コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョン・ブライ (第3代ダーンリー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代ダーンリー伯爵ジョン・ブライ英語: John Bligh, 3rd Earl of Darnley 1719年10月1日 - 1781年7月31日)は、イギリスグレートブリテン王国)の貴族政治家

略歴

[編集]

初代ダーンリー伯爵ジョン・ブライ、その妻である第10代クリフトン女男爵英語版シアドゥーシア(第3代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド英語版の三女)の間に生まれる。

1735年5月13日にオックスフォード大学マートン・カレッジに入学。1738年7月13日、文学士(Master of Arts)の学位を取得した[1]

アイルランド議会の議員として活動する傍ら、1741年にグレートブリテン議会議員に当選した[2]。1747年、兄エドワードの死に伴い爵位を継承する。

伯爵位は長男のジョンが継承した。

家族

[編集]

1766年9月11日、メアリー・ストイトと結婚。7人の子宝に恵まれた[3]

  • ジョン(1767年 - 1831年):第4代伯爵
  • エドワード英語版閣下(1769年 - 1840年):陸軍軍人
  • メアリー嬢(? - 1796年):第2代準男爵サー・ローレンス・パークと結婚
  • シアドゥーシア嬢(1771年 - 1840年):トマス・ブライと結婚
  • サラ嬢(1772年 - 1797年)
  • キャサリン嬢(1775年 - 1812年):1804年に陸軍軍人、政治家のチャールズ・ステュワート(後の第3代ロンドンデリー侯爵)と結婚(先妻)[4]
  • ウィリアム閣下(1775年 - 1845年):陸軍軍人

脚注

[編集]
  1. ^ Foster, Joseph, ed (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886. A–D. Oxford. p. 123. https://archive.org/stream/alumnioxonienses01univuoft#page/122/mode/2up 
  2. ^ Newman, A. N. (1970). "BLIGH, Hon. John (1719-1781), of Cobham Hall, nr. Gravesend, Kent.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月8日閲覧
  3. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P. (1914). Genealogical and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage of the British Empire. London: Harrison & Sons. p. 571. https://books.google.com/books?id=RVggAAAAYAAJ 
  4. ^ LADY CATHERINE BLIGH, LADY CHARLES STEWART”. National Trust. 12 September 2017閲覧。
グレートブリテン議会英語版
先代
ロバート・フェアファックス閣下英語版
ウィリアム・ホースモンデン=ターナー英語版
メイドストーン選挙区英語版選出庶民院議員
同一選挙区同時当選者:ロバート・フェアファックス閣下英語版

1741年–1747年
次代
ウィリアム・ホースモンデン=ターナー英語版
ガーンジー卿英語版
アイルランド議会
先代
ロバート・ナッパー
トマス・ブライ英語版
アスボイ選挙区英語版選出庶民院議員
同一選挙区同時当選者:トマス・ブライ英語版

1739年–1747年
次代
ウィリアム・ナッパー
トマス・ブライ英語版
アイルランドの爵位
先代
エドワード
ダーンリー伯爵
1747年–1781年
次代
ジョン