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スティーブ・カールトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティーブ・カールトン
Steve Carlton
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州マイアミ
生年月日 (1944-12-22) 1944年12月22日(80歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1963年
初出場 1965年4月12日
最終出場 1988年4月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1994年
得票率 95.82%
選出方法 BBWAA選出

スティーブン・ノーマン・カールトンSteven Norman Carlton, 1944年12月22日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手投手)。ニックネームは「Lefty」。左投左打。通算MLB最多ボーク記録保持者[1]

経歴

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セントルイス・カージナルス時代(1965年 - 1971年)

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1963年10月8日にセントルイス・カージナルスと契約。1964年はA級とAA級合計で15勝6敗、防御率2.22の好成績を記録し、1965年4月12日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。

1966年は開幕をマイナーで迎えたが7月にメジャーに昇格し、8月5日のニューヨーク・メッツ戦でメジャー初勝利を完投で飾り、8月22日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初完封を挙げるなど3勝を記録する。

1967年は5月から先発ローテーションに定着。14勝9敗1セーブ、防御率2.98を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは第5戦に先発し、6回1失点(自責点0)と好投するが、打線の援護がなく敗戦投手。チームは4勝3敗でワールドチャンピオンとなった。1968年は自身初のオールスターゲームに選出される。13勝11敗、防御率2.99の成績で、チームはリーグ連覇。デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは2試合のリリーフ登板のみで、チームは3勝4敗で敗退した。オフの日米野球にカージナルスの一員として参加し、対戦した東京オリオンズのエース成田文男スライダーに興味を持ち、これを習得する。1969年は9月15日のメッツ戦で当時のMLB記録となる19奪三振を記録したが、敗戦投手となった。17勝11敗、防御率2.17、210奪三振の好成績を記録。防御率は終盤まで1点台を維持していたが、最終登板で打ち込まれてリーグ2位だった。1970年は不調でリーグワーストの19敗を喫した。1971年はリーグ2位タイの20勝を記録。

フィラデルフィア・フィリーズ時代(1972年 - 1986年)

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フィリーズ時代のカールトン(1983年)

1972年2月25日にリック・ワイズとの交換トレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。同年は5月に5連敗を喫するが、6月7日から5完封を含む15連勝。いずれもリーグトップの27勝(10敗)、防御率1.97、310奪三振、先発41試合、30完投、346.1イニング、被安打257を記録し、最多勝最優秀防御率最多奪三振投手三冠を達成。チームは59勝97敗で最下位に終わったが、チーム勝利の46%を1人で記録した。これは20世紀以降ではMLB最高記録である[2]サイ・ヤング賞を初受賞し、MVPの投票でも5位に入った。「最高のスポーツ選手」としてヒコック・ベルトを獲得。トレーニングに東洋武術を取り入れるなど、ユニークな肉体管理法も確立する。1973年は293.1イニング、18完投はリーグトップだったものの、20敗、293被安打、127失点はいずれもリーグワーストと一転して不調に陥る。メディアから「奇妙な」トレーニング法について詰問され、その後取材を一切拒否することになる。1974年はリーグワーストの136四球だったが、16勝13敗、防御率3.22、240奪三振の成績で最多奪三振を獲得。1976年は20勝を挙げてチームの地区優勝に貢献。シンシナティ・レッズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発するが、8回途中5失点で敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。1977年は23勝10敗、防御率2.64を記録して最多勝のタイトルを獲得し、チームは2年連続地区優勝。ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し7回途中5失点、第4戦では5回4失点と振るわず、1勝3敗で敗退。オフに2度目のサイ・ヤング賞を受賞。1978年は16勝を記録し、チームは地区3連覇。前年に続きドジャースと対戦したリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発して4失点完投勝利を挙げるが、チームは1勝3敗で3年連続で敗退した。

1980年は8連勝を記録するなど前半戦だけで14勝を記録。24勝9敗、防御率2.34、286奪三振の成績で最多勝・最多奪三振の二冠を獲得、チームの2年ぶり地区優勝の原動力となる。ヒューストン・アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発して7回1失点で勝利投手となり、30年ぶりのリーグ優勝を果たす。カンザスシティ・ロイヤルズとのワールドシリーズでは第2戦に先発し8回を投げ被安打10で6四球ながら、10奪三振4失点で凌ぎ勝利投手。王手をかけて迎えた第6戦では8回途中1失点と好投して勝利投手となり、球団史上初のワールドチャンピオンに大きく貢献した。3度目のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票では5位に入る。この年の投球回数304回は2021年現在、MLB最後の300イニングの到達者である。1981年50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されて前後期制の変則日程となり、中断前首位だったチームは前期優勝。自身は開幕から8連勝を記録し、リーグ2位タイの13勝を挙げる。モントリオール・エクスポズとのディビジョンシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、援護がなく共に敗戦投手となり、チームも2勝3敗で敗退。初のゴールドグラブ賞を受賞した。1982年は開幕から4連敗を喫するなど序盤は不調も次第に調子を上げ、23勝11敗、防御率3.10、286奪三振、いずれもリーグトップの295.2イニング、19完投、6完封を記録し、2年ぶりに最多勝・最多奪三振の二冠を獲得、史上初となる4度目のサイ・ヤング賞を受賞する。1983年は9月23日の古巣カージナルス戦で通算300勝を達成。15勝16敗と負け越すが、リーグトップの283.2イニング、275奪三振で2年連続の最多奪三振。チームは3年ぶりの地区優勝。ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発して2勝、防御率0.66と好投し、リーグ優勝を果たす。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは第3戦に先発したが敗戦投手。チームは本拠地で3連敗を喫し、1勝4敗で敗退した。1984年は13勝7敗、防御率3.58の成績。1985年は防御率2点台と好投しながら援護がなく、1勝しか記録できず6月に故障で離脱。終盤に復帰したが結局1勝8敗、防御率3.33に終わる。1986年は開幕から不調が続き、通算4000奪三振まで後18と迫りながら6月24日に解雇される。

その後引退まで

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7月4日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。8月5日のレッズ戦でエリック・デービスから三振を奪い、史上2人目の通算4000奪三振を達成。試合後に引退を発表し、球団もウェーバーの手続きを取るがすぐに撤回し、8月12日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。シーズン通算で9勝14敗、防御率5.10の成績で、オフにフリーエージェントとなる。1987年4月4日にクリーブランド・インディアンスと契約。4月9日のトロント・ブルージェイズ戦で先発のフィル・ニークロをリリーフして史上初の「300勝投手リレー」となり、20年ぶりのセーブを記録する。5月途中から先発に復帰するものの結果を残せず、7月31日に後日発表の1選手との交換トレードでミネソタ・ツインズに移籍。その後も調子は上がらず、シーズン通算で6勝14敗、防御率5.74に終わる。チームはリーグ優勝し、ワールドシリーズで古巣カージナルスを破ってワールドチャンピオンとなるが、ポストシーズンのロースターからは外れた。12月21日に解雇されるが、1988年1月29日に再契約。しかし防御率16.76と衰えが顕著で4月28日に解雇。現役続行を試みたが契約する球団はなく、1989年に正式に現役引退を表明した。

引退当時、カールトンの通算奪三振はノーラン・ライアン[3]に次ぐ歴代第2位で、左腕投手としては当時歴代1位の通算4136奪三振を記録[4]だった。通算329勝は歴代9位で、左腕投手としてはウォーレン・スパーンの363勝に次ぐ第2位である。

古巣フィリーズは、カールトンの引退を受けて同1989年にカールトンの在籍時の背番号『32』を永久欠番に指定した。

引退後

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カールトンのフィリーズ在籍時の背番号「32」。
フィラデルフィア・フィリーズの永久欠番1989年指定。

1994年に資格取得1年目で95.82%という高い得票率を得て野球殿堂入り。

選手としての特徴

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長身から投げ下ろすフォーシームとスライダー、カーブが武器。スライダーは小さく鋭く変化する本来のものよりも曲がりが大きい独特のもので、先述のエピソードがあるため「メイド・イン・ジャパン」とも呼ばれた。 また、これほどの実績を挙げながら、現役時代は一度もノーヒットノーランを達成しておらず、1安打完封は6回あったという。

投手としての球種は1965年から1968年頃まではライジングファストボール(浮き上がるような速球)、カーブ。 1969年はライジングファストボール、スライダー、カーブ。

1970年頃はライジングファストボール、カーブ、スライダー(たまに使用)。

1971年頃はライジングファストボール、カーブ、チェンジアップ(1971年頃に使用)。

1972年から1974年頃まではライジングファストボール、カーブ、スライダー。

1974年以降はスライダー、ハイファストボール(剛速球)、スィーピングカーブ(斜めに大きく曲がるカーブ)。「米書 guide to pitchers」より

人物

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マスコミを極端に嫌い、1978年に「(自分の)方針は方針。」というわずかなコメントを残したのを最後に、1986年にジャイアンツとの契約記者会見まで8年に渡って一言もマスコミの前で話さなかった[5]。これについては親しい知人に「自分の批判をするだけならいいが、家族のことまで悪く書かれて嫌になった。」と語っていたという。8年ぶりに記者の前で話したときには、質問のほとんどは「なぜ記者会見に応じたのか。」だったという。その間、1981年にドジャースのフェルナンド・バレンズエラメキシコ人で、メジャー昇格当時「Food」、「Drink」、「Beer」しか英語を話せなかった。)が活躍するが、ある記者が「ナショナルリーグのベストピッチャー2人は英語を話さない。フェルナンド・バレンズエラとスティーブ・カールトンだ。」と語ったという。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1965 STL 15 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 104 25.0 27 3 8 1 1 21 5 0 7 7 2.52 1.40
1966 9 9 2 1 0 3 3 0 -- .500 223 52.0 56 2 18 1 0 25 2 1 22 18 3.12 1.42
1967 30 28 11 2 1 14 9 1 -- .609 802 193.0 173 10 62 1 2 168 6 0 71 64 2.98 1.22
1968 34 33 10 5 0 13 11 0 -- .542 954 231.2 214 11 61 4 3 162 6 0 87 77 2.99 1.19
1969 31 31 12 2 1 17 11 0 -- .607 968 236.1 185 15 93 6 4 210 7 0 66 57 2.17 1.18
1970 34 33 13 2 0 10 19 0 -- .345 1086 253.2 239 25 109 16 2 193 14 1 123 105 3.73 1.37
1971 37 36 18 4 0 20 9 0 -- .690 1171 273.1 275 23 98 11 5 172 12 0 120 108 3.56 1.36
1972 PHI 41 41 30 8 3 27 10 0 -- .730 1351 346.1 257 17 87 8 1 310 8 2 84 76 1.97 0.99
1973 40 40 18 3 0 13 20 0 -- .394 1262 293.1 293 29 113 12 3 223 7 0 146 127 3.90 1.38
1974 39 39 17 1 0 16 13 0 -- .552 1227 291.0 249 21 136 8 5 240 11 4 118 104 3.22 1.32
1975 37 37 14 3 0 15 14 0 -- .517 1063 255.1 217 24 104 5 2 192 5 7 116 101 3.56 1.26
1976 35 35 13 2 0 20 7 0 -- .741 1031 252.2 224 19 72 4 1 195 8 3 94 88 3.13 1.17
1977 36 36 17 2 1 23 10 0 -- .697 1135 283.0 229 25 89 5 4 198 3 7 99 83 2.64 1.12
1978 34 34 12 3 1 16 13 0 -- .552 1006 247.1 228 30 63 7 3 161 3 7 91 78 2.84 1.18
1979 35 35 13 4 2 18 11 0 -- .621 1029 251.0 202 25 89 11 5 213 10 11 112 101 3.62 1.16
1980 38 38 13 3 1 24 9 0 -- .727 1228 304.0 243 15 90 12 2 286 17 7 87 79 2.34 1.10
1981 24 24 10 1 0 13 4 0 -- .765 763 190.0 152 9 62 3 1 179 9 4 59 51 2.42 1.13
1982 38 38 19 6 2 23 11 0 -- .676 1193 295.2 253 17 86 5 1 286 9 9 114 102 3.10 1.15
1983 37 37 8 3 0 15 16 0 -- .484 1183 283.2 277 20 84 10 3 275 13 9 117 98 3.11 1.27
1984 33 33 1 0 1 13 7 0 -- .650 964 229.0 214 14 79 7 0 163 11 7 104 91 3.58 1.28
1985 16 16 0 0 0 1 8 0 -- .111 401 92.0 84 6 53 4 0 48 3 2 43 34 3.33 1.49
1986 16 16 0 0 0 4 8 0 -- .333 393 83.0 102 15 45 4 0 62 3 0 70 57 6.18 1.77
SF 6 6 0 0 0 1 3 0 -- .250 140 30.0 36 4 16 0 1 18 2 1 20 17 5.10 1.73
CWS 10 10 0 0 0 4 3 0 -- .571 259 63.1 58 6 25 0 0 40 2 1 30 26 3.69 1.31
'86計 32 32 0 0 0 9 14 0 -- .391 792 176.1 196 25 86 4 1 120 7 2 120 100 5.10 1.60
1987 CLE 23 14 3 0 0 5 9 1 -- .357 493 109.0 111 17 63 3 2 71 5 4 76 65 5.37 1.60
MIN 9 7 0 0 0 1 5 0 -- .167 200 43.0 54 7 23 1 2 20 2 1 35 32 6.70 1.79
'87計 32 21 3 0 0 6 14 1 -- .300 693 152.0 165 24 86 4 4 91 7 5 111 97 5.74 1.65
1988 4 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 54 9.2 20 5 5 1 0 5 0 2 19 18 16.76 2.59
MLB:24年 741 709 254 55 13 329 244 2 -- .574 21683 5217.1 4672 414 1833 150 53 4136 183 90 2130 1864 3.22 1.25
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高
  • 「-」は記録なし

年度別守備成績

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投手(P)












1965 STL 15 1 6 0 1 1.000
1966 9 2 10 0 2 1.000
1967 30 8 30 2 3 .950
1968 34 4 39 3 1 .935
1969 31 1 34 3 1 .921
1970 34 6 38 4 1 .917
1971 37 11 40 0 3 1.000
1972 PHI 41 8 37 2 3 .957
1973 40 4 42 5 3 .902
1974 39 6 42 4 1 .923
1975 37 10 32 1 4 .977
1976 35 4 19 0 2 1.000
1977 36 4 52 1 2 .982
1978 34 5 46 3 1 .944
1979 35 3 32 5 0 .875
1980 38 2 42 0 1 1.000
1981 24 3 22 0 0 1.000
1982 38 6 37 4 2 .915
1983 37 4 37 4 0 .911
1984 33 7 22 0 0 1.000
1985 16 3 18 0 1 1.000
1986 16 2 8 0 1 1.000
SF 6 1 8 0 0 1.000
CWS 10 1 7 0 1 1.000
'86計 32 4 23 0 2 1.000
1987 CLE 23 2 15 1 1 .944
MIN 9 1 8 0 1 1.000
'87計 32 3 23 1 2 .963
1988 4 0 1 0 0 1.000
MLB 741 109 724 42 36 .952
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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フィリーズ球団通算記録

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  • 勝利数:241(歴代1位)
  • 登板数:499(歴代2位)
  • 投球回:3697.1(歴代2位)
  • 奪三振:3031(歴代1位)
  • 先発数:499(歴代1位)
  • 完投数:185(歴代3位)
  • 完封数:39(歴代2位)

背番号

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脚注

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  1. ^ Balk Records | Baseball Almanac”. www.baseball-almanac.com. 2021年2月21日閲覧。
  2. ^ 1884年のチャールズ・ラドボーンはチーム84勝の70%に当たる59勝を記録している。
  3. ^ カールトンの引退当時、まだ現役でその後1993年まで現役生活を続けた。
  4. ^ 現在はランディ・ジョンソンの4875奪三振に次ぐ2位
  5. ^ 厳密に言うと、この間に通算300勝を達成した時にコメントを求められたが、その時には「Thank you very much.」とだけ喋っている。

外部リンク

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