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ファビュラス・カンガルーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・ファビュラス・カンガルーズ
タッグチーム
メンバー ロイ・ヘファーナン
アル・コステロ
レイ・セント・クレアー
ドン・ケント
トニー・チャールズ
ブルーノ・ベッカー
ジョニー・ヘファーナン
名称
  • ザ・ファビュラス・カンガルーズ
  • ザ・カンガルーズ
デビュー 1957年
解散 1983年
団体

ザ・ファビュラス・カンガルーズThe Fabulous Kangaroos)は、プロレスタッグチーム。ブッシュハットを被りブーメランを手に持ったオーストラリア出身のヒールとして、NWAWWWFなど北米の主要テリトリーで活躍した[1]

歴代のメンバーによって1950年代後半から1980年代前半にかけて活動したが、本項では初代のアル・コステロ&ロイ・ヘファーナン、および便宜上2代目のカンガルーズとされるコステロ&ドン・ケントのコンビを中心に記述する。

なお、1974年2月に新日本プロレス1976年1月に全日本プロレスに来日したザ・ロイヤル・カンガルーズロード・ジョナサン・ボイド&ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)はコピー版の別チームである[2]

来歴

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初代カンガルーズ

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オーストラリア南東部ニューサウスウェールズ出身のロイ・ヘファーナンと、少年期にイタリアからオーストラリアへ移住してきたアル・コステロにより、1957年カナダカルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)にて結成される[3]。その後トロント地区を経て、1958年よりWWWFの前身団体であるアメリカ北東部のキャピトル・レスリング・コーポレーションに進出、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンを舞台にアントニオ・ロッカ&ミゲル・ペレスと抗争を展開した[1]

1958年下期からは南西部テキサス地区に参戦。11月にフォートワースにてペッパー・ゴメス&エル・メディコを破りテキサス東部版のNWA世界タッグ王座を獲得[4]、チームとしての初戴冠を果たす。1959年1月12日にはニューメキシコにてミゲル・ロペス&フアン・ガルシアからNWAロッキー・マウンテン・タッグ王座を奪取[5]。同年3月5日にはアマリロにてテキサス西部版インターナショナル・タッグ王座の初代王者チームに認定されたが[6]、このタイトルは、後年に日本に定着したインターナショナル・タッグ王座のルーツともされている[7]

1960年よりニューヨーク地区に戻り、7月21日と8月24日にレッド・バスチェン&ルー・バスチェンから北東部版のUSタッグ王座を奪取[8]。11月28日にもジョニー・バレンタイン&チーフ・ビッグ・ハートを破って同王座を獲得し、1962年1月11日にバレンタイン&カウボーイ・ボブ・エリスに敗れるまで、ロッカ&アルゼンチン・アポロバディ・ロジャース&ボブ・オートンブルーノ・サンマルチノ&ヘイスタック・カルホーンアート・トーマス&スウィート・ダディ・シキなどのチームを相手に長期政権を築いた[8]。同地区では、アメリカ武者修業中だったジャイアント馬場&マンモス鈴木の巨人コンビとも度々対戦している[9]1963年に発足したWWWFにも出場を続け、サンマルチノ、ボボ・ブラジルエドワード・カーペンティアペドロ・モラレスらによるチームや、同じヒール陣営のスカル・マーフィー&ブルート・バーナードとも対戦した[10]

他地区においても、1962年11月22日に南部CWFにてフロリダ版のNWA世界タッグ王座を獲得[11]太平洋岸ではロサンゼルスWWAにて、1964年2月27日にカーペンティア&アーニー・ラッドからWWA世界タッグ王座を奪取[12]。カナダのバンクーバーでは1964年5月25日にエンリケ・トーレス&ベアキャット・ライト1965年2月1日にドン・レオ・ジョナサン&ジン・キニスキーを破り、NWAカナディアン・タッグ王座を再三獲得[13]。1965年3月26日にはウィニペグにてジョナサン&ホイッパー・ビリー・ワトソンを下してマニトバ版のインターナショナル・タッグ王座にも戴冠するなど[14]、各地のタッグ戦線を席巻した[1]

しかし、1965年6月26日にジョナサン&ジム・ヘイディに敗れインターナショナル・タッグ王座から陥落した後、同年7月5日のバンクーバーでの試合を最後にヘファーナンがオーストラリアに帰国[15]、ファビュラス・カンガルーズは一旦解散することとなった[1]

2代目カンガルーズ

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ヘファーナンの帰豪後、コステロはドイツ人ギミックのカール・フォン・ブラウナーとのジ・インターナショナルズを経て、イギリス出身のレイ・セント・クレアー(ティンカー・トッド)をパートナーに再びファビュラス・カンガルーズとして活動[16]1967年9月16日にデトロイトにてフレッド・カリー&ビリー・レッド・ライオンを破り、デトロイト版のNWA世界タッグ王座を獲得したが[17]、セント・クレアーとのコンビは短期間で解消。同年12月より、トロントにてアメリカ人のドン・ケントを新パートナーに迎え、ファビュラス・カンガルーズを改めて再結成する[18]

トロントでは、プロモーターのフランク・タニーを会長としてグレート東郷が創設したTWWA(当時TBS体制下の国際プロレスのブッカーに就任した東郷が、国際プロレス用のタイトル管理組織として立ち上げた架空の団体[19])の初代世界タッグ王者に認定され[20]、翌1968年1月末、TWWA世界タッグ王者チームとして国際プロレスの『TWWAワールド・タッグ・シリーズ』に初来日[21]。開幕戦の1月31日に横浜文化体育館にてグレート草津&サンダー杉山を相手に防衛戦を行ったが、2月14日に大阪府立体育館にて豊登&杉山に敗れて王座を明け渡した[20][22]。このシリーズ中、東郷が国際プロレスと金銭トラブルを起こして決裂し、外国人選手の試合出場にストップをかけたため、途中帰国を余儀なくされている[21]

その後は中西部および北東部を主戦場に、デトロイト地区やNWFインディアナポリスWWAなどで活動。インディアナポリスでは1970年7月17日にディック・ザ・ブルーザー&ビル・ミラー、翌1971年6月18日にウイルバー・スナイダー&ムース・ショーラックを破り、WWA世界タッグ王座を2回獲得している[23]。初代カンガルーズ時代に活躍したニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにも時折ゲスト出場しており、1971年8月30日の定期戦ではドリー・ファンク・シニア&テリー・ファンクと対戦した[24]。デトロイトでは同年12月18日、トーナメント決勝でガイ・ミッチェル&ベン・ジャスティスを下してNWA世界タッグ王座に返り咲き、以降もミッチェル&ジャスティスと同王座を争った[17]

1972年11月には日本プロレスの『インターナショナル選手権シリーズ』に来日。11月21日に愛知県体育館にて、坂口征二&吉村道明が保持していたアジアタッグ王座に挑戦した[25]。同シリーズは馬場の離脱で空位となっていたインターナショナル・ヘビー級王座インターナショナル・タッグ王座の争奪戦が焦点となったが、外国人陣営ではキラー・カール・コックスモンゴリアン・ストンパー、さらには特別参加でキニスキーとブラジルが同時参戦していたこともあり、初代王者ともされるインターナショナル・タッグ王座への挑戦権は与えられなかった[25]

1973年テネシーのミッドアメリカ地区で活動し、ミッドアメリカ版のNWA世界タッグ王座を通算3回獲得[26]トージョー・ヤマモトジャッキー・ファーゴジェリー・ジャレットらのチームと抗争を展開した[27]1974年にコンビを解消して個別に活動した後、1977年プエルトリコWWCでチームを一時的に再結成。2月26日にWWC世界タッグ王座の初代王者に認定されるが、3月12日にカルロス・コロン&ホセ・リベラにタイトルを明け渡している[28]。翌1978年も古巣のWWAにてスナイダーやスパイク・ヒューバーのチームと対戦するが[29]、継続的な活動には至らず、以降ケントは "ブルドッグ" ドン・ケントと名乗ってシングルプレイヤーに戻り、コステロはセミリタイアしてマネージャーに転身した。なお、ケントとのコンビ解消中、コステロはトニー・チャールズと新チームのニュー・カンガルーズThe New Kangaroos)を結成し、デトロイトにてドミニク・デヌーチ&クリス・マルコフからNWA世界タッグ王座を奪取したともされる[17]

新生カンガルーズ

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1981年、プエルトリコにてケントが再びオーストラリア人のギミックを用い、ニュージーランド出身のブルーノ・ベッカーをパートナーに新バージョンのファビュラス・カンガルーズを結成[30]。マネージャーはコステロが務め、10月22日にジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコを破りWWC北米タッグ王座を獲得した[31]。ベッカーの脱退後は、イタリア系カナダ人のボブ・ダラセーラジョニー・ヘファーナンと名乗り、ロイ・ヘファーナンの甥と称して新たに加入[32][33]1982年5月1日にザ・ファンクスからWWC世界タッグ王座を、8月14日にはトミー・ギルバート&エディ・ギルバートからWWC北米タッグ王座をそれぞれ奪取している[28][31]

その後はフロリダ地区に参戦し、1983年1月5日にバリー・ウインダム&ロン・バスを破ってNWAグローバル・タッグ王座を獲得。以降、スコット・マギー&テリー・アレンを相手に同王座を争い、同年4月にかけて通算4回戴冠した[34]。フロリダでは、ルーファス・ジョーンズ&ブラッド・アームストロングロディ・パイパー&マイク・グラハムなどのチームとも対戦している[35]。以後、コステロがマネージメント権をJ・J・ディロンに譲渡したという設定のもと引退。ほどなくして新生カンガルーズも解散し、ケントはプエルトリコへ転戦後、1986年に現役を離れた。

リメイクと再評価

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1993年、デトロイトのインディー団体にてミッキー・ドイルとデニー・キャスによってファビュラス・カンガルーズがリメイクされ、コステロがマネージャーに迎えられた[36]。後にドイルに代わってアル・スノーがメンバーに加わり、カナダのオンタリオ州ウィンザーを拠点とするBCW(Border City Wrestling)にて、1994年5月14日にカンナム・タッグ王座を獲得している[37]

日本にはコステロとケントの2代目カンガルーズが来日したが、コステロとヘファーナンのオリジナル版こそがカンガルーズの絶頂期とされており[15][38]竹内宏介2003年に監修した週刊ゴング増刊『世界名レスラー100人伝説!!』において、力道山時代に初代カンガルーズが来日していたら、シャープ兄弟と並ぶ名タッグチームとして歴史に名を残したかもしれない、などと記述している[21]2013年にはコステロとヘファーナンが揃ってNWA殿堂に迎えられた[39]

獲得タイトル

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サウスウエスト・スポーツ
NWAニューメキシコ
  • NWAロッキー・マウンテン・タッグ王座:1回(コステロ&ヘファーナン)[5]
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAインターナショナル・タッグ王座(テキサス西部版):2回(コステロ&ヘファーナン)[6] ※初代王者
キャピトル・レスリング・コーポレーション
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ノース・アメリカン・レスリング・アライアンス
  • NAWAインターナショナルTVタッグ王座:1回(コステロ&ヘファーナン)[41]
ワールドワイド・レスリング・アソシエーツ
  • WWA世界タッグ王座:1回(コステロ&ヘファーナン)[12]
NWAオールスター・レスリング
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):4回(コステロ&ヘファーナン)[13]
アレックス・ターク・プロモーションズ
  • カナディアン・タッグ王座 / インターナショナル・タッグ王座(マニトバ版):2回(コステロ&ヘファーナン)[14]
NWAデトロイト
トランス・ワールド・レスリング・アライアンス
  • TWWA世界タッグ王座:1回(コステロ&ケント)[20] ※初代王者
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • ESAインターナショナル・タッグ王座:1回(コステロ&ケント)[42] ※初代王者
ワールド・レスリング・アソシエーション
  • WWA世界タッグ王座:2回(コステロ&ケント)[23]
NWAミッドアメリカ
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC世界タッグ王座:2回(コステロ&ケント×1、ケント&ジョニー・ヘファーナン×1)[28] ※初代王者
  • WWC北米タッグ王座:3回(ケント&ベッカー×2、ケント&ジョニー・ヘファーナン×1)[31]
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(ケント&ベッカー)[43]
ナショナル・レスリング・アライアンス

マネージャー

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  • ワイルド・レッド・ベリー(コステロ&ヘファーナン)[44]
  • マン・マウンテン・カノン(コステロ&ケント)[45]

追記

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  • ワルチング・マチルダを入場曲にリングインし、紙製のブーメランを観客席に投げるというパフォーマンスを行っていた[1][38]
  • コステロとケントの2代目カンガルーズとして国際プロレスへ初来日した際、パンフレットの表紙には「ザ・カンガルーズ来襲!」というキャッチコピーと共にチームの宣材写真が掲載されたが、ケントではなくヘファーナンとコステロの初代カンガルーズのものが使用されていた[46]。なお、1972年日本プロレスへの再来日時には、マネージャーだったマン・マウンテン・カノン( "クライベイビー" ジョージ・カノン)も同行している[21]

脚注

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  1. ^ a b c d e Tag Team Spotlight: Fabulous Kangaroos”. Wrestling Merchandise & Memories. 2015年5月23日閲覧。
  2. ^ Royal Kangaroos”. Online World of Wrestling. 2015年6月3日閲覧。
  3. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Al Costello and Roy Heffernan”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  4. ^ a b NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  5. ^ a b NWA Rocky Mountain Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  6. ^ a b International Tag Team Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  7. ^ NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  8. ^ a b c United States Tag Team Title [Capitol/WWWF]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  9. ^ The CWC matches fought by Roy Heffernan in 1962”. Wrestlingdata.com. 2023年4月29日閲覧。
  10. ^ The WWE matches fought by Roy Heffernan in 1963”. Wrestlingdata.com. 2023年4月29日閲覧。
  11. ^ a b NWA World Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  12. ^ a b Worldwide Wrestling Associates World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  13. ^ a b NWA Canadian Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  14. ^ a b Canadian Tag Team Title/International Tag Team Title [Manitoba]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  15. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』P79(2011年、辰巳出版ISBN 4777809463
  16. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Al Costello and Ray St. Clair”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  17. ^ a b c d NWA World Tag Team Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  18. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Al Costello and Don Kent”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  19. ^ 『Gスピリッツ Vol.19』P86(2011年、辰巳出版、ISBN 9784777808922
  20. ^ a b c Trans-World Wrestling Alliance World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  21. ^ a b c d 『世界名レスラー100人伝説!!』P136-137(2003年、日本スポーツ出版社
  22. ^ The IWE matches fought by Al Costello in 1968”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  23. ^ a b World Wrestling Association World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  24. ^ WWWF at New York City”. Cagematch.net. 2015年5月23日閲覧。
  25. ^ a b JWA 1972 International Championship Series”. Puroresu.com. 2015年5月23日閲覧。
  26. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  27. ^ The GWE matches fought by Al Costello in 1973”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  28. ^ a b c World Wrestling Council World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  29. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Al Costello and Don Kent”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  30. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Don Kent and Bruno Bekkar”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  31. ^ a b c World Wrestling Council North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  32. ^ Bob Della Serra”. Online World of Wrestling. 2015年11月15日閲覧。
  33. ^ Tag Team "Fabulous Kangaroos" Don Kent and Johnny Heffernan”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  34. ^ a b NWA Global Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  35. ^ The CWF matches fought by Don Kent in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年5月23日閲覧。
  36. ^ Wrestler Profiles: Al Costello”. Online World of Wrestling. 2015年5月23日閲覧。
  37. ^ BCW Can-Am Tag Team Title”. Solie's Title History. 2015年5月23日閲覧。
  38. ^ a b Fabulous Kangaroo Al Costello dead”. Slam Wrestling (2000年1月24日). 2015年5月30日閲覧。
  39. ^ a b NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
  40. ^ NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  41. ^ International Television Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  42. ^ International Tag Team Title [Maritime Provinces]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  43. ^ WWC Caribbean Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月23日閲覧。
  44. ^ "Wild" Red Berry was the mouth that roared”. Slam Wrestling (2010年6月3日). 2015年5月30日閲覧。
  45. ^ George Cannon”. Online World of Wrestling. 2015年5月30日閲覧。
  46. ^ 『忘れじの国際プロレス』P74(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802

外部リンク

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