有馬一準
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄10年12月2日(1698年1月13日) |
死没 | 宝暦7年8月20日(1757年10月2日) |
改名 | 大吉(幼名)→真純(初名)→純寿→寿純→一準 |
戒名 | 常泰院殿性山宗住大居士 |
墓所 |
福井県坂井市丸岡町篠岡の高岳寺 東京都台東区上野の本覚院 |
官位 | 従五位下、左衛門佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越前丸岡藩主 |
氏族 | 肥前有馬氏 |
父母 |
父:有馬清純 母:須賀子(光徳院、皆吉純忠の娘) |
兄弟 | 一準、永井直亮正室 |
妻 |
正室:深受院(秋元喬知の養女、秋元成朝の娘) 継室:演暢院(毛利吉広の養女、毛利匡広の娘) 側室:高山氏、耀樹院(山本氏)、みつ |
子 |
孝純、純峯(毛利重広)、本多忠由、 娘(有馬義雄室)、娘(間部詮方継室)、 安姫(松平近輝継室)、娘(安部信允正室) |
有馬 一準(ありま かずのり)は、越前丸岡藩の第2代藩主。晴信系有馬家5代。後述するが一準は隠居後の名前であり、藩主時代は真純(まさずみ)、純寿(すみひさ)、寿純(ひさずみ)を名乗っていた。
元禄10年(1697年)12月2日(異説として12月4日)、初代藩主有馬清純の長男として丸岡城で生まれる。元禄15年(1702年)12月に父が死去したため、元禄16年(1703年)2月5日に家督を相続した。正徳元年(1711年)に譜代大名に昇格し、同時に従五位下、左衛門佐に叙任する。しかし宝永3年(1706年)、享保6年(1721年)、享保8年(1723年)と連年のように洪水に悩まされて凶作となり、享保9年(1724年)にはそれが原因で一揆も起こるなど、藩政は多難を極めた。このため、財政難打開のために銀札の発行、家臣の知行借上げなどを行なったが、失敗した。
享保18年(1733年)4月1日、家督を長男の孝純に譲って隠居する。寛延2年(1749年)に名を一準に改めた。宝暦7年(1757年)8月20日、孝純の後を追うように死去した。享年61。