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Wikipedia:井戸端/subj/不適切な曖昧さ回避の問題

カルメン・カレー問題(不適切な曖昧さ回避の問題について)

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先日、カルメンのリンクを修正していたのだが、カルメンには(曖昧さ回避)が存在している。そしてカルメン (曖昧さ回避)にはすでにリンク修正すべきリンクはない。

カルメンにある今のリンクのほとんどは本来(曖昧さ回避)にあるべきリンクなのだ。、今のシステムは本来、リンク集積の場である(曖昧回避)が分離されていることによって本来の役割をしていないことなのである。

考えてほしい。普通、記述中の言葉にリンクする場合カルメンにはリンクするがあえてカルメン (曖昧さ回避)にリンクするだろうか?そんな方は少数派であり、ほとんど人はカルメンにリンクするはずである。 もし、カルメンが曖昧回避になっていれば、「曖昧さ回避にリンクされているものはリンクの修正が必要である」という観点から考えて定期的に曖昧回避に行きリンク修正をすればよい。ところが、現状は本来曖昧回避にいくべきリンクがそうでない項目に集積する結果となっている。

そして、そのミスリンク修正には「曖昧さ回避」以上に手間がかかる。 これは明らかにシステムの問題である。 カルメンくらいならまだリンク修正のやりようがあるが、カレーの場合、カレーのミスリンクを発見できるだろうか?

  1. 不適切なリンク先に行くのは利用者の不利益。
  2. 適切なリンク先を修正するボランティアにとっても不利益。
  3. 記述(リンクする側)にとっては変更なし。

つまり、このシステムは誰にも利益がなく、不利益しかないのだ。このようなシステムはすぐにやめるべきである。0null0 2008年3月4日 (火) 12:03 (UTC)[返信]

  • まず、カルメンであるが、ここのリンクを修正する段階で判明したのは「歌劇のカルメン」、「映画のカルメン」、「舞台のカルメン」、「バレエのカルメン」。後者2は曖昧さにリンクすべきだが、曖昧さにもリンク先は無い。
  • 問題は、本来リンクが集積されるべきところにリンクがされるということは、時間がたって、リンクが増えるごとにリンクミスがわからなくなることである。曖昧項目であれば、提起的にメンテナンスすればそこから適切なところにリンクなされる。そのことによって、誰もが利益を受けるのだ。
  • 過去にもすでにこの問題を書いたのだが、誰も疑問に思わないのだろうか?0null0 2008年3月6日 (木) 11:54 (UTC)[返信]

へのいちと申します。つまり「Wikipedia:曖昧さ回避」にある「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」という運用を廃止して、すべて「平等な曖昧さ回避」のようにしようということですよね。リンクのメンテナンスという観点からはまったく仰るとおりだと思います。あとは「代表的なトピック」と見なす閾値をどうするかという問題ですね。たとえば、そのトピックがその名称を代表する度合いが99.8パーセントである、などということにでもなれば、平等な曖昧さ回避では利用者の利便が悪くなりますし、これが65パーセントであればリンクのメンテナンス性のほうが重要でしょう。そこで当然に、閾値をどうするかということになると思いますが、そもそも代表する度合いなど測れるはずもないし、基準は人それぞれということもあるでしょうから、すべてを平等な曖昧さ回避としてしまう提案に私は賛成です。ただそうすると、既存の項目に対して滅多に使われない別の意味を見出して曖昧さ回避にしたがるような人が出てくるかもしれませんね。そういう場合は荒らしとして対処することになるでしょうか。でも、ウィキペディア参加者が知らないだけで本当は載せるべきトピックを排除してしまうなんてことが起きる可能性もありそうですが。--へのいち 2008年3月6日 (木) 12:44 (UTC)[返信]

  • へのいちさんコメントありがとうございます。ここでへのいちさんのおっしゃる利用者の利便はダイレクトに入力した場合の表示とその後のアクションということになると思います。リアルな紙媒体を持ち出すわけでもないですが、その場合でもやはり同じように併記されている部分に飛ぶでしょう。
  • 私がこの問題をあえて提起したのはカルメンをいじっていたときに舞台のカルメン、バレエのカルメンなどがリンク先を調査してきて出てきたことです。このような(曖昧さ回避)において処理されるべき事案が放置されているのは、(曖昧さ回避)に蓄積されていないからだと私は考えます。(曖昧さ回避)は行き先を探してリンク修正をすべきものが集まる場所。そこにリンク先がないものがあれば(曖昧さ回避)で新たに記述される可能性があるからです。そういうもろもろのことを考えていくことも必要だと思います。0null0 2008年3月6日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
  • 曖昧さ回避ですが、私は原則として曖昧さ回避が主たる記事であるべきと考えます。記事間の軽重判断は門外漢には困難ですし、係わる全ての項目に十全たる見識を持っているというのはなおのこと無茶な要求でしょう。しかし、今後はともかく現存するものを積極的に書き換えようとまでは考えません。それを強要することで発生する問題(移動合戦や無益な版の増大)もありそうなので。また、「調べたけど他の存在解らなかった」というのは、致し方ないので、そのような方は責めずに、「AとかBとかあるから、公平に曖昧さ回避にしよう」として下さい。直接リンクしたいのに括弧の中が解らない・曖昧さ回避語の記事が解らないという問題は確かに存在するのですが、そこはメンテナンスを行われる方に期待するという現実的かつ無責任な発想ですけど。--open-box 2008年3月8日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
なんか、話が変な方向に転がっているので、一言。この提案って「曖昧さ回避ページへのリンクは誰かが勝手にメンテナンスしてくれるもの」という前提のうえに成り立ってますよね?曖昧さ回避ページへのリンクを修正してくれる人って実はものすごく少ないっていうことを認識してますか?曖昧さ回避ページへのリンクは次から次へと増える一方なんですが。曖昧さ回避ページは現在27,000ページ以上もあり、利用者:Tatsujin28/曖昧さ回避ページの被リンク数を見てもらえればわかるんですが、上位1,000件だけでこれだけ曖昧さ回避ページへのリンクがあります。「定期的にメンテナンス」をしていればこうはならないんじゃないですか?そもそも、「記事を書く人」と「メンテナンスをする人」は別だという考えがおかしいんじゃないでしょうか。執筆者全員が意識して直せるものはどんどん直すという姿勢がない限りは、曖昧さ回避ページを主たる記事にしようが何しようが、「目的の記事に一発で飛ばない不適切なリンク」は一向に解消されないと思うのですが、いかがでしょうか。「曖昧さ回避ページへのリンクのほうがまだマシ」的な論理であるならば、記事を書く人が楽ならばメンテナンスをする人の負担はいくら上げても構わないと解釈できるんですが。そういう論理なら、あまりにも馬鹿馬鹿しいので曖昧さ回避へのリンクのメンテナンスやめますけど。確信犯的な無責任な他力本願にいいように利用されるのは誰でも嫌なものですので。メンテナンスをする人にとっては、最初から曖昧さ回避ページへのリンクをしないでほしい、ただ文字の色が青色になっただけで満足するんじゃなくて、「記事を理解するうえで役に立つリンク」であるかどうかを気にして欲しい、括弧つきの記事が見つけられないなら無理にリンクしないで欲しい、と申し上げたい。メンテナンスをする立場から一方的に言わせてもらえば、その分野を得意とする人がどう見ようと、主要記事を主たる記事として、RedirectやOtheruses、山手線方式での曖昧さ回避のほうがメンテナンスは楽なんですよね。そのリンクが適切かどうかは「書いた人」あるいは「その分野を得意とする人」が気にしてほしいものです。メンテナンスは人にやらせよう、という意識自体に問題があると思いますが。--Balmung0731 2008年3月9日 (日) 04:45 (UTC)[返信]
リダイレクトは問題ないでしょう。さらに、現状で辞書的な意味しか無く、曖昧さ回避で事足りる=単独記事になっていないものが曖昧さ回避で止まるのは当然でしょうから省きます。ここで問題となるのは、曖昧さ回避の扱いであって、「リンク先探さない人」(自分で書くときには正確なリンク先探しますが、こういう人は計算外でしょうから)に「Otheruses、山手線方式による間違ったリンク」作らせるか、「曖昧さ回避で逃げることを許す」か、「リンク作らせない」かだと思うのです。
確かに「リンク作らせない」のは楽でしょう。しかし、「リンク先探さない人」にそもそも「作っていいリンクかどうか」判断させるのはどうやって? と言う疑問があります。解らないならリンク作るな! というのもまたメンテナンスを行う方の事情であり、「曖昧さ回避」でいいから作ろうという執筆者(残念ながら多数派なのでしょう)、「間違っていてもそんなこと知らない」という執筆者(少ないと良いなぁ)と対立すると思われますし、メンテナンスを理由に敷居を上げすぎるのはどうなのかとも思います。
残るは、メンテナンスが楽だけど「Otheruses、山手線方式による間違ったリンク」なのか、とりあえず「曖昧さ回避で逃げることを許す」ことでリンク作成時点で少なくとも間違ったところに行かないようにするかとなるでしょう。そして、労力あれば訂正できる後者と、なかなか気がつかない前者であれば、後者が妥当ではないかと考えます。「目的の記事に一発で飛ばないが、曖昧さ回避には至るリンク」と「疑念の余地もなく誤ったリンク」では、どちらがましですか? もちろん、逐一修正かけるのが一番良いのは確かですが。加えて、「Otheruses、山手線方式」は、不適切な記事が曖昧さ回避の有るべき記事名に存在するという問題からは逃れられないのですし、曖昧さ回避へのリンクが増えることは「Otheruses、山手線方式」へのリンクが増えるよりもましだと考えます。私は、「Otheruses(これだって既に20,000近く、容易ではありません)、山手線方式(こっちに至っては容易な確認方法が……)」のメンテナンスも大変だと思いますが、これはどうなんでしょう? と質問させて下さい。--open-box 2008年3月9日 (日) 06:26 (UTC)[返信]
話が一向に噛み合わないのは、「俺はメンテナンスはしないけど、理屈ではこう」というスタンスと、実際にメンテナンスをしていて苦労をしているからなんとかしてくれっていうスタンスに大きな隔たりがあるからではないでしょうか?
曖昧さ回避ページへのリンクがマシだと言うのは、おそらく多数派なのでしょう。「曖昧さ回避ページだから、まぁいいや」で誰も直さずに放置というのが現状なのではないですか?それで「明らかに間違いというわけではないからなんとなくOK」っていうのでは、曖昧さ回避ページを目次か索引か何かだと勘違いして片っ端から辞書に載っている単語を曖昧さ回避ページにする人は一向に減らないと思うんですが。初心者ほど文字に色がつくだけで面白くてリンクを張りまくるという傾向があるのは致し方ないでしょう。これは止められるものではありませんから、後で誰かがメンテナンスしなければなりませんし、それはそれでウィキペディアの特性とも言えるものです。でも、それは「メンテナンスをする人」という一言でくくった一部の人達だけの問題にしていいものではないはずです。
誘導すべき記事がなく修正不能という例を除くとしても、曖昧さ回避ページへのリンクはすべて解決できるとお考えですか?アテネオリンピックはもっとも簡単な例です。ウィキペディア日本語版に載っているスポーツ選手で100年以上前に開催された第1回近代オリンピックに出場した選手は稀です。ほとんどが2004年に開催されたアテネオリンピック (2004年)の選手です。これは労力さえあれば解決できるでしょう。ですが、人類は?もっとも解決が困難な曖昧さ回避の例です。これこそ何を意図してリンクしたのか「書いた人にしかわからない」リンクです。これを「曖昧さ回避ページへのリンクで逃げることを許す」とか言って執筆者への正確なリンクを求める前にメンテナンスに丸投げするわけですか?それで、メンテナンスの人がちょっと誤った解釈をしてリンクを修正すると「お前のリンク修正は間違っている!全部リバートして戻せ!」と怒鳴り込まれるわけです。善意のメンテナンスがなぜリンクについて責任を負わせられなければならないのでしょう?修正すると怒られるんだったら、直さないほうが気楽だ、メンテナンスなんて自分以外の他の誰かがやればいいっていうのがウィキペディア日本語版の風潮じゃないんですか?
曖昧さ回避ページへのリンクにしても、「Otheruses、山手線方式」へのリンクにしても、ウィキペディア全体の問題なわけですから全員が意識して改善に努めなければならないものであって、「記事を書く人」「メンテナンスをする人」と区別をする時点でおかしいと申し上げています。理屈をこねるばっかりで誰も「私は曖昧さ回避ページへのリンクを修正しています!」と言わない時点でやや失望しています。--Balmung0731 2008年3月9日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
『「俺はメンテナンスはしないけど、理屈ではこう」というスタンスと、実際にメンテナンスをしていて苦労』ではありません、メンテナンスの種類が違うのです。今ここで提案されているのは、「正しくないリンク」により「不適切なページへ飛ばされる」ことへのメンテナンスは出来ないかな? と言う話で、だから「曖昧さ回避を正しいものに」「その過程でリンク修正は曖昧さ回避ではなく正しい記事へ」作業を行うのではないですか?(誤解してたら教えて下さい) その副作用として発生するのが、「修正後に明らかになった曖昧さ回避へのリンクによる」「曖昧さ回避ページへのリンクを修正」するというメンテナンスです。前者の副作用として後者が発生するのですが、後者のために前者止めようではおかしいでしょう。そもそも曖昧さ回避ページではなく「不適切なページへ飛ばされ」「結果的に利用者:Tatsujin28/曖昧さ回避ページの被リンク数でカウントされなかっただけの不適切なリンク」が明らかになるのですから。
残念ながら「記事を書く」事にしか興味がない人は多々おられるようですが、そのような方々へ怒ったり嘆いたりアジったりしても、「誰も頼んでないよ、やめれば?」と冷たい反応しか返ってこないと思われますので、そこは工夫が必要でしょう。私には、メインページには作成と編集はありますけどメンテナンス関係はないので一言入れるとか、投稿確認のページで「リンクは正しいですか? 誤った記事へのリンクや曖昧さ回避へのリンクは避けて下さい」と入れるとか、地道な方策しか思いつきませんが(人募って、一気にやるのはミスが怖いです)。
「記事を書く人」「メンテナンスをする人」を区別せずに誰でもやってくれと、それは当たり前のことですし、理想的ですね。でも、メンテナンスは「曖昧さ回避ページへのリンクを修正」するだけじゃないですし、自分に解るとこだけ直す人もいます。専念してないから、「私メンテナンスする人なんて言えないよ」って人もいるでしょうし、そこまで絶望する必要はないと考えます。
メンテナンスだからと言って責任が軽い訳じゃありません。自信がないところまで触れるのは良くないと考えますから、『何を意図してリンクしたのか「書いた人にしかわからない」リンク』なんて触れるもんじゃないと。どうしても気になるなら執筆者にどれか選んでとでも言うしかないでしょうが、それは労多くして功少なしでしょう。ですが、修正されておかしいことに気がつきながら自分で直さず乗り込む人は、それは曖昧さ回避とは関係なくどうかしてますので、例に上げられても、何も言いようがないのですが。--open-box 2008年3月9日 (日) 09:15 (UTC)--ミス補正--open-box 2008年3月9日 (日) 09:17 (UTC)[返信]

私は、記事を書く人とメンテナンスする人は別でもまったく問題がないと考えます。もちろん、書く人が気を使ってくれるのは嬉しいですが、気を使うよりは記事を書くことに専念することに意見はしません。

私は裏方でリンクを修正すたり索引を充実させる、ウィキペディアの体裁を整える作業をするほうが好きですので。

私が意見しているのは、現状は明らかにリンクミスを誘発する可能性が高く、そのミスリンクを修正し辛いということです。面倒なことに、この作業はBotに頼るわけにはいかずリンク元とリンク先を最適化する判断をしなくてはいけないので現状ではボランティアに頼らざるを得ません。それならばここを現時点(項目数47万)で改善し、ウィキペディアのリンクは信頼出来るという情況を作り上げねばならないと考えています。

百科事典はその記述が正確なことが求めら得ることは言うまでもありません。電脳の百科事典の武器であるリンクが間違っていることはこの百科事典の存亡にかかわる重要な問題であると私は考えます。リンク問題を真剣に考える方、メンテナンスの重要性を考える方が増えることを望みます。0null0 2008年3月9日 (日) 09:42 (UTC)[返信]

え?だから、曖昧さ回避ページを増やしてリンクをわかりやすくしたところで、誰がそれを修正するんですか?誰も修正しないものを大量に増やして何か意味があるんでしょうか。「曖昧さ回避ページへのリンクの解決」と「Otheruses、山手線方式が設けられているページへのリンク」を修正する作業は種類が違うということですが、同じじゃないですか?曖昧さ回避ページへのリンクの修正は簡単だ、楽だと思っているのならそれは大間違いです。たとえば、曖昧さ回避ページへのリンクが300件あったとしましょう。リンク元を全部チェックしてもこのうち修正できるのが5件くらいしかないなんてのはザラにある話です。Otheruses、山手線方式が設けられているページへのリンクが同じく300件あって、間違っているリンクが5件だったとして、それを探すのが大変だ、苦労する、無理だという話になること自体が理解できません。どこが違うんでしょう。リスト化できるできないはそんなに重大な問題ですか?曖昧さ回避ページへのリンクを修正するほうが簡単だ、という幻想のうえに理屈を展開してるからそういう論理になるんではないでしょうか?そもそも、特別:Disambiguationsには5,000件しか曖昧さ回避ページへのリンクは表示されません。「Otheruses、山手線方式が設けられているページへのリンク」のように表に出ないで埋もれてしまっているリンクは山ほどあるんですよ。Tatsujin28さんにリストを作ってくれと依頼したのは私です。「一律曖昧さ回避ページにすればリスト化できるからわかりやすい」というのは、ウィキペディア全体の実態を把握しようと裏で動いていた私とTatsujin28さんの成果の上でしか成り立たない論理でしかないと思われますが。ボットを使えないのは曖昧さ回避ページへのリンク対策でも同じです。メンテナンスはメンテナンスです。どっちが簡単かとか、どっちが探しやすいとかはまったく関係ありません。気がついたら直す。それがメンテナンスなんじゃないですか?どうも、曖昧さ回避ページへのリンクはリスト化されているから横断的に処理しやすくて修正が容易だという一側面でしか見てないから誤解が生じるんじゃないですかね。--Balmung0731 2008年3月9日 (日) 13:30 (UTC)一部修正--Balmung0731 2008年3月9日 (日) 14:06 (UTC)[返信]
とんでもない勘違い有るので、そこだけ。あなたとTatsujin28さんの成果に関係なく、もっとも容易なのは曖昧さ回避です。Category:曖昧さ回避回避からリンク元をたどれる曖昧さ回避、Template:Otherusesのリンク元からさらにリンク元をたどり、さらに妥当性の検証が原則として必要なOtheruses。まぁこの両者は「付け替える」作業だけなら等価ですが。そして、そもそも存在を発掘せねばならない山手線方式が最も困難でしょう。あなた方の労力には敬意を表しますが、あなた方の成果の上でしか成り立たない論理とは、大きな誤りです。--open-box 2008年3月9日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
なんか、微妙に話がズレていってる気がするんですが…。山手線方式の問題点については見落とし気味だったことについてはすいません。でも、それで現在メンテナンスが進んでいるとは言えず、曖昧さ回避ページへのリンクの対策に見通しが立っていない状況でOtherusesや山手線方式のページを一律曖昧さ回避ページにするというのが私にはどうしても疑問をぬぐいきれません。今のところ曖昧さ回避ページへのリンクの対策に前向きな人は少ないのに、「いつかは誰かが直す」というのを期待しての一律曖昧さ回避ページ化には異論を唱えざるを得ないのです。Otherusesや山手線方式のページを一律曖昧さ回避ページにして、その後すべてリンクを必ず修正するというのなら話はわかるんですが、そういう提案ではないんですよね?--Balmung0731 2008年3月9日 (日) 15:46 (UTC)[返信]

代表的なトピックが存在する場合、それを曖昧さ回避のページの下部に{{:記事名}}として埋め込んだらどうですか?こうすれば、リンク元修正の問題も無くなりますし、閲覧者の利便性もあまり損なわれないのではないような気がします。どうでしょうか?--モルフォチョウ 2008年3月9日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

へのいちです。このアイデアは一考の価値がありそうに思います。(わざわざアカウント登録までしていただいてありがとうございます。)
モルフォチョウさんの意図は、「トピック」という名前のページを代表的なトピックについて解説するページとした上で、「トピック_(曖昧さ回避)」という名前のページの中で、曖昧さ回避のための水先案内のあとに、「このうち、***については以下でも解説する。{{:トピック}}」として取り込もうということかもしれません。でも、そうだとすると今回0null0さんが心配する点については改善されないので、このアイデアを次のように解釈してみました(モルフォチョウさんの意図もこちらのほうかもしれませんね)。つまり、「トピック」という名前のページは曖昧さ回避のページとしておいて、代表的なトピックを解説するページの名前は無理にでも分野名をつけて「トピック_(分野)」としておきます。こうした上で、「トピック」というページの中で、曖昧さ回避ための水先案内のあとに、「このうち、***については以下でも解説する{{:トピック_(分野)}}」として取り込もうという具合です。こうすれば確かにいいことづくしですよね。皆さん、いかがでしょうか。--へのいち 2008年3月15日 (土) 16:47 (UTC)[返信]

地道なメンテナンスしている人はいると思うんですがね~。そしてそういう活動をしている側から意見しているんですがね。先日もカレーにリンクミスみつけましたけど、発見したときは案の定といった感じです。予想通り。現状はあきらかにリンクミスを誘発するだけで、今後もどんどんと不適切なリンクが発生し続けるであろうことを予言・断言しておきます。0null0 2008年3月10日 (月) 18:16 (UTC)[返信]

へのいちです。Balmung0731さんのご意見がいまひとつつかめません。0null0さんのご提案のように「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を廃止すると、リンクのメンテナンスに関してどんなデメリットがあるのかを改めてご説明いただけないでしょうか。どうもこれまでのご意見を読む限り、「面倒くさいメンテナンスを押し付けて、机上の空論ばかりいっている」という印象にもとづいた感情的な反発ばかりが目立って、実際にどんなデメリットがあるのかがはっきりしていないように思います。で、0null0さんのこれまでの活動暦をご存じないようなので残念ですが、0null0さんは面倒くさいメンテナンスを率先して引き受けてくださっているかたですよ。--へのいち 2008年3月11日 (火) 08:04 (UTC)(敬称落ちを補いました。Balmung0731さん、大変失礼いたしました。--へのいち 2008年3月11日 (火) 08:52 (UTC)[返信]

では、ちょっと私の意見を整理します。感情的に映る面も多々あったようなので、できる限り冷静に。それから、長い文を書くと支離滅裂になりがちなようなので、区切って説明することにします。
  • まず、大前提。Otherusesや山手線方式の曖昧さ回避が設置されているページへの0null0さんの言うところの「ミスリンク」と、私がこだわる曖昧さ回避ページへのリンクはどちらも「不適切」という点では同じであり、リンクをクリックした読者をがっかりさせるには十分なものだと考えています。
  • ところで、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを作成したり、そのページ名を変更したときには、リンク元をすべて修正するという一文があるのはご存じでしょうか?現在Otherusesなどが設置されている主要記事を曖昧さ回避ページへ変更した場合、可及的速やかにここへリンクされているすべてのリンク元を修正する必要が生じます。ここでいくつかの問題が生じます。
    • リンクの修正にあたってボットは使用できません。ミスリンクごと修正してしまっては、更にミスリンクを見つけ出しづらい状態に陥ってしまいますので、「どれが修正可能で、どれをミスリンクとして曖昧さ回避ページへのリンクとして残しておかなければならないか」と適宜判断する必要があり、機械的な修正がしづらいという問題。100や200なら1人でもできるとしても、500とかになるとさすがに誰かの手助けなしには修正しきれないでしょう。
    • この一文は公式な方針の一部であって、守ったり守らなかったりするのは可能な限り避けなければなりません。しかし、方針文書の内容が執筆者全員に必ずしも行き渡っていないのはみなさんご存じのとおりです。0null0さんやopen-boxさんのようにメンテナンスを真面目に考えている人は間違いなく、もちろんわかる範囲で修正してくれると思いますが、「他の人がやっているから私も手助けしてあげよう」という善意で主要記事を曖昧さ回避ページへ変更し、リンク元の修正が必要なことを知らずに曖昧さ回避ページへのリンクを放置してしまうケースが考えられます。こうなってしまうと、主要記事へリンクしていたもののうち何割かの「正しかったリンク」は全部不適切なリンクへ変えられてしまうわけです。これでは、変更前よりも悪い状態になってしまいます。これを「何年かかかってそのうち誰かが修正」というのでは時間がかかりすぎてしまい、どこをクリックしても曖昧さ回避ページという状態も決して大袈裟な話ではないと思います。
      しかも、こういったことは実際に起こっています。沖縄がその典型です。突然記事だったものが曖昧さ回避ページへ変更され、2,000にも及ぶ曖昧さ回避ページへのリンクが残されました(私がメンテナンスしたので今は半分くらいになってますが)。これと同じ事態が起きるのを私は懸念しているのです(この際、曖昧さ回避ページ設置後に新しく増えてしまうリンクは致し方ないとして)。open-boxさんは「今あるものは変更を急がなくてもよいのでは」とおっしゃられています。これには私も賛成です。しかし、これがウィキペディア全体の動きとなったとき、適切な曖昧さ回避ページの設置をしてくれる人ばかりとは限らないのです。Wikipedia:曖昧さ回避は公式方針ですから、Otherusesや山手線方式を廃止するとなれば方針にも手を加える必要が出てきます。方針変更後にOtherusesを見つけたある執筆者が「公式方針に則るとこの記事は間違っている、即座に修正すべし」と拙速な判断がなされる可能性も十分にあるわけです。で、リンク元の修正は放置となる可能性は十分にあります。新しく作るよりも今ある物を変更するほうが簡単ですから。「今あるものは変更しない」という合意がなされていて公式方針に明記されたとしても、それが全員にまで浸透するには長い時間が必要です。open-boxさんによればOtherusesを使用しているページは2万ほどあるそうですから、これをみんがよってたかって曖昧さ回避ページへ変更すると混乱が起きるだろうと思うのはopen-boxさんのご指摘の通りだと思います。
  • Otherusesについては、カテゴリやテンプレートの呼び出し元をたどって修正するのであれば、クリック数回の差ですので、「発見、修正が困難」とまでは言えないと思います。少なくとも手段はあるわけですから。曖昧さ回避ページへのリンクが全件修正できるとは限らないことは上でも述べているとおりですが、曖昧さ回避ページへのリンクはどちらかと言えば労力さえかければ減る方向ですが、主要記事へのリンクはウィキペディアが大きくなればなるほど増える一方でミスリンクを発見するのが徐々に難しくなっていく傾向はあるでしょう。しかし、厳然たる主要記事が存在するケース、例えば、人名や地名にちなんだ船名などは、その人物や土地が存在しなければありえない船名であるわけで、人名が主要記事になり得ますので、Otherusesを廃止するのは事実上困難と言えるでしょう。
  • 山手線方式については、現時点ではカテゴリや呼び出し元を走査するなどの横断的な手段で発見する方法が見あたらず、メンテナンスを困難にしているのは得心がいきました。これについては廃止の提案をしてもよいと考えます。曖昧さ回避ページへの変更は上記の理由で賛成は致しかねます。山手線方式を採用しているページがそれほど多くないとなれば話は別ですが、実態を把握しにくくしているのが山手線方式の問題点だというのはopen-boxさんのご指摘のとおりですので、曖昧さ回避ページへの変更は慎重を期すべきです。
こんなところですが、多少はデメリットをおわかりいただけましたでしょうか?0null0さんがご指摘のカルメンについては別途改名を提案されるなどしてはいかがでしょうか。カレー問題は、カタカナとひらがなと漢字とアルファベットまで使い分け、しかも原語のスペルがカタカナにするとわからなくなってしまうという日本語ならではの問題ですので、それはともかく、カルメンについては曖昧さ回避ページであってもよいと思います。--Balmung0731 2008年3月11日 (火) 13:25 (UTC)[返信]
へのいちです。改めて説明の労をとっていただき、Balmung0731さん、どうもありがとうございました。今度のご説明を読ませていただいて、Balmung0731さんのご懸念はおおむね理解できた気がします。それとは別に、Balmung0731さんが誤解なさっているふしも感じられたのでまずはその点を確認させてください。
誤解なさっていると思うのは、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」(山手線方式やOtherusesのページがそうです)が問題である理由を、ウィキペディア全体の中からそれらのページを発見するのが困難だからだとお考えのように見受けられる点です。これらのページが問題である理由は、そのページに集まるリンクたちの中に、正しいリンクと的外れなリンクが「混在している(やがて混在するようになる)」からです。
さて、Balmung0731さんのご懸念のうち大きなものは、この提案に従って現に存在する項目を曖昧さ回避のページに置き換えることで発生する膨大な修正作業をどうするのか、という点であることはわかりました。この点については、Balmung0731さんご自身も、open-boxさんも仰っていますが、現にあるものは当面いじらないようにしてもいいでしょう。0null0さんによる説明文はいささかわかりづらかったと思いますが、もともとのこの提案は、「現にあるものはしょうがないとしても、せめて今後は、代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を作らないようにしよう」というものだと受け止めていました。(0null0さんには失礼なことを言っていますが、ご勘弁を。)そうでなければあまりに非現実的ですから。で、この点についての懸念が払拭されれば、この提案に強く反対する理由はなくなるのですよね?
あと、「厳然たる主要記事が存在するケース」についてですが、たしかにそういうケースはありますね。私は上のほうで、「(あるトピックがその名称を)代表する度合いなど測れるはずもない」と書いたのですが、仰るようなケースについては代表しているといえる場合もありそうですね。そういうものは例外としてもよいのではないかと思いました。
あと、蛇足なので小さく書きます。上のほうでのやり取りがどうもかみ合わない様子だったのには、語句の曖昧さがひとつの要因になっていたように思います。一例として、「曖昧さ回避」という言葉が「“トピック_(曖昧さ回避)”という名前のページ」/「“トピック”という記事名だが実は曖昧さ回避のための索引になっているページ」/「曖昧さ回避のカテゴリに登録されているページ」などのいろいろな意味で使われていたように見えます。この説にご納得いただけるのなら、上のほうのやり取りを少し修正していただくのもありかなと思います。と、曖昧さ回避についての議論の中で曖昧さを回避しなければいけないなんて面白いなと思っただけです。--へのいち 2008年3月12日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
こんにちは。Balmung0731です。しばらく出張などで編集から離れていました。
さて、誤解は特にしていないと思います。0null0さんのご提案は大量にある主要記事へのリンクの中に混在している間違っているリンクを探すのが大変だから曖昧さ回避ページを主要項目としよう、という提案ですよね。また、後から増える混在を食い止める方法もいまのところはないと。open-boxさんさんはそもそも不適切なリンクをされがちな記事を探すのが曖昧さ回避ページに比べるとOtherusesや山手線方式のほうが手間がかかり、特に山手線方式はカテゴリ化されていないので山手線方式が一体どの記事で使われているかすらわからない、という点を指摘されていて、実は論点は2つあります。open-boxさんはリンクを張り替えるという作業そのものは主要記事であるか曖昧さ回避専用ページであるかに関わらずリンク数が同じであれば等価としているので、0null0さんとopen-boxさんでは問題としている箇所が少し違うような印象を受けます。それをいっぺんに話せば混乱はしますよね。
私の理解力が不足しているかもしれませんが、0null0さんの提案では現在設置されているOtherusesには手を加えないというようには解釈できなかったので、今あるOtherusesや山手線方式をすべて曖昧さ回避ページへ変更したい、という提案だと思っていました。仮に、「新たに設置するものは」という限定した話であるとしても、もともと赤リンクだったものが曖昧さ回避ページを設置したことで青リンクになったなら、別の意味で張られたリンクをそれぞれの誘導先にリンクを張り替えておく必要があります。このへんの作業が的確に行われるなら特に異論はないのですが、なかなかその具体案が出てこないので「疑問が払拭できない」ということで反対しています。提案には実際に行うにあたって解決すべき問題点とその解決方法を示してもらわないとなかなか賛同は得られないと思います。理論上辻褄が合うという提案の良い部分だけをアピールするだけではなくて「どうやって?」という実行上の部分もアピールしていただかないと、「机上の空論」と言わざるを得なくなります。
また、「厳然たる主要記事が存在するケース」があるのには一定のご理解をいただけたと思いますが、こういった例外もあることを踏まえると曖昧さ回避ページに一本化してもところどころOtherusesを使うべき、という議論も起こるので、結局のところ「適切なものを選ぶ」ということに落ち着いてしまうのでは、とは思います。Wikipedia:曖昧さ回避を見直して「曖昧さ回避ページを設置するケース」と「Otherusesを設置するケース」をもっと具体的に区別しないと最終的には編集した人の好み、になってしまうケースは今後も避けられないと考えています。また、曖昧さ回避ページを設置してもOtherusesのほうが適切だと判断されれば即座に(あるいは改名提案や移動依頼を経るとしても長くても2週間もあれば)変更できてしまうのがウィキペディアの特徴ですので、Wikipedia:曖昧さ回避に手を加えずに慣例として実施するのも無理なのではないか、とも思っています。Wikipedia:曖昧さ回避に手を加えるのか加えないのか、という点も実行上考えなければならない問題です。--Balmung0731 2008年3月22日 (土) 03:40 (UTC)[返信]

ひとつうかがいますが、他国語版ではこの問題の扱いはどうなっているのでしょうか?他国語版との調和を必ず図らなければならないとは思いませんが、このような問題は言語の違いに関係無く生じているでしょうし、方針なり議論なりもあるでしょうから、参考にしてみてもよいのではないでしょうか。Anton21 2008年3月17日 (月) 11:32 (UTC)[返信]

へのいちです。なるほどおっしゃっるとおりですね。語学堪能であったなら調べてみたいところですが... Anton21さんはいかがですか --へのいち 2008年3月18日 (火) 12:12 (UTC)[返信]

へのいちさんがWikipedia‐ノート:曖昧さ回避で案内されていたので、このような議論が行われていることを初めて知りました。本件はWikipedia:曖昧さ回避の修正についての提案なので、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避に移動して議論した方がよいのではないかと思います。Wikipedia:井戸端の冒頭でも、「個々のページについての意見や質問」は「そのページのノート・コメント依頼」でするように案内されています。 --Xymax 2008年3月17日 (月) 12:30 (UTC)[返信]

へのいちです。(インデントを直させていただきました)「個々のページについて」という注意書きの意図するところは、「その影響が個々のページにとどまるものであれば」ということだろうと思っています。この件は非常に広範囲に影響するので、場所は井戸端のほうが適切だろうと私は思います。ただ、サブページ化されてしまっているからなのか、いまひとつ目立っていないようですので、あちらに案内を出した次第です。お越しいただいてありがとうございます(これはAnton21さんにもですが)。--へのいち 2008年3月18日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
ここでの議論は全てWikipedia:曖昧さ回避に関するもののように思えます。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避での議論になじまないような広範囲への影響があるのなら、具体的に挙げてください。--Xymax 2008年3月18日 (火) 12:56 (UTC)[返信]
へのいちです。えーっと、仮にWikipedia:曖昧さ回避が変更されれば、たくさんある曖昧さ回避のためのページや、現状では「代表的なトピック」となっているページ、さらに、これから作られるそれらのページがすべて影響を受けるものと思われます、いかがでしょうか。--へのいち 2008年3月18日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
何か根本的な誤解をされていませんか。「たくさんある曖昧さ回避のためのページや、現状では「代表的なトピック」となっているページ、さらに、これから作られるそれらのページ」に適用されるルールを定めているのがWikipedia:曖昧さ回避であり、そのルールについて話し合うためにあるのがWikipedia‐ノート:曖昧さ回避です。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避でこれまでどのような議論がされているかを確認してみてください。--Xymax 2008年3月19日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
どっちで議論してもそれほど問題ないと思うのですが、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避が良いという意見があるならばWikipedia‐ノート:曖昧さ回避に移ってしまっても良いようには思います。--iwaim 2008年4月24日 (木) 16:14 (UTC)[返信]