コリン・バージェス
コリン・バージェス | |
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出生名 | Colin John Burgess |
生誕 | 1946年11月16日 |
出身地 |
オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー市 |
死没 | 2023年12月16日(77歳没) |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ドラムス |
活動期間 | 1968年 - 2023年 |
コリン・バージェス(Colin Burgess、1946年11月16日 - 2023年12月16日)は、オーストラリアのミュージシャン。
経歴
[編集]1968年から1972年までザ・マスターズ・アプレンティシズ (The Masters Apprentices) のドラマーを務め、1973年にはAC/DCの結成に参加した。
1973年11月にAC/DCが結成されたときのラインナップは、マルコム・ヤング(リズムギター)、アンガス・ヤング(リードギター)、デイヴ・エヴァンス(リード・ヴォーカル)、ラリー・ヴァン・クリート(ベース)と、バージェス(ドラム)だった。
しかしバージェスは、1974年2月に、酔っぱらってステージに上がったため解雇された。後釜はすぐには決まらず、しばらくの間は何人ものドラマーたちが入れ替わりながら穴を埋めていたが、最終的にはフィル・ラッドがメンバーとして固定された。1975年9月に、ラッドがメルボルンで喧嘩に巻き込まれて手を負傷した時には、数週間にわたってバージェスが呼び戻されてラッドの代役を務めた。
バージェスは、兄弟であるデニー (Denny Burgess[1]) とともに、1970年代末から1980年代初めにかけてロック・ポップのバンドHis Majestyを始め、デイ・プリチャード (Dai Pritchard) (後に、Billy Thorpe、Rose Tattooなど)をギターに据えた。このバンドはやがて名をGood Time Charlieと改め、新しいギタリストにジョン・ボティカ(John Botica)を迎えてバンドを再編し、1997年にはプロデューサーにジョン・ロビンソン (John Robinson、元Black Feather) を迎えたアルバム『Adults Only』を発表して、東南アジアをツアーした[2]。
1998年、バージェスは、ザ・マスターズ・アプレンティシズの一員として、オーストラリア版のロックの殿堂にあたるARIA Hall Of Fameの殿堂入りを果たした[3]。
その後は、デニーとともにザ・バージェス・ブラザース・バンドと名乗って演奏や録音を続けていた。
2023年12月16日に訃報が発表された[4]。77歳没。
出典・脚注
[編集]- ^ hotsource.com.au About Denny Burgess
- ^ 2000 Guitars: Bands-Artists: John Botica - Australian Musician
- ^ ARIA Icons: Hall Of Fame
- ^ "Original AC/DC Drummer and Former Masters Apprentices Member Colin Burgess Dies Aged 77". Noise11 (英語). THE NOISE NETWORK. 16 December 2023. 2023年12月16日閲覧。
参考文献
[編集]- Two Sides To Every Glory, Paul Stenning, 2005
- "Metal Hammer & Classic Rock present AC/DC", Metal Hammer magazine special, 2005