Wikipedia:コメント依頼/Chokorin

ノート:取次 (豊臣政権)におけるChokorinさんの言動についてのコメントを募集いたします。

これまでの経緯[編集]

取次 (豊臣政権)は昨年10月より改名提案手続きが行われており、依頼者である模様砂漠2Yasumiさんの間で話し合いが行われていました。私はYasumiさんの姿勢に問題があると判断しWikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiを提出し、結果Yasumiさんはブロックとなりました。Chokorinさんはこのブロック依頼にコメントされて以降「取次 (豊臣政権)」の改名提案の議論に参加されておりますが、問題となる言動がいくつか見られると判断し、本依頼を提出させていただきます。

1. ブロック依頼に対する誤解
Chokorinさんが初めてノートでの議論に参加された際、「念願かなって論敵を追放でき、さぞ御満悦のことと思います。おめでとうございます。」 [1]と、投稿ブロックと追放を混同した発言がありました。このあとにこの点を指摘しましたがそれに関する回答はなく、秋田城之介さんから「模様砂漠2氏へのあてつけでしょうか?非常に不適切だと感じます。」[2]というコメントがありましたがそれに対する対応も見られませんでした。現在もブロック依頼に対する認識が訂正されたかどうか不明です。
2. 改名手続きに関する問題
私は改名提案においてこの取次が豊臣政権固有のものではなく、室町・織田・江戸時代にも存在するということで定義を拡張し、改名も行おうとしています。しかしChokorinさんは「この場合、改名提案は「改名」と称しながら〈「取次 (豊臣政権)」の削除+「取次 (武家政権)」の立項〉と同義です。」[3]と発言され、『「取次 (豊臣政権)」に特筆性があるから削除は出来ず、改名もできない。』という意見を出されました。この意見自体に正当性があるか、以前井戸端でお聞きしましたがあまり意見は集まらず明確な返答は得られませんでした(Wikipedia:井戸端/subj/改名提案は削除を含むか)。また、まず「取次 (武家政権)」を立項してから、「取次 (豊臣政権)」との統合提案を出すのが筋だと発言されています[4]。方針文書にはChokorinさんの意見を裏付ける記述はありませんし、定義変更が正当かどうかはユーザーが執筆した記事より出典を確認したほうが正確なはずです。Chokorinさんは何度も加筆を行うなど出典にアクセス可能な立場ですし、無料購読が可能な出典も当方から提示しております。このChokorinさんの主張ははたして適切でしょうか。
3. ページの主題に対する不言及
Yasumiさんと依頼者である模様砂漠2の議論では、「取次」が豊臣政権期固有のものであるかどうか、すなわちこのページで扱う「取次」の定義が論点となっておりました。しかしChokorinさんは最初のコメントで「定義論争は措くとして」「定義自体が議論の対象となっているわけです。そして、その論争自体に特筆性があるわけです。」「ノートで人を追い出すほどの定義論争」と発言されています。また「定義論争に関しては、私としてはどうでもいい話なので読んでいませんし」[5]とも発言されています。この「取次」という概念自体の定義はいまだ曖昧であり、現在も論争中である主題なのですが、それでも研究で扱われる一定の前提はあります。私はその研究上の「取次」を扱うための改名提案を行い、曖昧さ回避のための名称として「取次 (武家政権)」を提案しています。しかしChokorinさんは「「研究者が「取次」として扱っているもの」という広い範囲、悪く言えば大ざっぱな括りから記事名をきめていくのは非常に難しいと思います。「執次」や「伝奏」も含むのかという問題もあります」[6]と、このページで扱っている「取次」研究が何を指しているのか根本的に理解されておられないような発言をされています。また、議論中では論文の表題に基づく主張は行われましたが、内容に基づく主張が一切ありません。
4. 立項基準に関する認識
Chokorinさんは「武家政権の取次には特筆性がない」という発言を繰り返しておられます。しかしその一方での『「取次 (武家政権)」を新規に立てる分には御自由にどうぞ』というのは、それでもなお、『何としても「取次 (武家政権)」という記事を立てたいのだったら、新規に立てるかたちでお願いします』と[7]と、新規立項なら認めるという発言も行われました。しかし特筆性がないのであれば、新規であろうが改名であろうが立項は出来ないはずです。執筆者が「何としても立てたいのならば」で変化するものではありません。特筆性や立項基準に関して根本的な認識の誤解があります。何度かこの点について指摘しましたが、Chokorinさんの意見はかわっておりません。
5. 根拠不明の言動
2011年6月14日 (火) にChokorinさんは『「豊臣政権以外の取次について記事を書きたいから改名したい」というのは、それに対してまったく別の話題を持ち出してコミュニティに改名をせまる行為だと感じます。』[8] という発言をされました。この「それ」は「「取次 (豊臣政権)」という記事および記事名それ自体に改名を必要とする何らかの問題点があるのかということに対して「別の話題」です。」[9]と補足されました。しかしこの改名提案以前にこのページでは議論が一度も行われていません。従って問題点の検討など私が改名提案を持ち出すまでは行われていないのです。その点をお聞きしましたところ、『「取次 (豊臣政権)」という記事および記事名それ自体に改名を必要とする何らかの問題点があるのかということ』に関しては、「問題点はない」という結論だったんじゃないんですか」」[10]と、すでにこのページで何らかの結論が出ているようかの回答をされました。一体この結論がいつ出たのか、現在も明確になっていません。
6. その他
また、「『この記事が存続する場合、定義を「単に豊臣政権の時代における取次」であるということを明確にすることに、賛成されるでしょうか。』という質問に対し、答えが「「豊臣政権期の取次」に改名することには反対です」」であるなど、質問の趣旨と全く異なった回答をなされることが複数回ありました。また、Chokorinさんの質問二日ほど間を開けましたところ、「どうして答えないのか」という書き込みがなされました。しかし、2011年6月16日から7月16日まで一ヶ月に渡ってレスポンスがない状態がありました。この間にChokorinさんは複数の執筆をされるなど回答可能な状態にありましたが、私が改名を実行するという書き込みを行うと、間もなく「反対」の意を示したコメントがありましたが、長期間回答が行われないことに対しての言及はありませんでした。自らと他者に対しての対応が異なりすぎる点も指摘させていただきます。

Chokorinさんの発言にはこの他にも整合性のない発言がしばしば見られます。本人からは「整合性はないかもしれませんが、そんなことよりも合意形成を優先しています」[11]という発言がありました。しかし整合性のない発言を繰り返す方との合意形成はたいへん困難です。議論を継続されるのであれば、誠実な対応をなされるようにお願いいたします。--模様砂漠2 2011年7月21日 (木) 11:04 (UTC)[返信]

参考

-模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 23:42 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

特にありません。--Chokorin 2011年7月21日 (木) 12:08 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメント 取次の一件、まだやってたんですか? Wikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103の方でも述べましたが、武家政権の取次の新規記事作ればと私は提言して、依頼者の方より割と前向きに取れる返答を頂いておりましたが、結局、改名に拘泥して泥沼じゃないですか。あれからもう半年もたってるんですよ? 依頼者は今回の改名から手を引いて、武家政権の方の取次を新規で作成し、そちらに注力することで問題を解消すべきです。今のままでは、いくらたっても被依頼者と依頼者の間では妥協は成立しえないしょうね。依頼者が納得できるのは取次の改名だけでしょうし。改名に反対している被依頼者が手を変え品を変え妥協案を模索したところで、依頼者は改名に賛成しなければ「いつまでも納得しない」わけですからねえ。正直に申し上げて、依頼者の姿勢がかたくなすぎます。依頼者はもっと柔軟な対応方法を考えるべきです。--かげろん 2011年7月21日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
    • コメントコメント依頼内容をお読みになったでしょうか。被依頼者は「取次 (武家政権)」に特筆性がないという主張もされております。この提言を採用すると二律背反となります。それに時間がたっているのはコメント依頼による意見待ちの1ヶ月、さらに最後の質問からChokorinさんの回答が途絶えてからの1ヶ月を含むためです。時間だけではなく、討議内容の実質を参照してください。--模様砂漠2 2011年7月21日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
      • コメント 逆に言えば、被依頼者が新規作成を認める方向で妥協すれば、それで解決できるわけですよね(そこは被依頼者にも妥協を求めます)。武家政権の新規立項を認める方向で依頼者・被依頼者双方とも妥協を模索しないと延々1年でも2年でも続きますよ。時間に関してですが、提示された2か月の期間を抜いても実質4か月は無駄に費やしたのは事実でしょうが。--かげろん 2011年7月21日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
        • コメント 「「取次 (武家政権)」に特筆性がない」と「取次 (武家政権)を立項しろ」と同時に主張する姿勢は全く問題ないと言うことでしょうか。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 13:46 (UTC)[返信]
          • コメント 被依頼者が「特筆性がない」という旨を撤回して「取次 (武家政権)を立項」に同意してくれればそれで済みだけですけどね。同時に主張とかどだい無理な話でしょう?--かげろん 2011年7月22日 (金) 14:11 (UTC)[返信]
          • コメント その無理をしているのが被依頼者なのですけれども。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
            • コメント 時系列で手を変え品を変えって感じじゃないでしょうか(それぐらいは善意にとってもよろしいかと思います)。直近の被依頼者のコメントを拝見する限り、被依頼者は取次 (歴史学)へ加筆するならいいよって感じに読めますね。しかし、依頼者は取次 (歴史学)の武家政権への部分への加筆で妥協というのは選択肢にはないようですね。これでは話にならんでしょう。私から、被依頼者へのコメントは繰り返しになりますが、『被依頼者が「特筆性がない」という旨を撤回して「取次 (武家政権)を立項」に同意してほしい』それだけです。それ以外は、依頼者のかたくなすぎる対応が招いた結果です。--かげろん 2011年7月22日 (金) 15:32 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiにてコメントしたのですが、模様砂漠2氏からの回答がある前に、一管理者による拙速かつ不当な対処により審理が終了してしまったので、再度ここに書きます。

「第三者に対する意見募集」をしたWikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103に於いて、かげろんさんの調停案を蹴ったのは依頼者の方ですよね。依頼者にも自己の主張への固執が見られるように思えます。そもそも、二者間の意見が対立して泥沼状態になっているのですから、ノート:取次 (豊臣政権)の論争についてコメント依頼#合意形成のためのコメント依頼をして「第三者に対する意見募集」をするべきであり、[[Wikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103|個人の行動に対するコメント依頼]]としたことが不適切であったと考えます。

そして、上記コメントの”[[Wikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103|個人の行動に対するコメント依頼]]”を”[[Wikipedia:コメント依頼/Chokorin|個人の行動に対するコメント依頼]]”に変えれば、本コメント依頼に対するコメントにそのまま使えますね。自分の考えに固執せず、改名提案は合意が得られなかったという事であきらめた方がいいのではないでしょうか?自分の思い通りにならない相手に対して個人攻撃的なコメント依頼やブロック依頼を繰り返す依頼者模様砂漠2氏の方に問題があると思えますし、コミュニティを疲弊させる利用者にも見えます。もしブロックするなら、こういう恫喝紛いの発言をする依頼者をした方がウィキペディアの平和のためになると思います。--uaa 2011年7月21日 (木) 14:53 (UTC)[返信]

まず私に恫喝行為があったならブロック依頼や管理者伝言板への報告、Yasumiさんのブロックが不当であると訴えたいのであればその際にブロック解除の申請をするか、管理者と会話をしてください。またWikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103はYasumiさんの対話拒否姿勢改善を目的としたものであり、論争の解決を求めたものではありません。ですから拒否があった末のブロック依頼も短期でしたし、ブロックが定期に変更されてからは解除を待っております。「本コメント依頼に対するコメントにそのまま使えますね」とおっしゃいますが、コメント依頼にある内容に一切言及しなければそうなるのも無理はないのではないでしょうか。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 13:46 (UTC)[返信]
「本コメント依頼に対するコメントにそのまま使えますね」と言うことは、「コメント依頼にある内容」以前に、あなたの議論に対する態度の方に問題があるという意味なんですよ。同様なケースが連続して起こるということは、模様砂漠2さんに問題があるからだと思わざるを得ません。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiに於ける「模様砂漠2さんが想定する回答が出るまで、回答したことにならないのですか?」というYasumiさんのコメントが正しかったのではないでしょうか?議論の相手に成立しない質問を繰り返し、相手がうんざりすると対話拒否でコメント依頼→ブロック依頼というパターンで自分の主張を押し通そうとしているようにしか見えませんね。そうすると、本件被依頼者の「念願かなって論敵を追放でき、さぞ御満悦のことと思います。おめでとうございます。」という発言も不適切とは思えません。--uaa 2011年7月22日 (金) 14:46 (UTC)[返信]
コメント依頼内容を読んでいただければわかりますが、Yasumiさんが回答しないというのはこちらが指摘する千葉論文に「全く言及していない」ことです。思うような回答もなにも、思ってもいない回答もないのです。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
2010年12月31日 (金) 10:52 (UTC)での言及では不足なんですか?「全く言及していない」という言い方は不当なイチャモンだと思いますが。そもそも、「~についての言及がなかった」ということを理由として即対話拒否と決め付けるあなたの対話姿勢に大きな問題があると思います。--uaa 2011年7月22日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

それと、Wikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103で出されたかげろんさんの調停案に対する模様砂漠2氏の態度こそ不誠実であり、ノート:取次 (豊臣政権)の紛争を徒に長引かせているのではないでしょうか?こう言うと、「ここはChokorinさん個人の行動についての意見を求める場所です」と言われるんでしょうが、”問題は依頼者の方にある”というコメントはあって当然でしょう。--uaa 2011年7月22日 (金) 15:02 (UTC)[返信]

2010年12月31日 (金) 10:52 (UTC)の言及は、誰でもアクセス可能な論文の内容に全く触れてません。千葉論文はYasumiさんが求めた「(別時代の取次を)一連のものとして繋ぐ出典」また「織田政権から江戸時代まで連続性があった」のひとつとしてあげたものです--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 15:36 (UTC)[返信]
  • コメント 上記のかげろんさんと同じで、「まだやってたの」というのが正直な感想ですね。依頼者は「特筆性がある」と信じるならば、被依頼者がどう思おうと、「取次(武家政権)」を、さっさと作るべきです。記事ノートの議論やこのコメント依頼に使うエネルギーを、どうして編集活動に向けないのか、不思議です。--219.161.206.181 2011年7月22日 (金) 15:09 (UTC)[返信]
    • コメント 特筆性がないと明言しているものを強行して作り、あとで特筆性がないと言われて削除依頼になる事態も想定されます。それはそれでエネルギーの無駄です。一応取次のページは作成してありますので(利用者:模様砂漠2/作業場)、エネルギーの問題は心配ありません。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 15:35 (UTC)[返信]

一番上の方で「コメントを募集します」と書いてありますが、いったいどんなコメントを導き出したいのですか。自身の意にそぐわないコメントが出るたびに反駁して、同調者が現れるまでそれを繰り返すのですか。はっきりいってつまらん長文でウィキペディアのリソースを浪費している様はあきれます。一応無駄に長い依頼文には目を通しましたし、取次のノートも拝見しました。こんな長文で主題が「自分は正しい、相手は悪い」ですか。コメント依頼を閉じることをおすすめします。--Sillago 2011年7月22日 (金) 16:06 (UTC)[返信]

  • 募集しているのは、私が指摘する被依頼者の行動が、正しいものか、誠実なものかというコメントです。コメントに対する対応は、私に対するコメントがあったので、それに対する釈明です。私の行動に対する言及がないなら、被依頼者の行動について「これは正しい行動だ」という意見であったとしてもコメントいたしません。これは「いったいどんなコメントを導き出したいのですか。」というといに対する回答で、「自身の意にそぐわないコメントが出るたびに反駁して」に対する釈明です。--模様砂漠2 2011年7月22日 (金) 16:27 (UTC)[返信]
  • コメント 「これまでの経緯」節で示された『1. ブロック依頼に対する誤解』ですが、これがコメント依頼の1番目の理由とはどういうことでしょうか? 他者を揶揄するような発言は問題だと考えますが、誤解していることだけではWikipediaにとってそれほど問題ではないのでは? 『2. 改名手続きに関する問題』は、被依頼者の何が具体的に問題とされているか私には読み取れません。他の編集者の行為についてのコメント依頼で取り上げるべき問題ではなく、議論活性化/合意形成のためのコメント依頼が適しているのではないですか? 『3. ページの主題に対する不言及』では見出しは「不言及」ですが内容は『「取次」研究が何を指しているのか根本的に理解されておられないような発言をされています』と書かれていますので『不言及』ではなく実際には理解不足を指摘されています。私には被依頼者の発言からは多様な概念の境界が一意には定まらないことを説明されているだけに思えます。模様砂漠2さんは他者の名誉にも関わる理解不足を指摘された訳ですから明確に何が理解不足を示すのか、明示される責任があるでしょうし、それが出来ないなら自ら謝罪されるべきでしょう。また、上でも論点となっている『4. 立項基準に関する認識』ですが、特定記事の問題に関して激しい応酬が交わされている場合には「○○という記事の立項は賛成できないが、どうしても作るんだったらやってみれば良い」という発言に至ることは良くあることですね。これは目下議論の主題となっている事項に加えて別の問題まで議論の幅を広げたくない場合にこのような発言になるのではないでしょうか? このような些細な文言の言葉尻を捕まえて『特筆性や立項基準に関して根本的な認識の誤解があります』とまで言い切る度胸は私にはありません。本件は結局「取次 (武家政権)」と「取次 (豊臣政権)」の包含関係の認識とそれぞれの記事の有用性及び、互いの頭の中で思い描く各記事のあるべき姿といった多様なズレから意見の対立が生まれているだけではないでしょうか。かげろん様が提案されているように、武家政権の取次に関する記事を作れば済むことでしょう。記事が存在しないまま脳内で理想の記事を仮想されている段階では、記事名の議論に他者が介入できる余地はかなり限られると思います。少数の関係者同志でノートで議論ばかりしているより、まずは記事を書いて示してはいかがでしょうか。幸い新規作成に反対する方はおられないのですから。--Shigeru23 2011年7月22日 (金) 22:54 (UTC)[返信]

コメント ノート:九州の役でも似たようなことが起こっていました。勘ぐってしまえば、改名を阻止したいがために、整合性の無い主張を繰り返していたのではないかと思いました。ノート:九州の役ではChokorinさんが妥協案を強く提起し、これで議論終結になるのであれば、と私は賛同しましたが、Yasumiさんがその妥協案に反対すると、Yasumiさんに対しては特に説得も無く妥協案の受け入れを止めてしまいました。Yasumiさんと模様砂漠さんの二者に対してChokorinさんが公平で無いように見えますが、それと同じようなことです。つまり改名阻止ありきの姿勢だと私からは見えます。自身の一連の発言について整合性が無いと自認されているわけですから、Chokorin氏がこれ以上同じことを繰り返される場合は、議論のやりようが無いと言えます。「武家政権の取次には特筆性がない」というのもChokorinさんの「改名阻止ありき」の主張であって、根拠は無いのではないでしょうか。執筆の実績がある利用者だけに残念ですね。--秋田城之介 2011年8月2日 (火) 02:30 (UTC)[返信]

  • コメント議論を拝見致しました。

1については、個人的に思うところはありますが、少なくともノートに書きこむべき言葉ではないと思います。

2について。。 認識がすれ違っているのではないでしょうか。yasumiさんおよびChokorinさんは「取次」が「豊臣政権固有のもの」として改名に反対しているのではないでしょう。 さて、私自身が改名提案に知悉しているわけではありませんが、Wikipedia:ページの改名を参照すると模糊砂漠2さんの改名提案は当該ページ冒頭「ページの改名は次の場合に行います」のどれにも該当しないようです。井戸端でのTiyoringoさんの発言のとおり、この提案は改名というよりはむしろ統合のように感じます。というのも、模糊砂漠さんはWikipedia:改名提案で「室町幕府から江戸幕府に至るまでの取次制を記述するため(2010年10月18日 (月) 16:55 (UTC))」という申請をなさっていますが、この理由はWikipedia:ページの分割と統合#ページの統合における「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」のほうに該当するのではないでしょうか。作業上の草案も拝見しましたが、記事の主題が取次(豊臣政権)のものとは全く異なっており、これを「改名」として通すのは難しいと思います。こうした視点に立つならばChokorinさんの主張は適切なものであると考えられます。

3について。 2同様、認識のすれ違いだと思います。 私としては現記事は豊臣政権期の取次を説明するには十分な定義が示されていると考えておりますので、定義論争に興味はないと答えるかもしれません。定義を拡張するというのなら、それは先ほど述べましたように改名提案の範疇を越えることです。

4について。 上述のとおり、手続き的には取次(武家政権)立項の上統合提案が本筋だという主張という点(その統合提案に賛成するかどうかは別問題です)、妥協できる線の提示という点(妥協ですから多くの場合主張とは異なります)、自身とコミュニティの判断は違うかもしれないという点、以上三点を2011年6月14日 (火) 21:06 (UTC)のChokorinさんの発言から読み取りました。特に問題はないと思います。

5について。 私の受け取り方が間違っているかもしれませんが、「取次 (豊臣政権)」という記事および記事名それ自体に改名を必要とする何らかの問題点」とは、「取次(豊臣政権)の記事名がwikipedia:ページの改名の冒頭における『ページ名がページの内容を表すのに適切でないとき』に該当するのか?」ということを仰りたいのだと思います。改名提案として適切な理由であるかどうか、ということでは?削除依頼に削除の方針からはずれたものを持って行っても審議してもらえない、ということですね。

6について。 誠に失礼ながら、これについては重箱の隅というか、叩いて埃のでない人はいないというか、お互い様というか……というコメントしか付けられません。

整合性について。 主張に整合性を持つべきというのはごもっともですが、この状態でお二人が自身の主張を押し通して果たして合意に至る可能性があるのかどうか疑問に感じます。合意への展望を持たない議論のための議論は歓迎されざるものではないでしょうか。

まとめ。 Chokorinさんの言動に問題があるとのコメント依頼でしたが、私としては『改名提案』というシステムに関しての認識に双方にズレがあっただけで、とくに問題はないと感じました。質疑によって疑問点を潰していくのもひとつの議論の手法であるとは思いますが、相手の発言の意図を汲むこともまた必要なのではないのでしょうか。--218.229.182.103 2011年8月18日 (木) 20:38 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

依頼者の私に対して大変厳しいコメントを頂きました。私としては結論を出すにしても十分な期間議論を行う野が当然と考えておりましたので、コメント募集期間を長くとらせていただきました。手続きとしては「取次 (武家政権)」を立項した上で統合するという形を取り、その後は「統合提案」のステージに移らさせていただきます。その際には議論を早期に終結させる方向で検討いたします。

また、私の行動に問題があるとお考えの方は「Wikipedia:コメント依頼/模様砂漠2」や「ブロック依頼」を行ってください。

(補足)5についての補足ですが、「「取次 (豊臣政権)」という記事および記事名それ自体に改名を必要とする何らかの問題点」についての意見が違っているのはある意味当然ですので、その点はあまり問題ではありません。当方はChokorinさんの『「問題点はない」という結論だった』という発言を最も問題視しています。この「結論」の当事者、結論が出た日時、根拠は現在も不明です。ご存知の方があればご一報ください。--模様砂漠2 2011年8月22日 (月) 19:04 (UTC)[返信]

コメント 1つだけ確認させてください。今後の流れの中で統合提案を出されるのでしょうが合意が得られそうにない場合はどうされるつもりでしょうか。武家政権版・豊臣政権版の両存をもって良しとされるのか、あくまで武家政権版への統合にこだわるという行動をとるつもりなのか、その点について依頼者の今後のスタンスを先に伺っておきたいのですが。--かげろん 2011年8月23日 (火) 04:04 (UTC)[返信]

コメント統合や改名は基本的に議論の末、合意を得て行うものです。その点は確認するまでもありません。しかし存在しない「結論」を反論の論拠に持ち出すようなことや、出典に基づかない反対画行われた場合には長期化を防ぐために、説得などの手間は取らず意味のない意見とします。長期間にわたって議論を行うのは不適切であるとこのコメント依頼で結果が出たようですので。ところで「依頼者のかたくなすぎる対応が招いた結果です」というコメントがありましたが、被依頼者は最初のノート書き込みで「念願かなって論敵を追放でき、さぞ御満悦のことと思います。おめでとうございます。」 と書き込まれています。この時点で被依頼者の対応はすでに穏当さを欠く物となっていましたが、私と被依頼者の接点は、Yasumiさんのブロック依頼での会話2回ぐらいしかありませんし、ノート:豊臣政権での「定義」にかかわる話し合いも「興味がない」「読んでいない」と明言されています。ですからYasumiさんと私の議論姿勢を判断できる状態ではないはずです。この時点で私が2回返答すれば、それはもう頑なな対応でしょうか。また、秋田城之介さんのコメントによると被依頼者は他のノートでも「似たような」行動をされているそうです。よろしければかげろんさんが被依頼者の言動はすべて「私の頑なな対応」が原因と断定された理由をお教えください。--模様砂漠2 2011年8月24日 (水) 11:31 (UTC)[返信]

コメント まず、「頑なな対応」と申し上げたのは、あなたがあくまで「取次 (武家政権)」への改名にこだわったことです(少なくとも被依頼者は豊臣政権の記事を残したうえで何とか妥協できないか模索していたのは確認できますから)。あなたは「取次 (豊臣政権)」を現行のまま子記事として残すなどの条件を付けて「取次 (武家政権)」の新規立項に舵を切るなどの妥協策をなぜ取ろうとしなかったんですか(それを選択しなかったがために現在に至ったのでしょう)。少なくとも、合意が得られそうにないということはあなたもノートでうすうす感づいていたはずでしょうし、それがわかっていたらYasumiさんや被依頼者とうまく妥協できる策を模索するのが通常の対応というものじゃないでしょうか。会話の回数の多寡じゃないです(現にYasumiさんとの意見対立時から武家政権への改名にずっとこだわっているのは事実でしょう)。次に、秋田さんの話を述べていますが、秋田さんは「~征伐」「~の役」系の記事のノートで被依頼者と意見が対立するのが何かと多い方です。そのことがありますから、そこはある程度は差っ引いて考えた方がよろしいのではないでしょうか。それと、「すべて」とか発言のニュアンスを変えてしまうような余計な語句を足さないでもらえませんか?--かげろん 2011年8月26日 (金) 21:29 (UTC)[返信]
コメントまず先行していた議論の概要ですが、私が同時に触れるべきと言っている江戸時代や室町時代の取次、田中誠二の説をYasumiさんは「別の研究である」と言っていたのです。その時点で改名に先立って「取次研究」の定義について話し合っていたのが経緯です(その中でYasumiさんが田中誠二氏の論を「豊臣政権の取次とは違う気がする」と言う理由で排斥し、田中誠二氏や江戸時代の取次を同じ取次研究として扱っている論文をこちらが提示したのに言及されなかったのがコメント依頼の発端です。)。統合するにしても改名するにしても、記事の主題であるこの研究の定義を明確にしないといけません。私が一番こだわっているのはここですので、Yasumiさんとの対話の大部分は改名云々より以前の「取次研究の定義・範囲」を明確にする為のものであることは読めば明らかです。この状況で「別の研究」を「別の研究」の子記事にするという妥協が成立するとは思えませんし、頭をよぎることすらありませんでした。
しかしかげろんさんのロジックに関わる部分で重要なのは、被依頼者はこれらの経緯に興味がないと言って読んでいませんから、Yasumiさんや私が妥協案を提示したかどうかもわからないはずなのです。それはYasumiさんがこの取次とは違うと言っている「御側御用取次や藩の取次」を含めた「取次 (歴史学)」を立項していることからも明らかです。だから、私が妥協案を提示しないからChokorinさんが、最初のノート書き込みの段階であのような行動を行ったという推論は成り立たないのではと考えているのです。
すべてという表現は、「『被依頼者が「特筆性がない」という旨を撤回して「取次 (武家政権)を立項」に同意してほしい』それだけです。それ以外は、依頼者のかたくなすぎる対応が招いた結果です。」のそれ以外を「すべて」と表現したものです。すべてという表現が不適切であるなら、謝罪の上正確な表現に改めたいと思いますが、「それ以外」という表現は、すべてでなければ、一体、被依頼者の行動の何%ぐらいだというのことなのでしょうか。
また、「秋田さんの話を述べていますが、秋田さんは「~征伐」「~の役」系の記事のノートで被依頼者と意見が対立するのが何かと多い方です。」のでさっ引いて考えろとということですが、それでは裏を返せば議論においてYasumiさんと共闘するような方の意見はさっ引いて考えるべきだという意見も成り立たってしまうのではないですか。ChokorinさんとYasumiさんは征伐系のノートで共闘していますし、Chokorinさんのノートに取次の件でYasumiさんが書き込む程度には関係があります。それをさしおいても、同じ意見の対立者である二人のうち、秋田城之介さんの意見はさっ引いて考えるべきで、Chokorinさんの行動は善意に受け取らなければならないのはなぜでしょうか。これは秋田城之介さんの名誉にも関わる問題だとも思いますが。--模様砂漠2 2011年8月27日 (土) 01:57 (UTC)[返信]
コメント いちいち%まで示せとか呆れました。そこまで言いますか、普通。次に、秋田さんの件ですが、特定の人との対立が常習的にある人は、どうしても対立相手に対してバイアスがかかったきつい意見を出しやすいんです。もちろん、それは逆に同調者にも言える話ですが。ですからバイアスがかかっているであろう意見はどちらに対してもですが、ある程度は差っ引いて考えても問題はないと思います(重要な部分は差っ引いてはダメですが)。ただし、あなたは議論を解決していくべき立場におられるわけですから、対立相手(議論相手)の話を真摯に聞いて、受け止める必要があると思いますが違いますか? 改めてのお願いですが、双方穏便にものごとを解決するよう心がけてください。あと、いまさらですが、武家政権版を「取次 (田中説)」として新規立項、現行の豊臣政権版を「取次 (山本説)」に改名すれば、定義がうんたらかんたらとややこしい話をやることないかもと思います。発想を転換するなどして双方が穏便に妥協・解決されるようお願いする次第です。--かげろん 2011年8月30日 (火) 06:47 (UTC)[返信]
  1. %が適切でないならどの程度のなのでしょうか。もしくは個別の件でもいいです。Chokorinさんの行動は、私の行動が原因であると喝破されたのならどの行動がどうとかはっきりわかっておられるはずです。存在しない結論を持ち出した件、ブロック依頼に関する言動等いろいろ上げましたが、「すべて」が不適切であるというなら、私自身の問題ではないChokorinさん自身の問題が存在するということですが、それはどの程度のものなのですか。
  2. ある研究対象について、研究自体の項目がないまま(現段階の「取次」を「取次 山本説」に改名するということは、両説を含有する取次項目が存在しなくなります。)個々の学者の説ごとに分項する例はありません(あるのでしたら明示ください)。さらに津野倫明氏や千葉一大氏といった研究者の説は、田中説とも山本説とも微妙に解釈が異なることもある別の説です。「山本説」「田中説」で立項するなら、研究者ごとに立項しなければならないという結果になってしまいます。さらに、「2010年10月25日 (月) 15:36 (UTC)」にYasumiさんに対して「この項は「山本氏の研究につながった取次」の項とするべきですか。後者を定義とする場合には「山本博文の取次論」と項目名を変更する必要があり、ページの定義を変更する必要があります。」という質問をしました。これに対してYasumiさんは「この項は上記1項の定義より始まった、一連の豊臣政権の権力構造を理解するための「取次」記事です。」と回答されましたので、Yasumiさんも個々の学者の学説ごとに項目を分ける意思は持っていないことは確認いたしております。
  3. どのような立場にある方の言動も、真摯に受け取るべきであるというのは当然です。ですから「以前の議論を読まない」「こちらが提示した論文を読まない」宣言をするという方の意見も受け止めて、対話を行ってきたのです。しかし真摯な対応というのは、相手が意見をすればすぐに全面的に受け入れ、相手の問題行動をすべて許すと言うことではないはずです。さらに「真摯な行動を取らねばならない」議論を解決していく立場にあるのは私だけではなくChokorinさんにも当てはまるはずです。「以前の議論を読まない」「こちらが提示した論文を読まない」と言ったり、架空の「結論」を持ち出したりするのが議論における「真摯な行動」だったでしょうか。もしChokorinさんの行動が「真摯な行動」でないならば、かげろんさんはChokorinさんに対する適切な対応はどのようなもが適切だったとおっしゃるのでしょうか。
  4. また秋田城之介さんのコメントをある程度さっ引けとおっしゃられましたが、ある程度さっ引いてもChokorinさんとYasumiさんが対立者である秋田城之介さんらとの間に取次の議論を大幅に上回る期間に議論を行っていることは確かです。つまりChokorinさんとYasumiさんが参加した議論は必ず短期間に解決されるわけではないということであり、さらにいずれも対話姿勢に対話者が不満を持っていることは確かなわけです。ですが、かげろんさんはChokorinさんの行動および合意が見られない原因は、私の言動に原因があると判断されました。私はかげろんさんに、Chokorinさんの行動はChokorinさんに主要な原因がないと判断された理由をお聞きしているのです。
  5. 秋田城之介さんはChokorinさんが九州の役のノートで「似たような行動」をしているというコメントをされ、具体例としてはChokorinさんが自ら出した妥協案にYasumiさんが反対した途端に、Chokorinさんは説得を行わず妥協案の主張をやめたということをあげられています。かげろんさんは秋田城之介さんのコメントをどの程度さっ引かなくてはならないかについては明確な言及はされていません。Chokorinさんが九州の役のノートでとったこの言動は、このコメント依頼で取り上げるChokorinさんの言動についてなんの関係もないほどさっ引くべきであるということでしょうか。もしくは事実ではないコメントを秋田城之介さんが行ったと言うことでしょうか。
  6. ノートでの議論を読んでおらず、妥協案が存在するか確認できないChokorinさんが、最初のノート書き込みの段階であのような行動をとったのは、私が妥協案を提示しない頑なな行動が原因であると、「かげろんさんが判断された根拠」を示してください。--模様砂漠2 2011年8月30日 (火) 10:28 (UTC)、(修正)--模様砂漠2 2011年8月30日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
コメントすみません。上でコメントさせてもらったものですが、横槍を入れさせてください。
模様砂漠2さん、ここはChokorinさんの言動に対してコメントを求めるための場、なんですよね?いつの間にやら話題が脱線して、しかも長くなりそうなので、一度こちらはまとめてクローズされたほうがよろしいのではないでしょうか。続きはご自身のノートページか、あるいはコメント依頼を別途立てるのが適切であると思います。--218.229.182.103 2011年8月30日 (火) 16:57 (UTC)[返信]
コメント218.229.182.103さんへ。私はこのページでなされたコメントの根拠についてお聞きしておりますので、その根拠が明示されればすぐ終了するつもりです。もし明示されなければ回答の意思がないと言うことで終了いたします。--模様砂漠2 2011年9月12日 (月) 09:53 (UTC)[返信]