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チャールズ・ラドボーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールド・ホス・ラドボーン
Old Hoss Radbourn
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ロチェスター
生年月日 1854年12月11日
没年月日 (1897-02-05) 1897年2月5日(42歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
168 lb =約76.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1880年5月5日
最終出場 1891年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1939年
選出方法 ベテランズ委員会選出

チャールズ・ガードナー・"チャーリー"・ラドボーン(Charles Gardner "Charlie" Radbourn、1854年12月11日 - 1897年2月5日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

愛称は"Old Hoss"(オールド・ホス)。選手登録名もオールド・ホス・ラドボーンである[1]

実働11年で300勝に到達、シーズン60勝(詳細下記)のメジャーリーグ記録を持つ。

経歴

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1854年、ニューヨーク州ロチェスターで父チャーリー、母キャロラインの2番目の子供として生まれる。父チャーリーはイギリスからアメリカへ移住し、肉屋として働いていた。

1880年にバッファロー・バイソンズでデビュー。当時は野手として試合に出ていたが、打撃成績が低迷し1年で解雇される。1881年に投手としてプロビデンス・グレイズと契約。その年に41試合に登板して25勝を挙げる。翌1882年に33勝、1883年には76試合に登板して48勝を挙げ、リーグの最多勝投手となった。1883年から1884年にかけては野球ルールの下手投げ制限が撤廃された年であるが、彼はずっとサブマリン投法を通したそうである。

1884年、所属していたプロビデンス・グレイズはユニオン・アソシエーション創立の影響を受け、二枚看板の一人だったチャーリー・スウィーニーがシーズン途中で移籍してしまうという危機に陥る。自らも移籍を考えていたラドボーンはこの事態を逆手に取り、「残り試合を全て投げる」ことを条件にFA権の獲得を球団と交渉したという。特に、この年ラドボーンの登板回数は実に75試合になり(73試合に先発し全試合完投。抑えで2試合登板)、シーズン通算で60勝を挙げただけでなく、奪三振441、防御率も1.38を記録、投手部門の三冠を手中にする。(この年は勝率とセーブ数もトップ。セーブ数は下記を参照)投手三冠王とセーブ王の同時獲得は史上初の快挙で勝率でもトップになったため、史上初の投手主要5部門制覇を達成した(ただし先発五冠とは部門が異なる)。さらにスウィーニーが移籍した後のシーズン後半はほぼ一人で投げぬいた。圧巻はシーズンの終盤で、チームの残り試合数の27試合の全てに登板し、26勝を挙げる活躍をした。またこの年、リーグ優勝チーム同士で争われたポストシーズン・ゲーム(ニューヨーク・メトロポリタンズとの5連戦)でも3連投して3連勝する。

1886年にボストンに移籍、以後投手実働11年で、20勝以上を挙げた年が9シーズンにも及ぶ。ただ飲酒などの影響からかボストン時代は成績の芳しくない年もあり、1887年には自責点及び与四球はリーグ最多を記録する。同年の防御率は4.55だった。

1891年シンシナティ・レッズ在籍時に通算300勝を達成する。同年引退。引退後、猟銃の事故により片目を失うアクシデントに見舞われる。1897年梅毒からの合併症によりイリノイ州で死去。42歳。

1939年に、ベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。

よくマウンド上で腓返りを起こしていたことから、彼のあだ名Old Hossから転じて足が痙攣していることを意味するcharlie horseという俗語の由来になったという。

投手としての球種はライジングファストボール、(浮き上がるような速球)ドライスピットボール(ナックルのような変化をするボール)、スローチェンジアップ、フェイドアウェイ(スクリュー)、シンカー(米書「guide to pitchers」より[要文献特定詳細情報])。

勝利数について

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現在公式にはラドボーンの1884年の通算勝利数は「60」となっているが、現在の野球規則に基づく資料には、ラドボーンの勝利数を「59勝」と記載するものがある。 1884年7月28日のゲームで、ラドボーンは7-4でリードしている6回に救援として登板し、4回を0点に抑えたが、当時のスコアラーは最も勝利に貢献したという理由からラドボーンに勝ちをつけていた。ただ現代のルールに基づけば、この試合の勝ち星は先発投手に与えられ、ラドボーンには「セーブ」が与えられることになるためである。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1881 PRO 41 36 34 3 -- 25 11 -- -- .694 1380 325.1 309 1 64 -- -- 117 17 0 162 88 2.43 1.15
1882 54 51 50 6 -- 33 19 -- -- .635 1916 466.0 422 6 51 -- -- 201 23 0 213 109 2.11 1.02
1883 76 68 66 4 -- 48 25 -- -- .658 2540 632.1 563 7 56 -- -- 315 36 0 275 144 2.05 0.98
1884 75 73 73 11 -- 60 12 -- -- .831 2672 678.2 528 18 98 -- -- 441 34 0 216 104 1.38 0.92
1885 49 49 49 2 -- 28 21 -- -- .571 1841 445.2 423 4 83 -- -- 154 34 0 209 109 2.20 1.14
1886 BSN 58 58 57 3 -- 27 31 -- -- .466 2162 509.1 521 18 111 -- -- 218 22 0 300 170 3.00 1.24
1887 50 50 48 1 -- 24 23 -- -- .511 1915 425.0 505 21 133 -- 14 87 20 0 305 215 4.55 1.50
1888 24 24 24 1 -- 7 16 -- -- .304 852 207.0 187 8 45 -- 8 64 8 0 110 66 2.87 1.12
1889 33 31 28 1 -- 20 11 -- -- .645 1180 277.0 282 14 72 -- 8 99 4 0 151 113 3.67 1.28
1890 BOS 41 38 36 1 -- 27 12 -- -- .692 1497 343.0 352 8 100 -- 11 80 8 0 183 126 3.31 1.32
1891 CIN 26 24 23 2 -- 11 13 -- -- .458 963 218.0 236 13 62 -- 13 54 8 0 149 103 4.25 1.37
通算:11年 527 502 488 35 -- 310 194 -- -- .614 18918 4527.1 4328 118 875 -- 54 1830 214 0 2273 1347 2.68 1.15
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB記録。

獲得タイトル・記録

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脚注

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  1. ^ Old Hoss Radbourn Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2023年7月18日閲覧。

参考文献

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  • 芝山幹郎『大リーグ二階席』晶文社、2005年 ISBN 4-79-496659-8

関連項目

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外部リンク

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