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姉小路信綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
姉小路 信綱
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正9年(1583年)?
別名 宣綱
官位 左衛門尉
氏族 姉小路氏
父母 父:姉小路頼綱、母:斎藤道三の娘
兄弟 信綱秀綱鍋山元綱一宮綱広小島基頼三木季綱森直綱三木近綱遠藤慶隆
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姉小路 信綱(あねこうじ のぶつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士公家

略歴

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姉小路頼綱(自綱)の長男として誕生。

信綱の「信」の字は、織田信長からの偏諱を受けたものだとされる。

天正4年(1576年)、公家の式掌元服式が執り行われた。頼綱は信綱の任官を京に働きかけている。

天正7年(1579年)、父が居城を桜洞城から松倉城へ移した後に、桜洞城主となった。

天正11年(1583年)、叔父である三木顕綱[1]と共に、謀反の疑いをかけられ誅殺された[2]

人物・逸話

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  • 姉小路家を頼綱から継ぎ、宣綱の名に改めたと考えられており、旧古川氏の勢力圏に配されていた。
  • 18歳で亡くなっているという記載がある。

脚注

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  1. ^ 鍋山氏に養子入りして鍋山顕綱と名乗る。
  2. ^ 誅殺されたのは天正7年(1579年)という説もある。

関連項目

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外部リンク

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