Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/上山寺 20211029

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選考終了日時:2021年11月12日 (金) 13:55 (UTC)2021年11月26日 (金) 13:55 (UTC)

  • 賛成 保留:よく纏まっていると思います。細かいことですと、以下のようなことが気になりました。
  1. 歴史節の「創立当時は信仰者が多く」、上山地区に残る上山寺の痕跡節の「寺の全盛期」という記述は、何時のことなのか、あいまいですし、あえて書かなくてもいいかと思います。
  2. 歴史節の「近代には、戦時下の供出命令により」。「戦時」はWP:JPOVですので、初出時は太平洋戦争なり、第二次世界大戦などと記してください。そう書けば「近代」は不要でしょう。
  3. 上山地区に残る上山寺の痕跡節の「南東に進むと右側に」や「さらに進むと、T字路にあたる」との表現が出て来ると、簡単で良いので地図が欲しいと思います。
  4. 文化財節の「仏像、宝物、板絵など」、「寺宝…その他の文化財」と出て来ると、「宝物」や「寺宝」の語が何とも不安定に感じます。無理にカテゴライズしなくてもいいのでは。
  5. 十一面観音の「前立」は、頭頂の十一面の事で宜しいでしょうか。秘仏に対する前立ではないと思いますが。
  6. 五輪塔の「とくに優美な造形を備え」は、出典にそう書かれているのでしょうか。
  7. 行事節の「無住となってからは行われていない行事もあるとみられる」は、WP:NORでしょうか。各行事に出典を挙げているのですから、それが存続しているか否かは、漱石の猫さんが担保する必要はありません。
  8. 最後の小字節は、特に掲載する必要は無いと思います。このレベルを望む人は、自ずから角川地名辞典を引くでしょう。

以上です。--Falcated会話2021年11月10日 (水) 14:52 (UTC)[返信]

  • 賛成 この寺院、また集落の歴史について、写真も附してよくまとめられていると思います。末尾の小字節についてFalcatedさんから御意見がありましたが、「上山地区に残る上山寺の痕跡」節でも触れられている通りに寺ノ奥、寺ノ下、十三仏、寺尾、堂ノ上など寺の存在を思わせるものが多くあり門前町としての歴史を示すものとして参考になることからも、削る必要はないかなと個人的に思いました。--灰色の海会話2021年11月11日 (木) 22:55 (UTC)[返信]

返信  みなさま、お読みいただき、建設的なご意見をありがとうございます。とりいそぎ、Falcatedさんのご質問に回答します。

  1. なにぶん文献がほぼ残っていない古寺の中世以前のことですので、年代がはっきりしませんが、宗教と信者の関係を無視して遺構だけ紹介するのも片手落ちな気がしますもので、このあたりは文献の記述のまま記載しています。
  2. 残念ながら文献でも「戦時下」としか書かれておらず、どの戦争の時点での供出なのかはっきりしないのです。周辺地域の寺の歴史と比べても常識的に考えれば第二次世界大戦であろうと思うのですが、私の憶測で断定してしまうのもよくないのではないかと思い、ざっくりした書き方をしていました。今週末にこの文献の著者や地元の方と会う予定がありますので、確認してみます。
  3. 文献にある地図もOSMの地図もだいぶざっくりしているので、正確に位置情報を反映するのは難しいのですが、現在地区の施設がある門ノ坊跡と、ざっくりした位置関係くらいでしたら絵図化できると思いますので、取り組んでみようと思います。ちょっとお時間をいただきます。
  4. 寺院用語には明るくないのですが、以前に別のお寺の方より、文化財がいろいろあるなかでも寺宝はまた指定文化財というようなものとは(お寺的に?)別格だ、というような話を聞いたことがあり、なんとなく文献で「寺宝」とあるからには分けて書いたほうがいいのかな?と分けてみています。私自身はっきりとは理解していないあたりなので、不自然であれば修正いただければと思います。
  5. 仏像用語にも明るくないので、『上山寺の文化財』15頁の「前立木造十一面観音菩薩立像」とある写真をみても、どこがどう「前立」なのか私の知識では説明できませんので、文献にある通りに記載していました。ただ、今回改めて手元にあったいくつかの文献を読み直しますと、「前立像」と記載されている文献もあり、別の物(時代の異なる木造十一面観音菩薩立像が2体ある?)なのかなという気もいたします。近日中にこれを常設展示している資料館に行く予定がありますので、学芸員の方に確認したうえで適切に修正したいと思います。五輪塔についての表現は文献通りで、引用すると「上山寺に数多い石塔のなかでも最も優美なもの[1]」とされています。
  6. ここは近隣の方にお聞きしたお話をもとにしていますので、Wikipedia方針的には独自研究かもしれません。ただ、こうした民俗行事は、途絶えていたものが復活する時は記録に残りますが、途絶えるときは往々にして記録に残りません。出典は住民への聞き取り調査をまとめた記録ですが、そこにはいつ頃の話か行事かという年代は書いていないので、出典の通りこういう行事があるという記述だけに留めてしまうと、とうに廃れた行事が今も続いているような誤解を招きます。行事の内容と集落の規模をみれば普通に疑ってほしいところですが、書かれていることをそのまま素直に信じてしまう人もいらっしゃいます。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/網野町三津 20210709でも漁業の現状について同様の問題がありましたが、他の編集者の方のご意見もふまえ、聞いただけの話は本来はWikipediaに書くべきではないものとはいえ、無いものが有ると誤解を招いてしまうよりはよいと思い、記載するようにしました。
  7. 小字は寺記事には本来不要かもしれませんが、灰色の海さんも仰いましたように、上山寺の場合は小字に寺の関係地名が多数残っていること、その点について前述にも小字が度々出てくることから、関連があると考えました。また、小字の数や名称がある程度は往時の門前集落の規模を推測する材料になることから、Wikipediaには文字数の上限もないことですし、記載しています。

ひとまず、以上です。今週末は別件多忙のため少しお時間をいただきますが、選考結果に関係なくブラッシュアップできる情報に接すれば、随時ブラッシュアップしていくつもりですので、お気づきのことがあればまたご指摘いただければ幸いです。--漱石の猫会話2021年11月12日 (金) 10:47 (UTC)[返信]

コメント :漱石の猫さん お返事ありがとうございます。一つだけ言わせてください。6.の「独自研究」ですが、やはりこれはJawpのポリシーに則り、書くべきではないと、私は考えます。ではどうしたら良いのか。そちらの博物館の紀要なり、何らかの学会誌に調査報告を投稿し、掲載されたものを引用すればいいだけのことです。「書かれていることをそのまま素直に信じてしまう人もいらっしゃいます。」それはいらっしゃるでしょう。私自身も、ログを見てもらえばわかりますが、これまでに数々の誤読をしています。ですが、どう書いても誤読する人は居るでしょうし、そこまで世話を焼く必要もないでしょう。Jawpの免責事項の冒頭にも、「本サイトは、あなたに対して何も保証しません。本サイトの関係者(他の利用者も含む)は、あなたに対して一切責任を負いません。あなたが、本サイトを利用(閲覧、投稿、外部での再利用など全てを含む)する場合は、自己責任で行う必要があります。」と記されています。生の情報は観光協会や役所、図書館や博物館に問い合わせれば良いじゃないですか。私も昨日、訪問予定地の観光協会に、気象状況や宿の問い合わせを電話でしましたし。 私が挙げたほかの6項目はともかくとしても、この点だけは看過できません。多くのGAを取られている方とは思えない見解であり、実に残念なことと思います。賛成票は一旦取り下げます。--Falcated会話2021年11月12日 (金) 12:04 (UTC)  [返信]
お説はごもっともですが、「そちらの博物館の紀要なり、何らかの学会誌に調査報告を投稿し、掲載されたものを引用」ですか。選考期間を4週間延ばしたところで間に合いそうにありませんね。--漱石の猫会話2021年11月12日 (金) 12:21 (UTC)[返信]
『京丹後市の民俗』にどう書かれているか分かりませんが、「住職がいた時点での行事」と書けば、それで問題ないではありませんか。「現在は…」と書きたいのでしたら、ノートに書けば済むことです。--Falcated会話2021年11月12日 (金) 13:31 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Tam0031会話2021年11月12日 (金) 14:59 (UTC)[返信]

  • 「賛成3票のため、通過」とされていますが、実際には2票であり、また一度も自動延長されていないため、選考期間が2週間自動延長されます。--勝錦会話) 2021年11月13日 (土) 00:50 (UTC)選考終了日時の直し忘れを修正--勝錦会話2021年11月13日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
  • コメント 前立の記述ですが、漱石の猫さんのご認識で間違いないと思います。参考:[2]。その場合、文化財指定を受けているご本尊とは別の仏像となりますので、その旨の説明を入れるか、外してしまった方が誤解がないかもしれません。以下は推測ですが、ご本尊は京丹後市丹後古代の里資料館にあって、前立が本堂に安置されているのではないでしょうか。--あずきごはん会話2021年11月13日 (土) 15:23 (UTC)[返信]
    ご助言ありがとうございました。おかげでスッキリしました。文献でも別の物であることが確認できましたので、前立については文化財指定のものの解説からは外し、その他に記載しました。--漱石の猫会話2021年11月18日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

報告 ご指摘いただいていた項目について、改善できる点はすべて反映しましたので報告します。地図は、あまり精度の高い地図ではないのが残念ですが、場所が確実なところのみマッピングしました。行事の現状については、文献でもいつの時代の行事かという情報は一切記載されていませんし、この主の行事の喪失時期は文献で特定できないのが普通ですので、問い合わせ可能なところでもっとも確実なレファレンス先を注記しています。文献にない情報は除去すべしとのご意見もあるかとは思いますが、Wikipedia的に良質な記事であること以上に、一般読者に親切な記事であることを心掛けて編集しておりますので、選考結果にこだわりはありません。ブラッシュアップにつながるご提案を多数いただけましたこと、皆様にお礼申し上げます。--漱石の猫会話2021年11月18日 (木) 10:00 (UTC)[返信]

  • コメント 漱石の猫さんがFalcatedさんの御指摘に返信されてからのやり取りを静観していましたが、指摘されていた「無住となってからは行われていない行事もあるとみられる」へ新たに付け加えられた注釈、「宇川連合区上宇川区長・○○○氏の2021年11月14日時点での見解による。年による変容も想定されるため、最新の情報は宇川連合区上宇川区長を通じて上山区長に問合せすべし。」(氏名は念のため伏せました)……これには驚きました。これは良くありません。Falcatedさんの仰る通り、「住職がいた時点での行事」や「○○年時点での情報」というように、書きようはある筈です。今後の御対応次第では、私のほうでも票の取り下げを考えています。--灰色の海会話2021年11月18日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
    繰り返しになりますが、文献が出版された時点で過去の話であることはほぼ確実ながら、〇〇時点でなくなったと限定することも難しく、それこそ独自研究になると申し上げているのです。連合区にレファレンスしたところ上山区に念のため確認するというお話でしたので、その時点で「見解」は「証言」になりますが、公的立場であっても、「機関」でないから問い合わせ先として明記することが不適当であるとお考えなら、初版の通り注記無しでも良いでしょう。一文ごと全文に出典があることが理想とは言え、そんな記事はほとんどありませんしね。気になる人は自分で調べればよいことです。ですが、文献による出典がないからと、無い可能性の極めて高いものを有るかのように誤認させる編集はあきらかに改悪ですから、私としては致しかねます。とはいえ記事は私物ではありませんから、へき地の情報の残り方に納得いかないという方がご自分でよいと思うように編集されるのはご自由です。Wikipediaはそういうものでしょう。いずれにしても、本記事の主題からみればこの節自体が枝葉末節に過ぎませんので私はこの件にこれ以上タッチする気はありません。--漱石の猫会話2021年11月18日 (木) 22:20 (UTC)[返信]
    とはいえ、万が一にもここでのやり取りを面白がるような性質の方が、上山地区に興味もないのに問い合わせされても、ご迷惑になってしまいますね。注記はいったん除去しておきました。--漱石の猫会話2021年11月18日 (木) 23:28 (UTC)[返信]
    「〇〇時点でなくなったと限定することも難しく」独自研究となると仰られますが、既に書いたように「○○年時点での情報」というように記せば限定することにもならず、独自研究となることもないと思うのですが。具体的に書けば「出典の資料刊行時のものであり、現在は無住となっていることに注意。」という一文でよいのではないかと思います。ただ『京丹後市の民俗』は比較的刊行時期が最近であり、本文にどのように書かれているかはわからないため、ひとまず「無住となってからは……」の一文を除去するに留めました(丁度、柒月例祭さんからも同意見が寄せられていたことも勘案しました)。その上で賛成票は維持することにします。--灰色の海会話2021年11月19日 (金) 13:56 (UTC)[返信]
  • 賛成 全体として丁寧に調べてよく書かれていると思います。いくらか悩ましいところはあると思いますが、それは主題と情報源に起因するもので、しょうがないと思いますし、「良質」であることを毀損するほどではないと考えます。
    • 「上山地区」節は、大字記事として単独記事にしてもよいレベルです。そうしたとしても「上山寺」が良質であることには影響がないでしょう。別に単独記事にしなきゃダメという話でもないので、このままでもよいと思いますけど、京丹後市(or旧丹後町)の大字記事が完備されるような時期には、独立させたほうが見通しが良いかも。
    • 議論になっている「行事」節の表現ですが、私も他の方と同様、「無住となってからは行われていない行事もあるとみられる」は不要と思います。出典として採用されている郷土資料『京丹後市の民俗』は2014年のもので、そう古いというものでもないですから、そこでどう表現されているかにもよりますけど、「今もやっているかどうかは触れない」でよいと思います。たとえば「漱石の猫さんが聞いた地元の人の話」との根拠があるとしても、それは「検証可能性」の観点ではNGで、Wikipediaでは踏み込みすぎです。こうしたことを書かないか、多少表現を修正して「伝統的な行事としてこういうものが伝わる(今もやっているかどうかはノーコメント)」的な感じに留めるのがよいでしょう。「執筆者が確認した地元の人の証言」は、Wikipediaで書くには適さない情報で、そういうのは自分のHPとかで書くのがよいと思います。(神社仏閣などについては、Wikipediaより個人サイトのほうが充実しているものが多いです。)
    • 歴史節は、どこまでが「確実な史実」で、どこまでが「寺伝」なのかが不明瞭だなと感じました。(これは情報源がなければどうしようもないことです。)
    • 「創立当初は」部は、Falcatedさんが指摘しているように確かに悩ましいです。寺伝にしたがえば8世紀、役小角説だと7世紀に遡るという設定。「隆盛を極めた」「小倉繁弘(備前守)」がいつ頃の人物なのかも明記されていないので、これだけ読むとよくわからない。ちょっとインチキな手法ですがここここをみますと、「小倉繁弘」は天正年間のいわゆる戦国武将のようですから、7-8世紀の古代からひとつながりで語るにはちょっと時代が開きすぎているように思います。また「多い」というのも漠然としていますよね。全体の文脈としては、戦国時代以前と以後で盛衰を語るという内容になっています。ここらへんは情報源に依存しますからしょうがない部分なのですが、例えば“「創立当初は信仰者が多く隆盛を極めた」とされる”みたいに引用の形式にしてしまえば、お茶を濁せます。真実かどうかは知らないが、そういう話があるということ自体は事実。
    • インチキついでなのですが、上であげた個人サイトには、寺伝の原文らしきものや、『丹後国竹野郡誌』が引用されていまして、それを見ると
      • 「光仁天皇天応元年に佐々木隠岐守が開山したというが、光仁天皇の時代には「佐々木氏」なる氏族も「隠岐守」なる官職も存在しないので、信憑性が疑わしい」云々とあります。(もっともな指摘と思います)
      • 「天正5年に細川氏が召し上げた」は「天文5年に井上氏」の間違いではないか、との指摘もあります。(これは私は知識がないのでさっぱりわからない)
      • ここらへんの話が「インチキ」に頼らず、適切な情報源を基に書くことができれば、歴史節に奥行きが出ます。
      • 14世紀の仏像や宝篋印塔、「平安時代後期の作」などがあるわけですから(それが平安時代後期の時点からこの寺に属していたのかはともかく)、もっとも控えめに見積もっても室町時代初期に遡ることはきっと確実なのでしょう。最高なのは、寺伝とは別の史料と整合することなのですが、それは然るべき研究書なり文献がなければ書けないことなので、現状ではそこまで踏み込むことは不可能なのでしょう。(この手の研究はのめり込みすぎるときりがなく、どこかで見切りをつけることも必要)
      • いずれにしても「という話がある」というのと、「その話が本当かどうか」というのは明瞭に切り離して書けば良いでしょう。いまは「創立当時は」と「しかし1577年」の段落は、史実であるように書かれていますけど、「そういう話として伝わる」ぐらいにニュアンスを調整するとか、「寺伝によると」などとしたほうがいいと思います。
    • 情報源が無ければ書けないのでしかたがないのですが、(私が見落としてなければ)画像に用いられている堂宇の建造時期なんかがわかると、寺社の記事としてはよいなあと思いました。「境内」節を読む限り、これは「本堂である観音堂」のようです。「歴史」節に出てくる「1698年建立の観音堂」なのでしょうか?少なくとも画像を見る限り、側面は化粧鋼板?で補修(保護?切り取り解体した跡のようになっている)されており、近代以降(痛み具合からみておそらく平成以降)に手が加わったことは間違いないはずです。部分補修されていたとしても、大部分が江戸時代前半の建造であれば、じゅうぶんに文化財としての価値がありそうなものです。(私は目利きではないのでわかりませんが、傷み具合からはそこまで古いものにはみえず、正面の彫り物からみると、近世末期か明治初期ごろのものでもおかしくなさそうとも感じました。)ただまあ『丹後町史』クラスの郷土資料にあたってもそこらの情報が無いならばしかたがないですね。--柒月例祭会話2021年11月19日 (金) 08:36 (UTC)[返信]
  • 反対 このまま賛成票のみの選考通過はまずかろうと思うので、反対票を投じます。
    • 全般
    • 歴史節
      • 1文目末から2文目。「(前略)伝える。曰く、~と伝えている。」はくどく感じます。「いずれは筋も同じで、隠岐守の…」と同じ文に入れるとすっきるすると考えます。
      • 3段落目の奈良国立博物館の文は、文化財節に移動でよいかと思います。もし歴史節にいれるのであれば、時系列順に書くべきでしょう。時系列が入り交じると、理解が難しくなります。
      • 5段落目、寺領を接収したのは、「公儀」なのでしょうか。安土桃山時代であれば、接収者もしくはその上位者の管理下に置かれたのではないでしょうか。出典にそう書かれているのでしょうか。
      • 6段落目、「近世」から始まりますが、見つかった時代が「近世」なのか、見つかったものが「近世」時代のものなのか意味かあいまいです。
      • 7段落目はもう少し丁寧に説明するか、書かないかどちらかがよいと感じます。これは第二次世界大戦下の日本では、寺社が金属を供出したのは上山寺のみが対象であったわけではないからです。
      • 8段落目は歴史でしょうか。上山地区節に移動したほうが良いと感じます。
    • 境内節
      • 境内節内の文章はもう少し練ったほうが良いと思いました。2段落目後半部は、1段落目後半部の「石造物が林立」と重複した内容ではないでしょうか。
    • 上山地区に残る上山寺の痕跡節
      • 上山寺の範囲と現在確認されている門跡や坊跡の位置など、地図上で確認できないせいなのか、位置情報が全く頭に入ってきませんでした。「かつての本通り」や「上山地区集会所のある場所」と言われても、地理に詳しくなければ、意味を成しません。その地を知らない人が読むという視点から再構成したほうが良いと思います。
      • 3段落目、「村はずれ」とありますが、現在は京丹後市内なので、記述方法を検討すべきです。
      • 5段落目は、門から本堂に移されたということが言いたいのでしょうか。
    • 文化財節
      • 奈良国立博物館
        • 「1929年に流出した」とありますが、そこまで特定できているのであれば、何か経緯がわかるものがありそうな気がします。もしあれば、注釈なので記載してもよいような気がします。
        • 唐突に「旧塩田コレクション」と出てきます。塩田コレクションとは「塩田岩治」氏のコレクションのことのようですが、塩田岩治氏が収集し、ご家族などが寄贈したものなのでしょうか?奈良国立博物館で検索すると見つからないようなので、出展にそう書かれているのでしょうか。
        • 菩薩像懸仏を奈良国立博物館で検索すると出てきますが、本当に同一のものでしょうか。大きさや伝来が「西明寺」とされており、違うもののように思われます。それとも、検索結果にはないものなのでしょうか。
        • 同様に聖観音像懸仏を検索するとと出てきます。「宇川庄」ではなく「宇河庄」のようです。
    • 行事節
      • 上山寺独自の行事はないのでしょうか。読んでいて、ほかの寺でも同じようなことをしていたのでは?と感じました。
    • 上山地区節
      • 小字節は記載不要と思いました。もし記載するのであれば、上山寺に関係のある又は由来があるものに絞るべきと考えます。
    • 現地情報節
      • これはこの位置でよいか検討すべきです。というのも、「所在地」が何の所在地を指しているのか、不明確になっています。上山地区節の前まで移動してはどうでしょう。
      • 周辺施設は記載不要では。
  • 以上気になったところを指摘します。--Kodai99会話2021年11月19日 (金) 17:23 (UTC)[返信]

選考期間終了時点で賛成票4票、反対票1票のため、通過となります。--灰色の海会話2021年11月26日 (金) 21:47 (UTC)[返信]