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ジュール・クルーセル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュール・クルーセル
2011年 ポルトガルGP
国籍 フランスの旗 フランス
現在のチーム フォワード・レーシング
ゼッケン 16
レースでの経歴
スーパーバイク世界選手権
活動期間2013年
マニファクチャラースズキ
チャンピオン0
2013年 順位10位 (175 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
27 0 1 0 0 175
2009年 イギリスGP

ジュール・クルーセル(Jules Cluzel、1988年10月12日 - )は、フランスアリエ県モンリュソン出身のオートバイレーサー。2012年シーズンよりスーパースポーツ世界選手権に参戦中。

経歴

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5歳の時に初めてのバイク、ホンダ・QR50に乗る。6歳から体操競技を始めると、4年連続でオーヴェルニュ地域圏のチャンピオンとなり、フランス国内選手権でも32位となるが、健康上の理由から体操をやめざるを得なくなった。その後レーシングカートを始めると1年目に入門カテゴリでシリーズ3位に入り、その後オーヴェルニュ地域圏の史上最年少チャンピオンとなった[1]

2輪レースに転向したのは2004年、クルーセル15歳の時と、グランプリライダーとしては比較的遅い時期だった。この年CBR125を駆りフランス国内のジュニアカップに出場し、シリーズ3位に入った。翌2005年はフランス国内のロードレース選手権125ccクラスに参戦、ロードレース世界選手権第4戦フランスGP125ccクラスのレースにはワイルドカード枠で出場、GPデビューを果たした。その後MotoGPアカデミーに参戦し、シーズン終盤2戦にはマラグーティワークスチームから再びグランプリに出場した。

2006年はエキップ・ド・フランス・チームからロードレース世界選手権250ccクラスに、シルバン・ギュントーリのチームメイトとしてフル参戦デビューを果たした。1年目はシリーズランキング20位、アンガイア・レーシングに移籍した2007年はシリーズ21位と、目立った成績は残せなかった。2008年は125ccクラスに戻り、新規参戦の中国メーカー、ロンシンのチームから参戦した。しかしマシンのパフォーマンスは低く、クルーセルはノーポイントに沈んでしまった。

2009年、マッテオーニ・レーシングから250ccクラスに復帰したクルーセルは、開幕戦カタールGPでいきなり自身初となる表彰台(2位)を獲得する活躍を見せた。その後シーズン中盤は鎖骨の骨折に苦しんだものの[2]、シーズン終盤はトップ集団でのバトルを何度も見せ、シリーズランキング12位の成績を残した。

2010年はフォワード・レーシングから、250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦した。同チームは、前年MotoGPクラスに参戦していたハヤテ・レーシングが改名したものである[3]開幕戦カタールGPで再び優勝争いを展開し、2年連続となる表彰台(3位)を獲得した。そして第5戦イギリスGP、自己最高の2番グリッド(ポールポジションはチームメイトのクラウディオ・コルティ)からスタートしたクルーセルは、最終ラップにトーマス・ルティからトップを奪い、わずか0.057秒差で自身グランプリ初優勝を遂げた。この年の最終成績は17戦中14戦完走、うち11戦でのポイント獲得でランキング7位となった。

2011年も同チームから継続参戦[4]。だがこのシーズンは大きな不振に陥り、昨年制した雨の第6戦イギリスGPで4位に入るのがやっとであった。ノーポイントレースも目立ち、この年はポイント獲得僅か7戦のランキング21位に沈んだ。

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2005年 125cc マラグーティ 3 0 0 0 0 0 -
2006年 250cc アプリリア 16 0 0 0 0 15 20位
2007年 250cc アプリリア 17 0 0 0 0 19 21位
2008年 125cc ロンシン 15 0 0 0 0 0 -
2009年 250cc アプリリア 15 0 1 0 0 82 12位
2010年 Moto2 スッター 17 1 2 0 1 106 7位
2011年 Moto2 スッター 17 0 0 0 0 41 21位
合計 100 1 3 0 1 263

脚注

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外部リンク

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