ジェームス・ウィリアム・ランバス
ジェームス・ウィリアム・ランバス James William Lambuth | |
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個人情報 | |
出生 |
1830年1月1日 アメリカ合衆国、アラバマ州 |
死去 |
1892年4月28日(62歳没) 日本、兵庫県神戸市神戸外国人居留地47番 |
墓所 | 神戸市立外国人墓地 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
配偶者 | メアリー・イザベラ・ランバス |
子供 | ウォルター・ラッセル・ランバス |
職業 | 宣教師、教育者 |
出身校 | ミシシッピ大学 |
ジェームス・ウィリアム・ランバス(英: James William Lambuth、1830年 - 1892年4月28日)は、明治時代の日本で活動した宣教師・教育者。アメリカ合衆国アラバマ州出身。神戸婦人伝道学校(後のランバス記念伝道女学校。聖和大学(2009年4月に学校法人関西学院と合併[1])の前身)の創立者メアリー・イザベラ・ランバスは妻[2]、宣教師・教育者で関西学院の創立者ウォルター・ラッセル・ランバスは長男。
経歴
[編集]1830年、アメリカ合衆国アラバマ州に生まれる[3]。祖父と父は宣教師であった。ミシシッピ大学で医学と法学を学んだ後、南メソジスト教会の宣教師となり、1854年に妻のメアリー・イザベラ・ランバスとともに上海にわたり伝道を行った[4]。1854年11月には長男のウォルター・ラッセル・ランバスが同地で誕生している[5]。ランバスは上海を中心に中国各地で伝道を行った。
1886年、宣教師となったウォルターの説得を受け、息子夫妻とメアリーを伴い日本へ渡る[6]。ランバス親子は神戸外国人居留地47番の自宅に読書館と呼ばれる学校(後のパルモア学院専門学校)を設立し、聖書と英語の講義を行った[7]。同年、ランバスは居留地内に神戸美以教会(後の日本基督教団神戸栄光教会)を建設[8]。さらに広島女学校(後の広島女学院大学)保母師範科(前述のランバス記念伝道女学校とともに聖和大学の前身[2])の設立にも関与した。神戸を拠点に、広島、岩国、下関、多度津、松山、宇和島、大分などに精力的に伝道、教会建設を行った。
1892年4月28日、神戸外国人居留地47番の自宅で死去。遺体は神戸市立外国人墓地に埋葬された[9]。
脚注
[編集]著書
[編集]- 『旧約新約問答』
参考文献
[編集]- 谷口利一『使徒たちよ眠れ 神戸外国人墓地物語』神戸新聞出版センター、1986年。ISBN 978-4875214472。
- 守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年。ISBN 978-4264026389。