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アイム・ア・ボーイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「アイム・ア・ボーイ」
ザ・フーシングル
B面 イン・ザ・シティ
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1966年7月-8月 ロンドン IBCスタジオ[2]
ジャンル ロック
時間
レーベル イギリスの旗リアクション・レコード
アメリカ合衆国の旗デッカ・レコード
作詞・作曲 ピート・タウンゼント
プロデュース キット・ランバート
チャート最高順位
  • 2位(イギリス[3]
ザ・フー シングル 年表
ザ・キッズ・アー・オールライト
(1966年)
アイム・ア・ボーイ
(1966年)
ラ・ラ・ラ・ライズ
(1966年)
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アイム・ア・ボーイ」(I'm a Boy)は、イギリスロックバンドザ・フーの楽曲。1966年にシングルとしてリリースされた。作詞・作曲はピート・タウンゼントオリジナル・アルバム未収録曲。

解説

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純粋な新曲としては、3月リリースの「恋のピンチ・ヒッター」以来となるが、全英2位につける大ヒットとなった。曲の冒頭部のみ、タウンゼントがリード・ボーカルをとっている。この曲は、タウンゼントが考案したミュージカルクアッズ(Quads)」から生まれている。物語は西暦2000年が舞台で、自分の子供の性別を自由に選べる時代になっており、ある女性が女の子4人を望んで出産するが、一人は男の子として生まれてくる。母親は男の子を女の子として扱おうとする・・・という内容である。「クアッズ」自体はその後破棄され、この曲のみが残った[4]

この曲は当時ザ・フーのマネージャーだったキット・ランバートが初めてプロデュースした作品でもあるが、この曲の間奏のコーラスは、イギリスのバロック作曲家ヘンリー・パーセルの曲からインスピレーションを受けている。これはランバートがタウンゼントに聴かせていたものであった[4]

B面収録の「イン・ザ・シティ」は、ザ・フーのナンバー中唯一のジョン・エントウィッスルキース・ムーンの共作だが、スケジュールを知らされていなかったタウンゼントとロジャー・ダルトリーがスタジオに現れなかったため、エントウィッスルとムーンの二人だけで録音を行ったという経緯がある[5]

別バージョン

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1971年にリリースしたベストアルバムミーティ・ビーティ・ビッグ・アンド・バウンシィ』には、オリジナル版よりもテンポを落とし、ジョン・エントウィッスルフレンチホルンをフィーチャーしたバージョンがステレオ・ミックスにて収録されているが、これはオリジナル版リリース後の1966年10月に再レコーディングされたものである[6]。また、このバージョンのモノラル・ミックスがベストアルバム『Ultimate Collection』の英米盤で発掘されている。またオリジナル・バージョンにもステレオ・ミックスが存在し、これら4つのバージョンが2008年の『ア・クイック・ワン』コレクターズ・ボックスおよび2012年のコレクターズ・エディションに収録された。また、この他にオリジナル・バージョンからイントロのコーラスやエントウィッスルのホルンが欠落したバージョンも存在し、これはボックスセット『Thirty Years of Maximum R&B』(1994年)に収録されている。

コンサートでも頻繁に演奏され、1995年にリリースされた『ライヴ・アット・リーズ』25周年版に、1970年リーズ大学公演の音源が収録されている。

脚注

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  1. ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、325頁。
  2. ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、121頁。
  3. ^ The Who | full Official Chart History | Official Charts Company
  4. ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、103頁。
  5. ^ 『ア・クイック・ワン』コレクターズ・エディション(2012年)付属の犬伏功による解説より
  6. ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、124頁。