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アンソニー・ウエスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンソニー・ウエスト
生年月日 (1981-07-17) 1981年7月17日(43歳)
クイーンズランド州マリーボロー
現在のチーム MZレーシングチーム
ゼッケン 8
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2007年2008年, 2015年
マニファクチャラー
チャンピオン0
2015年 順位NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
32 0 0 0 0 109
ロードレース世界選手権 500ccクラス
活動期間2001年
マニファクチャラーホンダ
チャンピオン0
2001年 順位18位 (27 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
14 0 0 0 0 27
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2010年2016年
マニファクチャラー
チャンピオン0
2016年 順位27位 (6 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
99 1 1 0 0 193
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間1999年2000年, 2003年2007年
マニファクチャラー
チャンピオン0
2007年 順位19位 (25 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
92 1 5 0 1 578
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間1998年
マニファクチャラーHonda
チャンピオン0
1998年 順位NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
1 0 0 0 0 0
スーパーバイク世界選手権
活動期間2016年2017年
マニファクチャラーKawasaki
チャンピオン0
2017年 順位27位 (13 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
16 0 0 0 0 77

アンソニー・ウエストAnthony "Ant" West1981年7月17日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州マリーボロー出身のオートバイレーサー。ダートトラックレースの出身であり、ウェットコンディションでのレースに強く "The Rain Man" とあだ名される[1]

経歴

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GPデビュー

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1998年、地元オーストラリアGPの125ccクラスへのワイルドカード参戦で世界選手権デビューを果たす。翌1999年にはシェル・アドバンス・ホンダチームから250ccクラスにフル参戦を開始、2000年にはシリーズランキング6位を記録した。

500ccクラス

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2001年、Dee Cee Jeans レーシングチームから最高峰500ccクラスにデビューする。参戦した14戦中11戦でポイントを獲得し、シリーズランキングは18位となった。しかし2002年にはシートを失い、1年間浪人生活を送ることになった。

再び250ccへ

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2005年 KTM時代

2003年からは250ccクラスに戻り、2年間イタリアのアブルッツォ・レーシングチームでプライベーター仕様のアプリリアを駆った。2003年にはダッチTTでGP初優勝を果たし、他にも3回表彰台を獲得する活躍を見せた。

2005年は新たに250ccクラスに参戦を開始するKTMのワークスチームと契約を結んだが、マシンの開発の遅れによってシーズンの大半を欠場する羽目になった。それでもKTMデビュー戦の第8戦イギリスGPではウェットコンディションの中2位表彰台を獲得した。

2006年はキーファー・ボス・レーシングチームに移籍し、再びプライベーター仕様のアプリリアを駆った。

WSS ~ MotoGPへ

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2007年

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2007年シーズン序盤はマッテオーニ・レーシングでセミワークス仕様のアプリリアRSW250LEを駆ったが、満足な結果が残せず、シーズン中盤にチームを去ることになった。

しかしその後、ウエストはコンペティティブなマシンさえあれば結果を出せることを証明してみせた。スーパースポーツ世界選手権第6戦モンツァ、負傷したケビン・カーテンの代役としてヤマハ・YZF-R6を駆ったウエストは、初めてのマシン、初めてのサーキットで18番グリッドから3位表彰台を獲得する。そしてウェットレースとなった第7戦シルバーストンで初優勝を遂げ、第8戦ミサノでも連勝を飾るめざましい活躍を見せ[2]、13戦中3戦の出場にもかかわらずシリーズランキング9位に入った。

この活躍が認められ、ウエストは6月にシーズン途中での現役引退を発表したオリビエ・ジャックの後釜として、カワサキ・レーシングチームニンジャ・ZX-RRを駆り、MotoGPクラスのシーズン中盤以降を戦うことになった。カワサキはヤマハに違約金を払ってウエストを獲得した[3]。出場した11戦全戦に完走し、最高位は第11戦アメリカGP第15戦日本GPでの7位だった。ウェットレースとなった日本GPではジャンプスタートを犯しライドスルーペナルティを受けており、もしジャンプスタートがなければもっと上位を獲得できた可能性が大きく、残念な結果となった。

2008年

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ウエストは2008年シーズンもカワサキに残留し、新たに加入したジョン・ホプキンスと共にフルシーズンを戦った。ところがこのシーズンのZX-RRは戦闘力に欠けており、ウエストは最下位近辺の常連となってしまった。それでも2007年型のフレームに戻した第12戦チェコGPでは予選6番手からスタートし、ブリヂストン勢最上位となる5位でフィニッシュする活躍を見せた。

再びWSSへ (2009年)

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2009年シーズンはMotoGPでのシートを確保することができなかったため、スーパースポーツ世界選手権に再び参戦。スティッギー・ホンダ・チームでCBR600RRを駆り[4]、開幕戦の地元フィリップアイランドでの3位を皮切りに3度表彰台を獲得し、シリーズランキング7位の成績を残した。

Moto2クラス

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2010年

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2010年シーズンはロードレース世界選手権に復帰を果たした。このシーズンより新たに始まったMoto2クラスに、MZのシャシーを駆って参戦[5]。なおMZは現在、元グランプリライダーのマーチン・ウィマーがCEOを務めている[6]。ウエストは全17戦中15戦で完走したものの、ポイント獲得は5レースに留まり、シリーズランキングは23位に終わった。しかし決勝以外の全てのセッションが雨に見舞われた第17戦ポルトガルGPでは2つのセッションでトップタイムをマークし、レインマスターとしての腕が健在であることを見せつけた。ドライとなった決勝でも、シーズン自己ベストとなる7位に入賞した。

2011年

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2011年シーズンもMZに残留、チームは2台体制に規模を拡大し、マックス・ノイキルヒナーをチームメイトに迎える[7]

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント 順位
1998年 125cc ホンダ 1 0 0 0 0 0 -
1999年 250cc TSRホンダ 16 0 0 0 0 66 12位
2000年 250cc ホンダ 16 0 0 0 0 146 6位
2001年 500cc ホンダ 14 0 0 0 0 27 18位
2003年 250cc アプリリア 16 1 4 0 0 145 7位
2004年 250cc アプリリア 14 0 0 0 0 88 11位
2005年 250cc アプリリア 1 0 0 0 0 30 17位
ホンダ 1 0 0 0 0
KTM 5 0 1 0 1
2006年 250cc アプリリア 16 0 0 0 0 78 11位
2007年 250cc アプリリア 7 0 0 0 0 25 18位
MotoGP カワサキ 11 0 0 0 0 59 15位
2008年 MotoGP カワサキ 18 0 0 0 0 50 18位
2010年 Moto2 MZ 17 0 0 0 0 26 23位
2011年 Moto2 MZ
合計 153 1 5 0 1 740

脚注

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外部リンク

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