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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/桂・ハリマン協定 20200616

選考終了日時:2020年6月30日 (火) 15:35 (UTC)2020年7月14日 (火) 15:35 (UTC)

  • (推薦)作成されたばかりでやや気が早いかもしれませんが、協定の締結と破棄までの経緯、日米関係への影響が出典つきで記述されており、良質な記事の目安を満たすものであると考えます。--ネイ会話2020年6月16日 (火) 15:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 :--ネイ会話) 2020年6月16日 (火) 15:35 (UTC)加筆を試みるので一旦外します。--ネイ会話2020年6月18日 (木) 14:07 (UTC)[返信]
  • 賛成 :先日こちらの記事を拝見し、まずこれほど知られた歴史用語の記事がこれまで存在しなかったこと、そして初版から検証に優れ、これほどまでによく出来た記事が突如執筆されたことに驚かされました。良質な記事への推薦に異論ありません。--しんぎんぐきゃっと会話2020年6月17日 (水) 01:19 (UTC)[返信]
  • コメント (現状では反対より)正直出典が物足りないな、という印象です。小村壽太郎については外務省が作成した伝記『小村外交史』(外務省HPにあります)が必読で、桂・ハリマン協定についても下巻第8章第9節pp.204-215に記述があります[1]し、ciniiで探すと小林道彦『桂=ハリマン協定と日露戦後経営』[2]という論文も見つかります。また、当事者である桂太郎の伝記とかも参考にしたほうが良いでしょう。それと、この時代の研究者としての評価がある訳でもない渡部昇一や倉山満の主張を、専門家が書いたものと併記するのは違和感があります。意見を併記するにしても、可能ならもっと良質な文献に出典を置き換えたほうが、記事の品質が向上すると思います。--Iso10970会話2020年6月17日 (水) 10:43 (UTC)[返信]
返信 (Iso10970さん宛) コメント、御教示ありがとうございます。御紹介いただいた文献をもとに加筆していきたいと思います。後半については、別段、「渡部昇一や倉山満がこの時代の研究者として評価がある」とは書いていないし、誰もそうは思っていないのではないかと思います(調べればすぐにわかることでもありますし)。私の考えはIso10970さんのお考えとは少し違っていて、「桂・ハリマン協定」というテーマからすれば、「(このとき)、アメリカの念願を叶えてやれば、日米関係はこじれなかった(→太平洋戦争は起こらなかった)」という意見は、誰が言おうと重要だと思うのですね、社会的に。それがたまたま渡部昇一だったというだけの話で。だから、そこを排除すれば記事が良くなるとは思えないですし、渡部昇一がプロの歴史家でないことなどは、そういう重要性からすれば些末なことのような気がするのですね。専門家が書いたものとあえて並べているのにも、一応意味はありますよ。「おもしろいでしょ。あとは自分で考えるなり、調べるなりしてください」という終わり方があってもよいのではないかなと思いますけれども、いかがなものでしょうか。いずれにせよ、前半部分については感謝しております。ありがとうございました。--Greenland4会話2020年6月17日 (水) 14:05 (UTC)[返信]
返信 なんかお気を悪くされていたらすみません。私も本件の日米関係への影響は重要と思うので、それを書くのは問題だとは思っていません。ただ、渡部昇一だけが主張しているわけではないので帰属化しているように見える書きぶりに違和感を感じたということです(渡部本(2004)より前に出された佐々木隆の本(原書2002)p.317に、協約破棄は「歴史的な愚挙だという見方もある」と書かれているので、昔からそういう主張はあったということでしょう)。--Iso10970会話2020年6月17日 (水) 14:50 (UTC)[返信]
返信 考え方が違うだけなので謝罪は無用に願います。「渡部昇一だけが主張しているわけではない」ということで、具体的にどなたかそれに類したことを主張しておられる人を御存知ならば、御教示もしくは御加筆いただければ幸いです。渡部(2004)に関しては、おそらくそれに先立って80年代か90年代にも同じことを言っていたと思います。ただ、手元に2004年のものしかないので、それを出典にしたということです。知る限りでは、ハリマン提案拒否が日米戦争を招いたというようなことをハッキリと書いたのは渡部昇一だけです。それは、「小村の覚書破棄をもって満洲をめぐる日米対立の序幕と考える見解」、古屋哲夫などの見解の著しい単純化、あるいは飛躍ととらえることも可能なわけですが、実際、そうも読めるように書きました。ただ、歴史をめぐる議論においては、緻密で複雑で断定を避ける見解よりも単純素朴で言い切った見解の方が得てして大きな社会的影響をあたえたりするものであり、片山慶隆などの「ハリマン協定の撤回を1941年の太平洋戦争に結びつけるのは、いささか単純で一面的にすぎるのではないかという見解」というのは、私は渡部の名前は出していなくても渡部の見解を強く意識して書かれていることはハッキリしていると思うのです。佐々木隆などはモロにそうだと思います。帰属化まで主張したつもりはなかったので、そこは手直ししていきたいと思います。御返信ありがとうございました。--Greenland4会話2020年6月18日 (木) 00:22 (UTC)[返信]
  • 反対 歴史上の重要記事が作成されたことは素晴らしいことだと思います。一方で、Iso10970さんと同じことを感じました。この記事の出典の著者、渡部昇一や倉山満(アカデミックな意味では憲政史家とも言い難い)また黒岩比佐子(ノンフィクション作家)はこの分野ないし時代の学術的な意味での専門家ではありません。したがってその著作はこの記事主題について信頼できる情報源とは言えないため、良質な記事の目安の「信頼できる情報源によって」という部分を満たしません。ウィキペディアの記事は「事実確認や正確さに定評のある情報源に基づくべき」(Wikipedia:信頼できる情報源)であって、『年表で読む 明解! 日本近現代史』やBEST TIMESのような通俗書・通俗的なウェブサイトを出典として用いるのは望ましくないでしょう。日米関係への影響がトピックとして重要ならば、専門家の書いた情報源をもとに書くのがよろしいかと思います(専門家が明確に渡部昇一の名前をあげてその説に有意に言及しているのであれば検討の余地はあると思いますが、そういう状況でもないようです)。この点は「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/満洲還付条約 20200311」でも同様の問題をLoasaさんに指摘されており、Greenland4さんも指摘に従って修正しているのでご納得されているものと思っていたのですが。とはいえ、日米関係への影響の記述が専門家の手によるものに差し替えられ、黒岩比佐子の出典を外し、倉山満の主張が除去されるのであれば、(より多くの出典を取り入れるという改善点はあると思いますが)良質な記事の目安を満たしていると思うので賛成します。--伊佐坂安物会話/履歴2020年6月18日 (木) 11:21 (UTC)[返信]
コメント 歴史的事象としては、桂とハリマンが仮契約を結んだけれども帰国後の小村がひっくり返したという程度の話なので、もともとGA対象となるような記事ではないのかもしれませんね。私はたぶん今のままの方がおもしろいと思うので、選考対象から外していただいた方がありがたいです。せっかく推薦していただいたのにすみません。--Greenland4会話2020年6月18日 (木) 13:05 (UTC)[返信]
コメント 「GA対象となるような記事ではない」=「WP:GACを満たせないような記事である」という言葉には、特に使える文献が提示された場面においては明確に反対いたします(本筋から外れるので長々と議論するつもりはありませんが)。
わたしのほうで論文2本から加筆しました(Chang論文が太平洋戦争との関係までは論じなかったのが残念だったが)。後ほど『小村外交史』も読んでみる予定ですが、それ以外の(=インターネットにない)日本語出典を手に入れられる状況にないので、日本語文献を探せる方がいらっしゃいましたら大変助かります。--ネイ会話2020年6月18日 (木) 14:07 (UTC)[返信]
コメント 加筆ありがとうございました。何だかひどく迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありません。--Greenland4会話2020年6月18日 (木) 14:43 (UTC)[返信]
コメント「GA対象となるような記事ではない」ということに関していうと、実際、そういう記事は存在すると思います。具体的には「広南従四位白象」・「根戸城」です。前者は、研究書らしいものが長らく存在せず、にもかかわらず漫画や小説には随分昔から取り上げられていたというもので、ようやく研究書が出ましたが、よく読むとまだ資料集というレベルであり、この記事は逆立ちしてもGA対象にはならないと思います。後者に関しては「草刈り」やら「写真撮影」まで網羅されています。網羅しなくてもよいことまで網羅されているのに、「はっきりと断定できることは何一つない」という遺跡です。これまた、GAに持っていくのは無理でしょう。しかし、GAにならなくても、そういう記事があるということ自体は意義深いことであり、大切なことだと考えます。本記事も、それでよいのではないかと思います。無理してGAにする必要はないかと。この記事の場合、渡部昇一と倉山満はセットにするからおもしろいのであって、切り離したらおもしろくないと思います。それでまあ、「よいソース」ということでいうと、黒岩(2005)は、「主要参考文献」の「単行本」だけで170冊、新聞15種類、雑誌26種類を挙げており、それを掲載するのに10ページを費やしていますから、「ノンフィクション作家だから」と、そう馬鹿にしたもんではないと思います。当時の新聞や雑誌もちゃんと取材していて、そのへんの新聞記者の学術関連ニュースよりはずっと信頼できると思います。半藤一利も作家デビューする前は「戦史研究家」などの肩書を名乗っていたはずで、あまり肩書ばかりにこだわるのはどうかと思います。たとえば、『明治史講義【人物篇】』(ちくま新書)p.268には、千葉功が小村寿太郎について「さらに詳しく知るための参考文献」のなかの1冊として吉村昭『ポーツマスの旗』を挙げ、「歴史小説ではあるが、綿密な史料調査にもとづいて書かれたもので、研究書としても読むことができる」と書いています。小説だからという理由で排除してはいけないとプロの歴史家も認めているわけです。逆に、外務省資料とか発掘調査報告書とか、無闇にありがたがる人もいますが、「所詮、当事者資料じゃないか」という見方だってできます。むしろ、ありがたがる方が危険だったりしますよね。本記事の場合、少なくとも、歴史的事実のところに関しては渡部・倉山の書籍は出典として掲げていません。ただ、 「(このとき)、アメリカの念願を叶えてやれば、日米関係はこじれなかった(→太平洋戦争は起こらなかった)」という見解は誰が言おうと重大だと私は思うので、書くべきと判断して書いたということです。倉山の見解は、渡部の名前は出してしませんが、渡部見解の否定としては簡にして要を得ているでしょう。せっかくネイさんが加筆してくださったのに何ですが、「協定破棄と米国の銀行間の対立との関係」節は結局、何が言いたいのかわからなくなってしまった感じがします。私は倉山見解は復帰した方がよいと思いますし、復帰した方がネイさんが加筆してくださったところもグッとわかりやすくなると思います。それはさておき、「事実」に関することではなくて「意見」に関することなんだから、別に誰が何を言ってもよいと思うのですね。国民的関心事なわけでしょう。歴史を「専門家」だけのものにするのは、それはそれで問題ありますよ。「通俗的だから」みたいな理由で排除した方がよいとは私は思わないし、「そいつの所論に言及したから良質基準を満たさない」みたいな理屈も、私としてはあまり納得できません。--Greenland4会話2020年6月18日 (木) 22:17 (UTC)[返信]
コメント 良質な記事というのは、秀逸な記事とは異なって「全ての記事が目指すべきところ」と認識していたのですが。現実にそこに到達するのは難しい、という記事は確かに存在するけれど、意図的にそこから遠ざかっていいものではないと思います。通俗的な意見を掲載するとしたら「その意見は社会的にインパクトがあるものだ」とか「その意見は専門家から見ても示唆に富む意見だ」とかを専門家なり権威ある機関なりに言及してもらう必要があるんじゃないですかね。千葉功による吉村昭への言及はまさにその例でしょう。倉山満への専門家の言及ってありますか? 批判的な言及ならたくさんあるでしょうけど。--Rasalghul会話2020年6月19日 (金) 02:37 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。「意図的にそこから遠ざかっていい」というふうには私も考えていなくて、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#良質な記事の目安にも「項目に記述されるべきトピックがある程度網羅され…」とハッキリと書かれてあり、 「(このとき)、アメリカの念願を叶えてやれば、日米関係はこじれなかった(→太平洋戦争は起こらなかった)」という見解は「項目に記述されるべきトピック」だと私は考えたということです。だから、私は私なりに「意図的に近づいている」つもりです。私からすればこの見解を「項目に記述されるべきではない」「記述されない方がよい」として書かない方が「意図的にそこから遠ざかっている」ように思います。「網羅しない方がいい」という流れになるのは本末転倒じゃないですか? 意見は意見として書かれるべきでしょう。--Greenland4会話2020年6月19日 (金) 03:55 (UTC)[返信]
コメント 「項目に記述されるべきトピック」だとGreenland4さんが考えただけなら、独自研究になりませんか? 少なくとも、その見解がその主題においてどの程度の重要性を持ったものなのか、専門家がそれに触れているのかどうか、それらは検証される必要があります。Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるが参考になると思いますが、世の中には歴史的事件について突飛な主張を唱える人がけっこういます。確かにそれは歴史的事件の関連事象と言えますが、その主張をしている人の記事においてならともかく、歴史的事件についての記事自体に記載するかどうかは、その主張が専門家によって(批判的にでも)検証されている必要があるでしょう。--Rasalghul会話2020年6月19日 (金) 04:17 (UTC)[返信]
  • コメント (賛成寄り)利用者:Iso10970さんは良い指摘をされているように思われます。小林道彦は「桂・ハリマン協定の破棄をもって日米対立の顕在化などと評価することはできない。二三年の関東大震災をきっかけに、アメリカの対日投資の主役はクーン・レーブ商会からモルガン商会英語版へと決定的に移行するが、桂・ハリマン協定の破棄はその最初の兆候であったにすぎない。」(小林道彦『日本の大陸政策 1895-1914: 桂太郎と後藤新平』南窓社、1996年10月15日 発行、ISBN 978-4-8165-0194-4、125頁。)と言っています。117頁あたりから経緯が書かれていますので参考にされるとよいかもしれません。利用者:Iso10970さんが挙げられた小林道彦「桂=ハリマン協定と日露戦後経営」『北九州大学法政論集』第20巻第4号、1993年3月、453~478頁 を典拠にしてもよいでしょう。倉山満が挙げている書籍は、小林道彦『大正政変 国家経営構想の分裂』千倉書房、2015年3月7日発行、ISBN 978-4-8051-1059-1 で、「第2章 日本の大陸国家化と国内政治 - 一九〇五―一九一一年」の「1 大陸政策の模索 満州経営構想の形成/桂・ハリマン協定と満州問題に関する協議会」にありますので、地の文で「倉山によれば」という形で書くのはアウトですが、小林の書籍を典拠としたうえで、倉山の桂・ハリマン協定にまつわる誤謬の2頁目を参考に貼っておくのは読者にとり有益であると思います。それと、上の方で千葉功の話が出ていたので紹介しておきますと、『史学雑誌』で小林道彦『日本の大陸政策 1895-1914』の書評を書いていまして、「桂・ハリマン協定の破棄をもって日米対立の顕在化として来た先行研究のイメージに異を唱える」とありますので、先行研究では「日米対立の顕在化」と解釈されてきたようです。また、酒井哲哉『国際政治』で書評を書いています。「桂=ハリマン協定の破棄は通説のように満州問題をめぐる日米対立の顕在化と見るべきではなく、融資の調達先をクーン・レープ商会からより有利な条件を引き出せるモルガン商会へと切り替える計画が、同協定破棄の背後にあったことが指摘される。」とあり、「満州問題をめぐる日米対立の顕在化」と見るのが通説だったようです。倉山満の「桂・ハリマン協定を日本側が断ったから日米戦争になったという説」という言い方は極論のような気がしますが。。。「保守論壇の重鎮」というこどでしたら、渡部昇一だけでなく、中村粲も「ハリマン計画の挫折—日米抗争序曲」という見方をしています (中村粲『大東亜戦争への道』展転社、平成二年十二月八日 第一刷発行、ISBN 4-88656-062-8、136~137頁。)。最後に松村正義「桂・ハリマン協定とアメリカ金融界」『政治経済史学』通号450号、2004年2月、75~86頁 も参考になりそうです。小林道彦などを使って加筆されたのち、良質な記事 (秀逸な記事でもよいかも) に選出できるのではないかと思います。蛇足かもしれませんが、外交資料では「桂・ハリマン間満州鉄道に関する予備協定覚書」「一九○五(明治三十八)年十月十二日 - 千九百五年十月十二日附桂伯爵(日本政府ヲ代表ス)及「ハリマン」氏(自己並ニ組合者ヲ代表ス)間予備協定覚書」となっているようです。-- Takabeg会話2020年6月19日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
  • 反対 既に指摘されている内容ではありますが、出典として使用されているものに問題が多いと思います。倉山満は現在除去されているようですが、まだ残っている黒岩比佐子、渡部昇一らの著作は明らかに専門性を欠いていますし、ここでの議論に名前が出ていませんが佐藤優も学術的にはまず参照されない人物であり信頼できる出典とは言えません。個人的には「こういう意見がある」形式で専門家ではない人たちの文章への参照やリンクを張るのも適切ではないと思います。もう一つ若干問題を感じる点は§影響と評価についてです。この節は本協定が日米関係に与えた影響、ここでの判断は後の太平洋戦争に繋がる選択を誤りであったかどうか、ということに対する後の評価が紹介していますが、大前提として日本の政策としての評価を論ずる視点に立っており、あくまでも「日本の学会ではそのように論じられてきた」という形で構成の改善が必要であると思います。二国間関係についての評価であるにもかかわらず、アメリカ側でどう考えたか、アメリカ側で後にどのように評価されたかという記述が希薄であり、またこの前後の歴史的展開で日米関係を悪化させるべきではなかったという(日本にとっての)正解が暗黙のうちに用意されていて、その正解に対しての評価になっている点なども中立性の面から少々問題を感じます。日本の研究者の研究と分析がその視点に依るのは当然ですし、出典からそれがWikipedia記事に反映されてしまうのはやむを得ません。日本語版である以上日本語の出典を中心とするのも当然なので、日本側の視点に比重が偏るのも当然の帰結ではあると思います。ですが、だからこそ専門家ではない「論客」「評論家」「作家」の意見の類はむやみにこの視点の比重の片寄りの傾向を助長するものであり、学会において特に言及されるようなものでない限り基本的に記事内で触れるべきではないと思います。--TEN会話2020年6月20日 (土) 03:53 (UTC)[返信]
コメント Takabegさん、TENさん、ありがとうございます。まず、お断りしておかなくてはならないのは「黒岩比佐子の出典を外せ」という御注文に応じることは受けかねるということです。特に山座円次郎に対し小村が放ったセリフ部分は外したくありません。本来なら山座の手記なり当時の雑誌なりを調べて原典から書けばよいのかもしれませんが、それは私の環境では難しいことですし、そこまでこの記事に労力や時間を割くことができません。あしからず御了承いただければ幸いです。Takabegさんは私の考えに理解を示してくださったうえで御指南をいただいて、感謝に堪えません。100パーセント従える御見解ですので、当座はTakabegさんの御教示にしたがい記事の改善に努めたいと思います。TENさんの御見解も教えられるところの多い卓見と存じます。構成の改善は不可避だと思います。ハリマン提案は国策であったのか、そのあたりを今後は追究したいと考えます。御教示ありがとうござました。--Greenland4会話2020年6月20日 (土) 04:58 (UTC)[返信]
コメント 一般論として、メインストリームはその領域を専門とする研究者のものを使用して記述し、そうでない部分、例えば脚注などに、歴史研究者以外の見解を記述しても構わないと考えています。過剰に規則主義を適用すると、記事が味気なくなってしまうものです。ただ、山座円次郎のくだりについていえば、黒岩の見解ではありませんし、黒岩が取材して得た情報というわけでもありませんので、「黒岩の出典を外せ」とは申しませんが、典拠が黒岩単独では不味いのではないかと思います。本多熊太郎『先人を語る』千倉書房、昭和十四年五月十九日 發行、二〇一頁。 (国会デジタルの113コマ目) あたりを典拠として出し、「本多熊太郎によれば」と明記して記述すればよいのではないかと思います。長春のくだりは、本多熊太郎『魂の外交: 日露戦爭に於ける小村侯』千倉書房のほうは、国立国会図書館か図書館送信参加館へご来館くださいとありますので、7~8頁に書かれていると思いますが、確認してみてください。-- Takabeg会話2020年6月20日 (土) 11:54 (UTC)[返信]
返信 (Greenland4さん宛) Greenland4さんの主張は方針やガイドラインに基づいていず、また、追加で佐藤優の出典を使用されたということもあり、少なくとも部分的には良質な記事の目安から遠ざかる方向に進んでいると私も感じます。黒岩の出典を外す、外さないという件についてはGreenland4さんご自身が除去を行わないのであれば、私の方で実施しようと考えています。その他、選考から外れる内容についてはGreenland4さんの会話ページにコメントしました。--伊佐坂安物会話/履歴) 2020年6月21日 (日) 04:30 (UTC)下線部追記--伊佐坂安物会話/履歴2020年6月21日 (日) 04:47 (UTC)[返信]
返信 黒岩出典を外す件については、伊佐坂安物さんにお任せしますが、内田良平の柔術演技披露については他のみなさんの合意を得てからにしてください。「削除しなくてもよい」「削除しない方がよい」という意見があるかもしれません。私個人としてもそう思います。全員、伊佐坂安物さんに同意見ならば、私もそれに従います。--Greenland4会話2020年6月24日 (水) 10:05 (UTC)[返信]
コメント 直近で大分改版されたので一応コメントです。良質な記事の選考としては細部に入りすぎている感もありますが・・・。些細な点から先に書きます。
  • §影響:現状の内容は桂・ハリマン協定というよりも日露戦争後の日米関係についての説明であるので、記載する場所としては日露戦争か日米関係史の記事の方が適切かもしれません。1907年以降の話は少なくとも桂・ハリマン協定の枠組みでの話ではもはや無いように見えます。佐々木隆のみ記述を確認しましたが、満鉄の設立以降の日米関係について基本的にハリマンの件と結びつけてはいません。
  • 「大英断」:「満洲南部における日本の拠点を守った大英断であったという見解もあれば、歴史的な愚挙であったという見解もある」という文章の出典になっている佐々木隆『日本の歴史21 明治人の力量』の文章は「南満洲経営の拠点を守った英断という評価がある一方、歴史的な愚挙だという見方もある。」なので、英断⇒大英断への書き換えは一種の大言壮語にあたり、やや不適切であると思います。
コメント この選考で主に話題になっている出典に関しては以下に書きますが、やはり問題のある状態であると思います。
  • §協定破棄に関する歴史的評価:本節で言及されている評価のうち、大川周明は東京裁判でいわゆる戦犯となった人物ということですし、鈴木貞一も第二次世界大戦時に政府の意思決定に影響を与えていた人物なので、第二次世界大戦をエピローグとする日米関係史の中に桂・ハリマン協定を位置づけるとすれば彼らの見方を書くことには一定の意味はありそうですが、渡部昇一や再掲載された倉山満の論説などは、学術的見地からはやはり言及すべきではないと思います。これらの論者が当該記事の出典として問題があるのは彼らの著作リストを見るだけで明らかであり、言及すること自体中立性を大きく損なう要素が強いものです。戦前日本の大陸政策や第二次世界大戦とも関わるという意味で非常にセンシティブな話題に触れざるを得ない部分のある主題であり、出典や記述内容には相当程度配慮が必要な分野である以上、こういった評論家・論客の言説に触れるのは相当重要な理由がない限り避けた方が記事としての質は向上するものと思います。
  • §経緯:この節については非常に良く書かれていると思いますが、黒岩比佐子を出典とするのは好ましくないと思います。黒岩を出典とする記述のうち例えば「小村は、この件を聞くや立ち上がり、テーブルを叩いて断固たる決意を述べたという」や「山座円次郎が小村の船室に鍵をかけ、小村と2人きりになって覚書の件を伝えた」は細部の情景描写であり特に言及が必要な情報ではありませんし、他の出典によって担保されている記述は敢えて作家を出典として加える必要はないものと思います。また「小村は外交官生活のかなり初期の段階から満洲の重要性を認識していた」というような事実関係に関わる話題を作家に基づいて書くのは(その分野において専門家に準ずる存在として言及されるような場合を除き)不適切であると思います。単純に言って記事の信頼性という面では無い方が優れていると考えます。--TEN会話2020年6月29日 (月) 16:34 (UTC)[返信]
返信 (TENさん宛) たいへん丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。
・「経緯」節。黒岩の件に関しては了解しました。確かにおっしゃる通りだと思います。柔道の件も不要といえば不要といえるかもしれませんが、そこだけは残しておきます。
・「影響」節。御指摘の通り、悩ましいところです。具体的な影響といえば、南満洲鉄道の設立だけです。「歴史的評価」を考えるうえで必要ではないかということでふれているわけですが、確かにここに長々と書くべきことではありません。カットして別記事に移した方がいいのかもしれませんが、さしあたって「歴史的評価」節の後に移動させておきます。
・「協定破棄に関する歴史的評価」節。「センシティブな話題に触れざるを得ない部分のある主題であり、出典や記述内容には相当程度配慮が必要」ということについては異存ありません。ただ、「言及すること自体中立性を大きく損なう」というのは、どうなんでしょう。極論のような気もしますが。Takabegさんがいろいろ調べてくださって、ノート:桂・ハリマン協定に御紹介くださっています。岡崎久彦ならば許容できるのでしょうか。そのへんの判断は難しいところです。御指摘もふまえ、自分なりに考えて書き方を改めたいとは思います。「大英断」については、あまりそのまま書くと著作権を持ち出してくる人もいるので、つい。「英断」の方が好ましいことはおっしゃる通りです。ここも書き方を改めます。有益なる数々の御意見ありがとうござました。--Greenland4会話2020年6月29日 (月) 20:54 (UTC)[返信]
  • 報告 TENさんの御指摘、Takabegさんの御教示をふまえて加筆修正いたしました。--Greenland4会話2020年6月30日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了まで時間が少ないので、Greenland4さんの今日の加筆について検討する時間が足りないだろうと考えて、選考を2週間延長しました。問題がございましたら差し戻して構いません。--ネイ会話2020年6月30日 (火) 13:28 (UTC)[返信]
  • 賛成 ネイさん、このたびは、本記事をGAに推薦していただきまして、ありがとうございました。ネイさん、伊佐坂安物さん、Takabegさん、加筆ありがとうございました。加筆途中の方は、お続けくださるとありがたいです。Takabegさん、TENさん、Iso10970さん、いろいろと御教示ありがとうございました。だいたいGAの水準に達したかと思いますので、賛成票を投じます。--Greenland4会話2020年7月5日 (日) 02:27 (UTC)[返信]
  • 賛成 ここまでで指摘された渡部昇一、倉山満、佐藤優の文献が除去され(黒岩比佐子の文献が1か所残っていますが、そこは一次出典で補強しているので、あまり問題にならないと思います)、さらに専門家出典を用いた大幅加筆がなされたため、賛成票を投じます。--ネイ会話2020年7月8日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
  • コメント 色々加筆いただいたようでありがとうございます。全体を精査はできていないのですが、とりあえず寺島実郎は何らかの意味で関連分野の専門家というわけでもないですし、その見解が載っているのは違和感があります。なくても文章の流れとして問題がないことから、こちらも除去したほうが良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--伊佐坂安物会話/履歴2020年7月9日 (木) 14:40 (UTC)[返信]
コメント 現在の版(oldid=78372877)を拝見しましたが、
  • 北村稔・林思雲『日中戦争 − 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』PHP研究所、2008年10月。ISBN 978-4569693002
という出典を元にして書かれた「さらに進んで、ハリマン提案の拒否が、日米戦争の遠因のひとつになったのではないかという見解が、評論家の岡崎久彦寺島実郎、現代史の北村稔などから示されている[58]」という記述を補足するために、国際関係を専門とする寺島先生の見解が記述されている模様です。後世の評論家の見解が現代史の研究者の著書で取り上げられており、それを補足するための引用なのであれば、違和感は感じません。ただ、北村先生の2008年の著書のどこで言及されているのかページが記されていませんし、可能であれば北村出典を併記できた方が良いと思います。また、この段落は比較的長めですので、もう少しスリム化した方が読みやすいような気もしています--Assemblykinematics会話2020年7月10日 (金) 05:09 (UTC)[返信]
  • 寺島実郎は学術的な意味での国際関係論の専門家かといえば、そうではないのではないでしょうか(評論家)。また、北村が取り上げているというわけではどうもなさそうです。細かいことですが、気になったので一応コメントしておきます。GA選出に反対するほどのことでもないので、反対票は取り下げます。--伊佐坂安物会話/履歴2020年7月13日 (月) 12:48 (UTC)[返信]
返信 北村が取り上げているのではないです。出典の付け方がまずかったです。Assemblykinematicsさん、伊佐坂安物さん、ありがとうございました。そして、どうも申し訳ありませんでした。寺島見解は脚注にまわしました。「学術的な意味での専門家ではない」ということについてですが、この記事は「歴史のIF」ないしシミュレーションを含むところが、おそらくは激論のもとになったのであり、この記事を評価してくださった人もおそらくはそこをおもしろいと思ってくださったのではないかと思います。ところが、考えてみれば当然なのですが、専門家ほどシミュレーションに関してはたいへん慎重ですし、忌避されることもしばしばです。この記事の場合は、「こういうシミュレーションがあるよ」という言及はあったもののそれ以上は深く入り込んでおらず、それを「英断か愚挙か」という両極端の評価のなかに置いたので、そこを引き受けるかたちで様々な論者を引っ張り込んできたことが揉める原因になったのだと思います。なかなか、そのバランスが難しかったと思います。「学術的な意味での専門家」も、おそらく口頭ではいろいろ語っているでしょうが、文章で書き残すことはあまりしないのではないでしょうか。--Greenland4会話2020年7月13日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
  • 情報 こちらの記事は2020年6月度の月間新記事賞を受賞しましたが、既に良質な記事の選考中でしたので受賞に伴う自動推薦は行っておりません。--totti会話2020年7月10日 (金) 15:57 (UTC)[返信]
  • 賛成 加筆本当にお疲れ様です。賛成に変更いたします。視点が日本を主体とした内省に寄ってる点などまだ気になる点はありますが、出典として得られるものの性質上やむを得ないかと思いますし、良質な記事の基準として現状以上を求めるのはさすがに厳しすぎる程に良く書かれていると思います。
  • なお、選考からはかなり脱線してしまうので蛇足となりますが、「言及すること自体中立性を大きく損なう」という点について。歴史分野の記事であることを前提として一応返信いたします。Wikipedia:信頼できる情報源の記載は英語圏を前提にしている感は否めませんが、それでもこの方針から判断する限り原則的に歴史分野の記事は歴史学の専門家の出典に基づくべきだと言えます。この意味で一般に評論家と呼ばれる種類の著者の手になる出典は基本的に不適格というのが大前提であると考えます。
  • また、Wikipediaの脚注に加えるということはそれを見ることでもっと良く知ることができる、あるいはこの内容は出典にそう書いているから信頼できる、ということを示すもののはずです。しかし、渡部昇一・倉山満・佐藤優といった本選考で話題になった方々はそれぞれにある種の政治的立ち位置を取って、歴史ではなくむしろ政治的見解や現代社会への提言を広く発信している人物であり、学術的な必要性もなく彼らを参照に加えることは、とりもなおさず彼らを紹介、あるいはその立ち位置を記事に反映させる性質を含みます。これは例えば邪馬台国論争のような学説についての説明と異なり、異なる立ち位置の人物も参照するというような両論併記的な方法では解決しないため、言及した段階で事実上中立性の維持が不可能になるものと考えます。故に彼らに言及するべきでない、というのはどちらかというと基本則であって極論とは思わないです。--TEN会話2020年7月12日 (日) 17:02 (UTC)[返信]
返信 誠実なお答え、ありがとうございました。TENさんのお考えがようやくわかってきました。「専門家か非専門家か」というところに力点があるのではなく、「歴史を政治的見解の道具にしているか否か(大意)」というところに力点があるのだすれば、まずまず納得です。今後とも、いろいろ教えてください。--Greenland4会話2020年7月13日 (月) 15:20 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成4票のため、通過となります。--Tam0031会話2020年7月15日 (水) 15:12 (UTC)[返信]