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Wikipedia:コメント依頼/Izumin

利用者:Izumin会話 / 投稿記録 / 記録氏の、削除依頼をはじめとするWikipediaの管理関係における行動について、意見を求めます。

おれが気になった最初のケースはWikipedia:削除依頼/川の本。これは、その後の対話などから判断するに、「自分がよく知らないことについて、知らないがゆえの削除依頼」であり、また「削除依頼を加筆依頼として使う」といった要素も見受けられるもののようでした。これについては、利用者‐会話:Izumin#意味不明な削除依頼でそれなりに丁寧に説明をし、Izumin氏からも「皆さんの話しを聞き、確かに削除依頼は軽率であったなと思います。忠告してくださった方々、ありがとうございました。このようなことは、成長するための登竜門だと前向きに捉え、頑張っていきたいです」とのレスポンスをいただきましたので、問題は解決の方向に向うのかなと思ったのですが。

しかしながら、引き続き川の本河川環境管理財団の統合をめぐって、同様の問題が勃発してしまいました。これは、とあるユーザが川の本の内容を河川環境管理財団の項目に統合したことに端を発するもので、統合については「統合することに反対」「統合したらこういう問題が起きる」などの意見は全く出ていないにもかかわらず、「合意形成がない」ということのみをもって作業者に注意を行ったというものです(→委細)。

統合の是非や合意形成がどのレベルで必要であるかといった点については、今回議題とはしません。おれとしてはとりあえず、「もろもろ無理解がある中で、削除依頼などの管理関連や、他者への注意などは、もう行わないでほしい」と思っています。利用者:Izuminを見る限りまだかなりの若年者であるようで、社会経験も十分とは言えませんし、さまざまな知識についてもまだ学ぶ段階だろうと思うわけです。そういう方が、ややこしい管理関連で思い込みにもとづく勘違いをふりまわすことは迷惑にしかなりません。また他者に注意をするためには十分な理解が必要なのであり、理解が不足している間は注意をする能力が醸成されていないと考えるのです。

このままですと、おそらく「コミュニティを疲弊させるユーザ」となってしまうのではないかという懸念もあります。なにかいい対処方法はありませんでしょうか。--Nekosuki600 2007年8月25日 (土) 04:19 (UTC)[返信]

コメント

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  • Nekosuki600氏には、様々なユーザーの意見が聞ける場を作ってくださり、ありがたく思います。
さて、今回議論が白熱したのは、川の本についてでありますが、論点は「議論を経ずに行われた統合」についてであり、Wikipedia共通の問題であるとも考えます。私といたしましては、議論活性化のためのコメントで話し合われると思っていたので、私個人についてのコメント依頼が出されるとはいささか驚きましたが、この機会に皆さんの私に対する評価を頂戴するのもよいと思いました。
私は現在高校3年であり、成人に比べ社会経験が浅いのは事実であり、またこのWikipediaにおいても新規参入者で、いろいろ不備な点が見受けられると思います。ただ、今回の件では、思い込みでも勘違いでもなく、私は意見を述べました。もちろん今後のWikipedia発展を思ってのことです。このようなわけで皆様方の意見を私からもお聞きしたいです。--Izumin 2007年8月25日 (土) 04:55 (UTC)[返信]
  • 残念なことに、今回のようなIzuminさんのような、削除について、そもそも考え違いした取り組みをもって、このプロジェクトの貢献とするといった善意からくるプロジェクトの揺籃行為というのは以前からずっとあります。今回Izuminさんは、こういう指摘をもって、アラシ扱いされる前に早い時期に方向修正してもらいたいと思います。ただ先達の意見を聞けばそれでよいかというと、そうではなくて、Nekosukiさんが指摘したように、「削除議論」を「加筆依頼」と取り違えているような愚行は、過去に、管理者を中心とした組織的な運動さえありました。Wikipedia‐ノート:定期削除の方針。この定期削除議論をみると、これを強引に推し進めたグループの考え方は、今回のIzuminさんのものとまったく同じことが容易にわかります。つまり、こういうのはIzuminさん特有の問題でもなくて、常に確率的に一定の割合で同様の問題を抱えた利用者が存在、発生し、時には実際に、それが試験的運用される方針になってしまうことさえあります。今でこそ、結構コミュニティ全体が方向修正されてきたように感じますが、Izuminさんは、ある意味そういう進化のプロセスを個人で未熟な段階からリピートしているようにさえ見受けられる。ですので、これは彼個人の問題としてだけ捉えるのではなくて、今後も同様の過ちを繰り返す利用者はまた現れるという予測をもって対処するほうがよいと思います。Nekosukiさんは、常にこういう削除依頼について、まともな見識をもっておられるので、ざっと思うところを書き連ねればそのまま、間違った削除の思想を持つ人らへむけた、ガイドラインとかできるんじゃないですか?基本このプロジェクトは削除に関しては慎重なプロジェクトであるというのが大前提だと思います。--60.56.33.71 2007年8月25日 (土) 07:20 (UTC)[返信]
  • 普通の人はこんなもんだと思います。
  1. 注意される
  2. わかりましたと答え、方針文書を熟読
  3. また、ほかの行動をする際にも同様に他人に迷惑がかからないように方針文書を熟読したり、過去の例を見るようにしてから行動に移すようになる。

というものです。3のプロセスを繰り返せば、注意されることは減るでしょう。もちろん、3のプロセスを最初からやって、ほとんど注意を受けていないひとも見受けられるでしょう。

一方の被依頼者に関しては、3の行動を行っているようには思えません。それはおろか、2の行動を完結させているかも不明です。自分に自信を持ちすぎているゆえに、3の行動を怠っているのではないかと思います。また、その前に自信でウィキペディア活動を行うのが間違っているかもしれません。自信過剰のゆえに、「根本的に慎重さが足りない」状態にもなっているかと思います。

悪意はないようですが、一般的に悪意がなくても他人に迷惑をかけることはあるので、それを防ぐ行動は誰もが必要です。「wikipediaは誰でも参加可能である」といっても共同プロジェクトであるので、方針文書の存在は必然たるものです。長く参加するのなら、ほかの人に迷惑をかけないために、それらを読むのはむしろ義務に近いのかもしれません。この努力を被依頼者は自信があるゆえに怠っていて、またそれが慎重さが足りないことであることにも関連するでしょう。今の態度は、「活動していればそのうち大丈夫になるさ」という楽観的なもののように思えますが、そうではなく、努力の積み重ねが必要であるのだと考えます。

まず被依頼者は、「一般的な人がウィキペディアについて熟知している人になるには、どういうプロセスを経る必要があるか」を科学的に考えることをおすすめします。-- 2007年8月25日 (土) 10:38 (UTC)[返信]

  • (Izuminさんへのコメント)ウィキペディアで新規項目の立ち上げや加筆をしていると、あたかも自分がその分野について一番良く知っているのではないかと錯覚することがあります。そういう意識のまま自分がよく知らない分野に手をつけようとするとトラブルの元になるものです。とはいえ議論に巻き込まれて自らの誤解や無知をさらけ出すという体験も必ずしも悪いことではないと思いますよ。大切なのは自らの誤解を誤解として素直に受け入れられるかどうか、過去の自分を客観的に見られるかどうかではないかと。--Ray go 2007年8月26日 (日) 07:26 (UTC)[返信]
  • (Nekosuki600さんへのコメント)この手の問題に特効薬がないのはとっくの昔に悟っていたと思っていたので「なにかいい対処方法は?」という問いかけは意外ですね。ウィキペディアが「誰でも記事を編集したり新しく作ったりできます」という看板を掲げている限り同じようなことが繰り返されるのはやむなきことでしょう。結局地道に説明を繰り返していくしかないのでは。--Ray go 2007年8月26日 (日) 07:26 (UTC)[返信]
    • (おへんじ)対処方法の中に「説明者を変えてみる」というのがあります。今回、おれがこれ以上説明しても堂々巡りになるだけだろうと思いましたので、他のひとの説明も聞いてみてもらうのもいいのではないか、という意図がありました。うまくいくといいのですが。--Nekosuki600 2007年8月26日 (日) 07:47 (UTC)[返信]
  • いやあ・・・。そうこうしているうちに、また不用意に注意をして誤爆(本来注意されるべき利用者ではない者に注意をするというやつ)をやってくださいました(この差分で事情はわかろうかと)。とにかくしばらく依頼や注意というのはやめてくれ、と改めて言ったのですけど、全然問題の深刻さが伝わっていないようで・・・。もうちょっと引き続き、もうダメモトでかまいませんから、違う言いかたで説明をしてくださる方が出てきてくださるとありがたいです。よろしくお願いします。--Nekosuki600 2007年8月31日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
  • 上記の事実に対しては、本当に申し訳ありませんでした。しかし、にわかウィキペディアンながら、明らかな悪戯とかを見て見ぬふりっていうことは出来ませんでした。特に今回の内容は本当に明らかでありまして…それが悪戯だということくらいは誰にでもわかるようなものでありました。これからはそのような、私が今現在理解している分野に積極的に参加していく予定です。自分でも今回のようにやらかしてしまうことはありますが、そのときはしっかりと謝罪し、自分の出来る限りの修正を行う、これがけじめの付け方だと考えていますのでご理解ください。
    まだよく理解できない分野(削除依頼など)にこれから私が直接突っ込んでいくということは、しばらくしないつもりです。だから何か気になる点を見つけたら、その旨を他の先達のユーザーの方にお知らせする、という方式をとりたいです。このようになるべくミスを減らしていくようにしていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。--Izumin 2007年9月1日 (土) 00:24 (UTC)[返信]
    • 投稿内容が悪戯であるのが明らかだったとして、その投稿者を間違えて注意するというのは、あまりに不注意であり、そんな注意ならばしていただかないほうがはるかにマシなんです。また、Wikipediaは多数の方が共同でやっている作業であり、「自分がやらなければ」なんていう気負いを持たれるのは迷惑なんです(Izuminさんに限らず、そういう妙な使命感を持ってがんばるひとは、ほぼ例外なく、他者に迷惑をかけるだけで終わっている)。前向きにがんばればほめてもらえるなんていうのは幻想で、実力が伴わないままに前向きにがんばったら、がんばればがんばるほど邪険にされるのが世の中というものです。学校の中と外は、そこが違うんだ(いや、学校の中でも、「がんばって空回りをして邪険にされてしまうひと」というのはいると思うのですけれどもね)。
      でだ。「謝罪をする」というのは、言葉で詫びることを意味しません。もちろん言葉でも詫びておくべきでしょうが、「姿勢が変わったことを見せることを通じて、謝罪が真摯なものであったことを理解してもらう」という後処理まで含めて、その全部ではじめて「謝罪」というのです。おれは、あなたには「他人への注意はやめてくれ」と言いました。謝罪し、反省を表明したのならば、少なくとも数年くらいのスパンで他人への注意などしないでいただきたいのです。
      たとえ対象者がどんなに明らかな悪戯をやらかしたとしても、注意をするのはあなたの仕事ではありません。誰か、注意をするに足りる実力を持ったほかのひとが注意をすればいい。誰も注意をしなかったとしても、あなたは注意をするに足りる実力を身につけていないと指摘されているのだから、見て見ぬふりをして見過ごして忘れるべきです。それができないのなら、謝罪は「口先だけのもの」でしかなく、聞く価値のない謝罪だということになってしまいます。依頼関係も同じ。--Nekosuki600 2007年9月1日 (土) 13:47 (UTC)[返信]
    • おまけ。佐野元春というシンガー・ソングライターがおりましてね。彼の作品の中に、一部ではカルト的人気を博しているらしい「ガラスのジェネレーション」というのがあるのですわ。その歌詞に「つまらないオトナにはなりたくない」というのがあるんですね。
      おれは、生まれてこのかたずっと「つまらない老成はしたくない」と思っていたし(って、赤ん坊のときからそう思っていたのかよ>おれ)、今もそう思っているのですが、しかし小学生とか中学生とかの時に抱いていたその感覚にも違和感を感じているのです。「つまらないオトナにはなりたくないが、つまらないガキでいたくはなかった」という感じでしょうか。「つまらないオトナにならない努力」は今でもできるけれども、「つまらないガキでいたくはなかった」ということについてはいまさら努力なんかできない。後悔するくらいしか、できないんだ。
      んで、だ。「がんばればいいんだ」という感覚は、まあ、あるんだと思うんですよ。しかしそれは、「つまらないオトナにならないための努力」のひとつではあり得るかもしれないのだが、しかし「今現在、つまらないガキでいないための努力」には、ならないんだよ。おれは、そこんところを理解してほしいと思う。うちらオトナは、つまらないガキへの対処に、時間とかを使ってるひまは、あんましないのですよ、申しわけないんだけど。--Nekosuki600 2007年9月1日 (土) 17:44 (UTC)[返信]
  • Izuminさんへ一言。はじめまして、Dinosaurと申します。僕から見るとIzuminさんの活動は結構目立つ部分もあり、かなりWikipediaに対して意気込んでいる人だなというのが第一印象です。言動などは、結構一方的で強硬だなと感じました。がんばっているということは伝わってくるのですが、どうもそれが空回りして今回のコメント依頼という事になっているものと思います。
    Wikipediaのような文字でのコミュニケーションを主とするコミュニティでは、実社会よりも他人とのコミュニケーションの取り方がはるかに難しく、あなたの一言で誤解や反感をすぐに与えてしまうという事はあなたも既にお分かりでしょう。自分のミスに対する謝罪にしても、いくら言葉を尽くして謝った所であなたの態度(姿勢)が変わったという事は全く分かりません。Nekosuki600さんがおっしゃっている様にあなたの姿勢が変わったことを見せる事が非常に重要だと思います。
    ミスをまたするかもしれないというような考えの間は、管理者的な注意・警告などの業務からは手を引いておく方がいいでしょう。ミスをしたら謝ればいいというものではありません。その辺の考え方がまだまだ甘いと思います。実社会では大人のミスは許されるものではありません。仕事上でのミスとなれば、会社は謝罪などのために大変な労力と経費が必要になってきます。
    あなたは自分の正しさを盲信(特にネット上ではその傾向が強いような気がします)していませんか?。相手が間違っていると決めつけていませんか?今のまま同じ事を繰り返すような事があれば、Nekosuki600さんをはじめとしてあなたをウォッチするために労力を使わなければならなくなる人が出てくるのは必至です。挙げ句の果てにブロック依頼という事にもなりかねません。
    あまり意気込みすぎず、使命感など捨てて、管理関係よりも加筆・修正などに専念されたら如何でしょうか?もっと視野を広げるという意味で、実社会でも研鑚される事を望みます。高校生という事なので、Wikipediaは勉強の合間の気分転換くらいにして、本末転倒にならぬよう。
    Wikipediaではまだまだ僕も新米ですが、人生では先輩ですので一言申し上げました。--Dinosaur 2007年9月4日 (火) 05:13 (UTC)[返信]
  • 細かいことを言うようでナンなんですが、Izuminさん、ビギナーユーザへの歓迎コメントも、いったん止めてはいただけませんか。歓迎コメントの投稿者に対してわからない点の質問などをするといったケースも散見されますが、上記のような理由から、ビギナーへのガイドなどをおまかせするには強い不安があります。--Nekosuki600 2007年9月5日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
  • 即時削除の貼り付け(これとか)も即刻やめにしていただいたい。というか、何を言われているかわかっていないということなのだろうか。--Nekosuki600 2007年9月5日 (水) 16:42 (UTC)[返信]
先達の皆さん(特にDinosaur氏の意見には心を動かされました。)からの指摘を考慮して、ここ最近は記事の加筆や修正などを中心に活動していました。その中で即時削除などにおいて、誰が見ても判断を下せるものについては、たまに気付いた時に行い(これに関しては方針を何度も読み返しましたし)、削除依頼など依頼関係などは暫く参加しないようにしました(数年のスパンでということではありませんが)。
最近は新学期も始まったことですし、あまり気負いすぎずにやっています。新規参加者に対するメッセージについてですが、私ではまだ心配が残るというのはごもっともな意見ですが、ただ私は新規参加者に対して歓迎する姿勢は大事にしたいなと思っています。「質問に答えられない場合もありますが、ビギナー同士どうぞよろしく」みたいな意味もこめています。そして、その回数は1日1回にもならないようにして、自分が背負い込める許容量を定めてやっていますので、負担にはなっていません。
毎回いろいろなご指摘を下さり、本当に参考になります。ありがとうございます。--Izumin 2007年9月6日 (木) 09:37 (UTC)[返信]


ああ。遅きに失してしまった感がありますが、Izumin さんへ。

私の故郷には「ごめんで済んだら警察いらんわ」という子供の喧嘩に使う抗弁があります。子供の頃はただの屁理屈だと思っていましたが、社会人になってこの抗弁の真の意味がわかりました。自分の非を認め「ごめんなさい」と言うことは重要ですが、それは謝罪のスタートラインに立っただけで本当に謝罪したことにはならないんです。

自分の行いを振り返り、何の判断ミスで謝らなければならない状況を作り出したのか、判断ミスを防止するためには今後どうすればよいのか、これらを説明しなければ謝罪したことにはなりません。もし、Izumin さんにその気があるのならば、これらの説明を行うお手伝いをさせていただきます。ブロックになる前にそれくらい学んでいってくださいよ。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年9月6日 (木) 12:37 (UTC)[返信]

だからそれが問題なんですよ。あなたはがんばりたい、参加したい、(何か指摘されたら)気をつけますと態度だけはいいんですが、実際の行動がまったく伴っていません。Wikipediaはがんばりたいという気持ちだけでは駄目なんですよ。しっかりとルールやマナーを理解して、その上で十分に注意して編集すべきなんです。申し訳ありませんが、自分にはあなたの行動は謝罪等の言動と大きな乖離があるように思えます。--五斗米道評定|戦歴 2007年9月6日 (木) 12:52 (UTC)[返信]

確かにそう思えるところがあるとも思います。ルールやマナーについて全て十分に理解できているとはいいがたいですから。そこで今は、それについて今までの経緯を踏まえて説明を行うしかないというわけであります。そしてそのとき説明の手伝いをしてくださるという方が現れたので、もし投稿ブロックされたとしても、その後のために、ここで先ほどのような意思を表明しました…。--Izumin 2007年9月6日 (木) 12:57 (UTC)[返信]
(編集競合したので投稿文のままここにぶら下げます)Izumin さんへ。残念ですが、今後数年は参加できない可能性が高いですし、参加しないほうがよいと思います。折角 Nekosuki600 さんが制止してくださっているのに、あなたはそこまでのことを行ってしまったのです。ここで分析をしたところでブロックの方向性は変わらないでしょう。「ブロックされたくないから」が理由ならば付き合う気はありません。純粋に自分を見つめなおしたい、今回の騒動を今後に繋げたいのであればお手伝いさせていただきます。(といっても excl-zoo ごときの分析では Nekosuki600 さんにお叱りを受けるだけかもしれませんけどね。)--excl-zoo (会話/履歴) 2007年9月6日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
ブロックされたくない、まだ編集活動をしたいという気持ちはあります。しかし自分がこのように今までやってきたWikipediaのコミュニティに迷惑をかけてしまったことを悔やみ、もし次参加することになるならばどこを変えればいいかを学びたい思いもあります。はっきりいうと半々くらいです。これが率直な気持ちです。--Izumin 2007年9月6日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
自分はウィキペディアではあまり歓迎されない利用者でして、大きな声で「編集活動している」とは言えなかったりします。久しぶりに書いたこの記事が自分にとって 2 回目の新着記事(しかも 1 年ぶり)ですし。それ以外の活動といえば、たまに図を作ったりするくらいでしょうか? コメント依頼を出されていないだけで、自分もまわりから迷惑がられている可能性が高いです。
ところで、Izumin さんの「編集活動」とは具体的に何を指しているのでしょうか? --excl-zoo (会話/履歴) 2007年9月6日 (木) 13:29 (UTC) [返信]
私は主に自分の得意な分野のカテゴリなどを巡回して、何か加筆できるような記事があれば加筆するというのを基本スタンスとしています。そして、一端自分のネタが切れてきたなと思ったところで、最近更新したページを見て、新しい記事や急に削減された記事などを見て、編集していました。それが私の主な「編集活動」です。問題があるとしたら、やはり後者の編集の方であるというのは自分でも気にかかっているところでありました。--Izumin 2007年9月6日 (木) 13:55 (UTC)[返信]
あれ? おかしいですね。それだけならばコメント依頼も削除依頼も提出されないと思うのですが ... 。やっぱり、自分のやってることがわかってないんじゃないでしょうか。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年9月6日 (木) 14:17 (UTC)[返信]

最後にもう一回だけ書いておきましょうか。

まず今回の一連についてのおれの印象。無免許があきらかな子供が自動車の運転をやっていたのを見かけたみたいなものです。「無免許なのだから車に乗るな」「気をつけて乗るから大丈夫」「乗るな」「大丈夫」「乗るな」「大丈夫」みたいなやりとりが延々と続いた、という感じです。ネットですから「それは、やめろ」と言うことしかできませんが、面前だったら殴り倒されてもあんたにゃ文句は言えない。そのくらい、しょーもない状況だったと思います。

さて。

ものごとを理解するには、まず、材料が必要です。何かひとつのことを理解するためにどうすればいいのかというと、そのことだけをお勉強すればいいわけじゃありません。それ以外の周辺のことなども広範に知っておかなければ、たったひとつのことの理解もできない。世の中のものごとって複雑にからまりあっていますから、そういうものです。で、生徒・学生の間は、その材料としての知識を仕入れる段階にすぎない。ある程度以上の材料を仕入れ、それを蓄積し、発酵させ熟成させなければ、理解なんかできないんですよ。百科事典の編集みたいな趣味は、ある程度以上の知識を身につけ、更にそれを発酵・熟成させて理解した上で、はじめてやれるもの。現状、そういうレベルにまで達していないのが明らかなので、だから注意深く、遠慮がちに行動しろ、と幾度も幾度も幾度も幾度も言ってきたわけです。

一例をあげます。「川の本」の件。あれがどういう性格のものであるか、おれには、一目瞭然でした。財団法人が版元なのですから、あれは「国の政策として発行されているPR雑誌」なんです。それを見抜くには「財団法人とは何か」「政府の広報とはどういうものか」などの知識がなければわかりません。あなたにはそういう知識がなかったので、「川の本」がどういうものなのかわからず、どっかの私的団体が出している小冊子くらいの認識しか持てず、削除依頼に出したのでしょう。しかし、そういうことでは困るし、迷惑なのです。

でだ。

個人的には、こんなもんは知識量とかそういう話ではなく、姿勢の問題だと思ってます。姿勢を見直さない限り直らないでしょう。しかも、他人に言われて直してもおそらく無駄で、自分で気づいてなおさない限りどうにもならない。

ま、今回のことは、なんぼ自信があろうとも現状のあなた自身はその程度なのだということを学んだのだと思えばいいんじゃないでしょうか。これから、いろいろと知識を身につけ、蓄積し、それらを発酵・熟成させていけば、何年か後には「何が足らなかったのか」を自力でわかることができるのじゃないかと思います。個人的には「5年」というのはちょっと短い。そういうのがある程度わかるようになる年齢は、平均的に見て20代後半くらいなんじゃないかなあと思います(もちろん個人差はあり、10代でもうわかっちゃってるやつもいれば、老人になってもまだわかっていないやつもいるがね)。5年後くらいに、「昔、Wikipediaで説教されたことがあったっけな」みたいなことを思い出してもらえるとありがたい。

じゃ、チャンスがあれば、5年か10年かたってから、また会いましょう。--Nekosuki600 2007年9月6日 (木) 13:50 (UTC)[返信]


時期を逸しているうえ、非常に長いコメントになってしまうことをお許し下さい。

Izuminさんはご自身に向けられている視線を気にされたことはおありでしょうか。これまでにNekosuki600さんをはじめ多くの方からIzuminさんに対して色々なことが指摘され、忠告がなされてきたと思います。それらに対してどのようにお感じになったでしょうか。

私とIzuminさんとの最初の接点はWikipedia:削除依頼/グリーンランドの旗でした。私はそこでIzuminさんの編集が外部サイトからの転載であるとして、著作権を侵害している虞があると指摘しました。それに対するIzuminさんの答えは、「これは文献を参考にしたもので、外部サイトもその文献を参考にした可能性があります。」2007年7月17日 (火) 11:19 (UTC)でのご発言)というものでした。このやり取りで私のIzuminさんに対する評価は「物事の本質を理解することができないのかもしれない」というものになりました。あの審議において外部サイトが同じ文献を参照にしたかしないかなどというのはまったく無関係なのです。文献を参照にしたのか外部サイトの転載を行ったかということはともかく、Izuminさんの編集が著作権を侵害しているかどうかが本質となっていたのです。それに対する反論としてあのご発言だけではまったくの的外れです。また私がこの削除依頼を提出する前に対象記事はリバートがなされていましたが、これは別のユーザによるものでした。その方はWikipedia:削除依頼/シャイローの戦い(対象2件はIzuminさんの編集が問題となっていた)をご覧になって、Izuminさんによる編集が何かしらからの転載であることを疑っておられたようでした。直接ご本人から伺ったわけではないのですが、おそらくはこの方のIzuminさんに対する(少なくとも)当時の評価は「転載を繰り返すかもしれない」というものだったのでしょう。

このやり取りがあってからIzuminさんの行動について、たまにではありますが気になってモニターしていました。そして例のWikipedia:削除依頼/川の本を作成されたまま放置していたことに気づいて代理提出を行いました。私はそこに書かれていた依頼理由に違和感を感じていましたが、あの違和感を表現する言葉が思い浮かばず、他のユーザの方が適切に議論してくださるだろうと思い、審議には参加しませんでした。ですがこのとき思ったことは、削除依頼を提出しなかったことから、「IzuminさんはWikipedia:削除依頼を理解しておられないのだろうな」イコール「ご自身のなそうとすることに対する周辺の状況を理解していない」というものでした。実際、その直後に作成されたWikipedia:削除依頼/童謡のふる里おおとね温泉100(とね)の湯も別のユーザによって提出されています。確かにウィキペディアの各種方針やガイドラインは膨大で、中には解釈しにくいものもあり、すべてを理解することには時間や労力がかかります。理解が不足しているユーザに対しては、十分な理解をもつユーザがアドバイスをしてくれることもあります。ですがだからといってこれらに反する振る舞いがいつまでも見逃されるものではなく、このような行動を繰り返しされているのを見かければ、一定の時点を経過すると、「いい加減に方針・ガイドラインを確認してから行動しろよ」と思われるようになるはずです。

話を戻しますが、川の本の削除依頼の件以降、多くのユーザがIzuminさんに対して忠告や注意をされてきたと思います。なぜそれだけ多くの声がIzuminさんに寄せられたのか、これはあくまで私の考え方ですが、Izuminさんのウィキペディアでの各方面での行動が信頼できないと感じておられるからだと思います。Izuminさんの振る舞いについて注意を受けたりして一応は反省してみるものの、似たようなことを繰り返している様子を見ていると、Izuminさんの本質的な部分に信頼ができなくなるものです。そしてウィキペディアのようなプロジェクトでは、媚を売る必要はないとしても、他の参加者の信頼を損なうような振る舞いは自身に対しても、プロジェクトに対しても不利益にしかなりません。Izuminさんの様子を見ていて、うろ覚えではありますが、昔の「反省だけなら…」というキャッチコピーを流していたテレビコマーシャルを思い出しました。それでそのコピーをgoogleで検索してみるとこのようなコラムに出会いました。Izuminさんにはぜひ読んでもらいたい、とくに最後の2文についてはよく考えてもらいたいと思います。そしてどこかで再び共同作業に参加する機会においてめぐり遇ったときには、周りからの視線に気づいて、それに対して適切な態度を持ち、信頼に足る行動ができるような参加者になっていてください。--Ariesmarine 2007年9月7日 (金) 06:28 (UTC)少し訂正しました。--Ariesmarine[返信]