか、本件削除依頼は私怨に基づくものだとか、呆庵入道は狂人だからその言は論ずるに足りないとか、問題のすり替えやその場限りの言い逃れをするのはもうやめましょう。

11月17日のあなたの投稿も、解釈に苦しむ文言が多々混入していて困惑しています。記事の復元について、第三者がするのなら賛成だが、呆庵入道がするのなら反対だ、というのは、子どもの論理です。また、自分の著作権を侵害するから反対だ、という以前のご主張とは矛盾します。誤解を招くような不用意な投稿は避けたほうがいいと思います。また、削除される予定の文章を保存するのはおかしい、と言いながら、削除予定部分のすべてではなく、ご自分の書かれた部分だけを削除するのも矛盾しています。ここはWikipediaです。一言半句といえども記録に残ります。慎重な投稿を望みます。--呆庵入道 2006年11月20日 (月) 12:22 (UTC)[返信]

(コメント)すでに結論が出ていることを蒸し返すのは辞めましょう。私の意向、結論は特定版削除を行使したCalveroさんが行った2006年11月19日(日) 02:18の結論に集約されております。Calvero氏の論ずるように、私と呆庵氏の議論は私的感情から出るいがみ合いにしか見られてないのですよ。私はあの状態でよいと考えておりますし、呆庵氏が問うように、クリックさえすれば確認はできるのです。これ以上いじることはWikipedia:荒らしと同様行為となります。--ふんにゃらにゃ 2006年11月20日 (月) 14:21 (UTC)[返信]

2006年11月19日(日)02:18 (UTC)のCalveroさんの投稿から読み取れるのは、
1.ノート:斎藤一の2006年11月1日 (水) 03:59の版は、株式会社小学館の著作権を侵害しており、Wikipediaからの削除が必要である。
2.あなたと私との斎藤一の記事をめぐる議論は、もはや続行不可能である。
の2点だけです。あなたがそのいずれの認識をも共有するというのであれば、もはや言うことはありません。なお、2.については、私は続行を望んだのに、あなたのほうから一方的に打ち切ったのである、ということは銘記してください。--呆庵入道 2006年11月23日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)独善的、かつ「あなた」呼ばわりする御仁には関わりたくないので、謹んでお断り申し上げます。議論以前の問題だということをご理解いただけたらと思います。また、現在この論議が起因したようで、斉藤一が荒れた可能性も考えられますので、まずは「悪・即・斬」荒らし問題が解決するまではコメントも控えたいと思います。また、ひとつだけ述べれば、削除された記述の復帰をのぞまないことはWikipedia:削除依頼/ノート:斎藤一2006/11/06で述べております。どうしても復帰させたいのであればWikipedia:復帰依頼でお願い申し上げます。このような屈服を強要するお子様的な狂人と関わったことを私自身の胸に「恥」として刻み込みたいと思います。--ふんにゃらにゃ 2006年11月23日 (木) 15:32 (UTC)[返信]
確かに、2006年10月22日以来のあなたの一連の言動は、まさに恥さらしです。同じ過ちを二度と繰り返さないよう、自らの醜態をしっかりと胸に刻みこんで、決して忘れないようにすることをお勧めします。--呆庵入道 2006年11月26日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
最初から最後まで、口汚い罵倒と感情的な人格攻撃からとうとう一歩も抜け出せませんでしたね。お気の毒様です。--呆庵入道 2006年11月27日 (月) 12:54 (UTC)[返信]