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ジョン・ロイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ロイド
John Lloyd
ジョン・ロイド
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 同・エセックス州
リー・オン・シー
生年月日 (1954-08-27) 1954年8月27日(70歳)
身長 177cm
体重 75kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1973年
引退年 1986年
ツアー通算 3勝
シングルス 1勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 411勝494敗
シングルス 205勝255敗
ダブルス 206勝239敗
生涯獲得賞金 $598,092
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(1977/12)
全仏 3回戦(1978・82)
全英 3回戦(1973・84・85)
全米 ベスト8(1984)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1984)
全仏 ベスト8(1986)
全英 ベスト8(1982)
全米 ベスト8(1984)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 1回戦(1989)
全仏 優勝(1982)
全英 優勝(1983・84)
優勝回数 3(仏1・英2)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 21位(1978年7月23日)
ダブルス 34位(1986年9月8日)

ジョン・ロイドJohn Lloyd, 1954年8月27日 - )は、イギリスエセックス州リー・オン・シー出身の元男子プロテニス選手。クリス・エバートの元夫として有名な選手であるが、1977年12月の全豪オープン男子シングルス準優勝者でもある。ロイドは混合ダブルスに強く、オーストラリアウェンディ・ターンブルとペアを組んで4大大会の混合ダブルス部門に3勝を挙げた。ATPツアーではシングルス1勝、ダブルス2勝止まりに終わっている。シングルス自己最高ランキングは21位。身長177cm、体重75kg、右利き。

来歴

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1973年にプロ入りし、この年の全仏オープン4大大会にデビューする。1974年8月、ロイドは全米オープンの直前の週にアメリカペンシルベニア州メリオン大会で優勝したが、これが彼の唯一のシングルス優勝になった。1977年全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2回行われた。ロイドが決勝に進出したのは、年末の12月開催の大会である。この大会でロイドは準々決勝でジョン・ニューカムを破る活躍があったが、決勝でアメリカビタス・ゲルレイティスに 3-6, 6-7, 7-5, 6-3, 2-6 のフルセットで敗れ、4大大会男子シングルス優勝のチャンスを逃した。

ジョン・ロイドとクリス・エバート(1978年)

ジョン・ロイドがクリス・エバートと結婚したのは、1979年4月のことであった。この後、エバートは彼の姓を併用して「クリス・エバート・ロイド」(Chris Evert-Lloyd)と名乗るようになる。1982年から1984年まで、ロイドはオーストラリアウェンディ・ターンブルと混合ダブルスのペアを組み、3年連続でウィンブルドンの混合ダブルス決勝に進出した。1982年の決勝では、ロイドとターンブルはケビン・カレン南アフリカ)&アン・スミスアメリカ)組に 6-2, 3-6, 5-7 で敗れたが、1983年スティーブ・デントンビリー・ジーン・キング夫人(ともにアメリカ)組を 6-7, 7-6, 7-5 で破って優勝し、1984年はデントンとキャシー・ジョーダン(この組もアメリカペア)を 6-3, 6-3 で破って2連覇を達成した。ロイドとターンブルは、1982年全仏オープン混合ダブルスでも優勝がある。

その後、ロイドは1984年全米オープン1985年全豪オープン1977年の2度開催の影響で、当時は年末開催)で男子シングルスのベスト8に入り、久々に4大大会の男子シングルスで好成績を出した。1984年の全米準々決勝ではジミー・コナーズに、1985年の全豪準々決勝ではイワン・レンドルに敗れている。1985年、ジョンとクリスは2人の夫婦生活を語った著書『ロイド・オン・ロイド』(Lloyd on Lloyd)を出版した。ジョン・ロイドは1986年ウィンブルドン男子シングルス1回戦敗退を最後に現役を引退したが、翌年の1987年クリス・エバートと離婚し、2人の結婚生活は8年で破局を迎えた。

引退と離婚の後は、テニスコーチやテレビ解説者として活動している。2006年9月から、ロイドは男子テニス国別対抗戦・デビスカップイギリス代表チーム監督に指名され、2010年までイギリス・チームの監督を務めた。

外部リンク

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