コロネーション (1946年生の競走馬)
コロネーション | |
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欧字表記 | Coronation V |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1946年 |
死没 | 1964年 |
父 | ジェベル |
母 | エスメラルダ |
母の父 | トウルビヨン |
生国 | フランス |
生産者 | マルセル・ブサック |
馬主 | マルセル・ブサック |
調教師 | シャルル・センブラ(フランス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 13戦6勝 |
コロネーション (Coronation V) は、フランスの競走馬である。凱旋門賞を制すなど活躍した。馬名は英語で戴冠式の意で、フランス語風に発音すると「コロナティオン」となる。
生涯
[編集]1946年にフランスの競走馬生産者・実業家のマルセル・ブサックによって生産された。父は1942年の凱旋門賞優勝馬ジェベル、母はプール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランスの1000ギニーに相当)勝ち馬、エスメラルダ。両者の父はともにトウルビヨンである。この配合はサラブレッドの生産においても極度の近親交配(インブリード)とされ、極端な配合、その成功と弊害例としてしばしば取り上げられる[1]。この背景には第二次世界大戦の影響で繁殖馬を移動させるのが困難になり、自家保有の種牡馬を使用せざるを得なかったという事情がある[2]。
コロネーションは非常に神経質な馬であったと伝えられる。ブサックはこの馬を、シャルル・サンブラに預けた。
2歳時に、地元シャンティイのシャトー賞 (Prix du Chateau) でデビューすると、落ち着きのないレースぶりながら何とか1馬身差で勝った。ブサックはこの馬に強い期待を持ち、イギリスのロイヤルアスコット開催に遠征、クイーンメアリーステークスに出走させた。ここでもヴァルキリーに頭差で勝った。次に出走したロベールパパン賞ではブラントームのレコードタイムを2秒4も縮めるレースレコードを記録した。だが、このあとのモルニ賞、チェヴァリーパークステークスともに集中力のないレースぶりで敗れている。
3歳になると、ブサックは大レースを目指し、まず初戦のプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)に出走。やはり集中力を欠いたレースぶりだったが、何とか1着同着に持ち込んだ。このあとオークスステークス(英オークス)に出走するが、スタートから暴走してしまい2着、さらにアイリッシュオークス(愛オークス)にも挑戦するが2着に敗れた。
映像外部リンク | |
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RACING - LONGCHAMP and FONTWELL(ブリティッシュ・ムービートーンのニュース映画。前半で第28回凱旋門賞の様子を伝える。AP通信のアーカイブ) |
このころ、ブサックは凱旋門賞を世界最大のレースにするために各方面に働きかけており、凱旋門賞の賞金を大幅に増額させることに成功していた。賞金は2500万フラン[注釈 1]に達し、世界でも最高額の賞金を持つレースとなった。凱旋門賞に出走した本馬はめずらしく落ち着いており、直線突き抜け4馬身差で圧勝、ブサックの計画は大成功に終わった。本馬は翌年も競走生活を送ったが、コロネーションがまともに走ったのはこの凱旋門賞ぐらいで、その後はヴェルムー賞 (Prix Vermout) に勝ち、エドヴィル賞とクイーンエリザベスステークス[注釈 2]で2着した程度に終わっている。
引退するとブサックのもとで繁殖牝馬となった。初年度(1951年)はマーシャスと交配されたが不受胎であった[3]。以降も仔出しの悪さに悩まされ、1952年から1954年はファリスが、1955年にはオーエンテューダーが、1956年には再度ファリスが、1957年と1958年にはオリバン (Auriban) が、1959年にはアイアンリージが種付けを行ったものの一頭も仔馬が生まれなかった[3]。その後1960年から18歳で死亡する1964年までは再びオリバンと交配されたものの、ついに一頭の産駒も残すことはできなかった[3]。
競走成績
[編集]競走日 | 競馬場 | 競走名 | 馬場・距離 | 頭数 | 着順 | 着差 | 騎手 | 1着馬(2着馬) |
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1948年6月6日 | シャンティイ | シャトー賞 | 芝 1000m | 5 | 1着 | 1馬身 | C. Elliott | (Nitouche) |
6月16日 | アスコット | クイーンメアリーS | 芝 5f | 28 | 1着 | アタマ | C. Elliott | (Valkyrie) |
7月25日 | メゾンラフィット | ロベールパパン賞 | 芝 1200m | 8 | 1着 | 2+1⁄2馬身 | R. Poincelet | (Fontenay) |
8月15日 | ドーヴィル | モルニ賞 | 芝 1400m | 5 | 3着 | 3+1⁄4馬身 | R. Poincelet | Amour Drake |
10月15日 | ニューマーケット | チェヴァリーパークS | 芝 6f | 7 | 4着 | 4+3⁄4馬身 | C. Elliott | Pambidian |
1949年5月15日 | ロンシャン | 仏1000ギニー | 芝 1600m | 8 | 1着 | 同着 | R. Poincelet | Galgala |
6月2日 | エプソム | 英オークス | 芝 12f6y | 17 | 2着 | クビ | C. Elliott | Musidora |
7月23日 | カラ | 愛オークス | 芝 12f | 12 | 2着 | 4馬身 | C. Elliott | Circus Lady |
10月9日 | ロンシャン | 凱旋門賞 | 芝 2400m | 28 | 1着 | 4馬身 | R. Poincelet | (Double Rose) |
1950年6月4日 | シャンティイ | エドヴィル賞 | 芝 2000m | 5 | 2着 | 1+1⁄2馬身 | W. Johnstone | Violoncelle |
6月8日 | アスコット | クイーンエリザベスS | 芝 2400m | 6 | 2着 | アタマ | R. Johnstone | Tantieme |
9月13日 | ロンシャン | Prix Vermout | 芝 2400m | 4 | 1着 | 4馬身 | C. Elliott | (Tacito) |
10月8日 | ロンシャン | 凱旋門賞 | 芝 2400m | 12 | 11着 | C. Elliott | Tantieme |
血統表
[編集]コロネーションの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ジェベル系 |
[§ 2] | ||
父 Djebel 1937 鹿毛 |
父の父 Tourbillon1928 鹿毛 |
Ksar | Bruleur | |
Kizil Kourgan | ||||
Durban | Durbar | |||
Banshee | ||||
父の母 Loika1926 |
Gay Crusader | Bayardo | ||
Gay Laura | ||||
Coeur a Coeur | Teddy | |||
Ballantrae | ||||
母 Esmeralda 1939 鹿毛 |
Tourbillon 1928 鹿毛 |
Ksar | Bruleur | |
Kizil Kourgan | ||||
Durban | Durbar | |||
Banshee | ||||
母の母 Sanaa1931 |
Asterus | Teddy | ||
Astrella | ||||
Deasy | Alcantara | |||
Dianna Vernon | ||||
母系(F-No.) | 14号族(FN:14) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Tourbillon S2×M2 = 50.00%, Teddy S4×M4 = 12.50% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ フランスでは1960年に100分の1のデノミネーションが行われたが、ここではそれ以前の旧フランである。
- ^ キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの前身。
出典
[編集]- ^ 山野浩一 1996, p. 23.
- ^ d'Andigné, Yves (2019年1月19日). “BOUSSAC & TESIO - Les dessous de la gloire de l’empire Boussac” (フランス語). Jour de Galop. Jour de Courses Editions. 2023年2月28日閲覧。
- ^ a b c “L'histoire de DNA : Coronation, la crack incestueuse” (フランス語). France sire. FS MediaProd (2019年12月19日). 2023年2月28日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Coronation(FR)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年11月11日閲覧。
- ^ a b c d “Coronationの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年2月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 山野浩一『伝説の名馬』 3巻、中央競馬ピーアール・センター、1996年。ISBN 4924426490。