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オットー・グレアム (Otto Graham,1921年12月6日 - 2003年12月17日)は、イリノイ州ウォキーガン出身のアメリカンフットボールの元選手である。1946年から1955年まで、AAFC・NFLのクリーブランド・ブラウンズにクォーターバック(QB)として所属した。
グレアムが当時において、最も支配的な選手の1人として評価されており、現役生活の10年間で7回のリーグ優勝に輝いた(内4回はAAFC)。その間のチーム成績は57勝13敗1分、NFLプレイオフでは9勝3敗であった。現代ではグレアムの通算記録はほとんど塗り替えられているが、当時としては圧倒的な成績を残した[1]。
グレアムは、イリノイ州ウォキーガンの音楽教師の家に産まれた。1940年、バスケットボールの奨学生としてノースウェスタン大学に進学したが、フットボールを主にプレーした。第二次世界大戦の終盤に短期間従軍した後、1945年から1946年にかけて、当時NBAとライバル関係にあったバスケットボールリーグのNBLでプレーし、リーグチャンピオンに輝いた[2]。
1946年、グレアムはAAFCのクリーブランド・ブラウンズと契約し、フットボール選手としてデビューすると、ブラウンズをAAFCチャンピオンに導いた。グレアムは、「北米4大プロスポーツのうち2つでチャンピオンリングを獲得した初めての選手」となった(二人目はジーン・コンリー)[2]。
1955年のフットボール引退後は、 アメリカンフットボールの大学オールスターゲームでコーチを務めるとともに、コーストガードアカデミーのフットボールチームのコーチに就任した。1966年には、ワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任し[4]、退任後は再びコーストガードアカデミーのコーチに戻った。コーチ退任後、大学のスポーツ部門統括管理者を務め、1984年に役職を引退した[6]。
1965年、殿堂入り。
- ^ “Hall of Fame quarterback Otto Graham dies at 82”. The Southeast Missourian: p. 4B. (December 18, 2003). https://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=20031218&id=j-opAAAAIBAJ&sjid=7dUEAAAAIBAJ&pg=2539,6697878 July 6, 2012閲覧。
- ^ a b Larson, Lloyd (March 24, 1946). “Rochester Clips Skins, Wins Title”. The Milwaukee Sentinel: p. 1. オリジナルのNovember 17, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151117025758/https://news.google.com/newspapers?id=LbwdAAAAIBAJ&sjid=BQ0EAAAAIBAJ&pg=7140,4025504&dq=rochester+royals&hl=en July 4, 2012閲覧。
- ^ Povich, Shirley (August 13, 1964). “Otto Graham Is Determined Not To Be Forgotten”. The Milwaukee Journal: p. 12. オリジナルのNovember 17, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151117033737/https://news.google.com/newspapers?id=M90jAAAAIBAJ&sjid=hScEAAAAIBAJ&pg=1774,1155259&dq=otto+graham+jets&hl=en July 6, 2012閲覧。
- ^ “Foels Succeeds Otto Graham”. Youngstown Vindicator. United Press International: p. 21. (February 29, 1984). https://news.google.com/newspapers?id=bbk_AAAAIBAJ&sjid=RVcMAAAAIBAJ&pg=5424,4409415&dq=otto+graham+redskins&hl=en July 6, 2012閲覧。
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1977年から2011年まで中断 |
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AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(7回)
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AP通信 1947 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
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- エンド
- タックル
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- ガード
- センター
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AP通信 1948 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
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- エンド
- タックル
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- ガード
- センター
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AP通信 1949 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
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- エンド
- タックル
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- ガード
- センター
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AP通信 1951 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
- エンド
- オフェンシブライン
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- ディフェンシブエンド
- ディフェンシブタックル
- ディフェンシブガード
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- ラインバッカー
- ディフェンシブハーフバック
- セイフティ
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AP通信 1953 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
- エンド
- オフェンシブライン
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- ディフェンシブエンド
- ディフェンシブタックル
- ディフェンシブガード
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- ラインバッカー
- ディフェンシブハーフバック
- セイフティ
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AP通信 1954 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
- エンド
- オフェンシブラインマン
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- ディフェンシブエンド
- ディフェンシブタックル
- ディフェンシブガード
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- ラインバッカー
- ディフェンシブハーフバック
- セイフティ
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AP通信 1955 オールプロ ファーストチーム
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- クォーターバック
- ハーフバック
- フルバック
- エンド
- オフェンシブラインマン
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- ディフェンシブエンド
- ディフェンシブタックル
- ディフェンシブガード
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- ラインバッカー
- ディフェンシブバック
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