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がっちり買いまショウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
がっちり買いまショウ
ミリカホール
番組の公開収録が行われていた毎日放送千里丘放送センターミリカホール(2008年5月撮影)
ジャンル ゲーム番組
出演者 夢路いとし・喜味こいし
製作
制作 毎日放送
放送
映像形式モノクロ放送(1969年8月17日まで[1]) → カラー放送(1969年8月24日から[2])
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
オリエンタルがっちり買いまショウ
(1963年12月まで)
放送期間1963年12月1日 - 1963年12月
放送時間日曜 14:45 - 15:15
放送分30分
オリエンタルがっちり買いまショウ
(1964年1月以降)
放送期間1964年1月 - 1971年
放送時間日曜 12:45 - 13:15
放送分30分
グリコがっちり買いまショウ
(1975年3月まで)
放送期間1972年 - 1975年3月30日
放送時間日曜 12:45 - 13:15
放送分30分
グリコがっちり買いまショウ
(1975年4月以降)
放送期間1975年4月6日 - 1975年11月30日
放送時間日曜 12:15 - 12:45
放送分30分
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がっちり買いまショウ』(がっちりかいまショウ)は、1963年12月1日から1975年3月30日までNET系列で、同年4月6日から11月30日までTBS系列で放送されていた毎日放送製作の買い物ゲーム番組である。全627回。当初はモノクロ放送だったが、1969年8月24日放送回よりカラー放送となった[2]

概要

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番組には毎回3組のペアチームが出場。基本的には夫婦で参加する形となっていた。司会は、漫才コンビの夢路いとし・喜味こいしが務めていた。

ルール

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番組の冒頭では、まず出場者たちが週替わりの体を張ったゲーム(椅子取りゲーム玉転がしゲームなど)に挑戦。買い物の設定金額は、このゲームの結果により決定される。

買い物ゲームは、まず司会者に呼ばれた視聴者代表の複数のチームが、番組スポンサーの商品の絵柄が入ったボックスを一つ選んで金額を決めた後、いとし・こいしによる「(その金額××)円でお買い上げ、これを含めて4点以上」(こいし)、「それでは○○円コース!○○円コース!○○円コース!運命の別れ道!」(いとし)、「がーっちり買いまショウ!」(こいし)のコールとともにスタート。会場には値段の記されていない品物が置かれており、出場者たちはその中から欲しい物を取り、合計金額が決められた金額になるように買い物をする。制限時間は2分で、全部で4品以上を買わなければならない。時間が迫ると音楽のテンポが速くなり、時間切れになると鐘が鳴る。小金額調整用の商品として、スポンサー商品(こちらには金額が表示されている)と靴下ネクタイなどの小物が置かれている。これら買い物に使用する商品は、髙島屋の協賛による。決められた金額をオーバーしそうなときには「規定の4点にはなりました」(いとし・こいし)、少なすぎる事になりそうだと「○○円と申しましても意外と買いごたえございますよ」(いとし)などと司会者が呼びかけて、出場者を誘導することもあった。

ゲーム終了後の結果発表では、いとし・こいしが「伺ってみましょう!○○円コースお買い上げ、いかがでしたか?」と訊くとティンパニによるロールが鳴らされる。合計金額が設定金額からマイナス4000円以内(例えば10万円コースの場合は10万円 - 9万6000円)に収まった場合には、ファンファーレが鳴って取った品物をすべて獲得できるが、逆に設定金額を1円でもオーバーするかマイナス4000円を下回ると失格となり、品物は没収される。

商品を獲得できた場合には、残高が「あゆみの箱」に寄付される。また設定金額と同じになった場合には、「がっちり賞」として賞金10万円が贈られる。失格となった場合には、「残念賞」としてスポンサー商品の詰め合わせが贈られる。番組後期には「ラッキー賞」の設定があり、その指定の品物を取った時は旅行クーポン券が贈られる。また出場チーム3組のうち、特に司会者に対して印象を残し、インパクトがあった1組には「いとこい賞」として週替わりの賞品が贈られる。

コースの制限金額は、物価高に応じて徐々に上昇していった。番組開始時には5万円・3万円・1万円(内輪で3千円以内)であったが、後に7万円・5万円・3万円、10万円・7万円・5万円とアップしていった。特別に5組が出場した最終回では、さらに3万円・1万円のコースも追加され、1万円コースで「がっちり賞」が出て有終の美を飾った。なお航空会社対抗戦の回では、30万円・20万円・10万円の3コースで行ったことがある。

番組のラスト近くには、高島屋からの視聴者プレゼントコーナーがあった。このコーナーではまずメインとなるプレゼント商品とその値段を視聴者に公開した後、スポンサー商品10個をカメラに映す。視聴者はそれらの合計金額を予想し、番組に応募する。

放送時間

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いずれも日本標準時ネットチェンジの解消とともに放送開始時刻が変更されたため、ネット局の一部では朝日放送新婚さんいらっしゃい!』の後番組扱いで放送されていた[注釈 1]

  • 日曜 14:45 - 15:15 (1963年12月1日 - 1963年12月)
  • 日曜 12:45 - 13:15 (1964年1月 - 1975年3月30日) - 途中、1972年にスポンサー変更・改題。
  • 日曜 12:15 - 12:45 (1975年4月6日 - 1975年11月30日)

提供

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番組は、放送開始から1971年までは株式会社オリエンタルの一社提供で、1972年から番組終了までは江崎グリコその他のグリコグループによる単独提供で放送されていた。その関係で、1971年までは『オリエンタルがっちり買いまショウ[3]、1972年以降は『グリコがっちり買いまショウ』が正式名称となっていた。放送開始時のタイトルは『オリエンタルがっちり買いましょう』であったが、「しょう」の字は1969年5月にゲームショー番組のもじりで「ショウ」に変更された。

放送局

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1963年12月から1975年3月まで

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系列は放送当時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 毎日放送 NET系列 製作局
関東広域圏 NETテレビ
(現・テレビ朝日
北海道 北海道放送 TBS系列 1968年10月まで
北海道テレビ NET系列 1968年11月から
青森県 青森放送 日本テレビ系列
岩手県 岩手放送
(現・IBC岩手放送
TBS系列
宮城県 東北放送
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列
山形県 山形放送
福島県 福島テレビ TBS系列
フジテレビ系列
1971年9月までは日本テレビ系列局
山梨県 山梨放送 日本テレビ系列
新潟県 新潟放送 TBS系列 土曜 18:00 - 18:30にて遅れネット[4]
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列
石川県 北陸放送 TBS系列 [5]
福井県 福井放送 日本テレビ系列
中京広域圏 中部日本放送
(現・CBCテレビ
TBS系列 1966年3月まで
名古屋テレビ NET系列 1966年4月から
1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局
鳥取県 日本海テレビ 日本テレビ系列 1972年9月の電波相互乗り入れに伴い打ち切り
島根県

鳥取県・島根県
山陰放送 TBS系列 当初の放送対象地域は島根県のみ
1972年9月の電波相互乗り入れに伴い鳥取県でも放送
岡山県 山陽放送
(現・RSK山陽放送
TBS系列 1969年3月まで
当時の放送対象地域は岡山県のみ
岡山放送 フジテレビ系列
NET系列
1969年4月から
当時の愛称はテレビ岡山
当時の放送対象地域は岡山県のみ
広島県 中国放送 TBS系列 1971年3月まで
広島ホームテレビ NET系列 1970年12月から
1971年4月から広島ホームテレビ単独で放送
山口県 山口放送 日本テレビ系列
徳島県 四国放送 1966年頃の一時期[6]
香川県 西日本放送 1969年3月まで
当時の放送対象地域は香川県のみ
瀬戸内海放送 NET系列 1971年4月から
当時の放送対象地域は香川県のみ
腸捻転解消より早く打ち切り
打ち切り後は同枠で『パンチDEデート』(関西テレビ)を放送
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列
高知県 高知放送
福岡県 九州朝日放送 NET系列
長崎県 長崎放送 TBS系列
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列 1971年3月まで
琉球放送 TBS系列 1971年7月から

1975年4月から11月まで

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◎が付いているものは、ネットチェンジ後に変更となった局。系列は放送当時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 毎日放送 TBS系列 製作局
関東広域圏 東京放送
(現・TBSテレビ
北海道 北海道放送 ◎6年半ぶりに復帰
青森県 青森テレビ
岩手県 岩手放送
(現・IBC岩手放送)
宮城県 東北放送
秋田県 秋田テレビ フジテレビ系列
山形県 山形放送 日本テレビ系列
福島県 福島テレビ TBS系列
フジテレビ系列
山梨県 テレビ山梨 TBS系列
新潟県 新潟放送 ◎6年半ぶりに復帰
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列
石川県 北陸放送 TBS系列
中京広域圏 中部日本放送
(現・CBCテレビ)
◎9年ぶりに復帰
鳥取県・島根県 山陰放送 TBS系列
岡山県 山陽放送
(現・RSK山陽放送)
◎6年ぶりに復帰
当時の放送対象地域は岡山県のみ
広島県 中国放送 ◎4年ぶりに復帰
山口県 テレビ山口 TBS系列
フジテレビ系列
NET系列
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列
高知県 テレビ高知 TBS系列
福岡県 RKB毎日放送
長崎県 長崎放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 琉球放送

補足

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腸捻転の解消に伴い、NET系列をはじめとする一部のネット局は1975年3月に本番組のネットを打ち切り、同年4月に朝日放送『新婚さんいらっしゃい!』のネットに切り替えた[注釈 1]

また、現在では準広域放送となっている岡山県と香川県の放送局は、当時はそれぞれの県のみの単一放送であったため、この2局が並列放送していた。さらに広島県で2局放送が行われていた時代もあったが、これは本来のNET系列であった広島ホームテレビ(UHT)がUHFテレビ局(広島県初)であることから、それを受信できない世帯・地域に配慮するのと、従来から放送していた中国放送(RCC)での視聴者確保の観点もあり、UHT開局後も引き続きRCC・UHTでの並列放送が行われていた。

備考

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収録はMBS千里丘放送センターのスタジオで行われていたが、後に放送センター内にあるミリカホールでの公開収録へ移行した。

番組開始当初はモノクロ放送だったが、1968年頃からテレビ業界でカラー番組が増加し始めたのを受け、放送開始から5年半後の1969年8月24日放送回からカラー放送となった[2][注釈 2]

小金額調整用の品物のうち番組スポンサーの商品は、オリエンタル提供時代・グリコグループ提供時代ともに即席カレーであった。オリエンタル提供時代にはオリエンタル・マースカレー(番組開始前の1962年に発売[3])が、グリコグループ提供時代にはグリコ・ワンタッチカレーが提供されていた。また、同社のポッキーやペロティが調整に使われた回もある。調整金額は、番組末期には100円で計算されていた。

出場者が品物の額を計算する際に使っていた用具は、当初はメモ用紙鉛筆であったが、番組末期には計算機(電卓)も加わった。

グリコグループ提供時代には、いとし・こいしの2人の着用する背広やブレザーの胸ポケットには(道頓堀川沿いのネオンサインでもお馴染みの)グリコのゴールインマークのワッペンが着けられていた。

出場者が設定金額をオーバーしそうなときや足りないときには、いとし・こいしの2人がそれとなくアドバイスをした。またもう少しというところでがっちり賞を逃したときには、こいしが苦しむようなポーズを取るのがお約束であった。特にものすごく惜しい(-100円や-10円の時など)ときには、こいしは床でのたうちまわっていた。

NET系列ネット時代の映像は基本的に残されていないが、当時毎日放送が円谷プロダクションと共同製作していた『ジャンボーグA』の第40話「大奮戦!バモスI世 バモスII世」(1973年10月20日放送)にて、事件現場となった龍神村の住人が付けっぱなしにしていたテレビの画面に本番組の映像(モノクロ画面)が映し出されていた。

いとしによる口上「10万円・7万円・5万円運命の分かれ道」は、本番組の終了後にもいとし・こいしの漫才「花嫁の父」において、こいしが歌を歌う場面に使われた(こいしが歌うときにいとしが口にするという部分から)[11]。2人は「花嫁の父」を、民放NHKを問わずさまざまな演芸番組で披露した。また2人は、KINCHOアリ退治用殺虫剤(アリキンチョールと巣退治用アリキンチョール)のCMでもこのネタのパロディフレーズを口にしていた。

1990年代、読売テレビの『EXテレビ』火曜で「ウルトラがっちり買いまショウ」と題しての復刻企画が行われた。この企画には芸能人3組のペアが出場し、1億円コース・1000万円コース・100万円コースが設定された。ただし、『EXテレビ』自体がグリコグループ提供番組でないため、小金額調整用のカレーには他社の製品が使われた。

脚注

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注釈

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  1. ^ a b ただし一部のTBS系列局では、1975年3月まで『がっちり買いまショウ』を本来『新婚さんいらっしゃい!』の放送時間である日曜 12:15 - 12:45 での遅れネットが行われていた。ほか、『新婚さんいらっしゃい!』をネットしていた一部のTBS系列局などでは遅れネットに降格されたものの、同番組のネットは続けられていた。
  2. ^ 毎日放送はこの年、スタジオ制作におる全国ネット番組のカラー化をこの番組を皮切りに、『アップダウンクイズ』を10月5日から[7]、『ダイビングクイズ』を11月2日から行い[8]、『ヤングおー!おー!』は翌年(1970年)の10月からカラー化されている[9]。ちなみに、毎日放送は1968年2月6日より、自社の千里丘放送センターのテレビAスタジオで、スタジオカラーカメラを使用したカラー放送を開始している[10]

出典

[編集]
  1. ^ 朝日新聞 1969年8月17日 大阪版朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ a b c 朝日新聞 1969年8月24日 大阪版朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ a b 歴史”. 株式会社オリエンタル. 2015年11月8日閲覧。
  4. ^ 北國新聞』1972年12月16日付朝刊、テレビ欄。
  5. ^ 『北國新聞』1972年12月17日付朝刊、テレビ欄。
  6. ^ 『徳島新聞』1966年7月4日付 朝刊7面「午前のTVラインナップ」より
  7. ^ 朝日新聞 1969年10月5日 大阪版朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ 朝日新聞 1969年11月2日 大阪版朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  9. ^ 朝日新聞 1970年10月4日 朝刊では、同時ネット局である東京12チャンネルはカラー(東京版 P.13 テレビ欄)であるのに対し、制作局である毎日放送はモノクロ(大阪版 P.13 テレビ欄)。1970年10月11日 朝刊では、毎日放送及び東京12チャンネル共にカラーである(東京版 P.13 大阪版 P.11 いずれもテレビ欄)(朝日新聞クロスサーチにて閲覧) 。他紙の大阪版では、朝日新聞と同様に、毎日新聞も10月4日付朝刊テレビ欄ではカラー印が付いていない一方、同日付サンケイ新聞と読売新聞ではカラーと表記されており、カラーで放送されていた可能性もある。
  10. ^ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、483頁。 
  11. ^ 戸田学・喜味こいし(編)『いとしこいし漫才の世界』岩波書店、2004年、p.293(こいしによる「演目解説」)
毎日放送 日曜14:45枠
オリエンタル一社提供枠】
前番組 番組名 次番組
オリエンタルがっちり買いまショウ
(1963年12月1日 - 1963年12月)
ビジター
【日曜10:00枠から移動】
毎日放送 日曜12:45枠
【オリエンタル一社提供枠 → グリコグループ単独提供枠】
オリエンタルがっちり買いまショウ

グリコがっちり買いまショウ
(1964年1月 - 1975年3月30日)
ロッテ 歌のアルバム
(1975年4月 - 1979年9月)
朝日放送から移行】
毎日放送 日曜12:15枠
【本番組からグリコグループ単独提供枠】
サモン日曜お笑い劇場
※12:00 - 12:45
【日曜16:45枠へ移動】
グリコがっちり買いまショウ
(1975年4月6日 - 1975年11月30日)
伸介のグリコがっちりショッピング
(1975年12月7日 - 1977年3月27日)
NET系列 日曜14:45枠
【オリエンタル一社提供枠】
前番組 番組名 次番組
錦之助夫妻のヨーロッパの休日
オリエンタルがっちり買いまショウ
(1963年12月1日 - 1963年12月)
テキサス・レンジャー
【日曜10:00枠から移動】
NET 日曜12:45枠
【オリエンタル一社提供枠 → グリコグループ単独提供枠】
おしゃれ作戦
オリエンタルがっちり買いまショウ

グリコがっちり買いまショウ
(1964年1月 - 1975年3月30日)
新婚さんいらっしゃい!
(1975年4月 - 1994年9月)
【TBS系列から移行】
TBS 日曜12:15枠
【本番組からグリコグループ単独提供枠】
新婚さんいらっしゃい!
(1971年1月31日 - 1975年3月)
【NET系列へ移行】
グリコがっちり買いまショウ
(1975年4月6日 - 1975年11月30日)
伸介のグリコがっちりショッピング
(1975年12月7日 - 1977年3月27日)