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'''リファレンスポイント'''(Reference Point、[[1984年]][[2月26日]] - [[1991年]]12月)は、イギリスの[[サラブレッド]]競走馬・種牡馬。1986年8月から1987年10月までに10のレースに出場し、7勝した。1987年の3歳の時に、[[ヨーク競馬場]]の[[ダンテステークス]]、[[エプソムダービー|ダービー]]、[[アスコット競馬場]]の[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス|キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス]]、[[グレートヴォルティジュールステークス]]、[[セントレジャーステークス]]に勝利した。2012年の[[キャメロット (競走馬)|キャメロット]]まで、ダービーの勝利馬がセントレジャーに出場しなかった。シーズン最終戦であった[[凱旋門賞]]には敗れた。 |
'''リファレンスポイント'''(Reference Point、[[1984年]][[2月26日]] - [[1991年]]12月)は、イギリスの[[サラブレッド]]競走馬・種牡馬。1986年8月から1987年10月までに10のレースに出場し、7勝した。1987年の3歳の時に、[[ヨーク競馬場]]の[[ダンテステークス]]、[[エプソムダービー|ダービー]]、[[アスコット競馬場]]の[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス|キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス]]、[[グレートヴォルティジュールステークス]]、[[セントレジャーステークス]]に勝利した。2012年の[[キャメロット (競走馬)|キャメロット]]まで、ダービーの勝利馬がセントレジャーに出場しなかった。シーズン最終戦であった[[凱旋門賞]]には敗れた。 |
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== 現役時代 == |
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=== デビュー前 === |
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[[イギリス]]の[[バークシャー州]]クリーブデンスタッドにて生まれる。生産はルイス・フリードマン。<ref>{{cite web |url=http://www.clivedenstud.co.uk/history.html |title=History |publisher=Cliveden Stud |access-date=2012-01-12 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20100727223347/http://www.clivedenstud.co.uk/history.html |archive-date=2010-07-27 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.thefreelibrary.com/Powerful+force+in+industry%3B+Louis+Freedman+was+one+of+Britain's...-a060658019 |title=Powerful force in industry; Louis Freedman was one of Britain's foremost owner-breeders, with a stream of top-class performers emanating from his Cliveden Stud.|via=The Free Library |date=1998-12-23 |access-date=2012-01-12}}</ref> 父[[ミルリーフ]]は1971年の[[ダービーステークス|エプソムダービー]]優勝馬で、1978年と1987年に英愛[[リーディングサイアー]]となった。母ホームオンザレンジは1981年の[[サンチャリオットステークス]]優勝馬である。 |
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=== 2歳時(1986年) === |
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リファレンスポイントは2歳時に3回レースに出走した。8月30日に[[サンダウンパーク競馬場]]で行われたハートオブバラエティSでデビューし、1番人気に推されるも3着。9月23日同コース同距離で行われたドーキングSでは2着に8馬身差をつける初勝利をあげた。10月には[[ドンカスター競馬場]]で行われたG1[[フューチュリティトロフィー|ウィリアムヒルフューチャリティS]]に出走。同厩のスハイリーの2番人気だったが、2着ベンガルファイアに5馬身差で逃げ切りG1初勝利。この勝利により同年の欧州調教2歳馬として最高の評価を受けた。<ref name="century"/> |
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=== 3歳時(1987年) === |
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1987年3月、副鼻腔に感染症を患い手術を受ける。これにより[[英2000ギニー]]への出走は断念した。<ref>{{cite news|last=Cook |first=Chris |url=https://www.theguardian.com/sport/blog/2010/oct/15/claims-five-henry-cecil-2yos |title=Claims Five: Henry Cecil's best two-year-olds | Chris Cook | Sport |work=The Guardian |date=2010-10-15 |access-date=2012-01-12 |location=London}}</ref> 5月に[[ヨーク競馬場]]で行われた[[ダンテS]]で復帰。スタートから逃げを打ち、2着アスコットナイトに1馬身差で勝利した。 |
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[[ダービーステークス|エプソムダービー]]では19頭中2.5倍の1番人気に推される。スタートから先頭に立つと2着モストウェルカムに1馬身差をつけ逃げ切り勝ちを収めた。<ref>{{cite web|url=http://www.thefreelibrary.com/Horse+Racing%3A+Conquering+Epsom+with+only+one+arm%3B+100+GREATEST+RIDES...-a0158606926 |title=Horse Racing: 100 GREATEST RIDES|via=The Free Library |date=2007-01-31 |access-date=2012-01-12}}</ref> 勝ちタイム2分33秒9は1936年に[[マームード]]が記録した2分33秒8に次ぐ好タイムであった。<ref>{{cite web|url=https://news.google.com/newspapers?id=jEw1AAAAIBAJ&pg=4154,1129841&dq=reference+point+derby&hl=en |title=Steve's perfect reference for record Derby |work=Glasgow Herald |date=4 June 1987 |access-date=2012-01-12}}</ref> |
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次走は[[エクリプスステークス]]で古馬と初対戦となった。ペースメーカー役のメディアスターゲストを抑え猛然と逃げを打つも、[[ムトト]]に4分の3馬身差され2着に終わる。<ref>{{cite web|url=http://www.thefreelibrary.com/Late+arrival+who+found+his+feet+at+the+right+time.-a0254581814 |title=Late arrival who found his feet at the right time.|via=The Free Library |access-date=2012-01-12}}</ref> <ref>{{cite news|author=Horse Racing |url=https://www.telegraph.co.uk/sport/horseracing/8611048/Coral-Eclipse-The-Top-10-winners-of-the-past-40-years.html |title=Coral-Eclipse: The Top 10 winners of the past 40 years |work=Telegraph |date= 2011-07-01|access-date=2012-01-12 |location=London}}</ref> 3週間後、[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]に2.1倍の1番人気で出走。またも逃げを打つと残り2ハロンで後続を突き放し、2着[[セレスティアルストーム]]に3馬身差で優勝した。<ref>{{cite web|url=https://news.google.com/newspapers?id=VGNPAAAAIBAJ&pg=6053,5263436&dq=reference+point+derby&hl=en |title=Reference Point scores brilliant double |work=New Straits Times |date=26 July 1987 |access-date=2012-01-12}}</ref> |
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その後は9月の[[セントレジャーステークス|英セントレジャー]]を経て、10月の[[凱旋門賞]]に向かう計画が立てられた。ステップレースとして8月の[[グレートヴォルティジュールステークス]]に出走。単勝1.07倍の1番人気に答え勝利するも、濡れた馬場で脚を滑らせ軽傷を負った。<ref>{{cite news|last=Paley |first=Tony |url=https://www.theguardian.com/sport/blog/2010/aug/10/horse-racing-tipping-competition |title=Talking Horses | Sport | guardian.co.uk |work=The Guardian |date=2010-08-10 |access-date=2012-01-12 |location=London}}</ref> 9月のセントレジャーSは6頭立ての1番人気で出走し、2着マウンテンキングダムに1馬身半差をつけ勝利。これで本馬の獲得賞金総額は77万4275ポンドとなり、英国のみで走った馬の獲得賞金総額史上1位となった。<ref>{{cite web|url=https://news.google.com/newspapers?id=xJ8VAAAAIBAJ&pg=2761,942595&dq=reference+point+derby&hl=en |title=Record win for Reference Point |work=Manila Standard |date=14 September 1987 |access-date=2012-01-12}}</ref>10月の凱旋門賞も1番人気で出走。例によってスタートから先頭に立つも、直線で後続に飲まれトランポリノの8着と惨敗。<ref>{{cite web|url=http://www.itnsource.com/shotlist//RTV/1987/10/06/BGY602180038/?s=* |title=France: Trempolino Gives Pat Eddery His Third Successive Arc In Record Time |publisher=Itnsource.com |date=1987-10-06 |access-date=2012-01-12}}</ref>レース後の検査で左前脚の蹄に腫瘍ができている事が判明し、この年限りで引退し種牡馬入りした。<ref>{{cite web |url=http://www.sportinglife.com/racing/news/story_get.cgi?STORY_NAME=racing/06/09/26/RACING_Happened_Trempolino.html |title=WHAT HAPPENED TO ... TREMPOLINO? | Sporting Life – Horse Racing News | Live Racing Results, Racecards, Live Betting Shows |work=Sporting Life|date=2010-03-12 |access-date=2012-01-12 }}{{dead link|date=April 2018 |bot=InternetArchiveBot |fix-attempted=yes }}</ref> |
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==評価== |
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本馬は[[タイムフォーム・レーティング]]で139の評価を与えられた。これは当時11番目に高い評価であり、[[ニジンスキー (競走馬)|ニジンスキー]]、[[アレッジド]]、[[トロイ (競走馬)|トロイ]]の評価を上回るものだった。<ref name="Guinness">{{cite book | last1 = Morris | first1 = Tony |last2=Randall|first2=John|title=Horse Racing: Records, Facts, Champions|edition=Third| publisher=Guinness Publishing | year = 1990| isbn = 0-85112-902-1}}</ref> ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書「チャンピオンの世紀」の中で本馬を20世紀で36番目に優れた英国馬であり、80年代では[[シャーガー]]に次いで優れたダービー勝ち馬と評価した。<ref name="century">{{cite book|last1 = Morris | first1 = Tony |last2=Randall|first2=John|title=A Century of Champions|publisher= Portway Press|year=1999|isbn=1-901570-15-0}}</ref> |
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[[英国放送協会|BBC]]のスポーツ特派員リー・マッケンジーは、近年のダービー優勝馬の「ベスト6」の1頭として本馬を評価し<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/in_depth/2001/epsom_derby/1362421.stm |title=BBC Sport | Special Events | 2001 | Epsom Derby | Six of the best at Epsom |publisher=BBC News |date=2001-06-02 |access-date=2012-01-12}}</ref> 、本馬の「職人的な」レーススタイルが、時々本馬の評価されない原因になっていると語った。 |
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英競馬協会により1987年の英国[[年度代表馬]]に選出された。<ref name="Guinness"/> |
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==種牡馬時代== |
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引退後は英国[[ダルハムホールスタッド]]で種牡馬入りしたが、1991年12月に事故で脚を骨折し死亡した。<ref>{{cite news|url=http://observer.guardian.co.uk/osm/story/0,,641871,00.html |title=Slip Anchor | Sport |work=The Observer |date=2011-02-09 |access-date=2012-01-12 |location=London}}</ref>種牡馬成績は芳しくなく、残した4世代の産駒でG1を勝利したのはイヴィアンナ(イタリアオークス優勝)1頭であった。<ref>{{cite web|url=https://www.racingpost.com/profile/horse/304245/reference-point |publisher=Racing Post |title=Reference Point | Stud Record | Bloodstock Stallion Book |date=2011-11-09 |access-date=2012-01-12}}</ref> |
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==血統表== |
==血統表== |
2024年3月22日 (金) 05:49時点における最新版
リファレンスポイント | |
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Louis Freedmanの勝負服 | |
欧字表記 | Reference Point |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1984年2月26日 |
死没 | 1991年12月 |
父 | ミルリーフ |
母 | Home on the Range |
母の父 | Habitat |
生国 | イギリス |
馬主 | Louis Freedman |
調教師 | ヘンリー・セシル |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦7勝 |
獲得賞金 | $1,252,819 |
勝ち鞍 |
ウィリアムヒルフューチュリティ (1986) ダンテステークス (1987) ダービーステークス (1987) KGVI & QES (1987) グレートヴォルティジュールステークス (1987) セントレジャーステークス (1987)[1] |
リファレンスポイント(Reference Point、1984年2月26日 - 1991年12月)は、イギリスのサラブレッド競走馬・種牡馬。1986年8月から1987年10月までに10のレースに出場し、7勝した。1987年の3歳の時に、ヨーク競馬場のダンテステークス、ダービー、アスコット競馬場のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、グレートヴォルティジュールステークス、セントレジャーステークスに勝利した。2012年のキャメロットまで、ダービーの勝利馬がセントレジャーに出場しなかった。シーズン最終戦であった凱旋門賞には敗れた。
現役時代
[編集]デビュー前
[編集]イギリスのバークシャー州クリーブデンスタッドにて生まれる。生産はルイス・フリードマン。[2][3] 父ミルリーフは1971年のエプソムダービー優勝馬で、1978年と1987年に英愛リーディングサイアーとなった。母ホームオンザレンジは1981年のサンチャリオットステークス優勝馬である。
2歳時(1986年)
[編集]リファレンスポイントは2歳時に3回レースに出走した。8月30日にサンダウンパーク競馬場で行われたハートオブバラエティSでデビューし、1番人気に推されるも3着。9月23日同コース同距離で行われたドーキングSでは2着に8馬身差をつける初勝利をあげた。10月にはドンカスター競馬場で行われたG1ウィリアムヒルフューチャリティSに出走。同厩のスハイリーの2番人気だったが、2着ベンガルファイアに5馬身差で逃げ切りG1初勝利。この勝利により同年の欧州調教2歳馬として最高の評価を受けた。[4]
3歳時(1987年)
[編集]1987年3月、副鼻腔に感染症を患い手術を受ける。これにより英2000ギニーへの出走は断念した。[5] 5月にヨーク競馬場で行われたダンテSで復帰。スタートから逃げを打ち、2着アスコットナイトに1馬身差で勝利した。
エプソムダービーでは19頭中2.5倍の1番人気に推される。スタートから先頭に立つと2着モストウェルカムに1馬身差をつけ逃げ切り勝ちを収めた。[6] 勝ちタイム2分33秒9は1936年にマームードが記録した2分33秒8に次ぐ好タイムであった。[7]
次走はエクリプスステークスで古馬と初対戦となった。ペースメーカー役のメディアスターゲストを抑え猛然と逃げを打つも、ムトトに4分の3馬身差され2着に終わる。[8] [9] 3週間後、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに2.1倍の1番人気で出走。またも逃げを打つと残り2ハロンで後続を突き放し、2着セレスティアルストームに3馬身差で優勝した。[10]
その後は9月の英セントレジャーを経て、10月の凱旋門賞に向かう計画が立てられた。ステップレースとして8月のグレートヴォルティジュールステークスに出走。単勝1.07倍の1番人気に答え勝利するも、濡れた馬場で脚を滑らせ軽傷を負った。[11] 9月のセントレジャーSは6頭立ての1番人気で出走し、2着マウンテンキングダムに1馬身半差をつけ勝利。これで本馬の獲得賞金総額は77万4275ポンドとなり、英国のみで走った馬の獲得賞金総額史上1位となった。[12]10月の凱旋門賞も1番人気で出走。例によってスタートから先頭に立つも、直線で後続に飲まれトランポリノの8着と惨敗。[13]レース後の検査で左前脚の蹄に腫瘍ができている事が判明し、この年限りで引退し種牡馬入りした。[14]
評価
[編集]本馬はタイムフォーム・レーティングで139の評価を与えられた。これは当時11番目に高い評価であり、ニジンスキー、アレッジド、トロイの評価を上回るものだった。[15] ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書「チャンピオンの世紀」の中で本馬を20世紀で36番目に優れた英国馬であり、80年代ではシャーガーに次いで優れたダービー勝ち馬と評価した。[4]
BBCのスポーツ特派員リー・マッケンジーは、近年のダービー優勝馬の「ベスト6」の1頭として本馬を評価し[16] 、本馬の「職人的な」レーススタイルが、時々本馬の評価されない原因になっていると語った。
英競馬協会により1987年の英国年度代表馬に選出された。[15]
種牡馬時代
[編集]引退後は英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りしたが、1991年12月に事故で脚を骨折し死亡した。[17]種牡馬成績は芳しくなく、残した4世代の産駒でG1を勝利したのはイヴィアンナ(イタリアオークス優勝)1頭であった。[18]
血統表
[編集]レファレンスポイント[19]の血統 | (血統表の出典) | |||
父 ミルリーフ (USA) 1968 |
父の父 Never Bend (USA)1960 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Lalun | Djeddah | |||
Be Faithful | ||||
父の母 Milan Mill (USA)1962 |
Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Virginia Water | Count Fleet | |||
Red Ray | ||||
母 Home on the Range (GB) 1978 |
Habitat (USA) 1966 |
Sir Gaylord | Turn-To | |
Somethingroyal | ||||
Little Hut | Occupy | |||
Savage Beauty | ||||
母の母 Great Guns (GB)1971 |
Busted | Crepello | ||
Sans le Sou | ||||
Byblis | Grey Sovereign | |||
Niobe (Family:10-d)[20] |
出典
[編集]- ^ The Sporting Life Flat Results In Full 1986. Queen Anne Press. (1986). pp. 480, 554, 634. ISBN 0-356-12576-9
- ^ “History”. Cliveden Stud. 2010年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月12日閲覧。
- ^ “Powerful force in industry; Louis Freedman was one of Britain's foremost owner-breeders, with a stream of top-class performers emanating from his Cliveden Stud.” (1998年12月23日). 2012年1月12日閲覧。
- ^ a b Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press. ISBN 1-901570-15-0
- ^ Cook, Chris (2010年10月15日). “Claims Five: Henry Cecil's best two-year-olds | Chris Cook | Sport”. The Guardian (London) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Horse Racing: 100 GREATEST RIDES” (2007年1月31日). 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Steve's perfect reference for record Derby”. Glasgow Herald (4 June 1987). 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Late arrival who found his feet at the right time.”. 2012年1月12日閲覧。
- ^ Horse Racing (2011年7月1日). “Coral-Eclipse: The Top 10 winners of the past 40 years”. Telegraph (London) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Reference Point scores brilliant double”. New Straits Times (26 July 1987). 2012年1月12日閲覧。
- ^ Paley, Tony (2010年8月10日). “Talking Horses | Sport | guardian.co.uk”. The Guardian (London) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Record win for Reference Point”. Manila Standard (14 September 1987). 2012年1月12日閲覧。
- ^ “France: Trempolino Gives Pat Eddery His Third Successive Arc In Record Time”. Itnsource.com (1987年10月6日). 2012年1月12日閲覧。
- ^ “WHAT HAPPENED TO ... TREMPOLINO? | Sporting Life – Horse Racing News | Live Racing Results, Racecards, Live Betting Shows”. Sporting Life (2010年3月12日). 2012年1月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third ed.). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1
- ^ “BBC Sport | Special Events | 2001 | Epsom Derby | Six of the best at Epsom”. BBC News. (2001年6月2日) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Slip Anchor | Sport”. The Observer (London). (2011年2月9日) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “Reference Point | Stud Record | Bloodstock Stallion Book”. Racing Post (2011年11月9日). 2012年1月12日閲覧。
- ^ “English Derby Winner: Reference Point”. Chef-de-race.com. 2012年1月12日閲覧。
- ^ Patricia Erigero Thoroughbred Heritage. “10 Fair Helen/Childers Mare”. Tbheritage.com. 2012年1月12日閲覧。