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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山縣有朋 20190514

選考終了日時:2019年5月27日 (月) 15:16 (UTC)2019年6月10日 (月) 15:16 (UTC)

  • 賛成 :--4th protocol会話2019年5月13日 (月) 15:16 (UTC)[返信]
  • 賛成 :記事の構成、分量、脚注数すべてGAの基準を満たしていると考え、賛成いたします。Arisen会話2019年5月19日 (日) 06:03 (UTC)[返信]
  • コメント 質の高い記事だと思いますが、以下のような点が気になります。主に改稿前から残っている文章だと思います。
    • (導入部)導入部は記事本文の全体像をつかむために、記事の要約となっている必要がありますが(WP:LS)、この記事の導入部では本文で言及されていない事柄が多いです。本文中に脚注出典つきで記述されていれば、必ずしも導入部で出典を示す必要がありませんが、本文中で言及されていない事柄のなかには出典の提示がなく、疑問に思う点もあります。
    • 「「国軍の父」とも称されるようになった。」 - 誰が称するようになったのか、疑問です。同時代の人物評なのか、それとも没後の評なのか。[[藤村道生]『山県有朋』(吉川弘文館人物叢書、1961年)には「かれを目して国軍の父と称しても決して過言ではない」([[1])と書かれているようです。現物を見ていないので、これがなにかの典拠に基づく言葉なのか、藤村氏の言葉なのかわかりませんが、これによる限り「称しても過言ではない」であって「称されるようになった」という一般的な評価とはニュアンスが異なります。
    • 「門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることのないように文官試験制度を創設し、後進を育成」 - 戸川猪佐武氏の出典がつけられていますが、しかし、ちゃんと調べたわけではないですが「門閥や情実」排除という無限定に肯定的な評価というより政党排除の意図があったというのが通説的見解のように思います。本文中にも「 3月28日に文官任用令を改正[注 10]、文官懲戒令、文官分限令を公布し、省庁に政党員を採用出来ないように高等文官試験に合格した官僚だけが就任可能なポストを次官・局長・知事にまで広げた。」とあります。本文とも整合がとれないですし、戸川猪佐武氏のような保守派よりの作家のみの見解を導入部で強調するのは妥当ではないでしょう。
    • 「自身では「わしは一介の武弁」と称するのが常であった。」 - 松本清張の歴史小説が元ネタの可能性があるので、それ以外の出典がないなら除去すべきだと思います([2])。
    • 「副官である奇兵隊の軍監」 - 奇兵隊の軍監はいわゆる「副官」なのでしょうか。もっともこれは「副官に当たる奇兵隊軍監に就任し」という文章が本文にあり、伊藤之雄氏の出典がついているので、伊藤之雄氏がそう書いているのであればご容赦ください。
    • (以下本文)「倒幕による挙兵・連携計画」- 「倒幕のための挙兵・連携計画」ではないでしょうか。
    • 「山県の権威が失墜した宮中某重大事件は、西園寺公望が山県に相談したことをきっかけに山県が動き始めたものであった」 - 事実と異なるのではないでしょうか (参考:[3])。
    • 「この事件をきっかけに山県を追い落とそうとした勢力が強かったということや、それを後押しした世論が大きかったことを考えれば、山県に対して反感を抱いていた人がいかに多かったかを示した事件との見方がなされている」 - 誰の「見方」なのでしょうか。全文について脚注で出典が示されるべきだとは思いませんが、評価・解釈に関わる部分で出典が示されていることが重要だと思います。「昭和63年(1988年)放送の大河ドラマ『武田信玄』では、有朋を信玄の重臣「山県昌景の子孫」と紹介していたが(オープニングの映像)、直接の系譜関係はないのが定説である。」の「定説」も同様です。
    • 「歴史家から大きなマイナスの評価を与えられてきた」 - このマイナスの評価の部分がもう少し詳しく記述されても良い気がします。現状の「後年の評価」節は、山県に肯定的な評価が大部分を占めていますが、従来は否定的な評価のほうが主流だったのなら、それについてもある程度記述したほうがバランスが良いでしょう。また、George Akitaや伊藤隆の評価の後に、山県に世代的により近いジャーナリストの徳富蘇峰の評価が来ているのも違和感があります。
    • (以下注) 「「県」は「縣」の新字体で、同一の字であるが、時折新字体旧字体の概念を理解せず、置き換えることに難色を示す人物が存在する。この概念を理解している(中略)一般向けの書籍が散見されるようになっている。」 - 独自研究では。
    • 出典のうち、別冊歴史読本『日本の軍閥』新人物往来社、2009年。や水木楊「財政、外交、軍事-国家戦略を総動員して国難を克服した大戦略家の真価 「国家プロジェクト」としての日露戦争」『日本を創った挑戦者たち-歴史に見るプロジェクトX』プレジデント社〈プレジデント・ムックプラス〉、2003年5月、実録首相列伝 2003, p. 53三好徹「山県有朋」は必ずしも信頼できる情報源とはみなせないと思います(別冊歴史読本は研究者が書いている場合もあるので一概には言えませんが、その場合でも誰が書いたかを明示する必要があると思われます)。

--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年5月20日 (月) 14:38 (UTC)補足と修正--伊佐坂安物会話/履歴2019年5月24日 (金) 15:54 (UTC)[返信]


選考終了時点で賛成2票のみのため、今回は見送りとなります。Hanabishiさんの投票は選考終了日時以後の投票ですので、無効となります。--伊佐坂安物会話/履歴2019年6月10日 (月) 22:58 (UTC)[返信]