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Wikipedia‐ノート:著作権/ログ/2004年3月28日まで

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著作権法条文の引用を?

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Wikipedia:著作権 にリンクさせて、日本の著作権法の条文を引用したページを設けるのはどうでしょうか。
願わくば解説も付けられると便利ですが、そちらは難しいですね。
(外部リンクなら、どちらも容易でしょうけど。)
- Gombe 02:54 2003年2月6日 (UTC)


ニュースの著作権 (ニュースはウィキペディアで引用できます)

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新聞やインターネット上のニュースのうち、事実関係や誰かのコメント(「・・・」や”・・・”でくくられた内部)については、少なくとも日本と米国では著作物とされておらず、著作権が及ぶ範囲外にあります。日本の著作権法だと、第10条の2項に、「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、(中略)著作物に該当しない」となっています。

上の説明は、田中ニュースの著作権の説明に見つけました:http://tanakanews.com/source.htm のページの最後にあります。
--Setu 07:11 2003年3月19日 (UTC)


このページに、次の2点についての説明を追加しようと思います。

  1. 他のウェブサイトの文章と同一内容のものが投稿された場合には削除される可能性があるので、著作権者である場合や著作権者から許可を得ている場合には、その旨をノートに記して欲しい、ということ。
  2. 現在のところ、そのような断り書きが何もなければ、ノートのページや削除依頼などで指摘をした上で1週間ほどの待ってみて、投稿者の方から返事がなければ記事を削除していること。

今日は時間がないのでこれにて。 Tomos 14:35 2003年7月12日 (UTC)

上記の点、他に関連する点などを新しいセクションとして追記しました。ご意見などあればお願いします。 Wikipedia井戸端BBSには関連のスレもありますので、重要なものなどはBBSに書いていただけるといいかと思います。Tomos 21:41 2003年7月13日 (UTC)


画像についてですが、切手関連も著作権に引っかかるのでしょうか?0null0 01:37 2003年10月3日 (UTC)

このページ(日本郵趣協会事務局)が参考になるでしょうか。sphl 03:14 2003年10月3日 (UTC)

わざわざありがとうございます。国立公園関係をやろうと思うのですが、ベースが写真ばかりなので、無理そうですね。図案系にかぎってみることにします(国定公園はいいかな)。0null0 03:20 2003年10月3日 (UTC)

わずらわせてもうしわけないですが、アメリカや諸外国の方にうかがうことはできませんか?切手は画像の宝庫なので、著作権問題がクリアできればかなりの画像が切手からえられるもので・・・。勝手な申し出でもうしわけないです。0null0 12:45 2003年10月9日 (UTC)

0null0さんがこの質問をされたのを見落としていました。無視した格好になってしまい申し訳ありませんでした。私もどういう情報を集めれば良いのか良く分からないので、フォローしてくださったTomosさんに、勝手ながらお願いします。sphl 23:28 2003年11月5日 (UTC)
1ヶ月近く経ってしまっていますが。。この件、何を聞いたらよいでしょうか? 例えばアメリカやイギリスで発行されている切手の一部を画像として利用してよいか、ということでしょうか。よかったら英語版の井戸端で聞いてみます。Tomos 18:38 2003年11月5日 (UTC)
いえいえ、こちらこそすいません。考えてみればあちらとこちらでは著作権の考え方が違うので、あちらの考えだけでやったらたいへんなことになりそうなので、日本のだけに留めておきます。0null0 23:34 2003年11月5日 (UTC)

ウィキペディア内のコピー&ペーストについて

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Wikipedia‐ノート:管理者/削除についての議論で先ほど書いた件です。

Wikipedia‐ノート:管理者が削除されることになるとしたら、現在そのページに書かれている法律的な議論- 管轄、準拠法、プロバイダ責任制限法の解釈と管理者やウィキメディア財団の責任、名誉毀損などの話 は、どこかに残しておけば後から参照して何かの時に役に立てることができそうに思いました。

そこで、その部分で発言があるT.Nakamuraさん、Falcosapiensさんのお2人が了解するなら、その部分(と関連する僕の書き込み)を僕がコピーして、新しいページにペーストするというのもよいのではないかと思いました。

また、オンラインで判例などを読むと必ず関係者の名前などが「甲」「乙」などと置き換えられていますが、今回の件もそういう風にするのがいいかと思ったので、単にコピー&ペーストするのではなく、改変を含むものだということになります。それについても一応了解を頂くべきだろうと思いました。

そこで、そういうことをしてもよいかどうか、お2人のご意見を伺っておきたいと思います。


それから、2つほど気になる点があります。

  • ウィキペディアでは、投稿されたコンテンツは、基本的に投稿者が自らの著作物をGFDLで利用許諾、提供している形になっていると思います。コピー&ペーストをすると、履歴のセクションに、あたかも僕が単独の著作者であるかのような形で情報が残ることになります。例えばウィキペディアの内容を外部で利用する場合には、著作者名を表示しなければならない場合があります。著作者が誰かをどう判定するのかはいろいろややこしい部分があると思うのですが、履歴を参考にし、それを理由に「Tomosが著作者だ」と扱う人もいるかも知れません。そういうことも考えると、実際の議論での例えばT.NakamuraさんなりFalcosapiensさんなりにコピー&ペーストをやって頂く方がまだいいのではないかとも思います。特にこだわらないということであればそれでも構いませんが。
  • また、著作者から許諾がとれれば、GFDLに従わなくてもよいのではないか、ということも思うのですが、ここで、Wikipedia‐ノート:管理者の著作者ということであれば、最新版の著作者は同ページにこれまでに書き込みをした全ての方だということになります。法律議論の部分については、実質的にお2人と僕のみが参加しているのですが、それを理由に、その部分をコピー&ペーストするためには単にその3人の許諾さえあればよい、と考えてもよいものでしょうか? それがひとつわからない点です。
    • ちなみに、ウィキペディア内での「コピー&ペースト」自体がそもそもGFDLに違反しているのではないか、ということを僕は考えたのですが、(また、こういう疑問を持ったのは僕一人ではないようですが)Wikilegal-lでの議論から、ウィキペディア全体をひとつの作品として考えると、ウィキペディア内でのコピー&ペーストはその作品内でテキストを移動させることに相当し、特にGFDLに違反するようなことではないのではないか、という感触を得ました。 もしも個別の記事がそれぞれ独立した作品であるということになると、コピー&ペーストをする際には、元のページにある履歴の情報を全て新しいページの履歴として保管しなければならないということになりそうです。(これは実質的にウィキペディアのインターフェースでは実行不可能なわけですが。)もしそうしなかった場合には、GFDLに違反する、つまり、著作者の指定した条件に沿った著作物の利用をしなかったことになり、著作権侵害になってしまう可能性があるようです。
    • では、ウィキペディアの英語版などから文章や画像をコピーしてきた場合、それがGFDL違反になるのか、という点も気になったので、聞いてみたのですが、ウィキペディアは基本的に多言語百科事典としてひとつの作品だ、という主張が多く返ってきました。 この場合にはそれはそれで問題があるような気がするのですが、(ひとつの作品であるにも関わらず、その改訂履歴が一箇所にまとまっていない点など)アメリカの法廷ではライセンスは厳密に字義通りに適用されるわけではなく、ライセンスの精神が遵守されていて、ライセンスに従う努力がされていればまあそれほど心配しなくてもよいのではないか、という意見もあったので、とりあえずあれこれ考え中です。

ご意見などありましたら、よろしくお願いします。Tomos 01:37 2003年12月24日 (UTC)

Tomosさんの提起された問題について、わたしも一緒に考えてみます。

私の理解した限りでは、GFDLにいう「work」なり「document」なりをどう解するか、というお話だと思います(GFDL1条1項1文および3 文:「This License applies to any manual or other work [...]. [...]. The "Document", below, refers to any such manual or work.」:法的拘束力をもつのは英語版のみということなので、英語版を引用します)。コピー・アンド・ペーストそのものであれば、GFDL2条で処理されるはずですから、そのコピー・アンド・ペーストがGFDLで発行されている以上、原版の著作権表示がなくても問題はないはずです。おそらく問題はその先で、ウィキペディア上で当該コピー・アンド・ペーストが改変された場合、GFDL4条1項2文D号によって、「In addition, you must do these things in the Modified Version: [...] D. Preserve all the copyright notices of the Document.」とされるけれども、ウィキペディアのやり方だとそれは保存されない、だから問題だ、ということだと理解しました(翻訳の場合も、 8条1項1文が「Translation is considered a kind of modification, so you may distribute translations of the Document under the terms of section 4.」といっているので、同じ)。

Tomosさんのお話を伺う限り、Wikilegal-lでの議論というのは、この不具合を回避するために、ウィキペディア全体を一つの「work」なり「document」なりと見てしまおうということだったのだと思います。そうすれば、ウィキペディアのどこかにはそれが保存されているのだから、問題ないだろう、ということなのでしょう。(ちなみに、このような考え方からすると、履歴を残さない全版削除というのは、きわめて問題のある行為だということになります。なぜなら、改変しているのに、copyright noticeはどこにも保存されていないのですから)。

しかし、この考え方はいかにも常識に反しています。しかも、ウィキペディアの構想なり前提なりにも反しているでしょう。まず、もしそう考えると、ウィキペディアのきわめてきちんとした履歴記録のシステムは、何のために存在するのかわからない、ということになります。ウィキペディアの全体こそが一つの Workなのであって、個々人による投稿部分がおのおのWorkであるわけではないというのであれば、全体たるWorkに対するすべての執筆者の共著だということになりますが、そうであればあのような履歴記録のシステムは不要で、執筆者リストさえあれば十分なはずです。次に、もしそう考えると、執筆者一人一人がウィキペディア全体を自己の著作物として再利用できる、あるいは、執筆者の誰もがウィキペディアのいかなる部分も自己の著作物として再利用できない(世界中のすべての執筆者の同意があれば別ということになりそうですが、それは事実上不可能です)、のいずれかの結論になりそうです。そして、いずれの結論も、GFDLの基本的な構想(GFDL前文1項2文:「this License preserves for the author and publisher a way to get credit for their work, while not being considered responsible for modifications made by others.」)に反します。

やはりウィキペディアは個々の著作物(works)の集合体と見るのが適当です。文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(Berne Convention for the Protection of Literary and Artistic Works)の2条5項は、「Collections of literary or artistic works such as encyclopaedias and anthologies which, by reason of the selection and arrangement of their contents, constitute intellectual creations shall be protected as such, without prejudice to the copyright in each of the works forming part of such collections.」と述べていますから、百科事典は「collections of literary or artistic works」だと理解するのがグローバル・スタンダードです。

以上のことに鑑みると、GFDLの解釈として、「ウィキペディア全体を一つのWorkとみる」という解釈は、適当ではないと思われます。そうすると、記事単位でWorkとするか、投稿部分単位でWorkとするか、という話になりますが、ウィキペディアにおいては、だれがどの部分を投稿したかがきちんと特定できる仕組みになっていますから、投稿部分単位でWorkと考えるのが常識的であると思います。

そうすると、次のような結論になると思います。

  • まず、他人の投稿部分のコピー・アンド・ペーストを行う場合には、それが単なるコピー・アンド・ペーストであれば、誰の許可も不要です(GFDL2 条)。ログ化と呼ばれているものは、これであると思いますが、実際誰の許可も得ずにやっているのではないでしょうか。ちなみに、このような過去ログについては、これがそのあと改変されてしまうと、GFDL4条違反になってしまうと思われます(その記事に対する投稿記録がなくなってしまうからです)。おそらく現在、ほとんどの過去ログは保護がかかっていないと思われますが、この点を考えると、保護をかけたほうがいいように思います。ログ化される前の記事へのリンクが張ってあって、しかもその記事の履歴が残っているのであれば、4条の要求を満たしているようにも思われますので、その後の改変を可としてもいいかもしれません。
  • 改変・翻訳を伴うコピー・アンド・ペーストであれば、GFDL4条の要求をみたす限り、誰の許可も不要です。しかし、その要求がみたせなくなる場合、例えば、もともとの記事の履歴が消失してしまう場合(今回はこの場合ですね)は、該当部分の執筆者の許可(今回の場合3名)が必要になります。もちろん、もともとの記事のコピーライト・ノーティスをノートなどに残すことができるのであれば、誰の許可も不要です。
    • この点を考えると、翻訳記事の場合は、記事の中に、翻訳元の記事の履歴に対するリンクを張っておいたほうが良いように思います。この点、わたしも今まで気づかなかったのですが。

ちなみに、「このページに移植してくれ」というご要請さえあれば、自分の投稿部分については自分で移植いたします。もちろん、私自身が、新たにページをおこしてもいいです。Wikipedia:名誉毀損の主張があった場合の法的対応に関する議論というのは、いかがですか? 

それから、Tomosさんのおっしゃるとおり、当事者については「甲」「乙」、問題となっている発言は「xxxxx」のようなかたちで伏字にしたほうがいいでしょうね。

T. Nakamura 10:54 2003年12月24日 (UTC)

T.Nakamuraさんのご意見、興味深く読ませていただきました。現実的解決としては、Wikipedia内でのコピー&ペーストおよびその改変はGFDL4条に関わらず無条件でなしえるとの一文を投稿条件として加える方が簡単でしょうね。すでになされてしまった部分については問題が残りますが。
今回の記事のコピー&ペーストについてですが、私の部分はどなたがやっていただいても結構です。Falcosapiens 14:44 2003年12月24日 (UTC)

ウィキペディアは個々の著作物の集合体というT. Nakamuraさんのご意見については、私も賛成です。以下はそれを前提とした意見となります。 Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_日本の市町村でTomosさんからコピー&ペーストについての懸念が提示された際に、私なりに考えたのですが、ウィキペディア内でのコピー&ペーストについてもWikipedia:著作権#1.複製、改変、再配布などの利用をされる方への要件を満たせば問題ないはずだ、という結論に(私としては)達しました。

そこでは「複製、改変、再配布した記事が GFDL 下でライセンスされること」「元になった記事の著者の貢献を認めなければならないこと」「素材の元となった「透過的な原稿」であるウィキテキストへのアクセスを提供しなくてはならないこと」が条件としてあげられており、後者の二つの義務は、該当元記事のホームに戻るリンクを目立つように提供することで満たされる、とされています。つまり、元記事へのリンクを張ることによってコピー&ペーストが行われた時点の著作権表示やそれ以前の改変履歴の保存に代えることができる、ということだと思います。

ウィキペディアの記事を、全く関係のない他のサイトで利用する場合にはこの規定は妥当なものであると思います。記事を他のサイトで利用する際に、それまでの編集履歴を、利用するサイトの側がいちいち取得して保持し表示する必要があるとなると、利用に対する負担が多大になり、現実的ではないからです。

とすれば、ウィキペディアないでコピー&ペーストした新記事についても、元記事へのリンクをはった上でそれ以降の改変履歴のみ保持すればいいことになると考えられます。 T. Nakamuraさんの「ログ化される前の記事へのリンクが張ってあって、しかもその記事の履歴が残っているのであれば、4条の要求を満たしているようにも思われます。」というご意見とほぼ同意です。

で、ここからが若干異なるのですが、T. Nakamuraさんは元記事の履歴が残っていることを前提とされています。これを、ウィキペディアとは全く関係のない他のサイトで利用する場合に当てはめて考えると、私としては「元記事の有無は問わない」のではないかと考えております。 つまり、他のサイトで、元記事へのリンクを張った上で記事をコピー&ペーストして利用した場合、その時点でGFDLによる転載条件を満たしています。しかしその後元記事がウィキペディアから削除されてしまった場合、他のサイトがGFDLに違反する状態に転落してしまうと考えるのは少々無理があるのではないかと考えるためです。他のサイトの新記事は、ウィキペディアの元記事に由来する独立した二次的著作物であり、ブランチが分かれた時点でGFDLが満たされていれば、その後元記事がこの世から消失してしまっても、依然としてGFDL的に有効な立場にあるとする方が自然なのではないでしょうか?

(以上はGFDLを精査した結果ではなく、GPLを採用したフリーソフトウエアの取り扱いからの類推ですので、間違っていたらご指摘下さい。)

もし、上記が成り立つのであれば、ウィキペディアの内部であっても、あくまで形式的な面では「コピー&ペースト+元記事へのリンクによる新記事作成」ののちに「元記事の削除」を行う限りはGFDLに違反しない、と考えてよいのではないかと思います。 (これをウィキペディア内で派手に繰り返すと「編集履歴ロンダリング」のようなことができてしまうのですが、それはあくまでライセンス上は問題がなく、自治によって回避しなければならない問題なのではないかと思います。)

ただ、これはあくまで形式的にGFDLを満たすための方策です。今回の件に限定した場合、T. Nakamuraさんは(御自身が何らかの形で利用する可能性もふまえて)どの部分がT. Nakamuraさんによるものかを明確にした形での移行を希望されていらっしゃいますので、単純にコピー&ペーストを行うのではなく、事前に何らかの前処理が必要となるのではないかと思います。
Rona 18:36 2003年12月24日 (UTC)

T.Nakamuraさん、Falcosapiensさん、Ronaさん、ご意見を頂きどうもありがとうございます。非常に駆け足ではありますが、書かないよりは書いておいた方がいいだろうと思うことを、ほんの少しだけ。GFDLの解釈に関する点で重要と思われる点を4点補足します。粗い論で、リンクなどもつけないままで済みませんが、きちんと書けるまで待つよりはよいかもと思ったので。

  • まず、GFDLでは、定義のセクションで、「改変」というのは、ある作品の一部をコピー&ペーストして新しい作品を作成すると、その新しい作品は「改変」にあたると思います。ページを丸ごとコピー&ペーストする場合には、「Copying in Verbatim」かと思いますが。
  • また、GFDLでは、ライセンスに余計な条件を追加してはならないということになっています。新しく文章を投稿する方は、GFDLと、それとは別の条件として「ウィキペディア内でのコピー&ペーストは無条件承諾」という風に了解してもらうのもあるいはよいのかも知れないですが、既にある文章については、GFDLであるものを「GFDL+ウィキメディア内でのコピーは自由」という風にはできないだろうな、と思います。
  • 最後に、これもWikilegal-lで聞いてみたのですが、「作品」をわれわれが自由に定義してしまっていいのか、何かの理由によって「個別の記事がそれぞれ独立した作品」と解釈しなければならないのではないか?というようなことを尋ねたところ、「それは作者であるわれわれが決めてよいことだろう」という返事がありました。この「われわれ」が非常に曖昧なところなども気になりますし、恐らくは「われわれが望めばひとつの記事が10の作品からなる、と定義してもよい」なんてことではないんじゃないかという気もするので、いろいろわからないところがあるのですが。もし裁判所に持っていった時にそこで決着をつけないとわからない話だ、というようなことであれば、有力な解釈全ての可能性を考慮して運営していかなければならないわけで、かなりやっかいだと思うのですが。
  • ジンボさんと比較的近しい(というか、たぶん法律相談にのっている)弁護士さんでAlexさんという方がいます。主に英語版で活動している方ですが、(署名は Alex R. だったり Alex765だったり)彼はむしろ記事を個別の作品と見なす解釈を提唱していました。
  • 最後に、コピー&ペーストのこの問題は「ログ化」「翻訳」「記事の分割や統合」など、ウィキペディアの運営にかなり必須な部分にまつわる問題で、このせいもあって個人的にはウィキペディアの将来というか、法的な基盤のようなものについて僕はかなり危ぶんでいたのですが、GFDLの最後の方にある条項によって、GFDLで提供された作品は、GFDLの後続バージョンの利用条件によって利用できるので、将来的にGFDLの内容が変更され、問題が解消されることもありうる、また、ソフトウェア用のライセンスであるGPLのより制約が緩いバージョンであるLGPLがあるように、GFDLについてもGLFDLを作成する可能性もあり、かつ、そちらに移行出来る可能性もある、などという話も聞きます。GPLもGFDLもGnu/フリーソフトウェア財団の提供・管理しているライセンスですが、財団のリーダーであるリチャード・ストールマンさんはウィキペディアのこともよく知っているし、ウィキペディア側からの働きかけに応じる可能性もあるようです。あくまで可能性ですが。Tomos 21:26 2003年12月24日 (UTC)

小さな話題から。保存先のページ名についてですが、

  • 今回の議論は、今後参照する際の一般的なガイドラインという面と、前例という面(この件に特殊な事情を反映した議論、それを取り扱った議論、なども含まれている)があると思います。
  • 対応についての議論はもちろんですが、名誉毀損の成立の条件などについての議論もあり、それも非常に参考になるものだと思いました。

そこで、「Wikipedia:名誉毀損の成立と法的対応に関する議論」、辺りでどうか、とも思います。作成はT.Nakamuraさん一括してやって頂いて構いません。でなければ、僕がやります。

それから、Ronaさんの「GFDLの要請を形式的に満たす方法」ですが、個人的には同じようなことを以前考えました。そして、ご指摘の通り、これはGFDLの抜け穴だとも思いました。(履歴を消してしまいたい文書から誰でも自由に履歴を消すことができるので。)気になったので、Wikilegal-lがなかった頃か何かに、Wikipedia-l辺りに投稿して、誰からも反応がなかった記憶がありますが、^^;) 同じことを考えた方がいると知って少しほっとしました。

とりあえず、これから論点の整理をやってみます。Tomos 00:36 2003年12月25日 (UTC)

まだ最終的な結論は出ていないものと思いますが、Suisuiさんの削除賛成意見もありますし、今日・明日は私は所用で出かけますが、その間に元の記事が削除されてしまってはいけないので、とりあえず移植を実行します。どういう結論になっても問題にならなそうな形で、記事のノートにコピーライト・ノーティスを書いておきます。Tomosさん、Falcosapiensさんのご署名をいただければ幸いです。

表題についてですが、Tomosさんのご意見を考慮した結果、「Wikipedia:名誉毀損の主張があった場合の法的状況の判断と法的対応に関する議論」とすることにしました。

  • 「名誉毀損の主張があった場合の」ではなく端的に「名誉毀損の」としたほうが簡潔であるとのご配慮があるものと理解しましたが、名誉毀損かどうかが分からないうちから「名誉毀損の」と断定的な言い方をすることは、避けておいたほうがよいように思います。これは、「終局的に名誉毀損かどうかを決定するのは裁判所」という理論的なという話でもありますが、なんらかの紛争が生じた場合に、このページが持ち出されたときの相手の心理的負担を和らげ、態度が硬化するのを防ぐというプラクティッシュな話でもあります。
  • 名誉毀損の成立の条件に関するテーマもあるのだから、それも表題に反映させたほうがよい、というTomosさんのご指摘はもっともだと思い、この点する言及を入れました。ただ、「成立」も前項と同じ理由から避けたほうがよいと思いましたので、「法的状況の判断」としました。

取り急ぎ、以上です。T. Nakamura 07:32 2003年12月25日 (UTC)

ログ化、ありがとうございました。タイトルはよいと思いました。もっとよいタイトルが思い付けばあとから移動することもできますし、まあ非常に重大な問題ということではないかとも。Tomos 19:39 2003年12月27日 (UTC)

論点整理

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コピー&ペーストをウィキペディア内で行うことはGFDLとの関連で問題があるかどうか、について論点を整理してみました。

ところで、GFDLは日本語版にはver.1.1 がWikipedia:Text_of_GNU_Free_Documentation_Licenseにあり、英語版は以前ver.1.2に切り換えたのですが、とりあえず1.1を参照しておきます。

(このバージョンの切り換えの是非や、英語版と日本語版のズレも気になる点ですが、それはまた別件ということで。。)

主題となる行為

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ここで話題になる、コピー&ペーストとそれに類する行為の例

  • いわゆる「ログ化」
  • 記事の統合や分離
  • 決まり文句の使用やテンプレートの利用
  • 他言語版からの翻訳、他言語版からの画像のアップロード
  • その他、「ページの移動」機能を利用せずに、あるページから別のページへコンテンツを移動させるような行為の多く。

作品の単位

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  • GFDLには、「逐語的複製」(Verbatim Copying)「大量複製」(Copying in Quantity)「改変」 (Modification) の3つの形の二次利用が想定されていて、それぞれ利用者に要求される条件が異なっています。具体的には、ライセンスの2、3、4節で独立に扱われています。そこで、コピー&ペーストがどれに相当するかを見極めたいわけです。
  • その前段階として重要になるのが、ウィキペディアにおける「作品」の範囲、単位をどう定義するかです。4つの説が思い当たります。
    • 個々の書き込み(例えば議論のページにあるような、最後に署名と日付がついているようなひとまとまりの発言)がひとつの独立した作品である
    • 記事の各版が基本的にはひとつの独立した作品である
    • ある時点での個々の言語のウィキペディアが、それぞれひとつの独立した作品である
    • ある時点での全言語版のウィキペディアがひとつの作品である

また、このような判断を誰が行うのか、という問題もあると思います。必ずしもライセンスに明示されているとは言い切れないようなので。

これまでに挙がった説を整理してみます。

  • 記事の各版が独立した作品である(T.Nakamuraさん説1)
    • その根拠として、ベルヌ条約にある百科事典の理解が挙げられる。
  • 各人の投稿部分が特定できるような場合(ノートでの議論のように、各人が加筆していく場合)は、その書き込みがそれぞれ独立した作品だと考えることもできる。(T.Nakamuraさん説2)
    • 各記事についている履歴情報などから、それが伺われる。
  • ウィキペディア全体をひとつの作品。(Wikilegal-l説)
    • ウィキペディア側が「これは全体として一つの著作物である」という主張をすれば、それでそうなる。
    • 履歴の保存などに問題があるように思われるかも知れないが、それはGFDLの条文に忠実な形ではないだけで、一応その精神に忠実であることなどから、問題がないとも考えられる
      • ベルヌ条約にある百科事典の理解と食い違う
      • 貢献に対するクレジットを保証しようというGFDLの精神と矛盾する

ページ間コピー&ペーストの位置づけ

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  • GFDLには、「逐語的複製」「大量複製」「改変」の3つの形の二次利用が想定されていて、それぞれ利用者に要求される条件が異なっています。具体的には、3者の区別は次のようになっているようです。
  • ある作品を丸ごとコピー&ペーストして、そのペースト内容だけからなる作品を作成するのであれば、「逐語的複製」
  • 100部以上印刷して配布する場合は「大量複製」
  • 以下のようなものは「改変」
    • 部分的なコピー&ペースト
    • ある作品の全てを他の作品に追加したり混ぜ合わせ、元の作品以外の何かにするコピー&ペースト
    • ある作品の一部を修正して作成する新しい作品

そこで、ページ間のコピー&ペーストは、次の条件を満たすなら、「逐語的複製」にあたるということになります。

  • ケース1:以下の3つの条件をすべて満たす。
    • ウィキペディアにおける作品の単位は、ページ(の各版)である。
    • その版の全てがコピー&ペーストされる。
    • ペースト先のページには、そのペーストされた内容以外には何もない。
  • ケース2:以下の3つの条件を全て満たす。
    • ウィキペディアにおける作品の単位が「個別の書き込み」である。
    • その書き込みの全体がコピー&ペーストされる。
    • コピー&ペーストされた先には、ペーストされた内容だけしかない。

これ以外の場合には「改変」にあたるということになりそうです。

GFDLとの齟齬

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2種類の問題が考えられるように思います。

  1. 逐語的複製を行った場合に、複製行為が行われた時点では問題がないものの、その後で、複製元のページの履歴などがなくなる。
    • 但し、これがGFDLに一応違反はしていないという可能性も指摘されています。(Ronaさんによる)
  2. 改変を行った場合に、GFDLの4節に提示されている要求がきちんと満たされない。

改変に際して要求される点

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GFDLの4節に提示されている要求の内、ウィキペディアには関係のないものもあるのでそこを整理してみます。

関係があるものとそうでないものでインデントを変えてリストします。

  • A,B,C タイトルページ(題扉とも?)についての要求。ウィキペディアにはタイトルページがないので、GFDL1条でそのような場合について規定されているところに従って、それに相当する部分を探す、ということになります。作品がどこであるかによってタイトルページは大きく違ってきますが。
  • D,E 著作権表示 (Copyright Notice) それまでの著作権表示を保存し、適切な追加を行うこと。ウィキペディアには著作権表示がないので、たぶん関係がないのではないかと思うのですが。。どうでしょうか。T.Nakamuraさんは少し違うお考えのようにも思いました。
  • F GFDLによってライセンスされている旨の表示。これは関係があります。ですが、ウィキペディアのほぼ全てのページで自動的に表示されるようになっているので、満たされていると考えてよいと思います。
    • G 不可変部分(Invariant Sections)と表紙(Cover Texts)のリスト表示についての要求。ウィキペディアにはそのような部分はないということなので(Wikipedia:著作権より)関係ないと思います。
  • H ライセンスを作品内に含めること。
  • I 履歴セクションの保存と、新たに行われた改変の情報の追加。
  • J 改変の元になった作品のネットワーク上の位置の保存。
    • K 謝辞、献辞などのセクションの保存。これはウィキペディアには存在しないということなので、関係ないと考えてよいかと思います。
    • L 不可変部分の保存。これはこれはウィキペディアには存在しないということなので、関係ないと考えてよいかと思います。
  • M 支持(Endorsements)の表示の削除。
  • N 紛らわしいセクション名をつけないこと。

以上から、A,B,C,F,H,I,J,M,Nの条件が満たされる必要がある、もしかするとD,Eも、ということになります。

それを乱暴ながらまとめてみると、改変を行った場合には、以下の用件を満たさなければならない、ということになります。

  • A,B,C タイトルページで、タイトルを変更し、最低5人の主要著者名を挙げ、出版者名を挙げる。
  • F GFDLによってライセンスされている旨を新しい作品に表示する。
  • H ライセンス全文を作品内に含める。
  • I 履歴セクションを保存し、新たに行われた改変の情報を追加する。
  • J 改変の元になった作品のネットワーク上の位置を保存する。
  • M 支持(Endorsements)の表示が改変前の作品内にあれば改変後の作品では削除する。
  • N 紛らわしいセクション名をつけない。

作品の各種定義についての4条の適用

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論点のまとめの域を外れますが、作品の各種定義について、4条がどう適用できるかを考えてみました。

ウィキペディア全体がひとつの作品の場合

作品がウィキペディア全体であった場合には、たとえばメタ・ウィキメディアのmeta:The provisional portal of Wikipedia辺りがタイトルページに相当すると思います。それに続くページということで、そこからリンクを張るとよいのではないか、とも思いますが。

また、GFDLではそもそも50分冊に及ぶようなマニュアルなりその他のドキュメンテーションにGFDLを使うことを想定していなかったのだろうと思うので、作品としては全体でひとつだけれども、各言語版のメインページが各分冊の表紙である、と考えるのもアリなのではないか、と思う面もありますが。(この「作品と分冊の区別」を持ち込むと更に話がややこしくなりそうなのでまた機会があればその時に。。)

ウィキペディア内のどこかで何らかの変更がある度に、作品は「改変」されるので、コピー&ペーストは普通の編集と比べて特に問題ということはなさそうです。

  • A 改変に伴ってタイトルの変更を行う必要があります。 (そんな無茶な。^^;)
  • B 主要著作者は、誰がどうやって決めるのか、という議論になっていましたが、改変する人が決める責任を負っているのだと思います。これまでに目にした実行可能そうな案としては、「ウィキペディアの参加者及びウィキペディアで利用した各種資料の著作権者」などという形でまとめてしまう、というものです。
  • C 出版者はいないようなので関係ないのではないかと思います。
  • D,E 現時点では著作権表示にあたるものはないと思いますが、それを保存し、自分の名前を追加します。
  • F ライセンス全文は含まれているので問題ありません。
  • H GFDLで利用可能である旨の明記。 問題ありません。
  • I 履歴の保存。全ウィキペディアの履歴の保存、というのは、例えば各言語版の「最近更新したページ」を全て保存し、かつ、「削除ログ」も保存し、ソフトウェアの変更などがあればそれを記録する、ということで実行できそうです。一般ユーザにはとてもできないと思いますが。 もう少し柔軟な解釈としては、履歴を一個所に集積しても何の利便性もないことなどを理由に、ウィキペディア内では履歴情報が分散して保管されていることを説明し、各言語版の履歴へのリンクを提供する、という辺りではどうかと思います。
  • J 改変前の作品のネットワーク上の位置の表示。微妙ですが、改変前の作品は改変された部分以外は同じ位置にあります。(これもGFDLの予想外でしょうが。)また、改変された部分については、改変前の部分は、履歴のページにネットワーク上の位置が示されています。URLの直接表示ではなく、リンクですが。
  • M 支持表明は、もしもウィキぺディア上のどこかにあるとするとそれを除去しなければいけないのかも知れませんが、見つけることはほぼ不可能です。ただ、特定の記事への支持表明があった場合には、それを放置しておくことには問題がない場合がほとんどだろうと思います。
  • N 紛らわしいセクション名をつけない。これは実行可能です。


記事やページがそれぞれ独立した作品である場合

GFDL1条にある記述をそのまま適用すると、タイトルページは、記事名の大きく表示されている部分と、本文が始まりとの間のスペース、ということになります。

実質的には履歴に関連情報が含まれていますし、履歴ページをタイトルページだと考えることもできるのではないか、と思います。

また、コピー&ペーストは、ある作品から別の作品を作成する「改変行為」ということになりそうです。

例外的に、あるページの特定の版内容をそっくりそのままコピーし、他に何の変更も加えず、何も追加せずに新しいページを作成する、という場合には2条にある逐語的複製になると思います。個人的には、これが一番安全で、実行しやすそうだと思います。

  • A 改変に伴ってタイトルの変更を行う必要がありますが、コピー&ペーストについては、これは心配なさそうです。
  • B 主要著作者は、コピー&ペーストの元になったページの履歴ページに一応一通り示されています。これは、主要著作者をタイトルページにリストせよ、という要求に若干外れてしまいますが。また、通常の記事では記事の履歴ページが著作者リストになっているのに対して、ペースト先のページでは履歴ページには著作者リストがない、という一貫性の欠如があるのが気になります。また、コピー&ペーストが行われた後にも、元のページは改訂が続くこともあるので、履歴情報は変化し、正確でなくなってしまいます。
  • C 出版者はいないようなので関係ないのではないかと思います。
  • D,E 現時点では著作権表示にあたるものはないと思いますが、コピー元の履歴ページにそのリストがあると考えると、そこに自分の名前も一応リストされます。
  • F ライセンス全文は記事内には含まれていません。それは作品の体裁を大きく損なうので、リンクが張られている、という程度でよいのではないかと少し柔軟に考えるとすると、ページ最下部からのリンクがある点が多少近いかと思います。ただ、現状ではGNU_FDLへのリンクになっているだけなので、ライセンス全文への置き換えた方がよいかとも思います。(最近導入されたMediaWiki: 機能で、たぶん実行可能なのではないかと思います。)
  • H GFDLで利用可能である旨の明記。これは問題ありません。
  • J 改変前の作品のネットワーク上の位置の表示。コピー&ペーストの際に、コピー元のページへのリンクを要約欄に書くとか、ペースト先のページに書くとか、これは実行できそうです。
  • M 支持表明は、もしも元の記事にあれば除去することができます。問題なく実行可能でしょう。
  • N 紛らわしいセクション名をつけない。これは問題なく実行可能でしょう。

単独の書き込みがそれぞれ独自の作品である場合

タイトルページは、そもそも作品のタイトルがないために、どうやって定めたらよいのかがわかりにくいです。

コピー&ペーストは、ひとつの書き込みだけをコピー&ペーストする場合は作品の逐語的複製に相当し、4条に挙げられた様々な要求に従う必要がありません。

それに対して、複数の書き込みをまとめてコピー&ペーストする場合、あるいはペースト先に既にある内容と組み合わせる場合には、改変に相当します。

更に大きな問題は、通常の記事でよく起こることですが、誰がどの部分を書いたかが非常にわかりにくい場合です。文の構成や表記、文体などにいろいろな方が手を入れた記事は、そもそも「書き込み」を単位として分割することが困難です。ノートページについては比較的分割がやさしいですが。

  • A 改変に伴ってタイトルの変更を行う必要がありますが、書き込みには通常タイトルがないので、実行が困難です。ただ、タイトルがないのはコピー&ペーストをする人の問題ではないですし、書き込みにはタイトルがないのは普通ですから、明らかな違反があるとも言えないように思いますが。
  • B Aに同じですが、あえて言えば、ペーストした各書き込みの冒頭部分に、誰による書き込みかを示すべきでしょうか?
  • C 出版者はいないようなので関係ないのではないかと思います。
  • D,E 現時点では著作権表示にあたるものはないと思いますが、敢えて言えば、Bと同じです。
  • F ライセンス全文は書き込み内には含まれていません。それは書き込みの体裁を大きく損ないます。せめて書き込みを含んでいるページからのリンクが張られている、という程度でよいのではないかと少し柔軟に考えるとすると、ページ最下部からのリンクがある点が多少近いかと思います。ただ、現状ではGNU_FDLへのリンクになっているだけなので、ライセンス全文への置き換えた方がよいかとも思います。(最近導入されたMediaWiki: 機能で、たぶん実行可能なのではないかと思います。)
  • H GFDLで利用可能である旨の明記。これもFと同じく、書き込みひとつひとつについての明記はついていませんが、多少柔軟に解釈してもよいならページ下部にはあります。
  • J 改変前の作品のネットワーク上の位置の表示。コピー&ペーストの際に、コピー元のページへのリンクを要約欄に書くとか、ペースト先のページに書くとか、これは何とか実行できそうです。
  • M 支持表明は、もしも元の書き込みにあれば除去することができます。問題なく実行可能でしょう。
  • N 紛らわしいセクション名をつけない。これは問題なく実行可能でしょう。

T. Nakamuraのコメント

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書いているうちにTomosさんのご投稿があったようですが、とりあえず書いたものを投稿します。

Wikipedia‐ノート:名誉毀損の主張があった場合の法的状況の判断と法的対応に関する議論で論じた点と関連しますが、1. 著作物の単位をどうするか、2. コピー・アンド・ペーストは2条か4条か、という点について、結論が出ていないと思いますので、ちょっと考えてみます。実は、この二つは関連します。

まず、第一点から考えますが、多言語ウィキペディア全体、一つの言語のウィキペディア全体、記事単位、投稿単位、の4つくらいの可能性があります。最初の二つは、前に論じたように常識・現行法からかけ離れているので、考慮しなくてよいと思います。そこで、記事単位か、投稿単位か、という点が問題になるので、とりあえずその帰結を考えて見ます。

  • 記事単位だとすると、Tomosさんのおっしゃったように、「ページの移動」のように記事全体がそっくりそのままコピーされなければ2条は適用されません。「ページの移動」の場合でも、記事名が変わっていますから、2条は適用されないかもしれません。
  • これに対し、投稿単位だとすると、投稿部分ごとにコピーをきちんとすれば2条が適用されます。そうすると、コピーライト・ノーティスをつくらないでも、ページを部分ごとにログ化することができ、きわめて便利です。

いずれの場合でも、2条の適用を維持するために、ページに保護をかける必要があります。

これを、今回の事案(元の記事を削除)に当て嵌めて考えて見ましょう。

  • 著作物の単位が記事単位だとすると、削除の際に有益な部分だけをログ化して残すことは、コピーライト・ノーティスをつくらない限りできません。これは、きわめて面倒な作業です。管理者ノートページのように、何度も編集がかけられている場合は、きわめて長いものになるでしょう(し、作成自体ほぼ不可能かもしれません)。しかも、どの版を用いればいいのかという問題も生じます。
  • ところが、著作物の単位が投稿単位だとすると、投稿ごとにコピー・アンド・ペーストがしっかり逐語的になされていればいいわけですから、極めてログ化は容易です。保護をかけておく限り、コピーライト・ノーティスをつくる必要はありません。

ウィキペディアのシステムは投稿単位説に親和的だという話はこの間しました。また、この間、Tomosさんが、「何を著作物の単位とするかは当事者意思でいいんじゃないか」という説があるというお話をしていらっしゃいましたが、どちらかの説を明確にルール化して公示しておけば、そういう考えが認められることもあるかもしれません(もちろん、いくらルール化しても法令に反するものではいけませんが、この場合は、どちらと考えても法令に反するわけではないと思いますので、そういう考えが認められる余地があるということです)。

さしあたり以上です。T. Nakamura 19:48 2003年12月27日 (UTC)

Tomosのコメント

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履歴の存在の解釈
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履歴情報がついていることから、各記事なり各書き込みが独立した作品の単位だと考えるのが適当と思われる、というT.Nakamuraさんと同じ感想は僕も持っているのですが、そう考えない理由もかなりいろいろ思い付きます。その点について少し踏み込んだ話をしてみます。話は多岐に及びますが結論は単純です。

ウィキペディアは当初UseModWikiというウィキエンジンを使っていたと記憶していますが、それは必ずしも履歴が全て保存されないものだったようにも思います。一般に、どんな些細な変更でも履歴として全て保存されるもの(具体的には、全てのバージョンが保存される、という形をとります)、管理者などがバックアップをとった場合にだけ保存されるもの、直前の版だけが保存されるもの、などがありますが、いずれの場合も、データベースの管理の都合などから、版のID番号、日付、書き込みをした人のIPまたは登録ユーザ名、その版の内容を保存するようです。(ウィキペディア用に開発されたウィキエンジンであるメディアウィキは、「コメント」欄がある点や、細部の変更をマークできる点などが少し違いますが。)ここから、「履歴が今のような形で保存されているのは、ソフトウェアの開発の歴史的な偶然(他の人もそういう発想だったのでメディアウィキもそうなった)」「データベースのデータ構造など、技術的要素」「誰がどういう書き込みをしたかが特定できるようになっていると、荒らしや違法な書き込みをする者に対する防衛、対処がしやすそう、などサイト運営上の理由」などの要因によって説明できるものだと思います。

更に、GFDLでは保存すべきとされているのは誰がいつ変更を行ったかだけで、各「版」を保存する必要はないわけですが、他のウィキエンジンと同じく「版」を保存している、というのも、そう考える理由になりそうです。

特に、「とりあえず履歴を保存した方がよいだろうから、機能を追加しよう」ぐらいのつもりで、GFDLとの兼ね合いについて深く考えずにできることをやった、というのはありそうだと憶測します。

以上から、「個別の記事を独立の作品とするために履歴情報を保存することにした」「各執筆者が加筆した部分をわかりやすくすることで、それぞれの部分についての再利用の便宜を図った」のではない可能性「も」かなりありそうだと思いました。

ちなみに、上に書いたように、ウィキペディアが全体でひとつの作品だとしたら、履歴情報は、各言語版の「最近更新したページ」と「削除記録」を一個所に集めたようなものに近いと思います。それだけではなく、ソフトウェアの更新があった場合にはそれも「改変」にあたるので、それを記録する必要などもあるかも知れません。(よくわかりません) そもそもGFDLは何十万ページにも及ぶ文書が世界中で同時多発的に編集され、GFDLで提供されることなど想定していなかったのが原因でしょう。(また、そもそも文書一般用のライセンスではなくドキュメンテーション用のライセンスでしかないものを百科事典用のライセンスとして採用してしまったウィキペディアの失敗もあると思います。当時は他にめぼしいライセンスもなかったから、と以前メーリングリストでジンボさんが言っていた気がしますが。)

Tomos 20:52 2003年12月27日 (UTC)

コピー&ペースト後の改変

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コピー&ペーストした場合に、履歴を保存しなければならないか、改変されないようにロックをかけておかなければならないか、という点について。

既にRonaさんが上に指摘していることなのでできるだけ繰り返しを避けますが、GFDLの文面をそのまま解釈すると、「作品ひとつを丸ごとコピー&ペースト」(例えば記事の特定の版全体を)することは第2条の逐語的複製にあたる行為だと思います。履歴の保存は不要です。

そして、その逐語的複製作品も、同じくGFDLによって提供されていますので、改変してよいと思います。その複製作品には履歴情報がついていないわけですが、それは改変する人の責任ではないですし、コピー&ペーストした人は2条に従っただけなので、誰の責任でもないでしょう。つまり、作品のそれまでの履歴は失われてしまいますが、GFDLはそのような事態を許してしまっている、ということだと思います。これが「履歴ロンダリング」(Ronaさん)「抜け穴」(Tomos)などの形容が出る原因なわけですが。

例:僕が有志の方何人かと、GFDLで、ウィキペディアの外に、ウィキペディアの活用マニュアルを作成したとします。それを全文複製して来る際には、その人は履歴を複製する必要はありません。
複製した後に誰かがそのウィキペディア内のページを改変することがあるかも知れませんが、その際に、外部の複製元のマニュアルを探してその履歴情報を入手、ウィキペディア内に投稿しておく義務はないように思います。改変者が改変しているのは、あくまでもウィキペディア内のページで、そこには何の履歴もないので。

どうでしょうか? これはライセンスの意図するところと違うので、Good Faith Effortにならないということが言えるでしょうか? ライセンスで許されている行為のようなので、解釈に迷う点ではありますが。

Tomos 20:52 2003年12月27日 (UTC)

執筆者による許可を得た上でのコピー&ペーストの是非

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今回の話題と関連して、もうひとつ、コピー&ペーストする部分の執筆を行った者による許可を得れば、それで構わないのではないか、という可能性も検討できたらと思います。

どこで聞いたかちょっと思い出せませんが、次のような考え方ができないでしょか?

  • 自分で執筆した文章を投稿する場合には、そもそもその執筆原稿は投稿者の著作物にあたる。
  • 投稿後も、投稿者は執筆した内容を他のライセンス、条件で、他の形で自由に発表できる。

これは、ウィキペディアはあくまでも各参加者が著作物や共同著作物を発表する場であって、著作物の譲渡などが行われるわけではないし、ウィキメディア財団が提出されたコンテンツの著作権者になるわけでもない、という点とも一致している気がします。

自分の著作物なので、後からそれを別のライセンスで公開しても構わない、と。

ただ、日本かアメリカかどちらかで(両方で?)著作権保護が発生する条件として「公表されていること」があったような気がするので、ウィキペディアで最初に公表してしまうと、それは自分の著作物だけれども、GFDLでしか公開できない著作物になってしまう、というような解釈も成り立つのかどうか、そこはちょっとわからないのですが。

もし自分が新たに加筆・投稿した部分は基本的に自分が自由に利用できる著作物だ、ということになると、ログ化についても、T.Nakamuraさん、Falcosapiensさん、Tomosの許可を得れば、誰でもGFDLに違反することなくログ化できるということにならないでしょうか?

それとも、もう少し慎重に、例えば各投稿者から投稿原稿の写しをメールか何かで送ってもらって、それをつなぎあわせた上でログ化する、というのがGFDLに沿ったログ化ということになるのでしょうか?

Tomos 23:24 2003年12月27日 (UTC)

T. Nakamuraのコメント

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「Works」の単位については全ウィキペディア的にコンセンサスを固めたほうがよいと思ったので、Wikilegal-lに登録してみたのですが、この問題については、私がメールを出す前に、Tomosさんが疑問を提起してくださったようです。私も、そちらのほうで若干補足しました。この問題については、とりあえずこちらの議論の成り行きを見守るのが良いんじゃないか、と思います(別話題の関連で、ということのようなので、何の反応もないかもしれませんが)。[1]に私のメッセージはあります。なお、Tomosさんのメッセージはアーカイブ上に見当たりませんが(サーバのダウンと関係あるのでしょうか?)、私のメッセージの中に引用されています。

この根本問題と関連する点(カット・アンド・ペースト一般やタイトル・ページに関する議論等)については、Wikilegal-lの議論が収束してから議論するとよいのではないかと思います。

その他の点について、気づいたことを述べます。

  • ライセンス原文への直リンクに置き換えるべきではないかという点
    • その通りだと思います。
  • 「Publisher」はいないのではないか?という点
    • 公表する(publish)人ということなので、執筆者本人=「publisher」という気がします。何か具体的な結論が変わるわけではないと思いますが、念のため。
  • コピー・アンド・ペーストにそれ以外の何かが付け加わると2条でなく4条の問題になる、という点
    • その通りだと思います。
  • 執筆者による許可を得た上でのコピー・アンド・ペーストの是非について
    • GFDLで「you」と呼ばれるのは、ライセンシーであって(1条1項4文:「Any member of the public is a licensee, and is addressed as "you".」)、ライセンサーではありません。つまり、GFDLで規定しているのは専らライセンシーの義務であり、ライセンサーの義務ではありません。したがって、「ウィキペディアで最初に公表してしまうと、それは自分の著作物だけれども、GFDLでしか公開できない著作物になってしまう、というような解釈も成り立つのかどうか」という点については、「成り立たない」ということになります。つまり、「自分が新たに加筆・投稿した部分は基本的に自分が自由に利用できる著作物だ」ということになり、結局、「ログ化についても、T.Nakamura〔・・・〕、Falcosapiensさん、Tomos〔さん〕の許可を得れば、誰でもGFDLに違反することなくログ化できる」ということになりそうです。ただ、「Work」の単位をどうするかによって、結論が変わる可能性もあります(もし投稿単位ではなく記事が単位だとすると、それ以外の共著者の同意も得る必要がある、という結論になるのかもしれません)。
    • と、ここまで書いて、ふと思ったのですが、ことLicenserについては、GFDLの「Work」の概念に拘束される必要はないようにも思えてきました。GFDLの「Work」概念は専らLicenseeに向けられたもので、一般的な著作権法上の「Work」概念が、Licenserに対して適用される、そして、両者は別物である、という相対的な解釈もありかな、と。ちょっと無理があるようにも思いますが、どうでしょうか?

T. Nakamura 17:24 2003年12月31日 (UTC)

一番重要と思われる、最後の点について。「書き込み」が他の書き込みから独立している場合と、そうでない場合があります。例えば、記事の体裁を整え、字句を修正し、記述の順序を入れ替える、というような作業は、その元になった文章と切り離して取り出すことが実質不可能でしょう。そのような書き込みについては、T.Nakamuraさんの議論はあてはめられないと思います。

ですが、既にある議論に自分の意見を追加するだけの場合、追加する意見の方は、比較的独立性が高いので、それ単独で取り出して、著作権法で言うところの「著作物」だと扱うことはできるように僕には思われますが。

それからウィキペディアにおけるWorkの単位をめぐるWikilegal-lでの議論ですが、11月末当りから議論が始まって、結論が出ないまま今は一端収束している段階だと思います。

[2]のAlexさんの投稿辺りが皮切りでしょうか。Tomos 00:07 2004年1月4日 (UTC)

Tomosさん、コメントをどうもありがとうございました。

Tomosさんのおっしゃるとおり、Wikilegal-lでは議論が収束してしまっているようで、Tomosさんと私のメールにもなしのつぶてなので、とりあえず日本語版だけで議論を進めておくとよいと思います。

何度かいただいたTomosさんのコメントを受けて、その後いろいろ考えてみましたが、少し考えを変えます。再ライセンスとの兼ね合いで、投稿単位説でないとまずいのではないか(参照:GFDL前文1項2文)、ということで投稿単位説を支持してきたのですが、投稿単位説は、タイトル・ページの問題で変な結論になってどうもいただけないので(Tomosさんの前々々回のご投稿、参照部分:「単独の書き込みがそれぞれ独自の作品である場合」)、やはり記事単位説でやってうまくいかないか、と考え直してみました。その結果、どうやら記事単位説でもうまくいきそうだということに気づきました。ウィキペディアにおける著作権関係がどういうものであるかを明確にする意味もこめて、少し寄り道もしますので、問題になっているカット・アンド・ペーストや、今回いただいた疑問点に行き着くまでに結構時間がかかると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

まずは、次のような単純な例を考えてみます(以下、この例を「基本モデル」と呼びます)。

  • Aさんが赤リンクをクリックし、「X」という長い記事を書いた(この時点をT1とし、この初版をX1とする)。
  • Bさんが記事Xに大幅な加筆をした。その際、Aさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT2とし、この版をX2とする)。
  • Cさんが記事Xに大幅な加筆をした。その際、Aさん、Bさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT3とし、この版をX3とする)。

まず、T1の時点においては、X=X1という記事は、Aさんの著作物です。著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいいます(著作権法2条1項1号)。Aさんの著作権法上の地位はGFDLによって変わらず(GFDL1条1項4文)、このため著作権を保持するので、X1を自由に再ライセンスすることができます。

次に、T2の時点においては、X=X2という記事は、Bさんの二次的著作物です。二次的著作物とは、「著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物」をいいます(著作権法2条1項11号)。このとき、二次的著作物(X2)に対する著作者(B)の著作権は、原著作物(X1)の著作者(A)の権利に影響を及ぼしません(著作権法11条)。つまり、Bさんは、X1のAさんの著作権を侵害することはできないわけで、結局、Bさんが自由に再ライセンスできるのは、X-X1=X2-X1、要するに、Bさんが執筆した部分であるということになります。

T3の時点でも、同じことです。X=X3という記事は、Cさんの二次的著作物となりますが、Cさんは、Bさん(又は、AさんとBさん。結論は同じ)の権利を侵害できませんから、結局、Cさんが再ライセンスできるのは、X-X2=X3-X2であるということになります。

さて、以上の議論を前提として、今度は、いくつかヴァリエーションを考えてみましょう。最初のヴァリエーションは、次のようなものです(以下、「ヴァリエーション1」と呼ぶ)。

  • Aさんが赤リンクをクリックし、「X」というInterwikiのみの記事(Redirectでもいいです)を書いた(この時点をT1とし、この初版をX1とする)。
  • Bさんが記事Xに(X=Redirectであった場合にはRedirectを解除して)大幅な加筆をした。その際、Aさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT2とし、この版をX2とする)。
  • Cさんが記事Xに大幅な加筆をした。その際、Aさん、Bさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT3とし、この版をX3とする)。

まず、T1の時点を考えて見ます。Interwikiのみの記事やRedirectの記事は、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)とはいえませんから、著作権法上の著作物ではありません。おそらく、スタブ記事も同じ結論になろうかと思われます。

次に、T2の時点においては、Bさんは大幅に加筆していますから、X=X2という記事は、Bさんの著作物です。Aさんは著作権をもっていませんので、Aさんの執筆部分も含めて、Bさんが著作権をもつということになると思います。

T3の時点は、基本モデルと同じです。X=X3という記事は、Cさんの二次的著作物となりますが、Cさんは、Bさんの権利を侵害できませんから、結局、Cさんが再ライセンスできるのは、X-X2=X3-X2であるということになります。

次のヴァリエーションは、次のようなものです(以下、「ヴァリエーション2」と呼ぶ)。

  • Aさんが赤リンクをクリックし、「X」という長い記事を書いた(この時点をT1とし、この初版をX1とする)。
  • Bさんが記事Xのスタイルの修正をした(ウィキ化、誤字脱字・句読点・括弧の修正など)。内容的な加筆は行わなかった(この時点をT2とし、この版をX2とする)。
  • Cさんが記事Xに大幅な加筆をした(この時点をT3とし、この版をX3とする)。

まず、T1の時点においては、基本モデルと同じです。つまり、X=X1という記事は、Aさんの著作物です。Aさんの著作権法上の地位はGFDLによって変わらず(GFDL1条1項4文)、このため著作権を保持するので、X1を自由に再ライセンスすることができます。

次に、T2の時点です。スタイルの修正は、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)ではないので、著作権法上の著作物ではありません。その結果、「著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物」(著作権法2条1項11号)でもないことになりますから、二次的著作物ではありません。

次に、T3の時点においては、X=X3という記事は、Cさんの二次的著作物です。このとき、二次的著作物(X3)に対する著作者(C)の著作権は、原著作物(X1)の著作者(A)の権利に影響を及ぼしません(著作権法11条)。つまり、Cさんは、X1のAさんの著作権を侵害することはできないわけで、結局、Bさんが自由に再ライセンスできるのは、X-X1=X3-X1、要するに、Cさんが執筆した部分であるということになります。ちなみに、CさんがAさんの執筆部分に、著作物と評価できるような長い文章を挿入していたなら、その部分も含めて、X3-X1ということになると思います。

さて、現在ウィキペディアで起こっている事象は、ほとんどの場合、基本モデル、ヴァリエーション1、ヴァリエーション2の組み合わせとして処理できることに、お気づきになることと思います。つまり、このモデル(記事単位説)は、現在のウィキペディアの著作権関係を把握するモデルとして妥当なものです。また、GFDL上の帰結も、常識的なものになります(参照:前々々回のTomosさんのご投稿の「記事やページがそれぞれ独立した作品である場合」)。

ちなみに、確かつい先日まで、ラテン語版ウィキペディアには、ページの下部に最終更新者の名前が入っていたと思います(今見たらなくなっていましたが、ソフトが移行したのだと思います)。昔のことは知りませんが、おそらく現在のソフトに移行する以前は、日本語版やその他の言語版もそういう形式だったということではないかと推測しました。これは、おそらく著作物ないし二次的著作物をX(最新版)と考え、その著作権者を表示していたものではなかろうかと思います(これがコピーライト・ノーティスだとすると、GFDLの要求をみてしていないので、やめたのだと推測しますが)。

さて、以上のモデルが妥当なものだとすると、このモデルでカット・アンド・ペーストの問題を処理するとどうなるか、という点が問題となります。

まずは、許可を得るカット・アンド・ペーストです。上記のモデル通りに考えれば、Tomosさんの執筆部分はTomosさんが再ライセンスする権利を有し、Falcosapiensさんの執筆部分はFalcosapiensさんが再ライセンスする権利を有し、私の執筆部分は私が再ライセンスする権利を有しています。とすると、誰でも、三人の許可を得れば、三人の執筆部分をカット・アンド・ペーストすることができます。しかし、投稿された記事はGFDLにより新たに投稿される訳で、この投稿自体がGFDLに則っている必要はありません(2条の要件も、4条の要件も、みたす必要はありません)。

しかし、この場合、当事者間がどういう法的関係になるのかは、かなり難問であるように思います。一見すると、コピー・アンド・ペーストした人(仮にCPさんとします)と、ライセンシーたる公衆の一人一人の間に、GFDLが適用されるように見えます。そうすると、CPさんと三人の間はGFDLの関係にはありませんから、三人は、CPさんにいろいろと条件が付けられるように思います。しかし、コピー・アンド・ペーストした人は、著作権法にいう著作物を作成したわけではありませんから、ライセンサーとはなりえないわけです(しかし、Publisherではあるように思います。GFDLがLicenserのほかに Publisherに言及しているのは、こういう意味があるのではないかと思います)。とすると、ライセンサーとライセンシーの間にはGFDLがやはり適用され、とすると、その反射として、ライセンサーが再ライセンスするものがウィキペディア上で発表される場合には、結局、GFDL以外の条件は付加できない、ということになるのでしょうか?

と書いたところで、もう一度この点について確認する必要があることに気づきました。Falcosapiensさんから、「投稿の際にライセンサー側に制限を加える形で追加条項を加えてはどうか」というご提案があったのに対し、Tomosさんから、「GFDLに追加条項を設けることはGFDLにより許されていない」というお話があって以来、この話は出ていないと思います。私も、そういう形で納得していたために、特に疑問にも思いませんでした。しかし、前回も申し上げたように、GFDLの名宛人はライセンシーであって、ライセンサーではないことを思い出すと、この点に疑問が出てきました。つまり、たしかに、 GFDLの2条では「provided ... that you add no other conditions whatsoever to those of this License」、4条では「precisely this License」と述べられているわけですが、その名宛人である「you」というのはライセンシーを指していますから(GFDL1条1項4文)、ライセンサーとライセンシーとの間で追加条項を加えるのは許されていると解するべきように思います。その証拠に、末尾「How to use this License for your documents」の4項では、「If your document contains nontrivial examples of program code, we recommend releasing these examples in parallel under your choice of free software license, such as the GNU General Public License, to permit their use in free software」と述べられています。つまり、ライセンサー側に選択権のある形で二つのライセンスを重畳的にリリースすること(releasing these examples in parallel under your choice of free software license、なお、GFDL本文ではないので、youの指している相手は本文中と異なり、ライセンサーを指します)を薦めています。また、冒頭にある「Everyone is permitted to copy and distribute verbatim copies of this license document, but changing it is not allowed」というのも、Free Software Foundationが改訂権を独占するための条項であって、ライセンスに条件を追加してはならない、という趣旨のものではありません。

そうすると、ライセンサーはCPさんに対して条件をつけつつ(「ここはこう改変して欲しい」等)カット・アンド・ペーストを依頼できるという妥当な結論になります。また、Falcosapiensさんがご提案された、「Wikipedia内でのコピー&ペーストおよびその改変はGFDL4条に関わらず無条件でなしえるとの一文を投稿条件として加える」という方法も採用できそうに思います。

ただ、もっとよく考えてみると、「ウィキペディア外での使用は認めない」とか、「改変不可」とか、そういった条件をつけてライセンスすることも可能になってくる(ウィキペディア上でも)、ということになりそうなので、本当にそういう結論でいいのかはもう少し考える必要があるようにも思います。もし仮にそうなるようであれば、逆に、「余分な条件をつけない」という条件を投稿条件として加えれば、解決されるようにも思います。

次に、許可のないカット・アンド・ペーストですが、これについては、前々々回のご投稿でTomosさんがご指摘なさった通りの結論になると思います(参照部分:「記事やページがそれぞれ独立した作品である場合」)。

なお、Tomosさんから最後にいただいた疑問点についてですが、ヴァリエーション2がお答えしているのではないかと思います。つまり、改変が著作権法上にいう著作物ではないようであれば、そのような改変を行った方の許可は不要であるということになると思います。ただ、この場合はGFDLの要求をみたす必要が出てくるでしょう。もちろん、このような改変がある以前の版からコピー・アンド・ペーストすれば、ライセンサーの許可さえあればよく、GFDLの要求をみたす必要はない、という話になるかと思います。

さしあたり以上です。

T. Nakamura 04:00 2004年1月4日 (UTC)

Tomosのコメント

[編集]

Falcosapiensさんが提案された「ウィキペディア内でのコピペと改変許可するという条件を加える」という件ですが、あれこれ考えてみて、文言を多少工夫すれば、GFDLと矛盾しないという風に思いました。

1) まず、工夫しない場合にどういう問題が生じ得るか、ということを書いてみます。そうするとどういう工夫が必要かがわかると思うので。

単に投稿者が「サイト内でのコピペや、その改変を許可する」(追加的許諾と呼ぶことにします。)だけだと、ちょっとうまく行かないように思います。理由は、Aさんが新規投稿された記事をBさんが別ページへのコピペなしで単に編集する場合、それは追加的許諾によって許可された作業の内に入りません。むしろ、GFDLによって許可された行為になります。ところが、GFDLによって著作物を編集した場合、その編集結果は、GFDLのみによってリリースしなければならず、編集者であるBさんは「サイト内でのコピペやその改変を許可する」という追加的許諾を加えることはできません。これが問題のひとつめです。

もうひとつ、追加的許諾の導入以前にCさんによって書かれた記事をDさんが編集した場合には、その編集結果はGFDLだけでリリースしなければならず、それに追加許諾をする権利をDさんは有していません。

以上から、「ウィキペディア内での複製、改変、翻案、その他一切の利用を認める」というようなもう少し強い許諾が条件になっていて、単なる記事の編集もGFDLによらずに行えるようになっていることがまずは必要だということになります。

更に、「但し、このような許諾を導入したO月X日xx時(UTC)以前に作成されたページについてはこれはあてはまらない」、というようなものである必要があります。

2)

以上のような許諾は、実質的に、サイト内では投稿された内容をパブリックドメインのように扱う、というものになっていると思います。以下ではこれをサイト内PD制、と呼んでおきます。

新規投稿をする方は、記事が独立のWorkであるとしたら、そのようにする自由を有していますから、それに同意することができます。これはいわばデュアル・ライセンシング(ひとつの著作物について、2つの利用許諾条件を示し、利用者はどちらか好きな方を選んでよい、というような形にすること)と同じで、一般的に問題のない行為だと言えます。

そのようにして投稿された新規記事を別の人が編集してより読みやすい記事にする人は、GFDLによって定められているところによって編集してもよい権利を得るわけではなく、サイト内PD制の許諾にのっとって編集します。そこで、GFDLの定めるような、履歴の保存や主な著者最低5名の列挙などの義務も負わないことになります。

編集の過程で、新規投稿された記事が余りに長大なので複数の記事に分割するのがよい、と考えて一部を独立させる場合にも、同様に、GFDLではなく、サイト内PD制の許可を根拠に行います。ここにも無理はありません。

また、このような編集を行った方は、その(二次)著作物を、ウィキペディアに同じ利用条件でリリースすることができます。

ただ、ウィキペディア外で利用する場合には、GFDLに従わなければなりません。これは今まで通りです。ウィキペディアにとっての重要目的である「自由に利用可能な情報を提供する」という目的も達成されます。

ただ、記事がWorkの単位であれば、もうひとつの、「ページを丸ごとコピーすれば、その後改変してもよいし、コピー元が削除されても問題ない」というRona-Tomos説も一応おおよそGFDLに従っているとは思いますが。

3)

仮にサイト内パブリック・ドメイン制を採用することになる場合、どういう帰結があるかを少し考えてみました。

  • 全言語版で採用しない限り、言語間のコピペは以前として問題のままです。
  • 他言語版で導入された場合も同じです。
  • 英語版などでは、言葉の定義だけに終始しているページはウィクショナリーにどんどん送ってしまっていますが、そのようなプロジェクト間の移動があることを考えると、「ウィキメディア財団が支持する全てのプロジェクト内で」というような文言にしておくメリットも考えられます。
  • 将来的には、GFDLの後継バージョンとして今よりもウィキペディアの運営実態に合ったものをGNUから発行してもらい、そちらに移行する可能性も提案されています。あるいはソフトウェアにGPLとLGPLがあるように、GFDLについてもFDLとLFDLを作成してもらおう、と。(最初のLはLesserの略です。制約の緩いのが基本です。)リチャード・ストールマンさんがそれを受け入れるかどうか、悲観論と楽観論があるようですが、仮にそういうことが生じるとしたら、サイト内PD制との兼ね合いで何か面倒なことがおきる可能性があるのか、考えられるだけは考えておいた方がよさそうです。(今のところ全然想像がつきませんが。)
  • もう少しややこしいのは、各国版でこれを機に議論が起こって、それぞれ少しづつ違うタームでデュアル・ライセンシングが導入される、というようなことです。
  • また、ウィキペディア外部に存在していて、GFDLで利用可能になっている資料をウィキペディアに持ち込むことができなくなります。GFDLとサイト内パブリック・ドメイン制の両方に同意してもらわないといけないためです。日本語版にとっては余り関係ない話ですが、英語版ではどうか、と考えるとよくわかりません。

Tomos 09:15 2004年1月4日 (UTC)

T. Nakamuraのコメント

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とりあえずの感想です。わたしも、(コピー・アンド・ペースト固有の問題というよりも)どちらかというと通常の記事の編集一般について、GFDL4条との兼ね合いで問題がありそうに感じていたので、サイト内PD制を導入することには、(コピー・アンド・ペーストの点に加えて)この点からも積極的な意味があるように思います。

GFDL4条1項2文のうち、通常の記事の編集との兼ね合いで問題がありそうなのは、次の各号だと思います。

  • A号:タイトル・ページに原版とは別のタイトルを使うことを要求しています。現在のウィキペディアでは(今後もそうだと思いますが)、記事のタイトルが改変後も変わっていない、と評価される可能性が少なくない様式を使っているように思います。
  • B号:タイトル・ページに改変の責任者と原版の5人以上の著者の表示を要求しています。ページ上部の履歴へのリンクでもよいと考える余地もありそうですが、いずれにせよ微妙です。
  • C号:タイトル・ページに公表者名の表示を要求していますが、これもB号と同じ微妙さを含んでいます。
  • D号:何をコピーライト・ノーティスと評価するかにもよりますが、もしコピーライト・ノーティスが存在しないのであれば、この号との兼ね合いで問題がある可能性があります。
  • E号:コピーライト・ノーティスの適切な改訂を要求していますが、D号と同じ可能性を含みます。
  • F号:一見、問題なさそうですが、「コピーライト・ノーティスの直後に」となっている点が気になります。
  • H号:これは話題に出たものです。ページのフォームを変更すれば問題なくなります。
  • J号:ネットワーク・ロケーションの保存ですが、以前Tomosさんが指摘されていたように、ウィキペディアのあり方はGFDLの予期していた事態の範囲内にないために、この条項の評価は難問です(難問であるということは、われわれから見れば、予測可能性が低いということです)。
  • M号:「Endorsements」を削除する要求ですが、いまいち変な規定だと思って、Black's Law Dictionary (6th ed.)をひいて見ました。そうすると、「endorsement」には「indorsement」へのリダイレクトがあり、「indorsement」の項によると、indorsementは典型的には小切手の裏書のことであるようですが、文書になされた署名のこともindorsementといわないわけではないようです。「The signature on an instrument of a person who has the liability thereon of an indorser. [...] As applied to documents, the term means the signature thereon of a person to whose order the document runs」(p. 774)とあります。つまり、この規定は、GFDL前文1項2文の「not being considered responsible for modifications made by others」という趣旨を体現したものであるということだと思います。要するに、文書を改変する場合は「署名(Endorsements)」というタイトルをもつ部分を削除する必要があるということです(契約書などの文書を念頭に置いた規定だと思います)。なお、現在、ノートページでの議論は自分のコメントのあとに署名する慣行となっていますが、これは、署名ではあっても「署名」というタイトルのセクションでなされているものではないので、問題ないはずです。
  • O号:ヴァージョンの関係で日本語版では未導入だというお話がありましたが、本当にそうなのか若干疑問があります(私の見た限り、日本語にはヴァージョン1.1を適用する旨の記述は見当たりませんでした。私が見落としている場合には、ご指摘いただければ幸いです)。しかし、とりあえずそういう理解を前提とすれば、井戸端BBSでのお話は、ヴァージョン・アップした上で免責事項を導入する場合には問題となりそうだ、というものでした。この条項を予め排除することには、メリットがありそうです。

こう考えると、サイト内PDの重畳的ライセンスを導入することにはかなりのメリットがありそうです。

ライセンサーやライセンシーの選択権を認める形では、問題の解決にならないでしょうから(GFDL4条のほうを適用する、という話になっては困るからです)、「GFDLとサイト内PDライセンスに齟齬がある場合は、サイト内PDライセンスのほうが優越する」という形で導入するのがよいのではないかと思います。

それから、3)の帰結の点ですが、さしあたり、次のような感想を持ちました。

  • 言語間のコピー・アンド・ペーストと翻訳については、例外的にGFDLのみでライセンスするような形となる条項を設けるとともに、GFDLの要件をみたすようなやりかたをマニュアル化する必要があると思います。
  • 「すべてのプロジェクト」とすべきだという点は、その通りだと思います。
  • GLFDLが導入されても、日本語版ではサイト内PDライセンスが優越するということであれば、問題はないようにも思います。一応、しばらく時間をおいて、いろいろな場合をブレインストーミングしたほうがいいかもしれませんね。
  • 他言語版が異なるデュアル・ライセンシングをする場合については、それに柔軟に対応できるように、GDFL10条のような条項をサイト内PDライセンスにも入れておくとよいと思います。
  • 外部サイトの利用については、日本語でとくに目ぼしい外部サイトがないのであれば、考慮しなくてもよいと思います。英語でそういう素材を使っているのであれば、そこからのコピー・アンド・ペーストと翻訳については、一点目の問題に収斂されると思います。

さしあたり以上ですが、サイト内PDライセンスを採用するとなると、日本語版ウィキペディアはいわば未知の領域に踏み込んでいくわけで、なるべく、考慮忘れの事態というか、ライセンスで想定していなかった事態が起こる、ということが少ないほうがよいと思います。そういう意味で、いろいろな方が同じ問題について考えて下さると心強いと思います。私自身も、気づいたことがあり次第、また投稿したいと思います。

T. Nakamura 00:56 2004年1月5日 (UTC)

Tomosさんのコメント(GFDLのヴァージョンについて)とそれに対するお返事

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GFDLのバージョンの件について参考までに。

個別の記事「内」にGFDLの全文を含める、というGFDLに字義通り忠実な形態をウィキペディアではとっていないように思います。ですが、GNU_FDLへのリンクが各ページに張られていて、そこから更に、ウィキペディア日本語版内のWikipedia:Text of GNU Free Documentation Licenseへのリンクが提供されています。 リンク先をGNU_FDLではなくライセンス全文に変えるとしたら当然こちらのページにリンクすることになると思います。で、このページにある「全文」はver.1.1です。

ver1.2 への切り換えは、ウィキペディア内の投稿内容はGFDL 1.1で提供されており、かつ、1.1の一部に、後継バージョンを使うことにしてもよい、という許諾が含まれていますので、例えば僕が後継バージョンに切り換えることは、1.1の許諾の範囲内、ということになると思います。 英語版のどこかで以前Alexさんとも話しましたが、同じようなことを言われたように思います。Tomos 04:24 2004年1月5日 (UTC)

どうもありがとうございました。そうだとすると、GNU FDLの記述はどうも問題があるように思います。詳細は、ノート:GNU FDLに書きましたので、ご覧ください。T. Nakamura 02:59 2004年1月6日 (UTC)

Ronaさんのコメントとそれに対するお返事

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Tomosさん、T. Nakamuraさん、おつかれさまです。 お二人の議論がかなりの長文となっており、私が正しく理解しているか少々不安なので確認させて下さい。
現在の想定としては、サイト内パブリック・ドメイン制として「ウィキペディアおよび類似プロジェクト内での利用をパブリックドメイン(に近い形)で許諾する」というライセンス条件を、GFDLに追加する、ということを想定されているのでしょうか? それとも、GFDLへの条件追加ではなく、サイト内パブリック・ドメイン制を独立したライセンスとし、GFDLとのデュアルライセンスとする、ということを想定されているのでしょうか? また、前者の場合、そのライセンスは「GFDLをベースとしたGFDL類似のライセンス」ということになると思いますが、これもあっていますか?
いずれにしても確かに未知の領域ですね。少し思考実験してみようと思います。Rona 16:36 2004年1月6日 (UTC)

コメントありがとうございます。

GFDLの改訂権は、Free Software Foundationに専属するため、それ以外の人はGFDLを改訂することができません。ですから、GFDLへの追加ではなく、もう一本ライセンスを書いて、牴触する部分はそのライセンスが優先される、という方法がよいのではないか、と思っています。前半部分はGFDLからの論理的帰結ですが、後半部分、つまり、牴触する範囲で優越させるべき、という部分は私の意見です(GFDLを優先させる、ライセンサーが選択できる、ライセンシーが選択できる、の選択肢がありえますが、これらの選択肢では以前に指摘した問題が解決できないと思います)。

思考実験、よろしくお願いします。

なお、さきほど気づいた点として、商標権との関連で、「商用利用可能」とするGFDLの部分を排除する条項も設けたほうがよいように思います(参照:ノート:アンパンマン)。

T. Nakamura 01:45 2004年1月8日 (UTC)


Tomosさんのコメント

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4つ別々の話題があります。最初の3つはふとしたきっかけからGFDLを読み直してみてふと気がついた点です。今までよりもかなりややこしい話かも知れないですが、よかったら質問などお願いします。

  • GFDL5条、6条

ウィキペディアでの投稿・編集活動は、GFDLの第5、6条にも関係があるような気がします。例えば、ライセンス全文が個別のWorkに含まれていないことなど、上に指摘した問題点は、5条、6条を考えるとむしろ問題点ではないという気がします。

具体的には6条がウィキペディアにあてはまるように思いました。

  • GFDL7条とフェア・ユース

7条はGFDLでリリースされている作品と非GFDLの作品を同一メディア内に収める、というようなことのようです。

「ウィキペディア内に、GFDLで利用できない、フェアー・ユースを根拠として投稿された画像があってもよいか?」という問題があります。ある作品内にGFDLでリリースされた作品やその一部を混ぜる場合は、全体をGFDLにしなければなりません。(3条が扱っている改変はそういう風に定義されているので)

ですが、7条に従って考えると、並置だけなら構わないということになります。

では、同一ページ内にGFDLのテキストと、非GFDLの画像が並置されていてもよいでしょうか? それをこの7条が扱っているAggregation だと言えるなら、よいことになりそうです。

仮にそれが駄目でも、ウィキペディア内に、例えば「改変不可」の画像などがあって、それにウィキペディア内の記事からリンクが張られる、という形は問題がなさそうです。

では画像ではなく引用はどうなのか、というのも気になります。

  • GFDL9条

9条には、GFDLでリリースされている本作品は、このGFDLで指定された以外の利用許諾条件によって利用してはいけない、という旨の宣言があります。

本人の許可を得た場合にはコピペをしてもよいのか、という件については、9条との兼ね合いをもう一度確認しておきたいです。

これは作者が同じ作品をGFDL以外のライセンスでリリースすることを妨げない、と解釈してよいと思いますか? また、そうだとして、ウィキペディア上に既にあるテクストをコピーしてもよいのでしょうか? それとも、メールなどで一端ソースを本人から受け取ってからウィキペディア上にペーストする方がよいのでしょうか?

それから、9条に関連して、「デュアルライセンス」が可能なのかについても、改めて意見を伺えたらと思います。基本的には、「GFDLかサイト内PDの内、どちらかを選んでよい」というのはGFDLの上位に位置する許諾で、GFDLは著作者がそのような許諾を行うことを禁止していないように思うのですが。

  • コピペ用テンプレートの外部サイト化

コピペの問題としてはWikipedia:決まり文句集Wikipedia:ウィキプロジェクトなどにあるテンプレート系のコピペがあります。 いろいろ考えたのですが、これはそもそもウィキペディア外のどこかでテンプレートを開発、リリースして「二次利用や改変は一切自由」とかいう風にするのがよいのではないかと思いました。そうすると、ウィキペディア内で「サイト内PD」がなくてもうまく行きます。

サイト内PDはすぐに導入できるかどうかわからないことに比べ簡単そうでもありますし。Tomos 08:19 2004年1月9日 (UTC)

T. Nakamuraのコメント

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まず、第一点目ですが、その通りですね。ただ、4条でいえばH号にしか関連しないので、その他の問題は依然として残されています。

第二点目ですが、1条の定義により、document = workです。記事がWorkの単位だとすれば、同一記事内のテクストの併置は7条の問題ではありません。そうすると、著作権法上ライセンスしてはいけないものをライセンスすることになります。つまり、GFDLでのライセンス行為が、著作権法に違反します。

第三点目。1条の定義により、you = licenseeです。ライセンサーのほうは、GFDLにより義務を負いません。もちろん9条も例外ではありません。したがって、ライセンサーが著作物に対してGFDLとは異なるライセンスをしても、OKですし(「メールで送るソースからコピー・アンド・ペーストするなら利用してよい」というライセンスなら、メールからやる必要がありますが、「ウィキペディアから直接コピー・アンド・ペーストして利用してよい」というライセンスなら、ウィキペディアから直接やって構いません。著作者がどういう条件でライセンスするかに従います)、デュアル・ライセンスも可能です。ただ、デュアル・ライセンスに関しては、帰結に関する考えの詰めが甘かったので、補足というか訂正します。

Falcosapiensさんのご提案を再論したときに、ライセンシーとライセンサーの関係ばかりを考えていましたが、今ご指摘を受けて、もうすこし広い視野をもって考え直してみると、次のようになるかと思います。

(ケースその一)

甲(原著者、ライセンサー)
|(GFDL+追加ライセンス)
乙(ライセンシー、改変者又は複製者)
|(選択権があり、追加ライセンスを選択した場合、GFDL2条・4条に相当する規定がないので、独自のライセンスを採用)
丙(再改変者又は再複製者)
|(この関係は、この関係が可能かどうかも含めて、乙丙間のライセンスに依存する)


(以下同じ)

追加ライセンスの例:「Aさんを甲、Bさんを乙に置き換えるなら、私の文書を利用してもいいですよ。それをあなたが再ライセンスすることができます。他に条件はつけません」。

(ケースその二)

甲(原著者、ライセンサー)
|(GFDL+追加ライセンス)
乙(ライセンシー、改変者又は複製者)
|(選択権があり、GFDLを選択した場合、GFDL2条・4条によりGFDLのみのライセンス)
丙(再改変者又は再複製者)
|(同じくGFDLのみのライセンス)


(以下同じ)

何だか手形法をやっているような気分になってきますが(手形でも、甲乙特有の事情は丙以降手形から切り離されてしまうという話があり、それに良く似ています)、いずれにせよ、ウィキペディア上で再利用する場合においては、乙さんはGFDLを選択せざるを得ませんから(画面構成上そうせざるを得ません)、結局乙丙・丙丁とGFDLになることになります(つまり、ケースその二)。

つまり、GFDLは、選択権のある場合には、all or nothingを迫る働きがあるため、ウィキペディアにおいて版を重ねる場合には、追加ライセンスの保存が不可能になります。現状において、既に 25000記事以上がGFDLオンリーでライセンスされてしまった以上、ウィキペディア上での追加条件やサイト内PDライセンスの採用は、ほぼ諦めざるを得ません。

最後に、第四点。これは素晴らしいアイディアだと思います。さしあたり問題点はなさそうですが、もうすこし考えて見ます。

T. Nakamura 00:23 2004年1月10日 (UTC)(見やすく/編集しやすくするため、これまでの発言に、発言者名の見出しをつけさせていただきました)

サイト内PDライセンスの採用が絶望的である以上、通常の記事の編集との兼ね合いで、問題があるものについては、GFDLに体裁を合わせていくしか解決方法はないと思います。さしあたり思いつく範囲では、次のような感じでしょうか。

  • A号:「(xx:xx xxxx年x月x日の版)」という表示が、履歴にある過去の版には、記事名の直後にありますが、これを最新版にも挿入すると、とりあえず異なるタイトルといえなくもないような気もします。タイトルなのかどうかは微妙ですが、あまりそれ以外の案が浮かびません。
  • B号:1.履歴へのリンクでOKと考える。2.きわめて細かい字で構わないので、これまでの編集者をすべて(どの5人をPrincipalとするかは機械的に判断できないので、そうするしかないと思いますが)掲載するようにする。
  • C号:昔ラテン語版フッターにあった最終更新者表示機能を、ヘッダに入れる。
  • D号・E号・F号:履歴がコピーライト・ノーティスを兼ねるような感じで体裁を改める。
  • J号:履歴からの原版へのリンクでみたされていると考える。

技術面の方のご意見を伺わなければなりませんが、不可能というわけでもなさそうに思います。

T. Nakamura 00:44 2004年1月10日 (UTC)


許諾を得たコピー・アンド・ペーストがGFDLとの関係で問題ないことは前述したとおりですが、日本法が適用される場合には、若干問題があるかもしれないことに気づきました。具体的には、著作権法の28条・64条・65条です。詳しくは、記事「著作物」と「著作権」に書いておきましたが、これらの規定を文字通りとると、ウィキペディアの場合、先行する著作者全員が合意しないと、許諾を得たコピー・アンド・ペーストはできない、という結論になるようにも見えます。しかし、キャンディキャンディ事件控訴審判決が述べるとおり、契約に二次的著作者が単独で利用をなしうるという規定が設けられていれば、単独でコピー・アンド・ペーストしうるという結論になります。そこで、GFDLを見る必要があるわけですが(当該著作者とそれに至るまでの著作者との関係は GFDLに規定されています)、Wikilegal-lで以前論じたとおり、もし全員の合意が必要となると、前文1項2文に述べられたGFDLの趣旨に反することになります。そうすると、単独で許諾を行うことができる、という結論になります。ただ、この場合、「区別困難」というキャンディキャンディ事件控訴審判決の論理に従うと、おそらく二次的著作物(=当該著作者の編集した直後の版)のすべての部分に関して許諾しうる、という結論になってしまうように思われます。しかし、それでは、それまでの著作者の権利保護が不十分になるので、適当ではありません。そもそも、ウィキペディアでは、執筆者間の明確な執筆部分の区別が可能なわけですから、二次的著作物のすべての部分について許諾できるとする必要性もありません。結局、二次的著作物の著作者は、自分の執筆部分についてのみ許諾できる、というきわめて常識的な結論になると思いますが、この点は不明確なので、GFDL前文1項2文の解釈宣言として宣言しておいたほうがよいように思います。

T. Nakamura 06:42 2004年1月11日 (UTC)

以前に、単独で許諾しうる範囲について、投稿単位説と記事単位説で同じ結論になるという話をしました。10日・11日の投稿は、それにのっとったもので、基本的には投稿単位説の考え方をベースにしています。

しかし、そもそもその前提、つまり、投稿単位説と記事単位説で同じ結論になる、ということに対して、疑念が生じてきました。理由は、著作権法28条です。判例をよむとどうも任意規定であるので、契約により排除できるように思いますが、契約(GFDL)自体がこの点明確ではないですから、28条の適用を排除できない場合があります。こうなった場合、投稿単位説と記事単位説では結論が異なるということになりそうです。投稿単位説を採った場合は前回の投稿の通りですが、もし記事単位説を採った場合にはどうなるかを、以前用いたモデルを用いて説明します(基本モデルだけ見れば十分でしょう)。

モデル・ケース

  • Aさんが赤リンクをクリックし、「X」という長い記事を書いた(この時点をT1とし、この初版をX1とする)。
  • Bさんが記事Xに大幅な加筆をした。その際、Aさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT2とし、この版をX2とする)。
  • Cさんが記事Xに大幅な加筆をした。その際、Aさん、Bさんの執筆部分には手を加えなかった(この時点をT3とし、この版をX3とする)。

まず、T1の時点においては、X=X1という記事は、Aさんの著作物です。著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいいます(著作権法2条1項1号)。Aさんの著作権法上の地位はGFDLによって変わらず(GFDL1条1項4文)、このため著作権を保持するので、X1を自由に再ライセンスすることができます。

次に、T2の時点においては、X=X2という記事は、Bさんの二次的著作物です。二次的著作物とは、「著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物」をいいます(著作権法2条1項11号)。このとき、二次的著作物(X2)に対する著作者(B)の著作権は、原著作物(X1)の著作者(A)の権利に影響を及ぼしません(著作権法11条)。つまり、Bさんは、X1のAさんの著作権を侵害することはできないわけです。しかし、逆に、AさんはX2に対しても著作権を主張できますから(著作権法28条)、X2の著作権は、AさんとBさんの共有ということになります。この場合、仮に、AさんとBさんの間に黙示の契約が認められた場合には、Bさんの単独リライセンスが認められる余地がありますが(キャンディキャンディ事件控訴審判決)、GFDL9条は、明示的にそれを排除していますから、単独リライセンスは不可能です。結局、64条・65条により、共有著作権の行使は全員の合意がなければなりませんから、Bさんは、たとえ自分の投稿部分であっても、Aさんの許可を得ないと、リライセンスができないということになります。

T3の時点でも、同じことです。X=X3という記事は、Cさんの二次的著作物となりますが、Cさんは、Bさん(又は、AさんとBさん。結論は同じ)の権利を侵害できません。しかし、AさんはX3に対してもCさんと同じ権利をもち、Bさんもまた、X3に対してCさんと同じ権利を持ちますから、結局、X3という記事の著作権は、Aさん・Bさん・Cさんの共有となります。結論としては、Cさんは、自分の投稿部分であっても、Aさん・Bさんの許可を得ないと、リライセンスができないということになります。

もちろん、著作権共有者は、正当な理由がなければ合意を妨げることができず、また、信義に反して合意を妨げることはできない、と規定されているわけですが(64条2項、65条3項及び4項)、例えば先行する著作者がIPユーザで連絡不可能だったりすると、合意を取れなくて、たいへん困ります。67条には、そういう場合には、文化庁長官の裁定を受けなさい、ということになっていますが(67条)、コピー・アンド・ペーストごときでそこまでするのは、割に合いません。

こう考えてくると、やはり記事単位説は妥当でないような気がします。投稿単位説のほうがフレクシブルですね。記事単位説のほうが、まあ常識的な見方にあっているような気もしますし、また、GFDL4条との親和性もいいわけですが、後者の点は解釈宣言で「タイトルページはどこそこ」と指定すればいいだけの問題であるようにも思いますので、そう解決方法をとることにして、投稿単位説を採用したほうが、結局常識的な結論になるような気がします。

結局、振り出しに戻ってしまったような感じですが、さしあたり以上です。

T. Nakamura 00:13 2004年1月12日 (UTC)

「移動ログ化」の提案

[編集]

コピー・アンド・ペースト一般ではなく、ログ化にしか使えない方法ですが、GFDLとの牴触が少なそうなログ化の方法として、「移動ログ化」という方法を思いつきました(既に存在しているのかもしれませんが)。何となくウィキペディア上の「移動」はGFDL2条で処理するのがよいと思っていましたが、どうも2条は、単にコピーするだけの権利であり、例えばコピー機でコピーして配布するような場合を念頭に置いていて、相応しくないように思えてきました。となると、ウィキペディアの移動は4条で処理するほうがよいように思います(記事名も変わりますし)。コピー・アンド・ペーストでログ化した場合に、問題となりそうなのは、B号(著作者の保存)とI号(履歴の保存)です。GFDL9条は、GFDLにのっとっていない改変は無効となり、また、原著者からライセンスされた権利は終了するとしてしまいますから、問題は深刻です。この「移動ログ化」を用いると、この問題がクリアできるように思います。

とりあえず、Wikipedia:移動ログ化の実験をしてみます。

T. Nakamura 22:10 2004年1月10日 (UTC) T. Nakamura 22:25 2004年1月10日 (UTC)誤りを訂正((誤)J号→(正)I号)

移動ログ化の実験は、成功しました。次のような手順を践むと、履歴を保存しつつログ化することができます。

  1. ログ化したいページを、ログ化先の名前をつけて移動する。
  2. ログ化元のページのリダイレクトを外す。
  3. ログ化元のページに、新たな内容を書き込む。

これをログ化の度に繰り返せば、GFDLへの牴触が少なくて済みそうです(完全になくなるかどうかはもう少し検討しますが)。何か問題点等ありましたら、ご指摘ください。T. Nakamura 22:25 2004年1月10日 (UTC)

基本的に同感です。一般論として、ページの移動は、コピー&ペーストに比べると問題が少ないと思います。ただ、テンプレートや決まり文句の使用のように、そもそも移動で対処できない場合もありますが。(そういうのは外部サイトにパブリックドメインのような宣言と共にテンプレートなどを置くことで問題が回避できそう、という既に出した案で対処することができるので、使い分けるのがいいかと思います。)Tomos 13:39 2004年1月24日 (PST)

商業利用の禁止について

[編集]

ノート:アンパンマンでの画像の商業利用をめぐる議論と、この「Wikipedia‐ノート:著作権」での、サイト内PD制をめぐる話の接点部分についてです。

T.Nakamuraさんの「ノート:アンパンマン」での議論は、ウィキペディアのコンテンツを商業利用することを禁止する条項を設けるべき、ということだと思います。個人的にはそれが「問題の解決策として有効でない」かつ「実現不可能」だという気がするので、そのように議論してみます。

  • 解決策としての有効性

2つ懸念があります。

ひとつは、登録商標の場合、同じ業務分野であれば、営利、非営利を問わず、登録商標の使用は商標権侵害になってしまうような気がするのですが、違うでしょうか? そうだとすると、商業利用を禁止するだけではうまくいかないように思います。

もうひとつ、そもそもGFDLで提供されている作品を改変して法律上問題が発生するケースは、いろいろなものがあり、商標権侵害はその一部だと思います。例えばAさんとBさんが執筆・編集した「吉田茂」の記事の文章をCさんが改変して、改変自体はGFDLに反するところが何もないにも関わらず、吉田茂の名誉を毀損するものにしてしまった場合。それについて、Cさんは「自分はGFDLに従ったのだから、賠償責任はない。責任があるとしたらAさんとBさんだ」という主張ができるのでしょうか?

同じ意見を見たことはまだないのですが、例えば次のような考え方はどうでしょうか?

「GFDLは、著作権者が、自らの著作権を根拠に利用許諾を与え・利用条件を制限するものなので、その他の法的な問題については、何の保証もしないし、何の制限もしない。」

ちなみに、これだと、日本の著作権法上認められているような引用(公正な慣行に従った引用)も、GFDLには含めてはいけないという帰結になるのは痛いところですが。

  • 実現不可能性

GFDLの許諾内容のひとつに、商業利用をしてもよい、というものがあります。(2条にあります)また、4条では、4A-4Nを満たせば、2条と同じ形で利用してよい(つまり商業利用も可)とあります。

そこで、GFDLを破棄する以外にこれを禁止する方法はないと思っていたのですがどうでしょうか?

GFDLはいわゆるヴァイラル(Viral)なライセンスで、GFDLで作成された著作物の複製物や二次著作物もまた、GFDLでリリースされなければならない、という規定があるように思います。

2条(逐語的複製)と4条(改変版)で、GFDLでリリースされている作品を複製したり改変したものを配布する際には、そのような複製作品、改変作品もまた、GFDLでリリースされなければならない、と規定されています。

#3条(大量複製と非透過的複製)にはどうしてそれが明言されていないのかはちょっとわかりません。

もうひとつ、4条で義務づけられている著作権表示も、複製・改変作品がGFDLで利用可能である、ということの明示を強制するものになっています。

以上から、GFDLでリリースされた作品を加工して、商業利用を禁止することは可能なのかどうか、やや疑問に思います。

完全な新規投稿については、「商業利用は不可能だが、他の点についてはGFDLに従う」というような形でのみ投稿を受け付けることはできるかも知れません(GFDLで言うところのWork が「記事」だとしたらの話ですが)。ですが、過去に投稿されたものをGFDLでないライセンスに変えることはできないように思います。

ややこしい話かも知れないですが、商業利用を禁止する場合、デュアルライセンス(従来のGFDLに加えて、もうひとつ別のライセンスを追加し、新規投稿分については、どちらか一方のライセンスを選択してよいとする方式)ではなくなってしまうと思います。むしろ、GFDLではない別のライセンスへの移行という形になってしまうだろうと。

サイト内PDとGFDLのデュアルライセンスは「これまでの投稿部分はGFDLだが、新規投稿部分はGFDLとサイト内PDのどちらか一方を利用者が選んでよい」というものです。これを商業利用を禁止する変則GFDLと、通常のGFDLとのデュアルライセンスに置き換えてみると、「これまでの投稿部分はGFDLだが、新規投稿部分はGFDLと変則GFDLのどちらか一方を利用者が選んでよい」というものになります。これは実質的に商業利用を禁止できません。

一方、GFDLとは違うライセンスによって記事をリリースすることは利用者には禁じられています。執筆・編集者全員の許諾があれば話は別かも知れないですが(そうなのかどうか自信なし)、許諾がなければ、商業利用を禁止することはできないのではないか、と思います。

で、前にも書いたことですが、今回のような件(GFDLに沿った利用が商標権侵害を起こしうるような画像)について解決策がありうるとしたら、次のような主旨の免責をつけておくことではないか、と思いました。

「GFDLは著作者の著作権が及ぶ範囲で利用許諾を与えるものなので、著作権でカバーできない商標権、名誉権、などについて問題がないことや問題が発生しないことは保証しない。GFDLに沿った利用がそのような点にまつわる法的問題を発生させることもあるが責任はとれない。」

「GFDLに沿った利用がそのような点にまつわる法的問題を発生させることもあるが責任はとれない。また、著作者の著作権が及んでいない部分については、GFDLに沿った利用が著作権法上の問題をひきおこすこともあるが、それについて責任はとれない。」

ただ、あれこれ考えてみると、引用や屋外美術作品の複製など、そもそも利用許諾を与える側(投稿・編集者)が著作権を有していないものについては、本当によいのかどうか、自信がないですが。。例えば引用を含んでいる記事から出典の記載を外してしまうことや、屋外美術作品を元に、別の作品を作成すること(複製ではなく翻案)は、GFDLには反しないわけですが、著作権に反してしまいます。しかもそのような改変を行う人の立場にしてみれば、「自分はこの引用部分も/この美術作品部分もGFDLだと思っていた」という議論が成り立つわけですし。。

Tomos 10:14 2004年1月9日 (UTC)

とりあえず、長くなって見づらくなってしまっていますから、アンパンマンのノートで以前に書いたことを繰り返して書きます。

商標法37条は、「指定商品若しくは指定役務又はこれらに類似する商品若しくは役務について登録商標又はこれに類似する商標の使用をさせるために登録商標又はこれに類似する商標を表示する物を譲渡し、引き渡し、又は譲渡若しくは引渡しのために所持する行為」(6号)を「当該商標権又は専用使用権を侵害するものとみなす」としています。商標23件が指定している指定商品・指定役務には、絵の具とかアンパンとかいろいろありますが、GFDL はいわば「何にでも使ってよい」とするライセンスですから、当然指定商品・指定役務に関しても問題になります。

つまり、商標法37条とGFDLとの関係が問題であるわけです。文字通りに両者を理解すると、衝突します。いかにしてこの衝突を回避するかという点が問題です。もちろん、免責事項を設けておけば、それ以降の利用に関しては免責される(可能性がある:インターネット上の「免責事項」の効果は、いまいち予測がつかない)ということになるでしょうが、問題は、上に掲げた6号です。これは、自らが商標を使用する場合ではなく、他人が商標を使用し、かつ、自らがその商標を譲渡・引渡・所持していた場合です。どうもGFDL2条+ウィキペディア上の商標というのは、かなり危険な印象を受けます(なお、吉田茂の例ですが、もしそう考えてしまうと、商標法37条6号にあてはまる場合がなくなってしまうように思います。やはり、GFDLは商標法と衝突しうると考えて対策をとったほうが良いように思います)。

Tomosさんのおっしゃるように、この条文には商業利用・非商業利用の区別はありませんから、確かに、商業利用を排除するだけでは解決になりません(この点、うっかりしていました;-o 最近夜中に書いている所為かもしれません)。

Tomosさんのご意見を受け、いろいろ考えてみて、一番よいのは、GFDLへの解釈宣言を設けることだと思いました。つまり、Wikipedia: Text of GNU Free Documentation License/解釈宣言というようなページを設けて、

「日本語版ウィキペディアにおいては、GFDLのsection 2は、他人の商標権を侵害する形での利用を許諾するものと解されてはならない。同sectionを準用する場合も同じである。」

というような文言を書いておけば、さしあたり問題になることはなさそうです。なぜなら、37条6号には「使用させるために」という(譲渡・引渡し・所持の)目的(=意思)が要件に掲げられています。このような目的がないことが当事者の意思として明確に示されていれば(つまり、客観的に確定可能)、この要件をみたすことはないと考えられるからです。また、この解釈宣言は、合法的な行為を促すものですから、実際に問題となった場合にも、裁判官から認められる可能性が高いと思われ、かなり効くと思います(感想の閾を出ませんが)。

それから、尚書きのところにあるご質問ですが、二次的著作者も、GFDLのみが彼に対する義務となるわけではなく、同時に、彼は著作権法上の義務も負っているわけですから、「ライセンスがGFDLだから」という抗弁はできません。つまり、二次的著作者も原著作者と同じく、著作権法を遵守する必要があります。ちなみに、商標法37条6号の問題については、多分、その逆(表現は悪いかもしれませんが)と考えると分かりやすいと思います。二次的著作者ないし単なる利用者とは別個に、原著作者は、商標権者に対して義務を負っているわけです。この場合、二次的著作者や利用者がどういう風に利用するかということには関係なく(つまり、これらの人々が合法的に振舞うか商標権侵害を行うかどうかに関係なく)、原著者のライセンス行為自体が、商標権者に対する義務違反を構成する、ということです。

どうもうまく説明できた自信がないので、私の意見について分からない点があればどんどん訊いてください。

T. Nakamura 23:05 2004年1月9日 (UTC)

他にも、解釈宣言で明確にしておくとよいと思われることがいくつか思いつきます。

  • 何をタイトル・ページ(1条8項)を見なすか(ヘッダ+記事名の部分が適当だと思います)。
  • 何をコピーライト・ノーティスと見なすか(履歴が適当だと思います)。
  • 何をネットワーク・ロケーションと見なすか(ロケーションが移動することへの言及)。

他にもいろいろあると思いますので、ご意見をお寄せください。

T. Nakamura 09:16 2004年1月11日 (UTC)

とりあえず質問です。「義務違反」というのをどう理解するかに関して。
「他人の商標を、商業利用してもよいものとしてライセンスしてしまうこと自体が、商標権の侵害になる」ということでしょうか? あるいは、商標権の侵害ということではなくて、何か、「虚偽の権利提供を行った」というような? (自分が自由に付与することができない権利を他人に付与した、という意味で)
いずれにせよ、「著作権法上認められた正当な引用」についても同様の問題がありうると考えられそうですがどうでしょうか?
それから、別件ですが、解釈宣言と似たような内容、コピーライトノーティスめいた記述などがWikipedia:著作権にあります。現在の英語版ではWikipedia:Copyrightへのリンクを各ページの最下部に付しています。どういう経緯でこうなったのか、そもそもWikipedia:Copyrightの作成された経緯はどのようなものか、などは僕はまだ調べていないのですが、何か参考になりそうな気がします。
手短ですが以上です。Tomos 13:22 2004年1月24日 (PST)

おっしゃるとおり、Wikipedia:著作権が、GFDLの解釈の宣言であると解されます。そこで、ノートでの議論を参考に、上のカット・アンド・ペーストで話題になった点に関して、大幅に追記・改訂してみました。「参考に」といったのは、私自身が以前書いたことでも、その後の調査で訂正が必要となった点があったためです。基本的な立場としては、当初からもっとも有力であった記事単位説を明確に採用しました(Wikipedia:著作権にも、記事単位説を暗黙のうちに採用していると思われる記述がありました)。記事単位説から、すべての事象に関して納得のいく説明が可能であるという結論に至ったので、投稿しました(結果として、GFDL2条の適用範囲はかなり狭く解することになりました)。ただ、商標権の点については、まだ明確な結論には至っていません。この点、アメリカ法のフェア・ユースを出発点として考えてはならないことは明らかですが、日本の商標法をどういう風に解するべきかについては結論は出ていません。その他、法的に不正確と思われる表現を訂正したり、明らかにアメリカ合衆国法の議論をしていると思われる箇所を日本法の議論に置き換えたりしました。また、GFDLの解釈宣言であることも少し明確にしました。この点、投稿時に現れる文章の若干の変更も必要だと思います。

T. Nakamura 20:37 2004年2月1日 (UTC)

解釈宣言の推敲

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Tomos

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まずは、お礼を。どうもありがとうございました。書き換え、かなり大仕事だったことと思います。

以下、あれこれと質問、コメントなど。

  • ノートの議論について特に思うのですが、個々の発言に著作権が認められ、独立の作品である(ノート全体が単一の共同著作物ではなく)、というような判断をするのが適当なのではないかと思われるようなものもあります。特定の解釈を明示するというのは、こういう場合に、明示されている特定の解釈が法廷で優先される、という可能性を高めるものということになるのでしょうか?
  • 特定の解釈を採用する、というのは、「そういう解釈に同意できない人は、投稿・編集活動をしないで欲しい」ということでもあると思うので、案として固まったら、どうしてこのような解釈を採用するとよいのかについて、わかりやすい説明をして、井戸端BBSなどで広く意見を募り、同意をとりつけるのがよいだろうと思いますが、どうでしょうか。
  • 謝辞・献辞の類はウィキペディアでは受け付けない、とするのが適当だろうと思います。カバーテクストの類も同様です。これは法律の解釈うんぬんというよりも単なる意見ですが。理由は、誰かが間違ってこれらを消した場合にそれがGFDL違反になり、記事ごと削除する必要が出るかもしれないこと(特定の版の削除機能があれば別ですが)、それから、携帯なども含めコンテンツの利用形態はかなり多様なので、「保存しなければならない」というような部分はできるだけない方が二次利用価値が高くなると思われること、です。
  • Wikipedia:著作権 はいろいろな目的でいろいろなところからリンクされるようなので、ここをハブとして各独立ページへのリンクなどを張るという形に再構成するのがよさそうです。 GFDLの解釈は、以前T. Nakamuraさんが示唆された通り、独立ページになっているのもいいかと思います。
  • 記事やページをメインのコンテンツとし、ノートや履歴なども含んだ形でひとつの単位をなす、というのは、それなりに妥当な説だろうと思います。
    • ただ、記事とノートにそれぞれ別々の履歴情報がある点などが気になっています。
    • また、タイトルページの指定の仕方は、スキンのデザインに関連しているので、一応チェックしてみました。スキンをケルン・ブルーにして、クリックバーの設定をNoneにすると、履歴などは本文の後、ページの末尾にのみ来ることになります。他にもそういう風になる可能性があるかも知れません。
  • それらについては、「これはデフォルトではないし、登録していないユーザにはそもそも設定を変えることができない」という点をもって問題ないとすることができるでしょうか?
    • 中期的により厄介な点は、スキンのデフォルトやオプションなどが変更された場合でしょうか。開発チームは必ずしも法律系の議論をする人たちと重なっていないので。
  • これと関連しますが、ウィキペディアの著作物としての形態はGFDLで言うところのAggregationと考えるのがよいでしょうか。最近はこれについてあれこれ考えていたのですが。
    • 例えば、「元の記事にリンクを張ればよい」という解釈は、それで大丈夫なのでしょうか。結果として、T. Nakamuraさんがとった解釈はAlexさんがとっている立場とほとんど同じようなので、僕のように法律についてよく知らない者にはわからない理由がいろいろありそうな気もしますが、この点は危なっかしい感じがします。Aggregationと考えるか、Compilationと考えるか、などによって履歴の扱い(まとめなければならない/まとめなくてよい、など)も微妙に違って来るので。
    • ちなみにAlex説は要約欄に元の記事の記事名を書く、というものだったと思います。
  • もうひとつ、ログ化した後に元の記事が削除された場合に、ログ化した方のページも、一部履歴がなくなってしまうことになります。ここはちょっと考えどころですね。(ログ化したページを、元のページと同一の作品と考えるかどうかによって、微妙に問題点が違って来そうですが。)
    • 記事と、付属のノートとは同一の作品である、ということであれば、ノートに履歴情報を保存する、というのもありでしょうか。
  • GFDLの解釈は、日本語版と英語版では異なっているわけですが、(英語版のものは、T. Nakamuraさんが言うような、法的な観点から考慮されるべき要素としての解釈、というものとして作成されたのかどうかは知りませんが)、言語間のコンテンツのやりとりがあることを考えると、互換性があった方がよいでしょうか。**他言語版から日本語版に輸入する場合には、この解釈と適合しない形でリリースされたコンテンツは輸入できない。例えば英語版が「全言語版でひとつの作品」という解釈を仮に採用した場合、その全作品の履歴を輸入しなければ、一部分(画像なり文章の翻訳なり)を日本語版に輸入してくることができない。
    • 日本語版から他言語版に輸出される場合、記事や画像を独立した作品として扱う必要がある。
      • こういうことを考えると、いずれにせよサイト内PDライセンスのような仕組みがあった方がよい(輸出用)、ということは言えるかも知れません。できればそれを他言語版、他のプロジェクトにも採用してもらうといい、とも。

コメントより質問が多く、勉強不足が露呈する形ですが、とりあえず以上です。 Tomos 21:44 2004年2月1日 (UTC)

T. Nakamura

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詳細なコメントをありがとうございました。

ノートを一つの著作物の単位のなかに含めた理由ですが、カット・アンド・ペーストの際に、記事の冒頭にリンクを張らなければならない、という部分を、ノートでもよい、としたかったからです。多数のページからカット・アンド・ペーストした場合には、記事の冒頭に書かなければならないとすると、記事として見にくくなるので、ノートでもよいということにすると、柔軟な処置が可能だと思ったからです。確かに履歴が独立して存在する点は気になります。しかし、ライセンス上余分なものが存在しても構わないと思いますので、問題はないと思います。それから、ご指摘のように、ログ化元の記事が削除されることになる場合に、ノートに履歴を書き込むという対応も可能になります。

コンセンサスを取り付けることについて。まず、改訂の趣旨が分かりにくいということなので、この点まとめると、次の通りです。

  • 著作権表示(冒頭の太字の部分)を改訳した。
  • 解釈宣言であることをより明確にした。
  • 新たに「定義」を加えた。特に、記事単位説を採用することを明確にした。
  • 「利用者の権利と義務」が、少なくとも日本法上はGFDLをみたさないと思われる記述なので、改めた。
  • 「素材の公正使用と特別な要求」が、アメリカ法の話をしているので、日本法の話に改めた。
  • 「寄稿者の権利と義務」についても、アメリカ法をもとに議論を組み立てていると思われるので、日本法の話に改めた。また、結論を変えずに、不明確だった部分を明確にし、寄稿のインセンティヴを高めるようにした。
  • 新たに「ウィキペディアにおける編集」を加えた。
  • 新たに「ウィキペディアにおける移動」を加えた。
  • 新たに「ウィキペディアにおけるカット・アンド・ペースト」を加えた。
  • 新たに「ウィキペディアにおける翻訳」を加えた。
  • 「他人の著作物を使うとき」が、アメリカ法の話をしているので、日本法の話に改めた。

Tomosさんのご指摘で、まだいろいろと改訂が必要な点があることも分かりましたので、こちらでの議論が収束し、最終的に文言が確定したら、これでいいかということを訊いてみてもいいと思います。ノートの議論から少し変更点もありますし。

献辞や謝辞については、この記事では、「ウィキペディアでは謝辞や献辞を受け付けていませんが、もし何らかの事情でそれが存在している場合には、」のような形で留保を設け、同時に、MediaWikiの著作権警告のところで、「謝辞や献辞を投稿しないでください」とするのがよいと思います。

スキンが変更されうることに関しては、大問題だと思います。さしあたり、この記事の定義の項には「デフォルトを基準とする」という文言を挿入し、オプション変更の部分のMediaWikiのほうには、「デフォルトを基準としてタイトル・ページを判断することに同意した上で、スキンを変更する」という記述を設けるという解決策が思い浮かびます。しかし、それよりも最下段を含めてインターフェース全体をタイトル・ページに含めたほうが無難であるようにも思います。とりあえずそのように改訂しておきます。

言語版間の解釈の牴触について。例えば、英語版では「page history」はGFDLにいう「History」ではないという解釈をとっているようです。もし、アメリカ法ではライセンスの解釈に自由が利き、「History」という章を設けなくてもよいという結論になるが、日本法ではライセンスが文言に忠実に解釈されるので「履歴」という章を設けなければならない、という場合には、英語版では「page history」は「History」ではないが、日本語版では「改訂履歴」は「履歴」である、というように、言語版間で解釈が分かれるのは当然のことといえます。国によって制定法や法文化が異なる以上、これは仕方のない話です。不便な面もありますが、もし別の解釈がとれないともっと不便になるでしょう。例えば、すべての言語版の解釈が英語版と同一でなければならないとしたら、日本版の記事は日本法上すべてライセンス違反となって、訴えられるかもしれません。そんなことは困りますから、日本語版の解釈は英語版とは別、としたほうがいいと思います。

言語間で牴触する場合にも、そもそも解釈宣言はGFDLのように「著作物とともにくっついていく」(viral)わけではありませんので、問題にはならないと思います。他言語版に記事が行ったら、その記事は他言語版の解釈に従います。こういう風にフレクシブルに対応できるので、契約と解釈で文書が分けてあるのだと思います。もちろん、契約のほうは出来合いのものを使っているから、というのがもともとの理由でしょうが。輸入の際には、こちらの解釈に従ってもらって、輸出の際にはあちらの解釈に従ってもらう、ということになろうかと思います。これで問題がないかは、もう少し考えます。

それから、解釈宣言は法的効果をもつか、という点については、持たないとは明言しないことにして、しかも、相手に同意を要求しますから(MediaWikiの部分です)、その場合には原則として法的効果はもつと解されますが、それ以上はオープンにしてあります。英語版だと「持たない」と解されそうな風に書いてありますが、それでは不利になる場合があります。場合によっては、解釈宣言を根拠として主張を行ったほうが有利である場合も当然ありえます。例えば、「ここに書いてあって、あなたはそれに同意しているのであるから、あなたの主張には根拠がない」という風に主張したい場合もあるでしょう。また、その反対に、「解釈宣言は解釈に過ぎず、契約本文が優先するから、あなたの主張には根拠がない」という風に主張したい場合もあります。現在の形式は、その両方に対応できると思います。

なお、この解釈宣言の冒頭の太字の部分については、GFDLで著作権表示として要求されている部分ですから、少なくともその部分に関しては、法的な意味をもっていると考えられます。「オリジナルの文書については」という留保をおいて、この部分も著作権表示として含めようと思います。

また、解釈宣言は、GFDLをウィキペディアに適用した場合の解釈であり、GFDLの結論を変更するものではありませんから、GFDL上も問題ないと思います。しかも、この記事は解釈宣言として2003年2月1日からありますので、ウィキペディア上のほぼすべての記事が、初版からこれに同意しつつつくられてきたということになります。今回の改訂は、この記事の結論を基本的に維持していますから、2003年2月1日以降に作成されたすべての記事について法的に安定的な状態にすることができると思います。

この意味で、解釈宣言はこのページに書いておいたほうがよいと思います。他のページだと、新規にできたことになり、それ以降にできた記事にしか妥当しないということになっては困りますから。

AggregationとCompilationでの帰結の違いについては、どうしてそうなるのかよく分からないのですが、ご説明いただけますか?

なお、別件ですが、商標権侵害などの違法行為を認めるライセンスではないことも付け加えることにします(商標権については上で提案してありますが、それをもうすこし一般化したものです)。前々回のご質問の回答ですが、記事を読んだ限り、アメリカでは商標の話もフェア・ユースの話になるようであり、主体間の関係ごとに判断される(Aの商標は、ウィキペディアとの関係ではフェア・ユース、Bとの関係では商標権侵害)のに対し、日本法では、関係の商品について商用で用いさせることを意図して所持したり譲渡したりすること自体が侵害行為になる(侵害者Bに譲り渡したウィキペディアも侵害者)ようなので(前掲、商標法37条6号)、こういう条項があるとよいと思います。一般化しておけば、その他の場合にも対応できますし。

T. Nakamura 13:16 2004年2月2日 (UTC)

Tomos

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(見出し付けました。勝手ながら敬称は略しました。)

ご説明ありがとうございました。MediaWikiノート:Copyrightwarningと併せ、T. Nakamuraさんの案についてよりよく理解することができたように思います。

ちょっと時間がないので、とり急ぎ2点ほど。

CompilationとAggregationについて。CompilationではなくCombinationでした。CombinationについてはGFDLの5条に規定があります。例えば2つの記事を統合する場合などにはこれが適用されそうな気がします。履歴を統一しなければならないそうなので今のウィキペディアの機能上はほぼ無理なわけですが。。

Aggregation(GFDL7条)の場合には、個別の作品が個々に存在しているだけなのでそうした統一の必要性はないということのようです。これか、6条にあるCollectionかがウィキペディアには都合がよいだろうと思います。

それから、これと関連する点なのですが、ノートと記事がひとつの作品を構成するものだとした場合には、ノートだけ、記事だけ、などの削除することができなくなりますね。単一作品の内容とそれに関する履歴を削除してしまうことになるので、GFDL4条に反してしまう可能性がありそうです。

そこで、「ノートと記事と各履歴がAggregationとしてひとつの作品を構成する」かつ、「そのようなAggregationからなる作品が多数Aggregateされてウィキペディアを構成している」というような入れ子構造のようなものを想定することで、どちらか一方の削除のようなものができる形にならないか、ということを考えています。

Tomos 17:18 2004年2月2日 (UTC)

追記。ノートと記事を同一作品にすることのメリットが、履歴などの情報を保存できるという点にのみあるとするなら、むしろOO/履歴 というような記事のサブページを推奨する方がいいような気もします。サブページにも当然履歴(履歴ページの履歴)がありますが、それは無視してもよいでしょうし。履歴情報が加工されてGFDLに反する改訂になってしまう可能性がある、という点ではノートページも履歴専用サブページも同じようなものです。

サブページにする利点は、ノートページのみの削除、ノートページを残して記事のみの削除、などが問題なくできそうな点です。Tomos 21:00 2004年2月2日 (UTC)

T. Nakamura

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ご意見ありがとうございました。ご指摘を受けた点や、自分で気づいた点などを改訂してみました。改訂の趣旨は次の通りです。

  • 記事とノートを別々の「記事」とした。
  • サブページに履歴を保存することを要求するようにした(5条の結合に当たる場合は「必ず」、それ以外の場合は、「元の記事が削除された場合に備えて」とした)。
  • ライセンス上区別のある「著作権表示」と「ライセンス表示」を間違って一緒にしてしまったので、訂正した。
  • オリジナルの場合等のライセンス表示と、GFDLソースからの受け入れで不可変更部分がある場合のライセンス表示を分けた。
  • GFDLソースから受け入れる場合の投稿者の義務を、利用者がウィキペディアの記事を使用する場合に準じて、GFDLに適合させた。

それ以外にもご指摘があればよろしくお願いします。

T. Nakamura 21:10 2004年2月3日 (UTC)

Tomos

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再び改訂ありがとうございます。差し当たりひとつ思い出した点を書いておきます。

ここにある表示内容は、ウィキペディア内での話し合いによって後から変更される可能性がある、としておくべきでしょうか。

例えばウィキペディアの技術的な仕様と密接に結びついた説明などは、仕様が変更されれば、それに伴う修正が必要になる可能性がりますよね。関連法に変更があったり、後から何か考えが足りなかった部分が明らかになったり、ということも起こると思います。

また、その場合には、変更内容が遡及的に適用されることもある、としておくべきでしょうか? こういう宣言が有効なのかどうかも僕は知りませんが。。

Tomos 15:37 2004年2月4日 (UTC)

T. Nakamura

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そうですね。関連法や仕様が変更された場合等に変更される可能性があるという注意規程をおいてもよいかもしれませんね。その旨改訂しておきます。解釈が何のためにあるのか、ということを考えると(例えば、憲法の解釈に関する部分を見てみてください)、常に最新の解釈が適用されることは明らかなので、遡及的適用の規定は置かないほうがいいと思います。これを置いてしまうと、「解釈ではなく契約規定なのでは」という疑いが生じて、柔軟な対応ができなくなるおそれがあります。

T. Nakamura 18:10 2004年2月4日 (UTC)

追伸。そういえば、昨日は何回も同じ稿を何度も投げてしまったようで、失礼しました。取り除いていただきありがとうございました。最近ウィキペディアが重くて、投稿後エラーが出たのでもう一度、ということをやっていたらそうなってしまったようです。この重いの、何とかなるといいのですが・・・。今日は少しましなように思いますが。

更に追加です。免責のほうが固まってきたら、GFDLのヴァージョン・アップをする必要がありますね。その場合には、さっそくこちらも変更を加える必要がありますね。T. Nakamura 19:08 2004年2月4日 (UTC)

Tomos

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お返事、変更ありがとうございました。

免責との連携はその通りですね。

これまでの議論のおおまかな流れを振り返ってみると、およそ3つの別々の話題から始まったと言えるように思います。

  • ノート:アンパンマンにあるような商標関連の問題。ひいては記事内での著作権法に沿った引用などの是非、リスクについての議論。GFDLについて特定の解釈を宣言・採用する、というアイディアはここから出て来ました。
  • Wikipedia‐ノート:管理者/削除についての議論から始まった、ウィキペディア内でのコピー&ペーストの是非の問題。ひいては、他言語版とのコンテンツのやりとり、記事の統合や分割に関する問題。ひいては、ウィキペディアにおけるWorkの単位やウィキペディアにおけるGFDLの適用の仕方についての議論。サイト内PD制を少し検討しましたが、結局解釈宣言で一部の問題に対処した形になっています。
  • 井戸端BBSから始まった、「免責事項」についての議論。これは、商標や著作権法に沿った引用を含むコンテンツを提供することから来るリスクを、免責宣言によって回避できるかどうか、という議論。

コピー&ペーストについては、これまでの議論から、現在あるような解釈宣言に合意した投稿を、投稿者の了解を得てコピーするのであれば、ある程度は問題が回避できそうだとわかります。(投稿が比較的独立している、ノートでの議論のような場合はこれにあたります。)それ以外のケースでも、履歴専用サブページを用いることで対処できるのではないか、とも。

テンプレートの使用などについては、外部サイトを使うのが一番安全なのではないか、と以前考えましたが、解釈宣言で、複数の人が編集してできたテンプレートのコピーにどの程度問題が無くなったか、ちょっと考えてみましたがよくわかりません。履歴専用サブページと一緒にテンプレートを使用することにすれば問題がない、とは言えそうですが、実用的でない気もしますし。。

商標については、解釈宣言(というか、このWikipedia:著作権)の「総則」部分にある記述から、一応リスクが減ったと考えられそうです。

ただ、23:05 2004年1月9日 (UTC) の書き込みから、解釈宣言はあくまでもトラブルが発生するリスクの低減であって、他の手段を講じる必要がないほど確実な(法的に有効な)手段だというわけではない、という印象も持ちましたが、どうなんでしょうか? そこをどう考えるかで、引用やアンパンマンの絵を含む画像の是非についての考え方も違って来るでしょうし、免責の内容も違って来るかと思いました。

引用の是非などについては、最終的には、百科事典らしいコンテンツの提供に引用などがどれだけ必要か、とか、二次利用者の便宜をどれだけ、どのように図るか、といった面からの検討も必要で、これは法律とは関係が薄い要素なので、ここで議論せずBBSなどで広く意見を募って決めるのがいいかも知れません。

それから、3点ほど、まだ余り議論していない点が思い当たります。ひとつは、画像の扱いです。記事内に画像が表示される仕方は、個人的にはどうもGFDLとの関係が怪しいような気がしていますがどうでしょうか? これは、画像と、画像の情報ページと、履歴ページとを単独の作品と考えた場合ですね。

現在の解釈宣言では「記事」とその関連ページは単独の作品だという説を採用しているわけですが、そこから敷衍すると、画像とその関連ページを単独の作品と考えるのは比較的自然のように思いますが、現在画像が表示されている仕方は、あるGFDLの作品内に別のGFDLの作品を取り込む形としてどうなのか、ちょっと疑問に思います。

それから、ノート:アンパンマン に書いたように、屋外美術の複製はOKという日本の著作権法の規定がありますが、そういうあれこれの著作権の制限規定を根拠とした著作物の利用についても解釈宣言で対処できるでしょうか?

最後に、法的なトラブルが発生するリスクを解釈宣言や免責や投稿ボタンまわりのメッセージの工夫で解消できるとしても、現実問題としては、特に画像は日本語を読めないし日本の著作権法も知らない人が他言語版へ持って行く可能性があるわけです。それをどうするべきでしょうか。

あと、このページもいい加減長くなって来たので、一端ログ化するのがいいですかね。(移動によるものであれ、単に白紙化して過去の版へのリンクを張るのであれ) Tomos 06:21 2004年2月5日 (UTC)

補足:T. Nakamuraさんは既にご存知かも知れませんが、英語版では主にAlexさんによって、利用者規約や投稿規約のようなページが提案されています。いずれも草稿段階ですが、今後の議論に参考になると思うのでとりあえずリンクを張っておきます。  en:Wikipedia:Terms of use  en:Wikipedia:Submission Standards 

T. Nakamura

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英語版草稿へのリンクを教えていただき、どうもありがとうございました。たいへん綿密な規定で、感心しました。とても参考になります。ただ、二つの文書で記述がかぶっているのが気になりました。管轄や準拠法についても書かれていますが、これについては日本版で別の規定を設定することに問題がないか念のためWikilegal- lで確認しておきます。

と思いましたがその必要はなさそうですね(w:Wikipedia talk:Terms of use)。T. Nakamura 16:55 2004年2月9日 (UTC)

ノート:アンパンマンの件については、対処の為の追補を少し行いました。ついでに、ノート:文民の件についてもしておきました。一応、問題がなくなるようにつもりですが、何か問題が残っているようであれば指摘してください。


難問がいくつか残っていますね。

まず、テンプレートの件。おっしゃるとおり、外部サイト化が一番安全かつ実用的でしょうか。

次に、画像の件。これについては、履歴を統合せざるを得なくなる気がします。画像は独自したものと扱われているように見えますし、実際二つ以上の記事に取り込むこともできます。独立した記事として扱うのが常識にかなっているように思います。そうすると、履歴専用サブページを使わざるを得なくなります。

ただ、いずれについても、ウィキリンクとパラレルのものとして扱えるとしたら楽になります。前者については、少なくともmsgについては、ウィキテクスト上ではmsgのままですし、画像についても同じことが言えます。単なるリンクだとしたら、記事の統合ではないとも考えられます。いずれにせよ、都道府県等のプロジェクトのテンプレートなどはダメですね。

解釈宣言は1月9日の構想よりも法的効果の強いものになっていますので(もちろん、メディアウィキの改訂が前提ですが)、基本的にこのページに書いておけば問題解決としてよいように思います。

それから、画像についても、利用規約に「あなたは、Wikipedia:著作権をすべて読み完全に理解して同意した上で利用するものとみなされる」というような文言を(できれば各国語で)入れておけばよいと思います。「日本版管理者なり日本法人なりは一切責任を負わない」という文言も入れておくとよいと思います。

英語版やこれまでの議論を参考に、利用規約の草案を練ってみて、素案ができたらどこかに提起してみます。

あとログ化の方法ですが、GFDLとの関係では、移動ログ化よりも過去版リンクのほうが優れているような気もします。ただ、削除の場合に(Wikipedia:管理者のノートなど)、移動ログ化のほうが強いですね。一長一短という感じで、決めかねます。この点、一般論としてどちらを推奨する方法にするか、結論を出したほうがいいように思います。

T. Nakamura 01:23 2004年2月9日 (UTC)

Tomos

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法的な有効性について改めて考えてみました。余り目新しい論点ではないですが、気になるのは以下3点でしょうか。

  1. GFDLに条件を追加することと、GFDLの解釈を宣言することの違いはどこにあるのでしょうか? 解釈宣言は国際条約などでよく持ち出されているようだということぐらいしかわからないのですが、わかりやすい(あるいは多少わかりにくいものでも)資料があれば教えていただけると参考になりそうです。
  2. 「引用を含む文章」をGFDLで提供した場合には、引用部分は厳密には「GFDLの適用範囲外」となってしまい、そのような形でGFDLと非GFDLの素材を組み合わせること自体がGFDL違反になるのではないでしょうか。もしも、GFDLの適用範囲だと考えると、逆に、投稿者はそのようなライセンシングの権利を有しているのか、という疑問が思い浮かびます。
    • 引用であれば出典が示されており、区別できるようになっており、つまるところ別作品と考えてもいいような気もします。もしかすると、GFDLのAggregationのようなものだと考えることも、あるいはできるのかも知れないとも思います。ですが、一部の政府文書の転載などであれば、そのようないわゆる公正な慣行に従う必要もありません。その場合にはどういう正当化が成り立つのか、というのも気になります。
  3. 屋外美術の写真(複製)や商標の複製の件については、少し話が違う気がしますがどうでしょうか。屋外美術の複製や商標の複製の場合には、単独の画像としてアップロードする場合には、単にGFDLで提供できないはずのものを提供してしまっている、ということをより強く感じます。屋外美術の複製の場合には、改変、翻案、商業目的の複製などもだめということになるようなので、実質的にGFDLで提供できていない、というのが理由のひとつです。もうひとつは、そもそも作品の著作権を投稿者が有していない、という理由です。

画像については、確かにソース内では画像の位置が記されているだけですね。

ただ、一般に誰かが自分ウェブページ上で他人のサーバの他人の画像を無断で表示させた場合などには、「ソース内では単にURLを記してあるだけ」という形で著作権問題を逃れることができないという印象があるのですが、どうでしょうか。 むしろ著作権上不適切な引用にあたるという意見があります。ウィキペディアにおける画像の利用の仕方がこの著作権上不適切な引用とどれだけ違うか、ということを考えてみると僕にはよくわかりません。自分で書いた記事内に自分が投稿した画像を表示させることには問題がないと思いますが。そうでないケースが多いわけですし。

それから、クリエイティブコモンズジャパンが3月1日にライセンスを発表する予定だということです。[3] このライセンス群は一定の条件のもとに改変を許すようなライセンスも含んでいるので、ライセンスのドラフトを公開してコメントを募集している時に、引用を含んだ作品をライセンスしてもいいのか、という点について質問をしてみました。それに対して何らかの形で回答・対応があるものになると思うので、参考にできればと思っています。

Tomos 19:44 2004年2月10日 (UTC)


T. Nakamura

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お返事、どうもありがとうございました。

解釈について。

法の適用というのは、抽象的な規範を具体的な事例に当て嵌めることです(これを「包摂」(Subsumtion、ズプスムツィオーン)といいます)。抽象的な規範はそのままでは具体的な事例に当て嵌められないので、抽象的な命題から、事案に即した具体的な命題を導きます。これが解釈です。例えば、憲法第9条については、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という抽象的命題から、「われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである」という具体的命題を導いています(これは、いわゆる反対解釈という手法です)。

解釈は、法的な拘束力をもたないとされます。しかしながら、事実上の拘束力を持つことが極めて多くあります。例えば、判例というのは、裁判所による法律の解釈ですが、これは法律を改廃する効力を持ちません。しかし、事実上後続の(特に下級審の)裁判所の解釈を拘束します。

契約の解釈についても、基本的には同じことが当て嵌まります。

今回の場合も、すべての発行者によってこの解釈が宣言されているわけですから、事実上このコミュニティの解釈を拘束します。また、一度自ら宣言しているわけですから、あとで裁判所で別の主張をしても、禁反言により、認められないことになります。なお、契約の文言を改廃しているわけではありません。あくまで、契約の文言の解釈として、解釈は宣言されます。

国際法において解釈宣言がなされていることはご指摘の通りです。これにつき、ウィーン条約法条約[4]31条は次のように述べています。「A treaty shall be interpreted in good faith in accordance with the ordinary meaning to be given to the terms of the treaty in their context and in the light of its object and purpose.」(1項)「There shall be taken into account, together with the context: [...] (b) any subsequent practice in the application of the treaty which establishes the agreement of the parties regarding its interpretation [...].」(3項)つまり、解釈に関する慣行で、解釈の合意とみなせるようなものはその後の解釈を拘束するわけです。また、「A special meaning shall be given to a term if it is established that the parties so intended.」とも述べています(4項)。当事者間で特定の解釈を意図していた場合には、その解釈どおりとなるわけです。

引用について。まずは、クリエイティブコモンズへのご質問、ありがとうございました。回答を楽しみにしています。以下では、私見を書いておきます。

後続の編集者が引用部分を改変してはならないことは、当然です。これが守られる限りは、改変を許諾する行為も合法だと考えます。しかも、この場合、わざわざ解釈宣言では後続の改変が法令に違反しないように総則に注意規定を設けています。

例えば、法学だけではないとおもいますが、著名な教科書が原著者の逝去後もその門弟などにより改訂されていくことがあります。当然、その教科書は引用を含む場合があります。原著者の逝去後、著作権の相続人が門弟に対してその教科書の改訂を許諾するわけです(あるいは、原著者自身が遺言によってそうする場合もあるでしょうが、同じです)。この場合、この許諾行為は著作権法違反でしょうか。違反ではないと解されているとしか、考えようがありません。もっとも、門弟が教科書の改訂の際に著作権法を違反するように改訂するならば、その門弟が著作権法違反に問われることはあります。以上の話と同じだと思えばよいのではないでしょうか。

屋外の美術・建築の著作物については、それと同じ議論が成り立つので問題ないと思います。例えば、都庁の写真を自分で撮影してアップロードするのは、問題ないのではないでしょうか。ただ、利用者が間違わないように、画像の周辺に「改変・翻案・商業目的複製不可」という注意書きを設けておくとよいかもしれません。

商標については、以前指摘した37条があるので微妙な気がします。別に、全面禁止にしてもいいようにも思います。ただ、以前議論したときは、私が慎重論を採用していて、Tomosさんから慎重論はおかしいのではないかというご指摘を受けたので、慎重論なりに解釈宣言を設けて対処したわけです。そういうコンテクストで来たつもりなので、やっぱり慎重論がいいんじゃないかといわれて、若干戸惑っています。

画像について。その可能性は大いにあります。ですから、履歴の統合が妥当な結論かと思います。ちなみに、著作権法上の引用の問題ではなく、著作権法上問題がない画像について、履歴の統合をどうするかという点を議論していたように思いますが、違いましたか?

何となくTomosさんもお疲れであるという印象をもちました。私もこの件については正直かなり疲れてきました。「なぜこんなライセンスを採用したのか?」「なぜウィキペディアを立ち上げるときに弁護士を雇ってもっとウィキペディアに適切なライセンスをオーダーしなかったのか?」という疑問が胸に去来します。ですので、この件に関してはゆっくりやっていきましょう。あらかたの改訂は済みましたし、井戸端BBSに掲示しておきましたので、誰かが新たな解決法を見出して下さるかもしれませんし。

T. Nakamura 00:49 2004年2月11日 (UTC)

横から失礼。

相続による著作権の継承ですが、改変関係は著作者人格権の問題ではないでしょうか。
著作者人格権は著作権と異なり
  • 相続されない
  • 国によってはこの概念を欠く(例えば米国法)
のが特徴です。宮崎アニメの改変をめぐってディズニーともめましたよね?
もちろん、引用・転載等に関しては遺族に権利移転しています。画像ですが、
  • 被写体が著作物である場合、その公開権および画像製作者の著作権
  • そうでない場合には、その画像の著作権
という問題が考えられます。スキャナ画像の場合には、スキャニング元の著作権もからむので複雑ですね。著作:権法に通じた方が監修してくださるのがよいんですが。KIZU
コメントありがとうございました。もちろん著作者人格権も関係しますが、改変は翻案権の問題であるので、著作者財産権も関係します。著作者財産権のほうは、相続されますね。画像については、おっしゃるとおりだと思います。なお、公表権(18条)は著作者人格権の一つです。T. Nakamura 20:37 2004年2月19日 (UTC)

Tomos

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まあそういうことになりますよね。。 ^^;) >何故GFDLにしたのか?

当時は他にめぼしい選択肢が他になかったから、とジンボさんが以前どこかで言っていたように思います。ただ、変更できるなら変更したいとも。

ペースを落とすことには賛成です。最近は僕は持ちネタが尽きて、T. Nakamuraさんの提案に疑問を投げかけたり参考資料になりそうなものを紹介したりはできますが、問題解決の提案はほとんど任せきりになっているので、ペースを落とせば少しは勉強して僕からもあれこれ提案できるようになるかも知れない、とも思います。

あと、時間的、心理的に余裕がなくなるとよくあることですが、つい挨拶などがおろそかになってしまうのを感じます。(最近よそでもそんなです。)どうか無礼をお許し下さい。

GFDLに関わる懸念は以前からいろいろ持っていて、正直自分の手には余るし、かといって日本語版で持ち出しても誰も解決できずに士気が下がるのが落ち、ということになるかとも思ってだいぶ躊躇していました。ですが、ここ1、2ヶ月の議論を通じていろいろな点に解決策が見えたり、見通しが立ったり、あれこれ悩んでいた点が整理できたり、とかなり収穫がありました。肩の荷もだいぶ下りた感じがします。まだ議題は残っていますが、いずれにせよ T. Nakamuraさんの積極的な関与なしでは考えられないことと感じます。どうもありがとうございました。また、僕との議論におつきあいして頂いたことがきっかけでバーンアウトしてしまったりすることがないことを願います。

  • 商標については、次のようなことを思います。最悪、GFDLでリリースする記事本文中で商標登録されている語を使ったらそれだけでアウト、ということかも知れません。そうだとするとウィキペディア日本語版には致命的なので、多数の記事を凍結してジンボさんに頼んでFSF(GFDLの改訂をやっている組織)に陳情してもらうといった大掛かりな解決法に頼らないとだめ、というようなことになるかも知れません。そういうことはあって欲しくないですが、あって欲しくないからないことにする、というのはロジックとしておかしいと思うので、「やはり商標として登録されている語を文中に使うのはどうもまずそうだ」ということであれば「じゃあ仕方ないから残されている大掛かりな解決策を試みてみよう」、と考えます。これは慎重派ということになるでしょうか?
    • ただ、一方では、例えば自分の著作物としても公開できない他人の商標(ロゴなど)をGFDLではリリースできる、というのも妙な気がします。それが本当であれば申し分ないですが、T. Nakamuraさんが全面禁止という選択もあり、という意見なら疑う余地もありそうですね。いずれにせよ、T. Nakamuraさんに依存し過ぎず、解釈宣言の法的効力や、商標をめぐる判例について自分なりに調べたり考えたりしてみるのがいいかも知れません。また、以前、Alexさんとメールでやりとりがあった時に、日本における商標権の議論について触れたら、続報を待ってます、ということだったので、Alexさんに持ちかけてみるのもいいかも知れないですね。
  • 画像の扱いについて。ご指摘の通り、それ自体としては著作権上(商標件上も)問題のない画像について考えていました。そういう画像がウィキペディア内にアップロードされているのを、記事内で表示させている仕方は、他人の著作物である画像を自分の著作物である記事中で問題のある形で引用することになっているのではないか、というようなことです。そうであれば、同一作品として扱い、履歴を統合しなければならないのではないか、というのはひとつ僕も思い付いた考え方です。ですが、実用性の点からはちょっと問題がありそうです。そこで解釈宣言でどうにかならないだろうか、ということを漠然と期待していたので、とりあえずT. Nakamuraさんに質問してみました。(とまたここでT. Nakamuraさんに頼る形になっていたわけですが。)そこでもう少し具体的に思い付いた案を書いてみます。以下のような対処法はどうでしょうか? (どの程度有効だと思われますか?)
    • GFDL6条にあるCollections of Documents の規定は、画像と記事の同居に適用できそうに見えます。Collectionの場合は、ひとつの作品が複数の小作品の集合から為っていて、この個々の小作品はいずれもGFDLで提供されている、という形をとっています。履歴の統合などは必要ありませんし、6条の規定により、その小作品をとりだしてGFDLで提供されている単独作品として利用することが可能です。ここまでは、ウィキペディアにおける画像の取り扱いと矛盾することがないように思いますし、Collectionとしてひとつの作品だ、ということであれば、それが公正な慣行に従った引用の形になっていないことにも問題はありません。ただ、記事と画像が共に表示されている場合にはCollectionなのだ、ということは必ずしもわかりやすくありません。ソースを見れば、記事本体には画像データが含まれていないことがわかるわけですし、htmlなどの知識がある人なら別々のデータだと推測するとは思いますが。そこで、解釈宣言の一部として(これがGFDLの解釈に相当するのかはわかりませんが)、次のようなことを書くのはどうでしょうか。画像を含む記事は、Collectionにあたること、画像は画像本体と画像の情報ページ、履歴ページなどからなる独立のGFDLのWorkにあたること、それら画像の関連情報については、多くのブラウザで、記事中に表示されている画像をクリックすることで画像情報ページに行けること、そこから更に画像の履歴ページへも行けること、などなど。
      • すぐに気付く疑問点は、画像が複数の記事で表示されている場合、ひとつの画像が、同時に複数のCollectionsの一部分として存在している、ということになるのが問題ないのか、という点です。ですが、これは例えば、「2つの異なる記事で表示されている画像であれば、ウィキペディア上に2つ存在すべきか?」 と反対に考えてみると、別にそういうことはないように思われます。それによって得られる利益とか、GFDLにより忠実に従うことになる可能性というのもちょっと思い当たらないので。
      • もうひとつ、画像と記事が同居するのはいいとして、その画像と記事の関係を規定する情報が記事本文中に含まれていることをどう考えるか、という点が少し気になります。マイナーな点ですが。これは、Collectionが典型的に想定していそうな、「ソフトウェアマニュアル3種を束ねてひとつの作品のようにまとめて扱ったもの」において、その3種のマニュアルの順序についての情報が、マニュアルのひとつに含まれているような状態です。そこで、もしかして、「個々の部分を構成する小作品の配列について編集著作権のようなものを主張する(配列の順序指定がGFDLになっている)」ことになり、ひいては「Combination」(GFDL5条の扱っているもの)に相当することになってしまうのではないか、という点が少し気になります。
        • 解釈宣言を工夫することで解決できそうにない、ということであれば、少し寝かせて、他の方からもアイディアが出なければ開発者チームやWikilegal-lに持っていってアイディアを募集するとか変更をリクエストする、というのがいいかも知れません。
  • 最後に引用についての件です。meta:Do fair use images violate the GFDL? では、他人の著作物(画像)をフェアユースに基づいて自分の著作物中に取り込んでそれをGFDLでリリースしてもよいものかどうか、という議論をしています。 僕が前回の投稿で挙げた点「GFDLでないものを混ぜてはいけないのではないか?」あるいは、「GFDLでないものをGFDLだと主張することになってしまうのではないか?」という点について、ジンボさんの書き込みなどを見ると、あっさり否定する意見もあるようです。(否定しているのがリチャード・ストールマンさんやローレンス・レッシグさんだというのは、ちょっとどう受け止めていいか迷いますが。)

以上、ペースを落とすと言った割に長文ですが、余りお返事を急がない件と考えて頂ければと思います。

とりあえずこれにて。Tomos 06:08 2004年2月11日 (UTC)

お返事ありがとうございました。いろいろとお気遣いありがとうございました。それでは、ゆっくりやりましょう。いずれ、詳しいお返事書きます。T. Nakamura 13:46 2004年2月12日 (UTC)

今後の課題について少しメモしておきます。

画像について。

画像はAggregation の扱いになるのではないか、という議論はやはり過去にもあったようです。例によってというか何というか、結論は出ていないですが。Wikipedia-lの2003年3月の議論meta:Sample image copyright case などに言及があります。

文面について。英語版もそうですが、二次利用者を想定した部分(利用者の権利と義務)はGFDL4条との関連での説明(つまり、改変を伴う利用についての説明)になっています。逐語複製や大量複製もあると思うので、それらについてカバーするか、せめてそれらが多少異なる条件で許諾されていることを述べるのがよさそうです。当面の措置として、「例えば、ウィキペディアで提供されている記事や画像などにGFDLでいうところのModificationを施して利用される場合には、」次のような点に特に注意せよ、などとしておくのがよいでしょうか。Tomos 02:14 2004年3月5日 (UTC)

例外を認容する文言の追加の提案

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ノート:ロリコン一覧に鑑み、応急処置的な方策として、「投稿した方の返事や著作権者の方からの連絡によって著作権上の問題がないだろうということが明らかになる可能性もあるので、指摘があってから1週間以内に削除されることはありません。但し、1週間以上経ってもそのような形での問題解消がなければ、基本的には削除されることになります。」という部分を、「投稿した方の返事や著作権者の方からの連絡によって著作権上の問題がないだろうということが明らかになる可能性もあるので、原則として、指摘があってから1週間以内に削除されることはありません。但し、1週間以上経ってもそのような形での問題解消がなければ、原則として削除されることになります。」と改訂するほうがよいように思います。特に異論がないようならば、改訂しようと思います。ご意見をよろしくお願いします。

T. Nakamura 00:05 2004年1月6日 (UTC)

なるほど。とてもいい案だと思いました。「原則として」をつけることで逆に例外規定を設けられる訳ですね。私は賛成ですSuisui
まさにその通りです:-) T. Nakamura 01:29 2004年1月8日 (UTC)
変更しておきました。
「ロリコン一覧」は名誉毀損などが理由で、著作権を理由とするもので一週間を待たずに削除しなければならないケースは少なそうですが、「一週間待ち」を鉄則とすべき理由もないでしょうからよいのではないかと思いました。Tomos 07:27 2004年1月9日 (UTC)
ありがとうございました。T. Nakamura 00:26 2004年1月10日 (UTC)

GFDLのヴァージョンの特定について

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ノート:GNU FDLでの議論の続きです。

ご質問の件ですが、何となくTomosさんとの議論にちょっと行き違いがあるように感じます。私は、Tomosさんが免責事項との関係でヴァージョン 1.2に移行したくないものと理解していましたが、どうもそういうわけではなかったようですね。私としては、別に1.2で構いませんし、他言語ヴァージョンとの整合性を考えると、確かにそのほうがよさそうですね。ただ、1.2の場合、免責事項は、Tomosさんがおっしゃっていたように、一度導入してしまうと、それ以降の版では同じにしなければならなくなりますので、とりあえず1.1で置いておいたほうがよいように思います(この点を考えて、緊急に対処したほうが良いと考えました)。

おっしゃるとおり、GFDL10条2項の2文は未来のヴァージョンについてのみOKとするもの、3文は過去・未来どちらもOKということになります。反対解釈すると、ヴァージョンを特定した場合は、その版でのみ今後OKということになります。

免責の件を問題にしないのであれば、ヴァージョンを特定することの良し悪しは、一長一短という感じがします。

  • まず、ライセンシーに後続のヴァージョンとの選択権を認める場合に、どういう問題が想定されるか、という点ですが、これが、後続ヴァージョンが出てこないと分からない問題です。ご指摘のような問題が発生する可能性もないとは限りませんし、とりあえず予想はつきません。それを見てからそれに移行すべきかどうかを決定するのがよいでしょうから、ヴァージョンはいずれにせよ(1.2を採用するにせよ)特定しておくのがよいと思います。ヴァージョンについてはライセンシーが決められる、となると、ウィキペディア側は不利な条件を呑まされる可能性もあるわけです。
  • しかし、ヴァージョンを特定してしまうと、それ以外のヴァージョンで改訂することができなくなります。たとえ、後続のヴァージョンのほうが有利になったとしてもです。そうすると、後続のヴァージョンで記事を編集してライセンスできなくなりますから、確かに問題です。ウィキペディア全体で移行しよう、などというときには、たいへん問題となりますね。

こう考えると、GNU FDLの項を改訂しつつ、フッターには改訂を加えなかったTomosさんのご判断は、たいへん賢明なものだったと思います。さしあたりこういう曖昧な形にしておいて、免責の問題が片付いたら、フッターに「or any later version」を入れる方向で検討していくとよいような気がします。もうすこしよく考えてみるつもりですが。

さしあたり以上です。

T. Nakamura 04:12 2004年1月8日 (UTC)

既にある(長大な)コピー&ペーストの議論と同じページでやるより井戸端BBS辺りでやった方がいいような気もしますが、とりあえず考える時間の余裕がないのでわかっていることを書きます。

まず、英語版では既にDisclaimerというリンクと共に免責事項とおぼしきものが導入されています。また、英語版はver1.2 を利用していて、フッターではバージョンの特定なし、Wikipedia:Copyrightでは「1.2 or any later version」という指定をかけています。これがGFDLの10条にあるところのDisclaimerのセクションだとすると、既に実状としてかなり不便です。

こうなっている時点で、日本語版に翻訳や画像のコピーをしてくるためには、英語版からそのままとってくることができない、ということになります。(原著者から許諾を得れば、GFDLに従う必要もないので大丈夫だと考えられそうです。と、これは上のコピー&ペーストの議論から。)

では日本語版が1.2に切り換えたらどうなるか、ということを考えたのですが、ここでも、英語版と日本語版とで同じ免責事項を用意するか(準拠法の問題などもありますし、全く同じというのはかなり難しいと思うのですが)、そうでなければ、英語版と日本語版との間での翻訳、画像のコピーなどがGFDL違反になってしまう、ということが起こりかねないと思います。違反になってしまう理由は、やはり10条です。日本語版から英語版へ画像をコピーした時に、日本語版の免責事項をそのまま保存しなければいけない、という規定と、英語版が独自のDisclaimerを持っているという規定とが衝突してしまうので。

この件は、Wikilegal-l 当りで提起しておいた方がよさそうですね。英語版を受けて免責事項の導入を検討しているところは他にもあるかも知れませんが、下手に導入してしまうとかなり身動きがとれなくなりそうです。Tomos 08:26 2004年1月8日 (UTC)

Wikilegal-lで問題提起を行っていただき、どうもありがとうございました。

もし英語版のDisclaimerをそのまま受け入れなければならない、という帰結になった場合に、どういう不具合が生じうるか、これから考えて見ます。

T. Nakamura 00:49 2004年1月10日 (UTC)


免責事項について、とりあえず今までに思ったことを書こうと思いますが、ここに書くのは適当ではないので、Wikipedia‐ノート:免責事項に書きます。

T. Nakamura 04:39 2004年1月11日 (UTC)

特定の版の削除依頼

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この版[5]なのですが、言語間リンクを修正する際に、誤って英語版への言語間リンクを消去してしまいました。GFDL上問題がある虞があるので、特定の版の削除を依頼します。T. Nakamura 13:48 2004年2月2日 (UTC)


記事が長すぎるので、一部他に移した方がいいと思います。・・・といっても「4 著作権を侵害している投稿について」以外に別記事にできそうなものは見つけられませんでした。ノートも長いけれど、こっちは無理そうだ・・・。 Kozawa 08:34 2004年2月12日 (UTC)

Kozawaさん、警告文ありがとうございました。より投稿者への訴えかけの強い場所としては、MediaWiki:Copyrightwarningがあります(ご存知かもしれませんが、これは投稿時に投稿ボタンの下に出るメッセージです)。もしよろしければ、MediaWikiノート:Copyrightwarningに改訂の提案をしてくだされば、異論がないようであれば、反映できると思います。T. Nakamura 13:53 2004年2月12日 (UTC)

えっと、Copyrightwarningについては、まずはボタン周辺が「網羅的であるより、短くわかりやすくコンパクトに」、それから下部分は「なるべく短く、しかし法的に問題が少なく」という意図で作られていると思います。これはこれで今の方針に反対ではありません(細部は私にはわかりません)。

  • まずはもっとも軽はずみな人に対して、とにかく目立つところ(Recentchangeの上、投稿ボタン周辺)に、目立つ警告を
  • それから、それなりに常識はあるのだけれども、著作権の理解が浅く、wikipedia:文書をちゃんと読まない人に、短くわかりやすく警告すること(Wikipedia:著作権しか適切な場所が思いつかなかったので、そこの冒頭を借りました)
  • 行為の承認に関係するところでは、短くかつ法的になるべく有効に(Copyrightwarning)
  • 長くても、とにかく正確に網羅的に書くこと(Wikipedia:著作権全体?)

という構造が成り立っていればよいのかと。 上記をふまえた上で、より効果的な方法があれば、提案頂きたいのと、法的な有効性や正確性については私は専門外ですので、意見は控えさせて頂きたいです。Kozawa 06:50 2004年2月13日 (UTC)

お返事が遅れてしまい申し訳ありません。現在、Copyrightwarningの部分を「利用規約」というページに移そうという方向になっていて、鋭意草案を練っています。移した後の著作権警告のスペースの具合は、結構短くなる可能性もあります。ただ、利用規約は割と長いものになると思いますから、その要点を著作権警告のスペースを使って投稿者に示したほうが親切だと思いますので、今とあまり変わらないものになる可能性もあります。草案を出した後にでも、再びご意見をいただければ幸いです。T. Nakamura 20:47 2004年2月19日 (UTC)

履歴の保存場所について

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Wikipedia:著作権#ウィキペディアにおける翻訳 の中では履歴を、「<記事名>/履歴」 に保存する様に書いてありますが、ウィキペディアのメインの名前空間はサブページを認識しません (少なくとも今のソフトウェアでは)。スラッシュも普通の一文字として解釈します。また、メインの名前空間でのサブページは推奨されていません。このことを考えますと、履歴を保存する場所は、サブページを認識できるノート:名前空間の方が良いのではないでしょうか? 例えば、「ノート:<記事名>/履歴」です (サブページ名は、この限りではありませんで、例えば 「/インポートまでの履歴」なども考えられますが)。独立した記事としてしまうと、記事への付随性が薄れてしまうと思うのですが、如何でしょうか? a perfect fool 19:16 2004年2月28日 (UTC)

サブページ名は単に「/履歴」ではなくもっとわかりやすい名前でもいいかな、と僕も思いはじめました。

ノート名前空間の利用ですが、場合によってはノートを翻訳する、あるいは何かをノートのページに翻訳して来る、といったことも考えられます。 あるいは、2つのページを統合した場合にも、

そうすると、「ノート:記事名/履歴」といったページが、ノートの方の履歴データを補完するためのものなのか、それとも記事名の履歴を補完するためのものなのか、がちょっと紛らわしいのが厄介ではないかと思います。履歴ページ内に明記すればそれで済むと考えることもできますが。

サブページが推奨されていない理由が何なのかを考えてみると、曖昧さ回避や名前空間などの導入で解決された問題も多いようなので、こういう目的のサブページならいいかな、と思ったのですが、そもそも機能的なサポートがないのが難点です。それならいっそ、サブページではなくて ページ名_履歴情報 のような名前の付け方でもよいかも知れない、という印象も受けました。 (同じようなことはWikipedia‐ノート:サブページは使わないにも書いたので一応リンクしておきます。) Tomos 21:21 2004年2月28日 (UTC)

技術的に問題があるのであれば、変更も仕方ないと思いますが、次の要件がみたされている選択肢がよいと思います。

  • 安定的に使い続けることができるようなものであるということが必要です。つまり、長期的にルールを変更する必要がなさそうなものがよいと思います。走り出してからルールを変更すると、すべてについて特定の版の削除依頼を出さなければならなくなるからです。
  • 一括して検索、できれば削除できるようなものであれば、GFDLの変更(FSFへの働きかけの成果)により履歴ページが不要になった場合に、一括して処理できるので便利かと思います。詳しくないので教えて欲しいのですが、()や:を使うのは、この目的に役立つのでしょうか。

以上の要件をみたすものであれば、サブページも含めて、私はどれでもよいと思います。

T. Nakamura 00:41 2004年2月29日 (UTC)

括弧はともかくとして、:(コロン)は使い方によっては危ないみたいです。先日ゲール語版[6]で経験したのですが、現在のウィキペディア・ソフトウェアでは、名前空間名が変更されたときに、予め新しい名前空間に置かれた記事(という表現も変ですが^-^;)は、消失します (例えば、現在の「Wikipedia:」が「ウィキペディア:」に変更されるとして、変更の時点でそれ以前から「ウィキペディア:○○」という記事が存在していたなら、これは失われてしまう)。ですから、もし履歴を「履歴:○○」や「○○:履歴」とした場合には、将来「履歴:」や「○○:」が名前空間として設定された場合に内容が消失してしまう可能性が無いとは言い切れません。最終的に履歴をどこに保存することになっても構いませんが、(個人的に痛い思いをしているので^-^;)これだけは申し伝えておきます。a perfect fool 20:55 2004年3月2日 (UTC)
情報ありがとうございました。なるほど、コロンはやや危険ということですね。それにしても、ゲール語版とはすごいですね:-)T. Nakamura 23:50 2004年3月2日 (UTC)

いま現在ある「履歴ページ」に、翻訳元記事の履歴データを貼り付けることができれば、一番わかりやすいですよね。そして、言語を超えて過去の記事にリンクできればさらに便利です。こういう風にソフトを改良してもらうことはできないのでしょうか?oxhop 09:59 2004年2月29日 (UTC)

あるいは、現在ある「移動」機能の改良版として、「複写」、つまり、元記事を残したままの移動という機能でもいいですね。同一言語版内では不要なので、もっぱら他言語版相互間で実行可能な機能ということになりますが。oxhop 10:06 2004年2月29日 (UTC)
言語間複写機能の最大の欠点は、翻訳する気がないのにコピーだけするというイタズラが横行して、あちらこちらの言語版に全く同文の記事が重複して作成される危険性あるということです。oxhop 10:21 2004年2月29日 (UTC)

複写の機能、僕も考えていました。言語間の移動に利用できればかなり便利だと思いますが、他にも記事の分割やページの一部のみのログ化などの際にそのような機能を利用できれば、GFDLに違反することになる可能性はぐんと減るのではないかと思います。つまり、日本語版なら日本語版の内部だけでも使えたらいいんじゃないかと。Tomos 21:34 2004年2月29日 (UTC)

記事の複写のソフトウェアでのサポートについては、どなたか開発者陣に強くお願いして下さるとありがたいです。勿論、乱用されては困る機能ではありますが、GFDLとの兼ね合いを抜きにしても、やはり記事の成り立ちをはっきりさせる上で不可欠な機能だと思います。部分的なコピー&ペーストを使うと、その記述がどこから湧いて出て来たのかが判りづらくなってしまいます。履歴部分の保存さえ実装できれば、あとは技術的にはさほど難しいことではないと思うので、開発者陣に是非とも検討して頂きたい機能ですね。a perfect fool 20:55 2004年3月2日 (UTC)
賛成です。T. Nakamura 23:50 2004年3月2日 (UTC)

広報

[編集]

話がずれますが、interwikiで翻訳元表示と履歴転写が必要だというのはどれだけ浸透しているのでしょうか? わたくしもかなり時間がたたないと気がつきませんでした。日本版に限らずit,deなどでも履歴の複写なしで翻訳されている記事は沢山あります。 「寄稿する」などの他言語からの翻訳を奨励する文章にこのことも附加するなど、ある種の啓蒙活動が必要かと存じます。いまの状態では手順が決められてもどれだけの参加者が遵守するのかわかりません。Wikipedia外からの日本語文献からの引用元でさえ明記しない寄稿者がいて毎日削除申請がでる状態なのですから。KIZU 12:03 2004年3月3日 (UTC)

#勝手に独立見出しをつけました。

そもそもGFDLとウィキペディアの関係がどのようなものであるかについての解釈によって、今回の件はずいぶん話が違ってきます。例えば、全言語版のウィキペディアが単一の作品・文書に相当するという解釈をとる意見もあり、それに従えば、翻訳をすることと、ある記事を書き換えることとの間にはほとんど差がないということになります。従って、履歴をコピーする必要もない、ということになります。(履歴は既に単一文書の内部に存在していますし、イタリア語版から日本語版にコピーしても、単一文書の内部、2箇所に履歴情報を残しただけということになってしまいます。)

また、アメリカでは契約の解釈に際して、その文言に忠実でなくても大意で契約内容に沿っていればいいとされる慣行があるそうなので、英語版でアメリカ法が問題になる部分では、日本語版のように詰めて考えなくてよい場合もあるかと思います。英語版では、「言語間リンクを張って要約欄に書けばいい」といった説を聞いたこともありますし、二次利用の際は、GFDL表示、ウィキペディアへのリンクバックなどだけで十分、といった意見も目にしました。

ただ、そういう楽観材料の他に、もう少し面倒な事情もあるのではないかと思います。メーリングリストで法律関連のことを議論している参加者で、イタリア語版の方は知りませんが、英語版やフランス語版などでは、どうやらGFDLをどう解釈するか、どうウィキペディアにあてはめるか、という点を詰めて考えていないのではないか、というのが僕の印象です。一部考えている人がいても、それを公にして、合意を形成しようとしていないのではないか、と。

それよりも、各人が各人の正しいと思うことをやればいい、という程度の態度に収まって、誰も正解を知らないし、正解であるにせよないにせよ、はっきりとした合意がないから、ほとんどの行為は禁止もされない、という放置状態にあるように思います。

英語版であれば、管理者は責任を負わずにジンボさんに責任を負ってもらう(という議論が実際あります)、ジンボさんはウィキペディアの現場は詳しく知らないので、「知っていて放置した」という形での責任はとらなくてよく、通報があったら対処するにとどめる、といった形で問題の発生を防いでいる、という可能性もありそうです。日本語版にある発想から見ると驚きかも知れませんが、全く同じ論理を適用して、「他言語版の管理者も一切責任を負う必要はないし、サーバはアメリカにあるのでアメリカ法で問題のあるコンテンツ以外は削除しなくても何のリスクもない」とする意見もあります。(そうすると、日本語版で日本人に対する名誉毀損が起こっても法的に問題がない、というようなことにもなるわけですが。)

日本語版では、既に英語版などに比べると比較的慎重なアプローチを採用していて、GFDL以外のコンテンツを受け付けない、引用などもかなり慎重、管轄や準拠法についてもある程度考えている、とある意味、GFDLに関するもっと厄介な問題を扱う土壌が出来ているようにも思いますが、他言語版でそうなっていないとしても、あまり驚くようなことではないように思います。

そして、実際日本語版では、厄介な課題を正面切って扱うような議論を去年の年末になって始めたわけですが(このページの上の方にあります)、これが仮に何かの合意に辿り着いたとして、その先に待っているのは相当な件数の削除案件ではないでしょうか。 不適切な形でコピー&ペーストして作成された過去の記事を削除すべきか、翻訳元の履歴情報が不明な記事を削除すべきか、引用を含む記事を削除すべきか、などなどと。商標画像、フェア・ユース、GFDL以外の許諾によるコンテンツ、引用、ページの統合や分割やログ化の仕方などについても、あれこれとややこしい(考え方によっては不条理ですらある)制限がかかる可能性があります。こういう不快な話を持ち出して合意を形成するのは、容易ではないように思います。どうやら日本語版ではうまく行くようですが。

井戸端BBSの方でT. Nakamuraさんが「砂上の楼閣」と言っていましたが、僕もずっと前からそういう可能性は考えていましたし、僕でも思いつくぐらいですから、他言語版にもそういう風に考えている人がいると思います。ただ、僕のように付け焼刃の法律の知識しかない人間がいたずらに話題を持ち出しても、説得力はないですし、誰も解決策を思いつかないし、本当にどれだけ深刻な問題なのかわからないという感じがつきまとうでしょうし、ある種の合意に達すると編集活動が面倒になったり(履歴を保存しなければいけないとか)、大量の削除案件が出たりするし、取り返しのつかない影響を与えるし、と要するにモラルが低下するだけでいいことはないんじゃないかと思っていました。

無駄に長くなりましたが、日本語版である程度意見がまとまるようなら、他言語版にも知らせて、協調を図れるかどうか試してみるのがいいだろうと思っています。日本語版内でも、わかりやすい解説や目立つ注意書きなどがあるといい、とも。

機会があったら、KIZUさんも「こういう点について議論しなくて大丈夫なのか?」と持ちかけてみて下さい。もしかすると何か合意が形成されているかも知れないですし(日本語版にも参考になるかもしれないですし)。 Tomos 15:45 2004年3月3日 (UTC)

GFDL1.2への移行

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最近よく目にするのがGFDL1.2の画像(英語版からの転載も多いですね)。でも現在当ウィキペディアはGFDL1.1。これではGFDLバージョンの問題(1.2の画像が1.1のコンテンツに入っているのはライセンス違反では?)から大量に削除依頼を出さなければならないという事になると思います。

ここはそろそろ腰を上げて、当ウィキペディアもGFDL1.2に移行すべきではないでしょうか。 PiaCarrot 09:54 2004年3月22日 (UTC)

あらら、ごめんなさい。GFDLのバージョンまで普段意識しておりませんでしたm(_ _)m。私が英語版から持って来た、MediaWiki:GFDLメッセージも、よく読んだら、"version 1.2 or any later"とあるではありませんか(泣)。ところで、ver.1.1と1.2とでは、どのあたりが変わっているのでしょうか? a perfect fool 11:29 2004年3月22日 (UTC)

一番問題となった点としては、免責事項への言及が付け加わる点です。これについては、このページの上のほうに若干議論があります。他にも、井戸端BBSかWikipedia:免責事項のノートあたりに議論があったかもしれません。T. Nakamura 19:05 2004年3月28日 (UTC)