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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/横須賀空襲 20160111

選考終了日時:2016年1月25日 (月) 00:07 (UTC)

  • (自動推薦)2015年12月の月間強化記事賞受賞記事。--Trvbot会話2016年1月11日 (月) 00:07 (UTC)[返信]
  • コメント 私は横須賀の出身ですので興味深く読ませていただきました。事実関係の概要としては十分な内容だと思いますが、背景をぜひ加筆していただきたいと思います。他都市の空襲に関する記事には「背景」として、アメリカ軍がその都市を空襲するに至った事情や理由などが解説されています。横須賀の場合は逆に、「重要な軍港都市であるにもかかわらず、なぜ空襲がほとんどなかったのか」についての事情説明が欲しいと思います。
言うまでもなく横須賀は、昔も今も軍事上重要な拠点都市であるにもかかわらず、本文にもあるように他の都市のような焼け野原になるほどの大規模な空襲を受けることはありませんでした。その理由として、すでに勝利を見越していたアメリカは、戦後に自分達の軍事基地として横須賀を利用するつもりで軍港施設などはなるべく温存する方針で作戦を進めていたため、という話を聞いたことがありますが、実際のところどうなのでしょう。
呉軍港空襲を見ると、西の軍港の呉は軍港としての機能を完全に失う程激しい空襲を受けたということですから、横須賀に対しても、アメリカがその気になれば、首都に近く守りが固かったとは言え、徹底的な破壊は可能だったのではないかと思います。その上、横須賀の軍港機能を破壊すれば戦術上の利点も大きかったのではないかと思いますが、あえてそうしなかった理由はやはり戦後の利用のことを考えていたためでしょうか。何にせよ、横須賀の空襲を語る場合には「なぜ攻撃されたか」ではなく、「なぜ攻撃されなかったか」の解説が不可欠と思います。--Loasa会話2016年1月18日 (月) 11:21 (UTC)[返信]
  • コメント先日ここに書き込もうとして、結局思いとどまったのですが、私もLoasaさんと同じようなことを感じました。記事名こそ「横須賀空襲」ですが、中身は「横須賀軍港空襲」といえるようなものです。長坂や汐入での「被害」もわずかに言及がありますが、長坂にしろ汐入にしろ軍事施設があった場所ですよねえ。Loasaさんがご指摘なさったように、佐世保、舞鶴、のようにならず、どうして横須賀は焼かれなかったのかの解説がほしいと思いました。もちろん一般論としては「なかった」理由を求めるというのは悪魔の証明的ではあるのですが、この記事に関してはそれを求めるに値するように思います。--柒月例祭会話2016年1月18日 (月) 13:15 (UTC)[返信]
  • コメント主執筆者です。Loasaさん、㭍月例祭さんコメントを頂きましてありがとうございます。ご指摘のあった点を踏まえ背景節の加筆と、戦後の空襲に関する評価を記した節を新たに設けました。国立国会図書館の所蔵資料はまだ調べていないのでなんとも言えないのですが、大規模空襲を受けなかった理由について、本文中にも記したように陸軍は攻撃目標とした180都市の1つにリストアップしつつも横須賀攻撃の多くを海軍に任せたため、海軍の最大の関心は日本海軍の艦船の破壊にあり都市自体には関心を示さなかったといったことを理由としているようです。戦争末期、大型艦の建造を中止したとはいえ小型艦の建造は続き、ジェット戦闘機等の兵器開発も継続されていたことは、頻繁に行われる偵察や捕虜からの情報に基づく詳細な分析を行っていた米軍も知り得たと考えますが、新たに出典とした『市史研究横須賀』は「徹底的に破壊しなければならないほどの海軍力をもちあわせていないと米軍が判断」と記してますね。--Athleta会話2016年1月20日 (水) 13:39 (UTC)[返信]
コメント加筆を拝読しました。この記事のテーマで「優れた」記事を書こうとすると、やはり避けて通れないのは「アメリカ側の視点」だと思います。Athletaさんにとっては熊谷空襲で「良質」を獲得されていらっしゃるので、そこはよくご存知だろうと思います。
Athletaさんには釈迦に説法になってしまいますが、なにしろ戦争ですから、日本側の資料文献の主張と、アメリカ側のそれとでは、「事実の認定」から食い違いがあって当たり前ですし、「位置づけ」「解釈」「意図」「評価」のようなものは全然違うことになって当然です。実は似た系統の記事であるWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/宇治山田空襲 20150211のときにも話が出たのですが、日本側は「日本人の魂の象徴である伊勢神宮が狙われた」「神威で爆弾がそれた」と記述しているのに対し、アメリカ側の視点では「そもそも神社なんか狙ってない、そんなもの狙ったってしょうがない。目標を外した爆弾がたまたま神社の近くに落ちただけ」みたいな感じになっていたり。そこらへんの両者の食い違いをうまく対比していくと、素晴らしい記事になるんだろうなあと思うんです。
で、ふと眺めてみると、横須賀空襲の英語版のen:Attack on Yokosukaは「良質な記事」になっているではありませんか。そこで、ちょっとそっちを読んでみました。ここに「簡単な全訳」をのせたので、もしよかったら眺めていただければと思います。(私は軍事関係の用語がわからないので、訳語にはマチガイがあるかもしれません。特に「(obsolete destroyer) 矢風」「富士」「春日」の艦種が怪しいです。)
これを見る限り、アメリカ側の狙いはほとんど長門一本であり、まるで市街地など眼中になかったように書かれています。そのために、「長門」に関しては英語版のほうが詳述されていますね。英語版では、もともと横須賀を狙っていたというわけではないが、たまたま7月に長門の存在に気づいて、それで急に長門を攻撃しようということになった、というようなストーリーで書かれています。日本語版の「6月から知っていた」という記述とは矛盾するようです。(戦争ですから、これはどっちが正しいとか言うよりは、各軍の認識がそうだったということなのかもしれません。)
英語版からはいくつかヒントが得られそうです。たとえば英語版では「米軍機12機、英軍機2機」を失ったとありますから、日本語版の「12機または14機」という出典の差異はここに求められそうにも思います。このほか「戦果(被害)」の認定には数字などに差異がありますが、これも戦争中なので、どっちが正しいというよりは、アメリカ側ではこう、日本側ではこう認定した、ということでしょう。そのほか、「イギリス艦艇の給油系統のこと」とか。
私は日本語版、英語版いずれの記事でも使われている出典に自分で直接あたったわけではありません。ですので、日本語版で使われている『横須賀市史』や『市史研究横須賀』がどの程度、アメリカ側の文献を参考にしているのかはわかりません。もしかするとかなりガッツリとアメリカ側の文献にもあたっているのかもしれませんし、あるいは全然そうでないのかもしれません。その逆もまた然りで,、アメリカ文献がどれぐらい日本側資料にあたっているのかは未知数です。実際に検証したり参考にしようと思っても、英語版はみんな英語文献が出典になっているので、それらの文献にあたるのは容易ではないだろうし(その気になればアマゾンとかで容易に入手できる時代ですけどね)、言葉の壁もありますから、まああくまでも参考というかてがかりとしてですが。
英語版の記事は「7月18日の攻撃」に特化しているのに対し、日本語版はドーリットル、2月の空襲も含めて、市街地での出来事も書いていますから、日本語版のほうがより情報量が多いですね。しかし英語版でも「どうして横須賀を徹底的に焼かなかったのか」というようなことはこれといって書かれていません。結局、「アメリカはこういう理由で軍港を破壊しなかった」と書くのではなく、「日本ではアメリカはこういう理由で軍港を破壊しなかったのだろうと考えられている」という書き方が限界なのかもしれませんね。
深夜のためひとまずコメントここまでにさせてください--柒月例祭会話2016年1月20日 (水) 18:39 (UTC)[返信]
  • 賛成 ちょっとほかの方の意見に流されている感もありますが、あらためて見直しまして、Tam0031さんのおっしゃるようにハードル上げ過ぎかなあという反省もしつつ、先日の「評価」節の加筆をもって賛成とします(「ある程度」網羅をクリア。)。英語版に関する指摘についてはひとまず「ないものねだり」になってしまっているかもしれませんが、できればアメリカ側の文献からの記述も加えて、「へー、こっち側とあっち側ではこんなに見方が違うんだ」というのを味わいたいなあとは思います。
賛成の条件というわけではないのですが、冒頭の[[横須賀海軍施設|横須賀軍港]]というリンクは、リンク先がどうも「現在の米軍の基地」に関する記事になっていて、ちょっと違うかなあと思います。おそらく横須賀鎮守府あたりがいちばんリンク先に相応しそうに思います。
「その他」節では1944年11月から1945年7月まで一気に済ませていますけれど、「5月25日に500機が飛来」というのは、別に横須賀を目指したわけでも何でもなく、単に東京大空襲の帰り道にたまたま通り道として上空を通過しただけ、なんだろうし、東京大空襲へのリンクがあってもよさそうかなとか。まあそもそも「資料にはそこらへんは詳しく書かれていない」とのことですから、しょうがないのですけれど。
現実的な実現性(出典があるか)は考慮せずに憶測だけで期待を書くと、軍事に詳しい方であれば、「どんな爆弾(ないし焼夷弾)」を装備していたかで「何を狙ったのか」がある程度推測できるはずで、たとえば長坂や汐入に落ちたという「爆弾」が「焼夷弾」だったのなら、そらまあ市街地の破壊を狙ったんだろうなあとか、飛行場を破壊するための爆弾だったのかとか、長坂に落ちた爆弾は長坂を狙って出撃してきた飛行機だったのか、たまたま爆弾が余ったので落としただけなのか、一次目標だったのか、二次目標だったのかとか、往路だったのか復路だったのか、そういうのがわかってくればもうちょっと見えてくるんでしょうねえ。それにはどうしても「アメリカ側」の資料にあたらないと難しいでしょうし、日本側からすればどっちだろうと落とされたことには変わりはないということにもなるかもしれないし、そういう意味でやっぱりそもそも主題自体が難しいのだろうと思います。--柒月例祭会話2016年1月22日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
(追記)ちょっと言葉足らずのような気がしたので。主に英語版を真に受けての「感想」になってしまうのですが、日本側は「横須賀を護るため」として長門をそこに置いたのに、アメリカ側は長門がいるから横須賀を攻撃したわけで、そこのギャップは面白いなあ、いかにも戦争だなあと思います。--柒月例祭会話2016年1月22日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
  • 賛成 既にコメントしている方の意見はもっともだと思いますが、私としては、これくらい書けているのであれば十分だと思います。今の内容でもまだ、アメリカ側の資料が十分に利用されているわけではないですが、それでもアメリカ側の意図や損害の評価について触れていますし。良質の段階でそこまで高い基準を求めなくても、という感があります。--Tam0031会話2016年1月21日 (木) 02:15 (UTC)[返信]
  • コメント 加筆ありがとうございました。やはり「米軍利用のための施設の温存」は文字どおりの都市伝説にすぎない可能性が高いのですね。もともと小規模な空襲であり、空襲そのものの記述は十分なものでしたから、これで賛成票としたいところですが、一点だけ、肝心な部分で文脈が不明瞭なところがあるため、それだけは修正お願いしたいと思います。それは「米国戦略爆撃調査団 (USSBS) による...第三者からの伝聞に基づくものであり」の部分です。
「本人ではなく第三者からの伝聞に基づくものであり」
この場合の「本人」および「第三者」とは誰のことを指しているのでしょうか。尋問された市民が「本人」であり、「本人」が「ビラが撒布されたと言う噂」を「第三者」(すなわち「自分でビラを見た」という人ではなく、「そういう話を聞いた」という立場の人物)から聞いた、という話でしょうか。つまり「又聞き」ということでしょうか。
「これらの証言はいずれも」
「これらの証言」というのは、「ビラが撒布されたという証言」のことでしょうか。だとすれば複数形で表現しているのは、複数の市民がそういう証言をした、という意味なのでしょうか。それとも「『温存された』とする見方」や「『空襲はなかった』とする評価」も含めての「これらの」なのでしょうか。
「USSBSの尋問の際、尋問側の予想に反して」
USSBSはどんな回答を予想していたのでしょうか。
そもそもこのUSSBSの尋問とは「いつ」「どこで」「誰に対して」「どのような方法で」「どんな質問が」なされたのか、できればもう少し詳細を知りたいと思います(多数あるUSSBSのレポート全体についての詳細を知りたい訳ではなく、この横須賀空襲に関するレポートについての詳細です)。本筋からは少々外れてしまいますが、それらの詳細がわかれば、上の疑問も同時に解消するのではないかと思います。お手数ですがどうかよろしくお願いします。--Loasa会話2016年1月22日 (金) 12:34 (UTC)[返信]
  • コメント Tam0031さん、Loasaさん、㭍月例祭さんコメントありがとうございます。Loasaさんからのご指摘ですが、出典元の前後の文脈から見て「又聞き」ということで間違いないです。不明瞭な文章について修正やコメントアウトを行いましたので、ご確認ください。USSBSの尋問というのは、同調査団が戦後、約4,000人の日本人に対して、米軍の空襲によって人々がどの程度の精神的、物理的影響を受けたのかを調査したもので、日本の各自治体と警察署に提出が義務付けられていた、と記されています(直接調査したのか、日本側に調査を依頼したのかは不明)。それ以上の内容について、私の手元にある『新横須賀市史』のコピーと『市史研究横須賀』第13号ではわかりませんが、出典として共に「横須賀市民の戦前戦後-「合衆国戦略爆撃調査団報告USSBS」の尋問記録から」『市史研究横須賀』第9号が掲示されています。おそらくそこに詳述されているものと思いますが、このほか横須賀市では市史編纂にあたり様々な出版物を刊行していますので、空襲に関する内容、尋問記録に関する内容が詳述されているかもしれません。
  • 柒月例祭さんからのご指摘ですが、たしかに米軍側の資料をあたるのは得策で、国会図書館に所蔵されている資料は重宝しています。航空参謀本部情報部の分析を新たに出典として加えたことで、米軍側が横須賀の何に関心を示したのかは部分的に補えたと考えます。ただ、以前に執筆した熊谷や伊勢崎など陸軍によって実施された都市空襲については各作戦日ごとに報告書が作成され、都市の評価から作戦の流れから当日の気象状況から爆弾投下量や成果まで詳述されているのですが、これに対して横須賀の作戦を担った海軍の報告書というのは、作戦日ごとではなく各任務部隊ごとの数か月分の行動や総合的な評価が記録されていて、38.3任務部隊のものが欠けていたりと全資料が揃ってはいません。また、一部で印字が消えかかっていたり滲んでいたりと、予備知識のない私にとっては短期間では判別が難しい、全体像が掴みづらい代物でした。そのため急遽『市史研究横須賀』を取り寄せたのですが、英語版にも出典として挙げられているモリソンの文献をはじめ、日米双方の資料に基づいた内容には非常に助けられました。また、データの突き詰めの甘さについては、もっともなご指摘だと考えていますので、これから同書や国会図書館所蔵資料や英語版などを読み込んだ上で加筆修正していきたいと考えています。--Athleta会話2016年1月23日 (土) 05:05 (UTC)[返信]
(お返事)なるほど、陸軍と海軍の資料でもそうした違いがあるのですね。Athletaさんが真摯に幅広く奥深く資料にあたっていらっしゃるのに比べると、私の感想は無責任な感想というか、ないものねだりのムリを言っているかもしれません。全く分野は違いますが、私は文献や資料で不明瞭な部分やよくわからない詳細を確認しようと、馬事や地理の情報源を求めて江戸時代の史料やら17世紀の英語の手書きのメモみたいなものにまで手を広げた挙句、「まったく読めません!ちんぷんかんぷんです!!」ということはちょくちょくあります。ムリな要求をしているようでしたら、それはムリな要求ですとおっしゃってくださいね。--柒月例祭会話2016年1月23日 (土) 08:54 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--ぱたごん会話2016年1月25日 (月) 15:44 (UTC)[返信]