Wikipedia:井戸端/subj/出典における「当該分野の非専門家のもの」と、文脈における「信頼できる情報源」の判断について
表示
< Wikipedia:井戸端 | subj
|
出典における「当該分野の非専門家のもの」と、文脈における「信頼できる情報源」の判断について
[編集]出典における「当該分野の非専門家のもの」と、文脈における「信頼できる情報源」の判断について、皆様のご意見を募りたいと思います。--みしまるもも(会話) 2021年8月25日 (水) 08:46 (UTC)
- それに関して、私は、「「非専門家のもの」という判断自体も、ウィキペディア執筆者それぞれによって考え方が定まるものではないので、やはり除去する前には、ノートなりで事前に告知や議論をし合意を取るなどするのが本筋ではないか」と思っております。(「利用者‐会話:TEN#「当該分野の非専門家のもの」とは」も参照)
- 例えば、文学分野では、映画やサブカルチャーなどと、作家の作品によっては哲学や政治なども関連してきますし、歴史分野でも、民俗学、人類学、考古学とかも関係している場合もあると思います。なので一概に「当該分野の非専門家のもの」は除去といっても、その判断基準は、人によって曖昧で幅があるように思います。
- 記事の主要説明などはしっかりした専門的な出典で編集されるべきですが、節によっては、「○○学の○○によれば、」のような但し書きを付した上で、文脈的に出典として許容できるものもあるかと思うのです。
- また、「専門家」の選別も、その人の主要なジャンルを越えて専門的にあるトピックを研究している場合もあるので、そうした研究者の著書を、「当該分野の非専門家のもの」だから瞬殺で除去という判断も、人によって恣意的に選別可能な面も否めないと思います。
- (2) それから、ノート:欠史八代では、その他にも、「信頼できる情報源」に関して、私とTENさんの認識が違うものもありました。
- 例えば、定義文のところでTENさんは1993年(平成5年)の出典を付けて、「現代の」という書き出しでAのように書いており、Bでは、「定説として受け入れられている」という文脈に、第三者的立場の出典ではなくて、非実在説の人物である直木孝次郎の出典が使用されています。私としては、こういう出典の使用法は、「信頼できる情報源」としてあまり適切ではないのかなと思います。
- A
現代の歴史学ではこれらの天皇は実在せず後世になって創作された存在と考える見解が有力であるが[1]、
- B
そうした、出典における「当該分野の非専門家のもの」(1)と、文脈における「信頼できる情報源」の判断(2)について、皆様から様々な観点の見解など幅広いコメントをお待ちしております。--みしまるもも(会話) 2021年8月25日 (水) 08:46 (UTC)
関連リンク
- 利用者‐会話:TEN#「当該分野の非専門家のもの」とは
- ノート:欠史八代
- 利用者‐会話:TEN#朝鮮の歴史での編集について
- Wikipedia:コメント依頼/TEN - 依頼者はABCEditさん
- Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない
皆様のコメント
[編集]- 流石に30年弱前の出典で現代のというのはどうかと思います。そもそも、現代のという表現自体があまり好ましいとは思えません。また、非実在説の人物ではなく第三者的な方の出典がベストなのはそうだと思います。--S.S.E.H.(Talk/Contribs 2021年8月26日 (木) 04:16 (UTC)
- 扱っている事柄がノート:欠史八代やWikipedia:コメント依頼/TEN での議論内容と同一で、改めてここで議論しなくても良いのではないでしょうか。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2021年8月26日 (木) 06:20 (UTC)
- 欠史八代に関する議論は現在進行中であり、本件に関わる一連の議論の場が拡散しすぎているのではないかと私も懸念しています。--LABE(会話) 2021年8月26日 (木) 06:58 (UTC)
- (伊佐坂安物さん、LABEさんへ)ここは「議論の場」ではなくて、より広く様々な観点のご意見を募るための場です。また、ノート:欠史八代やWikipedia:コメント依頼/TENでの議論では、(1)の「非専門家」に関する見解は行なっておりません。これは他のジャンルに関係する一般的なことでもあるので、広く皆さんの見解を聞くことは大事なことです。また、(2)も、TENさんと私だけだと煮詰まってしまいますし、コメント依頼も大体決まった人だけが集まっているだけなので、こうした井戸端で多角的な意見を聞いてみたいのです。--みしまるもも(会話) 2021年8月26日 (木) 07:07 (UTC) ナンバリング調整--みしまるもも(会話) 2021年8月26日 (木) 07:30 (UTC)
- みしまるももさん (1)にあるTENさんのこのご発言について、みしまるももさんによれば「TENさんは「当該分野の非専門家のもの」は議論なく除去してもよいというお立場です」とのことですが、TENさんは「他のジャンルに関係する一般的なこと」ではなく欠史八代という特定の記事の編集に関して述べられたのではないかと私は感じます。(2)については、「文脈における」とおっしゃる通りまさに個別の記事に関する議論に思えます。よって、私がこれらの是非についてコメントを寄せる際はノート:欠史八代に伺うつもりです。--LABE(会話) 2021年8月26日 (木) 08:05 (UTC)
- コメント 大筋でLABEさんと同感で、「欠史八代に関して」という文脈に限定して議論なさったほうがよいと思いますよ。一般化しての議論には無理があります。--柒月例祭(会話) 2021年8月26日 (木) 12:39 (UTC)
- (コメント)あくまで個人的な意見ですが、みしまるももさんと同様に「信頼できる情報源」の基準は人それぞれだと思っています。他者から見て「信頼できない」から排除するという姿勢は個人的に同意できないです。--ペン打ゴン(会話) 2021年8月28日 (土) 11:31 (UTC)
出典
[編集]- 木下礼仁『日本書紀と古代朝鮮』塙書房、1993年10月。ISBN 978-4-8273-1101-3。 - メインは古代朝鮮史の研究者
- 直木孝次郎『日本古代史と応神天皇』塙書房、2015年1月。ISBN 978-4-8273-1270-6。
便宜的に節内(サブページ内)の出典をひろうのは専用のTemplate:Reflist-talkを使用します。--Lingualatin(会話) 2021年8月25日 (水) 09:23 (UTC)