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たてかべ和也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たてかべ かずや
たてかべ 和也
1962年
1962年
プロフィール
本名 立壁 和也
(たてかべ かずや)[1][2][3][4]
愛称 カベさん[5]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本北海道虻田郡喜茂別町[5][注 1]東京都世田谷区下北沢[2][6]
死没地 日本の旗 日本東京都[7]
生年月日 (1934-07-25) 1934年7月25日
没年月日 (2015-06-18) 2015年6月18日(80歳没)
血液型 A型[8]
職業 俳優声優芸能マネージャー
事務所 ケンユウオフィス
(永劫所属)[8]
配偶者 未婚
公式サイト たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重 168 cm / 64 kg
声優活動
活動期間 1960年代 - 2015年
ジャンル アニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間 1950年代 - 2015年
ジャンル テレビドラマ舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年昭和9年〉7月25日[2][6][5][10] - 2015年平成27年〉6月18日[7])は、日本俳優声優マネージャー。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた[注 2][8]北海道虻田郡喜茂別町出身[5][注 1]東京都世田谷区下北沢育ち[2][6]

1977年まで[注 3]は本名の立壁 和也(読みは同じ)で活動。

経歴

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生い立ち

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北海道虻田郡喜茂別町で誕生[5][注 1]。先祖は除虫菊の栽培をしていたという[6]。父は胆振縦貫鉄道に勤めていたが、身体が弱く仕事を続けられないこともあり、1942年、小学2年生の時に東京都世田谷区下北沢に転居[2][3][6]。そうではなかったら、北海道に在住していたままかもしれないという[4]。「農協などに勤めて、結婚して孫もできて、ストーブに当たりながら『ドラえもん』を見て、別人が演じているであろうジャイアンの声を聞きながら『誰だよ、この憎たらしい声出してるのは』となっていたかもしれない」といったことを語っていた[4]。自身は一人っ子で、少年時代はのび太のようなタイプだったという[4]。言葉に少し北海道訛りがあり、いじめを受ける[3]

戦時中の小学4年生の時は長野県松本市北東部にある浅間温泉に疎開していたが、その後、長野県塩尻市洗馬に疎開先を移った[2]。その頃、夜ごと寝小便をするようになり、終戦の前後6ヵ月間続いていた[2]

疎開先から実家に帰った途端、寝小便は止まって、毎日、東京都世田谷区立代沢国民学校(現・世田谷区立代沢小学校[6]から帰ると野球に熱中しており[2]東京農業教育専門学校附属中学校に入学後も野球に熱中していた[2]

キャリア

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高校時代に「人手が足りないから出てくれないか」と頼まれて演劇部の公演『アルト・ハイデルベルク』のユトナー博士役で参加[2][6]。観客から大好評であり、「俺、ひょっとしたら俳優の素質があるのかも……」「芝居っておもしろいな」と思ったという[2][4]。しかし一方で何事にも縛られることが嫌いだったことから、演劇部には入っていなかった[6]。その後は、劇団民藝の『五稜郭血書』、『炎の人』、文学座の『華々しき一族』等々毎週のように東京中の芝居を見て歩いていた[2]。どれを見ても感銘を受けており、「己の生きる道はこれしかない」と、演劇人への思いや俳優になる夢は日々募るばかりだったという[2]。しかし芝居に特別興味があったわけではなかったという[11]。高校卒業後、日本大学芸術学部演劇学科[5][8]に進学[4][11]。大学時代の同級生に小林清志がいる[12]

高校卒業後、「すぐにでもプロの劇団に飛び込んで研究生にしてもらおう」と考えていたが、両親の顔を見ていたところそれも言い出せなかったこと[2]、一人っ子のため、将来はサラリーマンになり両親の面倒を見るという優しい気持ちがあったこと、またあまり勉強は好きではなく演劇学科だったらなんとなく遊べるような印象があったため、同大学に進学したという[4][11]。同大学進学後も勉強せず、ここでも『どん底』など数々の演劇公演に参加していた[2][4]。この頃、プロデュースの仕事に興味を持ちはじめ、しばらく制作スタッフとしての勉強に力を入れていた[2]

同大学卒業後、テレビプロデューサーを目指して北海道から九州まで数々の放送会社を受けるが、ことごとく就職試験に落ちてしまう[2][11]日本テレビの大道具係として勤務するかたわら、大学時代の同級生だった田中康郎と組んで、劇団演劇座を結成し、『毒薬と老嬢』を北海道札幌市まで公演をしていた[2][11]。その時に大学時代の同級生の小林から「俺たちの劇団に来ないか」と言われて、劇団泉座[8]に入団[6][11]。泉座は中華人民共和国の芝居をしていたが、イデオロギー優先のものがほとんとで、『毛沢東語録』を読んで勉強するような、面白くない芝居ばかりだった[6]。「やらないか」と言われたことから、「じゃあやってみるか」ぐらいの気持ちで舞台には立っていた[6]

テレビ放送開始後、洋画の吹き替えに出演して声優としての活動を始める[6][11]。最初に吹き替えをしていた外画は「お金になるんだよ」ということを言われただけで、内容は全然覚えていなかった[6]。テレビドラマのデビューは『ダイヤル110番[6]。演劇集団未踏[9]東京俳優生活協同組合[13]河の会[13]江崎プロダクション[14]に所属していた。

以前は本名で活動していたが、『タイムボカン』への出演を機に、子供にもわかりやすい「たてかべ和也」に改名したという[4]

事務所のマネージャーとちょっとしたボタンの掛け違いのようなことがあり、当初はズレを感じている程度かと思ったが、気が付くと、同じような疑問を感じている人物が周囲にもいた[6]。その時、「じゃあ、俺たちでやろうか」ということになり、1979年、オフィス央[8]という事務所を興し、社長職と声優を兼務していた[6]。マネージャーのようなことをして皆を売ろうとしていたが、結局は自分だけが売れてしまったりしており、役者をしながらマネージャーをするという気持ちはなかった[6]タイムボカンシリーズ、『ドラえもん』もあったことからやらざるを得なかったが、本音は皆を売りたかったという[6]堀内賢雄を見出したのはこのオフィス央時代である[5]。事務所のメンバーの反対を押し切って一緒に来ていた者は5年も頑張って来たことから、「このままやっていこう」と言ってくれた[6]。しかし事務所に圧力がかかってくるようなこともあったため、「このままでは厳しい」と思い、合併を決断し、1984年ぷろだくしょんバオバブ[8]に吸収合併される[6][15]。堀内がバオバブから独立し、ケンユウオフィスを立ち上げてからは、たてかべも同事務所に移籍し取締役も兼務していた[5]

受賞歴

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2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』のレギュラー陣(大山のぶ代小原乃梨子野村道子肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞[16]。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人と共に第3回功労賞を受賞[17]

闘病・死去

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2009年に、胃癌を患いを全摘出した[5][18]。この際の治療でこだわったのは、レギュラーだった『ヤッターマン』のトンズラー役をやりきることだった。この癌までは大病が無く、一度も入院した経験もなかったため、「その手の事務仕事が苦手で、ストレスになってたかもしれない」と語っていたが、マネージャーが全てやってくれたという[5]

2015年6月18日午後1時49分、急性呼吸不全のため、東京都内で死去した。満80歳没(享年82≪数え年≫)[7]。たてかべは生涯独身で、親族と事務所関係者が最後を看取ったといわれる。2009年の胃の全摘出後は、癌の再発はなかったものの、晩年まで体調が優れず、老衰のような形で亡くなったという[18]。レギュラーを務めていた『ベン10』のマックス・テニスン役がたてかべの最後の仕事であった。2015年6月19日放送の『ドラえもん』の冒頭にて追悼テロップが流れ故人を偲んだ[19]

たてかべの訃報に際して遺族やファン、テレビ朝日[20] や元相方の堀内の他、木村昴[21]水田わさび[22]神谷明[23]千葉繁井上和彦などがツイッターやブログ、ウェブサイトなどでその死を悼み[24]藤子・F・不二雄ミュージアムの公式ブログでも追悼コメントが掲載された[25]

たてかべの通夜6月23日青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子野村道子肝付兼太よこざわけい子野沢雅子かないみか山寺宏一戸田恵子ら約900人が参列。多数の声優や関係者からの供花が贈られた。前ドラえもん役の大山のぶ代は当時患っていた認知症の悪化もあり参列できなかった。その代わりにメッセージカードを寄せたが、封を開けずにに入れられたため内容は明らかにされていない。また、かないも自身のTwitterで母親の田上和枝も一緒に参列したことを語っている[26]。通夜においては、葬儀委員長の堀内により挨拶が行われ、肝付が弔辞を寄せた[27][28][29]

たてかべの長年の盟友であった肝付は阪神タイガースファンだったたてかべに「阪神は優勝圏内にいますよ。優勝するといいですね」とV祈願をし、最後はスネ夫の声で「ジャイアーン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ」と悲痛な声を挙げた[27]。告別式は翌6月24日に同じ青山葬儀所にて営まれ、声優仲間など約600人が参列した。通夜に引き続いて肝付が弔辞を読み、「ドラえもんの26年は本当に楽しかったです。かべさんのおかげです」と感謝の言葉を述べ、スネ夫の声で「ジャイアーン!」と叫んで締めくくった[30]。また、葬儀委員長の堀内も挨拶に立ち、公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます。」と表明し、当初は涙をこらえていたが、最後にはたてかべの遺影に向かって「かべさーん、かべさーん」と声を震わせて叫び、「日本一の師匠でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べた[31]。遺体には愛用の帽子とジャイアンのトレードマークであるオレンジ色のTシャツが着せられ、出棺の際には事務所の意向で白い鳥を模した風船80個が飛ばされた。その後、遺体は品川区桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。

この告別式は、最終所属先であったケンユウオフィスが葬儀主催を務めた[28]。なお、たてかべは先述の癌治療を受けていたときの酒の席で「葬儀は内輪でやってくれればいいから」「偲ぶ会はどうだ?」と堀内に軽い口調で言ったが、「葬儀は盛大にやるから」と言われ「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたと、存命時のインタビューで語っていた[5]

ケンユウオフィスは、たてかべの死後も「永劫所属」という扱いで、たてかべのプロフィールを残している。

人物・特色

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声優としての代表作に、『ど根性ガエル』(第1作)の五利良イモ太郎〈ゴリライモ〉役、『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン役、『ヤッターマン』のトンズラー役などのタイムボカンシリーズ、『ドラえもん』(テレビ朝日版第1期)の剛田武〈ジャイアン〉役などがあった[32]

声種バリトン[13]

ゴリラのようないかつい役で知られていた[33]。たてかべ自身はジャイアンに限らず、傍若無人な役を演じるのは嬉しくて楽しかったという[11]

俳協時代は吹き替え以外にも、映りの仕事やラジオの仕事があったが、どれも名前もない端役だった[6]。映りの仕事は出番は少ないのに何日も拘束されたりもしていたが、吹き替えの仕事は嵐が来ても中止にならず、同じ端役なら吹き替えのほうがいい仕事だったという[6]

『ど根性ガエル』のゴリライモ役は、オーディションではなく、決め打ちで仕事が来ていたことからゴリライモ役を演じていたんではないかと語る[6]

タツノコプロのアニメに起用された際、初代社長の吉田竜夫に気に入ってもらい、プロデューサーに「これから、タツノコ作品にはたてかべさんを使う」と推薦してもらったこともあったという[11]

ベン10』ではマックス・テニスン役を演じたが、オーディションで日本語版製作スタッフはたてかべの起用には消極的だった[6]。しかしオーディションで録音した音声をアメリカに送ったところ、アメリカからマックスの声はたてかべに、との指名があり、起用に至ったという[6]

1991年に死去した吉村ようから、持ち役の一部を引き継いでいた[注 4]

趣味は野球観戦、読書[8]

座右の銘は「元気、勇気、人気、時々呑気」[11]

対人関係

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ぷろだくしょんバオバブに所属していた頃は、「合併が失敗だったとみんなが思ってしまうようなことになってはいけない」と思い、「『ドラえもん』だけはやめるわけにはいかないけど、ほかの仕事はやらなくていいから」と言われ、マネージャー業も務め[6][34]、さらに常務取締役として矢島晶子[35]水谷優子[35]折笠愛[36]、2005年以降ドラえもんの声を担当している水田わさび[37]らを見出し、スカウト力にも長けていた。

特に矢島には、デビュー作から主演の『アイドル伝説えり子』を斡旋し、『クレヨンしんちゃん』も「園児の1人くらいは受かるかもしれない」とオーディションを斡旋した[35]。矢島は「人材発掘して育てるのが好きだったようだ」と語っており、当時劇団青年座にいた水谷に至っては事務所が違うにもかかわらず薦めていたという[35]。また、高木渉も一回だけの予定で見学に行った『ミスター味っ子』の収録現場で、たてかべから「来週は来ないのか?」「1日だけの見学で何がわかる。やる気があるなら最後まで来なさい」と言われ毎週見学に行くようになり、それが1年半の見学通いとなった。そこから高木はガヤを演らせてもらえるようになり[38]、脇役でのデビューに繋がったという[39]

音響監督に「声が悪目立ちする」と評されていた後藤邑子には「声が悪目立ちするという欠点は、アニメでは武器にもなる。毒は薬にもなる」とアドバイスを送っている[40]

ジャイアン役

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ドラえもん』ではジャイアンこと剛田武役を1979年から2005年まで26年間担当した。ジャイアンの仕事が来たときは全然わかっておらず、「とにかく仕事が入った」というくらいだった[6]。その時、「『ドラえもん』ってなんだ?」と思っており、藤子不二雄作品だったが、その人物も聞いたことがなかった[6]。『オバケのQ太郎』は知っていたが、作者は無知だった[6]。『ドラえもん』のキャスティングは、前述のゴリライモがあったからだと語る[6]

降板に際したインタビューでは、喜怒哀楽が激しく自分勝手なジャイアンを演じるためにエネルギーがいるため、1日20本の煙草を吸い、週6で酒を飲んで役に挑んでいたという。また、最後の収録を3か月後に控えて「最後の録音日に足掛け26年を振りどんな気持ちになるのか。もしかしたら、泣いてしまうかもしれません」と語り、次のジャイアン役には「ジャイアンと同じ性格では、生々しくなり彼の優しさや悲しさ嬉しさを表現できないので、気持ちが優しい人ならいいと思う」との希望を述べていた[41]

また、「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたが、後任となった木村昴が当時中学生であることを知ってがっかりしたものの、「あと5年は長生きして一緒に飲みたい」と語っていた。たてかべの念願が叶ったのは木村が20歳の誕生日を迎えてしばらくしてからであった[42]。その間、木村が通っていた高校が偶然たてかべ宅と近かったこともあり、文化祭など学校でイベントが開催されるたびに足を運んでいたという。

『ドラえもん』映画シリーズの監督やチーフディレクターをつとめた芝山努によると、「声優陣はキャラクターを深く理解しているからこちらからは何も言わない。」と前置きしたうえでたてかべを例に出し、たてかべは「汚い言葉を使わないように」と意識していたらしく「バカヤロー!」や「クソッ」などの台詞をシナリオに入れると「ジャイアンはこんなこと言わない」とクレームが入ったとのこと[43]。また、ジャイアンが空き地でたびたび歌っていた「おれはジャイアンさまだ!」の作詞も担当している。

後任

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たてかべの高齢に伴う降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
石井康嗣 ビッグ・ハンド 怪物くん』第2作 『CR怪物くん デーモンの剣』
辻親八 マックス・テニスン ベン10 『ベン:10』
三宅健太 三悪の怪力男 タイムボカンシリーズ CRヤッターマン

出演

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太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

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1964年
1966年
1967年
1968年
  • 怪物くん(ドクター・イエス)
  • 佐武と市捕物控(まむし、八五郎、源次、銀次、権次、六助、瓦版売り、伝八親分、番太、浪人、大五郎、菅六、おやじ、越前屋、番頭、先達、弥助、竜達、源太、伍助、房造、家老、喜助 他)
  • ファイトだ!!ピュー太(ドロネコ、予想屋、医者)
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1986年
1988年
1990年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2008年
2009年
2011年
2012年
2015年

劇場アニメ

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1966年
1971年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2009年
2010年

OVA

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ゲーム

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1992年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2008年
2011年
2012年
2019年
2021年

吹き替え

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洋画

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海外ドラマ

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海外アニメ

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人形劇

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特撮

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ドラマCD

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  • ドラマCD 君が主で執事が俺で(デニーロ)
  • ドラマCD やさしい竜の殺し方外伝(地の長老・不動のマゼラン)
  • Devil May Cry(アグニ)
  • ドラマCD ひぐらしのなく頃に 暇潰し編(ダム現場監督)
  • タイムボカンシリーズ(いずれもビクターエンタテインメント
    • タイムボカン(ワルサー
    • タイムパトロール隊オタスケマン(ドワルスキー、ワルサー、トンズラー、ドンジューロー)
    • タイムボカン名曲大全(トンズラー
    • タイムボカン カラオケ博覧會(トンズラー
    • 悪玉馬券塾(ワルサードンジューロードワルスキースカドン
    • タイムボカン王道復古 特訓満漢全席(トンズラー
    • 平成タイムボカントンズラー
    • 天才ドロンボー'08(シングルCD、ドロンボー名義)
    • ドロンボー伝説'08(アルバムCD、ドロンボー名義)
  • 遙かなる時空の中で 舞一夜 〜常緑〜(切わずの杉)

CM

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ジャイアンの声で出演

その他の声の出演

テレビドラマ

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映画

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  • ヤッターマン(実写映画版)(どくろ鮨の客)※アニメ版監督の笹川、ドロンジョ役の小原と共に顔出し出演

テレビ番組

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舞台

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  • 爆笑活劇 パタリロ西遊記2007年(釈迦

その他コンテンツ

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ディスコグラフィ

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キャラクターソング

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発売日 商品名 楽曲 備考
1977年2月25日 タイムボカンシリーズ ヤッターマンより「ドクロベエさまに捧げる歌/ヤッターマン・ロック」 山本まさゆき、ドロンジョ(小原乃梨子)、ボヤッキー(八奈見乗児)、トンズラー(立壁和也 「ドクロベエさまに捧げる歌」 テレビアニメ『ヤッターマン』挿入歌
1978年7月 タイムボカンシリーズ ヤッターマンより「おだてブタ/ドロンボーのなげき唄 ドロンジョ(小原乃梨子)、ボヤッキー(八奈見乗児)、トンズラー(立壁和也)、ドクロベエ(滝口順平)、お褒めブタ/なげきブタ(富山敬 「ドロンボーのなげき唄」 テレビアニメ『ヤッターマン』関連曲
1979年10月 みんなのアイドルゼンダマン ムージョ(小原乃梨子)、トボッケー(八奈見乗児)、ドンジューロー(立壁和也)、ナレーション(富山敬) 「ムージョ様のために」 テレビアニメ『ゼンダマン』関連曲
ムージョ(小原乃梨子)、トボッケー(八奈見乗児)、ドンジューロー(立壁和也)、鈴木雪夫 「サイバンマシーンとアクダマン」
1980年6月 タイムボカンシリーズ「タイムパトロール隊オタスケマン」主題歌 オリジナル・ドラマ集 山本まさゆき、アターシャ(小原乃梨子)、セコビッチ(八奈見乗児)、ドワルスキー(立壁和也 「アーウー・オジャママン」
「ディスコ・キラキラスター」
テレビアニメ『タイムパトロール隊オタスケマン』関連曲
山本まさゆき、アターシャ(小原乃梨子)、セコビッチ(八奈見乗児)、ドワルスキー(立壁和也)、少年少女合唱団みずうみ 「オタスケマンかぞえ唄」
1981年7月 ドラえもん バラエティ★ジョッキー4 ジャイアン(たてかべ和也 おれはジャイアンさまだ! テレビアニメ『ドラえもん』関連曲
のび太(小原乃梨子)、スネ夫(肝付兼太)、ジャイアン(たてかべ和也 「ワンパク三人組」
1993年12月16日 タイムボカン王道復古 特訓万感全席 小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也 「-さんあく18年-君を離さないチュッ☆」 OVA『タイムボカン王道復古』エンディングテーマ
2000年6月21日 タイムボカン2000 怪盗きらめきマン きらめき劇中大音盤 ルージュ(小原乃梨子)、ヒエール(八奈見乗児)、オンドレー(たてかべ和也 「壊盗ドロンボー」 テレビアニメ『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』関連曲
2004年7月22日 pop'n music 11 AC CS pop'n music 9 ジャイアン(たてかべ和也 「おれはジャイアンさまだ!(新録)」 ゲーム『ポップンミュージック11』関連曲
2013年6月19日 逆ギレ・アウチ!! RED SPIDER / 台詞 - ジャイアン(たてかべ和也 「INTERLUDE 〜心の友〜」

作詞

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著書

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  • 『一流の声優になる マニュアルのない職業就活ガイドシリーズ2』(ゴマブックス、2009年)ISBN 978-4-77-711254-8

たてかべを演じた人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 北海道虻田郡倶知安町と書かれた資料もある[2]
  2. ^ 現在も「永劫所属」の形で公式サイトにプロフィールが掲載されている。
  3. ^ タイムボカン』のエンディングのクレジットでは1976年12月放送の最終話まで「立壁和也」名義で、1977年1月放送の『ヤッターマン』第1話では「たてかべ和也」名義でクレジットされている。
  4. ^ 押忍!!空手部』の加馬田稲作。
  5. ^ エンドクレジットでは「たてかべ和哉」と誤表記。
  6. ^ 死去した吉村ようの後任。

出典

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  1. ^ 掛尾良夫 編「男性篇」『声優事典 第二版』キネマ旬報社、1996年3月30日、176-177頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 勝田久「file No.23 たてかべ和也」『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』駒草出版、2017年2月22日、257-264頁。ISBN 978-4-905447-77-1 
  3. ^ a b c 神谷明「たてかべ和也●僕、一生懸命さが物凄く好きなんです」『声優ハートフルトーク21』青磁ビブロス、1995年7月1日、157-168頁。ISBN 4-88271-342-X 
  4. ^ a b c d e f g h i 青野武 ほか『演声人語 : ベテラン声優が語る役者人生』ソニー・マガジンズ、2000年6月、101-112頁。ISBN 4789715698 
  5. ^ a b c d e f g h i j k スキルス胃がんの手術後も声優業を精力的に続ける声優界のベテラン、 たてかべ和也さん 「人ありてこそ、我あり」の姿勢が、がんを追い払う強運をもたらした | がんサポート 2017年2月22日閲覧
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 大地丙太郎「特集 ジャイアン・スピークス! たてかべ和也インタビュー」『フリースタイル27』フリースタイル、2014年10月6日、49-69頁。ISBN 978-4-939138-74-4 
  7. ^ a b c 初代ジャイアン役、たてかべ和也さん死去,日刊スポーツ,2015年6月19日
  8. ^ a b c d e f g h たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス”. 2020年4月28日閲覧。
  9. ^ a b 『アニメーション大百科』東京三世社、1981年、206頁。 
  10. ^ 日本タレント名鑑 2012』株式会社VIPタイムズ社、2012年、231頁。ISBN 978-4-904674-03-1 
  11. ^ a b c d e f g h i j 「極 声魂/たてかべ和也」『声優アニメディア』2008年11月号、学研ホールディングス、2008年11月、102-103頁。 
  12. ^ 【アメリア】みんなで作るインタビュー6・小林清志さん紹介編 2017年2月22日閲覧
  13. ^ a b c 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、90頁。 
  14. ^ 『出演者名簿(1978年版)』著作権資料協会、1977年、286頁。 
  15. ^ ぷろだくしょんバオバブ 会社概要 2017年2月22日閲覧
  16. ^ 過去の受賞作品”. 日本映画批評家大賞. 2017年2月22日閲覧。
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外部リンク

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