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Wikipedia:コメント依頼/頭痛 20120725

利用者:頭痛会話 / 投稿記録 / 記録氏の編集姿勢について、第三者からのコメントを依頼します。--Moss会話2012年7月25日 (水) 14:25 (UTC)[返信]

経緯

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利用者:頭痛会話 / 投稿記録 / 記録氏は生物分野において私が行った出典を伴った記述の除去を続けております。私の会話ページ、私のコメント依頼でも議論を行い、既存の記述を変更しない追記などの対策も行いましたが、氏の編集が続行されている・議論に齟齬があると感じたためコミュニティの意見を伺いたくこの依頼の提出に至りました。--Moss会話2012年7月25日 (水) 14:25 (UTC)[返信]

生物分野における検証可能性等の無視

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私の執筆分野は主に生物ですが、参考文献を挙げて検証可能性を満たした編集を心がけているつもりです。その過程で主観的記述、重複、出典を用意することでより正しい情報に置き換えられる出典のない記述、いわゆるトリビア(雑多な内容)の類を除去することもしばしばあります。 主に文学作品について執筆している被依頼者が不定期に何の意図があって生物記事の編集を心がけるのかは不明ですが、「有意な記述の除去」「無思慮な編集」の一点張りの理由で差し戻されてしまいます。

例として最近の問題となったライチョウでは

  • 内容がIUCNレッドデータのバージョンが2012年版に更新された
  • 学名(種小名)が統一されていない(Lagopus mutaだが、Lagopus mutusが記事内に含まれる)
  • 和名欄に漢字標記を併記している(和名は原則カナ表記)
  • 英名が異なる(旧版Ptarmigan、文献および英語版ではRock ptarmigan)
  • ライチョウ科やライチョウ属といった上位分類と混同している(科の種数の解説、例えば冬に白くなる、足に羽毛があるのはライチョウ属共通etc…)
  • 標高2000-3000mの高山に生息するとあるが、実際は高山ではない北極海周辺の島嶼やツンドラ等にも生息する
  • 北半球高緯度地域の広範に分布し20以上の亜種に分かれる種に関わらず、それらについての記述が乏しく日本国内の亜種(亜種ライチョウ)に内容が大きく偏っている
  • 私の編集以前に記事内で挙げられていた文献と記事の内容が異なる(日本国内の系統を亜種よりも上位分類である種としている、生息数が出典では1961-1985年の調査に基づく推定とされているのに記事では2005年の推定とされているetc…)

などの問題がある記事でした。 そのため国内の情報に関しては記事内にて既に挙げられていた文献を、国外の情報に関しては新規に出典を用意して編集致しました。

この編集は頭痛氏とは別のユーザーの方に除去されたのですが、その編集を私が差し戻した後に頭痛氏によって私の編集を除去されてしまいました。

続けて既存の文献を除去するなとの理由で差し戻されたため、記事内に全長などの重複部が多数あり構成に極めて問題があるとわかっていましたが、本文に手を付けず(コメントアウトなどで誤情報、重複部などは指摘)出典を伴った記述を別記致しましたがこちらも差し戻されてしまいました。

以下、現在までに同様の除去が行われた記事を挙げます。

画像をまとめて除去したという理由で差し戻された記事。レイアウトで画像を専用の段落にまとめた・分布域を年度が新しいもののみにした・グラフが独自の数値と思われるため(要約欄記述済み)のみで、スペインオオヤマネコは3枚の画像を除去したが大量除去というほどの除去(ヤブイヌに至っては除去すら)は行っていません。並行してIUCNレッドデータのバージョン更新、リンク切れとなったワシントン条約掲載種のリストへのリンク修正も行っておりますがそれらも一律差し戻されております。

主観的表現の除去、出典がない記述を出典付きの記述で補強したにもかかわらず差し戻された記事

私の会話ページと重複致しますが、氏の意見に対する反論をこちらにも記述させていただきます。

  • 「分布」「形態」「分類」「生態」「人間との関係」といった見出しで記述を行う。
    • プロジェクト:生物のガイド「生物項目の書き始め方」より記事に「含むべき内容」として、「分類」「形態」「生態」「分布」「生活環」「人間との関わり」がある
  • 「分布」や「分類」では必ず箇条書きで情報の記述をはじめる。
    • 亜種がある場合は箇条書きで始める記事も存在するが、全てではない例:ヨーロッパバイソン 分布例:アカミミガメ 分類。また亜種は箇条書きでリスト形式で記述することは私に限らず生物の記事内では珍しくない(例:オオカミ、ヒラタクワガタetc…)。亜種がない記事では箇条書きで始めていない。

レッサーパンダ(冒頭文が分類の段落と重複していたため過去に除去したが、被依頼者によって差し戻し)、ピューマ、ライチョウでの意見および氏の編集傾向から、冒頭文の記述を増やし箇条書きを避ける傾向があるようです。

少なくともここ3ヶ月以内でのダブルスタンダードと思われる例

ウィリアム・シェイクスピアにて重複・出典がないとの理由での除去

桜の森の満開の下にて、短編映画という理由で出典付き人物欄の除去

漫画タッチにて、出典のないトリビアの除去

--Moss会話2012年7月25日 (水) 14:25 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

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依頼者の編集に対する私の意見や差し戻し理由などに関しては利用者‐会話:Moss#レッサーパンダおよび利用者‐会話:Moss#編集方針についてで述べていますのでここでは繰り返しません。自分の差し戻しがやや乱暴であることは承知していますが、コメントで推察していただいているように一つ一つ修正していく余裕がありません。面倒であるというような話ではなく、依頼者の編集前の版と編集後の版とでよいところ(前者は主に情報量と文章表現、後者は出典)を統合しようとすると非常に手間がかかります。実際にヤマドリでそのような修正を試みましたが、想像していたよりずっと時間がかかりました。

したがって、上記の箇所で述べている依頼者の編集の問題点を依頼者自身に理解していただくのがもっとも優先すべき事項だと考えています。Trcaさんの述べられている個々の記事ノートに問題点を書き込む方法は一般的にはよい方法ですが、依頼者の過去の経緯を考えるに機械的な事後報告に終わってしまう可能性が高いでしょう。ぎゅうひさんの提案されている編集を二段階に分けていただく提案は私も今後の議論で同様の提案をするつもりでおりました。

しかるに、依頼者は利用者‐会話:Moss#レッサーパンダで2度、利用者‐会話:Moss#編集方針についてでは私に対してはわずかに1度返答を行っているきりであって、いずれの節でもその後の私の書き込みに反応されていません。そのような中でこのコメント依頼は提出されています。第三者を交えて議論すること自体にはとくに異存はありませんが、コメント依頼は対話から逃れるために使用するべきではないでしょう。--頭痛会話2012年7月27日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

(コメント追記)依頼者は利用者‐会話:Mossで私の書き込みに対して返答をおこなっておらず、このコメント依頼に対して行われている依頼者への指摘に対しても無反応のまま記事の編集を開始されています。この後とくに依頼者から反応がないようであれば依頼者の対話拒否の姿勢に対してコメント依頼を行い意見を募りたいと考えています。提出した場合はこの場で再度お知らせします。--頭痛会話2012年8月9日 (木) 14:17 (UTC)[返信]

コメント

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  • コメント ヤマドリなどで見られる無出典の記述を{{要出典}}をつけて戻すような編集は好ましくは無いですね。{{要出典}}タグは出典付けなくて良い免罪符ではない。しかし、Mossさんの箇条書きの多用もいかがなものかと思う。箇条書きが絶対にダメだとは言わない。私も使っています。しかし、Mossさんのは過剰です。頭痛さんが差し戻したくなった気持ちもうなづけなくは無い。Mossさんの会話ページでの頭痛さんのコメント>『これによって(以前指摘したように)百科事典の記事というよりは生物データブックに近いものになってしまっています。』と『記事冒頭にはその記事の簡単な概略をしめすべきもの(概要文)なのであって、冒頭にある説明はそれ以下の部分との単なる重複ではありません(WP:LS)。冒頭の文章を無闇に削らないでください。』という意見には私も同感です。百科事典を生物記事をデータブックにしないでください。Mossさんはブリタニカや平凡社の世界大百科事典をご覧になってみてください。--ぱたごん会話2012年7月25日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
  • コメント 頭痛氏がMoss氏の編集に対してまるまるの取り消しをされていることは、理想的なやり方とは言えないかもしれませんが、想像するに、限られた作業時間の中で記事の質を保つための現実的な落としどころであったのかなとは思います。
    Moss氏の編集は、記事の多くの部分に手を入れ、構成の入れ替えも大幅に行い、それらを1度の編集で反映させるスタイルで、編集回数をむやみに増やさないという点では素晴らしいことなのですが、どの部分がどう改変されたのかを他の執筆者が完全に追うことはなかなか難しいです。しかしそうはいっても、Moss氏はそうした編集の中で記事の一部を削除されることも多々あり、しかもそうした削除編集については申告されることはまずなく「しれっと」行われるので、放置しておくわけにはいかない。記事の全改造に近いような編集をMoss氏がされたとき、どの部分が削除されてしまったか逐一の確認はしきれないけれども、おそらく消されてしまった情報もあるのではないか、とりあえず前の状態に戻して保全したい、と思ってしまう気持ちも私は理解できます。
    Moss氏の最近の編集の例を挙げておきます。
    ジャイアントパンダのこの編集[1]
    要約欄に「人間との関係追記 - 中国語圏での呼称について」とお書きになっていて、いかにも追記だけしたように見えますが、実は「中国語圏での呼称」についてはまるまる削除されています。「中国語圏での呼称について削除」と書かれていないので見つけづらいのですが、このときはたまたま私が発見し、直後に復活させていただきました。
    トドのこの編集[2]
    要約欄に「PJ:BIOのガイドよりモチーフにしたキャラクターetc…を除去、参考文献追加に伴い日本国内での漁業被害について追記」とあり、いかにも削除したのはキャラクター云々のみのように見えますが、アイヌ語、漁業被害、トドカレーなど北海道がらみの一連の記述を全削除されています。
    ピューマ[3]
    「参考文献作成に伴い、生態、人間との関係作成、分布、形態修正、外部リンク作成」とのことですが、実はそれまでにあった「出典」(米国の大学や保護団体などによる複数のサイトへのリンク)を全部消されています。
    オシドリ[4]
    要約欄は空欄ですが、どういったご意図なのか「種の保全状況評価」と「自治体指定の鳥」の各節をまるまる削除。
    必要なら他にも例を見つけてきますが、Moss氏は以前からこのような編集姿勢でいらっしゃって、私も苦言を申し上げたこともありましたが考慮していただける気配もないようでした。この場をお借りして再度の進言といいますか、提案をさせていただきますが、もしMoss氏が「多数の加筆や節の入れ替えなどに紛れこませて邪魔な記述をこっそり削除してしまいたい」といったご意図をお持ちというわけでもないのであれば、今後は「2ステップ編集」を励行されてはいかがでしょうか。「加筆や構成の工夫」で1回、その後「記述の削除」のみで1回。このようにすれば他の編集者からもどこを削除されたのか一目瞭然ですし、消された情報に対してもし異議があれば最後の編集のみを取り消しさせてもらうこともできますので。ご検討いただければ幸いです。
    最後に、頭痛氏についてMoss氏は「主に文学作品について執筆している被依頼者が不定期に何の意図があって生物記事の編集を心がけるのかは不明」と書いておられますが、想像するに、「(人文科学的側面などの)生物誌以外の内容を軽視しないでほしい」、「多様な執筆者が多様な視点から積み上げてきた内容をいとも簡単に蹴り出さないでほしい」、上にぱたごん氏も書かれていますが「Wikipediaは百科事典であって生物データブックではないのだから」こうしたことの一心なのではないでしょうか。ぎゅうひ会話2012年7月25日 (水) 17:15 (UTC)[返信]
コメントとりあえずパンダの記事のみ提示された差分を見ましたが、「中国語圏での呼称」は削除されたのではなく後の方の節に移動されています。これを無視してぎゅうひさんが当該部分のみ差し戻ししたため、結果として熊猫云々の話が記事中に重複して記述されることになってしまっています。少なくともこの編集に関しては、Mossさんの編集は理解できる範囲にあり、ぎゅうひさんの確認不十分のほうが問題と考えます。--Kojidoi会話2012年7月28日 (土) 02:42 (UTC)[返信]
  • コメント私には、頭痛氏の個々の操作の可否はともかく、その態度には何ら問題はないと思います。むしろ問題はMoss氏の側にある。彼は彼の会話ページで頭痛氏に対して「生物のガイドや・生物の基礎的知識をご存じないのにもかかわらず、生物記事に介入してくる」と言っています。これは非常にたちの悪い発言だと思います。生物関係の記事は、生物分野の人眼だけのもの、とでも言うのでしょうか。
もちろん、生物関係の記事は、それなりに生物学的に正しくなければなりません。分類などは用語も特殊で、一般には誤用されていることも多く、間違いを書かれることもまたある。それを修正するのは当然です。しかし、それ以外の分野のことが記事に入るのは許せない、では、それは百科事典ではありません。Moss氏へのコメント依頼でもこの点の指摘は数多かったはずです。にもかかわらず、このような発言があることは非常に問題です。しかも、ここにこんなコメント依頼が出ていることを知ったとき、私はほとんどあきれ果てました。自分がそのような執筆態度を取るのはまあ勝手ですが、それを記事の体裁そのものに当てはめて逸脱を許さない、と言う態度は、Wikipediaと言う共同作業において、許されないことではないでしょうか。--Ks会話2012年7月25日 (水) 20:44 (UTC)[返信]
ぱたごん氏は「ヤマドリなどで見られる無出典の記述を{{要出典}}をつけて戻すような編集は好ましくは無いですね。{{要出典}}タグは出典付けなくて良い免罪符ではない。」と仰っておりますが、「無出典の記述を問答無用で削除するような編集」も好ましく無いはずです。Moss氏の編集にはこのような傾向が非常に強く、加えて大きな編集にも関わらず「細部の編集」を多用する様からは、「『細部の編集』として邪魔な記述をこっそり削除してしまいたい」のではないか、との疑いまで抱いてしまいます。頭痛氏の編集はこのような編集に対してのやむを得ない編集であり、問題はないと感じます。
頭痛氏に対するコメント依頼ですが、総じて依頼者であるMoss氏の編集姿勢にこそ問題があると感じております。Wikipedia:コメント依頼/Moss利用者‐会話:Mossにて多くの苦言が呈されているにも関わらず、数年間に渡って編集姿勢が変っておりません。ご自身への問いかけや苦言をどのように認識されているのでしょうか。多くの指摘に真摯に向き合い、編集姿勢を改めて頂きたいです。--紫陽花の下会話2012年7月26日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼に挙げられているすべての差分の確認までは行っていませんが、簡単に見た限りでは、依頼者・被依頼者どちらの気持ちもわかるけれど、どちらの行動も完全に適切とは言えないという感想を抱きました。
まずは依頼者の編集に関して。私も生物記事の全面改訂をいくつか手掛けてきましたが、その際、改訂前の記事にある情報を(間違いと思われるもの、明らかに不要なもの以外は、たとえ表現は変わっても)できるだけ残すことを心掛けています。しかし、改訂前の記事に適切な出典明記がない場合に、検証可能性・可読性を高めつつ、情報を残すのは相当に面倒な作業です。ましてMossさんのように、一定のスタイルで記事を量産するスタンスの方にとっては、執筆効率を著しく下げることになるだろうと思います。(このスタンス自体は私の好みではありませんが、必ずしも悪いこととは思いません。)あるべきなのにない記事、検証可能性に問題がある記事に溢れたウィキペディアで、そんなことに労力を割くよりも、ひとつでも多くの記事を執筆・改善したいという考え方は、間違ったことではありません。それでもやはり、ウィキペディアが共同作業による記事の成長を旨とするプロジェクトである以上は、無用な軋轢を避けるためにも、できるだけの配慮は必要だと思います。
被依頼者の行動も理解できます。記事のあちこちを書き換える編集を目にしたとき、不適切なのはその一部であったとしても、全体を差し戻してしまうのが一番簡単です。編集内容を逐一検討して適切な部分は残し、不適切な部分のみ差し戻し、うまく統合して一貫した記事にするのは、面倒な作業です。残念ながら問題投稿に溢れたウィキペディアで、そんな作業はやってられないと感じるのも自然なことです。それでもやはり、出典のある記述を除去したり、逆に出典のない記述や信頼性に疑問のある記述を復帰したりしてしまうのは、記事の質の向上という面から不適切です。
以上を踏まえて、お二方に以下のことをお願いしたいと思います。第一に、記事から情報が失われるのをなるべく避けてください。出典が十分でないからといってまとめて節を除去したり、不適切な編集を含むからと言って版全体を差し戻すようなことをせず、1つ1つの記述が適切かどうかを検討・検証してください。もっとも、上に書いた通り、現実には利用できる労力・能力・資料の制約がありますから、そこまでやってられないこともしばしばあると思います。そのような場合に無用な軋轢をさけるために、ノートを利用することを提案いたします。つまり、Mossさんは、改訂時に大幅な記述の除去をする場合には、「前の版のこの部分は出典が得られないため(記事の構成上うまく取り込めなかったため)除去します。この記述の出典となる資料をご存知でしたら(うまく現在の版と統合できるようでしたら)再度加筆してください」ということをノートに書いてみれば、かなり軋轢を回避できると思います。頭痛さんは、どうしても版を差し戻すときには、「この部分の情報が失われてしまうのを避けるために差し戻しました。差し戻しによって別の部分の加筆が消えてしまいましたが、これこれの内容は適切と思われるので、うまく既存の記述と統合されることを期待します。」と書いてみれば、いらぬ揉め事を減らせるのではないでしょうか。ぎゅうひさんのコメントにある2ステップ編集と併せて、ご検討願えると幸いです。編集合戦に勝つことではなく、質の高い記事が生産されることを目指しましょう。自戒をこめて。--Trca会話2012年7月26日 (木) 17:46 (UTC)[返信]
コメント依頼者が最初に提示したライチョウの2012年7月19日 (木) 前後の履歴を見ました。依頼者介入直前の版との依頼者版との間で、被依頼者および紫陽花の下さんが関与した編集合戦になっていましたが、どちらかの版が絶対的に優れているとは言い切れないと思いました。Mossさんによって削除された部分は日本語としてこなれていない部分や、トリビアではないかと思える微妙な記述も少なくなく、私でも0ベースの書き換えを検討したかもしれません。紫陽花の下さんによるrv編集は、強引さでは五十歩百歩と見えます。依頼者のかたくなにも見える編集に対してそういう反応になったというのは分からないではありませんが、ノートで合意形成を取るべきだったでしょう。しかしこれは依頼者にも言えることで、大規模編集を掛ける前に、編集草案を提案理由とともにノートで示してから事に及べば、こう揉めることにはならないのではないかと思えます。手間を惜しめば周りが反発してrv合戦や余計な論争を誘発して、かえって時間がかかってしまいます。WPでは「知らないほうが悪い」は通りません。合意形成が重んじられ、良かれと思っての言動でも最悪の場合無期限ブロックです。ここ一年だけでも、何人の優れた科学系ライターが功を急ぎすぎたがゆえに立ち去りを余儀なくされたことか。その轍を踏まぬよう、みなさんが提案しているような手順を丁寧に踏んでいただくことを期待します。--Kojidoi会話2012年7月28日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の言動に少し不安を覚えたので、再度コメントいたします。私の前のコメントを含めて、このコメント依頼では依頼者であるMossさんの行動を問題視する意見が多くついているのは確かです。ですが、被依頼者の編集内容が全面的に肯定されているわけではないことを見落とさないでください。ノート:カメ#大量除去された記述の復帰では、現在、記述の整理に関する概ね冷静で建設的な議論が進んでいるように思われます。そのなかで、被依頼者によって具体性を欠く、感情的なコメントが書き込まれたことを残念に思います。--Trca会話2012年8月7日 (火) 07:00 (UTC)[返信]
    • (便宜上ここにつける)私のこの発言[5]が感情的に見えたのであれば残念です。カメ編集の指針についても利用者:Moss氏の編集についても私はごく具体的に意見を述べています。ノート:カメで議題になっているのは私の編集ではありません。--頭痛会話2012年8月7日 (火) 09:28 (UTC)[返信]
      • コメント 頭痛さんはその後もノート:カメ#大量除去された記述の復帰ノート:チーター#最高速度でMossさんへの批判を繰り返していらっしゃいます。Mossさんの対話姿勢に残念ながら難があるのは事実で、コメント内容そのものは間違ったものとは思いません。しかしこれらのノートページは記事に関して話し合うための場所ですから、利用者の参加態度に関する議論はコメント依頼なり会話ページなり他の場所で行っていただきたいと思います。--Trca会話2012年8月8日 (水) 00:24 (UTC)[返信]
        • 記事を編集するのは個々の利用者です。記事のノートだからといって、編集姿勢に対する問題が指摘されている利用者のその問題点に目をつぶってその利用者と当たり前のように個々の記事についてのみ議論することはできません。だから記事の編集に乗り出す前に自分の問題を片付けるべきだと述べているのです。この状態が継続するようであればもちろん依頼者へのコメント依頼は検討いたします。--頭痛会話2012年8月8日 (水) 05:34 (UTC)[返信]
    • コメント 会話ページでの返答もこちらの依頼に対するリアクションも無いまま、記事の編集作業を再開した依頼者の態度は非難されても仕方ないのではないでしょうか。対話を無視しているかのような態度のうえ、再三「百科事典を生物データブックにしないでください」と注意されているにも関わらず「キリがないため一律削除」と今までと何も変わらないような主張をする態度が、私には理解できません。
依頼者への提案ですが、しばらく既存記事の編集作業からは手を引き、新規立項作業のみとしてはいかがでしょうか。例えばPortal:生き物と自然内には未だ多くの執筆依頼があります。新規立項であれば、依頼者の望むスタイルで充分に執筆できますし、百科事典記事が生物データブックに置き換わってしまうようなことも、また、それに対して今回のように多くの編集者が対応することもなくなります。また、Wikipediaにとっても優れた科学ライターであろう依頼者の活動が継続され、多くの赤リンクが解消されます。依頼者本人に編集姿勢に対する対話も改善する気も無いようでは、これ以外にはブロック依頼位しか選択肢が思いつきません。ご検討下さい。--紫陽花の下会話2012年8月7日 (火) 17:23 (UTC)[返信]

以前、アホウドリの項目で依頼者の編集に疑問を抱き、Wikipedia:コメント依頼/Mossで問題点を指摘させていただいたことがあります。そのとき、何回かのやりとりで分かったのは、依頼者はアホウドリというか鳥類研究について、かなり基本的な知識を欠いているのだろうなということでした。図鑑類の出典だけで本文を大幅に書き直し、山階鳥類研究所へのリンクと長谷川博研究室へのリンクを「宣伝ページと思った」として削除したのが依頼者なのですが、図鑑類に載っているアホウドリの基礎資料を提供しているのが長谷川博で、その活動を支援し、日本の鳥類研究の基本データを蒐集しているのが山階鳥類研究所だということを依頼者はご存じなかったのでしょう。この点、依頼者が被依頼者に対して「生物の基礎的知識をご存じないのにもかかわらず、生物記事に介入してくる」と難じたというのは、たいへんに問題がある発言だなと、私も思います。そう非難する御自分に基礎的知識を欠いている可能性がある事を、そしてアホウドリでは確実に欠いていた事を、もう少し考慮された方が良いかと思います。別に、その分野の知識が無くとも記事の編集は出来ますが、他編集者との対話は必須となります。被依頼者のことは置いておいて、私には依頼者の側に共同作業に必要な謙虚さが決定的に欠けているとしか思えません。Wikipediaの記事は、依頼者のものではありません。他人が書いたものに対して、もう少し敬意を払うべきだと思います。Wikipedia:コメント依頼/Mossに見られるように、多くの人が依頼者の編集を変だと感じ、独断に過ぎるとしています。見る人が見れば、依頼者の編集こそ「素人の思い上がり」に見えているという事はくれぐれもご注意ください。--おーた会話2012年8月19日 (日) 08:16 (UTC)[返信]

まとめ

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