もしもしスタジオ
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もしもしスタジオ | |
---|---|
ジャンル | ワイドショー |
製作 | |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
1972年4月から同年9月まで | |
放送期間 | 1972年4月3日 - 同年9月 |
放送時間 | 平日 14:00 - 14:30 |
放送枠 | TBSテレビ系列平日午後のワイドショー枠 |
放送分 | 30分 |
1972年10月から1974年9月まで | |
放送期間 | 1972年10月 - 1974年9月 |
放送時間 | 平日 14:00 - 14:40 |
放送枠 | TBSテレビ系列平日午後のワイドショー枠 |
放送分 | 40分 |
1974年10月から1975年3月まで | |
放送期間 | 1974年10月 - 1975年3月28日 |
放送時間 | 平日 14:00 - 14:30 |
放送枠 | TBSテレビ系列平日午後のワイドショー枠 |
放送分 | 30分 |
1975年3月から1976年10月まで | |
放送期間 | 1975年3月31日 - 1976年10月1日 |
放送時間 | 平日 11:00 - 11:30 |
放送分 | 30分 |
特記事項: 大丸グループの一社提供[1]。TBS初の午後のワイドショー。 |
『もしもしスタジオ』は、1972年4月3日から1976年10月1日までTBS系列で放送されたワイドショー。大丸グループの一社提供[1]。
概要
[編集]主婦にとって家庭の健康や、子どもの育児、日常問題など、気軽に相談できない問題、それを電話で引き受ける番組だった。
番組内容は「スタジオにテレフォン・センターを新設、二十回線を引き、20人の「もしもしガール」が視聴者の訴えをメモし、ポピュラーなテーマを追って回答する[2]」というものであった。
1973年7月2日開始の『3時にあいましょう』より、1年以上も前に開始した、TBSでは初の午後のワイドショーだった。しかし、1975年3月31日の「腸捻転解消」(当時朝日放送は同じく大丸グループ提供の『ワイドショー・プラスα』を放送)を目前にした、同年3月28日で14時台の放送を終了。TBS平日14時開始のワイドショーは、1992年10月5日開始の『スーパーワイド』まで17年半存在しなかった。同年3月31日からは、平日11時に移動し、翌年の10月1日まで放送した。[3]
基本的には関東ローカルを前提としていた番組だった。
放送時間
[編集]放送期間 | 放送時間(JST) | |
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1972年4月 | 同年9月 | 平日14:00 - 14:30 |
1972年10月 | 1974年9月 | 平日14:00 - 14:40 |
1974年10月 | 1975年3月 | 平日14:00 - 14:30 |
1975年3月 | 1976年10月 | 平日11:00 - 11:30 |
出演者
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]- ^ a b 「TBS50年史 資料編」(東京放送)146頁、150頁 2002年
- ^ 1972年4月3日付け「東京新聞」ラジオ・テレビ欄の番組解説より要約。
- ^ 毎日新聞縮刷版1975年3月752頁では、14時台の最終回を示すマークはなく、TBS50年史 資料編(東京放送)146頁は、最終回になっている。11時台開始時はTBS50年史 資料編(東京放送)150頁では新番組扱い。毎日新聞縮刷版1975年3月832頁では新番組扱いではない。内容は縮刷版を見る限り14時台と11時台で同一
関連項目
[編集]TBS 平日14:00 - 14:30枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
もしもしスタジオ
(1972.4 - 1975.3) |
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TBS 平日14:30 - 14:40枠 | ||
もしもしスタジオ
(1972.10 - 1974.9) 【この期間のみ10分拡大】 |
世界のハネムーン(再)
(14:30 - 14:45) |
|
TBS 月曜 - 木曜11:00 - 11:30枠 | ||
もしもしスタジオ
(1975.3 - 1976.10) |
ペイトンプレイス物語
(再、平日帯) |
|
TBS 金曜11:00 - 11:30枠 | ||
もしもしスタジオ
(1975.3 - 1976.9) |
ペイトンプレイス物語
(再、平日帯) |