Wikipedia:井戸端/subj/「論争」のある場合の記述について
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「論争」のある場合の記述について
[編集]記事に関わる話題について論争がある場合の記述について議論が纏まりません。問題はNHKドラマで使用されている「王家」用語の是非を巡る話題で、ノート:平清盛 (NHK大河ドラマ) #コメント依頼(チャンネル桜の番組は出典として使えるか?) で議論されているのですが、このチャンネル桜が問題となっています。問題の出典は京都産業大学の所功見解と情報源明示の上で紹介されているものであり、黒田俊雄#歴史用語としての「王家」にある学会の一方の見解と良い一致を示したものです。この所見解は出典として使えるのでしょうか。 一方の論者(便宜上以下NHK擁護派)は論争自体存在しない、チャンネル桜媒体の出典は信頼できないため一切使用できない、もしくは、注釈のみで引用可という主張です。一方で、Wikipedia:中立的な観点では、『全ての観点からの意見を公正に考慮』すべしと明記されています。 ポイントは次のとおりとなるかと思います。
- チャンネル桜は必ずしも信頼できる情報源とのコンセンサスはWikipediaにはない。
- しかし、問題の出典は研究者の実名を挙げて公開されたものである。
- NHK擁護論には製作陣に加わった本郷和人が専門家として見解を述べており、NHK擁護派はこれを引用すべしとしている。(この「本郷見解」引用については議論両陣営を通して反対の表明はみられない。)
- NHK否定論は別出典でもある(産経:ネット上の声として紹介)が専門家見解としてはチャンネル桜の所功しかない。
- 学会では両論が存在しており、定見はない。
- 方針、中立的な観点では特定の観点を排除しないとされている。
[参考]チャンネル桜出典[1](1分50秒~3分51秒部分)
以上、ご意見のほどお願いします。--Truesight(会話) 2012年3月4日 (日) 16:53 (UTC)
- コメント というか、このテレビ番組を観て誰も「そういう意見があるのか、じゃあ所功氏の著書を読んでみようか」とアクションを起こさないというところが根本的な問題なんじゃないでしょうか…。ノート議論は文献調査の代わりにはならないと感じますが。。--Tondenh(会話) 2012年3月4日 (日) 17:43 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。本件についてTondenhさんのようにお考えの方も当然いらっしゃると思います。一方で、該議論にて記述に賛同している幾人かはまた違った考えを持っています。わたしなぞも当初は「王家」に違和感を感じていたものの、そういうものかと軽く考えましたが、本件の出典や黒田俊雄#歴史用語としての「王家」を読むにつけ、成程、専門家間でも定見のない問題なんだな、興味深いと考えるに至りました。個々人の感想は人それぞれです。ですので個人的な感想ではこの議論は進捗しません。個人の感想を離れ、Wikipediaでのルール上は記載すべきかどうかという観点で考える必要があるのかなと個人的には思っています。TondenhさんとはWikipedia:中立的な観点でもお話させて頂いていますが、草案中にある。『Wikipediaの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。(Wikipedia aims to describe disputes, but not engage in them.)』がまさに今回のケースに該当するのではないかと愚考します。--Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 13:43 (UTC)
- 所功氏の論を取り上げるのであれば、まずは氏の書籍か論文を調べるのが自然なのではないでしょうか。たとえば健康記事について書こうとした際など、健康バラエティ番組などでは医師を呼んでなにやら喋らせてますが、その医学理論を記事にするのであれば、その医師の論文を調べるのが筋では無いでしょうかねぇ。。深夜番組とか見ると、白衣を着たどこかの大学の人間がなにやら喋っている光景はよく目にする訳でして…。「チャンネル桜がどの程度の査読機能を持つか?」みたいな独自研究をしても意味が無いような感じがします。it should be easy to name prominent adherents と言うのが筋かなぁと。--Tondenh(会話) 2012年3月5日 (月) 14:10 (UTC)
- 氏の書籍で「平清盛_(NHK大河ドラマ)」に言及したものはないでしょう。「王家」批判はあるかもしれませんが、それを引用することはできませんWP:SYN。--Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 14:28 (UTC)
- おお…じゃあこれって本当に歴史学というより文学作品に限った話なんですね…。ではThis is out of place in an encyclopedia.かなぁ…。--Tondenh(会話) 2012年3月5日 (月) 15:27 (UTC)
- いえ、歴史学上、学会で論争があるのは確かです。ただ直接その論争を持ってきて記載するというのはWikipediaではできません。それは情報の合成(WP:SYN)に抵触するからです。原則、主題に関してなされた直接なされた批判(肯定的、否定的問わず)以外は出典として使えません。--Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 16:12 (UTC)
- うーん、そうすると娯楽作品なのに学術的論争に基づいて議論しちゃっていいのか、という話になりませんか?放送中の娯楽作品について学術界が真面目に議論するような事ってほとんど少ないような。「そもそもあの時代、あんな口語体の喋り方はしてないし」と言われたらお仕舞いではないですかね。。--Tondenh(会話) 2012年3月6日 (火) 07:51 (UTC)
- いえ、娯楽作品といって学術的な批判が許されない訳ではありません。現にそういった批判がでているという状況です。--Truesight(会話) 2012年3月6日 (火) 15:26 (UTC)
- おお…じゃあこれって本当に歴史学というより文学作品に限った話なんですね…。ではThis is out of place in an encyclopedia.かなぁ…。--Tondenh(会話) 2012年3月5日 (月) 15:27 (UTC)
- 氏の書籍で「平清盛_(NHK大河ドラマ)」に言及したものはないでしょう。「王家」批判はあるかもしれませんが、それを引用することはできませんWP:SYN。--Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 14:28 (UTC)
- 所功氏の論を取り上げるのであれば、まずは氏の書籍か論文を調べるのが自然なのではないでしょうか。たとえば健康記事について書こうとした際など、健康バラエティ番組などでは医師を呼んでなにやら喋らせてますが、その医学理論を記事にするのであれば、その医師の論文を調べるのが筋では無いでしょうかねぇ。。深夜番組とか見ると、白衣を着たどこかの大学の人間がなにやら喋っている光景はよく目にする訳でして…。「チャンネル桜がどの程度の査読機能を持つか?」みたいな独自研究をしても意味が無いような感じがします。it should be easy to name prominent adherents と言うのが筋かなぁと。--Tondenh(会話) 2012年3月5日 (月) 14:10 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。本件についてTondenhさんのようにお考えの方も当然いらっしゃると思います。一方で、該議論にて記述に賛同している幾人かはまた違った考えを持っています。わたしなぞも当初は「王家」に違和感を感じていたものの、そういうものかと軽く考えましたが、本件の出典や黒田俊雄#歴史用語としての「王家」を読むにつけ、成程、専門家間でも定見のない問題なんだな、興味深いと考えるに至りました。個々人の感想は人それぞれです。ですので個人的な感想ではこの議論は進捗しません。個人の感想を離れ、Wikipediaでのルール上は記載すべきかどうかという観点で考える必要があるのかなと個人的には思っています。TondenhさんとはWikipedia:中立的な観点でもお話させて頂いていますが、草案中にある。『Wikipediaの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。(Wikipedia aims to describe disputes, but not engage in them.)』がまさに今回のケースに該当するのではないかと愚考します。--Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 13:43 (UTC)
- 本来この話自体は、百科事典なのだから信頼性のある出典にのみ依拠して記事編集をしましょう、というシンプルなものだと思います。それ以上でもそれ以下でもありませんね。
- 誰もWikipediaで派閥を結成した覚えはないのに、いつのまにか「○○派」とか「××派」で括られるのは異なものです。議論に無用に変な色をつけミスリードする弊害もありますし、そもそも他の利用者を安易に「派」呼ばわりすること自体、いくぶん礼を失した行為のようにも思われます。
- 仮に百歩譲って、世の中では「NHK擁護論」なるものと「NHK否定論」なるものの「両論」で大論争があるのだとしましょうか(それぞれの内容はさっぱり意味不明ですが)。もしそうだとしても、それを大河ドラマの記事中で繰り広げるのは、お門違いの代理戦争というものでしょう。
- しばしば、削除依頼の議論で、次のようなやりとりがあります。「私が書いたこの記事を削除しないで下さい。まだ出典はありませんが、このタレントはとても才能があって魅力的で確実に人気爆発するんです!」「そうですか。では、人気爆発して出典ができてからまた立項して下さいね・・・」--これと同じことが言えるでしょう。もしその「論争」とやらが、このドラマにとって重要で欠くべからざる問題であるのならば、そのうち必ずや学術誌や文芸誌や論壇誌に大論文が発表され座談会が掲載され特集番組が放映されるでしょうから、その時に書けばよろしいのではないかということです。
- もともと、この件は、Chichiiiさんが、ノート:平清盛_(NHK大河ドラマ)において昨年9月頃から、「日本文化チャンネル桜」のことを「総務省から委託されて報道を行う報道機関」(--Chichiii 2011年9月16日 (金) 12:16 (UTC)--Chichiii 2011年9月16日 (金) 12:24 (UTC) )という根拠に基いて掲載を主張されていたものでした。結論から申しますと、これは、Chichiiiさんの勘違いでして、「総務省から委託されて報道を行う報道機関」などではありません。放送当時の実態としては、主に通販番組を流しているCSチャンネルの時間枠の一部を借りて、ある種の嗜好の人々にとって耳ざわりの良い演説を流す娯楽番組の制作業者です。別にそれが悪いこととは言いませんが、それをもって「大学教授の見解」というのは、如何なものでしょうか。
- 蛇足ですが、「書く」「書かない」以前の問題として、その大学教授が何を言ったのかすら正確には誰も把握できていないのが実態です(ノート:平清盛_(NHK大河ドラマ)参照)。
- --すたすた坊主(会話) 2012年3月5日 (月) 03:19 (UTC)
- 下記に項目別に考えを述べたいと思います。
- 今回の出典が信頼できるものかどうかですが、研究者の実名を明らかにし報道しているものであるため信頼できないとは言えないのではないでしょうか。すたすた坊主(当時はJ Stalin)さんは以前ノート:キム・テヒの議論でJ-Cast出典について媒体の信頼度については「メディア信頼度:▼(タブロイド、またはそれ以下)(掲示板の受け売りでも記事にすることがあるというイメージが払拭できません)」としながらも信頼性については「記事信頼度:○(まとめの正確さはともかく情報源としてスイス政府観光局日本支局と在日スイス大使館の文化部に取材をしたと明記)」とし、J-Cast出典を採用する立場で論じられております[2]。その論でいくと、今回は大学名のみならず研究者実名までも付されている訳で信頼できる出典と看做されるということになると思いますが・・・。
- 「派」はあくまで便宜上です。何が失礼にあたるのか良くわかりませんが、ご了承賜りたくお願い致します。
- 今回の出典はいずれも「平清盛_(NHK大河ドラマ)」を批判したものです。「平清盛_(NHK大河ドラマ)」を置いて記述する箇所はございません。
- ちょっと細かいところに入りますが、本件「王家」用語を巡ってはNHK公式サイト上に説明が付され、また、NHK会長の回答書までが出されているものです。わたしが考えるに十分記載に資するレベルであると思います。
- すたすた坊主さんは該当の出典をご覧になられているのでしょうか。出典は大学教授、京都産業大学の所功の見解と断った上で紹介されています。Wikipediaの方針、検証可能性は『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』を求めます。
- 出典に在るとおりです。たとえば読売新聞や朝日新聞でも専門家の見解と銘打ってそれを紹介している訳です。疑おうと思えば、如何なる出典にも疑義があります。完全に疑義を晴らすのであれば、専門家に直接電話して聞くしかない訳です。
- --Truesight(会話) 2012年3月5日 (月) 13:43 (UTC)
- Wikipedia:検証可能性の冒頭に「検証可能であることと真実であることの違いは…」で始まる段落がありますが、この記述は「情報を生み出した者」ではなく「情報を公開した者」を評価の対象にするように求めているものでしょう。取材対象が明らかであるかどうかはあまり重視できないと思います。ある専門家がその分野において十分な権威を持ち、自説が真実であるという自信を持っているなら、その権威にふさわしい場で発表を行うだろうと考えられるからです。その情報公開者が記事の主題や記述の分野において広く支持されているとは言えない存在であれば、出典としては好ましいものにならないと思います。--有足魚(会話) 2012年3月5日 (月) 19:04 (UTC)
コメント 私もTondenhさんと同じ意見です。まずは、信頼できる情報源の基準を厳格に捉えて、書籍や論文を読んで、そこから必要な箇所を引用するのが、最初にするべきことでしょうね。手間がかかるかもしれませんが、それが無駄な論争に発展しない一番確実な方法でしょう。著書が多くて一人では読みきれない、本が手に入らない、あるいは論文の入手が大変というのであれば、執筆に関わっている人たちの協力を仰いで手分けして作業するなど色々手はあるでしょう。それを試してみてそれでも使いたい主張が見つからなかった、という場合に、次のステップに進む、つまりテレビで放送されたものを出典として使ってよいものか、を議論しても遅くはないと思います。(私個人の意見としては、使うべきではないと考えますが。)面倒でも、確実な方法から少しずつ攻めていくのが結果的には最も労力が少なくて済むというのが経験則ではないかと思います。--亜顎十郎(会話) 2012年3月5日 (月) 19:31 (UTC)
コメント ノート:平清盛 (NHK大河ドラマ)#第3者の意見でもコメントしましたけど、Tondenhさんとのやり取りを見てさらにコメントします。要するに、テレビドラマで使用された「王家」という用語に関する学術的批判をウィキペディアに記述したいが、その出典にチャンネル桜の動画を使いたい、ということだと理解しましたが、それは無理だろうというのが率直な感想です。専門家でもないキャスターが歴史学者の名前に言及した、というだけであって、YouTubeにある動画に学術的な論争に耐えうる厳格さがあるとは思えません。私が調べた限りでは、この用語に関して騒動が起きたのは確かであって、NHK側が釈明する羽目になった、ということは確認できました。ただ、この騒動の主体は日本史学者ではなくてあくまでもネットを中心とした視聴者です。そういう文脈で(要するに一視聴者として)チャンネル桜のキャスターによるコメントを引用するのはかまわないとは思いますが、チャンネル桜で日本史にまつわる学術論争が起きている、という印象をウィキペディア読者が受けるような書き方には強く反対します。そういう観点で別の出典として私がお勧めなのは、ITMedia Newsの記事です[3]。日本史にまつわる著作もある作家の堀田純司氏が、学術論文を引用しながらテレビにおける表現の自由やドラマというフィクションにおける演出を絡めて「王家」という用語を論じています。Truesightさんが記述したいのとは逆の見解だとは思いますが。--Bugandhoney(会話) 2012年3月6日 (火) 18:32 (UTC)
コメント 当事者の1人で、「チャンネル桜の所氏の話」の加筆に賛成している者です。関連しそうな3つのルールを提示します。
- Wikipedia:信頼できる情報源#科学では一般向けの出版物からの引用を避ける
- Wikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。」:チャンネル桜は「反体制勢力、宗教集団、過激派」ではないが、この「反体制勢力」の訳の元になった英語は"partisan"との事。パルチザンは日本では特定の意味になるが、パルチザンによると「英語圏における「パルチザン」は、共産主義や抵抗運動に限らず、特定の党を熱心に支持・応援する一般市民を意味することがある」とある。
- Wikipedia:中立的な観点/FAQ「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供」
1つめに関しては、科学記事でないのは言うまでもないですが、歴史記事でもありません。あくまでドラマの記事なのでこのルールは該当しないと判断します。2つめに関しては、このルールがドラマに該当するのかどうか不明です。またチャンネル桜をこのルールに入れるのは少々乱暴な気もします。コミュニティの意見を伺いたく思います。3つめに関しては、記述の箇所・量・表現を考えれば良いものと判断します。しかしこれらのルール以前に、出典がyoutubeの動画というのが最大の障害だと感じています。キャスターが下の資料に目を向けるタイミングで、キャスターの私見と所氏の見解の区別は大体つくのですが、それが100%間違いないかと聞かれれば、返事はNOです。「チャンネル桜は、所氏から~~~のように聞いたと主張し、批判している」が精一杯かなーと思っていますが、結論としてコミュニティの判断に従うつもりです。余談ですが、堀田純司氏は本郷氏と「肉食と草食の日本史」を共著で書かれているのですね。--JapaneseA(会話) 2012年3月7日 (水) 16:30 (UTC)
- (JapaneseAさんへ)この議論で参考になるのはWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料です。
非学術的な分野に関しては、「評判の良い」を明確に定義するのは不可能ですが、一般に私たちの多くは、この言葉の意味について常識としての感覚を持っています。急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞は大抵「評判の良いもの」とは見なされません。例えば「ブッシュ大統領はゲイである」という言明を掲載するのに、アメリカ合衆国の社会主義労働者党の機関誌The Militantでの掲載にのみウィキペディアが依拠することはありえません。しかし、同じ言明が『ニューヨーク・タイムズ』の記事になっているのであれば、ウィキペディアはその記事(およびその記事が引用している情報源)を参照することができます。
- これは米国の話なので少し解説が必要ですが、『ニューヨーク・タイムズ』というのは米国の一流紙で、日本で言うところの一般全国紙に相当します(朝日、毎日、読売、産経の各紙)。一方で、The Militantというのは米国の泡沫政党の機関紙で、共和党のブッシュ大統領は政敵に当たります。まあ、赤旗よりももっとずっと過激でマイナーな媒体だと考えてよいでしょう。要するに、赤旗が政敵である民主党の首相を中傷するような記事を載せたとして、それだけを出典にウィキペディアの記事を執筆するのは無茶だろう、ということです。逆に、同じ内容であってもそれが朝日や産経に掲載されたのであれば話はぜんぜん変わってくるわけで、出典として用いてもよい、ということです。
- それで、チャンネル桜を出典にすることに難色を示している編集者というのは、チャネル桜はどちらかというとNYタイムズ、朝日、産経のグループではなくて、The Militantや赤旗のほうに属しており、「評判が良い」とは必ずしも言えないと考えているわけです。「評判の良い」を明確に定義するのは難しいのですが、次のような問いかけが有効だとされています。
それは公然と特定党派を支持しているか? 読者層は大きいか、それともとても小さいか? 自費出版を請負う出版社か? 個人経営か、それとも多くの社員を抱えているか? 何らかの査読制度を持っているか、あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか? もしあなたが資料として利用しようとしている媒体が、あなたについて否定的な記事を掲載しようとしていると聞いた場合、あなたは(a)事実をちゃんと確認しない無責任な媒体だからと怯えるでしょうか、それとも(b)その媒体は何層もの編集スタッフ、事実調査員、弁護士、編集長などを抱えているから、たいていの誤りは訂正してくれるだろうと少しは安心するでしょうか。もし(a)であるなら、その資料は使用しないでください。もし(b)であるなら、それこそがウィキペディアで言うところの「評判の良い」というものなのです。
- こういう観点からチャンネル桜を朝日や産経を比べると、性質に大きな違いのある媒体だということは誰の目にもはっきりしていると思います。チャンネル桜を出典とすることに難色を示す編集者が、本郷氏の見解を引用することをなんらためらわないのは、彼らが本郷氏の見解を支持しているからではなくて、単純に言ってそれがウィキペディア編集者から基本的に評判のよい出版物とみなされている産経に掲載されているからなのです。こういうとわかりやすいかも知れないですが、問題になっている京都産業大学教授の見解が朝日や産経に掲載されていたら、それを引用することに反対する編集者は出てこなかったはずです。要するに、日本の四大紙の一つである産経に掲載された情報とそれと比べてもっと党派性を帯びていてはるかにマイナーな媒体であるチャンネル桜にある情報とをウィキペディアの記事で同列に扱うのはどう考えても公平とは言えないだろう、ということです。--Bugandhoney(会話) 2012年3月7日 (水) 17:56 (UTC)
- Bugandhoneyさん、そういう話は当然あって然るべき話です。では、なぜThe Militantに依拠することができないかといえばそれはその報道内容に信がおけないからです。例示されている「ブッシュ大統領はゲイである」というようなことがいきなり書いてあり、なんら根拠が示されていないならば、そんなことをWikipediaに記載するのに賛成する人はまずいないでしょう。
- 一方でWP:V#NRにはタブロイド新聞一紙のみの報道であっても「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。」とされています。これらルールの指し示す事柄を総合して考えると、最終的には、情報の重要性とその信頼性が担保されていれば十分に記載に資する、媒体のみで掲載可否を判断しないということになるでしょう。ここで件のチャンネル桜の報道は大学名および教授名を挙げて紹介されたものであり、また、、黒田俊雄#歴史用語としての「王家」を読んでも、その所功の主張にはおかしなものはありません。十分に信頼性は担保されていると考えて良いでしょう。勿論、そうはいっても確実に真実とはいえないだろうと問われれば確実ではないと答える他ありません。しかし、そのような出典が真実かどうかという議論に対する基準は別に示されています。それはWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、一定程度の信頼性(ここでは実名を挙げた情報源の明示、および学会での一方の主張との良い一致)が担保されているのであれば、真実かどうかを問うことはWikipediaではしません。さて、もう一方の条件である「情報の重要性」ですが、Wikipediaでいうところの情報の重要性とは何かを考えてみるべきでしょう。Wikipediaの根源的なルールである三大方針は、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:中立的な観点です。これらの内、「独自研究は載せない」、「検証可能性」についてはBugandhoneyさんはじめ掲載反対派からは良く取りざたされるのですが、「中立的な観点」から観たのご意見はほとんどいただけません。三大方針には「これらの方針はほかの二つと切り離して考えるべきではなく、編集する際にはこれら三つの方針を合わせて理解するよう努めてください。」とあり、総合的に判断すべしとされています。われわれはこの三大方針をバランス良くみるべきであり、いずれの方針も疎かにしてはいけません。
- さて、中立的な観点には「記事は偏りのない「客観的な」観点に基づいてのみ書くことができる、と誤解されることもありますが、そうではありません。ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない、というものなのです。」と書かれており、論争がある場合はそれを記述せよという立場です。「王家」肯定論には本郷和人という専門家(ドラマ制作陣の一員でもある)の出典があり、対する「王家」否定論には所功を除いて、(平清盛 (NHK大河ドラマ)に関連して述べられているものでは)専門家の見解はありません。所功の見解は中立性を維持するために重要な情報といえるでしょう。
- まとめます。
- Wikipediaでは媒体の品質のみで情報の掲載可否を決定しない。
- 所功の見解は一定の信頼性が担保されていると言える。
- 所功の見解は、「王家」非難論で、唯一の専門的見解であり、「王家」肯定論で述べられている専門家見解を記載する以上、中立的観点からいって記載すべきである。
- 以上です。--Truesight(会話) 2012年3月8日 (木) 14:24 (UTC)
- すでにTondenhさんもおっしゃっていますが、どなたもNHKを批判した文献資料や、信頼できる媒体による報道を探してはいないのでしょうか。もし、充分に資料を探した結果として、このチャンネル桜の番組しか見つからなかったのであれば、わざわざ記載するほどのことだろうかと思わざるをえません。「所功の見解は、「王家」非難論で、唯一の専門的見解」ということですが、間接的な電話取材というかたちで、信頼性に疑問がある媒体で紹介された見解以外に、専門家は誰一人として批判を発表していないということでしょうか。そうであれば、産経の記事を引用して批判がある事実を端的に述べる程度で充分かと思います。所氏がチャンネル桜の電話取材に対して「王家」批判の見解を述べただけでは、専門家の間でその是非について「論争」が起こっているとまでは言えないでしょう。--Trca(会話) 2012年3月8日 (木) 14:59 (UTC)
(Truesightさんへ)まず、第三者へコメントを求める際は、それが自分の立場にとって好ましくないからといっていちいち反論するのは、この制度の趣旨やエチケットに適っているとは思えません。ここで得られた意見は建設的な方向で(論争を収束させるように)利用するようお願いします。それまで無関係だった第三者を巻き込んで論争を拡大させても仕方がないです。
つぎに、「NHK擁護派」というようなラベルを貼るのは便宜上でも避けてください。あなたが引用したWikipedia aims to describe disputes, but not engage in them.という言葉とは裏腹に、ウィキペディア編集者を「NKH擁護派」vs.「NHK批判派」という枠組みに当てはめて論争の当事者にしてしまっています。ウィキペディア編集者の間で見解が分かれているのは、チャンネル桜を出典として用いる是非であって、この問題にそれ以上の意味を付加しないでください。あなたの意見を支持しないからといって、その編集者が「NHKを擁護している」と決め付けたり、示唆してもいけません。どうしても必要があるのであれば「出典無効派」と「出典有効派」とでもするとよいと思います。
Trcaさんや有足魚さんの意見にもう付け足すことはないのですが、我々が所教授の見解に権威を認めるのは、彼が権威ある場所で自説を発表しているからであって、チャンネル桜にはそういう日本史学における権威はありません。
それで、中立性に関してですが、ある論争を記述するときに必ずしも両論併記することが中立だとは限りません。Wikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点には
ある観点を記事で言及する際には、その観点を位置づけておくことが肝要です。つまり、その観点がいかに顕著なものであるか、多数派に支持されているのか少数派に支持されているのかなど、その観点の背景に関する情報を提供してください。ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。このことについて、ウィキペディアの共同創始者ジミー・ウェールズは、次のように述べています。
- もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。
- もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。
- もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない。
とあります(強調引用者)。私が調べた限りでは、信頼できる情報源(全国的に流通している商業雑誌・新聞などの活字媒体)で確認できるのは、ネットでの(つまり無名の人々による)NHK批判、ということまでです。歴史学者や専門家がこの問題をどう考えているのかは、本郷氏と堀田氏による解説以外見つかりませんでした。ということは、歴史学の分野ではNHK批判がごく少数派に支持されているか、それさえ確認できない状況なのであって、「ウィキペディアで言及するに値しない」とするのが妥当だと思います。きわめてまれ、ないしそれさえ確認できないような観点をウィキペディアで取り上げることは中立とはいえません。--Bugandhoney(会話) 2012年3月8日 (木) 18:59 (UTC)
- 横から失礼。NHK自体が王家という呼称に対して、公式ページにおいて注を入れていた以上、そのNHK番組の歴史認識に対しては異論が多く寄せられたことを自明にしているでしょう。少なくとも、この項目のこの論争においての異論は「極めて小さな少数派」と言うのは苦しいかと。--まっとん(会話) 2012年3月12日 (月) 07:46 (UTC)
- 公式ページの「よくある質問」ページのことであれば、ドラマ中で用いられるさまざまな歴史用語に解説を加えているページですから、「異論が多く寄せられたことを自明にしている」とは言い過ぎでしょう。また、不特定の誰かがどうやら異論を出しているらしいというだけでは、歴史学やテレビ評論の分野で重要な議論になっていることの根拠にはなりません。--Trca(会話) 2012年3月12日 (月) 08:15 (UTC)
- Trcaさんと同意見です。「極めて小さな少数派」というのは歴史学の専門家に限った話であって、何度か書いてますけど、ネットを中心として(つまり一般視聴者の間で)騒動が起きたというのは複数の情報源で確認できます。それに対する対応として公式ホームページなどNHK側の反応を記述するのがもっとも適切かなと。--Bugandhoney(会話) 2012年3月12日 (月) 14:08 (UTC)
- くだんのチャンネル桜出典にはこの問題に対するNHK会長の回答書(代書)も含まれています。十分に重要な情報であると考えます。--Truesight(会話) 2012年3月12日 (月) 15:10 (UTC)
- その「回答書」なるものは件の動画配信番組のキャスターである水島総が幹事長を務める保守系団体への回答書であり、同団体がNHKへ質問書を提出する際に一部が狼藉を働いたことに抗議すると冒頭に記されています。すなわち件の動画配信番組が一次資料に過ぎないことを示すのに十分に重要な情報であると考えます。そもそもノート:平清盛 (NHK大河ドラマ)において件の動画配信番組を一次資料として扱うことについては強硬な反対意見はなく、「さも良質な二次資料」かのように扱う姿勢についてコメント依頼がなされたものと理解しています。その点について全く斟酌せず同じ意見のみを押し通すことだけを意図していらっしゃるのであれば、問題であると改めて指摘せざるを得ません。--彩華1226(会話) 2012年3月13日 (火) 04:22 (UTC)
- くだんのチャンネル桜出典にはこの問題に対するNHK会長の回答書(代書)も含まれています。十分に重要な情報であると考えます。--Truesight(会話) 2012年3月12日 (月) 15:10 (UTC)
- それはちょっと無理がありますね。水島キャスターはNHKが偏向していると批判しているんですよね?公式ホームページや一般全国紙で確認できるNHK側の見解と、批判する側が動画で伝えているところのNHKの見解では、どちらのほうが出典としてより信頼できてより好ましいかは言わずもがなだと思いますが。彩華1226さんがいうように、個人的には(他の編集者が反対しなければ)一次資料として利用することはできるとは思いますが。--Bugandhoney(会話) 2012年3月13日 (火) 19:45 (UTC)
できればより広い範囲からご意見を賜りたく、こちらも都度いちいち意見を述べすぎたようですが、Bugandhoneyさん、Trcaさんも少し静観していただけると幸いです。--Truesight(会話) 2012年3月12日 (月) 15:17 (UTC)
コメント 皆さんの議論の中で、「ネットで論争」という認識が出てきます。全くゼロとは申しませんが、現状、私が駆け足で見て回った範囲では、掲示板等での同ドラマに関する意見交換は、内容や演技演出に関するものがほとんどであって、王家ネタは定型文を集中して貼る人が時々いて所謂「コピペあらし」的な扱いをされている程度のように見えます。また、内容的にも、発端の西村なにがし氏の頃は「NHKのせいで日本が中国の属国扱いにされる」的な主張だったと思いますが、最近のは「韓国」云々に変っている等、何だか話自体に絡脈がなく、もはや「ネットで議論」の態をなしてさえいないように思えます。また、もし記事中に番組への世間の反響を記載するとすれば、報道機関の取り上げ方から(感覚的にですが)仮に「画面が汚い兵庫県知事」ネタが10行で、「視聴率低迷」ネタが5行だとすれば、「王家」ネタに1行もいらない程度の比率ではないでしょうか。正直なところ“「論争」のある場合の記述について”という議題名にしては、実際の案件があまりにしょぼいという感じがします。--すたすた坊主(会話) 2012年3月13日 (火) 09:16 (UTC)
- 「論争」の存在について懐疑的に見る意見へは概ね同意します。「批判」については出典に基づいた記述はできるが「論争」については記述に値する出典がないとみなしてよいからです。しかし、ネット上での「批判」とそれに対するNHKの「対応」については産経新聞など第三者的な公刊された情報源からの有意な言及が複数あります。チャンネル桜はともかく、産経新聞などの信頼出来る情報源に基づいた記述については記載されてしかるべきものです。あなたの印象を信頼出来る情報源による有意な言及に優先するかのようなご発言はいかがなものでしょうか。--彩華1226(会話) 2012年3月13日 (火) 14:18 (UTC)
- コメント 個人的な見聞の範囲で記載する価値があるかどうかを判断しても仕方ないと思いますが。別の媒体を普段見ている編集者は当然異なる判断に至るでしょうし。ウィキペディアで記事を執筆する際、私はen:FACTIVAで文献調査するのですが、「NHK and 平清盛」で3,055件、「+視聴率」で673件、「+井戸敏三」で425件(以外に多い)、「+王家」で16件の記事がそれぞれヒットします。ということは「画面が汚い兵庫県知事」ネタが10行だとすると、「視聴率低迷」ネタが16行、「王家」ネタは1行もいらない程度の比率ということになります。それから、「属国がうんたらかんたら」「韓国がうんたらかんたら」は止めてください。チャンネル桜の出典としての信頼性という単純な問題を編集者の政治的立ち位置という問題に還元してしまいかねません。そういうことを書くと、それは政治的に大事な問題だと考えている編集者が反論して、必然的に不毛なやり取りになります。ウィキペディアを政治的な議論に利用しないよう、お願いします。--Bugandhoney(会話) 2012年3月13日 (火) 19:45 (UTC)
- いくぶん印象論的に書き散らしてしまいましたが、客観的に整理していただいてありがとうございます。--すたすた坊主(会話) 2012年3月14日 (水) 04:32 (UTC)
(インデント戻します)ノート:黒田俊雄で提案しておりました、「黒田俊雄#歴史用語としての「王家」」節の分割と権門体制への統合(一部転記)については、提案から10日を過ぎても反対がなかったため実施しましたので、リンク元であるこちらにも報告します。--ろう(Law soma) D C 2012年3月14日 (水) 02:33 (UTC)