ジェイソン・プラト
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ジェイソン・プラト | |
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2012年BTCCシルバーストンラウンドにて | |
基本情報 | |
国籍 | イギリス |
生年月日 | 1967年10月14日(57歳) |
出身地 | イングランド・オックスフォード |
イギリスツーリングカー選手権での経歴 | |
デビュー | 1997 |
所属 | MG KX Clubcard Fuel Save |
車番 | 99 |
過去所属 |
ウィリアムズ・ルノー Vauxhall SEAT Sport UK シルバーライン・シボレー |
出走回数 | 531 |
優勝回数 | 96 |
ポールポジション | 50 |
ファステストラップ | 86 |
シリーズ最高順位 | 1st (2001, 2010) |
過去参加シリーズ | |
2005 2002 1996 1990–91, 1995 1992 1991 |
WTCC ASCAR Renault Spider Cup Formula Renault GB 英国F3 Formula Renault Eurocup |
選手権タイトル | |
2001, 2010 1996 1991 |
BTCC Renault Spider Cup Formula Renault Eurocup |
ジェイソン・プラト(Jason Plato、1967年10月14日 - )は、イギリス・オックスフォード出身のレーシングドライバーである。一部では、プレイトとも表記される。
経歴
[編集]カートで成功を収めた後、1991年にイギリスフォーミュラ・ルノーでシリーズチャンピオンを獲得。イギリスF3にも1992年に参戦。このレースでプラトはジル・ド・フェラン、フィリップ・アダムス、ケルヴィン・バート、マルク・ホーセンス、ペドロ・ディニスなど後に様々なレースで活躍する事になる多くのドライバーと対戦した。F3000にステップアップする機会を得ることはできなかったが、1996年にルノー・スパイダー・チャンピオンシップに出場してシリーズチャンピオンに輝く。
この活躍が、イギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦するウィリアムズ・ルノーチームの目に止まり、1997年シーズンに向けてのテストを受けることとなった。この時プラトの他にドライバー候補として上がっていたのは元F1ドライバーのジャンニ・モルビデリ[注釈 1]とジャン=クリストフ・ブイヨンだった。テスト後、ブイヨンが選ばれる事となったが、プラトは自らウィリアムズのファクトリーに出向いてフランク・ウィリアムズに直談判。プラトの熱意はフランク・ウィリアムズにしっかり伝わり、晴れてウィリアムズ・ルノーからBTCCデビューを果たした[1]。
BTCCルーキーのプラトだったが、ルノー・ラグナを乗りこなしてみせ、開幕戦ドニントン・パークでいきなり2位入賞。デビューイヤーながら2勝を記録してチームメイトでこの年チャンピオンを獲得したアラン・メニュ、前年度チャンピオンだったアウディのフランク・ビエラに次ぐランキング3位を獲得[2][3]。ウィリアムズ・ルノーはチームタイトルと製造者部門のタイトルを獲得し、三冠を達成した。
1998年になるとボルボ、日産、ホンダが力をつけ始めてルノーの優位性は薄れたが、この年も1勝してランキングもメニュに次ぐシリーズ5位と安定した成績を残し、日産が強かった1999年はメニュがフォードに移籍したためプラトがエースドライバーに昇格。1997年のシートを争ったジャン=クリストフ・ブイヨンをチームメイトに迎えた。やや苦戦気味だったブイヨンに対してこの年もランキング5位と結果を残し、シルバーストーンでウィリアムズ・ルノーチームに最後の勝利をもたらした。
2000年はルノーの撤退によりボクスホールに移籍。ベクトラをドライブして再びランキング5位を獲得する。2001年からBTCCは、新しい規定で低コストのマシンで行われることとなるが、この年チームメイトのイヴァン・ミュラーとのタイトル争いを制して初のBTCCシリーズチャンピオンとなる[4]。
2002年はアメリカのNASCAR参戦を目指してイギリスを中心にヨーロッパ各国のサーキットで行わているASCARレーシングシリーズに参戦。ランキング3位を獲得したが、NASCAR参戦は実現しなかった。2003年はセアトのドライビングコーチに専念し、翌年このセアトからBTCCに復帰してシリーズ3位を獲得。2008年まで在籍したが、2006年と2007年はシリーズ2位、2008年はシリーズ3位と好成績を残すもあと一歩シリーズチャンピオンには届かなかった。また、2005年は世界ツーリングカー選手権(WTCC)にもセアトからBTCCと並行する形で参戦した。
2009年はルノー時代のライバルチームだった日産チームの運営を行っていたRMLが運営するシボレーに移籍。ラセッティをドライブしてランキング2位を獲得すると、マシンをクルーズに変更した翌年遂に自身2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。その後もMGやフォルクスワーゲンなどで参戦するチームに在籍し、チャンピオン争いを展開。2016年はスバルのワークスチームに移籍してスバル・レヴォーグで参戦した[5]。現在も第一線で活躍しており、BTCCには20年以上に渡って参戦を続けたが、2022年シーズンを以てシリーズから撤退し、別のシリーズ参戦を模索するという[6]。
自動車番組フィフス・ギアにも出演して活躍している他、自伝を出版するなど執筆活動も行っている[7][8]。
レース戦績
[編集]イギリス・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
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1992年 | P1レーシング | 無限 | A | DON 7 |
SIL 13 |
THR 10 |
BRH 5 |
THR 7 |
BRH 9 |
SIL 5 |
SIL 5 |
DON | SNE | SIL | PEM | SIL | DON | THR | SIL | 13位 | 8 |
イギリスツーリングカー選手権
[編集]‡ レース再開前にリタイアした。
* ドライバーが少なくとも1周レースリードラップを記録したレース (リードラップ記録者には1ポイントが与えられる、2002年はフィーチャーレースのみ、2003年から全レースで適用)。
世界ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
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2005年 | セアト・スポーツ | セアト・トレド クプラ | ITA 1 |
ITA 2 |
FRA 1 |
FRA 2 |
GBR 1 8 |
GBR 2 2 |
SMR 1 11 |
SMR 2 8 |
MEX 1 11 |
MEX 2 12 |
BEL 1 9 |
BEL 2 14 |
GER 1 |
GER 2 |
TUR 1 |
TUR 2 |
ESP 1 |
ESP 2 |
MAC 1 |
MAC 2 |
15位 | 10 |
バサースト1000
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | 周回 | 順位 |
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1997年* | ウィリアムズ・ルノー・ディーラー・レーシング | アラン・メニュ | ルノー・ラグナ | 114 | DNF |
2000年 | ホールデン・レーシングチーム | イヴァン・ミュラー | ホールデン・コモドア VT | 159 | 10位 |
2004年 | ピーター・ブロック | ホールデン・コモドア VY | 27 | DNF |
* スーパーツーリング 車両によるレース
脚注
[編集]- ^ “FT Masterclass: Racing car driving with Jason Plato”. Financial Times. (2013年10月11日) 2023年3月3日閲覧。
- ^ “BTCC | Drivers”. 2019年11月2日閲覧。
- ^ “Jason Plato” (英語). Super Touring Register. 2020年2月25日閲覧。
- ^ “Jason Plato | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年11月2日閲覧。
- ^ 交通タイムス社. “【注目】スバル・レヴォーグBTCCレーシングカーがついにお披露目!”. WEB CARTOP. 2023年3月3日閲覧。
- ^ “Jason Plato completes BTC Racing trio for final BTCC campaign – TouringCarTimes”. www.touringcartimes.com. 2023年3月3日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/jasonplato/status/1144360126423453696”. Twitter. 2023年3月3日閲覧。
- ^ “Waterstones How Not to Be a Professional Racing Driver”. 2023年3月3日閲覧。
注釈
[編集]- ^ モルビデリはF1のシート喪失後、既にイタリア・スーパーツーリング選手権に参戦経験があった。この時は選ばれなかったが、翌98年にボルボチームを運営するトム・ウォーキンショー・レーシングからBTCCに参戦する事になる。