Wikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるのスレッドについての記事の必要性

「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要」か[編集]

とらとかぷのとほほ漫談準公式サイト)という、2ちゃんねるプロ野球板の5年間も続いている人気スレッドの記事を投稿したところ、削除依頼が出され、ほとんど議論されることのないまま「スレッドの紹介なんぞ不要」という意見の下に削除されました。私はこの期間ウィキブレイク中で、有効な反論を出すことのないまま削除依頼を通してしまったことを激しく公開しました。そこで、削除の復帰依頼を出してとらとかぷのとほほ漫談を復帰させるように依頼しましたが、そこでも「議論するまでもない」とか「これが復帰されたら2ちゃんねるのスレ全部項目にしないといけなくなります」という、本質を理解していない反対意見により、復帰されないということで終了してしまいました。

どうも「2chのスレッドの記事だから、すべて一律に不要である」という誤った解釈がまかり通っているようで気になります。私は「2chのスレッドといえども、特記する価値のあるものは記事にしてもよい」と考えていますが、そう考えない人たちがとらとかぷのとほほ漫談の削除依頼に賛成したようです。

しかし、よく考えてみると、これには「ウィキペディア日本語版のルールやガイドラインには、2chのスレッドのようなものの記事を一律に禁止する決まりがない」「2chのスレッドよりもマイナーな分野だと思われるもの(最近の新規記事でいえば、AV女優個人やイタリアの個々のコムーネなど)の記事は削除依頼されていないのに比べて一貫性を欠く」という問題があります。2chのスレッドは基本的にインターネットにつながっていれば誰でも見ることができます。アダルトビデオを購入しない普通の人には用がないAV女優、イタリアに行かなければ用がないコムーネの記事よりもはるかに需要が高いはずです。

確かに2chのスレッドの記事すべては必要ではないでしょう。しかし、記事として特記すべきものがあれば2chのスレッドであっても記事にすることは問題ないと考えます。「2chのスレッドの記事はすべて一律に不要」という意見は2chを過小視する偏見に基づくものであり、明白に誤りであると考えます。

とらとかぷのとほほ漫談については「5年間続いてきたという歴史がある」「準公式サイト(有志によるまとめサイト)も存在する」「プロ野球チームをアスキーアートにより擬人化するという、ほかのスレッドとは明らかに異なる特徴がある」という理由により、記事として残す価値があると判断し、記事を執筆しました。私は今でもこの判断は間違っていないと考えています。

「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要」と主張される方の意見と私の意見のどちらが正しいかを討論すべく、今回井戸端にて皆様の意見を募ることにしました。ぜひとも忌憚のない意見をお聞かせ願いたいと思います。--ハルノ アキハ 2006年11月30日 (木) 10:17 (UTC)[返信]

私はvirtualavenueにあったころからずっと2chを見ていますが、プロ野球板も、当該スレッドも、ただの一度も見たことはありません。ついでに言えば、「2chを見ない普通の人には用がないスレッドの記事」「プロ野球板に行かなければ用がないスレッドの記事」と考えられませんか?個人的には、電車男並みに知名度があれば、と思いますが(もっとも、電車男であっても、「スレッドの記事」は存在しません)現状で単独スレッドとしての記事を立てるのは、ちょっと厳しいんじゃないでしょうか。「続いている」「まとめページがある」ことが記事化の理由であるというならば、栃木ゲーセンスレッド(2000年7月20日より6年4ヶ月存続)なんて記事も、必要になってしまうんでしょうか。(vip由来のAA記事についてもそう思っています)
結論としては、百科事典として、スレッド紹介記事は馴染まないんじゃないかと思います。あと、ここは「日本語版」であって、「日本版」ではないので、コムーネ記事の不要性については全くの見当違いな意見だと思います。人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆AVJJBoyz.c
2ちゃんねるのスレッドの出来事は大抵そのスレッドの中で完結してしまいます。とほほスレで言えばまとめサイトはスレッド住人が作っていて外部の人が記述している訳ではありません。実際の所スレッド住人だけが理解できるという非常にローカルな世界だと思います。で、そのような世界をwikipediaに書くとなるとWikipedia:独自の調査wikipedia:自分自身の記事を作らないWikipedia:検証可能性などの理由から難しいと考えます。--はわわロボ 2006年11月30日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
私は2ちゃんねるにそれほど詳しくありませんし、当該スレッドがどれほど重要なのか存じませんが、少なくともこの件との比較でイタリアのコムーネを出すのは明らかに筋違いでしょう(他の方も仰るとおり「日本版」ではありませんし)。イタリア史上の人物記事を立てるときに、細かい地名記事などが既に立っていてくれると、イタリアに土地勘のない私などには大変に助かります。現地に行かなければ役に立たないなどというのは暴論ではないでしょうか。そしてそういう御認識を打ち出した上で当該スレッドの方が「はるかに需要が高いはずです」と仰られても極めて主観的なご意見にしか思えません。
そして、そういう主観的な御意見を振りかざしつつ、御自分に反対する意見を「本質を理解していない反対意見」と切り捨てようとするのは、コミュニティの他の参加者をあまりにも軽んじた御発言ではないかと思います。少なくとも本件の場合、削除依頼と復帰依頼という二度の手続きで存続支持の意見が一切出ていないわけですから、それは尊重されるべきだと思います。ゆえに現状ではスレッド単位での記事は立てるべきではない、ということなのではないでしょうか。--Sumaru 2006年11月30日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
だからいくら言っても無駄だっての。もっと他に切り込み方があるんじゃないの? プロ野球関連で思い浮かぶったら大ちゃん関連のスレだけど、これはプロ野球以外の板でも高い知名度を持っている。それですら単独項目がない現状で、プロ野球関連の板に行かない人間(自分も行かない)が聞いたこともないようなスレの項目なんて不要に決まってんだろ。ちなみに大ちゃん関連は、AAキャラとしての大ちゃんでスレの紹介がなされている。なお、自分が復帰依頼で意見を出さなかったのは、どうせ復帰になるはずもないと考えたから、何も言う必要もなかったため。当然のごとく復帰は却下されたしな。--Lonicera 2006年11月30日 (木) 18:38 (UTC)[返信]
必要かどうかという問題の立て方にかなりの疑問を感じます。あなたが必要ないと思うんだったら見なければいいだけの話じゃないでしょうか。そのような問題は謹んでいただきたい。 --†Mr.jack† 闇よりの使者 2006年11月30日 (木) 21:12 (UTC)[返信]
Wikipediaは百科事典であり、「あなたが必要ないと思うんだったら見なければいいだけの話じゃないでしょうか。」なんてのは通りません。まずWikipedia:基本方針とガイドラインを熟読してください。あと図書館に行って「本物の」百科事典をある程度利用されてから執筆することをお勧めします(これ結構重要)。言っておきますがガイドライン的には問題なくても書きたいけど涙をのんで書いてない記事なんて山ほどあります。--SeyfertSluw 2006年12月1日 (金) 01:47 (UTC)[返信]
あー。これは闇よりの使者氏の誤読、というかまぜっかえし。
「あなたが必要ないと思うんだったら見なければいい」というのは、こないだ闇よりの使者氏が「こんな項目はいらない」という主張をしたときにおれが言った説教だね。で、今回のはそれとは逆で、問題提起は「こういう項目を作らせてくれ」だからね。闇よりの使者氏のコメントがそもそも意味をなしていない(なので、Seyfertさんのコメントも道連れにされて意味をなしていない)。コメントする前にそこらへんはよく注意しよう。--Nekosuki600 2006年12月1日 (金) 02:25 (UTC)[返信]
えーと、「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要か」という命題の立て方をするならば、「一律に不要だとは思いません」と回答するしかないでしょう。誰も「一律に不要だ」とは言っていないと思う。
ただなんだな。にちゃんねるのスレッドの記事が書かれる場合、たいていはそのスレッドの参加者の手によって書かれることになると思う。そして、参加者は当事者だから、実際以上にそのスレッドが大きく見えているという傾向が強いんじゃないだろうか。結果として「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」が懸念しているような事態に陥る可能性が高いように思う。
おれは比較的その手の瑣末な事象の記事は許容するベクトルを持っていると思うのだが、現実問題「ひとつ許すと続出しかねないという懸念が強い」「これまでの経験から、百科事典的に丁寧にまとめた記事ではなくにちゃんねるノリの粗悪なものが多いと言える」というあたりから、にちゃんねるのスレッド記事についてはかなり高い敷居を設定しとく必要があると考えています。今回の記事は残念ながら見ていないし基本的に思い込みで語りたくはないので明記しておくが、あなたが書いた記事が粗悪なものだという予断は持っていません。しかしまあ、説明された程度の背景であるならば、「記事化するには有名性が足らないのではないか」という印象を禁じ得ません。申しわけないね。--Nekosuki600 2006年12月1日 (金) 02:38 (UTC)[返信]
主体をどこに置くかの問題だと思います。 西鉄バスジャック事件福岡猫虐待事件等を参考にすると、事件を主体として起因が2chのスレッドであると書かれています。これは問題ないでしょう。しかし2chであれどこであれ“スレッド”を主体に書かれる事は先ずありません。何故ならばスレッドとは誰もが自由に作り出せ、概念上でも「固定化」されていないからです。(この事はwikipediaに対しても言えます。新しく百科事典を作る際にwikipediaを主体とする事、wikipeiaとは~は書けてもwikipediaの項目を主体とする事、wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンスとは~は書けません。もちろん事象起因等として記載する事は出来ます)今、ぱっと思いつきで検索しましたが。私のスタンスで言えば侍魂に関しても同様にやや不適切な記事だと感じております。逆に個人的なものであってもちゆ12歳のように書籍化、法人運営化などの特筆事項があれば別ですし、内部リンク参照先として広く使われるのであれば大いに結構だと思います。ただし程度については毎回議論の必要があるでしょう。(以下戯言:5年間も続いている人気スレッドの記事を載せるなら、マ板の“お前のバグだろゴルァ”は業界風刺をAAで長年語られている特徴があるので載せてください。あるいは言語擬人化できたら載せてくれますか?)--Chiether 2006年12月1日 (金) 06:20 (UTC)[返信]
Nekosuki600さんの発言にとても同意します。Nekosuki600さんの意見が客観的に見て正しいと思います。--†Mr.jack† 闇よりの使者 2006年12月1日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
「普通の人には縁が無いから不要」といった考えには反対です。Wikipediaの記事のうち、鉄道、芸能、スポーツに関するものなど、興味の無い方には縁の無い記事ばかりですし、地理、歴史、数学といった分野ですら、ごく普通の人には用の無い記事が多く並んでいます。
日本の(あるいは世界の)大半の人が知らない事項であっても、ある程度多くの人にとって価値のある記事なら、それはWikipediaにとって価値のある記事だと考えております。
ただし「とほスレ」の記事にがこれに該当するのかは判断しかねます(復帰依頼でどなたかが仰っていた「ISBNも振られないような同人物の漫画や小説」と大して変わらないレベルだと推測していますが、実際の記事を見ていませんので)。
はっきり云えるのは、もし「2ちゃんねるプロ野球板内の歴史や文化」のほうが「イタリアの地理」よりも重要だと考える人々が増えれば、その時には「コムーネよりも、とほスレの記事のほうがはるかに需要が高い」とのご意見に賛同する方も多くなるはずだということです。そんな時代はおそらく来ないと思いますが。--B級へたれ 2006年12月1日 (金) 12:12 (UTC)[返信]

私は最初削除依頼を見て、「よくこんなわけのわからない削除依頼が通ったもんだ」って困惑し、憤慨しました。特にLoniceraさんの「しお韓ですら項目がないのに」(ハルノ注:「しお韓」は「ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー」という2ちゃんねる海外サッカー板のスレッドの略称)という意見を見て「それなら、なぜその項目を作らないのかと」思わず反論したくなりました。と同時に、「なぜほかにも不要と思える記事はたくさんあるのに、なぜこの記事はそれに先立って削除されたのか」という疑問が湧きました。そこで削除の復帰依頼をして私の疑問に対する「ちゃんとした答え」を得ようとしましたが、そこでの話でも、今ひとつ納得のいく答えを得られませんでした。そこで最後の手段として井戸端に出したのですが、これまでの話を総合すると、どうやら私の疑問に対する答えは「私の想像以上に2ちゃんねるは快く思われていない(ために不要とされたのだ)」であるということがやっとわかりました。

私はとらとかぷのとほほ漫談について、「ただ場所が2ちゃんねる内にあるだけで、やっていることは2ちゃんねるに出入りしている普通のプロ野球ファンがAA擬人化という方法を取ってスレッドを作り上げている」という解釈をしており、OSたんニホンちゃんなどの擬人化記事がある以上、とらとかぷのとほほ漫談もウィキペディア日本語の記事として成立すると考えていたのですが、ウィキペディア日本語版内での一般的な意見では「普通のプロ野球ファン」よりも「2ちゃんねらー」のほうが際立っており、それゆえにウィキペディア日本語版では受け入れがたいとされたということなのでしょう。

私としては「それなら、私の力でウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」と思うのですが、思うのは自由だとして、現在の結果は結果として受け止めるしかなさそうです。将来とらとかぷのとほほ漫談の記事がウィキペディア日本語版の中で受け入れられるように努力することを誓いつつ、私の疑問は解決したと皆さんに報告してこの節を締めたいと思います。異論がなければ1週間後の2006年12月10日に status=finish に書き換えます。ありがとうございました。--ハルノ アキハ 2006年12月3日 (日) 16:52 (UTC)[返信]

コメントですが、12月1日の通り、少なくとも私はそのような「個人サイト」は何らかの商業書籍、雑誌類に掲載されるレベルであれば載せても構わないと思いますが。確かに2ちゃんねる関連に対して快く思わない方もいらっしゃるでしょう(私は、その括り方が好きではありません)が、たとえ娯楽情報誌レベルであったとしても商業的に掲載されるレベルでなければ量や質がどうあれ、単なる野球ファンの個人サイトの粋を超えないと思っています。復帰依頼の結論とされた後に投稿された反対意見のように書籍化される必要はありませんが、まずは雑誌掲載レベルまでもっていくことだと思います。もちろん、あの議論の全体基調が「2ちゃんねるだから」「単なるスレッドだから」という表面上の議論に終わっていた事は私も遺憾ですが。おそらく言葉足らずなだけで、その裏には「雑誌掲載レベルまであるべきだ」という意見もあったのではないかと推測します。(でなければ、なんて感情的な意見だったことか)--Chiether 2006年12月4日 (月) 02:40 (UTC)[返信]
あわせて、少なくともこれを見られ削除議論に参加される方が不要論を出される際は「何が欠けているか」という事を出来る限りで構わないので述べるよう期待します(全て出せというわけではありませんが1つはあるはずです)。例えば、趣味のない人は行かないだろう。という意見は「趣味のない人でも閲覧するサイトであれば価値はある」と置き換えられます。つまりその人の考えでは「様々なジャンルが含まれているサイト」であれば項目作成の価値がある。と推測できます。推測の域は超えません、理由は「何が欠けているか」が明確でないからです。本当に欠けているならば問題ありませんし、欠けているとは思わない人がいれば反論が出るでしょう。それが議論だと思います(意見に対する賛否もできない単体意見だけで構成されるのは議論になっていないでしょう。もちろん議論にすらならないというケースはありますが)。--Chiether 2006年12月4日 (月) 02:40 (UTC)[返信]
「それなら、私の力でウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」←これは「絶対に」やめていただきたい。地位ってなんですか?根本的に「あなたの力がないと書けない」物は百科事典の項目としてはふさわしくありません(他の誰でもある程度かけるほど一般化されていなければなりません。またあなたが書いたからといって2ちゃんねるの地位〔に限らずあらゆる評価〕があがるなんてことはありません)。直接この場で2ちゃんねるを否定したりするわけではありませんが、インターネットの掲示板の内容とWikipediaは根本的に相容れない部分が多いのです。--SeyfertSluw 2006年12月4日 (月) 03:39 (UTC)[返信]
あーでも。春野秋葉氏の活動によって2ちゃんねるの地位が高まれば、マスメディアに、つまり社会的に高い地位で認められるので自動的にwikipediaでの地位も2ちゃんねるの項目に対して高まるでしょう。高まればいろんなサブ要素がマスメディアに取り上げられる事により検証可能な事実が多く含まれ、その結果として目的を達成できる可能性はあります。が、ウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位は上がりません。編集者に対して「2ちゃんねるは地位が高い」と意識づける事に成功したとしても、ウィキペディアは中立であり誰かが中立に戻すでしょう。無論ウィキペディアに直接働きかける事も遠慮願いたいと思います。(自分の利用者のページで語る分は私は構いませんが)--Chiether 2006年12月4日 (月) 07:00 (UTC)[返信]
どうでもいいですが(どうでもいいってこともないんですが)、単純に2ちゃんねるの中でもしお韓だのニホンちゃんだのよりはるかに無名なんじゃないでしょうか、このスレッド。それはさておき、「2ちゃんねるを利用する人」と「2ちゃんねらー」は根本的に別物だと私は思ってます。何でも俗化すれば堕落するとはよく言ったものですが。秋葉さん、2ちゃんねらーのあなたが勝手に全2ちゃんねる利用者を代表して捨て台詞を残すのはやめてください。あと、そんなに必要だと思うのならば、改めて記事を書いたらいかがでしょうか?とうてい必要とは思えない独自の研究だって残ることもありますからwwww 人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆8rbXq0kE 2006年12月4日 (月) 13:38 (UTC)[返信]
広く意見を求めたのであれば、その意見を誠実に受け止めるのが礼儀ではないかと思います。少なくとも、Wikipedia:独自の調査wikipedia:自分自身の記事を作らないWikipedia:検証可能性といった基本方針との整合性を根拠に挙げて懸念を表明なさっている方々がおられるのに、それらと向き合う御見解を示すことなく「2chが快く思われていない」からなどという感情的なレベルでの反対しか寄せられていないかの如くに話を矮小化するのは受け止め方としてどうかと思います。
付け加えるならば、コムーネの例という的外れな例、AV女優の例という単なる詭弁(あなたがそこで持ち出しているのは明らかに二重基準です)を持ち出したことに関する撤回も釈明もないまま、議論を締めたことも残念に思います。削除依頼や復帰依頼でコメントを寄せた方々を「本質が分かっていない」などと批判するのであれば、御自身の言動に対しても誠実な対応が求められるのではないでしょうか。そもそも当該記事自体の必要性を適切に示せるのであれば、ほかの削除すべき記事の例などを示す必要自体がないわけであって、しかもその挙げられている例が単なる詭弁であるとなれば、そんな詭弁を弄しなければ必要であることも示せないような問題記事だったのだろうか、と思われるリスクを生み出すだけで、例示は無意味どころか積極的に有害だったろうと思います。御参考までに--Sumaru 2006年12月4日 (月) 14:19 (UTC)[返信]

コムーネやAV女優は「無名だからといって記事にしちゃいけないってのはおかしいのではないですか?」という例として挙げているのです。だから、単に「無名なものであるにもかかわらず削除されていない例」として挙げているのであって、的外れとか詭弁とか二重基準とか言われるのはおかしいのです。次にWikipediaのガイドラインとの整合性ですが、Wikipedia:独自の調査は「実際にあるスレッドの説明」なので「独自の研究を発表している」わけではないし、Wikipedia:検証可能性準公式サイト や2ちゃんねるのスレッドに直接リンクすることで、Webを見ることができる人なら容易に検証することができますから問題ありません。Wikipedia:自分自身の記事を作らないについてですが、「自分自身」を「そのスレッドを見た人」と解釈すると記事が書ける人がいなくなってしまいますし、「そのスレッドに書き込んでいる人」と解釈すると「昔は書き込んでいたれけども今は書き込んでいない人は対象として適格か?」(私は少なくとも2か月以上「とらとかぷのとほほ漫談」のスレッドには書き込んでいません)という問題があります。客観的に記事を書くことができるのならば(そもそも、私はとらとかぷのとほほ漫談の記事を『客観的に』書くように努めていましたが)OKだと思いますが、ウィキペディア日本語版ではこれに対する議論は現在十分になされていませんので、大もめにもめることになるのは必至だと思われます。

また「ウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」というのは、「ウィキペディア日本語版の参加者や管理者に、2ちゃんねるに好意的な人が増えるよう努力したい」という意味です。2ちゃんねるに好意的な人が増えれば、そういう人たちは2ちゃんねる内のスレッドについても精通していると思われますから、必然的に各スレッドの知名度が増し、ウィキペディア日本語版の記事として受け入れられるスレッドの数も多くなっていくだろうと想像しているわけです。今回の件での最大の失敗は「知名度の低さ」を削除賛成や復帰反対の根拠とされたわけですから、知名度が増えればそうではなくなるだろうと判断したわけです。

最後に、私は勝手に全2ちゃんねる利用者を代表して発言した覚えはありません。あくまで私個人として反論していただけです。また、私の考えでは「2ちゃんねるを利用する人」と「2ちゃんねらー」は同一の概念です。新たにとらとかぷのとほほ漫談の記事を書かないのは、削除依頼で問われたのは「記事の存在自体」であって「元の記事の内容」ではないため、同じ内容の記事を再び執筆すれば再度削除依頼(あるいは即時削除)され、私が荒らしとしてブロックされる危険性もあるため、新たに同じ内容の記事を書き直すよりも復帰依頼を出して復帰させるほうが簡単だと考えたからです。以上を反論とさせていただきます。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 12:40 (UTC)[返信]

たとえばさあ。ニフティサーブのフォーラムの記事を量産するやつがいたとして、好感を持たれるであろうかと。まあなんだ、発足日・閉鎖日とか扱いネタの概要とか、ある程度以上の情報がきっちり集積されていればおれはあってもいいと思うけれども、基本的な感覚としては「ローカルな話はいらん」みたいになるんじゃないかなあ。にちゃんだからとかそういう理由 *だけ* で記事が歓迎されないのかどうかは、再考してみる価値があるかもしれませんよ。--Nekosuki600 2006年12月5日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
ノートページのほうに少々書きましたし、別件で申し上げたこととも重複しますが、アプリオリに御自身の認識を正しいとするのではなく、もう少しメタ認知の視点を意識なさる方がよいのではないかと思います。--Sumaru 2006年12月5日 (火) 14:38 (UTC)[返信]
新しく記事を立ててそれでブロックなり白紙保護なりされるのなら、それは単にwikipediaが執筆者としてのあなたを必要としていないからではないでしょうか。ご自分で2chペディアみたいのをmediawikiを使って立ててみてはいかがですか……って、2典がもうありますね。そういえば、しお韓もニホンちゃんも載っているようですが、そのとほほなんとかというスレッドは2典にも載ってないんですね。身内にとってもマイナーなスレが、どうしてコムーネより有名だと思われたのか、疑問です。少し頭を冷やさないと、「これだから2ちゃんねらーは」と、結局秋葉さんが2ちゃんねるの地位を下げるはめになります。ご注意ください。あと、どうも秋葉さんは、「wikipediaでは2ちゃんねらーは迫害されている、市民権がない」と思われているようですが、Template:User 2chTemplate:User no2chのどちらの使用者が多いか、数えてみてください。さて、あんまり余計なことを書くと、何が起こるかわからないのでこの辺で。人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆8rbXq0kE 2006年12月5日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
瑣末なことですみません。確かに2典にはとほほ漫談関係の項目はありませんが、AA大辞典(仮) にはとらくん&かぷくん を始めとしてとほほ漫談に登場するいくつかのAAが掲載されています。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 16:32 (UTC)[返信]

お詫び[編集]

節を区切ります。上の節や、ノートで皆さんからのご意見を受け、私は熟慮した結果、以下の結論に達しました。

私は「2ちゃんねるのスレッドの記事よりも不要な記事の例」としてAV女優やコムーネを挙げましたが、それは「人目への触れやすさ」という観点で発言しており、それにとらわれるあまり、皆さんの主張の根幹となっている「百科事典としての記事の有用性」という観点から完全に外れた話をしてしまっていました。また、AV女優やコムーネの例示自体に根本的な欠陥があり、その例示が全く不適当なものであったばかりか、私は「私によって『不要な記事』と名指しされた記事」にも執筆者が存在することを忘れ、その人たちに対する侮辱ともなりかねない発言をしてしまいました。同様に、上の節で復帰反対の意見を述べた人たちに対しても、「本質を理解していない」などという、誤りであり、かつ侮辱ともなりかねない発言をしてしまいました。

私は上記3件について自分の非を認めて謝罪し、お詫びいたします。また、今後はこのような過ちを起こさないことを固く誓います。申し訳ありませんでした。

なお、失礼ながらとらとかぷのとほほ漫談の記事を諦めるかどうかにつきましてはもう少し考えさせてください。8,000バイト台の記事だったので、一夜にして削除されたショックから立ち直れず、もう一度同じ内容の記事を最初から書きなおす気力が湧きません。なので私は新規書き直しよりも復帰のほうを望んでいます。ただ、削除された記事の内容は客観的で特定の観点に偏ったものでないと断言できます。その証拠を皆さんにお見せできない(下書きのバックアップ等は一切残していません)のが残念でなりません。無理だとは思いますが、もし記事の一時復帰という手段が取れるのならば、ぜひ皆さんに見てもらって必要か不要かの判断をしてもらいたいと思います。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 18:12 (UTC)[返信]

とらとかぷのとほほ漫談というスレッドは存じ上げないのですが、スレッドをwebサイトと考えるとすれば、少なくてもwikipediaに記事として掲載されている個人webサイトと同レベルの知名度がなくてはいけないと思います。(それと同レベルの知名度であったとしても記事として不当となる可能性もありますが)2ちゃんねるでも、有名でないサイトのリンクを張ると「宣伝だ」などと非難を浴びるというのを聞きますが、今回の件もそれと同じようなものではないでしょうか。そのスレッドの知名度が上がってから、再度井戸端などで相談してから記事を作成することが良いと思います。そうすれば、皆の反応も違うかもしれません。Frame 2006年12月9日 (土) 00:48 (UTC)[返信]
記事は削除されているので見ることができませんし、井戸端での議論は事実に乏しい。ただ、当該記事のノートで議論がなされていないことだけは確認できました。さて、削除理由は「知名度が低いこと」だそうですが、これは削除理由になり得るのでしょうか?Wikipediaは紙の百科事典と違い、掲載できる情報量に上限はありませんし編集者は大勢います。記事を減らす理由は無いはずです。今回の決定が正しかったかどうかは確かめる必要がありますが、例えどんなに知名度が低いものの記事でも削除ではなく他のページに統合するべきでしょう。正式に採用される予定ではないようですが参考までにWikipedia:著名性のページもご覧下さい。--ハッカ飴 2006年12月13日 (水) 13:56 (UTC)[返信]
私も削除ではなく統合でよかったと思います。2ちゃんねるには各掲示板の記事があるので、そのスレッドがある掲示板の項に追加して、その後、その項の量が増えたことでの分割であれば今回のような件は起きなかったでしょう。ただ、知名度の低いWEBサイトやWEBコンテンツの記事の作成には反対です。知名度の低いWEBサイトの掲載を許せば宣伝行為が起きてしまうからです(知名度の低いWEBサイトはその関係者以外が記事を作る可能性が極めて低い)。宣伝行為になりえる事柄に関しては慎重にあるべきです。Frame 2006年12月15日 (金) 00:26 (UTC)[返信]

全体を読んで感じたことです。しばしば思うのですが、何故「一律に不要or必要」というデジタル的な考えしか出来無い方が多いのでしょう。自分は2ちゃんねる関連だろうとAV関連だろうとコムーネだろうと、「あっても良い」と思っています。少なくとも「俺には不要」は「事典にとっての必要性」とは無関係です。話の挿げ替えだと言われるでしょうが、そうしたデジタル的な二元論的な判断は、「『吾輩は猫である』や『羅生門』があるのだから小説は全部項目にして良い」等と言っているものと同義です。2ちゃんねる自体が余り良いイメージを有していないことから、これらに絡んだ項目が歓迎できないムードは理解しますが、これもまた「事典に必要か不要か」とは別の話です。

  • 「俺には必要ないから不要」「俺には好ましくないから不要」は主観です。ウィキペディアは1人のためにあるものではありません。
  • 「○○絡みの項目だから不要」「過去に削除されているから不要」は本人の理由が存在しません。ある意味、責任逃れとも言えます。
  • 「知名度が低いので不要」「聞いた事も無いから不要」はグレーゾーン。自分が知らないだけかもしれません。自らを客観視して要検証。
  • 「多くがそのように考えているから不要」もグレーゾーン。その“多く”が大抵の場合は自分の身の回りを指していることに注意。同派の見識を持つ人が集まるのは当然です。自らを客観視して要検証。

これは逆もまた然りです。

  • 「俺に必要だから存続」「俺に好ましいから存続」は主観。自分のサイトでやれば良し。
  • 「○○絡みの項目だから存続」「過去に存続例があるからこの項目も存続」は理由無し。責任逃れ。
  • 「知名度が高いから存続」「よく知っているから存続」は自分が知っているだけかもしれない。出典、検証の可能性を確認。
  • 「多くが賛同するから存続」は自らに同派の者が集まっている可能性を検討。ただし削除依頼の議論においてはまず問題無いでしょうが…。

--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月17日 (日) 08:37 (UTC)[返信]