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Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安/過去ログ3

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失われたものを求めて

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GFDL違反での削除以降すっかり冷めてしまってましたが、このまま放置しとくのもまずいだろうと思ったので現時点でのenwpにおける最新版持ってきたものを翻訳しました。現状、私はWP:PRODのほうもやってたりするのでこちらに積極的に関っていけそうにありませんが、これを叩き台にこれからまた活発な議論をしていただければと思います。なお、途中眠くて2日にかけて翻訳したため、訳語が安定していないかもしれません。随時修正をお願いいたします。--青子守歌会話/履歴 2009年2月11日 (水) 14:07 (UTC)

特筆性およびその関連事項はいつまで「草案」のままなのか。

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現時点ではWikipedia:特筆性 (音楽)以外については「草案」として運用されている状態です。しかし正式なガイドラインになっているWikipedia:特筆性 (音楽)でも「全体的なガイドラインについてはWikipedia:特筆性をご覧下さい」として、未だ「草案」であるWikipedia:特筆性を参照するようにしています。

現実にWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を元に削除が議論されている記事/削除された記事が多くある訳で、この齟齬はあまりよろしくない。そろそろ「草案」を外して正式なガイドライン化する必要が(まずは最低限、Wikipedia:特筆性だけでも)あるんじゃねーかぃ?と思ったのですが・・・過去ログなどを見るとガイドライン化の動きが何度もあったものの、昨年8月以降議論が停滞(というかスッパリ断絶)してうやむやになっていますね。どうしたんでしょう?--KAMUI 2009年2月13日 (金) 01:35 (UTC)

停滞の理由はいろいろあるんだろうと思いますが、要は議論を先導する方がいらっしゃらないだけだと思います。--iwaim 2009年2月13日 (金) 01:54 (UTC)
別にガイドライン化を急ぐ必要はまったく感じていないんですが。特筆性についての誤った解釈が広がった中で、時間が忘れさせてくれる。草案の段階で削除の方針に組み込んだことが誤りだったということだけです。「特筆性無し→宣伝」の思考が通用するようでは死文も同然でね。とはいえ最近風向きが変わってきたようで、寝た子を起こすのも悪く無い。--Knua 2009年2月13日 (金) 16:07 (UTC)
翻訳おつかれさまでしたm(_ _)m --ネコバット 2009年2月14日 (土) 02:32 (UTC)

「関係のない話題」について

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「関係のない話題」について記述してみました。「Wikipedia:編集方針」の「記事の一部を除去する場合に該当するケース」の「関係のない内容」についての紛争解決のガイドラインを提示する試論になります。ある記事について、その記事の内容に関係がある話題であるか、関係がない話題であるかを識別する基準について、Wikipediaは編集指針(ガイドライン)をはっきりさせていないようです。--ネコバット 2009年2月14日 (土) 21:30 (UTC)

えっと、この加筆についてですよね。この草案はあくまで記事が独立項目として成立しているかという点のみに言及し、記事の内容についてはWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性にあるようにまったく干渉しません。例として述べられた、取るに足らないかもというバンドは独立記事としてはバツですが、記事に加筆することについてダメだと言ってはいません。もちろん、あまりに関連性のない話題とされれば除去されるのかもしれませんが、このWikipedia:特筆性が述べる範囲としては、それこそ関係のない事ではないでしょうか。素直にWikipedia‐ノート:編集方針で提案すれば通りそうな内容だと思いますが。--Knua 2009年2月15日 (日) 03:07 (UTC)
ああそうか。そうですね。ここでは記事の主題(ページタイトル、ないしは控えめに考えて小項目のタイトル)についての言及ですから、私の文章を入れると趣旨がそれてしまう文脈になりますね。ご指摘感謝です。--ネコバット 2009年2月15日 (日) 14:43 (UTC)

ウィキプロジェクトの作成基準を正式に「各分野での特筆性」に加える提案

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今までの議論でも専門的な分野における採録基準などは素人目には判断が付かないものも多く、やはりウィキプロジェクトへ委ねるべきとされる意見も出ていました。各分野の特筆性の方針ページでは議論されずに久しく、ガイドライン化の見込みはありません。方針ページに人が少ない日本語版でメタな議論ならばともかく、個別分野の特筆性について話し合うのは限界かなと感じますが、唯一ガイドライン化したWikipedia:特筆性 (音楽)Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽主導のものでありますし、詳細な方針作成はその分野に詳しい人が集まるウィキプロジェクトに完全に任せてしまっても良いのではないかと思っています。現在のところWikipedia:ウィキプロジェクト フィギュアスケートウィキプロジェクト 道路ウィキプロジェクト 日本の市町村ウィキプロジェクト 学校などの多くのプロジェクトで特筆性のガイドラインを作成したり検討されています。いままでの削除依頼でも削除理由として用いられてきたこともありますが、正式にウィキプロジェクトの議論結果を「各分野での特筆性」として加えることを提案します。また、その際には「関連項目」節へ列挙することになると思いますが、ある程度分野ごとにまとまればWikipedia:特筆性 (音楽)のように方針ページとし、ガイドライン化を検討していくことになるでしょう。なお、今後プロジェクトで決まった基準を毎回ここのノートで承認することは煩雑ですし、異論があればプロジェクトの方で議論すべきことなので、プロジェクトで議論して採録基準を作成した場合には提案なしで「関連項目」へ加えてもらうことで良いかと思っています。--Knua 2009年3月30日 (月) 15:43 (UTC)

改名提案

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以前著名性→特筆性と改名提案で揉めてたわけですが、「著名性」にしろ、「特筆性」(そもそも「特筆性」って日本語は何?「特筆すべき○○」という言い回しはよくあるけど、特筆+性ってwikipedia日本語版の造語じゃないの?)にしろ、結局は「ボクは知らない」「そんなに有名じゃない」という主観で貼られてる事が非常に多い。誤解を招きやすい言葉なのは確かなわけで、Wikipedia:立項基準的な名前に改名したほうがいいと思う。(関連:Wikipedia‐ノート:説明責任の「内容にあわせた改名」、アカウンタビリティーをそのまま説明責任と訳していいのか?という提案)--119.150.7.90 2009年6月13日 (土) 09:00 (UTC)

立項基準いいですね。「立」+「項」+「基準」で、やっぱり造語ですけどι(^o^υ) 「著名性」と「立項基準」なら「立項基準」のほうが適切だとは思いますけれどもne ι(^o^υ) --118.18.2.61 2009年6月13日 (土) 09:21 (UTC)
反対 特筆性(Notability)だけが記事とする基準というわけではないので、誤解を生むような名称は望ましくないでしょう。--二十時三十分 2009年6月13日 (土) 10:32 (UTC)
(コメント) 定義文を読む限りWikipedia:特筆性は記事とする基準を定めたものです。これに「特筆性」という誤解を生むような名称がついていることに対しての提案だと思います。--Cerberean 2009年6月13日 (土) 11:00 (UTC)
どういい変えたって気に入らないと誤解するくせにι(^o^υ) --118.18.2.61 2009年6月13日 (土) 11:23 (UTC)
コメント 議論が滞ってるようなので。私も「特筆性」というのは、少し違うような・・・と思っています。「特筆性がない」と書くと「こんなこと、書くに値するような価値ないんだよ!」と言われているような嫌な感じになってしまいますし。で、enwpなんかだと"including criteria"つまり「収録基準」と言われていることもあり、私は時々この単語を使っています(「特筆性なし」は「収録基準外」など)。ただ「基準」と言ってしまうと、何かこうきっちりと決められたボーダーラインがあるような感じになってしまうという指摘もあったので、その辺りをうまく表現できる語が思いつくといいのかなぁ・・・と思います(「収録基準の指針」とかお茶を濁す方法もアリ・・・?)。--青子守歌会話/履歴 2009年9月24日 (木) 09:37 (UTC)
ドイツ語Relevanzkriterien(関連基準)、フランス語Critères d'admissibilité des articles(記事の許容性の判定基準)、中国語关注度(注目度)とそれぞれの言語版で翻訳には苦心してるみたいですね。フランス語版のようにぶっちゃけてしまうのも手ですが、漢字文化圏の日本としては、なんとかシンプルな名辞で端的に表現したいところ。中国語版はもと「知名度」だったようですが名称変更したあたり、日本の「著名性→特筆性」に改名したのと経緯が似てそうです。--大和屋敷 2010年5月1日 (土) 16:21 (UTC)
コメント 少し技巧的(というか、ずれている)解決方法としては、このWikipedia:特筆性は、本当に「その情報を書く価値があるかどうか」に対することを述べるものにして、「単独記事にできるかどうかを情報源からの言及により判断する」というものを、別のもの(立項基準なり収録基準なり)として立て直すという案も挙げておきます。「特筆性」という単語が、ここまで一人歩きしてしまった以上、その意味のまま、この単語を、本来ここで目指すべきものとは別ものとして隔離する、というような意味にもなってしまいますが。--青子守歌会話/履歴 2010年6月28日 (月) 14:52 (UTC)
賛成template:特筆性の文面の「特筆性」という字面からなんとなく分かった気になって,Wikipedia:特筆性を読まずにtemplate:特筆性を貼っている編集者が多い」という感触を持っています。このプロジェクトと「template:特筆性」の両方について「特筆性」ということばの(青子守歌さんのおっしゃる)「隔離」が必要だと思います。その際,造語をすると「特筆性」の二の舞になるので,「ちゃんと読まなければいけないことが分かる少し長い名称」にするのがよいと考えます。今までに出てきた例で言うと,「立項基準」と「立項の基準」ならば後者のほうがよいと考えます。Suzukitaro 2010年7月10日 (土) 05:55 (UTC)
(追記)改名後の名称として「単独の記事として立項するための基準」を提案しておきます。Suzukitaro 2010年7月10日 (土) 05:57 (UTC)
コメント特筆性というのはあまり聞かない語ですが、「特筆」+接尾辞の「性」ということでいいのかなとも思います。しかし、自信を持って言っている訳ではないので賛否は差し控えます。--Arstriker 2010年7月31日 (土) 16:37 (UTC)

特筆性の判断基準

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最近、特質性なしを判断するのにWeb検索のヒット数のみをもって特質性なしとの判断して削除依頼をする方がおられるように感じます。Web検索のヒット数はひとつの目安にはなるのかもしれませんが、Webになくともその他の出版物で特筆性が証明できる人もいるように思います。そこで、『検索エンジンなどのヒット数のみを持って特筆性の判断はできません。』等の文言があっても良いと思うのですが皆様の意見をお伺いしたいです。--Vigorous action (会話)(履歴) 2009年7月13日 (月) 04:25 (UTC)

賛成 確かにWebでの検索結果は特筆性を考慮するうえで参考となるデータではありますが、検索件数だけで特筆性を判断するものではないでしょう。--アルトクール 2009年7月13日 (月) 05:13 (UTC)
反対 趣旨には賛成しますし、おっしゃってることも間違ってはいません。ですが、その一文を加えることによって逆に「検索エンジンテストの有効性を否定される」解釈が出てこないとも限りません。もしそのような文を付け加える場合は、検索エンジンテストに関するガイドライン(c.f. en:WP:SET)と一緒である必要があると考えます。なお少し本筋から逸れますが、ウェブ上で特筆性が証明できない場合でも、削除依頼で他の情報源による特筆性の証明が出来れば十分ですし、そもそも他の情報源による特筆性の証明がなされていない状態がそもそも問題ではないでしょうか。--青子守歌会話/履歴 2009年7月13日 (月) 06:25 (UTC)
コメント文面は特にこだわっていないのですが、同様の意味の事を書く必要性があると思いました。たとえば、「検索エンジンなどのヒット数は特筆性の参考となりえますが、件数が少ない場合などはそのヒットした内容が特筆性を満たすものなのか等を別に判断する必要性があります。」などの文言だと、en:WP:SETの内容ともそれほどかけ離れたものではないと思います。なにか適当な文面があれば良いのですが・・・。--Vigorous action (会話)(履歴) 2009年7月13日 (月) 09:27 (UTC)
コメント ならば、en:WP:SETを翻訳して輸入するか、日本語版独自に「Web検証性」のようなものを立ち上げるか、Wikipedia:検証可能性に検索エンジンについて追記するかして、Wikipedia:特筆性と並存させたほうがいいのかも…とか。--アルトクール 2009年7月13日 (月) 14:15 (UTC)
反対 曖昧な表現をガイドラインに採用するのは利用者の混乱/誤用/悪用を招くだけです。en:WP:SETの輸入がコスト的にもパフォーマンス的にも優れた解決策だと思います。--60.34.0.204 2009年8月12日 (水) 15:48 (UTC)

en:Wikiepdia:Search engine testを輸入するかどうか

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Wikipedia:特筆性を公式な方針(考慮すべきガイドライン)にするためには、先の議論にもあったen:Wikipedia:Search engine testを翻訳して、日本語版においても使用可能な状態にするべきであると考えられます。

そこで、導入するべきかどうかをまず問うてみて、導入すべきとなったら翻訳依頼をしようと考えています。名称も日本語版ならこういう名称にするべきだという意見もお願いします。直訳だと「検索エンジンテスト」になりますね。--アルトクール 2009年9月7日 (月) 07:34 (UTC)

導入に賛成です。「検索エンジンによる確認」とか「検索エンジンによる検証」などの名称がいいと私は思います。--Vigorous action (会話/履歴) 2009年9月7日 (月) 09:00 (UTC)
とりあえず「検索エンジンによる検証」で翻訳依頼を出してみます。--アルトクール 2009年9月26日 (土) 02:59 (UTC)


特筆性を理由とした削除に関する疑問

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本節はWikipedia‐ノート:削除依頼/ショーン・オチンコ下のサブページとして作成しましたが、あとで関連するページ(Wikipedia:特筆性のノートあたり)に展開する可能性もこめて、サブページを作った上で話題を立ち上げます。また、この議論のきっかけとなった削除依頼は「特筆性」を理由とするものではなく「悪戯」を理由とするものであり、当該削除依頼そのものは筋が違います。ただ、その後の展開で「悪戯」では削除依頼が通らないと思った削除したい方々が「特筆性」にシフトしつつあるようで、それを契機としてこのサブページを起こそうと思いました。(この段落にはこのタイムスタンプでの追記があります。--Nekosuki600 2009年7月20日 (月) 15:15 (UTC)

最初に確認。現在、Wikipedia:特筆性という項目はありますが、それは草案であり、「現時点ではまだ拘束力はありません」と宣言されています。特筆性を理由として削除依頼を出すことには十分な慎重さが求められるということを強く指摘しておきたい。さて。

このWikipedia:特筆性による項目新設に関する制限だけれども、これってどういう性格のものなのだろうか。特筆性について争いがあるようなものについて特筆性を理由として削除することを可能とするものなのだろうか。それとも、明らかに特筆性に疑問が持たれるようなものについては削除するという主旨のものなのだろうか。おれは、後者じゃないだろうかと思うんですよね。

まあ確かに「明らかに特筆性に疑問を持たれるような項目」というのはあると思うんですよ。Wikipediaを自己紹介ページのかわりに使われたらかないませんし、無名なものごとのための宣伝ページとして機能するような使い方は目的外だろうと思う。「○○は2004年度に△△中学校の児童会長に立候補した候補」の「○○」とか、「□□は☆☆商店街に存在する豆腐屋」とかをのべつまくなし作られたら、それは削除すべきだろう。そういう意味で項目を立てるためには特筆性は必要だ。しかし特筆性って「お掃除をする(すべきだとそいつが思う項目を削除する)ための口実」として使える道具ではないだろうと。

具体的な人数のような明確な基準を置くことはできませんが、「ある程度以上のひとが探すであろう情報は、置いておいてかまわない」ような気がするんですよね(質が低いとか間違ってるとか検証可能性を満たしていないとかいう話は別論)。

そうね。おれが立てた記事の中でいうと、たとえば廿世紀浴場三信ビルディング九段下ビルなんかは一日平均で10人くらいしか閲覧者がいません。尾小屋鉄道はもうちょい上、八総鉱山はだいぶ下って感じ。んでも一年通して数えれば2000~10000人くらいは閲覧してくれるわけで、そういうのって十分に特筆性があるんじゃないかという気がする。

紙の百科事典だと紙幅の制限(というか値段や置き場所の問題)があるから、確かになんでもかんでも入れておけってわけにはいかない。取捨選択のレベル選択は、それぞれの百科事典の性格を定める重要な基準になります。でもWikipediaは紙製の百科事典ではなく値段や置き場所の問題もないわけなんだから、「ある程度以上、その情報を求めるひとがいるのなら、(質とか正確性とか検証可能性とかの問題はさておき)置いといてもいい」んじゃないの? 置いておいても誰も困らないでしょ(削除依頼をするひとが具体的にどう困っているのか、一度じっくり聞いてみたいと思うくらいだ)。

特筆性は、「(ごく一部の利害関係者とか以外の)誰もが特筆性がないと思うくらいに特筆性がないもの」についてのみ考慮すればいいんじゃないんだろうか。(ごく一部の利害関係者とか以外の)誰かが特筆性があると思うようなもの、言い換えれば特筆性をめぐって議論になるようなものは、すでにその段階で特筆性があるんじゃないんだろうか。

特筆性を理由として削除依頼を出し議論を引き起こしてしまった経験がある方には、「なんで特筆性を理由として削除をすることが正しいと思ったのか」についての説明をしてもらえるとうれしいなあと思います(あ、おれももしかすっとそういう黒歴史を持っているかもしれないんですが、今はこういうスタンスにいますので、黒歴史時代のことはよくわかりません。ごめんなさい(=^_^;=))。

もうそろそろ、「特筆性をめぐって議論になっちゃうような削除依頼」については終止符を打ちませんか。デジャ・ヴュな議論が繰り返されるのって単純に無駄で消耗だし。--Nekosuki600 2009年7月19日 (日) 13:40 (UTC)

まず、特筆性を理由として削除依頼をすることには自分としても疑問があります。その点ではNekosuki600さんに同意いたします。しかしながら、『「特筆性をめぐって議論になっちゃうような削除依頼」については終止符を打ち』たいと思うならばいい方法が1つあると言わざるを得ません。それは特筆性を厳格に決めてしまうことです。文句が出にくいようにするには実績面を中心にして抑制的に決めたほうが良いでしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの6番、『家系図や人名録ではありません。ウィキペディアの伝記は大きな業績を残した人物についてのみ取り上げられるべきです。』とあるようにです。現状のWikipedia:特筆性 (人物)#スポーツ選手はやや曖昧すぎると感じます。1つ目の『スポーツを行なうことで経済的見返りその他の便益を受けている選手やそのコーチ』を文字通り援用してしまうと、スポーツ推薦で入学した学生選手まで特筆性があると判断できることになってしまいます。これでは特筆性に関する議論は無くならないでしょうし、それに伴う削除依頼も減らすことはできないのではないでしょうか。ただし、これは『スポーツ選手』という余りにも大きすぎる分野であることによって最大公約数的な文章とならざるを得ないであろうことは理解できます。そうなるとより細かくプロジェクトごとに記事の作成基準を決めることが理想的とも言えます。
少なくとも自分は『ごく一部の利害関係者』とそうでは無い人の区別は難しいと考えます。実際問題として、すでにjawpにおいて本人かそれに近い人物らしき人が何らかの理由を持って記事の編集削除を行う例が散見されています。しかし、ほとんどの場合どんな関係の方かは想像しかできず、判断が難しいところです。これは主に存命人物の中でも(元)芸能人の例が多く、Nekosuki600さんが想定しておられるスポーツ選手の分野では少ないだろうとは思います。しかし、多少有名だからと無軌道に増やしてしまうと将来的には十分にありうることだとも思われます。このような論争は当事者間で解決させる手段が少なく、コミュニティに重大な疲弊を起こすばかりです。以上のことから、存命人物の記事とそうでない記事の特筆性はある程度分けて考える必要があるのではないでしょうか?
最後に蛇足的なことになりますが、検索エンジンの存在があるため、アクセス数が全て実質的な閲覧者じゃないように思えるのですがどうでしょう・・・--Addicks 2009年7月31日 (金) 15:17 (UTC)
Addicksさんどうも。さて。「特筆性を厳格に決めてしまう」だけど、それ、どうかなぁ。無理だと思うなあ(=^_^;=)。
まず「特筆性を厳密に決めることが可能なのか」という問題があります。非常に狭い分野に限定したらある程度決め込むことができる可能性を否定するものではありませんが、その基準は他分野にはおそらく適用し得ないものとなるでしょうし、結果として分野際やクロスオーバーする部分でいつものような衝突が繰り返されることにもなるでしょう(個人的には分野限定のよくわからないローカルルールには増殖してほしくないっす)。
それに、がんばって規定したとしても、どうせ「次々にはみ出してくるものがみつかるだろう」という予測があります。たとえばスポーツ選手について「それで食えてるやつのみ」と規定したとして(あくまで例)、一方で「じゃあゴルフのレッスンプロははいるのか」とか、もう一方で「アマチュア選手ははいんないのか」とか、「高校野球の選手はどこから特筆性が出てきたといえるのか」とかいう話になってくる(ていうかこういう話はすでにずいぶんあったような)。そういうのをひとつひとつ詳細に決めたとしても、絶対にさらにはみ出す事例が出てくるものです。
で、もちろん「ごく一部の利害関係者」とかいうのも、厳密な判断基準にはなり得ないです。誰かが該当するのかどうか、誰にもわかんないからね。ただ、真っ白でも真っ黒でもない間のグレーゾーンというのはたいへん幅が広いわけですが、そのまんなかへんで争う必要はないんじゃないか、というのがおれの今回の主張。争うんだったら「ほとんど真っ黒に近いグレー」のあたりでやるようにすれば、「まんなかへんのグレー」でせめぎあうよりはだいぶわかりやすいんじゃないかということです。現状、「ほとんど真っ白なグレー」で戦いを挑むひとまでいるわけだけど、それはおかしいだろうと。
なお、今回はスポーツ選手をめぐっての議論でしたが、おれはごく狭い特定分野を除くとスポーツにはあまり興味がなく、特筆性論も一般論として考えてます。個人的に興味がある分野としては、たとえば建築物とかですねえ。上の方に事例をいくつか並べてありますけれども、廿世紀浴場三信ビルディング九段下ビルあたりはいずれも、ブリタニカとかには載ることがなさそうな物件です。しかしそれなりにニーズはあるのだし、あって迷惑なもんではないだろうと。で、閲覧数ですけど、そもそもこんなもんをサーチエンジンで探すやつは多くないでしょうし、探してきたひとにとっては十分参考になるレベルの記述は存在していると思いますよ(念のためですが、今ほど出典明記がうるさくなかった時期に書いたものなので、現状から見返すと不満があることは否めません)。
現時点では検証可能性が満たせるだけの手持ち資料がないんで書いていませんが、たとえば中澤時計店とか、水和橋沈下橋には言及あり。てきとーに書いておいたら誰かがリファレンスつけてくれたんじゃなかったか)とか、金成ハリストス正教会とか、あってもいいと思うんだよな。誰か書いてくれないかな。でもこのクラスのものを誰かが立項してくれたとして、十中六七は「特筆性論争」に巻き込まれることになり、存続票を投じにいかなくちゃならない羽目に陥ることだろうと予想しています。そういうのはもういいかげんやめにしませんか、とか思ってるわけです。--Nekosuki600 2009年8月1日 (土) 00:52 (UTC)
まず、当方に勘違いがあったことをお詫びいたします。こちらとしても存命人物以外の分野での特筆性論としてはNekosuki600さんのご意見を概ね肯定しています。その点においては議論になることは限定されているように思います。ただ、限定されているところを挙げるとするなら、『真っ白でも真っ黒でもない間のグレーゾーンというのはたいへん幅が広いわけですが、そのまんなかへんで争う必要はないんじゃないか』と言われるのですが、現状においてグレーゾーンがどのあたりにあるかという認識の幅がそれぞれにおいて違うのではないでしょうか?つまり、仮にNekosuki600さんがほとんど白、もしくは白と黒の中間あたりだと考えていても、別の方にはほとんど黒だろうと思われることがありうるのではないか?ということです。
この点は、Wikipedia上に限らず通常よく起こり得る認識のすれ違いです。どちらかに勘違いがあったというのもよくある例ですが、曖昧になっていたが故に起こったことというのもまたよくありえます。この議論も現在時点で特筆性論に興味がある方はご覧になることも多いでしょうが、そうでないなら見ることは無い可能性が高いと思います。そして、この先において特筆性について厳しく考える方が現れて、その人が削除依頼を出すということはほぼ確定的にあり得るのでは無いかと考えます。
「特筆性を完璧に決めてしまう」という行為が無理であろうことは自分も同意します。しかしながら、特筆性を踏まえた作成基準を決めることである程度グレーゾーンを減らし、認識の違いも減らすことが可能かもしれないと思っています。ただし、実際には徒労に終わり、執筆者に足かせにしかならないという可能性もあるのですが・・・。削除依頼における議論は将来的に作成基準となる議論の集積とも言えるのですが、現状において削除依頼の議論はその依頼の対症的議論に終わり、その議論が他にフォローされることは多くはありません。その議論を集積する、場合によっては否定するためにある程度細かい作成基準の制定が必要なのではないでしょうか?これはNekosuki600さんが懸念されている『「特筆性論争」に巻き込まれることになり、存続票を投じにいかなくちゃならない羽目に陥ること』の減少につながるかもしれません。
最後に議論の摺り合わせとして1つ質問させて頂くのですが、Nekosuki600さんにとって特筆性は需要と言い換えることが可能なのでしょうか?--Addicks 2009年8月3日 (月) 14:58 (UTC)
確かにまあ、「グレーゾーンのどのあたりで争っているか」について当事者間に合意がないケースというのは存在すると思います。典型的な例としては「一部分野では著名だがそこを出たら無名なな事物に関する記事についての削除依頼」などが挙げられますでしょうか。「削除」を黒で「存続」を白とした場合、削除依頼者は「ほとんど真っ黒」だと思っており、記述対象に詳しいひとは「・・・白だろ」と思っている、みたいなケースです(典型的事例のひとつ)。ただ、こういうケースは、少なくはないものの決して深刻ではないように思います。「『自分が知らないこと=特筆性がない』ではない」のひとことで終わりにできちゃうのが普通だし。また、そういう「ものさしがずれているケース」が顕在化しちゃったらそのズレについてはその都度調整しすり合わせをするしか解法はないでしょう。あまりにズレていたら説教するしかないだろうなー。
で、「多少なりとも特筆性があればそれでいいじゃん」について。
先に、議論のすり合わせのための質問として出された「Nekosuki600さんにとって特筆性は需要と言い換えることが可能なのでしょうか?」に回答いたします。「イコールではありませんが、需要は特筆性のひとつの要素として考えるべき」ということになるでしょうか(今回の議論を通じての短期的な目標のひとつに「需要という指標を付け加えること」があることは否定しません)。
たとえば野球選手項目に関して「プロの一軍に参加した履歴のある者の記事は、作ってもいい」というルールを作ったとします(あくまで例です)。「プロの一軍に参加した経験のない者の記事は造ってはならない」という表現も可能です。実はこの2つは意味が違うんですが、このあたりの意味の違いがおかしな議論につながる原因のひとつになっているような気がするんですよ。
いずれの表現を使ったとしても、当該ルールは現実的には「一軍参加履歴がない選手の記事の削除理由」として使われることになるでしょう。しかしですね、「当該選手がプロ野球の一軍で試合をしたことがない」として、それはプロ野球選手としての評価にすぎず、他の切り口からの特筆性については何の評価にもつながらないのですね。ま、特筆性を理由とする削除依頼について「いかなる分野においても特筆性がないことを証明せよ」と要求するのは悪魔の証明を求めることになりますからムチャなんですが、逆に「特定分野での特筆性の低さのみを理由として削除依頼を出す」のだって控えめに言って同じ程度にムチャだろうという気がします。また、たったひとつでも特筆性がある分野がみつかれば、それは存続の理由となるということにもなります。
今回のケースについては過去事例との整合性などをめぐっていろいろ微妙な部分があるのは確かなんですが、「需要がある(情報を求めているひとがいる)」という一点で「特筆性がある」、すなわち「Wikipediaに置いておく価値がある」と判断して良いのじゃないだろうかという気がする。
現状では、「なにかひとつでも特筆性に疑いをいだかせる理由があれば削除すべき」というような主張がけっこう見受けられます(削除理由が点々とする事例なんかはこういった理由に基づくものでしょう)。そうじゃなくて、特筆性を理由として削除を求めるのならば「いかなる視点から見てもWikipedia上にその記事が存在する意味が見出せない」ことを説明・主張する必要があるのじゃないだろうか。前述の理由から「証明しろ」とは言わないけれども、「特定の側面から特筆性がないことを力説し、削除を主張する」のは方法論が間違っているということくらいは確認が可能なんじゃないんだろうか。
この点を確認するだけでも、しょーもない堂々巡りのかなりの部分を抑制できるんじゃなかろうかと、おれは思ってます。いかがでしょうか。
これでも事態が改善されなければ、作成基準を煮詰めるというのは次のステップとしてありだと思います。--Nekosuki600 2009年8月4日 (火) 09:44 (UTC)
返事が遅れまして申し訳ありません。具体例の件はなんというか凄まじいものがありますね・・・。これは自分としても予想を超えるものでした。
質問にお答えありがとうございます。需要は可変的なものというのが自分の考えでしたので、需要が全てだと言われると困ったのですが、要素の1つとするなら自分としてもそれほど問題は無いように思います。また、その次の段落についてもなるほどと頷けるものがあります。ものすごく極端な可能性例を挙げればマイケル・ジョーダンでしょうか。Nekosuki600さんの懸念は確かにありえそうな気がします。
『「特定の側面から特筆性がないことを力説し、削除を主張する」のは方法論が間違っているということくらいは確認が可能』という点について、Wikipedia:特筆性を改めて読み返してみると、定義部分で『各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。』とあるのですが、その後はこの文章の説明がまったくないということに気づきました。Nekosuki600さんが言われる『確認』を行うとするならば、この部分の詳しい説明をWikipedia:特筆性に付け足すべきではないかと思うのですがどうでしょうか?自分としては積極的に反対する理由はありません。どの方面で特筆性があるかという方向性の認識を新規記事執筆者に示すという意味でも悪くは無いように思えます。--Addicks 2009年8月7日 (金) 17:13 (UTC)

本来、「特筆性」とは誰の目から見ても明らかに「特筆性」がないとされる事象に適用されるルールであると思います。例えば、「近所の八百屋の得価セール」とか「○○学校3年1組」とか百科事典に掲載するにあたらないものの執筆を規制しようとする意図のものと考えます。しかし、翻って現状をみると、客観的な判断基準がなく、クリアーなガイドラインでない為、様々なところで本ガイドラインを援用する側とその相対者によって議論が発生しています。私が観るところ、Wikipedia上には様々な意見があり、様々な議論が発生しているのですが、大体の議論では検証可能性やPOVなど比較的クリアーな判断基準を基に秩序ある議論が行われているように感じます。しかし、本ガイドラインに関するものだけは別です。極論しますと主観的な掲載削除の温床となりうる、もしくは、なっているのが本ガイドラインのように感じます。上で提示されている改善策はこのような事態の防止に寄与するものと思いますので大いに賛成いたします。--220.220.114.212 2009年9月21日 (月) 16:01 (UTC)

"特筆性"は悪質な削除主義者(自分にとって必要無い、自分にとって特筆するようなものではないものは削除したがる、つまり明らかに問題のあるもの以外を除去したがる人々)が都合良く削除を仕掛けて回る道具と化しているように見えますね。 例えば香港で上位に入った映画の主役を演じた日本人俳優がそれを記事内で示してあるにも関わらず特筆性の名の下に除去されようとしていたり、数十本のDVDから映画・TVまで出演している芸能人が特筆性を貼られているとか。

notability(特筆性)においてdeletion(削除)は"For articles of unclear notability, deletion should be a last resort."、他のあらゆる手段を講じた上での最終手段であり、私はNekosuki600さんが言われた「(ごく一部の利害関係者とか以外の)誰もが特筆性がないと思うくらいに特筆性がないもの」という次元の特筆性のなさにおいてのみ削除を認めます。

どうも日本のWikipediaには何々に適合しなければ存在してはならない、即座に削除されるべきと思い込んでいる人が多すぎますね。本当に問題のあるものを取り除くためのruleや質の良い記事にするためのguidelineが都合良く削除するための方便として乱用されている。 必要なのはむしろこういったものを振り回して削除を仕掛けるuserに"削除の乱用"であるとか"特筆性の乱用"とかを貼り付けて警告できるようにすることじゃないですか。--射丸蔵 2011年2月18日 (金) 09:26 (UTC)

ガイドライン化に向けた課題の整理

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ガイドライン化に向けた課題の整理を提案します。--වෙ 2010年6月6日 (日) 02:36 (UTC)

総論

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実際にこの草案のままガイドライン化を提案した方が、議論が活発になると思うのですが、いかがでしょうか。--有足魚 2010年6月16日 (水) 12:31 (UTC)

ガイドライン化ありきで議論するべきか、それとも問題点と改善点を予め整理すべきかといえばどちらでもいいです。 ただ、現状でガイドラインとして使い物になるかというと、そうは思っていません。少なくとも分かりにくい文章だし、、--වෙ 2010年6月19日 (土) 05:33 (UTC)

分かりやすい、分かりにくいという話は聞くのですが…自分としても案を出してみてはいますが、具体的にどういう方向に持っていけばいいのか分かりません。いっそのこと解説を全部取っ払って、「記事の主題から無関係な、複数の信頼できる情報源から言及があれば特筆性がある」というような一文で済ませたいぐらいですね。もし、記事が削除されるという懸念がガイドライン化の議論を阻害しているとしたら、その誤解を解かなきゃいけないのかとも思います。その辺については、利用者:有足魚/なぜ特筆性のガイドラインが必要なのかに自分の考えをまとめてあります。--有足魚 2010年6月19日 (土) 11:18 (UTC)

誤解というかたぶん、Wikipedia:削除の方針に組み込まれているので大胆な変更が困難になっているのだと思います。場当たり的にルールが追加され続けてしまったように見えますが、それらを否定していくこともまたなかなか合意達成が困難です。実際のところ、下のYue-XX氏の指摘はなかなか無視できないものだと思えます。--වෙ 2010年6月19日 (土) 11:25 (UTC)

一度決めたガイドラインが変えられないということはありません。問題があればどんどん変えていくべきで、それは削除の方針だって同じです。
問題なのは、しっかりとしたガイドラインになっていない状態で特筆性という言葉が独り歩きしていることだと思うんですね。それを主観的なものからできるだけ客観的なものにしないといけないわけで、そのためにガイドラインがあることは助けになると思います。これは、主観的に「特筆性がない」と言うだけの行為に対してもブレーキになりうるものです。今の草案も英語版の翻訳で、硬い文章になっているという印象がないわけではないです。ただ、「ウィキペディアにおける特筆性」というものの説明にはなっているとは思います。大切なのは、特筆性に疑義が出た時、情報源を持ってきて議論するということをはっきりさせる必要があるということです。
特筆性の観点から見て削除は最終手段であり、本来の目的は記事の信頼性を高めるためのものであると考えます。検証可能性の方針がある限り、情報源に乏しい記事は信頼性を確保できず、発展が望めません。記事を作る前に、その点を考えて欲しいということだと思うんです。
問題点がはっきりしないのはもどかしいと感じます。ガイドラインの趣旨が伝わりにくいのが問題なのか、そもそも日本語版では他言語版で運用されている「特筆性」自体が受け入れられないのか。後者ならもうそれは仕方がないのですが、そこまで議論が尽くされていないと感じます。--有足魚 2010年6月19日 (土) 13:49 (UTC)
いやそうなんですが、この文書を変更すると削除の方針によって削除される範囲が変化することが変更を難しくしてるんじゃないですか?
現状では、「発展性の期待できない記述の混入を排除するための道具」(発展性を期待する基準、期間は人や記事の性質により異なる)として文書が組み立てられていることも問題です。「発展性がわずかでもあるなら誰かが発展させてくれることを期待する」という立場は常に存在します。少なくとも私は、将来期待されるその記事やそうやって作られた百科事典が読みたいのであって、それに自分一人の貢献がそれほど重要だとは思っていませんし、頑張って執筆した記事を評価されたいなんて思うこともありません。ただ、私が期待する百科事典になればよいと思っていますし、そういう者(期待する方向はみんなてんでばらばらでよい)の行動の多数の重ね合わせで百科事典が成長することが最も自然で効率がよいと考えています(対立する意見として、みんなそろった基準で同じ向きを向いて百科事典を一生懸命執筆しようという向きが居ることも認識しているつもりです)。そういう意味では、削除の基準を与えるガイドラインよりも一見くだらない記事にも検証可能性を確保し、独自研究がなくても説明されるような記事への成長を促すようなガイドラインを望んでいます。一旦、削除の方針に組み込まれてしまった以上、前者が優勢で進むでしょう。しかし、常に対立する立場が存在しているので、削除の基準の変更となるこの文書の変更は緩慢になると思います。一旦置き換えるという前提は忘れて有足魚さんが提案されたような(大胆な)叩き台が複数でてくるのを待ち、それらの影響を個別に評価していってもよいと思います。--වෙ 2010年6月25日 (金) 02:47 (UTC)
すでに削除審議の場で、特筆性という言葉が頻繁に(乱用といっていいほど)使われています。削除の方針もこのガイドラインもそのままでは、現状を追認し続けるだけです。望ましいと思える考えがおありなら、ご自身で手を動かすべきではないですか? --有足魚 2010年6月28日 (月) 11:36 (UTC)
正直、私が現時点で期待しているのは、この文書の廃止です。少なくとも自分の調べものの起点としてウィキペディアを利用するだけ、という立場から言えば、特筆性のない記事があってもなんら問題はないし、むしろ特筆性が過小評価されて削除されることのデメリットは大きくなります。特筆性に基づく削除などはデメリットが大きすぎると思っていますし、この文書に記述されている文章も複雑すぎます。このルールが弊害を伴うにも関わらず、このルールの存在を心地よいと思う人が多いのも事実です、だからしばしば削除の理由付けに用いられているわけです。みんなそろった基準で同じ向きを向いて百科事典を一生懸命執筆しようという方や、誰か他人がウィキペディアを出典として間違った説明するのが気になってしょうがない人は全ての記事が一定品質で成長していくことを望むでしょう。そういう人は、ウィキペディアの記事に、自分が想定する限りの制限があったほうがよいと考えています。このようなルールが除去されるための最も効率のよい方法は、コミュニティがWikipedia:指示の肥大化を避けることを学ぶことでしょう。そのためには、問題点や副作用、代替案が整理されるのが段階として必要だと思います。代替案の中に、ガイドラインとして機能しそうなものが発見されれば、それもまた大きな収穫でしょう。手を動かす方法はいろいろあると思います。--වෙ 2010年7月1日 (木) 05:49 (UTC)
ガイドラインは①編集者の行動を制限する目的(制限効果)、②編集初心者にWikipediaの「編集文化」の概要を説明する目的(教導効果)の2つがあると考えます。そしていずれもWikipediaがなにをやっても許される種類のWeb空間ではない、との主張をおこなうものです。ガイドライン制定の目的は、匿名でどこの誰ともわからない不特定多数の「投稿者」による百科事典の共同制作を潤滑におこなうための【削除依頼をめぐる議論の蓄積】であり、経験の蓄積の要約は百科事典の共同制作という共通目標を実現するためのものである、と考えます。--大和屋敷 2010年7月1日 (木) 06:40 (UTC)
大和屋敷さん、明確で分かりやすいご意見ありがとう。そして大和屋敷さんのように分かりやすく端的に説明できなくてごめんなさい。
私は、大和屋敷さんとは根本的に考え方が異なっていて、ガイドラインは「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」とテンプレートにあるように、多くの利用者が基本的に同意できた事項の覚え書きに過ぎないと考えています。私の考えでは、大和屋敷さんのおっしゃる①、②の効果は、本来それぞれ方針と、Helpに属させるべきものだと思っています(「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられている」が方針のテンプレートの但し書きです)。
しかし現実には、ある時期から、Wikipedia:編集方針に「ウィキペディアの基本方針とガイドラインに反しないものであるならば」という記述が追記されてしまったために現在ではガイドラインにも制限効果が生じています。でも、これは結果的に生じてしまった副次的効果であってガイドラインというものの本来の目的ではないと私は考えているわけです。方針に照らして検証されるべきガイドラインを方針の一部にしてしまうことや、非ガイドラインをガイドラインの細則として扱ってしまうことは本来すべきことではなくて、それが一旦認められてしまうと、収拾がつかなくなってしまいます。
Wikipediaの古い編集方針[1]を読む限り、「基本的にはWikipediaはなにをやっても許される」「些細で小さな行動も大きくつみあげれば価値を生む」ことを目指していたのだと思います。多様な価値観を受け入れて、小さな貢献を積み上げることで、最大の効果を発揮するためには、ガイドラインは多様な価値観をもった無数の参加者が同意できる最大公約数であることが理想です。この特筆性という文書を筆頭に、いくつかの文書は、単にある時期議論に参加した参加者の妥協の積み上げになってしまっていると考えています。本来、質も量も史上最大の百科事典をめざすなら、品質と量を天秤にかけて片方を選ぶような制限は、(独自研究をしないとか、検証可能性を確保するという)方針以外になくてもいいというのが私の考えです。ガイドラインとは、制限ではなく、Wikipedia:ページの編集は大胆にのように、こういう貢献もありうるということを示す方向付けが本来の機能ではないでしょうか?--වෙ 2010年7月1日 (木) 09:17 (UTC)

問題点・副作用の指摘

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Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアの編集者が減少している(ような気がする)」でも指摘されていますように、新規参入者への敷居を低くするためにも、あえてガイドライン化しないほうがいい、あるいは廃止するほうが適切である可能性があります。--三畔 2010年6月9日 (水) 15:58 (UTC)

  • それとはまったく関係なし。しかも、ガイドライン化している言語版もあります。複数言語でスパムによって記事を作成する行為の対策のためにも必要でしょう。--hyolee2/H.L.LEE 2010年6月10日 (木) 03:09 (UTC)

【問題点の指摘】当基準は原則的に「新しい記事を立項するさいの採録基準として、事前に信頼できる引用元に十分な記述がなされていること」を求めるものであります。さて、Wikipedia上でしばしば見られる誤用としては「ある記事の中における過剰な編集、名鑑的な情報の収集、人物の活動履歴の日別採録」など、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおける過剰収録(編集)をさして「特筆性のある記述とはいえないのでそこまで採録する必要なし」とする”流用”です。これはあきらかに当基準(Wikipedia:特筆性)の期待する範囲を逸脱しており、ちょっと問題だと思います。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかで求められる「過剰編集はほどほどにしましょう」との警句は「特筆性」という用語ではない、別の用語で記述する必要があるかもしれません。--大和屋敷 2010年6月28日 (月) 14:06 (UTC)

改善提案

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特筆性について、自分なりに導入部などの改善案(利用者:有足魚/特筆性の私案)を作成しました。簡潔にガイドラインの精神を説明したつもりですが、ご意見をいただければ幸いです。--有足魚 2010年6月9日 (水) 15:12 (UTC)

コメントこんにちは。私案の起草お疲れ様です。いくつか気になるところがありました。
  • 方針としては、情報源が信頼できて、複数であるだけではなく、中立的な情報源、第三者的な立場からの情報源であることが求められているように思いますが、その部分が案の中に含まれていないように見えます。
  • 「しかし、記事の対象とは無関係な情報源からでも、十分に情報が得られる事柄は考慮に値します」は、ちょっと意図が読みきれませんでした。第三者的な情報源が取り上げているということなのか、とも思いましたが、最初は、その「記事の主題」を、多くの「記事の主題とは無関係なことを主題とした情報源」で取り上げていることを考慮に値すると言っているのか。後者はつまり、たまたまウィキペディアに言及している経済や政治や生物を扱う本がたくさんあることを「特筆性」として考慮する、というような意味。草案の方針は、ウィキペディアについて書かれている論文や書籍や記事を「特筆性」の基準にしているように思います。
  • ガイドライン第三文に「より高くなる」とあります。特筆性は、より高くする必要があるということではなく、あるラインを超えている必要がある、という類のものだと思います。
  • 記事の発展が停滞していることは、特筆性とは関係ないと思います。--Ks aka 98 2010年6月9日 (水) 17:33 (UTC)
ご意見ありがとうございます。ひとつの文章で多くをカバーしようとしすぎたために、誤解を招く表現になってしまったと反省しています。うまく文章の流れの中で説明できればよいのですが、難しいとも感じています。いずれにしても大きく改善しなければいけないと考えています。また、「なぜ特筆性が必要なのか」という点に関して言及したいと思っていますが、それに関しては独立した節で書いたほうがいいと感じました。--有足魚 2010年6月10日 (木) 11:45 (UTC)
ガイドラインとして機能するよう、中身を大きく入れ替えました(利用者:有足魚/特筆性の私案)。各要件の説明は、長くなり過ぎないように気をつけ、箇条書きの形をとりました。--有足魚 2010年6月11日 (金) 12:22 (UTC)
(質問)「改善案」の趣旨としては、現行ガイドラインの表現が分かりにくいから、分かりやすくまとめるということでしょうか?現行ガイドラインの内容そのものの変更を意図されている部分もありますか?もし内容そのものの変更をご提案されているのであれば、変更が必要・適切と判断される理由もお願いします。(現行ガイドラインと比べると、「情報源は二次資料でなければなりません」のところが抜け落ちているようですが、この部分は意図的に除いたのでしょうか?)--Dwy 2010年6月11日 (金) 15:23 (UTC)
シンプルで分かりやすいものにするのが目的で、本質的に中身を変えることは考えていません。このガイドラインの目的は、瑣末な項目や、百科事典的に発展する見込みのない記事が作られることを防止することにあると考えております。その目的を満たしつつ、なおかつ指示の肥大化を避けることができれば幸いだと思っています。さて、情報源が二次資料である必要を明記しなかった件ですが、もちろん二次資料を用いることが望ましいとおもいます。ただ、自己公表された一次資料を排除できれば、大方の場合問題ないだろうと考えます。--有足魚 2010年6月13日 (日) 11:54 (UTC)
私にとっては、現行の「対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、特筆性が推定される」という言い方が、シンプルで分かりやすいです。基本的なルールを変えるつもりがないなら、ルールの基本的な枠組みはいじらない方が良いのではないでしょうか(用語解説の部分の表現は、もうすこし分かりやすい日本語にした方が良いかもしれませんが)。
上で指摘した、二次資料を要求する件も、わざわざ今変更する理由は特にないと思います。また、有足魚さんの案では「情報源が、偏った観点で選ばれていないこと」という要件が増えているようですが、これについても賛成できません。偏った観点の信頼性にかける情報源を排除する趣旨であれば、既に「情報源が信頼できるものであること」があるのですから、それ以上のものは不要だと思います。Wikipedia:中立的な観点は情報源の選び方についてのルールではありませんから、ここでそれを持ち出すと、かえって分かりにくくなるでしょう。--Dwy 2010年6月15日 (火) 16:29 (UTC)
自分の問題認識に拙い点があったと思います。まず現行の草案でガイドライン化する方向を考えるべきでした。そこで浮かび上がった問題を改善するべきで、いきなり内容を変えるのは確かに近道ではないでしょう。よって、自分の案は取り下げたいと思います。--有足魚 2010年6月16日 (水) 12:16 (UTC)

コメントWikipedia:井戸端/subj/特筆性が未だに草案のままである理由ではしめしたのだけど、利用者:Ks aka 98/nというのを作ってみています。--Ks aka 98 2010年6月29日 (火) 17:30 (UTC)

改善案のご提案ありがとうございます(現行との差分)。スマートな編集をいただいてとても分かりやすいガイドラインになったとの印象を受けました。1点だけ従来の表現からある部分なのですが、「信頼できる」の部分の「編集上の完全性・自立性を保持していること」について、「検証可能な評価になりうるだけの編集上の完全性・自立性を保持していること」としたほうがひょっとすると理解しやすいかもしれない、と感じたのですがいかがでしょうか。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 16:53 (UTC)
完全性、自立性を保持していなくとも、「検証可能な評価」にはなり得るようにも思います。自己評価や敵対的な立場からの評価であっても、「検証可能」(検証可能性の方針を満たす、ともちょっと違う)な、「評価」という抗弁を、逆に招いてしまうかも。英語版だと「信頼できるというのは、情報源には特筆性の検証可能な評価が認められる編集上の誠実さが必要だということを意味します」くらいの意味でしょうか。「執筆者や編集部、母体となる出版社が、編集・執筆上の独立性や誠実さを保持していること」とか?--Ks aka 98 2010年7月7日 (水) 19:46 (UTC)
そうですね。~の検証可能な評価を認めるだけの編集上の完全性整合性、くらいのニュアンスに受け止めていましたので一読してひっかかった思い過ごしでした、表面的なことをお聞きしてすみません。以降の議論をよろしくお願いいたします。--Degueulasse 2010年7月8日 (木) 15:37 (UTC)

ガイドライン化の可否

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ガイドライン化までのこの文書の運用について

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「特筆性」という語句の解釈についてサイト内で議論がまとまっていない段階でしたら、意図が不明確な{{特筆性}}というテンプレートを使うことをやめさせていただけませんか。このテンプレートを使う人は無責任ですよ。--Yue-XX 2010年6月6日 (日) 21:54 (UTC)

あらかじめ節を分割させて頂きました。ご了承下さい。現時点での運用は重要な問題ですが、ガイドラインとするか否かの議論とは別に進めたいと思います。本文書についての問題点の具体的指摘、ガイドライン否認の根拠の議論にも参加いただければと思います。よろしくお願いします。--වෙ 2010年6月7日 (月) 23:37 (UTC)

名称はこれで良い?

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話をややこしくしてしまうように思いますが、一応、前からずっと問題になっている「特筆性」という名称でよいのかという議論も、ガイドライン化に向けた課題として挙げておきます(c.f. #改名提案など)。ただ、名称に関する議論は(記事でもそうですが)内容がしっかりしていれば、付随的な問題に過ぎませんから、これが解決できなければ草案のままでなければならない、というようなものではないと思います。--青子守歌会話/履歴 2010年6月28日 (月) 14:45 (UTC)

「特筆性」が「単独の記事を立てるかどうかの基準」であることがちゃんと理解されていない場合もあるようなので、「立項基準」あるいは「収録基準」への改名提案があれば支持します。「特筆性」だけが「立項基準」ではないという理由で反対される方もいらっしゃったようですが、これは「特筆性」以外の基準に関する記述を「立項基準」のページに追加してやればよいことで、それほど大きな問題ではないと思います。--Dwy 2010年7月1日 (木) 16:10 (UTC)
「特筆性」だとどうしても「有名 vs 無名」「メジャー vs マイナー」という問題意識になりがちですが、「立項基準」に改名した上で、「ウィキペディアの記事には、百科事典にふさわしい情報の質と量が必要です。十分な質と量の情報が確保できないなら、その項目の記事を立ち上げるべきではありません」というような言い方にしてやれば、みんなの受け取り方も少し違うかもしれないと思ったりもします。--Dwy 2010年7月6日 (火) 16:37 (UTC)
「収録基準」のほうがこなれた用語なのですが、「すでに建てられている記事にあらたに情報を【収録するための基準】」ともよめてしまうので、どちらかといえば生硬な言い回しですが「立項基準」のほうが適切に表現できているような気がします。--大和屋敷 2010年7月6日 (火) 17:00 (UTC)
仮にも通用している用語ですし、wikipedia:特筆性の文頭に「収録する記事の基準」と明記してありますので、変更の必要は無いと思います。分かってない方は文頭を読んでいただけていないか、基準自体を受け入れられないのかまた別の何かか、いずれかの問題を抱えておられるように推察します。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 04:57 (UTC)
記事の名称は「推(お)すか敲(たた)くか」の議論なんで、内容実体の議論の足を引っ張らない程度にしておきたいですね。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 05:19 (UTC)
同じ想いです、改善提案や可否について議論が進展しますと幸いに存じます。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 05:36 (UTC)
日本語としてありえない組み合わせを「推(お)すか敲(たた)くか」の議論だというのには同意できません。「収録する記事の基準」であるならば、「収録する記事の基準」と書けば良いのであって、日本語としてありえない組み合わせをわざわざつくりだして用いることはないでしょう。--Jms 2010年7月7日 (水) 11:11 (UTC)
「日本語としてありえない組み合わせ」という主張は非常に難しい概念ですが、客観的に定義できますか?これは技術的な抗弁です。もっとも「収録する記事の基準」との記事タイトル案はシンプルかつ明瞭で非常に結構な提案だと考えます。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 13:38 (UTC)
「○○に値する」という表現が行われる「○○」で「○○性」ということはありませんし、仮に「○○性」と言ったとしてもそれによって「○○」される対象の性質を表すことはあり得ませんので、この草案のタイトルとしては不適切です。Wikipedia‐ノート:特筆性/過去ログ1#とりあえず、「特筆性」は止める方向で検討しませんか?も参照されたし。--Jms 2010年7月7日 (水) 13:57 (UTC)
参照しました。止める方向では結局まとまらなかった模様ですね。散々議を尽くしてそれでもなお変更が決定されなかった事実を尊重すべきです。同時期に特筆性 (音楽)がガイドライン化されて定着し2年が過ぎた事実関係があります。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 14:09 (UTC)
それを言うなら改名に至る経緯も御参照ください。--Jms 2010年7月7日 (水) 16:05 (UTC)
現実として改名し特筆性に定着し、時間が経過しています。以前にも名称問題で全体の議論を停滞させたという経緯がありますので、当問題は後回しにしましょう。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 16:14 (UTC)
特筆性なる文字列が、草案名称としてのみ登場するなら、後回しにできると思います。文中に頻出するなら、そうも行かないでしょう。利用者:Ks aka 98/n案はその点、文中に特筆性なる文字列が登場しないので、名称問題を分離できると思います。--Jms 2010年7月7日 (水) 16:39 (UTC)
Ks aka 98さんの案の検討を進めるなど、内容を検討することには賛成です。名称はこれまで紛糾させている主因になっていることから、歴史に学んで後回しにすべき問題です。議論で決着してこなったのですから、正式化してから決を採るなどするのも一案でしょう。ここでの堂々巡りはやめましょう。--Degueulasse 2010年7月7日 (水) 17:05 (UTC)
ウィクショナリの「性」の記事には「接尾辞1.(セイ/ショウ)~の性質を持ったと言う意味の語を作る。」とあります[2]。たとえば「一過性」は「一過(的)であるという性質を持った」という意味を表記するものとして接尾辞「性」が利用されています。ウィクショナリがどの文献から起筆されているのか不明ですので正確性に保証はありませんが、特筆性はこの文脈に分類できるかもしれません。繰り返しますがこれは技術的な抗弁です。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 14:28 (UTC)ぐぐった印象としては「"特筆性"」はWikipedia日本語版にのみ見られる技術用語である、という点はほぼ間違いないようです(例外[3])。(ただしそれをもって日本語として間違っている、との主張に根拠が与えられる、ワケではない)--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 14:38 (UTC)
技術的な抗弁、というのは抗弁のための抗弁という意味でしょうか。「一過性」を例として出されたということは「一過に値する」という表現があるのだ、ということでしょうか。「注目性」なる色彩用語が存在することは確認しましたが、日本語として妥当かというと甚だ疑問だと思います (同義だとされる誘目性ならまだわからなくはない、目を誘うのは色の側だから)。特筆するという行為が記事の対象の行為でない以上、仮に「特筆性」と言ったとしてもそれは行為する側の性質であって、される側すなわち記事ないし記事の対象の性質ではあり得ません。--Jms 2010年7月7日 (水) 16:05 (UTC)
抗弁のための抗弁という趣旨です。記事タイトルは「推(お)すか敲(たた)くか」の議論なんで、内容実体の議論の足を引っ張らない程度でお願い致します。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 16:42 (UTC)
上でも書きましたが、内容として頻出する以上、記事タイトルは「推(お)すか敲(たた)くか」の議論、ということにはならないでしょう。内容の問題かもしれないのに、タイトルの問題でもあることから、内容とは分離したタイトルの問題だと考えられてしまっている可能性もあります。--Jms 2010年7月7日 (水) 16:52 (UTC)
記事タイトルを重要な瑕疵と見る見解(「記事タイトルが日本語として間違いなので正式ガイドライン化に反対」との主張)であると仮定すれば、それには同意できかねます。表記の適正性については「推(お)すか敲(たた)くか」の議論であり改名提案が可能です。またくりかえしますが「日本語としてありえない組み合わせ」とのご主張にも現時点でのご説明には根拠が見いだせません。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 17:15 (UTC)たとえばJmsさんのご見解にそえば「被特筆性」ということになるかとかんがえます(哲学のように統語に非常な厳密性を要求される議論であるばあいは、この使い分けに十分な意味がありそうです)。--大和屋敷 2010年7月7日 (水) 17:28 (UTC)
抗弁のための抗弁とのことですので、ご理解いただけないかもしれませんが、仮に、「特筆性」というのが不適切だという結論になった場合、タイトルの問題では済まない可能性がある (なぜならその文字列が本文中に頻出しており、単純な置き換えでは済まないかもしれないから) という点はよろしいですか。Notability に該当する適切な日本語の一語が存在しない場合、それは推すでも敲くでもない、なにか日本語にはないものなのですから、「推(お)すか敲(たた)くか」の議論にはならないのです。「日本語としてありえない組み合わせ」という点については、「特筆性」というのは、仮にそういう組み合わせが可能であったとしても、それは行為に付随する何らかの性質ではありえても対象の性質ではあり得ないので、議論している文書で使われている様な意味ではあり得ません。「被特筆性」というのなら意味としてはまだわからなくはありませんが、言葉としてはちょっと…。わたくしとしてはまず本文中に「特筆性」という文字列を含まないKs aka 98さんの案を検討すべきだと考えています。その後でもなお「特筆性」なる文字列についての議論が必要なら、その時にすればよいでしょう。--Jms 2010年7月7日 (水) 17:34 (UTC)

検証可能性では足りないのか?

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Wikipedia:検証可能性#方針の 1. を

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。【記事の主題となる対象については、さらに、無関係な信頼できる二次情報源での有意な言及が必須です。】

とすれば足りる、つまり、「特筆性」なる表現を用いた言及は不要なのではないかと思うのですが、単純に考えすぎでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源が草案なままWikipedia:特筆性をガイドライン化する事にどういう意味があるのかも疑問ですが…。--Jms 2010年6月28日 (月) 22:33 (UTC)

  • もともと英語版のNotabilityというガイドラインを日本語版に移植してきた経緯によるもので、検証可能性と重複しているのは当初から指摘されているみたいです。あえて特記しておくことは「ガイドライン」のあり方としておかしい事ではない、と思います。次に「こっちがまだなのでこっちを先にすべき」というのはあまり建設的な提案ではないでしょう。誰もがWikipediaの成長に「責任・義務」など持っていませんので、機運が高まったほうで先に結論を得られれば得てゆけばよいと思います。--大和屋敷 2010年6月29日 (火) 02:06 (UTC)
「検証可能性」は記事の記述に関するものを扱い、「特筆性」は単独記事を作る際の基準を定めたものだと思います。目的が違うので、重複する点があるのはやむをえないでしょう。検証可能性は記述に対して出典を提示しなければいけませんが、特筆性はその記事の主題に触れている情報源を示せればいい(記事の記述と関係しなくてもいい)ということだと思います。もちろん、検証可能性を満たす記事は、特筆性が問題になることはないでしょう。--有足魚 2010年6月29日 (火) 04:08 (UTC)
「検証可能性」は記事の記述に関するものを扱い、「特筆性」は単独記事を作る際の基準を定めたもの、というのは特筆性ありきの観点ではないかと思います。単独記事を作る際の基準についても検証可能性の延長として述べることで特筆性を独立ガイドラインとすることに対して何か失われることはありますか、というのが問いの意図です。問いの背後には、ガイドラインはなるべく少なく、というのがありますし、「特筆性」という表現を使わずに同じ目的が達せるのではないかという事もあります。--Jms 2010年6月29日 (火) 11:35 (UTC) 意味不明な表現訂正 --Jms 2010年6月29日 (火) 21:40 (UTC)
コメント この特筆性の内容が意図していることは、「単独記事にするためには、十分な情報源があって、きちんと検証可能性のある情報を、十分な質と量を持って記述できる」ということですから、おっしゃるように検証可能性の延長として捉えることもできると思います。しかし、一方で、単純に「検証可能性を満たしてください」と言うだけではなく、さらに「無関係」「複数」「有意な」という追加条件も含まれています。ですから、ウィキペディア日本語版の記事の記述全てにかかり、しかも公的な方針であるWP:Vと、「単独記事にするための指針」としての特筆性は、別々に離しておくのがいいのではと思います。ただし、信頼できる情報源のように、WP:Vの中である程度触れておいて、詳細はガイドラインを参照のこと、というようにするという方法は十分ありだと思います。--青子守歌会話/履歴 2010年6月29日 (火) 11:56 (UTC)
追加条件をWikipedia:検証可能性#方針で述べるだけでは足りない本質的な何かが存在するのか、というのが問いです。ですので、単純に「検証可能性を満たしてください」と言うだけではなく、というのは問いの意図から外れます。そこからすると、公式な方針よりも弱いガイドラインであるべきである、という点がコメントの論点なのだろうと思います。追加条件の分だけ期待される拘束力が弱くなるべき、というのは理解できます。逆に言えば、公式な方針にしてしまえるなら分離する必要性はない、ということでもあるでしょう。より弱い規範が削除にまで言及しているのは、適切なのかどうかはよくわかりません。拘束力が弱い規範がより強い対応を求めていても拘束力が弱いのだから構わんだろう、という図式は理解できなくはありません。--Jms 2010年6月29日 (火) 12:06 (UTC)
みんなが「記事の主題となる対象については、さらに、無関係な信頼できる二次情報源での有意な言及が必須です」だけで、理解できるなら、それで足りるでしょう。それ自体もWP:NOTとWP:NPOVから導けるものと言えるだろうし、本質的には、誰でも参加できる百科事典を作るプロジェクトで中立的観点ほかのいくつかの方針さえあれば文書なんていらない。
検証可能性を「そこそこ満たす」記事だと、特筆性が問題になることはあります。各種の方針をガチガチに運用するなら、話は別ですが、実運用としての許容範囲というのはあるし、それは方針としても余裕を持たせた表現になっているようなところもあるわけです。
そのなかで、これは比較的きちんとやりましょうということで、特に単独記事の基準として、中立的な記事の作成を担保し、百科事典的ではない記事や虚偽の記事を排除することができるように固有の文書としているのが、「特筆性」(名称はどうでもいい)でしょう。「記事の主題となる対象については、さらに、無関係な信頼できる二次情報源での有意な言及が必須です」というのを基本として、というか、「もし対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。」という文を軸として、ここでいう無関係なとはどういうことか、というようなことを具体的に示したりしながら、わかりやすくすれば、それなりの分量になる。そういう文書を作るべきではなく、検証可能性のみから運用するべき、という意見でしょうか?--Ks aka 98 2010年6月29日 (火) 13:06 (UTC)
仮に検証可能性に包含される規範であるにしても解説文書が欲しい、というのは理解できます。文書の名称が日本語から逸脱している (「○○に値する」から「○○性」を合成するのがおかしいことは、たとえば「万死性」というのを考えてみればわかる) にもかかわらず、文中でもそれが多用されていて理解しにくい、かといって適切な代替名称での合意が結局はできなかった、というのはこの文書の不幸な点であり、内容として検証可能性に包含してしまえるならその不幸は避けられよう、というのが一つ。検証可能性に比べ削除に踏み込んだ記述になっているのを、検証可能性に包含してしまえば書かずに済むのではないかというのが一つ。そうしたことを考えつつ、「もし対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。」という文よりは「記事の主題となる対象については、さらに、無関係な信頼できる二次情報源での有意な言及が必須です」という文の方が日本語としてわかりやすいと思いますが、もし後者で表現できてしまうなら検証可能性とは別の方針文書は必要ないのではないか、そうしてしまうとはて何が足りないのだろう、という疑問が浮かんだので質問しました。解説文書としての位置づけなら、たとえば、Wikipedia:検証可能性のサブページとして構成する手もあろうかと思います (そうする方が使いやすいかどうかは要検討)。--Jms 2010年6月29日 (火) 15:34 (UTC)
検証可能性は記事内に含む全ての記述を永続的に対象とし拘束するものであり、特筆性は記事作成時における作成の可否を判断するもので作成判断時における記事の主題が対象です。スポーツ選手として企業として用語として事象として、記事内に含む全ての記述は独自研究によらず検証可能でなければならないので検証可能性が存在し、全国大会優勝者の中学生のスポーツ選手はよほどの場合でない限り作成しないなど個々の記事作成判断に用いられるガイドラインが特筆性であると解釈されるものです。--Degueulasse 2010年6月30日 (水) 23:20 (UTC)
それは、独立した二次情報源を求めるかどうかという強度の点を別にすれば、ある記事を作成することは (削除や移動がない限り) 一度しかできないのに対し、記事の内容を編集することは繰り返し可能である、という行為の反復性の違いであって、方針・ガイドライン側の違いではないと思いますが如何でしょう。なお、方針・ガイドラインが直接的には編集者の行為を規定するものだと考えています (その結果として記事や記事内容を規定するにしても)。--Jms 2010年6月30日 (水) 23:39 (UTC)
検証可能性についてはわたしたちが議論でどうこうするべきものではなく、規定されている通りです。全ては検証可能でなければならない、です。特筆性に関係してくる議論は、sergeiさんやKs aka 98さんが述べておられるところだと考えます。特筆性は作成判断時の可否に用いるガイドラインですので、「記事の内容を編集することは繰り返し可能かどうか」、を対象にしているものではないのです。--Degueulasse 2010年7月1日 (木) 00:05 (UTC)
Wikipedia:検証可能性は公式な方針であり、議論に基づいた変更が可能です。Wikipedia:五本の柱と混同なさっていませんか。「検証可能性は記事内に含む全ての記述を永続的に対象とし拘束するものであり、特筆性は記事作成時における作成の可否を判断するもので作成判断時における記事の主題が対象」というのは、繰り返し可能かどうかという違いでしょう。記事作成時に求められる検証可能性に関連する基準と記事内での記述に求められる検証可能性に関連する基準が異なる、ということを「特筆性は作成判断時の可否に用いるガイドラインです」と表現するのは理解できますが、さらに記事内容を対比させて「永続的に対象とし拘束するもの」という表現も用いてしまうと、違いは継続性の違いにあるという事になりませんか。--Jms 2010年7月1日 (木) 13:49 (UTC)
検証可能性の冒頭文の最後を見ていただきたいのですが、「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」と記されています。ですので混同していませんし、この部分は互いに理解しましょう。だから私は検証可能性については議論していません。論点はJmsさんが2010年6月29日 (火) 15:34 (UTC)の版で自己言及されている点についてこちらから問題を指摘し合わせている点ですので、共有しているものと考えています。最新のJmsさんのコメントでは当所にて検証可能性の議論をされており、特筆性の議論になっていないと推察しますので、それ以上の拡大には協力できません。私の指摘について説明させていただきます。検証可能性と特筆性は対象が異なり、補完しながらも目的の違う方針であるということを理解していただきたく存じます。--Degueulasse 2010年7月1日 (木) 14:06 (UTC)
そう書いてはありますが、それを字義通り「議論でどうこうするべきものではなく」と解釈するのは適切でないと思います。当該箇所は「The three policies are non-negotiable and cannot be superseded by any other guidelines or by editors' consensus.」の訳だと思いますが、現在の英語版にその表現はありません。つまり、議論によって書き換わっているということです。さて、仰っていることの主眼はWikipedia:特筆性Wikipedia:検証可能性の延長と捉えるべきではない、なぜなら目的が/対象が違うから、ということでしょうか。わたくしの20100629T1534Z版での言及 (自己言及している箇所はないと思う…) の多くは本節冒頭の疑問の背景説明ですし、「仮に検証可能性に包含される規範であるにしても解説文書が欲しい」は「仮に」ですから「検証可能性に包含される規範である」と述べているわけでもないので、何について問題点を指摘なさっているのかよくわからないのですが…。それともサブページ云々という部分でしょうか、しかしそれとて「解説文書としての位置づけなら」と仮定の話ですし…。本節冒頭の様な構成にしてもWikipedia:特筆性が求めている基準は示せるが、それだけでは失われてしまうWikipedia:特筆性の機能があるか、というのがわたくしの問いの本質であり、それに対して「目的が違う」といわれましても、仰る内容そのものは理解できますが、問いと答えが噛み合っていないのではないかと思います。目的が違うものについて、機能に着目してかかる問いをたてた事自体ナンセンスだ、という御指摘でしょうか。--Jms 2010年7月1日 (木) 17:20 (UTC)
(インデント整理)私に至るまでに5名の方からこのテーマについてそれぞれご意見を受けておられますが、検証可能性と特筆性の差異、存在意義は述べられている通りのものかと。検証可能性では足りないのか?に対しての答えをお求めですが、そちらですでに示されているように存じます。「特筆性の言及は不要ではないのか?考えすぎか?」のご質問に対しては、私は「特筆性は必要、検証可能性と特筆性は別の方針である」と回答しているつもりです。特質性は有と確認されると将来にわたって減るものではない(判断誤認のため後になってから実は無かったと結論づけられることはある)ので、検証可能性の永続性と混同されて混乱されているように思われます。全ての根幹に検証可能性があり、百科事典的な記述に限定するために特筆性と何ではないかが存在すると考えてみてください。Jmsさんのご意見に出た英語版ではNotabilityがガイドライン化されていますので、ここでも検証可能性とは別の必要とされている概念なのだとご理解いただけるものと存じます。--Degueulasse 2010年7月1日 (木) 22:00 (UTC)
既に出ている論点以外の何かがあるからコメントいただいたのだろうと質問しているのですが…。「特質性は有と確認されると将来にわたって減るものではない」というのと同様に、記事内のある記述が検証可能性を満たすならばその記述自身は時刻によらず検証可能性を満たすので、時間的な意味でどこに差異があると仰っているのか、理解できずにいます。ある記事の、ある時点での記述が検証可能性を満たしたとしても、新たな記述が加わる際にはその追加部分についてまた検証可能性が必要となるという点で、記事の内容全体についてはある版での内容が検証可能性を満たしたからといって別の版での内容も検証可能性を満たすことにはならい、一方で記事作成時に満たすべき検証可能性関連の要件は記事作成時にのみ満足すればよい (錯誤は除く)、ということを仰っているのでしょうか。もしそうだとしたら、それは、フレームの違いではないかと思います。ある記事のある版と別の版は、その内容が異なるのですから別のもの、記事名を共有する二つの互いに異なる記述集合です。それを記事として同一性があるかの様に考えるなら、検証可能性との関わりにおいて記事作成時とは違うのだということにはなるでしょうが、それは異なる対象を同一視している事になるのではないかと思います。結局は記事作成ならびに編集イベントによって生成される記述差分集合の検証可能性に帰結するでしょうし、方針・ガイドラインが直接的には編集者の行為を規定するものだ、というのはそういう分析を背景としています。「全ての根幹に検証可能性があり、百科事典的な記述に限定するために特筆性と何ではないかが存在すると考えて」います。その上で、特筆性なしで済ませる (検証可能性と、残余があれば「何ではないか」に吸収させる) ことが可能ではないかと考えたのが冒頭の問いにつながります。--Jms 2010年7月1日 (木) 22:31 (UTC) リフレーズしたので小さく --Jms 2010年7月1日 (木) 22:55 (UTC)
(補足) リフレーズしてみます。記事を構成する個別記述に求められる検証可能性と、記述集合たる記事に求められる検証可能性は異なる、というのは理解できますし、だからこそ冒頭の様な文になっています。この、集合と要素の関係を、時間的なものに置き換えて表現するのは適切ではないし、置き換えたところで要請される検証可能性の違いは変わらないでしょう、ということです。--Jms 2010年7月1日 (木) 22:55 (UTC)
繰り返しになりますが検証可能性についての議論拡大には協力できません。ご内容が特筆性とずれた方向のものですので、しばらくご検討になった上で別の適宜な箇所にてご提案いただくべき内容に見受けられます。自説は他の方のご意見を参考にしながら機を見て再検討し引くことが求められると思いますし、私が頻繁に使う選択肢でご参考になるかは分かりませんが、よく分からないときはしばらく推移を見守って沈思黙考する手段もありますよね。22:00 (UTC)の私のコメントの最後の部分ですが、英語版にはNotabilityとVerifiabilityおよびWhat Wikipedia is notが存在していますのでJmsさんのご説のようにはいかないと思いますし、自分の思うような答えの出ないことにも他の方からのご意見をご考慮の上、ご納得をいただきたく存じます。--Degueulasse 2010年7月1日 (木) 23:00 (UTC)
  • 知っている限りで説明しますと①英語版で「著名人の悪評について、検証可能であったとしてもどこまで記述してよいか」という議論があり、②Notabilityの原案ができた、③そこから「きわめて有名なこと、著名なこと」を記述するようにという案に発展し、④本質的な再検討がいろいろなされ、⑤「著名なこと」「著名人」とはどういうものか、という定義になった(これがたぶん英語版の公式ガイドライン化された最初の状態)、日本語版に翻訳された当初の状態はココ。⑥英語版では、Notableは「記事を新規に立項するさいにのみ求められる要件にすべき」であって、「立項された記事の説明内容については些細なことであっても検証可能性をみたすなら投稿可能であるべき」との観点から「立項基準」になった。⑦日本語版では「著名でなきゃ採録されないのなら大学の学者のように顕著な業績があるのに誰も知らない人物は採録されないのじゃないか」との問題提起で「特筆性」になった。ざっくりこんなところだったと思います。次に日本語版の運用ですが、ほとんどは「誰も知らないインディーズ(音楽バンド)」の広告宣伝を効率的に削除(即時削除)するための指針としてWikipedia:特筆性 (音楽)が先行して公式のガイドライン化された。他はペンディング、という感じだったと思います。現実の削除(即時削除)における「広告宣伝」を判定する基準として重宝されている、という感じじゃないでしょうか。むしろここ半年1年くらいは、「たしかに検証可能性はあるが、さすがにそこまで記述する必要はないだろう」的情報を指弾する趣旨で「特筆性」が使われる傾向にあると思います。「近所のスーパーの特売品の一覧は特筆性なし」的な用例です。--大和屋敷 2010年6月29日 (火) 13:14 (UTC)
    • 説明ありがとうございます。削除基準として重宝する分野があるという点も含めて、日本語版での経緯は大体把握できていると思います。--Jms 2010年6月29日 (火) 15:34 (UTC)
検証可能性と特筆性では、編集者がするべきことが違います。検証可能性は記述に対して情報源を示す必要があります。一方、特筆性は記事の主題に触れている情報源が示せればいいのです。つまり、特筆性を証明する上で必要な情報源は、記述と必ずしも関連している必要はありません。これは、発展途上の記事が、行き過ぎた削除主義によって削除されることを防ぐ効果もあるでしょう。--有足魚 2010年6月29日 (火) 14:05 (UTC)
御指摘の前半については、この節の冒頭で述べた文例 (それには必ずしもこだわりません) でカバーできていると考えています。削除主義という点では、Wikipedia:特筆性Wikipedia:検証可能性よりも踏み込んでいる点がむしろ気になっています。検証可能性同様の運用ができるのではないかと…。--Jms 2010年6月29日 (火) 15:34 (UTC)
コメント jawpの記事のあらゆる情報は検証可能性のある記述でなければならない、というのがWP:Vで説明されている(されるべき)ことで、それを満足するためには単独記事にする場合にはどのような条件が必要なのかというのを説明するのが本ガイドラインだと思います。ですから、本ガイドラインを検証可能性の応用のひとつとして捉えれば、原則と応用を同じページで(すべて)解説するのはちょっと無理なのではないかなと思います。また、そのような観点からすると、本ガイドラインは、Jmsさんがおっしゃるような「無関係な信頼できる二次情報源での有意な言及が必須」というだけではなく、もう少し踏み込んだ様々な説明をするものとして、WP:Vとは別のものとして必要ではないかと思うところです。なので「WP:Vだけで十分ではないか?」と問われればそれには「ちょっと不十分」と答えます。ただし、サブページなどにして「検証可能性の応用(延長)である」ことを強く出すことも、それはそれで良いと思います。 --青子守歌会話/履歴 2010年6月29日 (火) 18:25 (UTC)
検証可能性の場合は[要出典]で「するり」と逃げられてしまう可能性がありますね。実際、手元に資料がなくても大学の授業で聞いたうろおぼえを投稿したら、他の方が文献情報を追記してくれる、なんて感動的なこともWikipediaではあるわけです。一方で初稿(立項)の時点では、誰も知らないような(すくなくとも即時削除ができる管理者が知らないような)内容については、十分な検証可能性を用意しておいてくださいね、という要請もあるのじゃないでしょうか。広告宣伝からWikipediaを防衛するのはけっこう大変な手間だとおもいますよ。なにせたいてい検索エンジン上位に来るのだから作成動機としては十分です。参照:削除記録[4]--大和屋敷 2010年6月29日 (火) 18:36 (UTC)
宣伝排除基準として便利な分野がある、というのはわかりますが、その影響か、まず排除ありきな部分があるのが現行草案の気になる部分です。--Jms 2010年6月29日 (火) 21:40 (UTC)
WP:Vだけで十分ではないか?」と問われれば、とありますが、わたくしの問いをそう表現してしまうと違う問いになってしまいます。WP:Vに記事作成時に要請される第三者情報源要件を加えれば、です。御理解頂いているとは思いますが、それが一人歩きしても困るので…。--Jms 2010年6月29日 (火) 21:40 (UTC)

さて今まで頂いたコメントではWikipedia:検証可能性には収まらない点として

  • 解説文書としての存在意義
  • 公式な方針とガイドラインの違い

が指摘されています (記事内の記述が対象か記事全体にかかわることかという違いについては、「収まらない」という話ではないので後述)。公式な方針かガイドラインかというのはある意味で付随的差異なので、結局のところ「何らかの解説は必要だ」というのが「収まらない」点かと思います。記事内の記述が対象か記事全体にかかわることかという違いも考えあわせれば、これはわかります。ここまでで素朴な疑問に対する答えは得られました。どうもありがとうございました。それでも気になるのは削除ありきな部分となにより「特筆性」なる表現ですが、たとえば利用者:Ks aka 98/n案はその点受け入れ易いと思います。この先は[#改善提案]]で。--Jms 2010年6月29日 (火) 21:40 (UTC)

すでにまとめが出ている後ではありますが、この文書はWikipedia:検証可能性だけではなく、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんと関わるものなのではないでしょうか。WP:NOTのこの節が定めているのはウィキペディアには検証可能だからといって何でも記載していいわけではなく、百科事典という趣旨に合致する情報だけが記載することを認められる、ということですが、この文書は、項目が扱う主題についての信頼できる情報が全くないか、あってもそうした趣旨に合致しないものしかない場合には、そういう項目は立ててはいけませんよ、ということを定めているのだと思います。--sergei 2010年6月30日 (水) 15:51 (UTC)
それはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんが何をリンク先とするかの問題であり、結局は解説文書としての存在意義に帰着すると思います。--Jms 2010年6月30日 (水) 16:47 (UTC)
sergeiさんのおっしゃってる見識は「Wikipedia:特筆性」にとって本質的な存在意義でしょう。Wikipedia:検証可能性にしたがっていれば発生してしまう隙(すき)について、具体的に編集者が経験する困った問題についてWikipedia:特筆性は扱おうとしていると思います。検証可能性があり、中立的で信頼できる情報源から適切に引用していても、ちょっとどうしたらいいのか迷うような項目は結構ありえますよ。たとえば千葉県船橋市船橋駅周辺についての情報を提供する記事。ドトールとかイトーヨーカドーとかあるわけですが(そもそもJRも私企業です)、こういった私企業の情報をWikipediaに掲載することは許されているのだろうか?広告宣伝にはならないのか。ドトールがゆるされるなら、10件隣の、知人が経営しているちいさな喫茶店を掲載してはいけないのか?(参考[5])--大和屋敷 2010年6月30日 (水) 21:52 (UTC)
この節の冒頭に書いたことをお読み下さい。現在のWikipedia:検証可能性を前提として議論されても、前提条件が異なりますので話は噛み合いません。--Jms 2010年6月30日 (水) 22:03 (UTC)
冒頭の提案の追記部分に【】をつけさせていただきました。シンプルで良さそうですね。なるほど。--大和屋敷 2010年6月30日 (水) 22:18 (UTC)【】部分を補足説明するページとしてココを利用するのも折衷的で良さそうです。--大和屋敷 2010年6月30日 (水) 22:21 (UTC)
補足ありがとうございます。追加箇所は<ins></ins>で挟むべきでした。--Jms 2010年6月30日 (水) 23:39 (UTC)

削除基準としての特筆性(or 立項基準)

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「削除ありき」が気に食わないという方もいらっしゃるようですが、例えば以下のような項目(人物)の記事は削除すべきでしょうか、削除せずにとっておくべきなのでしょうか?皆さんがどのように考えておられるのか、教えてください。

  • プロの音楽家。自分のオフィシャルHPを公開しており、それなりに信頼できる情報は取れる。しかし、第三者的な情報源ではほとんど言及されておらず、イベント等の参加者リストに名前が出ている程度。テレビドラマの音楽を担当していたりもするらしいが、オフィシャルHP以外ではその事実を確認できない。番組では制作スタッフのひとりとしてクレジットされていたのかもしれないが、今では確認不能。また、仮にビデオ等で確認できたとしても、それは1次資料だし・・・)
  • それほど有名でない大学の教授・助教授。研究室のHPあり。所属大学関係のメディアにいくつか論文を発表しているが、その論文について他の学者が大きく取り上げて言及した形跡はない。

--Dwy 2010年7月10日 (土) 17:58 (UTC)

「プロの音楽家」のケースも「それほど有名でない大学の教授・助教授」のケースも、求められている基準のうち「有意な言及」を満たしているとは言えないでしょう。--Jms 2010年7月10日 (土) 23:59 (UTC)
大学の教員関連で紀要はその大学の教員(あるいは出身者、大学院生)なら査読なしで投稿できます。当然、研究業績が紀要しかない教員は特記事項なしとみてもよいでしょう。(自費出版も同様)書籍でも共同執筆(人文社会科学、教育系限定)ともなるとどうかと。--hyolee2/H.L.LEE 2010年7月11日 (日) 01:41 (UTC)
コメント「削除ありき」というわけでもないと思うんですけれど。
Dwy さんの問いかけは、「求められる基準」に合致するかどうかではなく、コミュニティのひとりとして、これらを削除するべきかどうか、どういう資料があればよいのかを考えるために意見を問われているもの、ですよね。
例とされているプロの音楽家の場合、「テレビドラマの音楽を担当」ということまでは、おそらくJASRACのデータベースで確認可能です。では、テレビドラマの音楽を担当していたら、立項でききるのか、というと、それは「ドラマの音楽」あるいはそのドラマはの重要性に依ると思います。もっとも、「ドラマはほとんど話題になっていないけれど、その音楽は重要である」という場合は、その音楽、または「その音楽の音楽家」への言及がある情報源が得られるでしょう。重要なドラマであれば、そのドラマ自体への言及はあるでしょうが、そこで音楽について特に言及した情報源が見つかるとは限らない。ただ、たとえば、NHKの大河ドラマの音楽担当者ならば、網羅的に記事があってもいいような気もします(なくてもいいですけど)。
「それほど有名でない大学の教授・助教授」の場合、研究業績が紀要であれ、査読付きであれ、その業績をウィキペディアンが評価して立項可能とする、というのは、このガイドラインが求めるものではない。その業績を取り上げた二次情報源が必要である、と。ただ、それはそれで、専門的な分野では難しいこともあると思います。たとえば「教授」ということで、網羅的に立項基準を満たすとしてしまうというのも、方法論としてはありではないかと(そうしなくてもいいですけど)。

これは、たとえば、日本あるいは各国の地方自治体や小惑星のような、おそらく言及している情報源はあるだろうけれど、それを探すのは容易ではなく、ある程度の網羅性が望まれるような記事群についても同様です。著名な音楽家や作家の作品記事なんかも、そうなるかな。

つまり、この文書にある「一般的なガイドライン」が有効に機能しない場合もある、ということだと思います。だからこそ、各分野ごとのガイドラインがある、のだと思うのです。あるいは、本来分割元の記事に含まれるのが自然だけれど、分量の都合で分割によって作られた記事で、整理によって収集をつけることができない場合などは、元記事が立項基準を満たすかどうかで評価する、とかいう基準を作る必要があるのだろう、と。
「特筆性」と呼ばれるものを評価軸とする「立項基準」で、特に問題となるのは、ウィキペディアに掲載することで知名度/特筆性/著名性を上げたいと考えて記事が作られるようなもの、それと当事者は限定的な活動を意図しているにもかかわらず、百科事典の記事として広く知られてしまうことで支障が生じるような場合、あとは、記事の主題にはそれほど書くべきことがないが、特定の事件などで批判的な記述の集積所となってしまうような場合などが考えられます。特に存命人物、企業、これらと関連する商品、新しい概念や用語などは、抑制的な基準が必要となるでしょう。
他方、査読付きの学術誌が使えないような分野でも、その分野での「信頼できる情報源」というのはあるだろうし、分野ごとの事情はいろいろあると思う。それらは、「一般的なガイドライン」をベースにしつつ、(できれば)プロジェクトごとで作業しないといけないと思うんです。あまり自分たちに甘いものでも、困るけれど。この文書が正式化したとしても、既存の記事群への適用を即座に行なうべきではないだろう、と。あと、ケースEを理由とした削除依頼なんかは、加筆や情報源の提示を促すようなテンプレを作ったほうがいいのかなとも思っています。--Ks aka 98 2010年7月11日 (日) 07:33 (UTC)
  • Ks aka 98さんのコメントを拝見して、特筆性全体の抱える問題点についてみなさまでお考えいただけますと幸いです。各分野ごとの合意(各分野ごとの特筆性、ではない)は全体での位置づけが未定義に思います(どこかで既出?)のであくまで特筆性の基準補完のために設置されているものと追記したほうがよいと考えるのですが、いかがでしょうか?特筆性未満の記事作成に思えるが、各分野ごとの合意が何か方針やガイドライン以上の定義を行なっていると考えられる場合についてです。
  • 削除依頼のケースEの場合、提示を求める案について既に特筆性や要検証のテンプレートを使用されているように思います。何かを新設するよりも、未検証や特筆性未満の疑いのある記事の場合、どの程度の検討期間が付与されるか、こちらを考えて示したほうがよいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?未検証のままでどのくらい保持しておくかという期間です。
  • 次に図書館等を当たって情報を探すということをよく行なうのですが、特筆性があるという証明は何かの文献を提示しそちらに有意な言及があることを示せばよく、またそれは特筆性がある場合比較的見つけやすいのですが、特筆性が無いという証明は難しいです。このような取り上げ方がされていないからほぼ無いだろう、との方法で代用させていただくことがありますが、内容によっては詳細をコメントに書いたり示したりして表せないことがあります。また、削除依頼などでは特筆性が有る・無いに関わらず、微妙な情勢でどのような点に特筆性があるかの背景や詳細が示されていないことが多いことが問題で難しくしている一因だと思います。特筆性があるから存続だ、で特に微妙なケースならば背景情報を記載するようにガイドライン内で言及されれば閲覧者の理解が得られやすいのではないかと考えています。--Degueulasse 2010年7月11日 (日) 08:35 (UTC)
(位置とインデントレベルが微妙だけれど、とりあえずここに。必要があれば適宜移動されたし) 「特筆性全体の抱える問題点」という意味では、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの範疇のことはそちらで、ということに尽きるのではないでしょうか。Wikipedia:特筆性は、突き詰めて言えば、かくかくしかじかの条件を満たす言及があれば「特筆性」がある (と推定する)、ということであり、そこから言えるのは、「特筆性」が (あると推定でき) ないならばかくかくしかじかの条件を満たす言及は存在しない、です。そこを、かくかくしかじかの条件を満たす言及がないから「特筆性」はない、とやってしまうのは論理的には誤りでしょう。条件を満たす言及が存在する場合以外は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの問題であって、Wikipedia:特筆性の対象範囲ではないと思います。また、条件を満たす言及が存在しても、結局はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかで判断する事になりましょう。--Jms 2010年7月11日 (日) 08:56 (UTC)
こちらで分かりやすくてよかったです、ありがとうございます。いくら網を張っても範囲外のケースは多く見られまして、特筆性が無い・あるで議論が分かれてしまうことは現実的に散見されますが、このような紛糾した場合においてJmsさんが特筆性が無いと考えるお立場の場合いかがすべきとお考えでしょうか?俗に「ないことの証明」をどうするかという話で、おっしゃることは念頭においてですが。判断する方が判断に困らないように背景情報は提示されることが望ましいことではないのかという主題です。特筆性をある、と主張する側が示す、と規定されていいかもしれませんね。--Degueulasse 2010年7月11日 (日) 09:09 (UTC)
Wikipedia:特筆性の範疇で「ないことの証明」は必要ないと思います。前述の様に、Wikipedia:特筆性で要求される言及を提示できない場合について、Wikipedia:特筆性は何かを示せる訳ではないと思います。「特筆性が無いと考えるお立場の場合」というのはどういう意味でしょうか、Wikipedia:特筆性の要求を満たさないならば記事として認めない、という立場でしょうか。その立場は論理的に誤りだと思います。ある記事がWikipedia:特筆性の要求を満たさないならば、次の段階としてWikipedia:ウィキペディアは何ではないかならびに記事内容について検証可能性を満たす資料が提示されているかどうかという判断になるでしょう。「何ではないか」のいずかに該当するか、検証可能性を満たす資料が全く提示されない (いわゆる「アップルパイ」は別としても) ならば存続は難しいでしょうが、加筆可能かどうか一定期間様子を眺めることは当然あるでしょう。このあたりの匙加減は分野、記事内容、執筆者数に大きく依存するでしょう。--Jms 2010年7月11日 (日) 10:01 (UTC)
ここでは論理について判断しているのではなく、現実的に起きている状況を現実に即してどう定義するか?ですので、そういうことならば、意見を異にするものではないですね、よかったです。特筆性がある、と主張する側が検証可能性を満たす特筆性について有意な言及を示した資料と提示すると規定すればいいですね。
次にさじ加減ですが、特筆性未満が疑われる記事についてどの程度期間を置くことが適切でしょうか?--Degueulasse 2010年7月11日 (日) 10:15 (UTC)
期間についてはすでに述べた様に分野、内容、執筆者数に依存するので、一概には言えないでしょう。分野ごとのなんとなくなコンセンサスによるしかないでしょう。--Jms 2010年7月11日 (日) 10:29 (UTC)
コメント 第三者的な言及がない音楽家などは作成されるべきではないかと。HPに名前がクレジットされるだけでは、その人物に対しての世間一般的な評価が全く示されていないからです。原則は、業績について有意な形で言及した二次情報源が示されたほうがよいです。特筆性の問題よりも検証可能性と中立的な観点がクリアされない点が気になります。--Degueulasse 2010年7月11日 (日) 08:35 (UTC)
Jmsさんは論証上の裏と逆について問題提起されているわけですね?--大和屋敷 2010年7月11日 (日) 09:55 (UTC)
問題提起というよりは、論理的に誤りであると述べているだけです。問題にすらならないと思います、当然のことですから。--Jms 2010年7月11日 (日) 10:01 (UTC)
「全ての記事はその扱っている主題に特筆性があることを証明しなければならず、その基準を満たせない記事は削除されます。」と定言命題として提示してありますので問題ないのじゃないですか?(Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事)--大和屋敷 2010年7月11日 (日) 10:07 (UTC)僕はJmsさんの本質的な懸念がわからないわけじゃないんです。つまり日本の道路一覧にかかわる一連の記事、日本の住宅団地一覧にかかわる一連の記事、日本の鉄道駅一覧に関わる一連の記事など、ヘタすれば大半が特筆性に関与する可能性があるからです。他にもきっとイッパイあるのでしょう。そういった記事の特筆性の取り扱いと無名インディーズバンドの広告宣伝の特筆性を「一網打尽」で解決しようとするのはほとんどムリに見えます。そういった多様なWikipedeiaの現実を持ち寄った上で「誰もが不愉快な」広告宣伝のみに死刑宣告を与える方策はあるのじゃないかと僕は考えている派です。--大和屋敷 2010年7月11日 (日) 10:14 (UTC)たとえば目的・効果基準を導入することが可能です。地名や駅名などを「広告宣伝」の目的・効果基準から判定すれば、あきらかにその目的に該当しないため「特筆性(むしろ、もはや特筆性とは呼ぶべきではない立項基準)」をクリアしているとWikipediaコミュニティが合意できる可能性があります。--大和屋敷 2010年7月11日 (日) 10:19 (UTC)
Wikipedia:特筆性が規程する「特筆性」を推定するある方法は、「特筆性」を示す唯一の方法だと規程されている訳ではありません。ある推定方法が、唯一の方法であるかの様に運用しているとしたら、それは運用の問題でしょう (その場合、誤解されやすい文書ではあるかもしれませんが)。おっしゃる様な一網打尽は、もし可能なら、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、特に、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんの仕事だと思います。--Jms 2010年7月11日 (日) 10:29 (UTC)
何言ってるかわからん。
「Wikipedia:特筆性」は、立項の基準なんだから、その要求を満たさないなら、「記事として認めない」ですよね。
資料によっては検証可能性を満たしていても、「特筆性」を満たさなければ記事として認められない。特筆性を満たしていても、「何でないか」によって存在が認められない記事もある。
かくかくしかじかの条件を満たす言及があれば「特筆性」がある (と推定する)」、ということなら「かくかくしかじかの条件を満たす言及がないなら今のところ「特筆性」はない」です。
さじ加減というのは、一般的には、満たさないかどうかははっきりわからないけど満たしそうなんじゃね?というものを、その段階で「満たさない」ということにはしない。だとしても、将来満たすことになるかも知れないじゃないか!という反論は相手にしない、最終的に「満たさない」の証明はなかなかできるものじゃないので、「特筆性未満が疑われる記事」については、まあ見込みに応じて適当にやりましょう、ということになると思います。「今のところ」が効いてくるという意味では、要出典の記述をいつ除去するか、と同じようなもの。これは運用レベルの問題。
で、「日本の道路一覧」や「日本の住宅団地一覧」なんかは、ある程度類型として(ここでは一覧記事、でしょうか))、一網打尽にするか、対象外にするかを考えることはできる。「インディーズバンド」には、「無名」のものの「有名」なものもあるから、それは分野ごとのガイドラインにある程度委ねてもいいじゃないですか。詳しい人の間で、一定の合意が得られることは期待できる。これらは、できる範囲で文書化しておくほうがいいこと。--Ks aka 98 2010年7月11日 (日) 11:31 (UTC)
かくかくしかじかの条件を満たす言及があれば「特筆性」がある (と推定する)」ということなら「かくかくしかじかの条件を満たす言及がないなら今のところ「特筆性」はない」、というのは論理的に誤りです。「Wikipedia:特筆性」が求めるのは、主題の「特筆性」が検証可能で客観的な証拠によって示されることです。「有意な」「対象と無関係な」という要件は、信頼できる情報源に加えてそれを満たしていれば「特筆性」があると推定しようということであって、基準についてそれ以上のことは「Wikipedia:特筆性」には書かれていません。推定要件を満足しないが「特筆性」が検証可能で客観的な証拠によって示される可能性を「Wikipedia:特筆性」は排除していません。たとえば比較的珍しい (しかしマスコミがとりあげる様なものではない) 新種生物の記載が記載論文 (査読つき) しか存在しない場合、記載者本人が当該種を記載している以上「対象と無関係な」文献とは言えませんが、「特筆性」において問題があるとは考えないでしょう。分野ごとのガイドラインに委ねるというのはすでにそうなっているので前提としています。--Jms 2010年7月11日 (日) 11:59 (UTC)
じゃあ、ここではその「論理」を持ち出すのが間違いだ、とでもいいましょうか。特筆性なり立項基準なりって言うのは、ひとつの線を、多少破れていてもゆがんでいてもひいておくことで「基準」を作るってのが目的の文書でしょう?まあ、どうでもいいけど。
たとえば比較的珍しい新種生物の情報源が投稿者自身が報告した査読付き論文しか存在しない場合、記載者本人が当該種を記載している以上「対象と無関係な」文献とは言えませんが、「特筆性」において問題がないとは言い切れませんよね。ウィキスピーシーズなら問題はないでしょうけれど、ウィキペディアはすべての新種生物を掲載するものではなく、関連する種や上位概念の中で触れるべきかもしれません。査読論文において取り上げるに値するかどうかの判断は、新種であることで足りるのでしょうから、この特筆性の文書が考えている信頼できる情報源とはいくぶん違いがあると考えるのが、妥当だと思いますよ。これがコミュニティ全般に受け入れられるかどうかはわかりませんけれど。これが、新たな社会学や経済学の概念で、ある論文でその概念を提示した。その執筆者がウィキペディアでその概念の記事を立項することは、排除されるべきと考える人も多いのではないでしょうか。だとすると、これは分野によって異なる類のものですね。--Ks aka 98 2010年7月11日 (日) 12:15 (UTC)
もし、対象と無関係な信頼できる情報源での有意な記述の存在を絶対条件とするならば (そういう立場はもちろんアリでしょう)、「特筆性」があると推定する、ではなく、「特筆性」を示すにはその条件が必須だ、と書くべきでしょう。現行の書き方では、線を引いているというよりは、帯を示していると思います。「比較的珍しい」と制限してあるのを「すべての新種生物を掲載する」と拡張して反論されても対応に困ります。--Jms 2010年7月11日 (日) 12:31 (UTC)
このガイドラインが定めるのはある一定の基準であって、合意形成を助ける範囲のものでしょう。現実の運用としては、編集者同士の合意が尊重されるべきです。このことは明文化したほうがいいと思います。また、そのプロセスについても言及する必要があるかもしれません。つまり、特筆性に疑義があるときはどうやって議論を提起するべきか、ということです。具体的には、{{特筆性}}を貼り付けた上で、ノートで情報源を求める。不幸にも長期間にわたって情報源が提示されない場合、削除が検討される…といった具合になるでしょうか。--有足魚 2010年7月11日 (日) 14:59 (UTC)

用語間の関係

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コメント ある主題xに対して、「R(x):xに対して、対象と無関係な(略)有意な言及がある」と「I(x):xを主題とする記事を作成してよい、xは立項基準を満たしている」「N(x):xは特筆性がある」の間の論理的関係の理解にずれがあるように思います。

現在の版差分における解釈では、導入部で「特筆性は立項する記事の基準」と言っているので、これは∀x N(x)⇔I(x)・・・(1)を意味していると考えてよいと思います。 一方、WP:N#一般的な特筆性のガイドラインの、特に「推察できる」の部分に注目すると、まず「有意な言及は、特筆性に対する推定であるが保証でない」と言っているので、これはつまり「有意な言及があるもの全部に特筆性がある、とまでは言わない」と言い換えて、すなわち¬(∀x R(x)⇒N(x))≡∃x R(x)∧¬N(x)≡∃x R(x)∧¬N(x)・・・(2)であることを意味すると考えられます。 ちなみに、次の文では、「合意がある記事などの場合、基準を満たしているが立項できないことがある」と述べていますが、これは∃x R(x)∧¬I(x)となり、単純に(2)に(1)を代入したものに過ぎません(新しい情報は追加されていません)。

ここで「立項基準」とは何かを考えてみると、これは、「この条件を満たせば、立項してもよい」を規定するものであると考えられるので、つまり∀x P(x)⇒I(x)となるような述語P(の集合)であることが分かります。一方、「削除基準」を考えると、これは逆に「この条件を満たせば、立項してはいけない」すなわち∀x Q(x)⇒¬I(x)となるような述語Q(の集合)と考えられます。 ところで、(2)と(1)から¬(∀x R(x)⇒I(x))なので、RはP(の集合に属する述語)ではないことが分かり、つまりは、「有意な言及があること」は「立項基準」(の一つ)ではないことになります。一方、削除基準に関して言えば、ここでは全く触れられていない、つまり、「有意な言及の有無」は「削除の基準」なのかそうでないか不明であることになります。 一方、恒等式の∀x I(x)⇔I(x)と∀x ¬I(x)⇔¬I(x)のそれぞれ前件に(1)を適用すれば、「特筆性があること」は「立項基準」ですし、「特筆性がないこと」は「削除基準」です。

以上から、現在の版では、

  • 「有意な言及があること」は「立項基準」ではないし、「有意な言及の有無」が「削除基準かどうか」は不明
  • 「特筆性があること」は「立項基準」であるし、「特筆性がないこと」は「削除基準」でもある

という結論になるかと思います。前者を解説すれば、「有意な言及がある」ということだけで絶対に立項できるものではないし、そして「有意な言及がない」ということだけで削除すべきかどうかを判断ができるのかどうかについては、このページでは説明していないのだと考えてよいと思います。 ですから、もし「有意な言及」と「削除基準」を関連付け(たい|るべき)という場合は、それに関する新しい提案をしてその文章を組み込む必要があります。--青子守歌会話/履歴 2010年7月11日 (日) 14:32 (UTC)

  • みなさまを混乱させるような例を持ち込んだ者として申し訳なく思います。恐れ入りますが、改善提案にて現行案を改善しようかとの議論が進んでいますので、現在の版ではなくそちらの内容に即してご検討いただいて議論を進めていただけますと幸いです。--Degueulasse 2010年7月11日 (日) 14:58 (UTC)
◆現行「推定できる」の部分 (「推察できる」は見当たらず) には、複数の事が書かれていると思います。推定そのもの、すなわち R(x)⇒N(x) という含意と、付加条件である ∃x N(x)∧¬I(x) です。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの例示が後者にあたります。注釈にあるのは R(x) に関する制限でしょう。「特筆性がないこと」は「削除基準」とは言えますが、 ∃x N(x)∧¬I(x) なので「特筆性があること」は「立項基準」であるとは言えないと思います。本当は ∀∃ではなく◇□で議論しなければならない気が…。 --Jms 2010年7月11日 (日) 22:57 (UTC)
コメント 現在の版ではこういう状況であるということを認識した上で改善提案を眺めることも重要ですし、まとめることで「ここをこう変えるんだ」ということも提案しやすくなるはずです。「推定できる」(推察はtypoでした)については、私も少し悩みましたが、言えるとするなら∃x R(x)⇒N(x)ぐらいかなとは思います。∃x N(x)∧¬I(x)に関しては、私は文章中にその文を見つけられないのですが、どこでしょうか。「この基準」は「(略)有意な言及」のことだと思いますし、冒頭で∀x N(x)⇔I(x)と言っているところからすると、∃x N(x)∧¬I(x)を認めれば矛盾となっているように思います。まぁ、そもそも現在の内容が矛盾したことを言っているとか言う可能性もありますのでこの辺りでやめておきますが、ガイドラインを新しく作る(改善する)にあたっては、この3つ(あるいは更に新しい述語を含めて)の論理関係を、ある程度ははっきりさせる(少なくとも矛盾したことは書かないようにする)ことも検討すべきと思います。様相論理は公理系がめんどくさいので・・・w。--青子守歌会話/履歴 2010年7月11日 (日) 23:51 (UTC)
∃x N(x)∧¬I(x) は「この基準を満たしていても、編集者の間で合意形成がなされて、収録にふさわしくないとされることもあります。」です。逆に、導入部で「特筆性は立項する記事の基準」と言っている、というのが見つからないのですが、「ウィキペディアにおいて特筆性(notability)とは、百科事典にふさわしいものとして、ウィキペディアに収録する記事の基準を定めたものです」のことでしょうか。もしこれだとすれば、確かに ∀x N(x)⇔I(x) と述べていますが、その一方で ∃x N(x)∧¬I(x) と後節で述べているので、この文書全体としては矛盾していることになりますね。--Jms 2010年7月12日 (月) 10:30 (UTC)

叩き台「収録項目の基準」

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どうやら強い反論もないようなので、利用者:Ks aka 98/nをWikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」へ移動しました。叩き台にしてください。

Wikipedia:井戸端/subj/特筆性が未だに草案のままである理由で書いたとおり、経過措置みたいなものが必要だと思っています。これについても、おおむね似たようなことを考えている方が多いようですので、いくらかでも具体化できればいいと思っています。--Ks aka 98 2010年7月11日 (日) 18:47 (UTC)

叩き台の提供ありがとうございます。改善案「一般的なガイドライン」冒頭では、要件を満たす言及があるなら「単独記事としての収録基準を満たすと推定」とあり、推定できるという表現の説明では「単独記事として収録するにふさわしい基準の1つをクリアしている…あくまで、1つである…他の方針に合致していなければ…」とあります。これはわかりにくいと思います。「推定」の意図としては、要件を満たす言及の存在が単独記事の最低限の条件、ということでしょうか、それとも、(現行Wikipedia:特筆性がそうも読める様に) 単独記事の要件を満たすやりかたにはいくつかあって、要件を満たす言及の存在はそのひとつ、ということでしょうか。ここでいう「要件を満たす言及の存在はそのひとつ」というのは、他の方針との論理積であるという意味ではありません。(要件を満たす言及がある、または、何らかの方法で相当する事を示せる) かつ (他の方針に反していない) という事か、という意味です。改善案の「一般的なガイドライン」冒頭文は、「取り上げる価値があるなら…有意な言及がある」という構造になっており、その対偶は「有意な言及がなければ…取り上げる価値はない」なので、「要件を満たす言及の存在が単独記事の最低限の条件」という意図かと思います。それならば、「そうした言及が得られる場合、その項目を単独記事としての収録基準を満たすと推定します。」を「そうした言及の存在は、その項目を単独記事としての収録する最低条件です。」、あるいは、「その項目を単独記事としての収録するには、少なくともそうした言及が存在しなければなりません。」としてはどうでしょう。--Jms 2010年7月11日 (日) 22:28 (UTC)
コメント 前提条件として、「一般的なガイドラインか、各分野のガイドラインの、どちらかを満たしていること」ですよね。そして、各分野のガイドラインは、一般的なガイドラインを満たしているとは限らないことを考えると、単純に「有意な言及がなければ…取り上げる価値はない」(あるいはそれと恒等なこと)を述べるだけではまずいような気もします。少なくとも「有意な言及がない∧どの分野のガイドラインも満たしていない⇒収録すべきでない」という形式に持っていった方が良いように思います。と、ここまで考えて、「収録項目の基準」という観点から書くのであれば、やはり現在の版のような「有意な言及」のみを主体として説明するような書き方ではやりにくいような気もしてきました。ちょっと数日中にそのあたりを含めた草案を私なりに書いてみます。--青子守歌会話/履歴 2010年7月12日 (月) 00:11 (UTC)
コメントWikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」#ガイドラインを満たしていない記事のセクションについての意見です。全般に主語「誰がするか」が書かれていないのが気になります。「自身」という表現が用いられているところがありますが,これも誰を指しているのかがあいまいです。また「削除されます」というように受身で表現している箇所があることもやはり主語「誰がするか」をあいまいにしていると思います。Suzukitaro 2010年7月21日 (水) 15:24 (UTC)
コメント率直にいってピンときません。冒頭にある一文「ウィキペディアは百科事典であり、検証可能性を満たし、独自研究を避け、中立的な観点から書かれていることが求められます。これらの方針を満たした記事が書けないのならば、その主題は、単独の項目にすることはできません。」からして特筆性と関係あるのでしょうか。また「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源」ですが、具体的にどういう情報源が必要になるのでしょうか。出典中に「有名である」「重要である」というような文言が入っていないとダメということなのでしょうか。「推定されます」は、「特筆性要件についてはクリアしている」とか判り易く記述すべきです。本件は特筆性に関してのガイドラインなのですから、他のガイドラインからは独立し、特筆性有無の基準をはっきりと示せばいいと思います。特筆性については、ぶっちゃけ、公的な事象であり、信頼できる情報源での言及があれば特筆性は有り、ぐらいでいいんじゃないでしょうか。記事の分量が少なく、統合可能な記事があれば統合してくださいとかの但し書きを付けて。そもそもの特筆性ガイドラインの本旨は日常的な瑣末な記事を排除するということですから、それくらいで十分でしょう。--Arstriker 2010年7月27日 (火) 12:40 (UTC)
(追記)Wikipediaではどのような事柄が特筆性無しと判断されるのか、いくつか例示し、本ガイドラインへの理解を深めて貰うことも必要でしょう。--Arstriker 2010年7月27日 (火) 12:45 (UTC)
コメント 冒頭の説明は特筆性の問題の前に最初にこの問題を考えて、という提起に私には映りました。最初にこれが満たされている必要があります、ということですので特筆性の範囲と位置をを説明する上で書かれるものではないでしょうか。「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源」につきましては、有意な言及・情報源部で説明されているように感じます。公的な事象、とはどういう事柄を示すものでしょうか?--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 09:07 (UTC)
Arstrikerさんの問題提示は基本的に「内容に関する三大基準以外は不要ではないのか」という視座だとおもいます。そして確かにWikipediaの創造者によって要求されたハードコアは3大基準のみですので、これを公的基準としておけば他のガイドラインは不要といえば不要です。ガイドラインは色々な編集トラブル発生の際の視座(パースペクティブ)から切り取ったハードコアの記述のしなおしですので、あくまでガイドラインのガイドラインたるゆえんは「編集者に再確認してもらうための編集方針上での方向性(ガイドライン)」という位置づけであって、「あってはならないものではない」のではないでしょうか。「問題点の例示」を含める点についての提案は大賛成です、が、個別論については個別のガイドライン(Wikipedia:特筆性 (音楽)など)に譲っても良いかもです。--大和屋敷 2010年7月31日 (土) 10:39 (UTC)
ありがとうございます。大和屋敷さんのご解釈とは違うように思いますのでArstrikerさんを待ちたいと思います。後段につきましては、元のen:Wikipedia:Notabilityでも冒頭にて触れていますので記述すべきものであり、これは記述のなされ方の問題であってトラブル発生の際の視座に限定されるものでもないように思います。--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 12:00 (UTC)
冒頭の説明ですが、執筆者がこのガイドラインを参照するときは特筆性に対する方針を確認したくて参照するのだと思います。そこで「特筆性の問題の前に最初にこの問題を考えて」というのはどういうことでしょうか。その他の方針を確認するのは当該の方針文書を参照すれば良いのであってそれが最善のはずです。「特筆性の範囲と位置を説明する」というのは必要であると思いますが、それならばもっと文を工夫する必要があると思います。現状の文で特筆性の位置、範囲というか特筆性との関連は読み取れません。「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源」の説明が有意な言及、情報源部でなされているとも読み取れませんでした。”有名、重要”=”有意な言及がある”というのはどうも違うような気がします。公的な事象は私的な事象の対義語として用いました。私は特筆性は十分尊守されるべき方針となりうると思いますが、それは近所の八百屋の特売セールだとか、一般人の来歴だとか極めて公的度合いの低い事象に対してのみ適用されるべきと考えております。その是非はともかく、現状の記述ではそこら辺の閾が曖昧になっている為、無用の混乱を抑える為にも公式方針に格上げする際には可能な限り明確化すべきであると思います。--Arstriker 2010年7月31日 (土) 12:29 (UTC)修正--Arstriker 2010年7月31日 (土) 12:31 (UTC)
どういうことか、に対する回答ですが、en:Wikipedia:Notabilityをご覧ください。ウィキペディアの情報は検証可能でなければならないと説明が始まります。それに対応したものが冒頭の説明にあたるものだと思います。リンクを貼り、参照したい方の利便性を考慮して設計されているように思います。Arstrikerさんの希望される内容と矛盾するものでは無いように思いますがいかがでしょうか?
対象が思想・事象・歴史・物品・組織・個人など広範にわたるでしょうから主語を限るのは難しいと思いますがあえて何かつけて理解するとしたなら、「(何らかの業績を残したことで何らかの発明として何らかの事柄でなど)有名であったり重要であったり」という理解になると思います。文章として何かしらいい言葉があれば補足することはよいことだなと感じました。
”有名、重要”=”有意な言及がある”、の点ですが”有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源”=”有意な言及がある”だと思います。
「近所の八百屋の特売セールだとか、一般人の来歴だとか極めて公的度合いの低い事象」の点ですが、これは例であるとしても閾値が低すぎるように思います。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかや百科事典であることを考えれば、閾値はそこよりはかなり高い点に設定されるものだと思います。--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 12:56 (UTC)

(インデント戻し)英語は得意ではないのですが、冒頭の部分を訳してみました。間違ってたら教えてください。

ウィキペディアにおける特筆性とはその話題が記事に値するかどうかを決します。ウィキペディアでの情報は検証性可能性を満たしていなければいけないのは勿論、もしその話題に関する信頼できる第三者からの出典がない場合、個別で立項されるべきではありません。ウィキペディアにおける特筆性の概念は、「話題に関する見境のない言及を避ける」という基本方針を適用するものです。記事の話題は著名であるか、"知るに値する"ものでなければなりません。特筆性の決定は、必ずしも、有名であるとか、重要であるとか、人気があるとかに依存するものではありませんが、下記に述べるガイドラインにマッチしたそれらは内容の満足度を高めるはずです。

検証可能性を満たしていなければならない、とは出てきますが、それは特筆性を説明する都合上触れているに過ぎません。現状提案されている文章とは明らかにニュアンスが違います。
あとですね、「有名であったり、重要であったり」ですが、私は別に主語を詳らかにせよ、とはいっておりません。その基準があいまいで恣意的な濫用を惹起する可能性を指摘しているのです。『”有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源”』とは具体的にどのようなものですか?その基準に達しないものは具体的にどのようなものですか?閾値が低すぎるというのは結構ですが、きちんとした閾を明示しないのはまずいでしょう。あいまいなまま公式ガイドライン化すれば恣意的に濫用など、無用な混乱を招きませんでしょうか。--Arstriker 2010年7月31日 (土) 14:09 (UTC)

改善案Wikipedia:Notabilityも検証可能性を満たしていなければならないよと言ってるようなのですが。ニュアンスが違うように感じられるとしたら、「ウィキペディアは百科事典であり、検証可能性を満たし、独自研究を避け、中立的な観点から書かれなければなりません。」くらいに語調を強めるべきでしょうか。明らかにニュアンスが違うほどの問題には思いませんでした。
次に「”有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源”」とはその事柄によって異なってくると思います。英語版を参考にしますと、まず一番先頭にWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:出典を明記するWikipedia:中立的な観点のような各方針を参照せよという説明が出て、ウィキペディアに適さないものを除いていますので、この文面でもそのような説明がなされてもいいかもしれませんね。
また各特筆性の(ウェブ)・(音楽)・(人物)・(組織)・(書籍)が、そのような惹起しそうなものについて規定される場所に思います。例えば英語版にはWikipedia:Notability (sports)があるのですが、相撲の力士は十両以上に特筆性があるとみなしている模様です。特筆性が問題になるような記事のうち、上に挙げたジャンルに入らないもので、Arstrikerさんが本ページに記述すべき対象があるとしたなら、それは具体的にどのようなものをお考えですか?--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 14:49 (UTC)
英語版には”These notability guidelines only outline how suitable a topic is for its own article. They do not directly limit the content of articles. For Wikipedia's policies regarding content, see Neutral point of view, Verifiability, No original research, What Wikipedia is not, and Biographies of living persons.”とも書かれていますよね。これには、中立性、検証可能性、独自研究禁止、ウィキペディアは何ではないか、存命人物の伝記についてについては該当箇所を読め、と書かれており、特筆性ガイドラインでは説明しないとしているようですよ。どうも忠実に英語版を和訳したものを公式ガイドラインとした方がいいんじゃないかと思えてきました。--Arstriker 2010年7月31日 (土) 15:25 (UTC)
(Arstrikerさんの2010年7月31日(土)14:09(UTC)投稿の翻訳についての意見です)「notability」が辞書に載っている単語であるのに対して,「特筆性」はWikipedia内だけで通じる造語に過ぎません。「notability」の訳語は「著名」なので最初の文「On Wikipedia, notability determines whether a topic merits its own article.」は「Wikipediaにおいては,著名であるかどうかによりある話題が独立した項目に値するかどうかが決まります。」と訳するのがよいと思います。私は「特筆性」という言葉は封印したほうがよいと考えています。このプロジェクトページの項目名の是非について他のセクションで話題になっているのでそちらもご覧下さい。Suzukitaro 2010年7月31日 (土) 15:43 (UTC)
Wikipedia:Notability改善案も当ページ内で内容を説明しているものではないように思います。該当箇所を読めについてはリンクかSeeで誘導すればいいですね。「英語版から翻訳」の点ですが、当初仰っていた「特筆性については、ぶっちゃけ、公的な事象であり、信頼できる情報源での言及があれば特筆性は有り、ぐらいでいい」と大きな格差があり、整合性がとれないように思います。英語版を翻訳されてご覧になるか、一度議論の流れを把握していただくかして整理されてみてはいかがでしょうか。--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 15:49 (UTC)
Suzukitaroさん、ご指摘ありがとうございます。「特筆性」という言葉については別途コメントしたいと思います。Degueulasseさん、私の基本的な考えは当初述べたとおりです。英語版からの忠実な翻訳が良いように思えてきたというのは下手に手を加えるよりかは良いだろうという妥協です。ですが、仰られていることも尤もです。ちょっと英語版の方をじっくり見てみることにします。--Arstriker 2010年7月31日 (土) 16:10 (UTC)
ありがとうございます。--Degueulasse 2010年7月31日 (土) 16:31 (UTC)
ちょっときになったんですけれども、冒頭の文旨がピンとこない、ガイドライン名が日本語でない、英語版を訳して移入すべき、という提案はすべて過去に論じられているものですので、議論のさいにはまずは過去ログを一度読んで頂きたいです。Wikipediaコミュニティの問題とWikipedia編集者個々の問題意識は区別していただいて、個々の問題意識はご自身でリカバリしたうえで提案頂けないでしょうか。過去ログを読んだ者としての印象ですが、過去に議論の参加された方のほとんどがすでにWikipediaを去られているようですし、新規に議論に参加される方が散発的に来られるたびに同じ問題意識が堂々巡りで繰り返されているような気がしてなりません。個人的には「タイトル名がおかしくても」「記述があいまいでよくわからなくても」「英語版とだいぶんちがおうとも」まずガイドライン設立の目的を明確にして早く正式化すれば宜しいと思います。ガイドラインの目的は「広告宣伝はのせない(特筆点のない、検証可能性のない、信頼できる情報源が提示できない:情報)」「スーパーの特売品のチラシ情報はのせない(国会図書館レベルのアーカイブに保存され得ない、瑣末な、特筆点のない:情報)」であって、これはどうやら合意できそうだということなのですから。--大和屋敷 2010年7月31日 (土) 23:38 (UTC)
英語版の特筆性、及びいままでの議論をざっと読みました。まだ理解は十分でないかもしれませんが、どうしても気になるので敢えて書かせていただきます。現状の日本語版の叩き台、及び、草案(以降、日本語版)は英語版の昔の版を英訳したものをベースとしています。英語版は逐次改善が進行していると思うのですが、何故に最新版をベースとしないのでしょうか。具体的に指摘すると"Determining notability does not necessarily depend on things like fame, importance, or popularity・・・"とか"Notability guidelines do not directly limit article content"節の未反映です。全体的に、これは昔の英語版がそうだったからかもしれませんが、日本語版のハードルは英語版より高い印象です。現在の英語版では比較的基準が緩和傾向にあるように感じます。あと、どうも議論をざっと読んできた感じでは、Jmsさんと青子守歌さんが論じられているところが一番本質的なものに迫っているのではないかという印象です。青子守歌さんも草案を書かれると仰られているようですのでそちらも読んでみたいところです。--Arstriker 2010年8月1日 (日) 09:41 (UTC)
意見を仰るのはとても素晴らしいことだと思います。ただ同時に改善せよと仰るならばその部分の具体的な案が伴わないと改善に寄与しませんので、具体的な改善案を意見とセットにして出してください。実際には日本語版は英語版よりハードルが低いです。Wikipedia:Criteria for speedy deletionによりDeletion logを見るとArticles#A7により、記事にその主題の重要か重大な理由を含んでいないものは簡単に記事が削除される事情がご覧いただけます。このように英語版を参考にすると言えど、彼我で各方針が異なる事情がありますので一律にただ翻訳すればそのまま導入できるものではありません。議論の背景も読まれてご理解されるか、翻訳されてみて導入できそうな形で改善案のように示していただくかになさってください。なお、議論も進んでおりますので1週間の合理的な期間内にご提示がない場合は本改善案をもとに進めさせていただきます。--Degueulasse 2010年8月1日 (日) 11:20 (UTC)
彼我で方針が異なるとのことですが、上に挙げた"Determining notability does not necessarily depend on things like fame, importance, or popularity・・・"とか"Notability guidelines do not directly limit article content"節についてどのような事情により、反対の訳になっているのか、全く反映されていないのかご説明いただけますか。--Arstriker 2010年8月1日 (日) 11:52 (UTC)
or popularity—以降を参照してください。次に記事の内容はWikipedia content policy(en:Wikipedia:Article titles, en:Wikipedia:Biographies of living persons, en:Wikipedia:Neutral point of view, en:Wikipedia:No original research, en:Wikipedia:What Wikipedia is not, en:Wikipedia:Verifiability等)によって決定されると書いてある。いずれも当ページの規定する内容と同様であり、反対の訳ではない。すぐ後ろや下に説明の英文も書いてあります。ご不明な点があり改善されたい点をお持ちである場合ご自身で広範囲をお調べいただいて理解されるようお願いします。--Degueulasse 2010年8月1日 (日) 13:03 (UTC)

英語版では

『特筆性』の決定は必ずしも有名、重要、人気には依存するものではありませんが、以下に述べるガイドラインに沿った『特筆性』はWikipediaの内容を向上させるに資するものであるはずです。
と明記してあり、続いて

ある話題は下記に述べる一般的な特筆性のガイドラインを満たしている限り記事にするに値すると推定され、ウィキペディアは何ではないかにより除外されるものではないでしょう。また、ある話題が、もし右に列挙されている内容に特化されたガイドライン(en:Wikipedia:Notability (academics),en:Wikipedia:Notability (books),en:Wikipedia:Notability (criminal acts)...)を満たしていれば、同様に特筆性はあると考えられます。

更に

特筆性ガイドラインは、ある話題が記事とするに適切かどうかの概要に過ぎず、記事中の内容を規制するものではありません。記事中の内容についてのウィキペディアのポリシーについては中立性観点、検証可能性、独自研究禁止、ウィキペディアは何ではないか、及び、存命人物の伝記を参照してください。

と続いており、以上までが英語版特筆性の導入部の和訳となります。はじめの「『特筆性』の決定は必ずしも有名、重要、人気には依存するものではありませんが」(Determining notability does not necessarily depend on things like fame, importance, or popularity)は昔の版では「『特筆性』は有名、重要、人気といったものとは異なりますが、そういったものと正の相関関係を持つものでしょう。」(Notability is distinct from "fame," "importance," or "popularity," although these may positively correlate with it. )となっており、叩き台の「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源を提示することで、収録すべきかどうかの判断をします。」というのはこの昔の版に立脚、より強化したものとなっています。これは現状英語版の「~依存するものではありませんが」と明確に意図するところが異なったものとなっております。それと、『特筆性』が記事内容については規制しないという方針について何故に日本語版で反映されないのか分かりません。恐縮ですがDegueulasseさんの今回の「ご不明な点があり改善されたい点をお持ちである場合ご自身で広範囲をお調べいただいて理解されるようお願いします。」とのご回答は欺瞞にしか写りません。難しいことを聞いているわけではないのです、なぜ現状と意図が異なっている文章をガイドラインとして採用するのか、そして、なぜ『記事中不規制』については日本語版では触れないのか、合理的な理由があるのであれば簡便にご説明できるものと思います。--Arstriker 2010年8月1日 (日) 14:57 (UTC)

なぜ採用するのかについてはこれまでに至る議論を読んでください。また短文でさえAlthogh以下を省略した解釈をしてみたり、数日中にころころ意見を変えるあなたに、私が欺瞞と言われる覚えは全くありません。
あなたは上記でも自分の都合いいように途中から訳をして理解を妨げようとしています。「以上までが英語版特筆性の導入部の和訳」というのがまず誤りであり、本文では特筆性の内容について、まず検証可能でなければならないと始まり、「第三者による信頼できる情報源を持たない場合独立した記事を作成すべきではない。無差別な情報を含めないようにするために基準を適用する。記事の情報は、顕著なものであるか注目に値するものでなければならない。」などと、あなたが引用している長文の直前に書いてある。これが適用されると示してある。最初に各種方針により記事の情報を規制しているのです。ですからあなたの言う記事中不規制とは読解の誤りです。
Determiningからはじまる段落の意味も、「—以下に説明するガイドラインを満たすなら主題の容認可能性を増してよいけれども、人気や名声などによって特筆性が必ずしも決定されるものではない」くらいでしょう。だから総合しますと、改善案の「ウィキペディアでは、その主題が有名で、重要で、特筆すべきであり、百科事典に収録すべきだという、あなた自身の主張で判断するのではなく、—外部の信頼できる情報源を提示することで、収録すべきかどうかの判断をします」と合っています。特に強化されたものでもない。
部分部分読んで、議論の流れも読まずに、部分的な解釈をされるので、全体を読んでと言っています。--Degueulasse 2010年8月1日 (日) 16:26 (UTC)

感情的になられるのは勘弁して欲しいのですが・・・。当方にDegueulasseさんを評する意図はありません、ご回答が欺瞞に写ったので率直に申し上げたのみです。そして全く理解を妨げようとの意図もございません。今までに私が挙げた和訳は英語版導入部の和訳となっておりませんでしょうか。2010年7月31日 (土) 14:09、 及び、2010年8月1日 (日) 14:57 (UTC)に挙げています。あとですね、『記事中不規制』は英導入文の「These notability guidelines only outline how suitable a topic is for its own article. They do not directly limit the content of articles.」及び「Notability guidelines do not directly limit article content」節のことを言っています。Determining文もなぜ総合するとそうなるのですか。そういう「総合する」とかいう手心を加えることによる偏向が必ずしも良い方向にいかないと危惧したからこそ、そして当初の拙論が受け入れられないと感じたことから、妥協して、英文の忠実な和訳を採用すべしと意見を変えたのです。妥協したことを「ころころ意見を変える」などと評されるのは心外です。欺瞞というのがお気に触ったのであれば撤回します。もう少し落ち着いて冷静になってください。--Arstriker 2010年8月1日 (日) 17:18 (UTC)

どうも。改善案を書いたKs aka 98です。
忠実に英語版を和訳したほうがいい、というのは、ひとつの意見です。現在の特筆性の文書は、過去に翻訳されたものに過ぎず、新たな翻訳が提供されることは期待されます。ただし、これまで文書名として「notability」の訳をどうするか、というのが論争を招いていたものだということも、過去ログを読めばご理解いただけると思います。「著名性」「特筆性」いずれも不満があるようなところで、フランス語版などでは、それらに類する表現を用いていないということで、「収録項目の基準」と改め、それに合わせて本文の表現を改めたのが「改善案」です。
改善案について、まず「特筆性は一時的なものではない」は一通り織り込んであるつもりです。notability という文書名であれば、"does not necessarily depend on things like fame, importance, or ..."という文は必要だと思います。notabilityは、それほど一般的ではないようですが、notableやnotablyでは importance とかなり近い意味を持ちますので、このような文が必要ですが、「収録項目の基準」とすれば、わざわざ断る必要は薄いと考えました。「記事内容の特筆性」についても、「収録項目の基準」などの文書名なら必ずしも必要ではないと思いました。そもそも記事内容についての文書でないことは、明らかですので。もちろん、補足的に、念を押すための文を組み込むことはあってもよいと思いますが、急いでなんとかしないといけない内容ではないでしょう。「特筆性」という方針名にするのであれば、「記事内容の特筆性」についての言及は必要だと思います。--Ks aka 98 2010年8月1日 (日) 19:17 (UTC)
「These notability guidelines ―」の部分は、冒頭2行目の「百科事典であり、検証可能性を満たし、独自研究を避け、中立的な観点から―」と#一般的なガイドライン「他の方針に合致していなければ―」規定されて対応していると考えています。
「Notability guidelines ―」節に関しては2010年8月1日 (日) 13:03 (UTC)の版で「(英語版)記事の内容はWikipedia content policyによって決定される、当ページの規定する内容と同様。直後の説明の英文を読んで」と説明しました。
先に彼我は各方針が違うとも説明済みです。どの方針も現在の英語版のものを導入しようとする際には翻訳者が必要です。Arstrikerさんが忠実な和訳を採用すべしと意見を変えた、のであれば翻訳して対案を示してください。--Degueulasse 2010年8月1日 (日) 20:25 (UTC)
Ks aka 98さん、ご回答いただきありがとうございます。はじめに、私は”特筆性”というガイドライン名については意見を保留している状態です。ですが、ガイドライン名がなんであろうと、内容については英語版に沿ったものであるべきという考えです。そうしないのであれば、そこには確固たる理由が必要と考えます。何故ならば、英語版では『特筆性』が実際に運用されており、そこから得られる知見がフィードバックされていると考えるからです。つまり、英語版での記述には何らかの根拠があると推定される為、軽々と改変ないし省略すべきでないと考えます。例えば、日本語版でも『特筆性』ガイドラインが半ば慣行法のように運用されてる状況がありますが、記事内容について『特筆性』を問う意見もみられ、実際、記事内容について『特筆性』による削除依頼が申請、受理され審議を受けるという場面も経験しております。『収録項目の基準』とすれば、果たして、そのような申請を抑止することができるのでしょうか。私は甚だ疑問です。よって英語版との運用基準を明確に違える意図がない限り、例え少々冗長であろうとも英語版での記載は日本語版にも反映すべきと考えます。問題となっているDetermining文についてもはっきりと反映すべきです、と考えます。Degueulasseさん、「These notability guidelines only outline how suitable ・・・」の文の意味は、「『特筆性』ガイドラインでは、記事内容を規定しない、記事内容については別記各方針参照のこと」です。つまり、『特筆性』ガイドライン本文ではわざわざそれら別記各方針に違反しないでくださいとは直接書いてないんですよ。何故にわざわざ別記方針内容に違反しないでください、と直接書く必要があるんですか、別記があるのであるから別記参照でいいはずです、この手のドキュメントは普通冗長を排したそのような記述法になってると思います。
「彼我は各方針が違うとも説明済みです」とのことですが、方針が違うとは教えられていてもどのように違うのかは説明されておりません。そこまで仰るのであれば、是非にもお答え戴きたいのですが、「『特筆性』ガイドラインでは、記事内容を規定しない」を明記しない、のはどのような方針の違いに基づくのですか。それと「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源を提示することで、収録すべきかどうかの判断をします」という英語版にない記述を明記せねばならないのはどのような方針の違いに基づくのですか。そしてそれら方針の違いが日本語版でコンセンサスを得られていることを示す議論場所をお示しください。そちらを参照したいと思います。--Arstriker 2010年8月2日 (月) 01:28 (UTC)修正--Arstriker 2010年8月2日 (月) 01:33 (UTC)
「These notability guidelines―」のここの訳も「直接的には」が抜けてます。直接的にはしないが=間接的には規定する、とわざわざ断りを入れています。
私はArstrikerさんの言う英語版の忠実な翻訳をする案を支持する立場にはありません。彼我の各方針がどのように違うかは、2010年8月1日 (日) 11:20 (UTC)の中でCriteria for speedy deletion、Deletion log、Articles#A7を例に挙げてすでに説明しました。その他各方針の異なりはご自身でご確認ください。このように異なり、日本語版の方針を見て独自のものになっているものがありますし、翻訳して調整して導入する労力を理解しますので、英語版は参考に閲覧するが絶対的なものとは私は考えていないのです。
ここは日本語版の特筆性を検討するノートですが、英語版のNotabilityについて審議する場ではありません。説明済みの議論にいつまでも納得せず、翻訳を始められるつもりもないのだなと思います。翻訳して対案を示すならば、検討することにやぶさかではありません。--Degueulasse 2010年8月2日 (月) 05:36 (UTC)
英語版にある下記節の日本語版への反映を提案します。

収録基準ガイドラインは直接、記事内容を制限するものではありません。

収録基準ガイドラインはその話題がウィキペディアの独立した記事を持てるかどうかのみに適用され、記事中の内容について規制するものではありません。
記事中の内容についての問題についてはWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?や他の内容に関する方針(Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:検証可能性)によって規制されます。

(唯一の例外は、一覧記事において列挙する各記事の分量を、扱いやすい量に制限するか、それとも最大限記述するかについて執筆者間の合意が得られた場合です。当然、そのような一覧記事の内容は著名なものに制限されることになるでしょう。)

原文:en:Wikipedia:Notability#Notability guidelines do not directly limit article content--Arstriker 2010年8月2日 (月) 11:20 (UTC)リンク修正--Arstriker 2010年8月2日 (月) 16:34 (UTC)
英語版ではWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の最後から2番目の段落に書かれているような内容が、独立した節として非常に詳しく述べられています。上のような内容を加筆するのなら、参照してもらうべきWikipedia:中立的な観点の方を整備しておく必要があるでしょう。すでにDegueulasseさんから即時削除の方針の違いについての言及がありましたが、日本語版と英語版とでは他の文書との関係に細かい違いがありますので、この文書だけ英語版に合わせようとするのは無意味だと思います。--sergei 2010年8月2日 (月) 14:28 (UTC)
完全には整備されていないかもしれませんが、エッセンスは述べられていると思います。それに他方針の未整備を理由に本方針から削除するというのは本末転倒のような気がします。本方針で整備し、中立性の方も必要に応じて拡充していけばいいのではないでしょうか。それに本節は特筆性には6つしかない独立した節の一つとして設けられているものなので反映しないとするからにはそれなりの明確な根拠が必要と考えます。--Arstriker 2010年8月2日 (月) 15:35 (UTC)
英語版Notabilityでは「Articles not satisfying the notability guidelines」説で記事は特筆性を証明しなさいさもなくば一般的に削除されますよと言及しています。主題の特筆性は最低限記事内で言及されなければなりません。問題になる対象は特筆性の有無が不明のものだと思います。
Arstrikerさんがおっしゃっている「記事内容の特筆性」が示す内容とは、「記事内容がその主題を説明するものに相応しいかどうか」ということだと思いますが、そのような規定はウィキペディアは何ではないかの議論で行なっていただくべきものに思います。
おそらく、主題に対して百科事典的ではない内容しか書かれていないもので、主題の特筆性を説明できていなかった記事が削除依頼にかかっていたのを目の当たりにされたのではないかと思いますが、そのようなものに関する対応は削除の方針で議論を行なっていただくべきものであるように思います。--Degueulasse 2010年8月2日 (月) 16:07 (UTC)
えぇ、私もそう思います。つまり、本来、記事内容についての問題はウィキペディアは何ではないかなどの他のcontent policyを援用すべきであって収録基準(特筆性)を援用すべきではありません。従って上記を明記することで無用の議論を抑制できると考えます。--Arstriker 2010年8月2日 (月) 16:32 (UTC)インデント修正--Arstriker 2010年8月2日 (月) 16:34 (UTC)
よかったです。各方針にて議論をお願いします。
特筆性の有無は、記事が内容でその主題がどういうものであったかを示してくれていないと、判断できません。英語版Notabilityでも記事の内容が特筆性を最低限証明しなさいと規定しているところです。
訳に戻ります。「These notability guidelines―」説でdirectlyが抜けては、英語版Notabilityの「Articles not satisfying the notability guidelines」説は内容で主題の特筆性を証明するよう求めていますので、矛盾が発生したままの輸入になります。
それで改善案と比較しますと、ご提案は不完全でありガイドラインとして準拠されるには全体を通しての整合性をとる必要を感じますので、今回は見送りと判断させてください。--Degueulasse 2010年8月2日 (月) 17:30 (UTC)
Arstrikerさんのご心配な点について、改善案では「百科事典に当然あるべき項目で、本当は基準を満たす情報源が得られるのに、―その項目の執筆者や、関連記事やプロジェクトで詳しそうな人に声をかけてみることもできるでしょう。」の記述を含めていますので、特筆性でのご心配を減らすことが可能ではないかと思います。今回お話していただけて学ぶところが多く、各方針に関する議論のコミュニティが抱える問題について考えてみようと思います。今後ともよろしくお願いいたします。--Degueulasse 2010年8月2日 (月) 18:02 (UTC)
質問なのですが、ここではDegueulasseさんが「見送らせてください」といえば見送りになるのでしょうか。私は、Degueulasseさんにそのような権限はないと思うのですが。あと、Degueulasseさんの読解には首肯できないものがあります。
『「These notability guidelines―」のここの訳も「直接的には」が抜けてます。直接的にはしないが=間接的には規定する、とわざわざ断りを入れています。』(2010年8月2日 (月) 05:36 (UTC)のコメントより抜粋)ですが、そうではないでしょう。意味するところは、本ガイドラインは直接、記事内容については規制するものではない、記事自体を独立した項目として扱えるかどうかを規定する、でしょう。あなたのご主張はen::Wikipedia#Notability guidelines do not directly limit article content節における第一文、「The notability guidelines are only used to determine whether a topic can have its own separate article on Wikipedia and do not govern article content. 」に明確に反します。
『英語版Notabilityの「Articles not satisfying the notability guidelines」説は内容で主題の特筆性を証明するよう求めています』ですが、それは要するに信頼できる情報源が記事内容に付与されている必要があるといっているだけですが。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 10:04 (UTC)
私のコメントです。私はあなたの提案に対し見送る(反対)と意思表示したということです。決定はコミュニティの決定を待ってください。
directlyは副詞なのでlimitにかかると思います。Arstrikerさんのいう提案では、「直接、記事内容を」となっており意味が異なるように思います。「は記事内容を制限するものではない」と禁止する場合は do not limit article contentとすると思いますし、わざわざdirectlyを動詞の前に置いたことを考えますと、Arstrikerさんの訳には思えません。「記事内容を直接制限するものではない」を意味すると考えています。
「「Articles not satisfying the notability guidelines」節は要するに信頼できる情報源が記事内容に付与されている必要があるといっているだけ」というのも違います。「その主題の特筆性を説明するための十分な情報源を引用できない記事」を発見した場合の対処法です。Arstrikerさんのが要約した「信頼できる情報源」は検証可能性で前提条件とされています。ここでは信頼できる情報源だけでなく、「その主題の特筆性を説明するための十分な情報源」を求めているのです。記事内容にそれだけの情報源を含めよということです。
この「Articles not satisfying the notability guidelines」節には以前説明したCriteria for speedy deletionも出てきます。主張しておられる忠実な翻訳にも遠いし、彼我の全体の各種方針の違いに対応して整合性をとることは困難だろうとの印象を受けましたので、今回は反対とさせていただきました。--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 11:02 (UTC)(訂正)--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 11:05 (UTC)
「directly」については、「直接的に記事内容を扱うものではないが、記事自体を扱うものである。(記事自体特筆性なしであれば当然内容ごと削除される。)」という解釈でいいと思います。この解釈は「Notability guidelines do not directly limit article content」節における記述とも合致したものです。(もしそれ以外の(一覧リストにおける唯一の例外を除く)「間接的な規制」が言及されているのであればご指摘ください。)以上より、特筆性ガイドラインにおける記事内容に関する不規制、に反対する根拠は英方針には求められません。それは英方針に真っ向から反するものです。従って具体的な反対の根拠のご提示を求めます。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 11:17 (UTC)脱字修正--Arstriker 2010年8月3日 (火) 11:20 (UTC)
まず「内容については英語版に沿ったものであるべきという考え」と仰っていますがそれは方針ではありません。ご提案の内容を見て是非を問う問題ですのでいつまでも強弁しないようにお願いします。
次に、何故この案を導入するかの経緯について、各文の必要性について、こちらから推量することはありますが説明がされていませんので解説をよろしくお願いします。
「直接的に記事内容を扱うものではないが、記事自体を扱うものである。(記事自体特筆性なしであれば当然内容ごと削除される。)」とありますが、まず記事「内容」と記事「自体」とは何が違うのですか?「記事自体特筆性なしであれば当然内容ごと―」と言われますが、それは記事「内容」を見ずに判断が可能ですか?
仮にご提案を通し、「特筆性は直接、記事内容を制限するものではない」、間接的にも制限しないとしたとしましょう。内容を扱うものではないから仰るような「信頼できる情報源が記事内容に付与されている」ものはすぐ通過します。しかし信頼できる情報源を求めるのは検証可能性の仕事です。特筆性の仕事は、「その主題の特筆性を説明するための十分な情報源」を内容に求めることです。
脚注で新聞社の出典が付けられ見出しから直接主題が関係するかどうかを読み取れないことなどよくある話です。特にあまり知られていない主題について、信頼できる出版社の絶版した本が出典として示されることもあるでしょう。その主題がどのように重要であるかまた特筆性の有無は内容を読まないと分からないし、「記事内容を直接制限しない」が「記事本文の内容においてその特筆性を最低限証明しなければならない」と間接的に制限することが特筆性の仕事だと思います。
ここは英語版Notabilityの内容について審議する場ではないので、それに対するArstrikerさんのご意見は英語版にお願いします。--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 14:55 (UTC)
私は日本語版の特筆性について提案しています。英語版にお願いしますという見当違いのお願いには従えません。あなたはどういう権能の基に本議論から私の意見を排除しているのですか?--Arstriker 2010年8月3日 (火) 15:37 (UTC)インデント修正、及び追加--Arstriker 2010年8月3日 (火) 15:53 (UTC)
日本語として出来上がってきた提案の内容を検討する場所だとは思いますが、英語版の内容を検討する場所ではありませんので。Arstrikerさんからご説明いただけていない背景なども、推量して議論し英語版の翻訳までし多分に受容して進めていると思いますが、上記に質問した項目について分かりません。ご回答をよろしくお願いします。--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 16:17 (UTC)
前回も「見送らせていただきます」などと私の意見の排除をなされています。そして今回の「英語版にお願いします」との言辞です。まずはこのような議論態度の改善をお約束いただけますでしょうか。でなければこちらもあなたの質問に回答する気持ちを持てません。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 16:31 (UTC)
見送りと判断させてくださいについては「この提案について反対です」よりも和らげて書いたつもりだったんですが、お心を悩ませており申し訳ありません。私もいろいろ言われて悩むところはありました。上記質問は取り下げます。今後ともよろしくお願いいたします。--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 17:03 (UTC)
そうですか、判りました。こちらも言い過ぎたところがあったようで申し訳ありませんでした。本件につきまして改めてご質問等ございましたら回答させていただきたいと思いますので、ご遠慮なくご質問ください。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 18:06 (UTC)

en:Wikipedia:Notability#Articles not satisfying the notability guidelines節についても和訳しましたのでこちらについても日本語版への採用を提案します。但し斜字部分は彼我の方針の違い、他方針の未整備によりそのまま適用できないと思うので、省略でよろしいと考えます。(該当部分の省略によって本節の本旨は損なわれるものではありません。)

収録基準ガイドラインを満たさない記事

記事はその話題の著名さを示すものですが、そして一般にはその話題がこの基準に達しない記事は削除されますが、著名さが記事によって確立されているかどうかだけでなく、それがすぐにできるかどうかを考慮することが重要です。ウィキペディアの全ての記事は最終版ではないことを思い出してください、そして、もし適切な出典が存在するのであれば、例えそれが現在、記事に付与されていなくても、記事は収録基準を満たすものとなり得ます。単にそのような出典があるとの主張にはほとんど説得力がありません、特に時間が経過しても実際に出典が明るみに出ない場合はそうでしょう。もし独立した出典においてその話題に対しての有意な言及がありそうであれば、それらの出典を探す積極的な努力無しに収録基準に満たないとして削除するのは不適切です。収録基準を満たすかどうか不明な記事において、記事の削除は最後の手段となるべきです。

もし、収録基準を満たす十分な出典が記事に付与されていない場合、あなた自身が探すか、次のことをしてください。

  • 記事の作成者か、記事の主題に精通している人にどこで出典を探せば良いか助言を得てください。
  • 他の執筆者に知らせるために{{特筆性}}タグをその記事に付与してください。
  • もし、記事が専門分野についてのものであった場合、{{expert-subject}}を専門分野のウィキプロジェクトにて使ってください。彼らはオンラインで公開されていない信頼性のある情報源にアクセスできるかもしれません。

真摯な捜索によっても適切な出典が見つからなかった場合、同様の内容をより広範に扱っている記事への統合を考慮してください。そうではなく削除する場合、

  • もし記事がWikipedia:即時削除の方針に合致した場合、そちらのページにある特定削除基準タグを使い処理することができます。
  • 即時削除の方針に合致しないが、論争無き削除の候補である場合、{{prod}}タグを使用してください。これは反対者がいなkれば7日後の削除を許容するものです。詳細はWikipedia:提案削除参照のこと。
  • あなたが削除に確信がもてない、もしくは他者の反対が見込まれる場合、Wikipedia:削除依頼に提出してください。記事の価値について7日間、討論、熟慮されます。

英即時削除基準のA7については位置づけとしてはnotabilityと別個であり、これは本来、即時削除基準で記述されることで特筆性へ記述することではないでしょう。即時削除基準で提案されるべき事案です。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 11:41 (UTC)

テンプレートと見出しについてTemplate:Quotation等を参考に編集してください。--Degueulasse 2010年8月3日 (火) 15:14 (UTC)

とりあえず改善案の方に修正を施してみました。

「記事内容」については、英語版のように簡潔な形に修正して加えてみました。一覧記事の扱いは、このままでは分かりにくいのと、日本語版での一覧記事の運用が今のところ英語版と異なる印象があるため、加えませんでした。

「満たさない記事」のほう。

  • 内容的には、以下のものを除き、叩き台でも取り上げています。この英語版の文章は、全体的に同じことを何度も繰り返しているので、わかりにくいところもあるかもしれませんが。
  • 第2段落について
    • タグの付与については加筆しました。
    • expert-subjectは日本語版未導入、また専門的な記事でなくてもオンライン以外の情報源は存在し、詳しい人であればアクセスできるかもしれません。
  • 第3段落
    • 提案削除は日本語版では試験運用の後に採用を見送られています。
    • 今の日本語版の即時削除の方針は、この収録基準に関連した削除対象は含まれていませんから、この文書から即時削除に案内する必要はなく、むしろ混乱を招くと考えます。

どんなもんでしょ。--Ks aka 98 2010年8月3日 (火) 15:33 (UTC)

まずは、修正のほう、ありがとうございます。まず、日英の方針違い/整備状況違いにより記述から排除されたexpart-subject、提案削除、即時削除については同意します。ただ、まだ、内容自体に大きな隔たりがあると感じます。
英語版では下記の流れであり、削除は最後の手段であるとされているようです。

1.満たしていない
2.記事作成者や精通している人に出典をどこで探せばいいのか聞く(そして探す)、{{特筆性}}タグを記事に添付する。
|3.真摯な捜索によっても出典が見つからなかった場合
4.同様の内容を扱う広範な記事への統合を考える。
|5.統合できる記事がない
6.削除依頼の提出

基本的に特筆性によっての削除は最後の手段であり、削除依頼申請者が出典の捜索、他記事への統合を考慮した後に実施されるものとされています。
英語版の脚注8番を参考までに引用します。『Wikipedia執筆者は、不適切なリサーチにより申請された削除投票を拒否できることを知らされています。リサーチは著名性を示すであろう出典、もしくは別の情報を探す努力を含むべきです。』
つまり、まず削除ありきではなく、記事を残す最大限の努力をもってしてもだめであった場合のみ削除申請がなされるというながれです。記事の削除は一瞬でできますが、記事の作成は簡単にはいきません。或いは、誤って削除されてしまった記事が後に復活することはないかもしれません。日本語版でも軽々と削除へ誘導するのではなく、記事の保全可能性をまず考慮するよう誘導すべきと考えます。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 16:47 (UTC)
改善案より拾うと、
2.記事作成者や精通している人に出典をどこで探せばいいのか聞く(そして探す)、{{特筆性}}タグを記事に添付する。
  • 適切な二次資料が見つけられそうならば、誰かに探すことを要求するのではなく、まずは見つけられそうだと考えた利用者自身でそれを探すことを試みてください。それが無理なら、項目の執筆者や、関連記事やプロジェクトで詳しそうな人に声をかけてみたり、「ほげほげ(特筆性)」タグを記事に付与して他の執筆者や閲覧者に知らせることもできるでしょう。
4.同様の内容を扱う広範な記事への統合を考える。
  • より広い事象を説明している項目のなかで触れたり、他の記事へ統合したりすることを検討してください。
|5.統合できる記事がない
  • それが無理な場合
6.削除依頼の提出
  • そのうち方針に基づくコミュニティの判断と管理者の操作によって削除されます。
となっています。英語版と合わせるかどうかはさておき、この点において英語版との隔たりがある様には思えませんが…。--Jms 2010年8月3日 (火) 17:27 (UTC)
すいません、良く読んでみると確かにそれほど違いがないかなと思えてきました。ただ、記述の順番がわかりにくいかなと思います。先ず初めに現状維持できそうな出典を探す、見つからなければ、統合できる記事を探す、なければ、それら努力を経たことを示した上で削除依頼にかける、というように手順に沿って記述されるべきと考えます。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 17:58 (UTC)

いちおう修正してみました[6]

最初のほうがわかりにくい文になっているのは、Suzukitaroさんの指摘[7]を受けて修正した[8]せいもあるかもしれません。ぼくは修正前の方がわかりやすいと思っています。

ぼくは前の記述の方がいいと考えていて、今回修正した版の記述のままでは反対することになると思います。修正後に差し戻しをしているのは、そのためです。

削除しようとする側、存続させようとする側、どちらの側にも、ごり押しする人はいるし、杓子定規な運用をしようとする人もいます。ガイドラインを満たさないことを示すのは、いわゆる「悪魔の証明」です。とにかく存続させようという立場からは、とても都合のいい文面になってしまう。こうした努力を常に要求するような文面というのは、運用を硬直させ、明らかに削除すべき案件に対して、コミュニティに無用の手間をかけさせることに繋がると考えます。英語版の即時削除A7. のような規定があれば、いくらかバランスがとれるとも思いますが、現状では不安が残ります。もう少しバランスの取れる書き方があれば、それぞれ修正してみてください。

改善案では、全体としては

  1. 満たしていないなら、統合。
  2. 満たしていないと簡単に決めるな。でもいつまでも待つわけにはいかない。
  3. 結局見つからなければ削除。

という流れです。「利用者自身でそれを探す」を強調しているのは、先に書いたような、杓子定規な運用に歯止めをかけるという意図があります。検証可能性が広まってきた頃にも、とにかくタグを貼り、あるいは記述を除去していくという人がいました。この文書も、情報源を示すという点では共通していますし、探す手間、探す時間というのを意識してもらうということで。ここでは、英語版よりも、「こうした努力」を強めているという面があるのです。

ガイドラインを満たしていなければ、(記述内容が有用ならば)、より広い事象を説明している項目のなかで触れたり、他の記事へ統合したりすることを検討し、無理なら削除とする。とした上で、「満たしているかどうか」という部分で、

  1. 満たせるかどうか考える
  2. 利用者自身でそれを探す
  3. 項目の執筆者や、関連記事やプロジェクトで詳しそうな人に声をかけてみたり
  4. 「ほげほげ(特筆性)」タグを記事に付与して他の執筆者や閲覧者に知らせる
  5. 削除の依頼

というステップを踏むというかたちにしています。削除が最後という点では、英語版同様、むしろ慎重。--Ks aka 98 2010年8月3日 (火) 18:46 (UTC)

なるほど。Suzukitaroさんのご意見でそのような文になったのは知ってましたが確かに少し判りづらくなってますね。尤も私はSuzukitaroさんのご意見は尤もだと思っていますので後は調整だと思います。現状では記事の統合、削除がまず第一にきてますのでやはり順番が逆でしょう。これでは統合、削除ありきです。しかし、運用に関する過去の知見は大変貴重なものであるとかんじました。上記をまとめて考えてから改めて意見します。--Arstriker 2010年8月3日 (火) 19:12 (UTC)
あと、ちょっと書いておくと、必ずしも統合よりもそのまま単独記事にするのがいいというわけではなくて、「特筆性」のようなものが問題となるような事柄であれば、分量のある記事が作れることは多くないわけです。ガイドラインを満たす情報源が見つかるとしても、百科事典の質というものを考えると、より広く対象を受け入れられる項目に書くのがいい場合というのもある。
  • ガイドラインを満たす情報源を探す/求める→統合を試みる→削除

  • 統合を試みる→ガイドラインを満たす情報源を探す/求める→削除
は並列だと思うんですよ。統合したほうがいい、統合でいいなら、情報源を探す手間をかける必要もない。
満たす満たさないでいうと、記事の統合、削除という話になる。「満たさないというのは今満たさしていないということじゃなくて」というところから、探す、求める、という話になる。そういう二つの異なる話を、順序として、どっちを先に書くのがいいか、という問題だと思うんです。ガイドラインが収録/立項基準になるということは、満たさなければ結果として削除になるってことは、早めに書いておいたほうがいいという気もするんですね。満たさなければ受け入れられないということを意図したガイドラインでもあるのだし。今日はちょっとしんどいけど、「満たさないというのは今満たさしていないということじゃなくて」を先に書くこともできると思うので、そういう方向での修正もしてみます。--Ks aka 98 2010年8月3日 (火) 19:41 (UTC)
考えてみたのですが、どちらかというとまずは、記事保全側に倒して置いた方がいいと思うんですよ、ここで問題になる事案というのは恐らく、「近所の八百屋の特売セール」とか「特定企業の話題性のない広告」などではなく、俄かには判別のつかない事案だと思うんです。上記のようなものはWikipediaは何ではないか、ではじけるし、このガイドラインでも外部の独立した信頼できる情報源の提示が要求されているので簡単にはじけます。問題は簡単にはじけない事案です。削除を申請するのは、記事を作成するに比べ遥かに労力を要しないものです。相応の労力をかけずにポンポン削除依頼をだされるのはたまったものじゃありません。利用者の中にはガイドライン原理主義者みたいな方もいて、そういう方はガイドラインのみを絶対正義として扱うため、必要以上にハードルを下げるとあたら有意な記事が削除されてしまうことにもなりかねません。本ガイドラインを初めて公式化するにおいては、記事保全側に倒しておいて運用状況を勘案しつつ改善していくのが安全だと思います。記事保全側に倒すといっても、それは、英語版で実際に運用されているガイドラインに準拠したものであって決して行き過ぎたものではありません。それに英語版が昔の版とくらべ保全側に倒されるようになってきているのも決して理由のないことではないでしょう。そういう観点から叩き台を修正してみました。修正点がわかるように、取り消し線、下線を修正箇所に適用しています。斜め字の部分はいじってたとき疑問に思ったものです。ご確認願います。--Arstriker 2010年8月4日 (水) 09:38 (UTC)
「削除を申請するのは、記事を作成するに比べ遥かに労力を要しない」について、Wkipediaには公式な方針があり検証可能性が含まれます。特筆性では「主題の特筆性を説明するための十分な情報源」を求めており、検証可能性は特筆性の問題を抱えるものも含めた全ての記述に適用されるものです。日本語版ウィキペディアの「悪魔の証明」ではアイルランドと蛇のたとえを用いて検証と反証の非対称性を説明しています。Wikipediaにおいて出典を示す責任は記述をしたい・記述を残したい側にあります。ただし、杓子定規な解釈にしないために削除依頼の依頼者側に協力してねと呼びかけたものが改善案の2010年8月4日 (水) 03:28時点における版になっているのだと思います。
「英語版で実際に運用されているガイドラインに準拠したものであって決して行き過ぎたものでは」について英語版即時削除#A7が例に挙がるように、日本語版は英語版よりも緩やかなものになっています。--Degueulasse 2010年8月4日 (水) 23:12 (UTC)

何度か挙がっている英語版即時削除方針A7より削除もしくは処理された直近の20件を抽出してみました。下記の通りです。

10:11, 5 August 2010 Favonian (talk | contribs) deleted "Totally Sporty London" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般会社宣伝
09:32, 5 August 2010 Moriori (talk | contribs) deleted "Hubert Au" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content): Warning left on creator's page)
一般人
09:31, 5 August 2010 Favonian (talk | contribs) deleted "WSMI (AM)" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般会社
09:25, 5 August 2010 Moriori (talk | contribs) deleted "Hubert Au" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content): third deletion)
一般人
09:24, 5 August 2010 Moriori (talk | contribs) deleted "Art Unlimited" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般画廊
09:05, 5 August 2010 Nick-D (talk | contribs) deleted "OHA Football Club" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般の草サッカーチーム
08:57, 5 August 2010 Nick-D (talk | contribs) deleted "Ringwood District Baseball League" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
メルボルンにあるジュニア草野球リーグ
08:56, 5 August 2010 Nick-D (talk | contribs) deleted "Muss's Gym" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般組織ジム
08:32, 5 August 2010 Moriori (talk | contribs) deleted "Cedric prince" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般人
08:23, 5 August 2010 Bongwarrior (talk | contribs) deleted "Benjamin (John) Atkins" ? (A7: Article about a real person, which does not indicate the importance or significance of the subject)
一般人
08:01, 5 August 2010 Moriori (talk | contribs) deleted "Squartech" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般会社
07:47, 5 August 2010 JamesBWatson (talk | contribs) deleted "Adero Kelly" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content))
一般人
07:45, 5 August 2010 JamesBWatson (talk | contribs) deleted "Square Trio" ? (A7: Article about a band, singer, musician, or musical ensemble, which does not indicate the importance or significance of the subject)
著名でない一般バンド
07:43, 5 August 2010 CIreland (talk | contribs) deleted "Syed Danial Aidan" ? (G3: Vandalism: A7: Article about a real person, which does not indicate the importance or significance of the subject)
一般人
07:43, 5 August 2010 CIreland (talk | contribs) deleted "Jes Ismael" ? (A7: Article about a real person, which does not indicate the importance or significance of the subject)
一般人
07:11, 5 August 2010 DGG (talk | contribs) deleted "Northumbria Flying School" ? (A7: Article about a company, corporation, organization, or group, which does not indicate the importance or significance of the subject)
一般の組織
07:10, 5 August 2010 DGG (talk | contribs) deleted "Iikaylagurl" ? (A7: Article about a real person, which does not indicate the importance or significance of the subject)
一般人
07:09, 5 August 2010 DGG (talk | contribs) deleted "Mike Grubb" ? (A7: No explanation of the subject's significance (real person, animal, organization, or web content): what is indicated does not come near to showing importance)
一般人
07:00, 5 August 2010 RHaworth (talk | contribs) deleted "Fraggs" ? (A7: Article about a web site, blog, web forum, webcomic, podcast, browser game, or similar web content, which does not indicate the importance or significance of the subject)
Webコンテンツについて説明したものhttp://fraggs.net/
07:00, 5 August 2010 RHaworth (talk | contribs) deleted "Robert Eldridge" ? (A7: Article about an eligible subject, which does not indicate the importance or significance of the subject)subject)subj
メジャーリーガーBob Smith (pitcher born 1895)にリダイレクト

上に示したように、英方針A7は議論の必要のない、明らかに著名でないものに対して適用されるガイドラインです。これは日本語版においても特筆性ガイドラインの公式化を待つまでも無く、削除が適用されているものです。よってA7の存在はここで述べる特筆性ガイドラインの範疇外のものであって本ガイドラインの制定において考慮されるべきものではありません。--Arstriker 2010年8月5日 (木) 11:20 (UTC)修正--Arstriker 2010年8月5日 (木) 12:21 (UTC)

ええと。時間が取れないのですが、とりあえずふたつ。
「特売セール」を毎週記事にするとか、「広告」とわかるような宣伝文句満載の記事なら、確かに「何ではないか」や「宣伝」ではじくことができる。このガイドラインで問題になるのは、「近所の八百屋」とか「特定企業の話題性のない商品」とかだと思うんですよ。これらは、外部の独立した信頼できる情報源の提示が要求されている、というかたちではじくことになる。つまり、これらはこの文書が適用される対象である、と。
それから英語版のA7について言えば、
A7. No indication of importance (individuals, animals, organizations, web content).
An article about a real person, individual animal(s), organization (e.g. band, club, company, etc., except schools), or web content that does not indicate why its subject is important or significant.
なんですよ。議論の必要のない、明らかに著名でないものではなくて、対象を制限した上で主題の「特筆性」「重要性」が示されていないことを理由にした削除です。まさしく、この「特筆性」あるいは「採録基準」の文書の範疇にあって、「a real person, individual animal(s), organization (e.g. band, club, company, etc., except schools), or web content」に絞り込むことで、即時削除の対象としている。著名かどうかは、そう簡単に「明らかに」ということは言えない。その主題が属する特定の分野について十分な知識が必要です。--以上の署名のないコメントは、Ks aka 98会話投稿記録)さんが 2010年8月5日 (木) 11:40 (UTC) に投稿したものです(Arstrikerによる付記)。
まず大切なことを指摘しますが、Arstrikerさんの私案は合意に達していません。議論の流れを読んでいただけますと現在の改善案は私案として提出いただき、皆様の議論の末に後に合意してサブページに移動となったものです。私案の中には合意に達しないまま議論を終えたものもあります。
改善案は何人もの人が議論の末に編集されたもので、これまでの皆様の合意の結果と言っていいものです。ですのでノートページではありませんが、個人的な意見で打ち消し線や下線を引いてそれまでの合意を否定し、合意に達していない私案の編集を強行し反映させることはいかがなものかよく考えていただいて、採るべき対処をしていただきたいです。利用者ページのサブページを使用して私案を提案し、差分にて示す一般的な方法もあります。またノートページでは日本語を使うべきというガイドラインもあります。--Degueulasse 2010年8月5日 (木) 11:52 (UTC)
私には上に挙げた英語版の事例から明らかであるとしか思えないんですよね。リダイレクト処理された一件を除いて即時削除処理された全てが一般人や一般会社、草チームなどであって特に著名性を示す独立した情報源の裏づけを欠いており、一般に著名性を争うような事例に思われない。要するにA7に書かれている「重要性」ということはそのレベルのことであって、独立した情報源についてその重要性を争うようなときに用いられるタームとは異なる。そういうことであれば、そのような観点の記述を本ガイドラインに新設すればよろしい。例えば「著名性を示す、外部の出典がない、一般人、一般組織(バンド、クラブ、会社など)、Webコンテンツ、動物などは、速やかに削除されるべきです。」といったところでしょうか。A7があるから英語版は日本語版より運用が厳しい(?)→日本語版全体の閾をあげようというのは合理的ではありません。--Arstriker 2010年8月5日 (木) 12:07 (UTC)
Degueulasseさん、あなたが拙案に反対であることは知っております。しかし、叩き台にあるものは最終合意案ということでもないでしょう。現に私が反対しているのですから。現状は叩き台にある部分でおかしいと思ったところに下線、取り消し線を引いて指摘しているものです。問題提起と捉えて欲しいところです。--Arstriker 2010年8月5日 (木) 12:19 (UTC)
あなたの私案がこのノートページで合意に達していない、にもかかわらず自説を曲げずに編集を強行していることを問題視しています。今や私のみのことを言っているのではありません。あなたの私案に対して、熟練した複数の利用者から多くの意見・指摘が寄せられていますが、あなたは指摘を顧みようとしていませんいつまでも納得しないことがないようにお願いします。--Degueulasse 2010年8月5日 (木) 12:39 (UTC)
Degueulasseさん、またですか?いつまでも納得しない、ではなくて納得できないので私はここで皆さんと議論を継続しているのです。あなたが私の意見に反対であることは知っておりますが、議論によらず排除しようとするのはお止めください。私は皆さんのご指摘に対して一つ一つきちんと議論によって反論しています。あなたのように腕づくで他の利用者の意見を排除するのは問題だと思います。これで3度目ですよ?--Arstriker 2010年8月5日 (木) 12:48 (UTC)

別サブページにしましたWikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」その2(最新版だったものが初版、delやinsを整理して通常の文書らしいものにしたものが2版目/元のサブページを2010-08-03T18:28:39 Ks aka 98に差し戻し)。

思ったより内容的には変わっていないような。特に気になったのは以下のところです。

  • 百科事典に収録されうる事柄や人物は、日本語の「ある話題」が持つイメージと一致しません。「話題」というのは、どちらかというと出来事を想起させるのではないでしょうか。
  • 一般的なガイドライン最後の段落で、「これらを満たせば単独項目に値する」ではなくて、「単独項目に値するならこれらを満たす」です。「これらを満たせば単独項目に値する」としてしまうと、杓子定規な運用を正当化しかねない。ウィキペディアに単独の項目として収録されるかどうかは、百科事典の単独の項目として収録すべきかどうか、収録しうるかどうか、といったことで決められることです。その基準の一つとして、この文書が存在する。
  • 「有意な言及」だけでは、用例としてしか使えないような外部の信頼できる情報源の提示を排することができません。「有意」の指すものを、その程度には狭める必要があります。
  • 合致しない場合は、より大きな範囲を主題とする項目の中で触れること検討してみてください」について、合致しないなら、最初に検討すべきは統合ではないのでしょか。何かに加えて、統合「も」検討するとして、この「何か」はなんでしょう。
  • 最後の段落は、「一時的なものではない」から。

とりあえず。--Ks aka 98 2010年8月8日 (日) 06:47 (UTC)

お手数おかけし申し訳ございません。「話題」については「トピック」とした方がいいかもしれません、調整の問題だと思います。二点目、「満たす→単独項目」or「単独項目→満たす」かについて、これはどっちでもいいように思いますがちょっと保留します。三点目、「有意な言及」は「一般的なガイドライン 」節にて定義されています。四点目、「も」か「を」か、これもいわれてみればどっちでもいいように思いますが、保留します。五点目、説明されれば趣旨は判りますが、元文だけでは判りにくいし、もう少し煮詰める必要があるのではと感じました。以上、とりいそぎ。--Arstriker 2010年8月8日 (日) 09:09 (UTC)
上記保留した二点目ですが、どちらでも良いと思います。四点目についてはまずは、満たすことを考える、次に統合を考える、それらが不可能であった場合削除ですので「も」が適当だと思います。要するに満たさない→即削除ではないし、満たさない→即統合でもない、ということです。最後の五点目についてはやはり、ちょっと違和感があります。「一時的なものではない」節を新設しきちんと背景から説明するのが良いと考えます。--Arstriker 2010年8月8日 (日) 12:06 (UTC)

もう少し修正しました[10]

Arstrikerさんの案で「情報源についての補足」節で除去されている部分について

  • 「中立的な記事を書くことができること」の段落は、英語版「Self-promotion and indiscriminate publicity」節にある"Neutral sources are also needed to guarantee a neutral article can be written—self-published sources cannot be assumed neutral; see Wikipedia:Autobiography and Wikipedia:Conflict of interest for discussion of neutrality concerns of such sources."参照。
  • 「一つの情報源のみを利用する場合」のところの表現は、英語版脚注2"In the absence of multiple sources, it must be possible to verify that the source reflects a neutral point of view, is credible and provides sufficient detail for a comprehensive article."
  • 「公式ページ(←?)や社史、」の部分は、「独立した情報源でないため」と理由を示すならば、独立した情報源に関しての補足を加えたほうが良いでしょう。英語版でのガイドライン部分にある"including (but not limited to): self-publicity, advertising, self-published material by the subject, autobiographies, press releases, etc"や「Self-promotion and indiscriminate publicity」節など。

先に指摘していた点については

  • 1点目。トピックでも、ちょっと違和感あります。
  • 2点目。どちらでも良いとのことですので、どちらでも良いと考えないぼくのほうに合わせていただけると理解しました。
  • 3点目。上記の通り。
  • 4点目。「現時点でガイドラインを満たしていない記事」は「満たすことを考える、次に統合を考える、それらが不可能であった場合削除」です。「ガイドラインを満たしていない記事」は「統合を考える、それが不可能であった場合削除」です。この違いはわかりますよね? ですので「現時点でガイドラインを満たしていない記事」は「満たすこと」を考え、統合「も」とするのが適当だと思います。
  • 5点目。これはゆっくり考えましょう。

もうひとつ。英語版即時削除関係。

Arstrikerさんが「英語版の事例から明らかである」と考えるのは自由ですが、英語版では、「does not indicate」を理由に特定版削除しています。「リダイレクト処理された一件を除いて即時削除処理された全てが一般人や一般会社、草チームなどであって特に著名性を示す独立した情報源の裏づけを欠いており」削除されている。そして、いまわれわれが考えている「著名性」とは、一般的な意味での「著名性」や「特筆性」ではなくて、まさに「独立した情報源による裏付け」のことを指します。a lower standard ではあるけど、 distinctではない。「一般に著名性を争うような事例」というのは、ウィキペディアでは存在しなくて、「独立した情報源による裏付け」の有無、あるいは情報源の独立性や評価によって争われるんです。
利用者の中にはガイドライン原理主義者みたいな方も確かにいます。そういう方はガイドラインのみを絶対正義として扱うため、必要以上にハードルを下げると有意な記事が削除されてしまうことにもなりかねませんし、同時に、原理主義的にすべての記事を存続させようとする人もいるわけです。方針やガイドライン原理主義者に対しては、「どちらかに倒す」ではなく、淡々と論理的に記述するしかないです。
おおむね、強く削除しようと考える利用者は、百科事典というものを意識して、それを古典的なものとして狭く解釈する。そこに、学問へのあこがれのようなものがあると、先鋭化する。他方、紙の百科事典ではないことを意識すると、百科事典というものを拡大させて考え、備忘録やデータベースやまとめウィキ的なものを包含させようとする。この両者の間では、第三者的な情報源の存在という決め事があれば、いちおうバランスはとれると思うんです。
でも、この種の記事を作る人達は、ある時は当事者であり、ある時は関係者であって、百科事典の発展に向けて記事を作っているわけではないんですよ。そういう人達の無理な抗弁を排する必要がある。企業や人物、あとはバンドなんかの場合、当事者・関係者による宣伝や箔付けを意図した投稿というのもあるんですね。そのまんまのアカウント名を使ったり、IPでその会社から編集していることがわかったりということでなく、宣伝文句にまみれた文章でなければ、宣伝を理由にした削除では対象外となる。近所の八百屋について、とりあえず知っていることを並べるのは、たいした労力を必要としません。企業記事や商品記事であれば作成する労力に見合うリターンを見込んでいるかもしれません。公式ページからコピペして整形する程度なら、労力もかかりません。Category:即時削除対象のページ[11]もご覧になってみてください。
では、これらに誠実に対処しようとすると、記事を作った人達が参照していない資料を探し、タグを貼り、プロジェクトに呼びかけ、削除依頼で7日間の審議を経なければなりません。

--Ks aka 98 2010年8月8日 (日) 19:18 (UTC)

かなり意を汲んでいただけたと思いますし、今回ご指摘いただいたところはおおまかに同意できます。こちらとしてはちょっと、細かいことを言うのは控え、他の皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。ただもう少し判りやすく熟成させるべきかなと思います。例えば、「有名であったり重要であったりすることを示す外部の信頼できる情報源」というのが一つの大きな基準として示されておりますが、何が「有名であったり重要であったり」するのかが記載されていませんのでいかがなものかと思います。--Arstriker 2010年8月9日 (月) 14:15 (UTC)

では一段落させましょう。完全なものを目指すと、いつまでたってもガイドライン化ができません。

ご指摘の部分は、有名さや重要さというのは、「特筆性」あるいは「記事の収録基準」として普通に考慮すべきことであるとしても、個々で判断するのではなく外部の信頼できる情報源で判断するのだということを「一つの大きな基準」として示す文です。「有名であったり重要であったりすることを示す」というのは、後の「有意な言及」に相当するという構成です。修正はおいおい考えます。--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 10:32 (UTC)

この節の冒頭で述べた件は…? --Jms 2010年8月11日 (水) 11:09 (UTC)
Jmsさんの「それならば「そうした言及―」以降について、対偶は「そうした言及が得られない場合―満たさないと推定します。」ということになるように思うのですがいかがでしょうか?--Degueulasse 2010年8月11日 (水) 13:22 (UTC)

Jms 2010年7月11日 (日) 22:28 (UTC)でしょか。青子守歌さんの草案が出たところで二人で話していただければいいと思っていました。

「推定」については、冒頭部では「A topic is presumed to merit an article if it meets the general notability guidelines below and is not excluded by WP:NOT.」とあり、「presumed to」はen:Rebuttable presumption(反証可能な推定、でしょうか)へとリンクされています。ガイドライン部分ではPresumedはsignificant coverage in reliable sources establishes a presumption, not a guarantee, that a subject is suitable for inclusionを意味するとされています。

とすると、

独立した信頼できる情報源で対象から有意な言及があるということが、収録基準をクリアしているという「推測が成立する」ということを意味します。すなわち、この文書が求める条件を満たしているからといって、単独記事として収録されることが確定したり保証されたりするものではありません。例えば、ここに述べられている基準に合致していたとしてもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反し、単独記事とするにふさわしくないと執筆者間で合意されることもあるでしょう。

とかいう感じでしょか。--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 14:31 (UTC)

推定という表現が却ってわかりにくくしていると思っています。単独の記事にできる対象なら独立した信頼できる情報源での有意な言及があるだろう、従ってそうした言及がなければ単独の記事とすべきではない、しかしそうした言及の存在だけで記事としてふさわしいかどうかは決まらない、という流れにする方が良いと思います。こうすると「推定」と言わずに済みます。たとえばこんな感じを考えています。不要な「の」消し忘れて「その項目を単独記事としての収録するには」としてしまいましたが、「単独記事として収録する」です。--Jms 2010年8月11日 (水) 17:02 (UTC)
ガイドラインとしてループしているというのが問題なのではなく、「推定」という表現がよくないということだったと理解すればよいでしょうか。確認ですが、仮定でも確定でもなく推定であるというのは、わかりにくいですか?--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 18:04 (UTC)
ループしているという認識はしていませんでした。Jms 2010年7月11日 (日) 22:28 (UTC)で述べたことは二つ、「推定」というのが要件を満たす言及の存在が単独記事の最低条件という意味なのか、それとも他の方法でも単独記事の条件を満たす方法があるという意味なのか、という確認と、(おそらく前者だとして)「推定」という表現がわかりにくい、ということです。仮定でも確定でもなく推定である、というのは、それだけ取り出せばわからなくもありません。しかし、推定という言葉には二つ意味があって、法的な意味での推定と、一般的な意味の推定、広辞苑から引けば「推測して決定すること」、があります。前者の意味で使っているのだと思いますが、後者の意味で読むと、要件を満たす言及の存在に基づいて推定したのだから決定したはずなのに、要件を満たす言及の存在だけでは決定しない場合がある、というわかりにくい事態になってしまいます。推定と言う言葉を使わなくとも言わんとしているであろうところ (要件を満たす言及の存在が単独記事の必要最低条件であるということ) は表現できるので、推定と言わずに済ませる方が良いのではないかと思っています。--Jms 2010年8月11日 (水) 18:38 (UTC)
推定がわかりにくいとですか。仮定確定推定の話しはつまびらかな解説だと思いましたし、通用している原文がit is presumed to satisfyであるので私はJmsさんがお持ちのような印象を抱かなかったのですが、では同語の「推定されます」以外の訳にあたる「(収録基準を満たすと)みなされます・考えられます」だとしたらJmsさんは納得されますか?ウィキペディアの用語に法的な意味を持ち出されてもそちらのほうが理解しにくく、言葉尻を捉えているもののように映るのですが。--Degueulasse 2010年8月11日 (水) 19:12 (UTC)
「みなせます」「考えられます」なら推定の場合のような結局どっちなのよ感はなくなり、かつ、可能態であることにより「推定」の意図している完全に決まったわけじゃないよ感も表せると思います。--Jms 2010年8月11日 (水) 22:17 (UTC)

前者については、最低条件ではないでしょうね。「一般的なガイドラインを満たさなくとも許容されるという合意を得た個別のガイドラインを満たし、一般的なガイドラインを満たさないもの」はありえるでしょうし、「具体的に要件を満たす言及の存在が現時点での日本語版では示されていないが、常識として、あるいは合意として、存在することが明らかであろうと思われるもの」もあると思います。他言語が主に使われている地域のものだったり、古いものだったり。小国や他国の大きめの地方自治体とかだと、中立的な地理情報や当該国の公的な情報で相応の記事は書けるだろうけど、それらは一般的なガイドラインを満たす第三者的な情報源とは言えない。

Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 14:31 (UTC)のようにすれば、ここでの「推定」が「単独記事としての収録基準を満たすと理解するが、覆ることもある」という意味であることを説明しているということになりませんか。例としては英語版でWP:NOTを引いていて、それに合わせていますが、「特筆性は一時的なものではない」のような事例もここに含まれると考えられます。

また、節冒頭部で「そうした言及が得られない場合は、その項目を単独記事とすべきではありません」としてしまうことは、Arstriker さんの意に沿わないような変更であるとも思います。

冒頭部は「その項目を単独記事としての収録基準を満たすと考えます」として、くどいですが、

「考えます」というのは、独立した信頼できる情報源で対象から有意な言及があるということが、収録基準をクリアしているということを、いったんは認め、項目が百科事典に収録するだけの重要さや有名さを持っているという推測が成立するということを意味します。重要さや有名さの観点からは、時間の経過の後に直接それを否定するようなこともありえますが、それなしに、議論を継続する必要はありません。ただし、この文書が求める条件を満たしているからといって、単独記事として収録されることが確定したり保証されたりするものではありません。例えば、ここに述べられている基準に合致していたとしてもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反し、単独記事とするにふさわしくないと執筆者間で合意されることもあるでしょう。

などとしてみますか?--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 19:19 (UTC)

最低基準でないならば、つまり、要件を満たす言及が存在せずとも単独記事とすることがあり得るならば、「ガイドラインを満たしていない記事」節冒頭の「コミュニティの判断によって削除されます。」は言い過ぎではないでしょうか。その場合、「コミュニティの判断によっては削除されます。」「コミュニティの判断によって削除されることがあります。」あたりでしょう。しかし、最低基準でないならば、「一般的なガイドライン」節冒頭の、単独記事に値するなら要件を満たす言及があるはずという趣旨の文は強すぎると思います、対偶が要件を満たす言及がないなら単独記事には値しない、ですので。例外の存在を念頭に置くなら、
記事の主題が百科事典で取り上げるだけの価値があるものならば、原則として、その記事で書かれる対象とは独立した信頼できる情報源で有意な言及があるはずです。
と、原則を挿んではどうでしょうか。
Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 14:31 (UTC) は「単独記事としての収録基準を満たすと理解するが、覆ることもある」という説明にはなっていますが、そもそも「満たすけど覆る場合あり」という書き方がわかりにくいと考えています。覆るなら何かを満たしていないわけです。現行の案では「推定できる」の説明ではじめて「基準の1つをクリアしている」と出てきますが、基準の一つならば、「一般的なガイドライン」冒頭でそう書く方が良いと思います。「その項目を単独記事として収録する基準の少なくとも一つを満たすと考えられます」程度でしょうか。Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 19:19 (UTC) の案はさすがにくどいと思います。--Jms 2010年8月11日 (水) 22:17 (UTC)
最小限の変更を行ないました、ご確認いただけますでしょうか。--Degueulasse 2010年8月12日 (木) 04:59 (UTC)
前文で推定と言っていますし、「推定できる」についても説明しているので、さすがに最小限に満たない気が…。--Jms 2010年8月12日 (木) 05:03 (UTC)
これではいかがでしょうか。一般的なガイドラインの「推定できる」は「信頼できる」「有意な言及」などと並んで用語解説に使用されていると判断しました。下部の「コミュニティによって推定」部は文脈上問題ないかと。--Degueulasse 2010年8月12日 (木) 05:12 (UTC)
ここまで変更すると大きな変更に思えて、個人的には議論の流れを汲むと元々の案が最善で小変更が次善かなと考えているのですけれど。--Degueulasse 2010年8月12日 (木) 05:18 (UTC)
論点が半分しか伝わっていない気がします。推定できる、という表現自体の他に、基準の一つであって全てではないなら、あたかも全てであるかの印象を与える書き方をすべきではない、ということを述べています。「推定」という言葉にその部分を負わせていたということだろうと想像しますが、推定という言葉を除くなら、その部分にも一緒に対応する必要があると思います。--Jms 2010年8月12日 (木) 05:22 (UTC)
全体として「推定できる」でJmsさん以外から異論が出てこなかったもので、「推定できる」は長年草案としても使われてきたものでもありまして余計に伝わってこないのかも。よろしければ「考えられる」を使って最小限に編集していただいて比較案をいただけませんでしょうか。--Degueulasse 2010年8月12日 (木) 05:29 (UTC)
やってみました。--Jms 2010年8月12日 (木) 05:46 (UTC)
ありがとうございました。私は「推定できる」とした元の状態が最善とは考えているのですが、ご案に対して以下に説明するような変更を加えてもJmsさんが良いとおっしゃってくださり、皆様からJmsさん案に反対が無いようなら変更に納得します。
「一般的なガイドライン」節の変更から「原則として」を除く。この言葉があると原則って何?という別の問題が生じるように考えるためです。
「ガイドラインを満たしていない記事」節は元の「その記事はそのうち方針に基づく」がよいと思います。理由は無理な場合を説明しているもので、コミュニティの判断によって削除されます=判断が無ければ削除されない、と考えられ、「ただし」以降と合わせて判断しました。--Degueulasse 2010年8月12日 (木) 06:02 (UTC)
その二点についての背景は既に説明したので、繰り返しません。対偶を根拠に削除という主張に対してどの程度の予防線を張るか次第であり、もしこう考えるならこうした方がよくありませんか、という提案なので、強く主張するものではありません (困ってから予防線を張っても間に合わないわけでなし)。--Jms 2010年8月12日 (木) 06:13 (UTC)
そもそも、「「推定」というのが要件を満たす言及の存在が単独記事の最低条件という意味」というのがよくわからない。この文書も、一般的なガイドラインも、べつに「最低条件」を示しているものではないですよ。これを超えてたらいいんじゃね?というだけのことで。なんというか、文書をとても厳密なものとして受け取りたい、作りたいと考えているのでしたら、それはウィキペディアにはそぐわないと思います。
2010-08-08T19:02:30 Ks aka 98と2010-08-12T05:43:42 Jms で比較します。
ええと。「最低基準でないならば、つまり、要件を満たす言及が存在せずとも単独記事とすることがあり得る」としてお答えしたもののうち、「一般的なガイドラインを満たさなくとも許容されるという合意を得た個別のガイドラインを満たし、一般的なガイドラインを満たさないもの」は「個別ガイドライン」の問題ですし、「具体的に要件を満たす言及の存在が現時点での日本語版では示されていないが、常識として、あるいは合意として、存在することが明らかであろうと思われるもの」は「個別ガイドライン」に吸収されるか、下の節での議論から「例外」として位置づけて明文化すれば良いことだと思います。あるいは今の時点で気づかれていない常識というものも想定されます。
文書の冒頭では、
この文書は、ある事物や人物、概念などが、単独の項目(単独記事)としてWikipediaに収録されるに値するかどうかの、ひとつの基準を示すものです。
と、つまり、この文書は基準のひとつであり、この文書にも基準はありますよ、ということを示し、次に単独の項目にできなくなる他の基準を次に示しています。続けて、この文書の考え方の概略、そして元の文書では、#一般的なガイドライン、もしくは各分野でのガイドラインの基準のいずれかを満たせば「推定」されると、書かれています。ここで、あらためて
この文書で示される#一般的なガイドライン、もしくは各分野でのガイドラインの基準のいずれかを満たすならば、その主題は十分に百科事典として扱うだけの価値があり、ウィキペディアに単独の項目として収録するための条件の主要な一つを満たすものと考えられます。
と書かないといけないんでしょか。
で、この場所に「条件の主要な一つ」と置いてしまうと、では、ウィキペディアに単独の項目として収録するための、ほかの「主要な条件」および「主要でない条件」がわからないように思います。それらは「それを満たすことで収録できることになる条件」や「それを満たさないことで収録できなくなる条件」のかもしれないのですから、これは知っておく必要があります。既に「何でないか」や「中立的観点」があることはわかっている。ほかに何があるのか。もちろん、あらゆる場面でルールは無視できますし、合意によるオーバーライドはありえますけれど。
「条件の主要な一つ」とするべきではないと思います。
一般的ガイドラインのほうの改変ですが、「記事の主題が百科事典で取り上げるだけの価値があるものならば」、「その記事で書かれる対象から独立した信頼できる情報源で有意な言及があるはずです」。というのは原則ではありません。予測とか見解とかの類であり、この文書の根幹をなす前提の提示です。強いて修正するなら「ウィキペディアでは、原則として、記事の主題が百科事典で取り上げるだけの価値があるものならば、その記事で書かれる対象から独立した信頼できる情報源で有意な言及があるはずだと考えます」でしょうか。それとも「このガイドラインでは、原則として、そうした言及が得られる場合、その項目を単独記事として収録するための基準の一つを満たすと考えます。」でしょうか。
そしてこの冒頭部の「基準の一つ」も同様に、では他の基準は何かという疑問を生じさせるでしょう。あらためてNP:NOTをここで取り上げておかなければ、あるいは別に「分野ごとのガイドライン」もありますし、WP:IARだの合意がどうしたのというところまで説明しないといけないのでしょうか。冒頭で説明した直後なのですから、ここで触れる必要はないと思いますし、「一般的な」と大きく太く描いてあるのですから、普通は、これがすべてにあてはまるわけではないのだろうと読むことはできるでしょう。
なお、「一般的なガイドライン」が「原則」であり他の基準や例外を持つかどうかというのは、まだ明らかではありません。個別のガイドラインが、一般的なガイドラインの簡単な敷衍と具体化という形で作られるかもしれません。ある分野では、どうしてもこの一般的なガイドラインでは掬い上げられない百科事典として成立すべき、成立しうるような項目があるかもしれません。そういう場合は、個別のガイドラインでオーバーライドさせることで、ウィキペディアに含んだほうがよいでしょう。そうしたことは、今後どういう事例が出てくるか、それについてコミュニティがどういう判断をするかに委ねられます。
「推定」を「考えられる」と言い換えることで、わかりやすくなると思う人がいて、「満たすけど覆る場合あり」ということが伝わるなら、それでもいいですけれど。これは何を意味するかというと、先にも書いたとおり、採録するかどうかの議論をこれ以上続ける必要はない、ということだと思うんですね。というわけで、
考えられる」とは、個々の編集者の収録の基準に合致しないとしても、ウィキペディアでは、百科事典に単独記事として収録するにふさわしい基準をクリアしていると考えられる、ということです。ただし、この基準を満たすことだけで収録が保証されるとは限りません。例えば、ここに述べられている基準に合致していたとしてもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反し、単独記事とするにふさわしくないと執筆者間で合意されることもあるでしょう。
としてはどうでしょうか。ここで「基準」の射程はわかりにくいかもしれません。WP:NOTなどのことを指しているようにも、各分野でのガイドラインのことを指しているのかもしれないようにも読める。「ひとつ」を除去しても、WP:NOTなどから収録できないことがあるということは読めますから、除去したほうがよさそうです。
ガイドラインを満たしていない記事については、(基準を満たしうるがまだ満たしていない記事ではなく)「基準を満たさない記事」で、統合が無理ならば、削除されます。「削除される場合があります」では、削除される可能性があるという程度のニュアンスですが、そうではありません。それこそ「原則として」削除される。繰り返しになりますが、「一般的なガイドライン」が「原則」であり他の基準や例外を持つかどうかというのは、まだ明らかではありません。
一般的なガイドラインを中心としたこの文書の骨格となる部分については、おおむね反対意見がないと思われますから、完全なものを目指すと、いつまでたってもガイドライン化ができませんから、一段落させて、その検討は、下の節、あるいはさらに節を立て直して始めたいと思います。--Ks aka 98 2010年8月13日 (金) 11:10 (UTC)
「推定」というのが要件を満たす言及の存在が単独記事の最低条件という意味、というのは、推定の前提となっているのが何か、という意図です。この点については既に回答を頂いています。「これを超えてたらいいんじゃね?」というのは十分条件だということだと思いますが、しかし基準の一つでしかないわけで、それならば十分条件とは言えないのではないでしょうか。文書を厳密に作りたいとは思っていませんが、対偶をとると困ったことが出てきてしまう文や、背後にある推論がかならずしも適当でないものは、削除につながりがちな文書では要注意だと思っています。「主要な」はなくても良いと思います。「一つ」は、推定という強い言葉と組み合わせるなら必要だと思います。「推定」を用いない場合でも、文書中であったりなかったりするよりは一貫してあった方が誤解されにくいと思います。原則として、は、予測なり見解なりについて、「たいてい」「多くの場合」といった意味で書きました。「考えられる」を説明している文案 (Ks aka 98 2010年8月13日) については、「収録するにふさわしい基準をクリアしていると考えられる」のに、「基準を満たすことだけで収録が保証されるとは限りません」と続くため混乱すると思います。少なくともわたくしはそこで毎回引っかかります (何度読んでも、趣旨がわかっていても、スッと入ってこない)。その基準をクリアしても収録されるとは限らないなら、その基準は「収録するにふさわしい基準」ではなく、あくまで「収録するにふさわしい基準」の一つ、一側面なのではないでしょうか。このあたりは追々必要に応じて直して行けばよいとは思います。--Jms 2010年8月13日 (金) 14:41 (UTC)

2010年8月14日14:15UTCの編集で、冒頭文は「考えられます」、「一般的なガイドライン」第一文は「考えます」、同セクションの説明見出しは「考えられます」になっていますが、少なくとも「一般的なガイドライン」第一文と同セクションの説明見出しは同じ表現の方が良いと思います。いずれも「考えられます」で如何でしょう。同セクション末尾「この基準を満たすことだけで」は「この基準を満たすだけで」の方が良いと思います。--Jms 2010年8月20日 (金) 23:42 (UTC)

「特筆性の例外」規定は必要か

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例えば、日本の鉄道駅一覧に掲載されている個々の駅は、特筆性について疑問があるものも含まれていますが、 記事として「あってもいい」のではないかと思えます。 しかし、例えばある百貨店の個々の店舗を主題にした記事があれば、 個々の店舗毎に特筆性が証明されない限り、削除されるべきものと思えます。 この場合、「鉄道駅ならOKで百貨店の店舗ならダメ」という理由を説明する明確な理由はこれまで無かったのではないでしょうか。 それゆえ、「特筆性の例外」という規定を設けて、特に公共性の高いものなどについては特筆性を問わない記事を 限定的に列挙したら如何かと考えます。

つまり、「対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及」が無かったとしても、 日本の鉄道駅は「特筆性の例外」であるから記事の存続が認められるのであり、 百貨店の店舗は、「特筆性の例外」ではないから、個々の店舗毎に特筆性が証明されない限り削除は免れない、ということです。

但し、例外はあくまでも例外として限定列挙したものですから、「類推適用はされない」 ということも明記しておく必要はあると思います。例えば「日本の鉄道駅」が「特筆性の例外」 であるからといって「アメリカの鉄道駅」が例外になるわけではなく、「アメリカの鉄道駅」 を「特筆性の例外」にするためには、別途コミニュティの承諾を得る必要がある、ということです。 ---Tom2008 2010年8月9日 (月) 06:46 (UTC)

百貨店の個々の店舗についてはWikipedia:ウィキプロジェクト ショッピングで議論中です。鉄道駅については日本に限らず作成は可能です。仮に、「アメリカの鉄道駅」を「特筆性の例外」にする提案をしたとしても議論に参加できる利用者がいるか不明です。--hyolee2/H.L.LEE 2010年8月9日 (月) 09:08 (UTC)2010年8月9日 (月) 09:15 (UTC)(修正)
大韓民国の市内バス路線の作成基準は韓国語版の市内バス路線記事の濫造による対策として作成した側面が大きいです。--hyolee2/H.L.LEE 2010年8月9日 (月) 09:23 (UTC)
ご意見ありがとうございました。「百貨店の個々の店舗」というのは、どうも例が悪かったようです。要するに、一見すると特筆性が無いように見える様々な記事のうち、あるものは存続させ、あるものは削除する基準をどこに見い出すのか、ということが気になっていました。---Tom2008 2010年8月9日 (月) 13:13 (UTC)
コメント上の節の最初でもWikipedia:井戸端/subj/特筆性が未だに草案のままである理由で書いたとおり、経過措置みたいなものが必要だと思っていますと書いたとおり、です。
一般的なガイドラインとは別に、個別の事柄についてガイドラインを作成していく。一般的なガイドラインを適用するうえでは、
  • 分野ごとの事情や情報源について、ある程度詳しく具体的に記述する
  • 分野で作られる記事の性質から、作成できる項目を一般的なガイドラインよりも絞り込む、あるいは逆に広く許容する

などが考えられます。

「鉄道駅ならOKで百貨店の店舗ならダメ」という理由を説明する明確な理由はこれまで無かったと思いますし、今から「特筆性の例外」という規定を設ける上で、限定列挙に含められるかどうかという部分で、議論となるものだと思います。個人的には、鉄道駅は、それほど公共性が高いわけでもないと思いますし、明らかに作成すべきというほどのものではないと思います。むしろ、網羅性と、歴史的な地域発展の起点としての意味合いに重要さがあり、それぞれの地域では資料が得られるとも思います。百貨店でも、チェーン店の全国展開の一つでは資料が得られず、地域で古くから営まれているものであれば、資料は得られるはずです。「特例」とするよりは、ここでのガイドラインをやや拡大させて運用するだけの理由付けができるような普遍的な基準が作られないかとも思います。網羅性が重視されるもの、小記事として分割されたもの(されたと理解できるもの)など。
そのように考え、正式なガイドラインとなった後でも、個別のガイドラインを作成したり、既存の資料を探したりするだけの期間を置く必要があると書きました。--Ks aka 98 2010年8月9日 (月) 09:34 (UTC)
ご意見ありがとうございました。提案してみたものの、「例外の限定列挙」というのは、今ひとつそぐわないのかもしれません。「ここでのガイドラインをやや拡大させて運用するだけの理由付けができるような普遍的な基準が作られないかとも思います」ということですが、当面の間は一般ガイドライン中に、例えば、「網羅性が重視されるもの、小記事として分割されたもの(されたと理解できるもの)などにおいては、複数の記事の集合によって特筆性の有無が判断される場合がある」との一文を入れるといかがかと思います。この一文を受けて、各個別の案件についての判断が重ねられ、あるいは個別ガイドラインが整備されてきますと、もう少し具体的な基準が生まれてくるのではないかと思います。---Tom2008 2010年8月9日 (月) 13:13 (UTC)
「一見すると特筆性が無いように見える様々な記事のうち、あるものは存続させ、あるものは削除する基準」というのは、結局のところ、信頼できる情報源が得られ、中立的な観点から記事を作ることができるかどうか、だと思います。
文書でも直接ではないけれど「特筆性はないが検証可能で中立的な記事」のことは触れられていたと思います。スペックなどの基本的な事実情報は得られる事物、人物というのは、いわゆるデータベース的な記事を作ることができる。
ある母体となる記事があり、そこから分割されたような場合、母体は十分特筆すべきだが、個々の記事では、そのような情報源を得ることができない場合というのはありえます。美空ひばりの記事をきちんと書くと、かなりの規模のものになるし、ディスコグラフィカルな情報も必要。そこで、「悲しい酒」など特筆性を満たすものは分割するとしても、その他の個別のシングルの記事をどうするか、というような。
ぼくの当初の意図としては、「網羅性が重視されるもの、子記事として分割されたもの(されたと理解できるもの)などにおいては、複数の記事の集合によって特筆性の有無が判断される場合がある」ので、どういう場合に「有」と判断できるかのガイドラインをプロジェクトなどで作るために1年程度は合意を得ないまま既存の記事をまとめて削除依頼するようなことはしない、という形にするのがよいかなと思っていました。個別ガイドラインの作成とプロジェクトの活用を促すということも期待して。
特筆性に関しては、その分野の知識をある程度持った人達によって、おおまかに判断してもらって、それをこのガイドラインが求めるものとすりあわせるようなことで進めるのがうまくいくのではないかなと。--Ks aka 98 2010年8月9日 (月) 13:32 (UTC)
例えば、ほとんど無名であるが、「人物」として辛うじて特筆性を有するに至ったAという作家がいたとしましょう。その作家Aの個々の作品を主題とする記事を作成したならば、「特筆性が無い」として削除は免れないと思われます。一方、美空ひばりの記事を充実させていった結果、個々のシングルなど単独では特筆性が無いように見える複数の記事に分割されることもあり得ると思われます。それを「特筆性が無い」として、美空ひばりの記事に統合してしまうと、美空ひばりの記事の肥大化を招きますし、何よりも大多数のユーザの自然な感覚に反するのではないでしょうか。ガイドラインには、このような「自然な感覚」というものを、なんらかの形で、最初の段階から反映できればと思います。
ガイドラインを整備するためにある程度の猶予期間を設ける事は賛成ですが、その前に、上記問題に対する、「一般的、網羅的な考え方」を明記しておいたほうが、議論が深まるのではないでしょうか。上記例では、「著名性」という概念を導入すると、説明しやすくなると思います。メインの記事に著名性があるものは「複数の記事の集合に対して特筆性の有無が判断される」対象とし、メインの記事に著名性が無いものは、個々の記事毎に特筆性の有無が判断される、という具合です。「著名性」は、例えば「市販の権威有る百科事典において独立した記事として掲載されていること」と、とりあえず定義することができると思います。これで、「なぜ美空ひばりのシングルなら良くて作家Aの作品はダメなのか」という問題に、自然な形で答えられると思われます。
そうしますと、猶予期間内においては、「『著名性』の基準を『市販の権威有る百科事典』に置くことが妥当なのか」、「特定の分野では、もっとふさわしい基準があるのではないか」、「『著名性』以外にも複数の記事の集合に対して特筆性の有無を判断すべき基準は無いか」、などの議論が深まってゆくのではないでしょうか。---Tom2008 2010年8月10日 (火) 11:51 (UTC)
有名歌手でもあまり有名でない作家でも、その作品の特筆性で判断されるものに思います。歌、歌舞伎、落語などの無形の芸術作品でも有形の物品でも、単体で特筆性があるものはあるし、ないものはないでしょう。特筆性が無いものをメイン記事に統合する場合は、特筆性がないのだから分量のバランスに注意して統合しなければならないし、それが理由に記事内容の大幅な増加にはならないように思います。
分割はそれぞれの理由から分割しているのであって、特筆性の問題ではないでしょう。分割や統合すべきだからその処置をしたのだと見て取れると思います。だから分割や統合に問題がある場合は、Wikipedia:ページの分割と統合によって対処法を判断していただく問題に思うのですがいかがでしょうか?--Degueulasse 2010年8月10日 (火) 23:31 (UTC)
個々の記事に対して常に「単体の特筆性」を求めるとすると、例えば日本の鉄道駅一覧にある個々の駅の中には単体の特筆性を満たさないものがあり、これらをどうするのかという問題が生じます。これらの記事を削除しないで残すとすると、それなりの根拠が必要ではないでしょうか。ですから、その根拠として「一般的、網羅的な考え方」をガイドライン上に明記した上で特筆性のガイドラインを正式に発足させ、細かい点は、猶予期間内に詰めてゆくという方法を採らなければ、議論が収束してゆかないと思われるのです。上述した「著名性」を根拠に置くとすると、メインの主題である「鉄道駅」には著名性があるから、個々の駅の記事は単体の特筆性を問わずに存続できる、という具合に説明できます。---Tom2008 2010年8月11日 (水) 03:20 (UTC)
コメント 私には鉄道駅が特別視される理由が判りません。ウィキペディアは、「一覧として存在しているが単独記事として存在しない項目」があっても問題ありません。全ての記事は、本ガイドラインを満たす必要性を「例外無く」有していると思います。そうした中で「誠実に探したにもかかわらず適切な情報源が見つけられなかった」ことにより、単独記事にならない項目(駅名)があったとしても、なるべくしてなったことであり、問題ないと思います。各ジャンルにおいて、「対象とは無関係な信頼できる二次情報源」などについて、個別のガイドラインを作ることはあると思います。しかし、本ガイドラインの枠を緩めるような規定は有り得ません。--Frozen-mikan 2010年8月11日 (水) 05:55 (UTC)
Tom2008さんへのコメントです。日本の鉄道駅1つ1つに特筆性が無いと考えていないので、問題が生じるように考えにくいです。プロジェクトもあり鉄道整備が始まった明治期以降地域に与えた役割や沿線の交通・物流に寄与した役割を記した文献を探してねと依頼すれば応えてくださる方もおられるのではないかと思います。仮に問題になるような駅の記事があるとしたら個々の問題を問えばいいと思いますし、文献や意見など誰かに協力をもとめてみられてもいいかもしれません。ですので例外が必要になるようなことではないと考えます。--Degueulasse 2010年8月11日 (水) 06:45 (UTC)
確かにそうですね。納得しました。最初に駅が出来た時のことを考えると、何も無かったところに鉄道が通って駅が出来たわけですから、間違いなく新聞記事になったでしょう。それが明治、大正時代の新聞であったとしても、特筆性を有することに違いはないと思われます。住宅団地、小学校、道路などにしても然りであり、該当の新聞記事を探すことは労力が必要かもしれませんが、探せば必ず見つかるものと思われます。---Tom2008 2010年8月11日 (水) 09:53 (UTC)

Tom2008 さんに、ちょっと確認です。「著名性」というのは、ここでは二つの異なる意味に理解されます。

  • ひとつは一般的な意味での「著名性」「特筆性」で、社会の、あるいはウィキペディアンの常識的な判断で決まる、同時に個人によってかなり差が出てくる基準です。
  • もうひとつ。この文書は、もともと英語版の「notability」というガイドラインを持ち込んだもので、当初は「著名性」と訳し、今は「特筆性」という文書になっていて、ここまでの議論では、そうした一般的な判断基準を思わせるものだと混乱が生じるために「収録基準」「立項基準」などの文書名にしようということになっています。

こっちは、著名であること、特筆すべきであることを判断する基準として、「ウィキペディア外部の中立的な情報源に有意な記述があること」を求めています。 Tom2008 さんがおっしゃっている「著名性」とは、どちらを指していますか?--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 10:29 (UTC)

Ks aka 98 さんへ
私が申しました「著名性」の意味は、「一般的な意味での著名性」に近いものです。つまり、「ある主題に関係して複数の記事を作成するときに、個々の記事毎に特筆性を要しない程度の主題の著名さ」という意味で「著名性」という言葉を使いました。しかし、Frozen-mikan さん、Degueulasse さんのご意見を頂いた後、2010年8月11日 (水) 09:53 (UTC) のコメントにも書きましたように、このような「著名性」という概念を導入する必要はなく、「常に個々の記事毎に特筆性を求める」という事でいいのではないか、と考えを改めました。---Tom2008 2010年8月11日 (水) 12:44 (UTC)
その説明じゃまた一緒だー。その「特筆性」は、「一般的な意味での特筆性」か、「この文書で示すところのウィキペディア外部の中立的な情報源に有意な記述があること」なのか。--Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 13:10 (UTC)
当然、後者の「この文書で示すところのウィキペディア外部の中立的な情報源に有意な記述があること」という意味です。---Tom2008 2010年8月12日 (木) 02:33 (UTC)
オッケーです! 細かくてすみませんでした。ただまあ、駅や学校ができたということを伝える新聞などの報道が「有意な言及」つまり「その情報源が直接的かつ詳細に述べていて、独自研究的な解釈に拠らなくても、その話題に関する内容が読み取れる」ような情報源かどうかは、微妙なところだとも思います。--Ks aka 98 2010年8月12日 (木) 13:50 (UTC)

改名提案

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このプロジェクトページ名の「特筆性」を「日本語版Wikipediaにおいて単独の記事を立項するための基準」と変更することを提案します。 先に119.150.7.90さんが改名提案をしておられ,現在も議論が終了したわけではありません。しかし,この提案は問題提起的な提案で,具体的に改名後の名称を提示した形の提案ではないので,改めて提案します。先行する議論については改名提案Wikipedia‐ノート:特筆性/過去ログ1#方針名を「特筆性」へ変更する提案等をご覧下さい。Suzukitaro 2010年8月19日 (木) 21:22 (UTC)

題名自体が論外。cross-wiki spam の餌に利用されかねない。--hyolee2/H.L.LEE 2010年8月19日 (木) 23:02 (UTC)
(反対)あまりにも名称が長すぎます。---Tom2008 2010年8月20日 (金) 05:18 (UTC)
(コメント)現在の「特筆性」というプロジェクトページ名が「造語」であるのに,あまりによくできた造語であるために,一般的な言葉であるような印象を与え,そのために中身を読まない人が多いのではないかということを危惧しての改名提案です。「中身を読まなければ意味が分からない」ということを印象づけるために,あえて長く説明的な名称を提案しています。長さにこだわるわけではありませんので,適切と思う対案をご提案いただければ幸いです。なお,「特筆性」という言葉に問題があることは,以前にも議論になっております。Wikipedia‐ノート:特筆性/過去ログ1#とりあえず、「特筆性」は止める方向で検討しませんか?もご覧いただければ幸いです。Suzukitaro 2010年8月20日 (金) 23:15 (UTC)

特筆性のタグテンプレートの解説を作成しました

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documentationテンプレートによる呼び出しを行いたいと思います。ご意見をTemplate‐ノート:特筆性#/doc作りましたまでお寄せください。--Akaniji 2010年9月18日 (土) 13:07 (UTC)

「削除の方針」から「特筆性」を外す提案

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Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」について#「特筆性・著名性」の「特筆性」についてにて「特筆性」を外す提案をしたことをお知らせします。--fromm 2010年10月20日 (水) 03:30 (UTC)

議論を踏まえて「削除の方針」から「特筆性」を除去しました。--fromm 2011年2月2日 (水) 09:14 (UTC)
報告 複数の方から合意形成に疑問が出され(Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」について#まとめ)、Wikipedia:削除の方針2011年2月6日 (日) 15:16の版において差し戻しとなりましたことを報告しておきます。--Blue-comet 2011年2月10日 (木) 13:05 (UTC)