ジョナサン・ボイド
ジョナサン・ボイド | |
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ルーク・ウィリアムス(前方)とのニュー・シープハーダーズ(1983年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
ジョナサン・ボイド[1] ロード・ジョナサン・ボイド[1] マニアック・ジョナサン・ボイド[2] ジョニー・ボイド[2] |
本名 | ジョナサン・バリー・ボイル[1] |
身長 | 185cm[3] |
体重 | 108kg(全盛時)[3] |
誕生日 | 1944年10月21日[2] |
死亡日 | 1999年8月7日(54歳没)[3] |
出身地 |
オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー[3] |
引退 | 1989年[2] |
ジョナサン・ボイド( "Lord" Jonathan Boyd、本名:Jonathan Barry Boyle、1944年10月21日 - 1999年8月7日)は、オーストラリア出身のプロレスラー。生年は1942年ともされる[1]。
豪州を経て1970年代より北米のマット界に進出後、ヒールの狂乱ファイターとして活動[2]。ノーマン・フレデリック・チャールズ3世とのタッグチーム、ロイヤル・カンガルーズ(The Royal Kangaroos)での活躍などで知られる[2]。
来歴
[編集]デビュー後の1960年代はジョニー・ボイド("Pretty Boy" Johnny Boyd)をリングネームに、地元のオーストラリア(ジム・バーネット主宰のワールド・チャンピオンシップ・レスリング)で活動[1]。1965年から1969年にかけて、ニック・ボックウィンクル、ドリー・ファンク・ジュニア、ロイ・ヘファーナン、ブライアン・アシュビー、ビリー・ホワイト・ウルフ、フレッド・カリー、ジャック・ブリスコ、ビル・ロビンソンなどと対戦した[1]。
1970年にアメリカへ渡り、中南部のNWAトライステート地区を経て、1971年より太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)において、同じくオーストラリアから渡米していたノーマン・フレデリック・チャールズ3世と合体。オーストラリアに移住した英国貴族というチャールズのギミックに合わせ、ロード・ジョナサン・ボイド(Lord Jonathan Boyd)と名乗り、ファビュラス・カンガルーズにあやかったヒールのタッグチーム、ロイヤル・カンガルーズ(The Royal Kangaroos)を結成[4]。
以降、1970年代はチャールズとのコンビでPNWを主戦場に、ダッチ・サベージ&ジミー・スヌーカ、ブル・ラモス&ジェシー・ベンチュラなどのチームを破り、NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を再三獲得[5]。他地区においても、ノースカロライナやジョージアなどの南東部からカナダのカルガリーまでを転戦して、各地のタッグ王座を奪取[2]。サンフランシスコではパット・パターソン&トニー・ガレアやバリアント・ブラザーズとNWA世界タッグ王座を争った[6]。
日本にもロイヤル・カンガルーズとして、1974年2月に新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ』に参戦[7]。新日本に初登場したアンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーにも起用され、タッグマッチでアントニオ猪木とも対戦した[8]。1976年1月には全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』に再来日[9]。チャールズとのコンビでジャイアント馬場とタッグマッチで対戦し、ジャンボ鶴田やザ・デストロイヤーとのシングルマッチも組まれた[10]。
1978年にチャールズがPNWを離れてロイヤル・カンガルーズは解散するが、ボイドはベビーフェイスに転じてPNWに残留し、エド・ウィスコスキーやロディ・パイパーとNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を争う[11]。1979年から1980年にかけてはキラー・ブルックスやバディ・ローズと抗争を繰り広げ、アイドル的存在だったリック・マーテルやジェイ・ヤングブラッドとも異色タッグを組んだ[12][13]。
その後はヒールに戻り、1981年8月、フロリダ地区でザ・シープハーダーズのルーク・ウィリアムスと合体[14]。以降、ニュージーランドに帰国していたブッチ・ミラーに代わるウィリアムスの新パートナーとなり、同じ南半球の英連邦出身として、PNWでも共闘していたシープハーダーズに加入する[2]。
アラバマのSECWでは1982年9月にロバート・フラー&ジミー・ゴールデンやミッドナイト・エクスプレス(ランディ・ローズ&デニス・コンドリー)とNWAサウスイースタン・タッグ王座を争い[15]、テネシー州メンフィスのCWAでは同年12月13日、ファビュラス・ワンズ(スティーブ・カーン&スタン・レーン)からAWA南部タッグ王座を奪取[16]。テキサス州サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング(SCW)では1983年5月7日、ザ・グラップラーズ(レン・デントン&トニー・アンソニー)を破ってSCWサウスウエスト・タッグ王座を獲得した[17]。
1983年6月に交通事故に遭い、足を骨折して欠場していたが(サウスウエスト・タッグ王座はボビー・ジャガーズがボイドに代わって継承)[17]、北米に戻ったブッチ・ミラーが同年11月よりSCWに参戦してくると、ミラー&ウィリアムスのオリジナル・シープハーダーズのマネージャーを担当[2]。カナダ出身のレオ・バークやイギリス出身のエイドリアン・ストリートらも引き入れ、コモンウェルス・アーミー(Boyd’s Commonwealth Army)なる反米ユニットを組織した[18]。
1985年6月より古巣のCWAにおいてリングに復帰し、ミラーの甥とされるニュージーランド出身のリップ・モーガンをパートナーに、ミラー&ウィリアムスとは別チームのシープハーダーズを独自に結成[18]。このチームはキーウィ・シープハーダーズ(The Kiwi Sheepherders)とも呼ばれ[18]、因縁のファビュラス・ワンズを相手に、AWA南部タッグ王座を巡る抗争劇を再開した[16]。1987年2月16日にはメンフィスのミッドサウス・コロシアムにてミラー&ウィリアムスと再合体、ファブズ&ポール・ダイヤモンドのトリオと6人タッグマッチで対戦した[19]。
その後、1988年1月11日にはSECWから改称したCCWにおいて、レンジャー・ロスからNWAアラバマ・ヘビー級王座を奪取、2月15日にトム・プリチャードに敗れるまで保持した[20]。翌1989年12月25日、かつての主戦場PNWにおけるレックス・キング戦を最後に現役を引退した[2]。
獲得タイトル
[編集]- NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:3回[11]
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:6回(w / ノーマン・フレデリック・チャールズ3世×5、ダッチ・サベージ)[5]
- NWAミッドアトランティック・ブラスナックルズ・タッグ王座:1回(w / ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)[22]
- オールサウス・レスリング・アライアンス
- ASWAジョージア・タッグ王座:2回(w / ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)[23]
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)[6]
- インターナショナル・タッグ王座:1回(w / ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)[24]
- NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / コロソ・コロセッティ)[25]
- AWA南部タッグ王座:7回(w / ルーク・ウィリアムス×2、リップ・モーガン×5)[16]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCWサウスウエスト・タッグ王座:2回(w / ルーク・ウィリアムス)[17]
- インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
- ICWヘビー級王座:1回[2]
マネージャー担当選手
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Jonathan Boyd”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “Jonathan Boyd”. Online World of Wrestling. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d “Jonathan Boyd”. Cagematch.net. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The Royal Kangaroos”. Online World of Wrestling. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title (San Francisco)”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “NJPW 1982 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Jonathan Boyd in 1974”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “AJPW 1976 New Year Giant Series”. Puroresu.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Jonathan Boyd in 1976”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The PNW matches fought by Jonathan Boyd in 1979”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The PNW matches fought by Jonathan Boyd in 1980”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Jonathan Boyd in 1981”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年2月2日閲覧。
- ^ a b c “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c “SCW Southwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c “Wrestling Culture: A History of Herding and Whacking”. Place to Be Nation. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Jonathan Boyd in 1987”. Wrestlingdata.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b “NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “The Strange Life and Times of Jonathan Boyd”. Wrestling Classics.com. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “Brass Knuckles Tag Team Title (Mid-Atlantic)”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “ASWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2021年1月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Profile at Online World of Wrestling
- Jonathan Boydのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
- 昭和プロレス研究室: ジョナサン・ボイド