Wikipedia:井戸端/subj/「当然であるが」、「であるのは間違いがない」という表現について
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「当然であるが」、「であるのは間違いがない」という表現について
[編集]「当然であるが」、「であるのは間違いがない」という表現は必要でしょうか? ビリヤードのページの「大声で騒いだりしないことも当然であるが、他のプレイヤーの正面あたりに入り込まないように心がける、やむを得ず入ってしまった場合はむやみに動いたりしないことが推奨される。」や、シャチボンのページの「表面に金属光沢がない(当然であるが)。」の「当然であるが」は必要でしょうか? 当然ならわざわざ書く必要がないと思うのですが。
あと、多田等観のページに「きわめて重要な存在であることは間違いがない。」や、ヤルダバオートのページに「ヤハウェ、ヤーなどと関係付けられた名であるのは間違いがない。」と「間違いがない」が使われています。未来でそれが間違いだったということはあると思うので、別に「間違いがない」と書く必要はないと思うのですがどうでしょうか? それから「重要な存在であることは間違いがない。」というのは執筆者の論評で不要なのではないでしょうか? Ten3san(会話) 2012年6月30日 (土) 14:53 (UTC)
- 「当然」の方は、ちょっと筆が滑ってしまうことは誰にでもあります。基本的には、そう言う表現のあれやこれやは自由に直して頂いて構いません。ですが、異論が発生するなり差し戻しが発生するなりしたら、すぐに対話に入って下さい(編集合戦は絶対にだめです)。また、文献を参照して書く以上そう表現するしか無い、と言うケースも希にあるでしょうから、できましたら典拠となっている文献を確認なさられてから行なうのが、安全でしょう。けど私も、別に「○○であることはもちろん、××でもある」、くらいは書いている気もします。編集者の個性もあるでしょうし。不正確であったり、読者にミスリードを与えない範囲であれば、それほど気にしなくていいんじゃないでしょうか。「間違いがない」は、場合によっては出典の提示が求められることや、独自研究が疑われる場合がありそうです。出典を明記して、「○○によれば、××であることは間違いがないであろうという」などとした方が良いケースが多そうですね(ウィキペディア編集者は論評を行なってはなりません)。ただし、複数の権威ある文献でそう断言されているなりその界隈では常識であると文献で担保できることは、出典を示しつつ「××である」と断言してよいです。この辺り、脚注での具体的文献貼付が無く本当に間違いがないのか不明瞭であれば要出典/独自研究テンプレートで、情報を求めつつ、読者に注意喚起してください。有害なものであると判断できる情報であれば、ただちに除去してください。特に存命人物の伝記の場合は。--Hman(会話) 2012年6月30日 (土) 16:47 (UTC)
- 不要だと思います。むしろ避けるべき表現です。「当然である」「間違いがない」とは、書いた人がそう思っている、という言葉でしょう。判断の結果だからです。Wikipedia:言葉を濁さない ようにすべきです。そして Wikipedia:独自研究を載せない#何が除外されるか では「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する」とあり、執筆者の意見を直接書き込むことは禁じられています。また Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな はより厳しく、表現のみならず記述そのものを置くかどうかにも制限が課されます。--Calvero(会話) 2012年7月1日 (日) 02:02 (UTC)
- コメントここで書くのは不適当かもしれませんが英語のWikipediaで色々質問がきますが、意見をかくなということで、無視していいものか悩んでいます。--Ichiro Kikuchi(会話) 2012年7月2日 (月) 13:36 (UTC)
- コメントそういう言葉遣いに問題がある、というよりも、そういう言葉遣いをしている場合はたいていの場合独自研究である、という問題だと思います。シャチボンでいうと、「名古屋城の金鯱との主な相違点」はシャチボンと金鯱という一次資料をウィキペディア編集者が見比べて、気付いた違いを無差別に箇条書きにするという、典型的な独自研究になっています。シャチボンは書き換えました[1]。--Bugandhoney(会話) 2012年7月3日 (火) 14:26 (UTC)