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サム・ヒューストン (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サム・ヒューストン
プロフィール
リングネーム サム・ヒューストン
"カウボーイ" サム・ヒューストン
ミッドナイト・ライダー
本名 マイケル・サミュエル・スミス
身長 188cm[1]
体重 101kg(全盛時)[1]
誕生日 (1963-10-11) 1963年10月11日(61歳)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
マクレナン郡ウェーコ[1]
トレーナー グリズリー・スミス[2]
デビュー 1983年[1]
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"カウボーイ" サム・ヒューストン"Cowboy" Sam Houston、本名:Michael Samuel Smith[1]1963年10月11日[2] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ウェーコ出身[1]。生年は1964年ともされる[1]

カウボーイギミックベビーフェイスとして、NWAジム・クロケット・プロモーションズWWFなどで活動した[2]。父親の "グリズリー" ジェイク・スミス、異母兄のジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ、実妹のロッキン・ロビンも元プロレスラーである[1]

来歴

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テキサス独立戦争の英雄サミュエル・ヒューストンにあやかったサム・ヒューストンリングネームに、エディ・グラハムが主宰していたNWAフロリダ地区にて1983年にデビュー[2]。TVテーピングのジョブ・ボーイとして、アブドーラ・ザ・ブッチャージョー・ルダックヘクター・ゲレロワンマン・ギャングらのジョバーを務め、9月17日のサラソータでの興行では、海外再修行から新日本プロレスに凱旋帰国する直前の谷津嘉章とも対戦した[3]

1984年より、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に出場。前座試合でキャリアを積んだ後、ベビーフェイスの新鋭として徐々に頭角を現し、1985年7月6日に開催された『グレート・アメリカン・バッシュ1985』ではマニー・フェルナンデス&バズ・タイラーと組み、ポール・ジョーンズ・アーミーのブッチャー、スーパースター・ビリー・グラハムコンガ・ザ・バーバリアンと6人タッグマッチで対戦[4]ダスティ・ローデス&マグナムTAのパートナーにも起用され、フォー・ホースメンリック・フレアータリー・ブランチャードオレイ&アーン・アンダーソンとの抗争アングルにも加わった[2][5]

1986年1月11日にはクラッシャー・クルスチェフからNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を奪取[6]カウボーイギミックの先達ネルソン・ロイヤルともタッグを組み、同年4月19日に行われたタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup" にも出場した(2回戦でミッドナイト・エクスプレスボビー・イートン&デニス・コンドリーに敗退)[7]。11月16日には当時ジム・クロケット・プロモーションズの傘下に入っていた中西部セントラル・ステーツ地区において、ビル・ダンディーを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座の新王者になっている[8]

1987年WWFへ移籍。5月18日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンに初登場し、テリー・ギッブスから勝利を収めた[9]、翌1988年3月27日に開催された『レッスルマニアIV』ではオープニング・アクトのバトルロイヤルに出場[10]。11月24日の『サバイバー・シリーズ1988』では、アルティメット・ウォリアーブルータス・ビーフケーキブルー・ブレイザージム・ブランゼルのチームに加わり、 ホンキー・トンク・マンロン・バスグレッグ・バレンタインバッドニュース・ブラウン、ダニー・デイビス組と対戦した[11]。しかし、選手層の厚いWWFではアンダーカードのジョバー要員から脱することはできず、1990年に退団。なお、当時のWWFには異母兄のジェイク・ロバーツも在籍していたが、ヒューストンとの血縁関係は公にされておらず、ポジションの格差もあって、両者が絡むことはなかった[2]

1991年WCWに出場し、7月6日にスティーブ・オースチンWCW世界TV王座に挑戦[12]1992年4月3日にはテキサス州ダラスのGWFにおいて、同団体認定のTV王座を獲得した[13]。以降、1990年代はインディー団体を主戦場に、インディアンギミックのチャーリー・ノリスとのタッグチームなどで活動[14]1997年にはノリスと共に、ルーキー時代にフロリダで対戦した谷津嘉章が主宰していたSPWFに来日した[15]

私生活では、1986年に女性マネージャーのベイビー・ドールことニクラ・ロバーツと結婚したが、1994年に離婚[2]。引退後は父親のジェイク・スミスと共にルイジアナ州ニューオーリンズに居住していたが、2005年ハリケーン・カトリーナによる被害に遭っている[16]

得意技

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獲得タイトル

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ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回[6]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回[8]
グローバル・レスリング・フェデレーション
  • GWF TV王座:1回[13]
プロ・レスリング・アメリカ
  • PWAタッグ王座:1回(w / チャーリー・ノリス)[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Sam Houston”. Wrestlingdata.com. 2016年4月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Sam Houston”. Online World of Wrestling. 2016年4月23日閲覧。
  3. ^ The CWF matches fought by Sam Houston in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年4月23日閲覧。
  4. ^ NWA The Great American Bash 1985”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  5. ^ MACW 1985/09/13”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  6. ^ a b NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月23日閲覧。
  7. ^ NWA Jim Crockett Sr. Memorial Cup 1986”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  8. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月23日閲覧。
  9. ^ WWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  10. ^ WWF WrestleMania IV”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  11. ^ WWF Survivor Series 1988”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  12. ^ WCW The Great American Bash Tour 1991 - Tag 4”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
  13. ^ a b Global Wrestling Federation Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月23日閲覧。
  14. ^ Tag Team "Geronimo Twin Powers"”. Wrestlingdata.com. 2016年4月23日閲覧。
  15. ^ The SPWF matches fought by Sam Houston in 1997”. Wrestlingdata.com. 2016年4月23日閲覧。
  16. ^ Sam Houston and Grizzly Smith rebuild their lives”. Slam Wrestling (2006年3月2日). 2016年4月23日閲覧。

外部リンク

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