Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山川彌千枝 20230611
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選考終了日時:2023年6月24日 (土) 16:21 (UTC)
- (自動推薦)2023年5月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2023年6月10日 (土) 16:21 (UTC)
- 賛成
コメントとても良く書けている記事で『薔薇は生きてる』を読んでみようと思いました。ただ気になるところが2点あります。まず、冒頭文「山川彌千枝は日本の女学生」とありますが、山川は「著名な女学生」ではなく「著名な歌人」や「著名な文筆家」などではありませんか?冒頭の肩書は大切だと思います。また、山川の歌人?文筆家?としてのキャリアが何時から始まったのかについて、触れられていません。こちらによれば、8歳からの文章(日記なども含まれているようなので、純粋な文学的活動の時期は8歳からとは限定できません)が収録されているようですが、本記事では時期を明らかにせず「柳子が佐佐木信綱に師事していたことから彌千枝自身も短歌を作っていた」とあるだけで、創作活動が何時から始まったのか明らかではありません。贅沢を言えば、創作活動について誰から(母から?)影響を受けたのかなども触れて欲しいです。ごく短いキャリアなので、歌人?としての経歴などは抑えるべきところは抑えて欲しいと思います。--あずきごはん(会話) 2023年6月15日 (木) 11:41 (UTC)
- コメント ご返答ありがとうございます。賛成とさせていただきます。--あずきごはん(会話) 2023年6月22日 (木) 09:45 (UTC)
- 賛成 良質な記事の基準は十分に満たしていると思います。あずきごはん様も触れられていますが、無名の女学生であった彼女の遺稿が、なぜここまで大々的に取り上げられることとなったかの経緯については、もう少し、詳細に記述すべきなのではないかと思いました(彼女の母親が師の佐佐木信綱に強く働きかけたゆえであることは想像に難くありませんが、現行の記事中ではほのめかす程度の記載しかないので……)。--Nux-vomica 1007(会話) 2023年6月16日 (金) 03:48 (UTC) 記述修正 Nux-vomica 1007(会話) 2023年6月16日 (金) 03:50 (UTC)
- コメント ほぼ、良質な記事の基準を満たすものと思います。肩書きに関しては、生前は歌人や文筆家としては認められていなかったので、これでよいのでは、と思いました。ただ、遺稿が小説なのか短歌なのかが、終盤まで読み進めないと分からないので、冒頭に、どのような種別の遺稿を残したのか、あった方が良いのでは、と思います。--Anesth Earth(会話) 2023年6月18日 (日) 02:29 (UTC)
- 賛成 改稿お疲れさまです。コメントを賛成に変更させていただきました。--Anesth Earth(会話) 2023年6月21日 (水) 11:07 (UTC)
- 賛成 生涯が短いので、書くべきことはこれくらいになるのかと考えます。私も、どのような経緯で遺稿が取り上げられることになったのかの説明は欲しいと感じます。「薔薇は生きてる」の節は、これだけ書かれているなら独立記事にしても良さそうにも思いますね。--Tam0031(会話) 2023年6月19日 (月) 13:22 (UTC)
- コメント 皆様、ご丁寧にお読み頂きまして、ありがとうございました。ひとまず、出来得る限り対応してみました。あずきごはんさんの冒頭文に関する御指摘に対して、改めて資料を読み返してみましたが、彌千枝を歌人、文筆家などと明記しているものを見つけられませんでした。Anesth Earthさんの御指摘に関しては、遺稿の内容を冒頭部に記述させて頂きました。
- また創作活動の履歴についても曖昧な部分があり、『薔薇は生きてる』には数え年で8歳(1925年)から16歳(1933年)までの作文、1931年から1933年までの日記が収録されているものの、いつから書き始めたのかについては記述がありません。歌作もいつ始まったのかは不明瞭なのですが、1932年の日記に、柳子から「本気になつてやりなさい」と言われたとの記述がある旨と、柳子による、実際に歌誌『心の花』に掲載されていたとの記述、稲垣(1987)による、前田夕暮などの影響の可能性を指摘する記述がありましたので、もう少し詳しく書き直しました。ただし『心の花』に関しては、デジタル化され検索可能な範囲には彌千枝の作品はないようです。『薔薇は生きてる』には全て所収されているはずですが、どれが掲載作品なのかについての注釈はありません。
- また、ご三方から御指摘のあった、『薔薇は生きてる』の刊行の経緯ですが、やはり現在の記述以上の資料を見出すことができませんでした。ただ、『火の鳥』同人の村岡花子が「全誌面を唯一人の少女の綴方に提供するといふ英断(?)を行つたのは、渡邊とめ子さんであり、彼女は『火の鳥』の創設者であつた」としている記述がありましたので、これを挿入できたのみです。『火の鳥』の特集に関しては、同人の女性たちが子を失った柳子に同情してとめ子を中心に企画した、という形ではないかと思うのですが、佐佐木との関わりや沙羅書店での刊行に至る経緯も含めて、やはり不詳です。最初に出されたという、『幼き影』なる遺稿集も、国立国会図書館サーチで検索する限りでは所蔵している図書館はないようです。あまり対応ができず恐縮ですが、この通り報告させて頂きます。--灰色の海(会話) 2023年6月21日 (水) 06:17 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過。--Family27390(会話) 2023年6月23日 (金) 12:04 (UTC)